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2014年8月15日金曜日

フロイトの「主人の言説」からの転回

コレット・ソレール(現在、女流分析家の第一人者と言われる:引用者)は、フロイトの分析実践のあいだ取ったポジションについて、フロイトを批判している。彼女のしっくりとくる所見のひとつは、転移抵抗のタームにおける去勢とペニス羨望のフロイトの解釈は、これらの事におけるフロイト自身のポジションについてを物語って余りあるというものだ。ソレールの命題は、構造的な袋小路は、去勢とペニス羨望にあるのではなく、この二つへのフロイトの関係にあるとするものである。ラカンは何度か、フロイトが分析実践のあいだに父のポジションを取っていたことについてコメントしている。「われわれは、フロイトがしたようには、われわれの分析家のポジションで仕事をすることはもはやできない。フロイトは父のポジションをとっていた……。そして、これがわれわれがどこへ向かったらいいのか分からない理由である。というのは、われわれは、そこから、どのポジションで始めるべきなのかの再明確化を学んでいないのだから」

Colette Soler has criticized Freud for the position he took during his analytic practice. One of her pertinent remarks is that Freud’s interpretation of the deadlocks of castration and penis envy in terms of transference resistances says a lot about his own position in these matters. It is Soler’s thesis that the structural deadlock does not consist of castration and penis envy, but of Freud’s relationship to both of these. On several occasions, Lacan commented on Freud’s taking this father position during his analytic practice: “We know that we cannot operate anymore in our position of analyst as Freud did, who took in analysis the position of the father... And that is why that we don't know any more where to go to – because we have not learned to rearticulate which position should be ours starting from there.”(”Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.”Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq )




※ラカン「セミネールⅧ」より
“Nous savons bien que nous ne pouvons pas non plus opérer dans notre position d’analyste comme opérait Freud, qui prenait dans l’analyse la position du père. … Et c’est pour cela que nous ne savons plus où nous fourrer — parce que nous n’avons pas appris à réarticuler à partir de là quelle doit être notre position à nous.”( J. Lacan, Le Séminaire, Livre VIII)


…………

個人的には、フロイトは転移状況において、父のポジションを取っていることを認めていた。そして彼はつけ加えて言いさえした、これは彼を悪い分析家にしている、と。

Privately, Freud admitted that he took the position of the father during the transference, and he even added that this made him a bad analyst.(”Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.”Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq )
フロイトさえ、「狼男」といわれるロシアの青年に対しては、自分の設定した枠組みを守れなかった。ロシア革命後は生活費を援助したり、結婚の、次いで離婚の面倒を見ている。1910年に得意の絶頂にあったというフロイトだが、この年に狼男が出現すると、人生に奇妙なかげりや波風が立ちはじめ、その後、二、三年のうちにアードラー、ユング、シュテーゲルらとの決裂が相次いで起る。これは、狼男を背負い込んだためのフロイトの精神衛生の低下、余裕の消失でありうる。個人症候群のレベルにおけるすさまじい患者と治療者との心理的暗闘は現場を踏んだ者んびは痛いほど分る。その過程で治療者は周囲から孤立しがちである。ようやく長年の孤立から脱したフロイトが再び孤立への道を歩む分岐点に、私は「狼男」の影がさしはじめているのを感じてしまう。(中井久夫『治療文化論』第七章 P91ーー分析家と黒人の召使

ーーなど、フロイトの父のポジション、主人(マスター)のポジションについては、かつてからいろいろな批判がある。ポール・ヴェルハーゲは、それをめぐって、最近つぎのようにレクチャアしている。

“Is Psychoanalysis Teachable?” Annual conference of The College of Psychoanalysts. London, 12th February 2011における「Teaching and Psychoanalysis: A necessary impossibility.」 Paul Verhaeghe)の私意訳。

