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2014年8月8日金曜日

「原初とは最初のことじゃないんだよ」

やや長くなりすぎたので、ブログのような書き物において小題をつけるのは、あまり趣味ではないのだが、珍しくそうしてみる。


【はじめに】

……初診において向うから PTSDを名乗ってくる患者の中には果たしてそうかという場合がある。

一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴なうことの少ない天災の場合でさえ、アンケートをとり、訪問〔アウトリーチ〕しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けいれていることのほうが普通である。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで外傷患者を淡々と受けいれていることのほうが普通である。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P95)


【自己免責としてのトラウマ語り】

宮台 「自分は変われない」という人に「それはなぜですか?」と問うと、「私は過去にこうい うトラウマを負っているんです。あなたと違って私が変われるわけがないじゃないですか」と 自己を免責するんですね。風俗嬢の取材を通じて無数に目撃してきました。

岸見 過去に大きな出来事に遭遇した場合、その影響がまったくないとは言い切れませ ん。もちろんあるでしょう。東日本大震災でも阪神淡路大震災でもかなり悲惨なことがあり ましたから、影響がなかったとは言いません。ただ、同じ出来事を経験したかたらといって、 皆が同じようになるわけではない。そういう決定論から脱している点がアドラー心理学の特徴なのです。(トラウマを否定するアドラー心理学が今なぜ多くの人に求められているのか (宮台真司×神保哲生×岸見一郎 鼎談(前編)

「心理学化する社会」(樫村愛子)のひとつの現われとして、このような自己免責としてのトラウマ語りというものが確かにあるのだろう。すなわち、この鼎談は、ここだけ抜き出せば文句をつけようがない、ただ表題の「トラウマを否定するアドラー心理学」の言外に含まれる党派性以外は。すなわちアンチ・フロイトをにおわせる意味合い以外は。

事実、宮台真治氏は次のように語っている。

フロイト 対 アドラーは、〈潜在性の思考〉対〈自己言及の思考〉であり、メタ万物学(近代哲学)対 万物学(現代哲学)であり、ユダヤ的思考 対 ギリシア的思考。ユダヤ教徒フロイトは過去の引力(無意識による規定)を重視しますが、ギリシア哲学を出発点とするアドラーは未来の引力を重視します。

ーーというわけで、アドラーなど読んだこともないわたくしだが、いささかフロイト=ラカン党派よりの言辞を弄してみようと思う。

ただし、繰り返せば、冒頭の宮台真治氏とアドラー派学者の岸見一郎氏の見解そのものは、尊重に値する。啓蒙的モラルとして、たとえば次のようなアランの言葉を想い起こしてもよい。

《幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ》(アラン)

私が信頼を寄せれば、彼は正直な人間でいる。私が心のうちで彼をとがめていると、彼は私のものを盗む。どんな人間でも、私のあり方次第で私にたいする態度をきめるのである。(アラン「オプチミスム」

これは他人への信頼だけではない。「他者という自己」への信頼も同じく。過去の自己は、現在の主体としての私のあり方次第で、その主体の未来を決定する。

ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。 (高橋悠治『ロベルト・シューマン』)
過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』所収)


【トラウマへのふたつの対仕方】

ーーー犠牲者・生き残り者と主体的未来の選択者


フロイト・ラカン派の論客かつ臨床医でもあるヴェルハーゲには、フロイトとラカンをめぐるトラウマ論がある。

◆TRAUMA AND HYSTERIA WITHIN FREUD AND LACAN Paul Verhaeghe

問題は患者のトラウマ的状況への立場にある。ひとは患者を外的な動因のたんなる犠牲者とするのかーーすなわち彼もしくは彼女は援助や支援を受ける権利があることを意味するーーあるいはひとは患者をただ単に犠牲者としてだけではなく彼もしくは彼女自身の影響、更に言えば限られた形での選択をもつものと見なすかである。この二つの答えのあいだの相違は、支配者の言説と精神分析的な言説の相違として理解できる。

