彼はほほえむ。すると、彼の顔の皺くちゃの皮膚の全体が笑い始める。妙な具合に。もちろん眼が笑うのだが、額も笑うのである(彼の容姿の全体が、彼のアトリエの灰色をしている)。おそらく共感によってだろう、彼は埃の色になったのだ。彼の歯が笑う――並びの悪い、これもやはり灰色の歯――その間を、風が通り抜ける。
<ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』(現代企画室1999)>
《私はこんな奇妙な印象を受ける、つまり彼がそこにいると、それに触れなくとも、すでに完成された古い彫像たちは、変質し変貌する、なぜなら彼は彫像たちの姉妹のひとりにいま取りかかっているからだ。しかも一階にあるこのアトリエはいまにも崩れ落ちようとしている。アトリエは虫食いだらけの木で、灰色の埃でできており、彫像は石膏製で、綱、麻屑、あるいは針金の切れ端が見えている、画布は灰色に塗られ、それが画材屋にあった頃にもっていたあの落ち着きをとっくの昔に失ってしまった、すべては染みだらけで、廃品同然だ、すべては不安定で、いまにも崩れ落ちそうだ、すべては分解に向かっていて、浮遊している。ところで、そんなすべてのものが、ある絶対的実在性のなかでつかみ取られたかのようなのだ。私がアトリエを後にして、表の通りに出ると、私を取り巻くものはもはやなにひとつ真実ではない。こう言うべきだろうか。このアトリエで、ひとりの男がゆっくりと死んでゆき、燃え尽きる、そしてわれわれの眼前で、幾人かの女神たちに姿を変えるのだ》(ジャン・ジュネーー鈴木創士「ジャコメッティ覚書」より)
私はモリエール女子高等中学校で教えていた。……私たちはキャフェ・ドームを根城にしていた。(……)
サルトルやオルガとしゃべっている時には、私は出たり入ったりする人を眺めるのが大好きだった。(……)とりわけ私たちの興味をそそり、何者だろうと思った男がいた。ごつごつした美しい顔に、髪はぼさぼさ、貪るようなまなざしの男で、彼は毎夜、ひとりきり、または非常に美しいひとりの女性と連れだって、通りを徘徊していた。彼は岩のように強固な、同時に妖精よりも自由な様子をしていた。あんまりすばらし過ぎる。私たちは外見に騙されてはならないことを知っていたし、彼の風貌はあまりにも魅力に溢れていて、見かけ倒しではないかと思いたくなるほどだったのである。彼はスイス人で彫刻家、その名はジャコメッティといった。(ボーヴォワール『女ざかり』上 P263
パッシーには白系ロシア人街があり、その年の私のもっとも優秀な生徒も白系ロシア人だった。十七歳で、ブロンドの髪を真中から分けているために老けて見えるが、どた靴、長すぎるスカートといういでたちのリーズ オブラノフは、その挑戦的な態度でたちまち私の興味を惹いた。《わかりません!》と乱暴にどなって私の講義を中断する。時にはいくら説明しても、いつまでも受つけようとしないので、私はやむなく無視することにした。すると彼女はこれ見よがしに腕組みをして、とって食いそうな目で私を睨むのである。(同上P323)
ある朝私がドームへ行くと、彼女(リーズ)が駈けよってきて、《ね、私、アンドレ・モローと寝たの。すごくおもしろかったわ!》と叫んだ。しかし彼女はじきにアンドレが大嫌いになった。彼はお金も健康も大事にしすぎるし、習慣やしきたりを一から十まで重んじる。爪の先までフランス人なのだという。彼はしょっちゅうあれをやりたがるので、しまいにリーズはうんざりしてきた。彼女はアンドレとの性生活を、まるで兵隊あがりのようにあけすけにしゃべった。(『女ざかり』下 P106)
