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2013年6月22日土曜日

文章を書く方法(中井久夫)



 《知の領域における父性原理の権化ともいうべき論文形式、後年のバルトは終始痛烈な異議申し立てをおこなった。後年のバルトにとって、論文形式は「戯画」であり、「ファルス」なのである。》(花輪光『ロマネスクの作家 ロラン・バルト』)

バルトのいくつかの書の訳者花輪光によれば、このようにロラン・バルトは論文形式に異議申し立てをしたそうなのだが、さてバルトがどこで言っているのかは、今は探し出せない。

ただし、以前引用したように(「エクリチュールをめぐってのいくつか」)、パロールの教師・知識人、エクリチュールの作家と対比されているのだから、つまり学者たちの書くものはエクリチュールではないとしているのだから、そこから「反論文」の態度は窺うことができる。

パロールの側にいる教師に対して、エクリチュールの側にいる言語活動の操作者をすべて作家と呼ぶことにしよう。両者の間に知識人がいる。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者である。教師の言語活動と知識人の言語活動の間には、両立しがたい点はほとんどない(両者は、しばしば同一個人の中で共存している)。しかし、作家は孤立し、切り離されている、エクリチュールはパロールが不可能になる(この語は、子供についていうような意味に解してもいい〔つまり、手に負えなくなる〕)所から始まるのだ。(「作家、知識人、教師」)

バルトは終生エッセイストと自称している。

充分に自覚せざるをえないのですが、私は、エッセイと呼ばれるもののみを刊行してきました。エッセイとは、書くことが主体を分析と競わせる曖昧なジャンルにほかなりません。(……)それゆえ、科学と、知と、厳密さと、規律のとれた学問的創意が支配しているこの家に迎え入れられたのは、まぎれもなく、一つの不純な主体なのであります。(ロラン・バルト コレージュ・ド・フランス「開講講義」)

この文を引用して蓮實重彦は次のように書く。
すぐさまいいそえておかねばなるまいが、この「不確か」で「不純な」主体や、「曖昧なジャンル」という言葉の中には、いかなる謙虚さもこめられてはいない。これらの形容詞は、いささかも主体の相対的な劣性を意味するものではなく、主体に「作家」としての身分を保証する絶対的な何かのありかを示唆しているのである。(「バルトとフィクション」『表象の奈落』所収)
…………


上記のように引用したが、ここではエクリチュールなどとややこしいことはいわず、また論文形式のなかにもすぐれたものはあるに違いないので、名エッセイスト、中井久夫が文章を書くときの秘訣を示唆する文を挙げてみる。


さて、文章を書く方法であるが、一気呵成に書く方法もある。しかし、これは、短文は別として、強弩の末勢になる恐れがある。強い石弓で射た矢も最後はへろへろ矢になるということである。逆に、章、節、小見出し、その量まで決めてから書く人もいる。これは、いかにも堅実な方法であるが、文章の魅力に乏しく、また、執筆の途中で湧く発想が入り込む余地もなく、結局、最初の企図を越えない平凡なものになる恐れがある。独りで「編著」を書いているようなものだからである。


一般には、油絵を描くように、あっちを塗り、こっちを塗り、下塗りをし、削り、遠くから眺めて修正し、時には一からやり直し、というふうなことを繰り返し、だんだん全体が見えてきて、最初の意図とは少し違うものになって、最後に文章を整えて仕上げとするのがよいのではなかろうか。(『私の日本語雑記』)

論文を書く時に、《章、節、小見出し、その量まで決めてから書く人》がどのくらいいるのかは別にして、似たようなこと、つまり最初にきっちり構成をきめて書く人は多いのだろう。それによって、《執筆の途中で湧く発想が入り込む余地》がなくなるとは必ずしも言い切れないのだろうが、やはり、《最初の企図を越えない平凡なものになる》傾向はあるのではないか。

ある種の論文を読んでの堅苦しさと味気なさーー主張が詰め込まれすぎて息を抜く箇所がなかったり、テンポの緩急やリズムの強弱(中断された歩み、後戻り、 突然の強い調子など)の欠けた平板さとでもいうものだが、--はそんなところから生まれるのではないか。

ヴァレリーは詩と散文を、舞踏と歩行に喩えたことで知られるが、散文が歩行であるならば、ときには立止まってまわりに景色を眺めるような余裕がほしい。



中井久夫はこうも書く、
一般には、最初から完璧な文章、独創的な文体で執筆を始めなければならないと思わないことがよかろう。第一ページから順に書こうとする必要もないと思うが、第一パラグラフだけは題の続きのようなもので、これが決まらないと、書いていても首のない文章になって、多くは構想さえ消えそうになる。原稿用紙しかなかった時代には、最初の一行を書くために、どれだけの量が丸められて机の周囲に散らばったことか。(「日本語文を書くための古いノートから」『私の日本語雑記』中井久夫)

この文は、中井氏が愛するヴァレリーの言葉、「最初の一句はミューズから与えられる。後は努力である」を思い浮かべつつ書かれたのではないかとか、ひょっとして最初はそれが引用されていたが、《油絵を描くように、あっちを塗り、こっちを塗り、下塗りをし》ている途次、削られたのではないかなどとして読むのも、中井ファンの<わたくし>の楽しみである。