The question bears on the position of the patient towards the traumatic situation. Either one considers the patient as a mere victim of an external agent, which means that he or she is entitled to help and support; or one considers the patient not solely as a victim but as someone with an impact of his or her own, even with a limited form of choice. The difference between these two answers can be understood as the difference between a master discourse and a psychoanalytic one.3
この議論が“政治的な”文脈でなされるなら、――通例のように、――、患者は犠牲者、あるいは生き残り者と見なされる。逆に臨床の文脈では、治療者は二番目のアプローチをとる。たとえば、Judith Herman とJames Chuはともに強調している、感情に動かされてしまうことから距離をとることを。すなわち過度に支援する役割から距離をとることを。Hermanは患者から責任を取り除くことを、治療上の主要な間違いのひとつとしている。Chuは、なにがどのように患者に起こったのかを理解することは患者の責任の手中にあるとする。そして彼がまた強調するのは、選択の要素である。これらの考え方はオリジナルなフロイトの考え方、いわゆる'Neurosenwahl'、「神経症の選択」と共鳴する。これは偶然の一致ではない。というのはまさにこの要因が精神療法を可能にするのだから。

If this discussion takes place within a 'political' context, more often than not, the patients will be considered as victims and survivors. Within a clinical context, on the contrary, clinicians tend to choose the second approach. For example, both Judith Herman and James Chu stress the necessity for emotional distance, that is, for taking your distance from the all too supporting role. Herman considers the taking away of responsibility from the patient, as one of the major therapeutical mistakes.4 Chu tunes in when he states that it remains the patient's responsibility to understand what and how things have happened to him or her, and he also stresses the element of choice.5These ideas echo the original Freudian ideas on the so-called 'Neurosenwahl', the choice of neurosis. This is no coincidence, because it is precisely this factor that makes psychotherapy possible.
もしひとが最初の答に執着するのなら、それは完全な決定論、治療上の悲観主義に終る。さらには宿命論とさえ言える。すなわち患者は、彼もしくは彼女のトラウマの経験のために、彼がそうならざるを得なかったものになる。もしひとが二番目の答を選ぶなら、そこには最低限の選択要素と主体のかかわりの余地がある。それがまさに主体が変りうる最低限の条件である。ラカンが「過去時制」に対して「未来の前方」を強調する事実とは、「私は私の選択を通して私であるものになるだろう」であり、それは「私は私がすでにそうあったものになる」の代わりに、である。現在の選択が主体の未来を決定する。

If one sticks to the first answer, then one ends with a complete determinism and thus with therapeutic pessimism, even fatalism: the patient has become what he had to become, due to his or her traumatic experiences. If one chooses the second answer, then there is a minimal element of choice and implication of the subject, which is precisely the minimal condition for change. Hence the fact that Lacan stresses the ‘future anterior ‘ in contrast to the ‘past tense': II will be what I am now through my choice', instead of: II am what I already was'. Choices made now will determine the future of the subject.


【原初とは最初のことじゃない】


ところでラカンは、「原初とは最初のことじゃない」という。もっとも、この文はポール・ヴェルハーゲの要約ではあるが。

"Primary does not mean first"( Paul Verhaeghe  Mind your Body & Lacan's Answer to a Classical Deadlock. )

このヴェルハーゲが、ラカンの『アンコール』セミネールから抜き出し要約した言葉はどこにあるのかと言えば、次の部分のようだ。

われわれはある過程において、“原初の”と“二次的な”と言うが、それはひどくイリュージョンを育む話し方なんだな。私に言わせれば、どんな場合でも、ある過程で“原初の”と言われるとき、――まあなんでもいいがね、結局のところそう言いたいときは、――それは最初に現われるということじゃないんだ。

