このブログを検索

2013年4月28日日曜日

蓮實重彦の「大江健三郎殺し」



まあ、本当のことをいうと、柄谷さんと僕とで大江の時代を終わらせちゃったわけですね。大江の時代というのは、いわば一つの物語で、作家はそんな物語から自由になるべきだ、またそれから自由になったとき本当の仕事ができるのだという意識から、僕も意識的に大江を殺そうとしたわけです。大江の時代というものをね。

僕は、同時代の批評家の義務は、時代を先導しつつある作家を殺すことにあると思う。つまりその物語を解体するということですね。三島由紀夫は、大江健三郎が大江の時代を持ったという意味では三島の時代を遂に持てなかった人です。それは、批評家がたえず三島を抑圧していたからなんだと思う。僕の考えでは、中村光夫と寺田透とが、三島の時代の到来を流産させ続けていたという構図ができあがります。三島由紀夫も、この二人には頭があがらなかった。こうした批評家の機能というものはもっと重視されてよい。文壇が緊張感を欠いて面白くなくなってのは、その次の世代の批評家たちが、篠田一士とか川村二郎とかが、同時代作家を言葉で殺したり生かしたりすることが批評家の義務とは思わないし、また思ったにしてもとうていそんな力もない人たちだったからでしょう。(『闘争のエチカ』P94)



《一つの物語で、作家はそんな物語から自由になるべきだ》、蓮實重彦や柄谷行人が大江健三郎を自由にしたかどうかの判断は保留されるべきだろうが、当時の大江が囚われていた「不自由」とは、のちに引用で示されるように、《「文学」と「社会」とが程よく接し合った地帯に足をふまえ、あえて言葉の凡庸化をも怖れずに「現代的課題」の幾つかを説いてまわり、そんな身振りによって、文学の側に向き直ったときの足場をより堅固なものたらしめるという擬似イデオローグ》としての「不自由」であり、かつ大江自らが書くように《「きわめて不確かな感覚において、なにごとか狂気めいた暗く恐ろしいものに対抗し、手さぐりで自分の根をおろすべくつとめる」という「あいまいな営為」(「作者自身にとって文学とはなにか?」)》を担う「役割」を執筆活動の支えとしてことであるとされる。またべつに大江健三郎が当時の構造主義的風潮に乗り、山口昌男などに強い影響を受け、「中心と周縁」理論や「道化」理論をその小説の骨組みに無分別な利用を試み、「理論」に馴致されて小説を書いてしまうなどという批判は、これはおそらく柄谷行人が中心にしてなされたのだろうが、それを追ってみるほどには詳しくはない。

ここでは高橋悠治の文を附記しておこう、

大江健三郎は書く、「死をおしつけてくる巨大なものへの最後の抵抗として、なにもかもを笑いのめし、価値を転倒させる道化」。何と悲愴ぶった笑い、センチメンタルな道化だろう。しばいがかった最後の抵抗の前に、巨大なものをその名ではっきり名指し、最初の抵抗を見せてくれ。キム・ジハの笑い、殺されたタイの大学生の笑いにくらべれば、ピンチランナーの笑いは笑いを信じない笑いだ。力なく、そのくせ重苦しい笑いが空中に飛びかっている、ahhaha。(『ロベルト・シューマン』)


このような「擬似イデオローグ」の大江健三郎を自由にするために、蓮實などによる「大江殺し」がなされたあと、ほぼ十年ほどの時を隔てて蓮實重彦は、大江健三郎の圧倒的優位を『小説から遠く離れて』で書く、それは、《記号でも作品でもいい。文章でもかまわない、それを、ものとして、物質として、それが語られているその場で、みずから輝かせることが批評ではないか》(『闘争のエチカ』)の実践を試みたとしてよい。

『小説から遠く離れて』では、たとえばこう書かれる。
皮膚の表層にはりつくような粘液的なもの (……) 村上龍と中上健次と大江健三郎を結びつけるものは、 質こそ違え、 そうした細部へと注がれる彼らの非物語的な視線なのだ。

