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2014年8月29日金曜日

「卑しいごますり作家どもに災いあれ」

@cbfn: ・・・或るシンポジウムで、文学の危機を口にするフランス人文学研究者に対して蓮實さんは、「場所を特定し得ぬものに危機の診断を下すことを私は一切する気は御座いません」というような応答をしたそうです。伝聞ですから正確な表現は知りませんが、見事に正当な応答だと思います(丹生谷貴志)

とはいえ、文学だけに限らず、書くだけで喰っていけた作家という職業の危機というものはあるのだろう。もちろんそんな作家はかつてから稀ではあったのだろうが、今は芥川賞を取っても、小説だけ書いて生活できる者は一握りしかいないわけで、大学で教師などとの兼任がどうしても必要となる。

詩人? 詩人ならなおいっそうのこと。

《基本的に生活をかけて仕事をしてきたから、ずっと書きつづけてきたってことはあると思います。 もちろん詩を書く仕事だけじゃありませんですけどね。 僕の同世代の詩人たちは、大学の先生とか定職を持っていた人も多かった。僕は書いて稼ぐしかなかったんです》 (谷川俊太郎

…………


《自分の作品が「新潮」に掲載されたときの原稿料が一枚八百円(当時は日給がちょうど八百円くらい)》との北方謙三の発言に対し、《卵の値段と原稿料は変わらない》(川上弘美)。


そもそも小説家というのは、ヤクザや売春婦にもなれない人間が、最後の寄る辺としてなるものであって、なろうとしてなるものじゃないですね。(矢作俊彦

古井由吉のように大学教師を辞めて原稿料一本で生活するなどということはいまでは滅多にないはずだ。

古井由吉は、手取りの月給が10万円に届いていない時代の大学教師を辞めて書いた第一作は240枚の『杳子』であり、当時の文芸雑誌の原稿料は600円から1000円なので、当分の計算は立った、と語っている(『人生の色気』)。

僕は、大江健三郎にせよ村上春樹にせよ、まともな文学が読まれなくなり、『ハリー・ポッター』が世界を制覇するような状況に、敏感に反応してるとは思う。(……)かつてのような文学はある意味で終わったんだから、どんどん攻めていかないとダメだっていう危機感が作家たちにあるんじゃないか。(……)

古井由吉みたいに衰弱を衰弱として見せるみたいな本当に高級な芸の境地に達しちゃえば、本が一〇〇〇部しか売れなくてもすごいって言ってられるかもしれない。でも、ある程度社会的に発信しようと思った場合、いわゆる純文学なんて言ってられないんじゃないか、と。(浅田彰「憂国呆談」)

やはり作家たちの危機感というものはあるはずで、冒頭の蓮實重彦の発言は、そのことについて「文学の危機」と抽象的に言ってしまってはいけないといういう含みもあるのではないか。

…………

哲学書としては異例の2万部を記録した『動きすぎてはいけない』で思想界を震撼させた千葉雅也さんが『別のしかたで ツイッター哲学』を上梓した。千葉さんの日頃のツイートをまとめたこの本、ページをめくると、哲学、トンカツ、学問論、ダチョウ倶楽部、精神分析など、話題は多様だ。ツイート同士に繋がりがあるものもあれば、ないものもある。時系列もバラバラで、白紙のページもある。(「ツイッターによる哲学書とは」)

――とあり、『動きすぎてはいけない』は《異例の2万部》とのことだが、浅田彰の『構造と力』が《難解な哲学書としては異例の15万部を超すベストセラーとなり、ある種の社会現象にまでなりました》ことに思いを馳せれば、いかにも2万部は少ない。日本からの情報はほとんどツイッターから得ているだけなのだが、あれだけの作家名・作品名の露出があるのだから、5万部ぐらいは売れているのではないか、となんとなくーー要するに旧世代の時代錯誤的感覚でーー憶測していたのだが。

「別のしかたで」とは、これは千葉雅也氏の書の内容とは別にして、ある程度社会的に発信しようと思った場合、思想書なんて言っていられないことによる「啓蒙書」分野への殴りこみでもあるはずで、これは國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』も同様なのだろう。