ーー通常、ここに私訳を提示するときは、同時に原文をしめすのだが、長くなり過ぎるので、訳文のみを掲げる。専門家でないものが訳しているので、原文を十分に参照のこと。

フロイトの伝記がいかに様々であっても、ある一点では見解の一致をみている。すなわち、フロイトは知りたかったのだ。その発端から、われわれは野心的な男を見る。彼の仕事の目的は、知knowledgeを通してマスターの位置に到達することだった。そしてこれは彼の初期の理論と実践をその色に染めている。分析治療とは失われた知を探し求めることであった。“失われた”とは、つまり知識が無意識になった結果としての失われたもの。治療の目的は、この失われた知識knowledgeを「意識」に再-刻印することだった。

この密かに嘱望された考えにより、治療作用は、自動的に次のごとくとなる。すなわちフロイトは自らを「啓蒙主義」の後継者として現わす、知を単に伝播すれば変化を促すのに十分であるという信念をもって。しかしながら、この「啓蒙主義」を超えて、われわれはソクラテスに出逢う、彼の絶え間ない問いとともにである。「知とはいったいなんだろう?そして、どうやってそれを教えることができるのだろう?」ここで私が呼びかけたいのは、この二つの問いである。

最初の問いにかんして、その問いにかかわる知を、いくぶん個別的に特化させてみる必要がある。知、すなわちどの主体も、まさに始原から探し求めるものとして。ドラについて考えてみよう。彼女の症状と夢を通して、である。彼女はたえまなく問い続けている、女とは、娘とは何を意味するのだろう? 男の欲望との関係において、と。この個別の実例は、普遍化された性格を授けられるだろう、それはフロイトが幼年期を研究しはじめ、彼の云うところの幼児期性探求等々、すなわち根源的な知への探求の普遍性を見出したときである。ちょうどヒステリーの患者のように、子供は三つの互いに関連する問いの答えを知りたいのだ。

第一に男児と女児の相違。第二に赤子の起源。最後に父と母について、すなわち両親にはどんな関係があるのか。子供は、フロイトの云うように、科学者のように進んでいき、純粋な解釈理論を捏造する。それが、フロイトが呼ぶところの、幼児期性探求と幼児期性理論である。

こうやって生み出された知識における繰り返される問題は、それらの答えがけっして最終的なものではないことだ。正しい知の代りに、子供は原幻想に甘んじなければならない。真偽の交錯、知の欠如は、イマジナリーな構築物を生み出す。これが、もちろん、フロイトの確信を強めさせたのである、神経症とは、これらのことについての正しくない知識、あるいは知の欠如の影響である、と。

結果として、フロイトによって提案された最初の治療上の解決法とは、患者たちに、フロイトが正しい知識だと見なしていることを提供することによって成り立っていた。こういったわけで、治療者をマスターのポジションにおくことになる。

この完璧な実例は、ちいさなハンスのために生み出された解釈のなかに見出される。「君がこの世に生まれてくるずっと前から、私はちゃんとハンスという子供が生れてくるだろうということ、その子はママが大好きでそのためパパを恐がるにちがいないということがわかっていて、……」(『ある五歳男児の恐怖症分析』フロイト著作集5 p199:引用者)。ハンスの反応はとても意味深い。「あの先生は神さまと話をするから、あんなことがみんな前からわかるの?」この小さな相互作用はあまりにも示唆的である。それが示しているのは、分析家は、正しい知識を所持し、教示し、保証するポジションの存在であるということだ。

ふたたび、ドラのケーススタディを挙げるなら、それは広範な臨床上の適否の実例となる。フロイトはマスターの役割を想定している。そのマスターは欲望と享楽の事柄について知っている、そして治療を通して、この知識を患者に教える存在なのである。それは患者はこれらの洞察を受け入れればならないなどということだ。そして再度、この考え方の普遍化は、フロイトの性啓蒙主義にも見出される。1907年にフロイトは、情熱をこめて、この主題について書いた。大人は必要な知識を与えるのを差し控えるかもしれない。だが逆に、彼らは子供たちに正しく伝えるべきである、子供たちの正しくない性理論が過剰にならないために。フロイトにとっては、はっきりしていたのだ、一般化された啓蒙は、神経症の大人を徹底的に減少させるだろうことが。