言葉が方向を変えるとは、 文脈を踏みはずし、 無方向に拡散しながら、 物語的な根拠を喪失させることを意味するが、 補足的な付加が根拠の強調であるなら、 言葉の方向転換とは横断的な 「変換」 にほかなるまい。 必ずしも充分な成果をあげているとはいいがたいにせよ、大江健三郎の『懐かしい年への手紙』が目ざしているのは、断じて自作に対する補足的な付加の試みではなく、みずから「交通」 (柄谷行人)の装置となることで、 言葉に文脈の踏みはずしを惹起せしめようとする秀れて小説的ないとなみなのだ。 そして文脈とは共同体が容認する規則にほかならず、 決ってコミュニケーションを抑圧するものなのである。

では、それ以前の大江殺しはどんなことばでなされたか。


まずは、蓮實重彦「健康という名の幻想」『表層批評宣言』所収)より引いてみよう。


いったい小説家の大江健三郎は、どうして『ピンチランナー調書』という「作品」を書いたのか。作家たる大江氏はどんな思想をそこにこめようとしたのか。いかなる意味をそこに読みとればいいのか。われわれ読者をどこへ引きずって行こうとしているのか。「作品」と向かいあった思考がたどるのは、おおむねそうした謎解きの運動だ。つまり「作品」とは、読むことによって埋められる空白、あるいは越えられる距離としてそこに姿をみせているのだ。この運動は奇妙なことに、いまここにあるはずの「作品」をいったん虚構化してなかったことにして、逆にいまここにはない不在の作者の思想を問題化し、隠された意味をさぐるべく距離の彼方へ視線をなげかけるという仕草をともなうが故に、すぐれて抽象的な運動だということになろう。つまり、読むことは、「作品」に接することによって作者の思想と「作品」の意味とが自分の内部に欠落していると実感することで始まる、局部的で過渡的な不均衡を解消せんとする試みなのだ。「作品」の意味ではなくそこにこめられた個人的体験の切実さに触れんとする運動も、それと同じ身振りを演ずることになるだろう。いずれにせよ、意味にしても切実な体験にしても、それが「作品」の表層にあからさまに露出していたのでは、読むことの善意を保証するあの程よい困難が失われてしまうと気遣ってか、人はきまって背後に隠されたもの、距離をへだてて隠されたもの、つまりはあからさまな現存ではなくもっともらしい不在と戯れることを好んでうけいれてしまう。いずれにせよ読むことは、思考がそうであったように喪失の体験からはじまり、自分は感知しえないところで起こっているその喪失を回復したところで動きをとめる健康への歩みなのだ。作者の思想がわかった、「作品」の意味が読めたという時点で完成させる過渡的な運動としての読むことと想像される文学的体験が、何ら特殊なものでない点はそれで明らかであろう。そうした視点からすれば、「作品」を読むとは、思考の退屈な日常にほかなるまい。思考がそうであったように、読むこともまた決って勝利するのだ。もちろん、どうしても理解できないという無力感に苛立つこともないではないが、それは過渡的な不快さであるにすぎず、そのことに執着して遂に完璧な頽廃に行きついてしまったものなど誰ひとりいはしない。要するに、「作品」の現存ぶりに心底から脅えるものはないということだ。それは、「作品」を数ある問題の一つにすぎないとして高を括る抽象的な安心が広く行きわたっていて、その現在をたやすく抽象化する仕草が具体性だととり違えられてしまうからである。
 作者にそれなりの思想があり、「作品」にそれなりの意味がそなわっているのは当然のはなしだ。だが、思想は作者ではないし、意味もまた「作品」ではない。それは、読者が作者の「生」と「作品」の現在とを、抽象化することではじめて視界に浮上する問題であるにすぎない。それを理解する試みは決して無駄ではあるまいが、そのとき読者が無意識に身を譲りわたすものが、「生」と現在とをことが終れば廃棄しうる二義的な媒介に還元してしまう嘆かわしい頽廃にほかならぬという事実だけは、そうたやすく忘れられてはなるまい。抽象と具体性とをとり違えることの不幸は、不倫という罪を背負って行き続けることの不幸などとは比較にならぬ絶対的な頽廃へと人を導くものなのだ。そしてその絶対的な頽廃とは、「生」の現在をいともたやすく虚構化したように「作品」の現存に脅える資質をおしげもなく放棄させる。そのとき「作品」は、その意味や作家の思想に従属し、あきらかに一人に作家がある目的を持って書いたものでありながらも、思想や意味をはるかに超えた豊かな混沌として存在に迫ってくることをやめてしまう。読者は「作品」が作者に素直に従属すると思い、作者もまたその所属を当然と感じ、みずからの「作品」に脅える資質を放棄する。恐ろしいのは、この両者による脅える資質の均等なる放棄ぶりだ。というのも、作者=読者という対立が偽の葛藤にほかならなかった事実が、そこにあられもなく露呈されてしまうからである。何のことはない、彼らはともに「生」=現在が自分に所属し、思いのなりにそれを操作し統禦しうるものと錯覚しているのだ。恐ろしいことではないか。しかもそう錯覚することの恐ろしさがいとも簡単に忘れられ、真に恐れるにたるものが抽象化されうる環境を、思考の「制度」と呼ぶのである。そして、「制度」化された思考が脅える資質を放棄した対象として、「生」=現在と「作品」との同義語的な関係がひとまず明らかにされたと思う。だが、その関係はより積極的に明らかにされねばならない。それにはどうするか。

