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2013年6月22日土曜日

ベルト付きの靴と首飾り (ロラン・バルト)


ロラン・バルトの『明るい部屋』には、ラテン語のストゥディウム(studium)/プンクトゥム(punctum)という二つの概念がいたるところに提示される。


ここでは簡略にこの二つをめぐる定義めいた叙述を抜き出す。

ストゥディウムstudium)、――《この語は、少なくともただちに≪勉学≫を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。》

プンクトゥムpunctum)、――《ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。》


《ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、プンクトゥムは、愛する(to love)の次元には属する》


ここでロラン・バルトのもうひとつの二項対立概念(快楽plaisir/悦楽jouissance)の叙述を別の書から抜き出してみる。

快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

快楽が制度の内のものであり、悦楽は制度を揺るがすものであることがこの文で分かるだろう。そして、ストゥディウムは快楽に近似し、プンクトゥムが悦楽に近似する。

この「悦楽jouissance」は、「享楽」とも訳される。

『テクストの快楽』につけ加えて。享楽jouissance、それは欲望《に応える》もの(それを満足させるもの)ではなく、欲望の不意を襲い、それを圧倒し、迷わせ、漂流させるもののことである。このように主体を踏み迷わせうるものを適切に言いあらわすことばは、神秘主義者たちにたずねるほかない。たとえばライスブルックのことば、「私が精神の陶酔と呼ぶものは、享楽が、欲望によって垣間見られていた可能性を越えてしまう、あの状態である。(『彼自身によるロラン・バルト』)

――この文を読めば、さらに、ラカンの欲望/欲動の二項対立概念を同じく念頭において、ストゥディウム(studium)/プンクトゥム(punctum)をみることが出来るだろう(もちろんそこに微妙な差異があるのは当然だが)。


そうであるなら、ラカンの《対象a》をも想起しておこう(ラカンの有名なサーディン缶のエピソード)。

学生時代、休みになると、彼は漁師に混じって漁に出た。船上の漁師のなかに「プチ・ジャン」とかいう男がいた。その男が、陽光を受けて光っている鰯の缶を指して、ラカンにこう言った。「この缶が見えるかい。本当に見えるかい。でも、その缶にはおまえが見えないんだぜ。」ラカンはこう注釈を加えている。「もしプチ・ジャンが私に言ったこと、つまり缶には私が見えないということに何か意味があったとしたら、それは、ある意味で、それにもかかわらず缶は私を見ていた、ということです」。

なぜ缶は彼を見ていたのか。(……)それは「私がいわば絵の中の染みの役割を演じていたからです」。大変な苦労をして日々の糧を稼いでいる無教育な漁師たちの間で、ラカンはまったく場違いだった。(ジジェク『斜めから見る』p223)

ここで、シェイクスピアの『リチャード二世』における、王妃と王の僕ブッシーの会話を思い出そう。
Each substance of a grief hath twenty shadows,/Which shows like grief itself, but is not so;/For sorrow's eye, glazed with blinding tears,/Divides one thing entire to many objects;/Like perspectives, which rightly gazed upon/Show nothing but confusion, eyed awry/Distinguish form:…(SCENE II. The palace. Enter QUEEN, BUSHY, and BAGOT

ここにある「正面から見ると何一つ見えないのに、斜めから見るとはっきり形が見える、あの透視画法と同じです」とブッシーが語るものをジジェクは次のように説明する。

ある物をまっすぐに、冷静に、偏見を捨てて、客観的に見ると、ぼんやりした染みしか見えない。「ある角度から」、「関心をもって」、つまり欲望に支えられ、貫かれ、「歪められ」た視線で見たときにはじめて、はっきりした形が見えてくる。このことは<対象a>、すなわち欲望の対象=原因の完璧な説明になっている。(ジジェク『斜めから見る』p34

<対象a>は奇妙な対象で、じつは対象の領野に主体自身が書き込まれることにすぎない。それは染みにしか見えず、この領野の一部が主体の欲望によって歪められたときにはじめて明確な形が見えてくる。そして、絵画史における最も有名な歪像の例であるホルバインの『大使たち』を例にして、ラカンがセミネールⅩⅠで、主体の死と欲望が交差する「スクリーン」としての<対象a>を描き出したのは周知のことだ。





