第二日目から彼らは私が慰安婦の仕事をすることを強要した。最初私は抵抗して男を受け入れなかったんだ。それで彼らは私に食物を与えず、私を殴った。拒絶し続けることはできなかった。抵抗したら殺されると思って、彼らの言いなりになることに決めた。でも悲しいことに、私には男性経験がなかったので、この性的奴隷化に耐えられなかったんだ。私の性器は引き裂かれ、腫れ上がった。この苦痛は説明できないね。このことを話すだけでも恥ずかしい。逃げるか死ぬかだと考えた。でも逃げ切れなかった。(ボク・ドン・キム(金福童)“Demanding Accountability: The Global Campaign and Vienna Tribunal for Women's Human Rights. “By Charlotte Bunch and Niamh Reilly.
従軍慰安婦問題においては、有限責任だけではなく、無限責任も問われている。とくに、二つの局面において、無限責任が問われている。 第一に、「もう一度、17歳のときの青春に戻して」(金学順)や、”I lost my life”(Teng-Kao Pao-Chu )という声に、私たちが応答しようとするときである。》(他者のために生きる 小泉義之)
この「無限責任」をめぐっては、かつて種々の議論があった。
日本及び日本人を見つめる外部の厳しい視線に、今更のように気づき始め、冷水を浴びたように手前勝手なコスモポリタン幻想から醒めざるをえない。逃れようにも逃れられない「みにくい日本人」の一人であるという事実から出発するしかないのである。その厳しい自己認識なしには、そこから一歩も前に進めない状況にいるからである。(大越愛子『闘争するフェミニズム』1996)
「他者」の倫理の中心にある「顔」(visage)とは、「歴史の裁き」から被った「侮辱」を耐え忍ぶ顔であり、「公的」歴史の外に打ち捨てられた満身創痍の<証人>たちの、「異邦人、寡婦、孤児」たちの顔なのだ。この顔を見ること、またこの顔に見られることによって、「私」の「侮辱」(offence)は「恥辱」(honte)に変じる。というのも、「他者」の「侮辱」はその「顔」を通して「私を見つめ、私を告発する」からであり、「私」を裁く「裁きそのもの」だからである。(高橋哲哉『記憶のエチカ――戦争・哲学・アウシュヴィッツ』1995)
こういった言説に対する浅田彰の応答ーーそれは小泉氏の論にも批判的に引用されているのだがーー今は別の文献から、より鮮明な反論として、次の文を掲げる。
いまの論調の支配的な流れの一つは、デリダからレヴィナスへの回帰ですよね。ポジティヴな絶対的神はない、しかしネガティヴな絶対的他者がその不在においてわれわれに呼びかけている、それに向かってわれわれは無限の応答責任(レスポンサビリテ)を負う、と。これはニーチェ的にいうと最悪のモラリズムになりかねないでしょう。さらに問題なのは、そういう擬似宗教的な他者論がしばしば政治的な文脈にダイレクトに導入されることです。いわゆる「従軍慰安婦」の問題にしても、まずは、国家が謝罪し補償するという近代の原理で行けるところまで行くのが先決だと思う。そこで、われわれは他者の顔の前に恥を持って立たねばならないとか何とかいっても、あまり実効性がないばかりか、いたずらにマジョリティの反発を招くことにさえなりかねない。結局、そういう擬似宗教的なモラリズムは、一種の麻痺――すべての「他者」に対して優しくありたいと願い、「他者」を傷つけることを恐れて積極的なことは何もできなくなるという、最近よくあるポリティカリー・コレクトな態度を招きよせるだけではないか。(「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」『NAM生成』所収より)
浅田彰の「実践的な」態度をとりあえず肯うにしろ、それにもかかわらず、「もう一度、17歳のときの青春に戻して」(金学順)や、”I lost my life”(Teng-Kao Pao-Chu )という声にどう応答してよいのかという問いは残る。
だが「どう応答してよいか」どころか、日本のマジョリティは、政府が「有限責任」さえまともに果たさず、政治のトップから公営放送のトップまで、リヴィジョニストが跋扈しているのを、見て見ぬふりをしている。それこそ「セカンド・レイプ」というものである。
