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2014年8月9日土曜日

「私のところから生きては帰すまい」

いたわりつつ殺す手を見たことのない者は、人生をきびしく見た人ではない。(ニーチェ『善悪の彼岸』第六十九節 竹山道雄訳)
Man hat schlecht dem leben zugeschaut, wenn man nicht auch die Hand gesehn hat, die auf eine schonende Weise - tödtet.

…………
シャルリュス氏は、憐憫の情が深く、相手が敗北者だと思うと、胸が痛むのであった、彼はつねに弱者の味方だった、彼が裁判の諸記録を読まないのは、刑を宣告された人間の苦悩で骨身をけずられたくないからであり、裁判官と、刑の執行者と、「裁きが終わった」のを見てよろこぶ群集とを、一思いに殺してしまえないことで骨身をけずられたくないからだった。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳 文庫p154)

どんな性行動の基底にも実は殺人があるってこと」との表題で前投稿したところで、プルーストの『失われた時を求めて』における主要登場人物シャルリュス男爵を想い起こしたのだが、このシャルリュスは、わたくしのふとした「妄想」のなかではラカンのイメージと重なってしまうときがある。だがそんな「妄想」がここでの話題ではない。シャルリュス男爵のモデルのひとりだとされるボゾン・ド・サガン大公の画像を探し出したので、それを貼り付けて、既に写し取りずみのプルーストの文章を並べるのが目的である。



              (Le prince de Sagan en 1910

「あの子がいては言いにくかったものだからね、あれはたいへん素直で一所懸命やってくれる。だが残忍性が足りないと思うんだ。顔は気に入った、だが教えられたことを復習するような調子で、ぼくを極道と呼ぶんだよ。」――「とんでもない! 誰もひところも教えてはいませんよ」とジュピアンは答えたが、そんな言いわけがいかにもうそのようにきこえることに気づきはしなかった。同p229
その場の一人が、何か悪魔的な話を告白するかのように見せかけて、こんなはったりをかけるのだった、「ねえ、男爵、あなたは本気になさらないでしょうが、このおれはがきの時分に鍵穴からおやじとおふくろがだきあってるところをのぞき見したまんです。たちがわるいじゃないですか? この話、ペテンくさいとお思いのようですが、誓ってそうじゃないんです。申しあげている通りなんです。」ところがシャルリュス氏は、こんどはがっかりするとともに腹が立ってきた、わざと悪党に見せようとするそうした努力は、かえってばかばかしさ、白々しさをむきだしにするばかりだった。しかしまた、どんなすごい強盗、殺人犯も、彼を満足させはしなかったであろう、そうした犯人はその罪を口に出しはしないからである、にもかかわらず、サディストの内心にはーー彼がどんなに善良でありえても、いや善良なら善良なだけーー悪人によって満たされたいと思う悪への渇望がある、ところが悪人は、他の目的に走って、サディストの渇望を満足させてはくれないのだ。

当の若者は、時分の出かたがまちがったことに気づいたが、あとの祭りで、警察(さつ)など屁とも思わぬといったり、図々しくも男爵に、「まち(俟ちあわせ)をきめてもらう」とまで詰めよったが、だめだった、呪縛は解けていた。わざと隠語をつかおうと努力した作者たちの書物のなかでのように、付焼刃が感じられた。若者は時分の女との「きたならしいこと」を、逐一、事こまかに語ったが、それも徒労で、シャルリュス氏は、そうしたきたならしいことが、いかにせまい範囲にかぎられているかを知って、意外の感に打たれたにとどまった。快楽や悪徳ほど範囲のかぎられたものはない。まことにわれわれは、その意味で、その表現の意味を転化して、人間はつねにおなじ循環論法、すなわち悪循環をくりかえしている、ということができるのだ。同p246

シャルリュ男爵のモデルのひとつはボゾン・ド・サガン大公だとするのが、プルースト読みの界隈での「常識」だが、ここですぐさま次の文を挿入しておかなければならない。

文学者はひとたび書けば、その作中の諸人物の、身ぶり、独特のくせ、語調の、どれ一つとして、彼の記憶から彼の霊感をもたらさなかったものはないのである。つくりだされた人物の名のどれ一つとして、実地に見てきた人物の六十の名がその下敷きにされていないものはなく、実物の一人は顔をしかめるくせのモデルになり、他の一人は片めがねのモデルになり、某は発作的な憤り、某はいばった腕の動かしかた、等々のモデルになった。 同P373