When we say "primary" and "secondary" for the processes, that may well be a manner of speaking that fosters an illusion. Let's say, in any case, that it is not because a process is said to be primary - we can call them whatever we want, after all - that it is the first to appear.
個人的には、赤ん坊を眺めたことは一度もないね、その赤ん坊に外部の世界はないという実感をもたないでは。はっきりしてるのは赤ん坊はなにも見てないんだよ、彼を興奮させるもの以外は。それはまさにその通りじゃないかい、赤ん坊がまだ話さないかぎりは。彼が話しはじめた瞬間からだな、まさにその瞬間以降であってその前じゃないんだが、私はやっと理解できるんだ、抑圧のたぐいがあるのが。快-自我の成り行きは“原初”だよ。そうでないわけあるかい? あきらかに“原初”なのさ、ただしいったんわれわれが考えだしてからのだ。でもそれは間違いなく“最初”じゃない。(『セミネールⅩⅩアンコール』フィンク英訳より私意訳)

Personally, I have never looked at a baby and had the sense that there was no outside world for him.It is plain to see that a baby looks at nothing but that, that it excites him, and that that is the case precisely to the extent that he does not yet speak. From the moment he begins to speak, from that exact moment onward and not before, I can understand that there is [such a thing as] repression. The process of the Lust-Ich may be primary - why not? it's obviously primary once we begin to think - but it's certainly not the first. (Lacan BOOK XX Encore 1972-1973 TRANSLATED WITH NOTES BY Bruce Fink)


ラカンの語る“原初の(一次的な)”と“二次的な”を読んだところで、中井久夫の次の文を並べてみよう。

最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」『日時計の影』所収 )

さて、この内容をどう扱うべきか。われわれは話す存在であり、遡及的に「原初の」を見出すというラカンの主張とここでの中井久夫の「原トラウマ」を。

原トラウマを出産外傷に近い形で捉えるラカン派の論者もいる。

最初の喪失とは、とても多くの仕方で理解されうる。それは象徴界のフロンティアとして理解されうるし、そして“最初の”シニフィアン(S1,母なる〈他者〉mOtherの 欲望)の喪失としての現実界として理解されうる。それは原抑圧が起こったとき、である。この最初のシニフィアンの“消滅”は、シニフィアンが可能となる秩序自体を設定するために必要不可欠である。この除外は別のなにかが生ずるためには、かならず起こらねばならない。(ブルース・フィンク『後期ラカン入門: ラカン的主体について』私訳→原文は「ラカンの S(Ⱥ)をめぐって」参照)

だが、この観点はいまは端折る。これが原トラウマならそれは誰にでもあるのだから。ただ今は再度、ヴェルハーゲのトラウマ論から次の文を抜粋しておこう。

ヒステリーとトラウマ的神経症はともに、突然の、放出できない緊張の蓄積によって起こる。ヒステリーでは、この蓄積は内部から来る、そして主体自身の欲動によって引き起こされる。トラウマ的神経症は、原因は外部のものであり、それは以前の、内部の原因につけ加えられる。

これが意味するのは、ヒステリーとトラウマ的神経症は互いにある関係があるということだ。ヒステリーは、心理的な装置の構造的に決定される欠如によって始まる。というのはある欲動(フロイト)から来るある享楽(ラカン)はシニフィアンにリンクされえず、象徴的なファリック秩序の外部にあるままだからだ。トラウマ的神経症はその上部に重なり来て、内的な葛藤と奇妙な相互作用を必然的に伴うようになる。それは自傷行為や反復強迫のような現象をすこし思い起しすればよい。この奇妙さは次の事実にすべて関係する。患者の内部の何かがそれを楽しんでいる(享楽している)のだ。そしてこれは患者の意識的な欲望に反している。この享楽は快原則のかなたに位置しており、こういったわけで文字通り理解不能なのである。(私訳)

Both hysteria and traumatic neurosis are caused by a sudden, nondischargeable accumulation of tension. In hysteria, this accumulation comes from within, and is caused by the subject's own drive. In traumatic neurosis, the source is an external one, added to the previous, internal one.