(この二人の作家の書物を読んだことがない者が書いていることを断わっておく。國分氏のものをウェブ上でその断片を読んだ程度だ)

もっともドゥルーズは、「別の仕方で」を次のように使っており、本来はおそらくこっちの意味なのだろう。

現在に抗して過去を考えること。回帰するためでなく、「願わくば、来たるべき時のために」(ニーチェ)現在に抵抗すること。つまり過去を能動的なものにし、外に出現させながら、ついに何か新しいものが生じ、考えることがたえず思考に到達するように。思考は自分自身の歴史(過去)を考えるのだが、それは思考が考えていること(現在)から自由になり、そしてついには「別の仕方で考えること」(未来)ができるようになるためである。(ドゥルーズ『フーコー』「褶曲あるいは思考の内(主体)」宇野邦一訳)

あるいは、「別のしかたで」とは、「非現働的な仕方で」とも読み替えてみたい誘惑にかられる。

能動的に思考すること、それは、「非現働的な仕方でinactuel、したがって時代に抗して、またまさにそのことによって時代に対して、来るべき時代(私はそれを願っているが)のために活動することである」。(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』江川隆男訳)

これは、ニーチェの『反時代的考察』unzeitgemässe Betrachtungからの引用であるが、「非現働的な仕方でinactuel」とは、ニーチェ訳文だとおおむね「反時代的に」となっている(『反時代的考察』の仏旧訳は”Considérations intempestives”、新訳では ”Considérations inactuelles”)。「啓蒙的」であることは、現在の読者に向けてへの教育という面があるのだから、啓蒙的であることと、反時代的(季節外れ、流行遅れ)であることは、いささか両立しがたい態度ではないだろうか。ーーと書けば、ドゥルーズやフーコー、あるいはニーチェだって、啓蒙的な書はあるという反論はあるだろうし、そもそもこういう考え方とは、また「別の仕方」の考えをとらざるをえないのが現代という時代なのかもしれない。


以下の蓮實重彦の語りは、氏がつねにこの態度であったかどうかは別にして、学生や読み手に背中を向けた「反啓蒙的な」姿勢を表現している。もっともこの態度が非現働的であるのかどうかは充分に議論の余地があるだろうが、《むなしい「恋文」のよう》に書く態度が、現在の書き手のなかでどれほど見られるものだろうか。

私は、まだ撮ったことのない映画を撮るようにして、作家と向かい合っていたのではないかと思います。要するに、徹底した観客無視です。見る者を代表するかたちで、一般観客向けに、この作品はこう理解すべきだといったことはいっさい口にしてない。おそらく、そんな批評は、これまであまりなかったのかも知れません。自分ではそうは思わないのですが、初期の私の映画批評がしばしば難解だといわれたのは、おそらくそのことと関係しています。澤井さんもいわれるように、私の批評は、見る人のことなどまったく考えず、もっぱら撮る人のことばかり考えて書かれたむなしい「恋文」のようなものだったのかも知れません。日本語を読むことのない外国の監督たちに触れている場合もそうした姿勢を貫いてきたので、翻訳で私の書いたものを読んで、それを介して親しくなる監督の数も増えてきました。考えて見ると、私は、外国の映画研究者よりも、外国の映画作家たちとずっと話が合うのです。

そうしたことが、教師としての私の姿勢にも現れていたのでしょう。この作品はこう読めといったことはいっさい無視し、勝手に映画作家たちへの「恋文」めいたことをまくしたてていた私の授業を聞いておられた若い人たちを、映画を語る方向ではなく、多少なりとも映画を撮る方向に向かわせることができたのは、そうしたことと無縁ではないのでしょう。(蓮實重彦インタビュー「作り手たちへの恋文」)


いずれにせよ、一時的には「啓蒙的」であることを選択せざるをえないとき、本来、非現働的な仕方で(inactuelに、であるならば、非現勢的、すなわち潜在的virtuelに)書かれるべき思想書の質の低下をどのように歯止めるかが問われるところだ。