さてこの宵から二年ばかりのちのこと、私はモレルに出会った。私はただちにシュルリュス氏のことを考え、彼がこのヴァイオリン奏者に会ったらどんなによろこぶだろうと考えたので、一度でもいいから、彼に会いに行ってやるようにと、面と向かって強く言い張った。「彼はあなたにやさしかったんですからね」と私はモレルにいった、「もう彼も老齢だし、死ぬかもしれません、古いいざこざをさっぱりと水に流し、気まずい仲たがいの跡を消してしまわなくちゃね。」なんらかの形でまるくおさめるのが望ましいという点では、モレルは私とまったく同意見であるように思われたが、しかしシャルリュス氏を訪問するとなると、たとえ一回でもそれはごめんこうむる、とやはり彼は頭からことわった。「それはあなたがまちがっている」と私は彼にいった。「意地からですか、めんどうくさいからですか、ひねくれているからですか、自尊心のはきちがえからですか、道徳心からですか(それなら大丈夫攻撃されませんよ)、それとも思わせぶりからですか?」するとヴァイオリン奏者は、うちあけるのがどうやら極度につらいらしく、顔をゆがめ、身をふるわせながら、私に答えた、「いやいや、そんな理由は一つもあたってしません、道徳心なんかくそくらえです、ひめくれているどころか、私は彼に同情するようになってきたのです、思わせぶりでもありません、そんなことをしたってなんの役にも立ちません、めんどうくさいのでもありません、一日中ひまをもてあましている日がいくらでもあるのですから。いやいや、そんな理由では全然ないのです、それは、誰にもけっしていっちゃいけませんよ、それをあなたに申しあげるなんて私もどうかしている、それは、それは… それは… こわいからなんです!」彼は全身でぶるぶるとふるえだした。あなたのいっていることがわからない、と私は正直にいった。「いや、私にきかないでください、その話はもうよしましょう、彼のことは私のようにはあなたにわかっていない、すこしもあなたにはわかっていない、といってもいいでしょう。」――「一体彼がどんな乱暴をあなたにするというのです? それにもうこれからは、あなたがた二人のあいだに、なんの悪感情もないのだから、なおさら彼が乱暴などをしようとするわけはないでしょう。そのうえ、もともと、彼が非常に親切だということはよくごぞんじのあなたなんだからね。」――「そりゃ! 知っていますよ、彼の親切なことは! こまかい心遣も、生一本な気性も。だが、かんべんしてください、もうその話はよしてください、どうかおねがいします、はずかしい次第ですが、私はこわいのです!


第二の事実は、シャルリュス氏の死後にはじまる。彼が私に残していたいくつかの形見と、三重封筒の一通の手紙とが、彼の死後私にとどけられた、その手紙は、すくなくとも彼が死ぬ十年まえに書かれたものであった。しかしそのとき彼は重い病にかかっていて、遺言などの処置をとったのであった、それから彼はいったん回復していた、そしてそのあとで陥った状態が、まもなくわれわれがゲルマント大公夫人邸のパーティーの日に見かける彼の姿となるだろう、――またくだんの手紙といえば、何人かの友人に彼が遺贈することにあっていた品物といっしょに金庫に残されて、七年間そのままになっていたのであり、その七年間に、彼はもう完全にモレルを忘れさっていたのだった。その手紙は、きれいなしっかりした筆蹟でしたためられ、つぎのような文面になっていた。


「私の親しい友、神の摂理の軌道は察知しがたいものがあります。往々にして神は凡人の欠点をもちきたって正しい人の優越性の失墜をふせぐのであります。あなたはモレルという人物を知っていらっしゃる、どこから出てきた男であるか、私がどんないただきにまでひきあげようとしたか、私とほとんどおなじ水準にまで高めてやろうとした、ということを知っていらっしゃる。ごぞんじのように、彼は、真のフェニックスたるにふさわしい人間としてふたたびよみがえるべき骨灰に帰することを好まず、毒蛇が這いまわる泥土に帰する道をえらびました。彼はみずから失墜しました、それが私の失墜をふせいだのです、いわく、なんじは獅子と蝮とをふみにじらんInculcabis super leonem et aspidemです、そしてそこには、その紋章のささえとして、一匹のライオンと一匹の蛇とを足下にふまえている一人の人間が描かれています。ところで、私自身であるそのライオンをそんなふうに私がふみつけることができたのは、蛇のおかげであり、またその蛇の用心深さーー先刻私がいとも軽率に欠点という言葉で申しました用心深さーーのおかげです、それというのも、福音書の深い叡知は、欠点をも美徳と化すからです、すくなくとも当人以外の人間にたいしては一つの美徳と化すからです。以前にいい音色をひびかせて尾を鳴らした私たちの蛇は、彼が一人の蛇使〔シャルムール〕のものであったあいだはーーもっともその蛇使のほうもさんざん踊らされた〔シャルメ〕のですがーー音楽であり爬虫類であったばかりでなく、私がいまは聖なるものと解するあの用心深さの美徳を、卑怯なまでに身につけていました。その聖なる用心深さが、彼に意地を張らせて、私に会いにくるようにとつたえた呼びかけを彼に無視させる結果になったのです。そして、そのことをあなたに告白しておかなければ、私はこの世で平和がえられないでしょうし、あの世に行っても神のゆるしに会う希望がもてないでしょう。その点、彼は聖なる叡知にあやつられていた、というべきでしょう、なぜなら、私はすでに決心していたのですから、私のところから生きては帰すまいと。私たち二人のどちらかが消えさらねば解決はつかなかったのでした。私は彼を殺す覚悟をしていました。神は彼に用心深くあれと忠告し、私を犯罪から救ったのです。私の聖なる守護神、大天使ミカエルの調停がそこに大きくはたらいたことはうたがいえません、そしていま私は、何年ものあいだかくもこの守護神をかえりみなかったことにたいし、またとりわけ悪とのたたかいにおいて私に示された無数の好意にかくもおろそかにこたえたことにたいし、おゆるしあれとこの天使に祈るのです。天にまします父の霊感によって、モレルが私のもとにこなかったのは、神のしもべなるこの大天使による私へのはからいであることを、私は信仰と知恵とに満ちあふれるなかで申しのべます。かくていま、死んでゆくのは私なのです。あなたに忠実に身をささげる、常に変らぬSemper idem       P.G.シャルリュス。」
 