This implies that hysteria and traumatic neurosis stand in a certain relationship towards each other. Hysteria starts at a structurally determined lack of the psychological apparatus, because a certain jouissance (Lacan) coming from a certain drive (Freud) cannot be linked to signifiers and remains outside the symbolic, phallic order. Traumatic neurosis comes on top of that, and entails a strange interaction with the internal conflict; just think of phenomena like automutilation and repetition compulsion. This strangeness has everything to do with the fact that something within the patient enjoys it, and this against the conscious desire of the patient. This enjoyment is situated beyond the pleasure principle and thus literally incomprehensible.(『TRAUMA AND HYSTERIA WITHIN FREUD AND LACAN』 Paul Verhaeghe)

【動物のトラウマ】

ところで言葉を話さない動物にはトラウマはないのだろうか。

《一般に神経症こそ生物に広く見られる事態である。その点は内因性精神障害と対照的であると私は思っている》という文で始まる中井久夫の「トラウマについての断想」は阪神淡路大震災の直後からのペットの観察をめぐる症例が書かれている。 《多くのペットの受けたダメージはその飼い主であるヒトをはるかに凌ぐものであった》。

症例1 ある裕福な家庭のゴールデン・リトリーヴァーは、せっかくの訓練が全部抜けてただの甘え犬になった。初対面の私にもすりよってきた。……
症例2 一軒屋の家屋に接した犬小屋にいた雑種犬は、通りかかる人にいつも垣根の端から端まで吠えていた犬であった。震災の朝も彼は繋がれていなかったと思われる(……)が、道に面した凸レンズ形の庭石の上に「忠犬ハチ公」の姿勢で不動であり、前に立つ私を眼にもとめなかった。八カ月後にようやく私を認めて一声弱々しくワンと吠えた。彼が石を離れた時は一年を越えていた。二、三年後には多少は吠えるようになっていたが、かつての元気が戻ることはなかった。……
症例3 震度六―七の地域のマンションの二匹の飼い猫である。若い一匹は本に押しつぶされたが、八歳のもう一匹は機敏に安全な場所に逃れた。大学英文科教授の夫人は、猫がおかしい行動をすると私に語った。その後まもなく、彼は、夫婦を起こすようになり、起きるまで髪の毛を前肢で掻くのであった。(……)起こすのは、朝の五時台で、必ず震災の起こった五時四六分より前であった。(……)ちなみに、朝寝坊であった私も、震災以後、強力な睡眠薬を使用した数度を除いて、必ず、五時四六分以前に目覚めて今に至っている。ちょうど、その時刻に目覚めることがある。このことを意識したのは、この猫をみて以来であった。最近、時刻の生物時計の全身細胞への分布が明らかとなっている。……
症例4 垣根の中で放し飼いだった二匹の犬は、震災直後も前同様、通りかかる私に吠えてやまなかった。この犬の飼い主にたまたま会った。犬は二匹とも二年以内に亡くなっていた。……
私が挙げた動物症例では、ペットに比して飼い主の地震に対する反応は非常に軽い。それはどうしてであろうか。さまざまな付随的事情が飼い主に有利なこともあろうが、ヒトが開発した言語の存在が大きいと思われる。言語は伝承と教育によって「地震」という説明を与えた。家族、近隣との会話を与えた。そして、ヒトの五官は動物に比べて格段に鈍感である。それは大脳新皮質の相当部分が言語活動に転用されたためもあり、また、そもそも、言語がイメージの圧倒的な衝拍を減圧する働きを持っていることにもよるだろう。

しかし、ここで、心的外傷がヒトにおいても深く動物と共通の刻印を脳/マインドに与えるものであることは考えておかなければならない。記憶はそもそも五官ではなしえない「眼の前にないものに対する警告」として誕生した可能性がある。外傷性記憶は特にそうである。その鮮明な静止的イメージは端的な警告札である。一般にイメージは言語より衝拍が強く、一瞥してすべてを同時的に代表象REPRESENTしうる。人間においてもっとも早く知られたフラッシュバックは覚醒剤使用者のそれである。そもそも幼児記憶も同じ性格を帯びており、基本的な生存のための智慧はそれによって与えられている。外傷性記憶が鮮明であるのに言語的な表現が困難であるのは、外傷という深く生命に根ざした記憶という面があってのことと思われる。「回避」はもっとも後まで残る症状とされるが、これは動物が主にそれによって行動するような言語以前の直観によるものであると私は思う。私がなぜ回避するかは、理屈はつけられるだろうが、実状は「いやーな感じ(あるいは恐怖のようなもの)がしてどうしても足が向かない」のが回避である。したがって、心的外傷は、言語によって知られる他の精神障害の多くより伝達性に乏しい。言語化しにくいだけではない。痛みというものは訴えても甲斐がない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006『日時計の影』所収)