こうして、もう一つの二律背反、目/視線に辿り着く。

《視線gazeと眼eyeとの二律背反的な関係を思い出してみよう。ラカンによれば、対象を見ている眼は主体の側にあるが、視線は対象の側にある。私が対象を見るとき、かならず対象はすでに私を見つめている。その点に立つと私には対象が見えないような、ある点から。》

《視線とは、いわば、(私の視線の)枠がすでに絵の「内容」の中に書き込まれているような点である》

ラカンの視線はまなざしとも訳される。バルトの『明るい部屋』末尾近くに「まなざし」という章(46章)がある。
写真のまなざしには何か逆説的なところがあるが、ときにはそれが実人生でも見られることがある。先日、一人の若者が、喫茶店で、連れもなく店内を見まわしていた。彼の視線はときどき私のの上にそそがれた。そこで私は、彼が私を見つめているという確信をもったが、しかし彼が私を見ているかどうかは確かでなかった。それは考えられないような不整合であった。見つめていながら、どうして見ないでいられるのか?


さて、これらから、ロラン・バルトの「プンクトゥム」は、<対象a>のことではないか、という問いが生まれる。そして差異があるなら、それはなんなのか、と。

一人の立派にハジ(聖地巡礼をすませた回教徒の尊称)。短い灰色のひげをよく手入れし、手も同様に手入れし、真っ白い上質のジェラバを優雅にまとって、白い牛乳を飲む。

しかし、どうだ。鳩の排泄物のように、汚れが、きたないかすかなしみがある。純白の頭巾に。(ロラン・バルト『偶景』)





…………




たいていの場合、プンクトゥムは《細部》である。つまり、部分的な対象である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。 
ここに掲げたのは、ジェームズ・ヴァン・ダー・ジーによって一九二六年に撮影されたアメリカ人の黒人一家である。そのストゥディウムは明瞭である。私は良き文化的主体として、共感をこめて、この写真が語っていることに関心をもつ。というのも、この写真は語りかけてくるからである(これは《良い》写真なのである)。それが語っているのは、体面を保つこと、家族主義、順応主義、晴れ着を着てかしこまっていること、白人の持物で身を飾るための社会的上昇の努力(素朴であるだけに感動的な努力)である。その光景は私の関心を引く。しかし私を《突き刺し》はしない。私を突き刺すのは、言うも奇妙なことであるが、妹(または娘)の豊かな腰――おお、黒人の乳母よーーと、小学生のようにうしろに組んでいる手と、そしてとりわけ、ベルト付きの靴である(なぜ、このように時代遅れの古めかしい靴が、私の心を打つのか? 言いかえれば、それは過去のいかなる時期に私を送り返すのか?)。このプンクトゥムは私の心のうちに非常な好意、いとおしさと言ってもよい感情を引き起こす。

このように『明るい部屋」の十九章「「プンクトゥム」――部分的特徴」で書かれたあと、しかし、二十二章「事後と沈黙」で次のように書かれる。


してみると、それが、明瞭であるにもかかわらず、ときとして事後にはじめて明らかになる、ということがあっても少しも驚くには当らない。そのようなことが起こるのは、長いあいだ写真を見ずに過したあと、ふたたび写真のことを考えるときである。現に見ている写真よりも、思い出した写真のほうが、いっそうよく理解できる、ということがあるものだ。まるで直接目に見える形は、言語活動を誤った方向に導くので、それがおこなわせる記述の努力は、効果を発揮する点、つまりプンクトゥムをつねにとらえそこなってしまう、とでもいうかのようである。ヴァン・ダー・ジーの写真を読んだとき、私は、何が私を感動させるかを突きとめたと思った。それは、晴れ着を着た黒人女のベルト付きの靴だった。しかしこの写真は私の心のなかで徐々に変化していって、私はその後、真のプンクトゥムは彼女が首にかけている短い首飾りである、ということを理解するようになった。というのも(おそらく)、私の家族の一員が首にかけているのを、私がいつも目にしてきたのは、これと同じ首飾り(金の鎖の細い組紐)だったからである。その首飾りは、本人が亡くなったいま、家族の古い装身具を入れておく宝石箱にしまいこまれたままになっている(この父の妹は生涯結婚せず、オールドミスとして自分の母親のもとで暮していたので、私はその田舎暮らしのわびしさを思い、いつも心を痛めていた)。プンクトゥムは、いかに直接的、いかに鋭利なものであっても、ある種の潜伏性をもつことができる(しかしいかなる検査にも決して反応しない)、ということを私はそのとき理解したのだった。