だが「どう応答してよいか」どころか、日本のマジョリティは、政府が「有限責任」さえまともに果たさず、政治のトップから公営放送のトップまで、リヴィジョニストが跋扈しているのを、見て見ぬふりをしている。それこそ「セカンド・レイプ」というものである。
闘ってるやつらを皮肉な目で傍観しながら、「やれやれ」と肩をすくめてみせる、去勢されたアイロニカルな自意識ね。いまやこれがマジョリティなんだなァ。(浅田彰「憂国呆談」)
たとえば3.11以後、より明らかになっている筈だが、本来、闘うべき相手は、日本のサイレント・マジョリティなのではないか、という問いはある。
今起きている危機は、福島原発事故についてだけのことではないのです。私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った「沈黙による陰謀」とも呼ぶべき行為です。去年の3月11日以来、たくさんの嘘が明らかになりました。そしておそらくは、まだこれからも明らかになってゆくでしょう。これらのエリートたちが真実を隠すため陰謀を巡らせていたことが明らかになって、私は動揺しています。ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?(「僕たちは、そんなに騙しやすい国民でしょうか。」大江健三郎へのインタビュー/ルモンド紙(2012.3.16)
騙しやすい国民どころか、騙されたい国民なのではないか。
ジジェクは1993年の浅田彰との対談にて(『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収)、1992年に旧東独のロストクで起こったネオ・ナチによる難民収容施設の焼き討ち事件をめぐり、《今回も、それ自体としてはおぞましいネオ・ナチの暴力行為が、ドイツのサイレント・マジョリティの承認とは言わぬまでも暗黙の「理解」を得たことが問題なのです。実際、社会民主党の幹部の中でさえ、こうした事件を口実にドイツのリベラルな難民受け入れ政策の再検討を提唱する人たちが出てきている。こういう時代の空気の変化の中にこそ、「外国人」を国民的アイデンティティへの脅威とみなすイデオロギーがヘゲモニーをとる危険を見て取るべきだと思うのです。》と語っているが、日本のサンレント・マジョリティは、この今「ヘイト・スピーチ」を初めとするレイシズム的言説の猖獗を見て見ぬふりをしていることはないか。
ここで「支配的イデオロギー」と「支配しているかに見えるイデオロギー」を間違えるな、というジジェクの言葉を反芻しておこう。
こうした状況のもとでとくに大切なことは、支配的イデオロギーと支配しているかに見えるイデオロギーとを混同しないように注意することだ。われわれは、これまで以上に、ヴァルター・ベンヤミンが遺してくれた注意事項を心に留めなければならない。その注意事項とは、ある理論(あるいは芸術)が社会闘争に関わる自分の立ち位置をどのように決定するかを訊ねるだけでは不十分であり、それが闘争においてどのようなアクチュアルな機能を発揮しているかもまた問われねばならない、というものである。 例えば、セックスで真のヘゲモニーを掌握している考え方は家父長制的な抑圧などではなく自由な乱交であり、また芸術で言えば、悪名高い「センセーショナル」展覧会と銘打ったスタイルでなされる挑発が規範に他ならなず、それは体制に完全に併合されてしまっている芸術の典型事例である。アイン・ラントは、彼女の最近のノン・フィクション作品のタイトル「資本主義──この知られざる理念」や「経営トップ──アメリカ最後の絶滅種族」に見られるように、公式イデオロギーそれ自体の強調が自己への最大の侵犯へ反転するといったある種ヘーゲル的な捻りを加味することで、こうした論理をその結論にまで押し上げている。( ジジェク『迫り来る革命 レーニンを繰り返す』長原豊 訳)
支配的イデオロギーのひとつの姿とは、たとえばツイッターの村社会で同族意識の安堵感に浸りながら、湿った瞳を交わし合い頷き合いつつ、趣味の世界、あるいは研究の世界に耽り返っているのみのあれら「優しい」マジョリティなのだ。
完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫かぶりども(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)
ああ、ここでニーチェ読みでもあるカント学者の中島義道botーーわたくしはこの人の書を読んだことがないのだがーーに手伝ってもらおう!
