ーーで、このブログのアカウントへパスワードを二回変えてくださいという警告があって、いままた三度目なんだが、以前変えたときのパスワード忘れちゃって、予備連絡用の携帯電話の番号を打ち間違えたのか、それも音沙汰なしなんだよな。まさか乗っ取られたり、いたずらされたりすることはないはずだが、そのうち閉じるかもしれない。
私は人妻を組み敷いて、残りの着衣をはぎ取ってゆく。上体を縛ってあるので、あっという間に下半身むきだしだ。それから自分のズボンのベルトをはずす。そのとき、ふと眼を落すと、人妻の腹が波打っていることに気づいた。強姦において、たまさか女がエクスタシーに襲われることがあるにしても、しかし、いくらなんでもまだ早すぎる。だとすれば、笑っているのだ。・・・・・(野村喜和夫『速度の虜』)
ある夜、あんまり女がうるさく邪魔をするので、私は彼女をおさえつけ馬乗りになって、ありあわせのシャツやネクタイやで女の手脚をかなり強く縛った。女はそれに異常なほどの興奮で反応した。……丸太棒のように蒲団をころげながら、女はシーツにおどろくほどのしみをつくったのだ。それからは、……私も習慣のようにほどけないように背中でその手首を縛り、抱きかかえるようにして蒲団に寝かせてやる。
……煙草をつけて背後の女を振りかえった。……「ほどく?」と私は訊ねた。が、女は目で微笑するとゆっくりと首を振った。(……)私は何気なく女の目に笑いかけた。女も私を見て笑い、その目と目とのごく自然な、幸福な結びつきに、突然、私は自分がいま、狂人の幸福を彼女とわかちもっているのをみた。 (山川方夫『愛のごとく』)
……露わになった腋窩に彼が唇をおし当てたとき、京子は嗄れた声で、叫ぶように言った。
「縛って」
その声が、彼をかえって冷静に戻した。
「やはり、その趣味があるのか」
京子は烈しく首を左右に振りながら、言った。
「腕を、ちょっとだけ縛って」
畳の上に、脱ぎ捨てた寝衣があり、その傍に寝衣の紐が二本、うねうねと横たわっている。
京子の両腕は一層強力な搾木となる、頭部を両側から挟み付けた。京子は、呻き声を発したが、それが苦痛のためか歓喜のためか、判別がつかない。(吉行淳之介『砂の上の植物群』)
そもそも女というものは、自然がわれわれ男の必要と快楽を満足させるために与えた家畜ではないかね? われわれの家畜飼育場の牝鶏より以上に、彼女たちがわれわれの尊敬を受けねばならぬという、どんな権利があるのだね? この二つのあいだに見られる唯一の違いは、家畜というものが従順なおとなしい性格によって、なんらかの意味でわれわれの寛容なあしらいを受けるに値するのに対し、女は許術、悪意、裏切り、不実といった永遠に根治しない性質によって、過酷と乱暴なあしらいしか受けるに値しない、ということではないかね?(サド『悪徳の栄え』)
それにしてもわしは覗きたい 袋とペチコートの内側を
なまめかしい少女群の羽離れする 甘美な季節の終り
かくも深く彼女らの皮膚を穿ち 水と塩を吸い
夜は火と煙を吹き上げる 謎の言語少女よいずこ
上向き下向き横向き
緋色の衣をまとった大僧正の形をして
焼死せんとする恋しき人を求める
わしは消火器をもつ老たる男 暗緑の壁紙の家にいる
死ねば都 ここがギリシア悲劇の見せどころ
西の方からとどく キンパラ鳥の声
あらゆる少女の胴から下は紅くれない
下品なハンカチを所有することを認識し 洗濯せよ 言葉!
夏の空の色あせる時
わしも詩人だからたまには形而上的な怪我をするんだ
今宵 書き損じの一人の少女の『非像』を追想する
落涙する屋根の上の人 それは汝かも知れず?
ーー吉岡実「『アリス』狩り」より
高橋悠治はなぜガボットに触れてないんだろ
緋色の衣をまとった大僧正の形をして
焼死せんとする恋しき人を求める
わしは消火器をもつ老たる男 暗緑の壁紙の家にいる
死ねば都 ここがギリシア悲劇の見せどころ
西の方からとどく キンパラ鳥の声
あらゆる少女の胴から下は紅くれない
下品なハンカチを所有することを認識し 洗濯せよ 言葉!
夏の空の色あせる時
わしも詩人だからたまには形而上的な怪我をするんだ
今宵 書き損じの一人の少女の『非像』を追想する
落涙する屋根の上の人 それは汝かも知れず?
ーー吉岡実「『アリス』狩り」より
高橋悠治はなぜガボットに触れてないんだろ
たとえば、古典組曲は、17世紀にイギリスで、アルマンド、クーラント、サラバンドが定番となり、フランス宮廷に輸入されたとき、ジーグが加わった。アルマンドはドイツ舞曲、クーラントはイタリー・フランス起原、サラバンドはスペイン、ジーグはイギリスのものだった。それぞれ異国の民俗舞踊を洗練したということになる。逆に言えば、外国で洗練されたものを逆輸入するのはさしつかえなかった。ジーグのように自国の先住民ケルト人に由来する「野蛮な」踊りは、宮廷では取り上げられなかった。それらはどんな踊りだったのだろうか。音楽史はほとんどそれには触れない。だが舞踊史はちがう。それは音楽のように精神性を気取ろうとしても、あまりに身体的なものだ。以下の記述はSonny Watson's StreetSwing.com による。そこには2000ページにおよぶダンスとダンサーの記録がある。
アルマンドは男女のペアが列を作って踊るもので、男が女の腰をつかまえて目がまわるほど速く回転させるのが特徴だったと言われる。クーラントは走るという意味で、3人の女を壁際に立たせ、3人の男が部屋の反対側から求愛の身ぶりで近寄るが、女たちはそっぽを向いてしまう。だが最後はいっしょになって踊りくるう。
サラバンドは、グァテマラの木製の笛の名前だったと言われる。踊り自体はイスラームからスペインに輸入されたもので、女2人、後には男女のペアによる速い踊りとなり、みだらなものとしてフェリペ二世に禁止されたこともあったが、しばらくしてフランス宮廷に登場した。しかし太り過ぎのルイ十四世が踊れるように、テンポを落とした荘重なものになったとされる。ジーグは16世紀の3弦のヴァイオリンの名前でもあった。それで伴奏される踊りは、胴を動かさず、足を急速に動かすもので、やがてフランスで大流行する。
バッハはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータなど組曲の6曲セットを作っている。当時のドイツは、ヨーロッパの田舎だった。文化の中心パリの流行は、周辺地の音楽家の手で古典性をおびる。それらはもう踊られるためのものではなく、むしろ音楽語法を身に着けるためのモデルであり、ヨーロッパ中心の音楽世界地図でもあった。その装飾的な線の戯れにはどこか、かつての性的身ぶりの残り香がある。若いバッハは、入念に粉を振った最新の鬘をつけ、若い女を連れ、パイプをくわえて街をそぞろ歩く伊達男だったと言われる。音楽がまだ化石になっていないのも、そこにただようエロティシズムの記憶のせいかもしれない。(踊れ、もっと踊れ 高橋悠治)