「幻想(ファンタジー)は象徴化に抵抗する現実界に意味を与える」、あるいは、「現実は幻想によって構造化されている」などとラカン派では語られる。
さらには、《現実は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界である。そして現実界は、この象徴的な空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。》などともされる。
(原文)
reality is the Real as domesticated—more or less awkwardly—by the symbolic; within this symbolic space, the Real returns as its cut, gap, point of impossibility(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être)――ジジェク『LESS THAN NOTHING』 より孫引き
ラカンなら例えば次のように言う、《現実は現実界のしかめっ面である。》(『テレヴィジョン』)
通常、幻想とは現実と反対のものであり、想像力の空想的な産物illusory prouduct of imaginationであるとされる。
だが、ここで、われわれが《現実realityとして経験しているものは、幻想によって構造化されている》とするジジェクを引こう。
もしわれわれが「現実」として経験しているものが幻想によって構造化されているとしたら、そして幻想が、われわれが生の〈現実界〉にじかに圧倒されないよう、われわれを守っている遮蔽膜だとしたら、現実そのものが〈現実界〉との遭遇からの逃避として機能しているのかもしれない。夢と現実との対立において、幻想は現実の側にあり、われわれは夢の中で外傷的な〈現実界〉と遭遇する。つまり、現実に耐えられない人たちのために夢があるのではなく、自分の夢(その中にあらわれる〈現実界〉)に耐えられない人のために現実があるのだ。
これが、フロイトが『夢判断』の中で例に挙げている有名な夢から、ラカンが引き出した教訓である。それは、息子の棺を見張っているうちに寝込んでしまった父親がみた夢である。夢の中で、死んだ息子が父親の前にあらわれ、恐ろしいことを訴える。「お父さん、ぼくが燃えているのが見えないの?」 父親が目を覚ますと、ロウソクが倒れ、息子の棺を覆っている布に火がついている。ではどうして父親は目を覚ましたのだろうか。煙の臭いがあまりに強く、その出来事を即興で夢に取り入れ、睡眠を継続することができなかったのだろうか。ラカンはもっとずっと興味深い解釈を述べている。
《夢の機能が眠りの延長だとしたら、そして夢はそれを呼び起こした現実にこれほどまで接近することができるとしたら、眠りから離れることなく夢はこの現実に答えている、と言えるのではないでしょうか。結局、夢には夢遊病的な作用があるのです。それまでフロイトが示してきたことからわれわれがここで立てる問い、それは「何が目覚めさせるのか」ということです。目覚めさせるもの、それは夢「という形での」もう一つの現実にほかなりません。「子どもが彼のベッドのそばに立って、彼の手を摑み、非難するような調子で呟いたーーねえ、お父さん、解らないの? 僕が燃えているのが?」
このメッセージには、父親が隣室で起きている出来事を知った物音よりも多くの現実が含まれているのではないでしょうか。この言葉の中に、その子の死の原因となった出会い損なわれた現実が込められているのではないでしょうか。(ラカン『精神分析の四基本概念』)》
このように、不幸な父親を目覚めさせたのは外の現実からの闖入物ではなく、彼が夢の中で出会ったものの耐えがたく外傷的な性質だった。「夢をみる」というのが、<現実界>との遭遇を回避するために幻想に耽ることだとしたら、父親は文字通り夢をみつづけるために目を覚ましたのだ。シナリオは次のようになっている。煙が彼の眠りを妨げたとき、父親は睡眠を続けるために、すぐさまその妨害要素(煙、火)を組み入れた夢を作り上げた。しかし、彼が夢の中で遭遇したのは、現実よりもずっと強い、(息子の死に対する自分の責任という)外傷だった。そこで彼は<現実界>から逃れるために、現実へと覚醒したのである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)