「非現働的」とはプルースト流に言えば、《沖合いはるかな遠い未来のなかに》でもあるだろう。

自分の作品にその独自の道を たどらせようと思えば(……)その作品を十分に深いところ、沖合いはるかな遠い未来のなかに送りださなくてはならない。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)

さらにはまた何年もかけて仕上げた「思想書」よりも、わずかの期間で仕上げた啓蒙書ーーここでの「わずかの期間」とは語弊を惧れるがーーのほうが数倍も売れてしまったとき(いや同じ程度でもよい)、本来の「思想書」に回帰する書き手はそれほど多くないはずだ。

お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)

金にある程度かたがついても(あるいは金銭欲がもともとなくても)、「名声」というよりいっそう厄介なものが待っている。

ロダンは名声を得る前、孤独だった。だがやがておとずれた名声は、彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名のまわりに集まるすべての誤解の総体にすぎないのだから。(リルケ『ロダン』)

金と名声とは、すなわち市場と名声であり、そこでは市場の蠅が待っている。

民衆は、真に偉大であるもの、すなわち創造する力に対しては、ほとんど理解力が無い。市場と名声とを離れたところで、全ての偉大なものは生い立つ。市場と名声を離れたところに、昔から、新しい価値の創造者たちは住んでいた。
 
逃れよ、私の友よ、君の孤独の中へ。
 
私は、君が毒ある蝿どもの群れに刺されているのを見る。逃れよ、強壮な風の吹くところへ。
 
逃れよ、君の孤独の中へ。君は、ちっぽけな者たち、みじめな者たちの、あまりに近くに生きていた。目に見えぬ彼らの復讐から逃れよ。君に対して彼らは復讐心以外の何物でもないのだ。
 
彼らに向かって、最早腕をあげるな。彼らの数は限りが無い。蝿たたきになることは、君の運命ではない。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「市場の蝿」(手塚富雄訳)


もちろんこれだけではない。評判となった作家の第一作とその後の第一作とは、かねてから、このようであろう。

芥川賞を初め、文学賞受賞作と受賞後第一作との相違を次のように定式化することができる。受賞作にあるあらゆる萌芽的なもののうち、受賞第一作においては、受賞によって光を当たられた部分が突出しているとーー。しばしば、受賞作にある豊穣さは第一作においては単純明快化による犠牲をこうむっている。(中井久夫「創造と癒し序説」『アリアドネからの糸』所収)

サドは、《卑しいごますり作家どもに災いあれ》とかつて書いたが、作家たちは、その多寡、意識的/無意識的な相違はあるにしろ、ごますりを免れるのは難い、とくに社会的に発信しようと思えば、それはどうしても避けがたくなる。だが現在はなおいっそうのことそうなのだろう。


…………

※附記:いまではほとんど通用しなくなってしまった言葉たちを並べておこう。

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう)。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)
公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』)
文学の地位が高くなることと、文学が道徳的課題を背負うこととは同じことだからです。その課題から解放されて自由になったら、文学はただの娯楽になるのです。それでもよければ、それでいいでしょう。どうぞ、そうしてください。それに、そもそも私は、倫理的であること、政治的であることを、無理に文学に求めるべきでないと考えています。はっきりいって、文学より大事なことがあると私は思っています。それと同時に、近代文学を作った小説という形式は、歴史的なものであって、すでにその役割を果たし尽くしたと思っているのです。(……)