このプンクトゥム(首飾り)は、ロラン・バルトを見つめている、ーー《視線とは、いわば、(私の視線の)枠がすでに絵の「内容」の中に書き込まれているような点である》ーーその見つめている視線を、バルトは、すぐさま言い当てることができない。《視線は、絵の中の染み・汚点として機能する。その染みは明白な可視性を侵害し、私と絵との関係に、埋めることのできない亀裂を導入する。》(ジジェク)

現に見ている瞬間ではなく、思い出したとき、その亀裂を見出す。

ーー《たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。》(プルースト「見出された時」)


ここまでの叙述であれば、ラカンの<対象a>に基本的な部分では近似している。

《視線とは、いわば、(私の視線の)枠がすでに絵の「内容」の中に書き込まれているような点である》であり、そして、《the objet a is, at its most elementary, what I see in the other's gaze.》(zizek)


そしてバルトは、《プンクトゥムは《細部》である。つまり、部分的な対象である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。》としているのだから。



だが、39章、「プンクトゥムとしての「時間」」ではこう書かれる。

ある種の写真に私がいだく愛着について(本書の冒頭で、すでにずっと前に)自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム)と、ときおりその場を横切りにやって来るあの思いがけない縞模様とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥムと呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕〔ステイグマ〕》が存在することを知った。もはや形式ではなく強度という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間」である。「写真」のノエマ(《それは=かつて=あった》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象である。

「時間」であるなら、プルーストを思い出さざるをえない。もちろんバルトの『明るい部屋』は、写真論としても書かれており、その「時間」はプルーストの「時間」とは異なる。上の章では、こうも書かれる。《そこでは「時間」の圧縮がおこなわれ、それはすでに死んでいる、と、それはこれから死ぬ、とが一つになっているのだ。》これがバルトにとっての写真のエッセンスである。

ところでプルーストの事物のエッセンスは次のようであった。

私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。私のなかのその存在は、感覚機能によってそうしたエッセンスがもたらさえない現在を観察したり、理知でひからびさせられる過去を考察したり、意志でもって築きあげられる未来を期待したりするとき、たちまち活力を失ってしまうのだ。意志でもって築きあげられる未来とは、意志が、現在と過去との断片から築きあげる未来で、おまけに意志は、そんな場合、現在と過去とのなかから、自分できめてかかった実用的な目的、人間の偏狭な目的にかなうものだけしか保存しないで、現在と過去とのなかの現実性を骨ぬきにしてしまうのである。ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現時ではなく現実的であり、抽象的ではなく観念的である二者んぼ同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまりにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれどもも、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が。時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。(「見出された時」)

《紅茶に浸したマドレーヌを口に含んだ途端、それを誘い水にして、「コンブレは、かつて生きられたためしがない光輝のなかで、まさにそうした純粋過去として再び出現する」。「コンブレがかつて現在であったためしがない〈純粋過去〉という形式で、つまりコンブレの即自という形式で出現する。》(ドゥルーズ『差異と反復』p140)

《かつて現在であったためしがない〈純粋過去〉という形式》とはなんだというのか。

たとえばプルーストの『失われた時を求めて』において、語り手である<私>は、ある偶然の感覚性にともなって「本質的な意味では忘却していた過去」、コンブレで過ごした子供時代、その家や町や人びとが突如として生き生きと甦ってくるのを経験する。それはだから生き直すことである。しかしそれは人々が通常そう思っているように、なにか始原となるもの、オリジナルをなす出来事があって、それを同じように(あるいは類似したままに)繰り返すということではない。コンブレで過した子供時代は、実のところそのときそこで必ずしも生きられたのではなかった。むしろかなりの歳月がたったあとで、まったく新しいフォルムにおいて、その一つの真実のうちにーー現実世界においては等価物を持たなかった真実――のうちに生きられたのだ。すなわち再び生きられたのであり、かつまた同時に初めて生きられたのである。(ドゥルーズ『ニーチェ』の訳者あとがきにかえられた小論「ドゥルーズとニーチェ」より 湯浅博雄)