この年の春(1941年:引用者)、私たちは新しい友達ができた。リーズのおかげでジャコメッティと知り合ったのである。前にも書いたように、私たちはずっと前から彼の鉱物的な顔や、もさもさした髪や、浮浪者のような態度に目をとめていた。私は彼が彫刻家で、スイス人だということも聞いていた。また、彼が自動車の下敷きになったことも知っていた。彼がステッキをついて、びっこをひきひき歩くのはそのためなのである。彼はよく綺麗な女を連れていた。彼はドームでリーズに目をつけ、話しかけた。リーズは彼をおもしろがせ、好意を抱かせた。リーズは彼は頭が悪いといっていた。デカルトが好きかと訊いたのに、とんちんかんな答え方をしたからだという。それでリーズは、彼は退屈な男だと決めこんだ。しかし彼はドームで、リーズにとっては夢のような晩餐をおごった。若くて丈夫で食欲旺盛なリーズは、いつも食べに行く学生食堂ではおなかがいっぱいにならなかった。彼女は、大喜びでジャコメッティの招待に応じた。しかし最後のひと口を呑みくだすや否や、彼女は口をぬぐって立ち上がるのだった。ジャコメッティは彼女を引き留めるために、もう一人前注文することを思いついた。彼女は最初の一人前と同じようにこれをいそいそと平らげ、食べ終えると、情容赦もなく帰ってしまうのだ。
《なんていう奴だ!》
とジャコメッティは一種の感嘆をこめていった。そして仕返しにリーズのふくらはぎをステッキでつっついた。ある時リーズは、ジャコメッティが退屈きわまる連中といっしょに彼女をラ・パレットに招待した、とこぼした。彼らがしゃべっているあいだ、彼女はあくびのしつづけだったという。あとになって私たちは、このやりきれない連中の名を知った。それはドラ・マールとピカソだった。
ジャコメッティのアトリエは中庭に面していた。リーズはここを根城にすれば、彼女がパリの到る所から盗んで来る自転車を隠匿するのに好都合だと思った。私は彼女にジャコメッティの彫刻をどう思うかと尋ねた。リーズは狐につままれたような顔をして、
《わからないわ。あんまり小さいんですもの!》
と笑った。そして、ジャコメッティの彫刻は、ピンの頭ぐらいの大きさなのだと断言した。これでは判断しようがないではないか? リーズは、ジャコメッティの仕事ぶりは実に奇妙だと付け加えた。昼間作ったものは夜のあいだに全部壊してしまうし、夜制作すれば、昼間壊すのだ。ある日彼は、アトリエいっぱいにたまった彫刻を、手押車に積んでセーヌ河にほうり込みに行ったそうだ。(……)
あらゆるものが彼の興味を惹いた。人生にたいする彼の熱烈な愛は、好奇心という形をとったのである。彼は自動車に轢き倒された時でさえ、楽しさにも似た気持で、《死ぬってこういうことなのか。僕はこれからどうなるんだろう?》と考えた。入院中も刻一刻と何か思いもかけない発見があったので、退院するのが残念なくらいだった。この貪欲さは私の胸にぴんときた。ジャコメッティは言葉をみごとに使いこなして、人物や情景を肉付けし、これに生命を与えるのだった。そのうえ彼は、相手の話に耳を傾けることによって相手をゆたかにする、ごく稀な人物のひとりだった。(『女ざかり』下 P115-116)
※サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)は『ゴドーを待ちながら』の舞台美術をジャコメッティに依頼している。
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ジュネが刑務所から出て来た、と人から聞いた。五月のある午後、私がサルトルとカミュといっしょにキャフェ・フロールにいると、ジュネが私たちのテーブルにやって来て、
《貴方がサルトルですか?》
と突然尋ねた。頭を坊主刈りにし、唇をひきしめ、用心深そうなほとんど挑発的な眼ざしのジュネを、私たちは悪党らしい様子をしていると思った。彼は腰をおろしたが、ほんのちょっときりいなかった。が、ジュネはまたやって来て、私たちはそれからしばしば会うようになった。彼は筋金入りの男だった。彼が産声をあげた時から閉め出しを喰ったこの社会を、問題にもしていなかった。しかし、彼の瞳は微笑することを知っていたし、その口元は驚くほどの子供っぽさを残していた。彼は話し易い人だった。彼は人のいうことに耳を傾け、答えた。けっして独学をした人のようにはとれなかった。彼の趣味や判断には、教養が自然に身についている人たちのもつ洒脱さや、思い切ったところやかたよったものがあるにはあったが、また同時にすばらしい眼識があった。(同上P201)
― ジャン・ジュネ“アルベルト・ジャコメッティのアトリエ”
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