ここには、前回のエクリチュールをめぐる資料で示されたように、大江健三郎の小説の読み手が、「《思想》とか《内的構想》が書物に先立って、書物は単にそれを書き表すだけだ、と考える単純な先行論」(デリダ)つまり「イデアリズム」に囚われてしまっているのではないかという疑義が呈されているといってよいだろう。そこに生じる《絶対的な頽廃とは、「生」の現在をいともたやすく虚構化したように「作品」の現存に脅える資質をおしげもなく放棄させる。そのとき「作品」は、その意味や作家の思想に従属し、あきらかに一人に作家がある目的を持って書いたものでありながらも、思想や意味をはるかに超えた豊かな混沌として存在に迫ってくることをやめてしまう》ということになる。

これはデリダの次の文を再掲すれば明らかなように、小説を「エクリチュール」として読む享楽の拒否である。それは《細部へと注がれる彼らの非物語的な視線》の忘却といってもよいし、《みずから「交通」 (柄谷行人)の装置となることで、 言葉に文脈の踏みはずしを惹起せしめようとする秀れて小説的ないとなみ》に眼を閉じることといってもよい。蓮實重彦の「物語」批判の中心はこれらに関わる。

いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……(「署名、出来事、コンテクスト」)

上の批判はおおむね大江健三郎の読者への批判であるように思われるが、次に同じ『表層批判宣言』所収の『言葉の夢と「批評」』を読めば、当時の大江健三郎自身、エクリチュールとして小説を書くことから遠ざかりつつあってのではないか、という疑念が呈されている。
――《誰もがそれなりに二つや三つは存在の暗部に隠し持っているだろう「切実な主題」をめぐり、「文学」がたえず捏造してやまない幾つもの疑問符に言葉を妥協させ、前言語的地熱の程よい高まりが、「普遍的」かつ「現代的な課題」と折合いをつけるのを待つといった怠惰な作業が、それにしてもいつから、書くことなどと信じられてしまうようにいたったのか。》