いや、今も文学はある、という人がいます。しかし、そういうことをいうのが、孤立を覚悟してやっている少数の作家ならいいんですよ。実際、私はそのような人たちを励ますためにいろいろ書いてきたし、今後もそうするかもしれません。しかし、今、文学は健在であるというような人たちは、そういう人たちではない。その逆に、その存在が文学の死の歴然たる証明でしかないような連中がそのようにいうのです。(柄谷行人「近代文学の終り」
20世紀の歴史的事実をなかったことにしたり、既に相対化されてしまったと割り切ったりするわけにはいかない。例えば文化的には、モダニズムということで文学でも、ジョイスやベケットがいて現代文学があった。日本でも大江健三郎や中上健次がいて今がある。しかし、特にここ10年くらい、そうした現代文学がなかったかのようにして、大正時代のような小説が平気で書かれる。確かに、ジョイスとかベケットの後では書けないとか、大江健三郎、中上健次の流れだけが現代日本文学だとかいうのは一方的過ぎるけれども、それは一回知っておくべきだし、それを知ってしまうとナイーブに物語は書けないはず。ところが、書き手自身がジョイスやベケットも読まないし、大江健三郎も中上健次も読まない、そして、なんか大正時代の文学が好きだからなんか書いてみたらこうなりましたとなる。それが芥川賞を取ったりする。これは驚くべきこと。(浅田彰氏講演録「知とは何か・学ぶとは何か」2001)

…………

◆蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』

(凡庸さ)はたんなる才能の欠如といったものではない。才能の有無にかかわらず凡庸さを定義しうるものは、言葉以前に存在を操作しうる距離の意識で あり方向の感覚である。凡庸な芸術家とは、その距離の意識と方向の感覚とによって、自分が何かを代弁しつつ予言しうる例外的な非凡さだと確信する存在なの だ。
語るべき根拠を持たぬままに語ること。知の欠如という消極的な無知を何とか埋めながら、ほどよい物語を語ってみせるというのではなく、無知に徹することで物語を宙に迷わせること。この凡庸な時代に文学たりうる言葉は、何らかの意味でその種の愚鈍さを体現している。

あるいは書くことへの不断の信仰を仰々しく述べるマクシム・デュ・カンの言説にたいして、

……安堵と納得の風土の中に凡庸さが繁殖する。そこに語られる言葉が紋切型というやつだ。(……)どこかしら正当な根拠のようなものと戯れ続けることで日々の執筆を習慣化したマクシムには、ギュスターブ(フローベール)のように書くことの無根拠と戯れる愚鈍さが欠けていたというべきだろう。
マクシムは、ただひたすら筆を走らせていたわけではなく、きまって何かを書くために、情熱的にペンを握り続けていたのだ、書くにふさわしい根拠を発見したときのみ、筆を走らせていたというマクシムの「情熱」は、もっぱら、その書くべき何かに向けられていたにすぎない。そのとき言葉は、素直に筆に従属するのみで、書き手を脅かす薄気味悪い環境へと変貌したりはしないようだ。ただ、書くことの無根拠さをきわだたせることは避けようとする配慮だけが、その筆を支えていたのである。

マクシムにとって、書くという「職人」的な「勤勉」さは、必然性を欠いた愚鈍な振る舞いであったためしがない。(……)マクシムにとっての書くことは、書かないでいることとは異質の特権的ないとなみにほかならず、「職人」的な「勤勉」さによってよく書くことへの善意がきまって報われるだろうと信じている。そして、不幸にして、その事実を信じて疑おうとはしない。みずからの犯した説話論的な錯誤のかずかずが、ことによったら、よく書くことへと誘う不実な言葉の裏切りによるものだとはまるで考えてもみないようだ。それが、無根拠に言葉と戯れうる愚鈍さを欠いたものの不幸にほかならない。

文学は、マクシムとともに、その不幸の別名となる。書くことが、書かずにいることとは異質の意味あるいは振舞いだと教えられてしまった相対的に聡明な者たちが支えあう文学の中で、マクシムは典型的な文学者の表情を獲得する。徹底した根拠の不在と進んで戯れうる無暴な愚鈍さに恵まれない作家たちは、はからずも知ってしまったことを正当な理由に仕立てあげ、多くの物語を不断に語り続ける。晩年のマクシムの信仰告白がふと洩らしているのは、そうした文学の不幸にほかならない。多くのことを知りながら、その不幸の凡庸さだけは知るまいとして、文学は百年に及ぶ歴史を刻んでしまったのだ。