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2013年6月27日木曜日

魂の非安

汝を生み出した行為の内なる死の欲動を、決してしらばくれることなしに汝自身のものんと認めよ》(アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理』)

二〇〇一年九月一一日後の数日間、われわれの視線が世界貿易センタービルに激突する飛行機のイメージに釘づけになっていたとき、誰もが「反復強迫」がなんであり、快楽原則を越えた享楽がなんであるかをむりやり経験させられた。そのイメージを何度も何度も見たくなり、同じショットがむかつくほど反復され、そこから得るグロテスクな満足感は純粋の域に達した享楽だった。(ジジェク「〈現実界〉の砂漠へようこそ」)

 《享楽、それは欲望《に応える》もの(それを満足させるもの)ではなく、欲望の不意を襲い、それを圧倒し、迷わせ、漂流させるもののことである。このように主体を踏み迷わせうるものを適切に言いあらわすことばは、神秘主義者たちにたずねるほかはない。たとえばライスブルックのことば、「私が精神の陶酔と呼ぶものは、享楽が、欲望によって垣間見られていた可能性を越えてしまう、あの状態である。》(『彼自身のロランバルト』)

こうやって、われわれは死の欲動、あるいは享楽のなかに踏み込む。実はそんなことは誰でも知っている。しらばっくれてもだめだ。魂の平安など求めはしない。

フロイトの「死の欲動」(……)。ここで忘れてはならないのは「死の欲動」は、逆説的に、その正反対のものを指すフロイト的な呼称だということである。精神分析における死の欲動とは、不滅性、生の不気味な過剰、生と死、生成と腐敗という(生物的な)循環を超えて生き続ける「死なない」衝動である。フロイトにとって、死の欲動といわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動であり、この衝動は、その衝動を抱いている生体の自然な限界を超えて、その生体が死んだ後まで生き続けるようにみえる。(『ラカンはこう読め!』)

《実際に消費する快楽よりも、つねに直接的交換可能性の「権利」を保持し、さらにそれを拡大することから得られる快楽。…資本の蓄積のたえまない運動は、快感原則でも現実原則でもなく、フロイト的にいえばそれらの「彼岸」にある欲動(死の欲動)として見られるべきである。》(柄谷行人『トランスクリティーク』p336)



「不安」とは「現実界」に近づき過ぎたときに起こるというのがラカンのテーゼである。

もっとも最近は二つの不安を区別するミレールの見解がある。《Miller recently proposed a Benjaminian distinction between “constituted anxiety” and “constituent anxiety,” which is crucial with regard to the shift from desire to drive: while the first designates the standard notion of the terrifying and fascinating abyss of anxiety which haunts us, its infernal circle which threatens to draw us in, the second stands for the “pure” confrontation with the objet petit a as constituted in its very loss.》(zizek"LESS THAN NOTHING")

ーー欲望の次元の「不安」にある人は、せいぜいその不安を慰めたらよい。だがひとは、欲動の次元の「不安」をうっちゃるわけにはいかない。(参照:欲望と欲動(ミレールのセミネールより)


無駄話にうつつを抜かして慰安を求め、象徴界のひびわれや裂け目に保留されている<現実界>を遣り過して愛想よく頷きあっている「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」を徹底的に嘲笑しようではないか、精神の健康のために。

《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。》(ニーチェ『善悪の彼岸』 154番)

……「文芸春秋」を出したのは、菊池さんがたしか三十五の時である。ささやかな文芸雑誌として出発したが、急速に綜合雑誌に発展して成功した。成功の原因は簡単で、元来社会の常識を目当てに編輯すべき総合雑誌が、当時持っていた、いや今日も脱しきれない弱点を衝いた事であった。菊池さんの言葉で言えば、「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」の原稿を有難がるという弱点を衝いた事によってである。(小林秀雄「菊池寛」)

《われわれの共通の日常的現実、つまりわれわれが親切で真面目な人間という役割を演じている社会的世界の現実が、じつは、ある種の「抑圧 」、すなわちわれわれの欲望の〈現実界 〉から眼を逸らすことの上に成立した一つの幻想にすぎない(……)。この社会的現実は、<現実界>の闖入によっていつ何時でも、ごくふつうの日常会話やごくありふれた出来事が危険な方向へとむかい、取り返しのつかない破滅が起こるかもしれない…》(ジジェク『斜めから見る』p43)


「現実は、現実界の顰め面」(ラカン「テレヴィジョン」)であることを忘れたふりをしている、あるいは、「現実」は、象徴界によって飼い馴らされた<現実界 réel>であることを見ないふりをしている手合いには嘲弄がふさわしい。

"reality is the Real as domesticated—more or less awkwardly—by the symbolic; within this symbolic space, the Real returns as its cut, gap, point of impossibility"
(François Balmès, 『Ce que Lacan dit de l'être』 1999)