これを読んではじめて私はモレルの恐怖を理解した、なるほどこの手紙には、驕慢と文飾とがたくさんありはした。しかし告白は真実であった。そしてモレルは私よりもよく知っていたのだ、――ゲルマント夫人がその義弟のなかに見出していた「気が変だとさえ思われる一面」は、私がそれまでに考えていたような、うわっつらで大して利き目もないむかっ腹の、あんな一時的な外観にとどまるものではなかったことを。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳 文庫 P205-209)




ケルマント家で演奏される曲目を全部ききたいというほどの欲望もなかったので、私は車をとめさせた、そしてすこしばかり歩くつもりで、おりる用意をしていた、そのとき、おなじようにとまろうとしている一台の車を見て、私は胸を打たれた。一人の男が、目をすえ、猫背で、車の置くに、すわっているというよりも安置されているといった恰好で乗っていたが、おとなしくすんですよと言いきかされた子供のように緊張して、からだをまっすぐにしようとつとめているようだった。しかし彼のむぎわら帽子は、手のつけようもない全白の蓬髪をはみださせ、白い顎ひげは、公園の河神たちの像に雪がつくるひげのように、彼の顎からたれさがっていた。それは、彼のために目まぐるしく立ちまわっているジュピアンにかしずかれた、脳卒中から回復したシャルリュス氏であった。私はその発作のことは知らなかったのだが(彼が視力を失ったということを私は人づてにいきていただけだった、ところで、その視力の障害も、一時的でしななかったのだ、なぜなら彼はふたたびよく見えるようになっていたからである)、その発作はーーこれまで彼に髪を染めてきたのに、そんなめんどうな手間をつづけることはとめられてしまった、というならばべるだがーーいまや彼の髪と顎ひげとの純銀のふさから、間歇温泉さながらにどっとあふれて吹きあげる金属溶液のすべてを、一種の化学沈殿物のように、目にもあざやかにかがやかせたとってもよく、その一方で、発作は、この落ちぶれた老大公に、シェイクスピアのリヤ王のような威厳をおしつける結果にもなっていた。彼の両眼も、頭髪のこのような地殻的変動、治金学的変異の埒外に置かれているわけではなかったが、このほうは、頭髪とは反対の現象を呈して、そのかがやきをすっかりなくしてしまっていた。しかしとりわけ胸を打ったのは、この消えうせたかがやきは精神的な誇りの消失そのものだったという気がしたことであり、したがって、シャルシュル氏の肉体的生活は残っていても、いや知的生活が残っているとしても、かつてひところその両生活と渾然一体であると信じることができた貴族的な矜持は滅びさった、という気がしたことであった。そんなわけで、ちょうとこのとき、やはりゲルマント大公邸に出かけるのであろう、サン=トゥーヴェルト夫人がヴィクトリア馬車で通りあわせたが、男爵は元来この女性を自分の気に入るだけのシックな相手とは思っていなかったのに、子供の世話をやくように男爵にかしずいているジュピアンが、お知りあいのサン=トゥーヴェルト夫人です、と耳打ちすると、たちましシャルリュス氏は、むりと知りながらどんな動作もできると見せたがる病人の、懸命のふんばりと熱心さとで、脱帽し、腰をかがめ、サン=トゥーヴェルト夫人がまるでフランスの王妃であったかと思われるほどの尊敬をこめて、彼女に挨拶した。シャルリュス氏が、むりをおしてもそんな挨拶をしたのは、おそらくそうするだけの理由があったからだろう。彼は知っていたのだ、――ある行為は、場合によって一段と相手を感動させるだろう、すなわち病人にとっては苦しい一つの行為も、それをやる側の値打を増し、それを受ける側の気をよくして、二重のはたらきをするものになる、病人は王さまのように挨拶を誇張するものだ、ということを。おそらくまた、男爵の動作のなかには、そのうえに、神経や脳髄の障害からきたあの不均衡というものがあっただろう、それで彼の身ぶりが彼の意図を越えていたのだろう。私としては、むしろそこにつぎおようなものを見たのだ、すなわち死によってすでに幽界にひきずりこまれている人間の著しい特徴である一種のやさしさ、ほとんど肉体的なまでのやさしさ、生命の実体の抜殻、といったものを。(プルースト「見出された時」P302-304