そう、再び生きられるのであり、しかも初めて生きられる過去なのであって、ただたんに古くなっただけの過去(相対的過去)をそのまま想起したのではない。

現在のあるささいな出来事が潜在的でしかなかった過去を「遡及的に」構成しなおす、それが《再び生きられ、かつ初めて生きられる》ということでもあろう。



ここで、バルトが、《「写真」のノエマ(《それは=かつて=あった》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象である》、あるいは、《そこでは「時間」の圧縮がおこなわれ、それはすでに死んでいる、と、それはこれから死ぬ、とが一つになっているのだ。》と書いていることを、ふたたび思い出そう。

《死というのは一点ではない、生まれた時から少しずつ死んでいくかぎりで線としての死があり、また生とはそれに抵抗しつづける作用である。――フーコー『臨床医学の誕生』(ビシャの言葉引用から)》《昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。――リルケ「マルテの手記」》

写真とはこれらの「死」に関わるとはいえ、現在社会の「死」とは、宗教を離れ儀式を離れた非象徴的な「死」でもある。

われわれはその生き生きとしてもの〔写真〕をアリバイにして、「死」を否認しつつ引き受けるのだ。というのも、「写真」は、歴史的には、十九世紀後半に始まる「死の危機」と何らかの関連をもつにちがいないからである。(……)仮に「死」がもはや宗教的なもののなかに存在しない(あるいは、それ以前よりも少ししか存在しない)としたら、「死」はほかの場所に存在するのでなけらばならない。その場所というのが、おそらく、生を保存しようとして「死」を生み出す写真映像のなかなのである。(『明るい部屋』「平板な死」の章)

あるいは、ゴダール=蓮實重彦とともにこう言ってもいい。

(ゴダールは)、「20世紀の夜明け」に起こったこととして「テクノロジーは、生を複製することに決め、そこで写真と映画が発明された」ともいっているが、すぐさま「喪の色である黒と白とともに、映画術が生まれたのだ」とつけ加えることをゴダールは忘れない。(……)さらに「映画は生命の動きを模倣しようとしたのだから、映画産業がまず最初に、死の産業に売り渡されたのは、当然で、理に適ったことだった」と語りなおされることになるだろう。(……)

テクノロジーが知らずにいたのはこのことだ。すなわち、生の模倣が死の模倣と同じ仕草におさまるしかないことを、技師者たちはいまなお知ろうとしないのである。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』より)

……

で、ラカンの<対象a>とプンクトゥムの近似性の話はどこにいったのだろう。

ワカランネ

宿題だね

時間のあたりがそもそも、瞭然としていないからな


<対象a>とは、《あなたの中にはなにかあなた以上のもの》のように語られる。変奏すれば、写真のなかにあって写真以上のもの。

あるいは、<対象a>それ自体はごくありふれた日常的な物であるが、「<物自体>の地位に引き上げ」られたとたん、一種のスクリーンとして、つまり主体が自分の欲望を支えている幻想を投射できるような空っぽの空間として機能しはじめる。


ところで、ラカンの<対象a>には、「時間」や「死」への目配りがないなどと安易なことをいうつもりはない。

S・シュナイダーマンの『ラカンの《死》』によれば、ラカンは精神分析理論の中心軸を、フロイトの「性」から、「死」へとずらしたい願望を密かに抱いていたとのこと。

なんらかの事情があって(シュナイダーマン曰く、トラブルを回避すべく)、「死」ではなく「享楽jouissance」にすり替えるという妥協の道を選んだらしい。(伊藤正博「ラカンの《第二の死》の概念について」による)


「死」があれば「時間」への目配りはあるはずだ。


”jouissance is ‘the path towards death” (Lacan S17)

そして、享楽、すなわち剰余享楽を具現化しているのが<対象aである。



ーーー何が言いたいんだって?

ロラン・バルトの「プンクトゥム」を救いたいんだけどね、いまでは、ほとんど誰も「プンクトゥム」なんて言わないようになってるから。バルトはラカンの<対象a>に何かをつけ加えたかったんじゃないかね…『明るい部屋』を書いてすぐ死んでしまったけれど


いや、この文はかなり前に書いて、ワラカンネで、放り出してあったんだけど、まあやっぱりいまだワカランネ