《ナチスを最も熱心に支持したのは、公務員であり教師であり科学者であり実直な勤労者であった。当時の社会で最も真面目で清潔で勤勉な人々がヒトラーの演説に涙を流し、ユダヤ人という不真面目で不潔で怠惰な「寄生虫」に激しい嫌悪感を噴出させたのである。》(『差別感情の哲学』中島義道)
耐え難いのは差異ではない。耐え難いのは、ある意味で差異がないことだ。サラエボには血に飢えたあやしげな「バルカン人」はいない。われわれ同様、あたりまえの市民がいるだけだ。この事実に十分目をとめたとたん、「われわれ」を「彼ら」から隔てる国境は、まったく恣意的なものであることが明らかになり、われわれは外部の観察者という安全な距離をあきらめざるをえなくなる。(ジジェク『快楽の転移』ーー優しい人たちによる魔女狩り)
ーーこういったことは海外住まいの身としては、あまり書きたくないのだが、三年前の春以来、おりあるごとに頭に血が上ってしまう。《不快な渇きが僕の血管の血をにごらせ》る(ランボー「いちばん高い塔の歌」)。ーーいやわたくしは日本住まいのひとたちよりは、韓国人や中国人と顔を合わせる機会はずっと多いだろう、彼らと酒を酌み交わす機会がずっと多いだろう。
さらにいえば、あれらどっちつかずの態度をとる「学者」や「知識人」たちの厚顔無恥!
私が思うに、最も傲慢な態度とは「ぼくの言ってることは無条件じゃないよ、ただの仮説さ」などという一見多面的な穏健さの姿勢だ。まったくもっともひどい傲慢さだね。誠実かつ己れを批判に晒す唯一の方法は明確に語り君がどの立場にあるのかを「独断的に」主張することだよ。(「ジジェク自身によるジジェク」私訳)
あれら破廉恥漢!
わたしは仔細ぶった疑いぶかい猫どもの静かさよりは、むしろ喧騒と雷鳴と荒天の呪いを好む。そして人間たちのあいだでも、わたしは最も憎むのは、忍び足で歩く者たち、中途半端な者たち、そして疑いぶかい、ためらいがちな浮動する雲に似た者たちすべてである。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)
さて抗血剤でも飲むことにしようーー。
冒頭に戻っていくらかの備忘をする。
日本は敗戦と同時に、戦時中の証拠を隠滅するため、多くの公文書を破棄・湮滅した。そして、慰安婦はその境遇から、記録を残せる立場になかったため、現存する資料は少なく、文書に書かれた証拠が不足していることにより、現在議論が平行線をたどったままになってしまっている。終戦後、慰安婦の一部は帰国したが、その後も、社会的制裁 (スティグマ)・精神的外傷 (トラウマ)に悩まされ、元慰安婦であるが故に、社会的差別を受け、慰安婦生活のために生じた性病・子宮疾患により、子宮摘出や不妊などの、身体の病気に犯され、それと同時に、後遺症や神経症・鬱病・言語障害などの心の病気にも犯され、子どもを生むことの出来ないからだでは結婚することもできず、「社会の恥」という呪縛に苦しみながら長い間沈黙を守り続けた。
従軍慰安婦問題における大きな犯罪は、二重の犯罪(セカンド・レイプ)と呼ばれ、そのひとつは「戦時強姦」という犯罪であり、もうひとつは、「罪の忘却」という犯罪である。そして三重の犯罪として、もうひとつ、「被害女性の告発の否認」という犯罪も浮かび上がる。
「新しい歴史教科書」を作る会などの削除派の人々は、祖国と皇軍の名誉と尊厳を回復するために、所謂平和団体など反国家の人々の主張を、彼らの求める平和は、ただのマゾヒストの自己満足であると批判し、慰安婦問題浮上のきっかけとなった金学順についても、日韓の反日亡者に利用されて、金欲しさのために提訴し、結局、既成事実を暴かれ捨てられて死んでいった愚か者という。それこそがセカンドレイプという犯罪なのである。
ここでは、上の文の「精神的外傷 (トラウマ)」にのみ注目する。なぜ「従軍慰安婦」たちは半世紀の年月を経たあと、突如として告白しはじめたのだろうか。ある「きっかけ」が必要だったには相違ない。おそらくはフェミニズム運動などの言説がその大きな「きっかけ」になったはずだ。《レイプは女性の側にいかなる事情があるにせよ男性の暴力による女性支配であるというフェミニズムの糾弾なくして、精神神経症からPTSDへの移行はなかった。そしてこの指摘は、当然、暴力による支配行為としての戦争をも尾問題にせざるをえない。》(中井久夫「トラウマとその治療経験」)
……私の子ども時代といえば、明治生まれはまだ若くて、元治だとか嘉永だとか万延生まれの人がおられました。この時代、日露戦争の勇士は戦争体験を語らないと言われていました。一般に明治人は寡黙であり、これは明治人の人徳であると思われてしました。けれども、今から考えるとそうではなくて、日露戦争は、最後は白兵線つまり銃剣で戦われたわけです。それはほとんど語りえないものであったのではないだろうかと思うのです。その一つの傍証を挙げましょう。精神科の大先輩の話ですが、軍医として太平洋戦争に参加している人です。一九七七年にジャワで会った時には、戦争初期のジャワでの暮らしが、いかに牧歌的であったかという話を聞かせてくれました。先生はその後ビルマに行かれたのですが、そちらに話を向けても「あっ、ビルマ。ありゃあ地獄だよ」と言ってそれでおしまいでした。ところが一九九五年の阪神淡路大地震のあとお会いした時には、「実は、今でもイギリスの戦闘機に追いかけられる夢を毎晩見るんだ」ということを言われました。震災について講演に行くと、最前列に座っているのが白髪の精神科の長老たちで、これまであまり側に寄れなかったような人たちですが、講演がすんだら握手を求めに来て「戦争と一緒だねえ」というようなことを言われるわけですね。神戸の震災によって外傷的な体験というものが言葉で語ってもいいという市民権を得たのだなと思いました。それまでずっと黙っておられたのですね。(中井久夫「外傷神経症の発生とその治療の試み」『徴候・記憶・外傷』所収)