誰であってもかまうまいが、たとえばほぼ同じ時期に似かよった年齢で早熟な才能の開花を立証しあい、いっときは熱い連帯を生きえたかにみえながら徐々に顔をそむけあい、いまではたがいに相手の存在を避けながら、対立する二つのモチーフをめぐって異質の文体で言葉をつらねているかにみえる「批評家」江藤淳と「小説家」大江健三郎とをとりあげ、その最近の「作品」を一方では『漱石とその時代』から『一族再会』、そして『海舟余波』へとたどり、また一方で『万延元年のフットボール』から『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』をへて『洪水はわが魂に及び』へとたどってゆくとき、誰もが誤読するはずのないモチーフの著しい違いや、明白な文体的な異質性にもかかわらず、江藤氏が江藤淳として、大江氏が大江健三郎としてあるさまを立証すべき言葉の差異がそこにはほとんど想定しえず、むしろ両者がいかにもそれらしく「文学」と調和しあってしまうときに顕在化する類似の濃密さに改めて驚かずにはいられない。その類似は、二人がしばしば発表の舞台とする「文藝春秋」と「世界」という二冊の月刊「総合誌」が、その潜在的読者の欲望の発現形態やそれと妥協しつつその感性を操作する編集方針の対蹠的なさまにもかかわらず、なお、今日的思考収奪の構造に於て同じ装置として機能しているが故に二人は似なければならぬといった、誰でもが思いつきそうな次元での類似であるばかりでなく、両者とも、「文学」と「社会」とが程よく接し合った地帯に足をふまえ、あえて言葉の凡庸化をも怖れずに「現代的課題」の幾つかを説いてまわり、そんな身振りによって、文学の側に向き直ったときの足場をより堅固なものたらしめるという擬似イデオローグとしての類縁性が、その前言語的地熱を煽りたてていたはずの炎の色彩や形態の異質性を遥かに凌駕しているといった意味での類似ばかりをいうのでもない。「自分の知らない過去の時代、しかし自分がこの世に生を享けるすぐ前には存在していた時代の感触を知りたい」という、「ほとんど生理的な欲求」(『海舟余波』プロローグ)が江藤氏の筆を駆り、いっぽう「きわめて不確かな感覚において、なにごとか狂気めいた暗く恐ろしいものに対抗し、手さぐりで自分の根をおろすべくつとめる」という「あいまいな営為」(「作者自身にとって文学とはなにか?」)が大江氏の執筆活動を支えているのだとするなら、一方は歴史の時間軸にそって精神の系譜をさぐり、いま一方は世界の地理的な拡がりに対応する空間上に存在の基盤を模索するというその発想そのものが、たとえば『一族再会』にみられる「系譜」への執着と『万延元年』に読みとれる「根」の象徴を介して一つに結ばれ、一族の系譜を描いてみた誰もが知っている「分岐」という現象が樹木の「根」の図解と酷似しているように、同じ一つの想像力に操作されてしまうほかはないことは明白なのだが、前者にあっては歴史における「公」と「私」、後者にあっては「個人」と「全体」という関係でそれぞれの主要なモチーフが展開されはじめるとき、江藤氏の想像力が「海」、大江氏のそれが「森林」というイメージをほとんどロマンチックなまでに希求し、いわば、いまここにはない失われた風景としての「海」と「森林」とを背景として、「航海者」と「狩猟者」の相貌を浮きあがらせずにはいないのだから、二人の言葉の類似ぶりはただごととも思えないのだが、実はそうした類似するさして重要なものではない。真に驚くべき類似は、にもかかわらず江藤氏と大江氏とがたがいに違ったことを語っていると信じ込み、しかもその確信において、才能の点で自分たちより遥かに劣っているはずのあまたの「批評家」や「小説家」たちといともたやすく馴れあって、薄められた「貧しさ」としての「戦後文学」のうちに埋没してしまう自分に無自覚だという類似であろう。書こうとする個体の意志や欲望にさからいもなくしなだれかかり、馴致されつくしているかとみえる言葉が、実は素直さを装って気軽に存在を招き寄せ、そのしなやかな可塑的流動性によっていとも円滑に筆に乗るかとみせて人目を欺き、かえって言葉への至上権をかすめとって、その洞ろな内面に充実ぶりの錯覚をそっとまぎれこませてしまうという危険を顧みることもなく、書けば書けてしまうという事実のうちに「作家」の特権的視座が確立しうると思いこむことの類似性、それが今日の「文学」的頽廃をあたりに蔓延させているのだが、そんな頽廃を江藤氏も大江氏もまぬがれていないのだ。誰もがそれなりに二つや三つは存在の暗部に隠し持っているだろう「切実な主題」をめぐり、「文学」がたえず捏造してやまない幾つもの疑問符に言葉を妥協させ、前言語的地熱の程よい高まりが、「普遍的」かつ「現代的な課題」と折合いをつけるのを待つといった怠惰な作業が、それにしてもいつから、書くことなどと信じられてしまうようにいたったのか。