いずれにせよ、「自分が知らないこと、あるいは適切に知っていないことについて書くのではないとしたら、いったいどのようにして書けばよいのだろうか」(ドゥルーズ『差異と反復』)なのであり、「《思想》とか《内的構想》が書物に先立って、書物は単にそれを書き表すだけだ、と考える単純な先行論」によって書かれたような文章は面白くないことが多い。それは既にある考えの要約にすぎず、テクストとともに思考の歩みをすすめる喜びはない。


もし文章を書く楽しみというものがあるなら、その一つは「最初の意図とは少し違うもの」になることと中井氏は書いているが、読む楽しみだってそうだ、読み続けるうちに、最初思っていたのとは別のところに連れていかれることが、快い驚きを生む。

<わたくし>にとって、フロイトのいくつかの論文を読む喜びとは、そういうものだ。いくつか例をあげよう。

◆『ある幻想の未来』より

誰にも妨げられないで独白のように進められてゆく考察には、ある種の危険が伴う。すなわち、考察を中断しそうな考えはすべて傍らに押しやってしまいたい誘惑に屈しがちである反面、なんとなく不安な感じも残ることになり、あげくのはては、誇張と思えるほどの断乎たる態度を取ってその不安を打ち消そうとする。(四章冒頭)

「あなたは、とうていたがいに調整できないような矛盾したことを平気で言う。最初あなたは、この論文のような著作はまったく無害だ、こんなことを述べたとろこで誰一人として自分の信仰を捨てる人はいないだろうと主張する。ところが、あなたの目的はやはりこの信仰の邪魔立てをすることにあるのだから、私としては、ではいったいなぜあなたはこんな著作を公表するのかと尋ねる権利があるわけだ。……(六章冒頭)


◆『文化への不満』より


幸福についてのこれまでの考察で明らかになったのは、ほとんどみな周知のことばかりだ。この考察をさらに押し進め、幸福になることが人間にとってなぜこれほど困難なのかと問うてみたところで、新発見の見込みはさして大きくはならないように思われる。(三章冒頭)

私はいまこの論文を書いている時、「自分が言っているのは天下周知の事実だ。紙とインキ、されには植字工と印刷用インキまで動員しながら、書いている内容はもともと自明のことにすぎないのだ」という感を深くしたことはない。(六章冒頭)

ここまで論述をすすめてきて、私は読者に、自分がけっして上手な道案内人ではなく、おかげで読者に、味気ない道や歩きにくい廻り道までさせてしまったことについてお詫びを言いたい。もっと楽な道があるはずであるということは疑いをいれない。遅ればせながら私は、これまでの失敗をいくらかでも取り戻そうと思う。(八章冒頭)


――まるでエッセイのように書かれている。論文でも、ときに字数の制約はあるのかもしれないが、このような文章をさしはさめば、読者は、書き手の思考の歩みとともに読むことができる。


ところで、今、「思考の歩み」と、<わたくし>は書いた。それは、さきほどヴァレリーを引用しての《詩が舞踊り、散文が歩行》の谺だ。すると今度は、ヴァレリーの同時代人アランの言葉を思い出す、そしてそれを引用しようという誘惑が生まれる、――《歩みののろく、そして夢想の厚い雲に掩われている精神のほうが、しばしばはるかに遠くにまで進むのである。》(アラン『プロポ』)

こうやって唐突に聯想して想起することを楽しむ。ーーまあ<わたくし>の場合、おおむね引用であり、その横滑り、逸脱が度が過ぎてしまって収拾がつかなくなり、その収拾のなさのまま投稿するという具合で、ひどく読みにくい文章になっていることに自覚的であり、だから、中井久夫の《油絵を描くように、あっちを塗り、こっちを塗り、下塗りをし、削り、遠くから眺めて修正し、時には一からやり直し、というふうなことを繰り返し、だんだん全体が見えてきて、最初の意図とは少し違うものになって、最後に文章を整えて仕上げとする》を引用して自戒しようとしているわけだが、なかなか《遠くから眺めて修正し、時には一からやり直す》などということをする気にはいまだならない。


さてなんの話だったか。

……アランのいうように、フロイトのいくつかの論文(とくに文化をめぐるもの)は、ことさら、夢想の厚い雲に掩われている精神、歩みののろく、そして遠くまで進む精神の姿がある、といいたかったわけだ。



さて、最後にもうひとつ、松浦寿輝が漱石の文体における、《人間的“いい加減さ”に大胆に身を委ねる》精神の豊かさを指摘する文を附記しておこう。

『こころ』も『明暗』も要するにただの絵空事であり、その道具立てとして導入された「先生」だの「K」だの「津田」だの「小林」だのは、言語記号の組合せによって表象される想像的な人物イメージの戯れの積分的な総体に与えられた、仮の名前にすぎない。なるほど、一人一人の登場人物に一貫した自己同一性とリアルな存在感を賦与しようという意図を作家が抱いていたことは間違いなかろうが、しかしたとえそうであっても、創造の「今」において漱石は、そのつど確率論的な揺らぎの中で、むしろ“適当に”書いていたはずである。漱石の筆が運動しつつある、その「今」の現場には、過誤も思い違いも混同も意識せざる誇張も自家撞着も裏切りも、何もかもがいちどきに呼びこまれえたのであり、またそうした人間的“いい加減さ”に大胆に身を委ねることで、彼の「作品」における運動はいよいよ豊かな、また生気に満ちたものになっていったはずなのだ。漱石の文体における「当て字」の問題なども、むしろ「作品」を決定論的凝固から解き放ちたいという彼の骨がらみの欲動の表現として読み解かれるべきではないのか。(松浦寿輝「表象と確率」『官能の哲学』所収 文庫P190)