こうやって白髪のかつての軍医のように、かつての「慰安婦」たちは半世紀を経て語り始めたのだろう。
一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートをとり、訪問〔アウトリサーチ〕しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通である。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで外傷患者であることを秘匿する。
PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。膵臓疾患の診断の第一は「膵臓が存在することを忘れていないこと」である。それほど膵臓は忘れられやすい臓器だということだが心的外傷でも同じである。多くの外来患者はフラッシュバックなど侵入症状を初めとする外傷関連症状の存否をそもそも聞かれていない。それに怠慢ばかりでなく、心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。
しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密を土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。
天災においてさえ、恥の意識はありうる。「他の人たちは我慢しているのに」「生きのびただけでも感謝するべきなのに」「私の弱さをさらけだしたくない」など。「死んだ人(家をなくした人)に申し訳ない」という生存者罪悪感もある。たとえば周囲が皆倒壊している中で一軒だけ倒壊しなかった家の人の持つ罪の意識である。性的被害や児童虐待においては、なおさらのことである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」)
この最後にある恥の意識や生存者罪悪感を、ヤスパースは「形而上の罪」と呼んでいる。
ヤスパースは《「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。》
ヤスパースは戦後まもない講演(『罪責論』)において、戦争責任を、刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任の四種類に分けている。
第一に、「刑事上の罪」、これは戦争犯罪――国際法違反を意味する。これはニュールンベルク裁判で裁かれている。
第二に、「政治上の罪」、これは「国民」一般に関係する。《近代国家において誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんびとも、これを回避することは許されない。政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護するのが常である。しかし、政治的行動においてはそういった弁護は通用しない》(橋本文夫訳)
つまり、ファシズムを支持した者だけでなく、それを否定した者にも政治的責任がある。《あるいはまた「災禍を見抜きもし、予言もし、警告もした」などというが、そこから行動が生まれたのでなければ、しかも行動が功を奏したのでなければ、そんなことは政治的に通用しない》。
第三に、「道徳上の罪」、これはむしろ、法律的には無罪であるが、道徳的には責任があるというような場合である。たとえば、自分は人を助けられるのに、助けなかった、反対すべき時に反対しなかったというときがそうである。もちろん、そうすれば自分が殺されるのだから、罪があるとはいえない。しかし、道徳的には責任がある。なぜなら、なすべきこと(当為)を果たさなかったからである。
最後に、「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。
この講演はほとんど知られていないが、戦後ドイツの戦争責任への処し方を規定したものである。こうした区別は、それらがつねに混同されている現状から見て不可欠である。しかし、ここに幾つかの問題がある。ヤスパースは、まるでナチズムがたんに精神的な過誤であり、それを哲学的に深く反省すれば片づくかのように考えている。そこには、ナチズムをもたらした社会的・経済的・政治的諸原因への問いが欠落している。ヤスパースは、カントのいう道徳性を「道徳的な罪」のレベルにおき、「形而上の罪」をより高邁なものであるかのように見なした。しかし、カントのいう道徳性は根本的にメタフィジカルである。同時に、それは「責任」を離れて、「自然」(因果性)を徹底的に探求すべきであることと矛盾しないのだ。(『トランスクリティーク』P190の註より)