《心的外傷がヒトにおいても深く動物と共通の刻印を脳/マインドに与えるものであることは考えておかなければならない》とある。もしこの観点をとるなら、アドラーの、いやわたくしはアドラーをまったく知らないので、冒頭の二人が説明する「トラウマを否定するアドラー心理学」と言い方は、--その否定がなにを意味するのかは別にしてーーナイーヴ過ぎるのではないか。もちろん岸見氏は《過去に大きな出来事に遭遇した場合、その影響がまったくないとは言い切れません。もちろんあるでしょう》とは語っている。ただスローガン的にトラウマを否定するのがよいことだとされる可能性を十分にもつ語り口であり、それでは通俗道徳の範囲を出ない。

もちろんわれわれの生はその通俗道徳で99パーセントは生きていけるだろう。たとえばアランの《幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ》を変奏させれば、《不幸なのはトラウマがあるせいではない、トラウマを負っていると考えてしまうから不幸なのだ》と言うことができ、この考え方は通俗道徳としては限りなく正しい。


【トラウマの肯定的側面】

だがわれわれにはトラウマを負っていることに起因する「好ましい」生への対仕方をもっている場合さえあり得る。たとえば、戦争に強く反対し続けられる人というのは、実は戦争トラウマをなんらかの形で負っている、あるいは父母や近親者の外傷的語りの記憶をその多寡はあれ抱えているひとたちだけではないか。

《戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない。》(中井久夫「戦争と平和についての観察」)

第二次世界大戦におけるフランスの早期離脱には、第一次大戦の外傷神経症が軍をも市民をも侵していて、フランス人は外傷の再演に耐えられなかったという事態があるのではないか。フランス軍が初期にドイツ国内への進撃の機会を捨て、ドイツ国内への爆撃さえ禁止したこと、ポーランドを見殺しにした一年間の静かな対峙、その挙げ句の一ヶ月間の全面的戦線崩壊、パリ陥落、そして降伏である。両大戦間の間隔は二十年しかなく、また人口減少で青年の少ないフランスでは将軍はもちろん兵士にも再出征者が多かった。いや、戦争直前、チェコを犠牲にして英仏がヒトラーに屈したミュンヘン会議にも外傷が裏で働いていたかもしれない。

では、ドイツが好戦的だったのはどういうことか。敗戦ドイツの復員兵は、敗戦を否認して兵舎に住み、資本家に強要した金で擬似的兵営生活を続けており、その中にはヒトラーもいた。ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫 「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P88))

古井由吉は、なぜそんなに毎日小説が書き続けられるのかと問われて、冗談めかして「憎悪から」と答えている。だがこの「憎悪」は、古井氏の小説を読めば冗談ではないことがすぐに分かる。

頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平成は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。

小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷〔ふかで〕というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。これをどう生きながらえる。たいていはしばらく、五年十年あるいは二十年三十年と、自身の業苦からわずかに剥離したかたちで生きるのだろう。一身の苦にあまり耽りこむものではない、という戒めがすくなくとも昔の人生智にはあったに違いない。一身の苦を離れてそれぞれの年齢での、家での、社会での役割のほうに付いて。芯がむなしいような心地でながらく過すうちに、傷を克服したとは言わないが、さほど歪まずとも受け止めていられるだけの、社会的人格の《体力》がついてくる。人の親となる頃からそろそろ、と俗には思われているようだ。