この一般化は治療法treatmentにとても強い影響をもたらした。治療cureとは教え授けることに変形される。教示することが治療となる。この混同の完璧な実例は、有名な『精神分析入門』(Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse)に見出される。“Vorlesungen”とは、文字通りの意味は、「生徒の前で読まれる」ことである。ここでの治療と教示がともに意味するのは、私が“抵抗の教示的分析didactical analysis of resistance”として考えたいことである。

精神分析的視点からいえば、どちらの反応も不成功を現わしている。居残った集団は知識を吸収し、忠実な従者に変形される。立ち去った個人たちは無知のままである。彼らのどちらも、〈他者〉の知識を越えないという意味では、同一である。

当時、フロイトは生徒/患者の抵抗をはっきり見つけることの真のマスターになっていた。彼らが彼ら自身でそれに気づく前にさえでも、そうであった、――彼らが実際に己れの抵抗を見出したかもしれないよりいっそう巧みにーー。そしていずれの時も、議論の刃を鈍らせようとした。このような戦略は、ただひたすら二つの可能な反応を生み出すだけである。

そのひとつは、患者を生徒に変形すること。その生徒はイエスと言い、すべてを吸収する。もうひとつは、ドラがしたように反応すること。すなわち扉をバタンと閉め立ち去ること。歴史的な視点からは、これは抵抗等の分析の産声だろう。患者を納得させるための苦闘。もし彼女あるいは彼が示された知識を受け入れたくないのなら、それは抵抗の問題である、と。

フロイトが、この欠陥の共通点を悟るまでには、長くかからなかった。実に、患者が、解釈にたいして、分類された‘イエス’あるいは‘ノー’と応じるかどうかにかかわらず、どちらの応答もうさんくさいし、要するに同じことになる。すなわち患者が解釈を受け入れていないということなのだ。どちらもなにか別のものの効果である、そのなにかが、もっともっと重要になる。すなわち転移の関係、それによって分析家は、マスターのポジションを承認されたり拒絶されたりするのだ。

この経験をもとに、フロイトは、彼の進みゆく道を根本的に変える。すなわち、知識は分析家によって提供されてはならないということだ。逆に、知識が生み出されなければならないのは患者においてである、と。そして教示するマスターのポジションは、治療法のなかでは禁じられるようになる。教示する代りに、分析家は教えられなければならない。分析家の考え方の代りに、患者の考え方が治療場面を満たすようになる。患者は知っている者である、ただ彼が知っていることを彼自身が知らないだけなのだ。

外部の原因からくる知識は、それが教師からであろうと書物からであろうと、たんに自由な言動を抑制する要因である。これはこの時期以降のフロイトの技術的忠告にはっきりと示されている。すなわち理想的には患者は分析家の仕事を読むべきではない、分析家は前もって情報と解釈を提供するのを自制すべきである等々。この点においてドラの事例研究から鼠男の分析の隔たりは途方もなく大きい。後者の事例では、治療における説明の不毛性を明白に確認している。臨床上において、すべての注意はある状況を作り出すことに捧げられている。その状況によって、患者は可能なかぎり多くの連想を生み出せるように、と。

この方向転換――知識は分析主体(患者)にあるのであって、分析家にあるのではないーーは最終的なものではない。新しい躓きの石がこの逆転から生ずる。フロイトがこのことを経験したのは、彼が幼児期性理論を研究しているときだった。それはフロイトに知識と知識を超えた何かの相違を教えた。その何かとは別の審級に属しているものであり、すなわち象徴的秩序以外の審級である。この点で、すべての啓蒙形式はなにかが不足している。それは治療においても同様である。言葉にできない何かがある。その何かを表わすには言葉が欠けている。もともとフロイトはこれをトラウマ的経験と考えた。だが後に彼はそれを"mycelium(菌糸体)"、“われわれの存在の核”、“原初に抑圧されているもの”と呼んだ。