『表層批判宣言』と『小説から遠く離れて』のあいだの蓮實重彦の大江健三郎批判と顕揚は、あるいは大江健三郎の資質その美点と欠点とに違った側面から光を照射したといいうる部分もあるだろう。ただ、冒頭に引用されたように、ある時期の大江の「擬似イデオローグ」の役割を「解体」することが、「大江殺し」の内実であり、それは、《同時代の批評家の義務は、時代を先導しつつある作家を殺すことにあると思う。つまりその物語を解体する》の試みであったには相違ない。



→「デリダのリシャール殺しと蓮實重彦のルサンチマン」へ続く。


…………


※追記:『表層批判宣言』「あとがき」より

ここにおさめられた五つの文章は、いわば肉体的なエンターテイメントを目指しつつ、ここ五年ほどのあいだに書かれたものである。肉体というのは、いうまでもなく言葉の肉体であり、従って、ある種の生理的な反応を、運動の領域に惹起できればというのがこの書物の目指すところであったかもしれない。嘘か本当か知るよしもないし、たぶん嘘だとは思うが、この書物の中にその名前が少なからずひかれている現代日本のもっともすぐれた小説家は、目次に蓮實重彦の名前が印刷されているのを見ると、その雑誌を即座にくず籠に放り込んでしまうという。たぶんに誇張されたものであろうこの挿話は、しかし、かれにそれが徹底した虚構であったにしても、たまたま目次を目にした場所がくず籠から遠かったりした場合、その小説家が、書斎の空間を横切って投げとばすという、ピンチランナー目がけての牽制球を投げる投手のような仕草を想像させるという意味で、運動論的な感動を波及させてくれる。また、この小説家ほどすぐれているわけではないがそれなりに大家として知られる作家の一人は、日本語が滅茶苦茶になったことを立証する一例として、ここにおさめられている文章の一つの冒頭の部分を、その流れゆく日々の一日に「一時間かけて」写しとってある雑誌に発表したのだが、その一時間が彼に強請しただろう生理的疲労を思うと、この挿話もまた、やはり感動的であるといえる。「知」的に読まれることだけは避けたいと願っていたこの書物が、これほど直接的に肉体にうったえかける生理的=運動的な反応を期待しうるとは思ってもいなかったので、この事実には率先に感動せざるをえなかったのだ。……


なお70年代の後半の仕事である『表層批判宣言』からしばらく経って、大江健三郎の短篇小説
『見せるだけの拷問』(1984)には次のような箇所がある。


中年の大江とほぼ等身大とおぼしき主人公は、カリフォルニア大学、バークレイ校のオフィスのしまりぎわに訪ねてきた日本人の青年、《肌の具合や眼の表情は、相当にくたびれた中年男のものだが、顔を輪郭づけている髯を剃れば、思いがけなく若い、ただ外国生活の鬱屈にしぼみかけている顔の》青年を、ビールとソーセージの酒場に案内して、彼と小さな丸テーブルで面と向いあっている、ビールのピッチャーにはまだ三分の二も残っている……

たとえばフランス文学者で、日本文学への批評のみならず映画批評においても新しい権威のH氏や、経済学用語を文芸批評にとりいれて根強い信奉者を持つK氏について、青年は激越といっていいほどの支持をあらわした。(……)
――HやKのいう、あんたのイカガワシサのね、表層にあるものと、深層にあるものを、あんた自身感じとっているわけで…… やはり自己規制はするでしょう? しかし新しい仕事を読むと、あんたのイカガワシサが衰えていないのをね、HやKは見るわけね。もっともそんなこと百も承知で、あんたは仕事しているわけで……
……イカガワシサときみがいい、H氏やK氏の僕への言葉だともいうんだが、きみ自身として当の言葉をよく考えてのことだろうか? そのように僕は内心の思いを展開させていたのだ。鋏でよく髯を刈りこんでいるが、それゆえにかえって薄汚れた風情の、若い同胞よ。初対面の会話できみが軽く使う、その言葉を、僕は相当の心づもりに立たずには使ったことがない。いったいきみはどういう対決の理由があって、この旅先まで僕を訪ねて来ているのか? それをまず聞くことができれば、話は早手まわしとなるはずだが。きみがイカガワシサという言葉について、それを発したとたんに始まる厄介な闘いへの、心準備なしにしゃべりたてる人物なら、僕として真面目に答える必要もないわけだ……