しかし一身の傷はあくまでも一身の内面にゆだねられる、個人において精神的に克服されなくてはならない、克服されなくては前へ進めない、偽善は許されない、という一般的な感じ方の世の中であるとすれば、どういうことになるだろう。また社会的な役割の、観念も実態もよほど薄い、個人がいつまでもただの個人として留まることを許される、あるいは放置される世の中であるとすれば。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』)



【遡及的なトラウマ】


ここで、柄谷行人がフロイトの「遡及性」という概念Nachträglichkeit (retroactivity)を語っている文をーーその概念に直接言及はないがーー掲げてみよう。

(フロイトの考え方の)最初の逆転は、『ヒステリー研究』(一八九五年)で、ヒステリーの原因を性的外傷――つまり、大人側の誘惑による――に見出していたフロイトが、一八九七年に、そのような考えを否定したときに起こっている。新たな見方によれば、患者が記憶している外傷的体験は、患者が事後的に作り出したフィクションである。そのような記憶が隠蔽するのは、子供時代に自らが欲望を実現しようと能動的にふるまったという過去である。(柄谷行人『超自我と文化=文明化の問題』『フロイト全集』(岩波書店)「月報」より)

フロイトの遡及性は次のようなことだ。
それは「遡及的」なトラウマという形で使われる。
たとえば、子供が最初にある性的な光景を目撃したとき、
そこには外傷的なものは何ひとつなく、
なんら衝撃を受けたわけではない。
意味のよくわからない出来事として記憶に刻み込んだだけ。
だが後年性的な袋小路に遭遇して
子供は幼いときの記憶を引っ張り出し、
遡及的に外傷化されるというふうに。

内的なトラウマと言われるものは
オリジナルな外傷があるのではなくて
多くの場合、このような遡及的な外傷だとされる。

ーーとはジジェクのパクリであり、やはりその文を示しておこう。

アインシュタインの特殊相対性理論から一般相対性理論への移行を例にとって考えてみよう。特殊相対性理論はすでに歪んだ空間という概念を導入しているが、その歪みを物質の効果と見なしている、物質がそこに存在することによって空間が歪む、つまり空っぽの空間だけが歪まない。一般相対性理論への移行にともなって、因果が逆転する。物質が空間の歪みの原因なのではなく、物質は歪みの結果であり、物質の存在が、空間が曲がっていることを示している。このことと精神分析との間にどんな関係があるのかというと、見かけ以上に深い関係がある。アインシュタインを模倣しているかのように、ラカンにとって<現実界> ――<物>―― は象徴的空間を歪ませる(そしてその中に落差と非整合性をもたらす)不活性の存在ではなく、むしろ、それらの落差や非整合性の結果である。

このことはわれわれをフロイトへと引き戻す。その外傷理論の発展の途中で、フロイトは立場を変えたが、その変化は右に述べたアインシュタインの転換と妙に似ている。最初、フロイトは外傷を、外部からわれわれの心的生活に侵入し、その均衡を乱し、われわれの経験を組織化している象徴的座標を壊してしまう何かだと考えた。たとえば、凶暴なレイプだとか、拷問を目撃した(あるいは受けた)とか。この視点からみれば、問題は、いかにして外傷を象徴化するか、つまりいかにして外傷をわれわれの意味世界に組み入れ、われわれを混乱させるその衝撃力を無化するかということである。後にフロイトは逆向きのアプローチに転向する。フロイトは彼の最も有名なロシア人患者である「狼男」の分析において、彼の人生に深く刻印された幼児期の外傷的な出来事として、一歳半のときに両親の後背位性交(男性が女性の後ろから性器を挿入する性行為)を目撃したという事実を挙げている。しかし、最初はこの光景を目撃したとき、そこには外傷的なものは何ひとつなかった。子どもは衝撃を受けたわけではさらさらなく、意味のよくわからない出来事として記憶に刻み込んだのだった。何年も経ってから、子どもは「子どもはどこから生まれてくるのか」という疑問に悩まされ、幼児的な性理論をつくりあげていったが、そのときにはじめて、彼はこの記憶を引っ張り出し、性の神秘を具現化した外傷的な光景として用いたのである。その光景は、(性の謎の答を見つけることができないという)自分の象徴的世界の行き詰まりを打開するために、遡及的に外傷化され、外傷的な<現実界>にまで引き上げられた。アインシュタインの転向と同じく、最初の事実は象徴的な行き詰まりであり、意味の世界の割れ目を埋めるために、外傷的な出来事が蘇生されたのである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』p128)