ここでフロイトが遭遇した困難はますます不可能性の形を呈するようになる。彼の分析家の経歴のはじめの半分では、多かれ少なかれ“最後の言葉”、最終的な知識が、見出されると確信していた。それは、治療がそれでまったく十分であるという条件での言葉、知識である。後期の段階では、言語化はある点までしか可能ではいと結論せざるを得なかった。

この点を超えて、別の秩序、快原則の彼方の秩序、すなわち表象("Vorstellungen")を超えた秩序が横たわっている。シニフィアンとして表れる知識は、最終的なものではないのだ。その彼方がある。ラカンとともに、ここに、われわれは真理の領域に出会う、とりわけ真理の典型的な特性に。すなわち真理は半分しか言えないのだ、"le mi-dire de la vérité"。なぜわれわれは、それを“真理”と呼ぶのか? 知識との相違は何なのか?

真理はつねに欲望と享楽にかかわると答えうるかもしれない。だがフロイトの知識は最初からそうだった。真理の本質的な性格とは、欲望と享楽についての知識がもはや言葉にできない究極の点に直面することである。知識自体はつねにシニフィアンの領野の内部にある。真理もまたその領野の内から始まる。だがそれを超えた領域に行く着くのだ。この欲望と享楽の究極的な領域は、その欲動するdriving部分である。Drivingは欲動driveから来る。このシニフィアンを超えた領域は、ラカンのリアル(現実界)である。あるいは、それを主体の視点から観察するならば、失われた‘対象a’であり、それは永遠に話す主体に欠如しているものであり、彼の絶え間なく移り変わる欲望を引き起こす。

こうやって、フロイトは二つ目の不可能性に躓く。一つ目のものは、分析家が知識を生み出すこと、マスターポジションを保証する知識を想定することの不可能性だった。二つ目のものは、どの話す主体にも妥当する何かにかかわる。すなわちすべてを言うことと最後の知識を生み出すことの不可能性である。

最初の不可能性は1933年に最も定式化されたものが見出される。フロイトはそこで三つの不可能な職業について語っている。主人になること、教育すること、分析することである。どんな人でも他人にたいして真実を装うのは不可能である。それが、まさにこれらの三つの職業に要求されることだが。フロイトは何について話しているかよく分かっていた、というのは彼自身これらを結びつけようとして来たのだから。彼の初期の時代、治療は、主人のポジションから教えることになっていた。

二番目の不可能性は彼のエッセイ『快原則の彼方』に叙述される。この叙述は根本的な不可能性に直面している。というのはシニフィアンの領域を超えて横たわる何かに関わるのだから。何かが言葉を超えて、いやさらにどんな表象の形をも超えて、その存在を主張し続ける。この何かは欲動と関係がある。それは、快原則の彼岸にある欲動の部分であり、他の決定的なことを目指すのだ。フロイトの最初の詳述はトラウマ的神経症の分野と子供のゲーム(fort-da)の両方に位置づけられた。こうして「彼方」の一般的な性質が描写された。

ーーーこの後、ラカンの「四つの言説」をめぐって、とくに分析家と分析主体の言説のあいだのメカニズムが説かれる。それがこのレクチャアの中心箇所ではあるが、当面ここまで。


ここではフィンクの「スカンションの技法」の説明を付け加えておくだけにする。

すなわち、欲望の空間を開くためにの技法、「句読点を打つこと(スカンシオン)」。文章に句読点を打つことによって、その文章の意味が大きく変わるだろう。それと同様に分析主体の発言に句読点を打つことによって、固着した意味から引き離す手法である。

聞き手としての分析家の能力は注目に値するものである。分析家は、分析主体の発言を「単なる」要求である以上のものとして絶えず「聞き」つづけることによって、要求の下や、要求の背後に垣間見える欲望の存する空間を開くことができる。実際、(……)分析の極度に重要なゴールは、要求の不変性と固着を通り抜け、欲望の可変性と可動性へと向かうことなのである。つまり、欲望を「弁証法化」することである。 (Bruce Fink『A Clinical Introduction to Lacanian Psychoanalysis: Theory and Technique』