ラカンは、享楽は《裂け目の光のなかで保留されている》とする。「世界の論理の突然のひびわれ」、とデュラスは書く。

愛するという感情が不意に訪れるとしたら、それはどのようにしてなのか、とあなたは訊ねる。彼女は答える-たぶん、世界の論理の突然のひびわれから。彼女はいう-たとえば、ひとつの過ちから。彼女はいう-意志からは決して。(マルグリット・デュラス「死の病い」 )

世界の論理の突然のひびわれ、現実界の闖入を避けたところには、そもそも「愛」などない。「好き」だけだ。


ロラン・バルトの『明るい部屋』での二項対立、ストゥディウム(studium)/ブンクトゥム(punctum)を想起しよう。これは、『テクストの快楽』の、快楽plaisir/悦楽jouissanceに連なる。後者は、ラカン用語としては、「享楽」と訳されている。


プンクトゥムとはほとんど「享楽juissance」のことと言ってよい。(参照:ベルト付きの靴と首飾り

 《プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことでもありーーしかもまた、骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

突然のひびわれ、裂け目、 ――ここにしか「愛」はない。

《ストゥディウムというのは、気楽な欲望と、種々雑多な興味と、とりとめのない好みを含む、きわめて広い場のことである。それは好き/嫌い( I LIKE/ I dont)の問題である。ストゥディウムは、好き( to like)の次元に属し、愛する (to love)の次元には属さない。》(同 バルト)

ひとは、このストゥディウムの文化的場でうつつを抜かし、プンクトゥムの、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目をやりすごそうとする。 ――「うつつ」、つまり、” réel を抜かすのだ。

ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。(親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日)

《現代ではストオリイは小説にあるだけではない。宗教もお話であり、批評もお話であると私は書いたが、政治も科学も歴史もお話になろうとしている。ラジオや テレビは一日中、料理や事件や宇宙について、甘いお話を流し続け、われわれは過去についてお話を作り上げ、お話で未来を占っている。

これらのお話を破壊しないものが、最も慰安的であるが、現実にもわれわれの内部にもお話の及ばない極地は存在する。人間はそこに止ることは出来ないにしても、常にその存在を意識していなければならない。だからこの不透明な部分を志向するお話が、よいお話である、というのが私の偏見である。》(大岡昇平『常識的文学論』1960


「魂の平和」が訪れて、「不安」がなくなってしまったらどうなるというのか。
「でも、あなたといるとぼくは不安でたまらない。そう、それなんだ、あなたはぼくを不安におとしいれるんです。そのとおりだよ、食事相手はうなずいた。わたしといると最後はだれもがそうなのさ。だけどね、そもそも文学の役割とはそこにあるのだと思わないかい? ひとの不安をかきたてることだとは? わたしに言わせれば、ひとの意識を慰撫するような文学などは信用できない。」(フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』澤田直訳編

もちろん、文学だけではない、ひとの意識を慰撫するような音楽、美術などは信用できない。祈りの音楽? 祈りとは本来、魂の不安を慰撫するのではなく、現実界に直面することではないか。《私は音楽の形は祈りの形式に集約されるものだと信じている。私が表したかったのは静けさと、深い沈黙であり、それらが生き生きと音符にまさって呼吸することを望んだ。》(武満徹)でありつつ、《私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない――そういう状態。》(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』)なのだ。


それを安吾のアモラル、あるいは漱石の非人情(人情と不人情の宙吊り)、あるいはカントの無限判断をめぐる記述を援用して、不安と平和との境界線を突き崩す第三の領域を、ここでは「非安」としておく。

私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られたような空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。その余白の中にくりひろげられ、私の耳に沁みる風景は、可憐な少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、決して、不潔とか、不透明というものではありません。何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります。(……)

そこで私はこう思わずにはいられぬのです。つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。(坂口安吾『文学のふるさと』)


ジャン・ジュネの《何も言わずに祈り続ける人のように……要するに、にこやかで凶暴だった》とする、あまりにも強く私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける」文における「祈り」を想起しよう。