柄谷行人は、『探求Ⅰ』のあたりから、フロイトの無意識は事後的なんだ、としきりに主張する。lこれはおそらく遡及性にかかわるのだろう。いまその主張がもっとも鮮明に現われた語りを抜き出そう。

(柄谷)ドゥルーズは超越論的といいますが、これもまさにカント的な用法ですが、これを正確に理解している人はドゥルーズ派みたいな人にはほとんどいない。カントの超越論という観点は、ある意味で無意識論なんです。実際、精神分析は超越論的心理学ですし、ニーチェの系譜学も超越論的です。(中略) 
ア・プリオリという言葉がありますけど、ア・プリオリというものは、実際には事後的なんです―――無意識がそうであるのと同じように。それがほとんど理解されていない。さっき言った様相のカテゴリーはア・プリオリですが、それはたとえば可能性が先にあってそれが現実化されるというような意味ではまったくない。可能性とは事後的に見いだされるア・プリオリです。最近、可能世界論などといっている連中は、こんな初歩的なこともわかっていない。『批評空間』1996Ⅱー9共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津/蓮實/前田/浅田/柄谷行人)

このフロイト=柄谷行人のいう遡及性は、「原初とは最初のことじゃない」とほぼ同じことを語っている。

ーーーで、なんの話だったか。

途中で端折った話を蒸し返しておこう。原初のトラウマを。ただし上の遡及性の観点を念頭に置きながら。


【知識欲の源泉としてのスフィンクスの謎】

スフィンクスの謎

小児における詮索活動の働きを進行させるのは、理論的な関心ではなくて、実践的な関心である。次の子供が実際に生れたり、やがては生まれるという予想のために自分の生存条件が脅かされたり、またこの出来事と関連して、親の愛情や庇護を失うかもしれないと恐れるために、小児は物思いがちになったり、敏感になったりするのである。小児が熱中する最初の問題は、このような覚醒の歴史に対応するような性別の問題ではなくて、子供たちはどこからやってくるのか、という謎なのである。これはまた、テーベのスフィンクスがかけた謎の一つの変形なのであって、この変形しない元の形は容易にさぐりうるものである。男女両性の区別があるという事実を、小児は当初はむしろなんの抵抗や考慮もなしにうけ入れる。男の子は当然、自分の知っているすべてのひとに自分と同じような性器があるものときめこんでいるのであって、ほかのひとにはこれがないなどと想像することは不可能なのである。(フロイト『性欲論三篇』人文書院 フロイト著作集5 P56)
子供が去勢コンプレックスの支配下に入る前、つまり彼にとって、女がまだ男と同等のものと考えられていた時期に、性愛的な欲動活動としてある激しい観察欲が子供に現われはじめる。子供は、本来はおそらくそれを自分のと比較して見るためであろうが、やたらと他人の性器を見たがる。母親から発した性愛的な魅力はやがて、やはりペニスだと思われている母親の性器を見たいという渇望において頂点に達する。ところが後になって女はペニスをもたないことがやっとわかるようになると、往々にしてこの渇望は一転して、嫌悪に変わる。そしてこの嫌悪は思春期の年頃になると心的インポテンツ、女嫌い、永続的同性愛などの原因となりうるものである。しかしかつて渇望された対象、女のペニスへの固執は、子供の心的生活に拭いがたい痕跡を残す。それというもの、子供は幼児的性探求のあの部分を特別な深刻さをもって通過したからである。女の足や靴などのフェティシズム症的崇拝は、足を、かつて崇敬し、それ以来、ないことに気づいた女のペニスにたいする代償象徴とみなしているもののようである。「女の毛髪を切る変態性欲者」は、それとしらずに、女の性器に断根去勢を行なう人間の役割を演じているのである。(『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』1910 フロイト著作集3 p116)