誰も、何も、いかなる物語のテクニックも、フェダイーンが過ごしたヨルダンのジェラッシュとアジルーン山中での6ヶ月が、わけても最初の数ヶ月がどのようなものだったか語ることはないだろう。数々の出来事を報告書にまとめること、年表を作成しPLOの成功と誤りを数え上げること、そういうことならした人々がある。季節の空気、空の、土の、樹々の色、それも語れぬわけではないだろう。だが、あの軽やかな酩酊、埃の上をゆく足取り、眼の輝き、フェダイーンどうしの間ばかりでなく、彼らと上官との間にさえ存在した関係の透明さを、感じさせることなど決してできはしないだろう。すべてが、皆が、樹々の下でうち震え、笑いさざめき、皆にとってこんなにも新しい生に驚嘆し、そしてこの震えのなかに、奇妙にもじっと動かぬ何ものかが、様子を窺いつつ、とどめおかれ、かくまわれていた、何も言わずに祈り続ける人のように。すべてが全員のものだった。誰もが自分のなかでは一人だった。いや、違ったかも知れない。要するに、にこやかで凶暴だった。政治的選択によって彼らが撤退していたヨルダンのこの地方はシリア国境からサルトへと縦長に伸び広がり、ヨルダン川と、ジャラシュからイルビトへ向かう街道とが境界をなしていた。この長い縦軸が約60キロ、奥行きは20キロほどの大変山がちな地方で、緑の小楢(こなら)が生い茂り、ヨルダンの小村が点在し、耕地はかなり貧弱だった。茂みの下、迷彩色のテントの下に、フェダイーンはあらかじめ戦闘員の小単位と軽火器、重火器を配備していた。いざ配置に着き、ヨルダン側の動きを読んで砲口の向きを定めると、若い兵士は武器の手入れに入った。分解して掃除をし油を塗り、また全速力で組み立て直していた。夜でも同じことができるように、目隠しをしたまま分解し組み立て直す離れ業をやってのける者もあった。一人一人の兵士と彼の武器の間には、恋のような、魔法のような関係が成立していた。少年期を過ぎて間もないフェダイーンには、武器としての銃が勝ち誇った男らしさのしるしであり、存在しているという確信をもたらしていた。攻撃性は消えていた。微笑が歯をのぞかせていた。(ジャン・ジュネ『シャティーラの4時間』


 ほかにも、
《愛と死。この二つの言葉はそのどちらかが書きつけられるとたちまちつながってしまう。シャティーラに行って、私ははじめて、愛の猥褻と死の猥褻を思い知った。》

《女たちはすでに慣習に叛いていた。男の視線に耐えるまっ直ぐな眼差し、ヴェールの拒否、人目にさらした、時にはすっかり露な髪、つぶれたところのない声。》

《「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、16の時にはもう存在していなかったパレスチナを》

ここには「現実界」を真正面から見据える人びとの「強度」、「光」がある。魂の唯物論的な露呈 réel、その「輝き」がある。笑いさざめき、白い歯をこぼす微笑、にこやかな凶暴さ、奇妙にもじっと動かぬ何ものか…まっ直な眼差し…

むき出しになった享楽…名前を欠いた非個性的な欲動が迫り上がる…統禦しがたい匿名の衝動…穴を穿たれ、乗っ取られた人びとの最も深い絶望による輝き…


もう繰りかえすまでもないだろう、「不安」の深淵をのぞきながら、そこから逃げさることのなかった人びとの享楽、死の欲動…愛の猥褻と死の猥褻…

………

◆ニーチェの「魂の平和」

「内なる敵」…その価値…対立に富むという代価を払ってのみ、人は豊饒となる。魂が伸び伸びとせず、平和を求めないという前提のもとでのみ、人は若さを保ちつづける・・・「魂の平和」という以前のあの願望、キリスト教的願望にもまして私たちに縁遠くなったものは、何ひとつとしてない。戦いを断念するときには、偉大な生を断念してしまっているのである・・・

もちろん多くの場合「魂の平和」はたんに一つの誤解であるにすぎない、――もっと率直に命名されることができないだけの何か別のものである。言いのがれや偏見なしで二三の場合をあげてみよう。「魂の平和」は、たとえば豊かな動物性が道徳的なもの(ないしは宗教的なもの)のうちへと穏やかに放射していることでもありうる。あるいは、疲労の始まり、夕暮れが、あらゆる種類の夕暮れが投げかける最初の影でもありうる。あるいは、空気が湿気をおび、南風が近づいてくることの徴候でもありうる。あるいは、順調な消化に対するそれとは知らぬ感謝(ときとして「人間愛」と名づけられる)でもありうる。あるいは、すべての事物に新しい味わいをおぼえ、待ちのぞむ快癒者の心のひっそりとすることでもある・・・

あるいは、私たちの支配的激情の強い満足につづいておこる状態、稀有な飽満の快感でもありうる。あるいは、私たちの意志の、私たちの欲求の、私たちの背徳の老衰でもありうる。あるいは、道徳的に粉飾するよう虚栄心に説きふせられた怠惰でもありうる。あるいは、不確実さによる長いあいだの緊張や拷問ののち、確実さが、怖るべき確実さすらが入りこんでくることでもありうる。あるいは、行為、創造、活動、意欲のただなかでの成熟や練達の表現、静かな息づかい、達成された「意志の自由」でもありうる・・・偶像の黄昏、誰が知ろうか? おそらくはこれまた一種の「魂の平和」でしかなかろう・・・(ニーチェ『偶像の黄昏』「反自然としての道徳」3番より 原佑訳)

※補遺→ ラカン派の現実(幻想)と現実界をめぐる