この「スフィンクスの謎」を問う「原初の」問い、原トラウマ的なものが、われわれは探究心に駆り立てる。

要約しよう。このトラウマに関するラカン理論は次の如くである。欲動とはトラウマ的な現実界の審級にあるものであり、主体はその衝動を扱うための十分なシニフィアンを配置できない。構造的な視点からいえば、これはすべての主体に当てはまる。というのは象徴秩序、それはファリックシニフィアンを基礎としたシステムであり、現実界の三つの諸相のシニフィアンが欠けているのだから。

この三つの諸相というのは女性性、父性、性関係にかかわる。Das ewig Weibliche 永遠に女性的なるもの、Pater semper incertuus est 父性は決して確かでない、Post coftum omne animal tristum est 性交した後どの動物でも憂鬱になる。これらの問題について、象徴秩序は十分な答を与えてくれない。ということはどの主体もイマジナリーな秩序においてこれらを無器用にいじくり回さざるをえないのだ。これらのイマジネールな答は、主体が性的アイデンティティと性関係に関するいつまでも不確かな問いを処理する方法を決定するだろう。別の言い方をすれば、主体のファンタジーが――それらのイマジネールな答がーーひとが間主観的世界入りこむ方法、いやさらにその間主観的世界を構築する方法を決定するのだ。

この構造的なラカンの理論は、分析家の世界を、いくつかのスローガンで征服した。象徴秩序が十分な答を出してくれない現実界の三つの諸相は、キャッチワードやキャッチフレーズによって助長された。La Femme n'existe pas, 〈女〉は存在しない、L'Autre de l'Autre n'existe pas, 〈他者〉の〈他者〉は存在しない、Il n'y a pas de rapport sexuel,性関係はない。

結果として起こったセンセーショナルな反応、あるいはヒステリアは、たとえば、イタリアの新聞はラカンにとって女たちは存在しないんだとさと公表した、構造的な文脈やフロイト理論で同じ論拠が研究されている事実をかき消してしまうようにして。たとえば、フロイトは書いている、どの子供も、自身の性的発達によって促されるのは、三つの避け難い問いに直面することだと。すなわち母のジェンダー、一般的にいえば女のジェンダー、父の役割、両親の間の性的関係。(Paul Verhaeghe 『TRAUMA AND HYSTERIA WITHIN FREUD AND LACAN 』私意訳)

ラカンの娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールは、科学さえこのスフィンクスの謎のためにある、という。

科学があるのは女性というものla femmeが存在しないからです。知はそれ自体他の性についての知の場にやってくるのです。(ミレール「もう一人のラカン」-ー知識欲の源泉としての女性器リサーチ

「トラウマを否定するアドラー」などという議論そのものが、「原トラウマ」のためにある、というのがフロイト=ラカン派の考え方である。


…………

※附記

ホリエモンもほれた閉塞した社会を切り開くアドラーの教え」などというものもある。繰り返せば、通俗道徳バンザイ! としておこう。いささか「教訓」的になることを拒絶するふりする「教訓」のように読めないことはないが。

日本の文化は、個人の生きかたの首尾一貫性をそれほど求めないようである。私たちは、脱皮し、こだわりがなくなり、角がとれて、円くなうことをよしとする。人生のヤマ場では自己劇化をしても、後からは情緒的な回顧の対象となる。(……)

日本の成功者は、自分の人生にもとづいて教訓を垂れる傾向があった。意人的な自己劇化が生前から行なわれることもあった。これは遡れば儒教的伝統につながるものであろうか(『論語』は教訓と感想の集大成である)。(中井久夫「伝記の読み方、愉しみ方」『日時計の影』)