夢の中で、耐え難い「心的外傷(トラウマ)」をもたらす現実界と遭遇してしまい、そこから逃れるために、夢から目覚めてもうひとつの夢という幻想=現実に逃げだした、そこにはわれわれを守ってくれる遮蔽幕の機能があるのだから、――そういうことが書かれている。
この一見奇妙な主張を納得するには、プルーストの祖母の電話の声の叙述(「ゲルマントのほう」)の箇所が手頃な例のひとつとなるだろう。
それは主人公マルセルが、当時設置されつつあった電話を使って初めて祖母と話をする場面である(祖母はプルーストの母がモデルであるとも言われるている)。
……それから私は電話口に出た、するとしばらく沈黙があったあとで、突然私はあのききおぼえのある声をきいた、いや、ききおぼえがあるというのは正しくなかった、なぜなら、いままで祖母が私とおしゃべりしていたときは、私はいつも彼女がいっていることを彼女の顔のひらかれた譜面の上にたどっていたにすぎず、その譜面のなかに大きな場所を占めていたのは彼女の目であったのにひきかえ、彼女の声そのものをきくのはきょうがはじめてであったからである。しかも、その声が一つの全体をなし、顔の表情を伴わず、そのように単独にやってくるのにぶつかると、私にはその声がいつもの釣りあいに変化を生じているように思われ、そのためかその声がいかにもやさしいことを発見した。(……)その声はやさしかった、しかしまた、なんと悲しげであったことか! 悲しげであったのは、第一に、ほかならぬそのやさしさのためであった、そのやさしさは、あらゆる苛酷なもの、他人にさからうあらゆる要素、あらゆるエゴイスムを濾しさった、ほとんど人間の声がそれ以上に達したことはなかったほどの、にごりのないものであった! あまりの繊細さのゆえに、もろくて、いまにも涙の清らかな波のなかにくだけて消えてしまいそうに思われる声であった。その声が悲しげであったのは、第二に、顔面を見ることなしにただそれだけをすぐそばにきき、はじめて私が、その声にこめられている悲しみに、そして長い生涯のあいだに悲しみがその声にはいらせてしまったひびに、気がついたからなのであった。(プルースト「ゲルマントのほう」井上究一郎訳 厚表紙版 p173-174)
《顔面を見ることなしに》とあるが、仏原文では、“vue sans le
masque du visage”であり、つまり「顔のマスクを通さないで」感受するということなのであり、このマスク(仮面)の幻想によって構造化された現実の祖母ではなく、電話を通して、仮面を取り去った祖母のリアルな(現実界的な)声に出逢ったということだ。そして、はじめて《長い生涯のあいだに悲しみがその声にはいらせてしまったひびに、気がついた》のは外傷的な現実界ということになる。
われわれは、通常、じつは「声」そのものを聴いていない。その声は、ふだんの<わたくし>の抱く「愛情の永久の運動」に犯された「祖母」のイメージ、あるいは「視線の窓枠」に曇らされている。
あるいは、《ふたんの生活にあって祖母がしょっちゅう指図していた私への命令や禁止、彼女への私の愛情をうすれさせていた服従への嫌惡や反抗心》(同 p174)の「心の窓枠」に囚われている。
これが現実は窓枠としての幻想によって構造化されているという意味だ。
柄谷行人はすでに似たようなことを書いている。
たぶん誰でも自分の声をはじめてテープで聞いたとき、いたたまれぬようなおぞましさを覚えるだろう。「あれは私の声ではない」という思いと、「あれが私の声なのだ」という思いが交錯する。その思いはどちらも正しいので、われわれはその決定不可能性のなかで錯乱を覚える。確実なのは、レコードまたは音声の複製技術以前に、人間はこのような経験をしたことがなかったということである。・・・「自分の声」につきまとうなれあいを決定的に打ち破るのは、音声の複製技術なのだ。(柄谷行人「鏡と写真装置」初出1982『隠喩としての建築』所収 p131)
ここで「いたたまれぬようなおぞましさ」とされるものがリアル(現実界)であって、普段は習慣の窓枠によって、実際の声を聞いていないということとして捉えてよいだろう。
この柄谷行人の論は写真論であるが、写真でもおなじことが起る。たとえば長年連れ添った配偶者の写真をふと見て、ふだんは愛情の窓枠に曇らされたまなざしで見ていた妻の容貌の衰えに、はじめて気がつくなどということがあるだろう。
こうやってわれわれの現実は幻想の窓枠によって構造化されている。
ラカンが幻想の横断traversee du fantasme(あるいはフロイトの「徹底操作」working through)というとき、この幻想の窓枠を取っ払うことを言っている、--のではかならずしもないが、いまはそれには触れない。
さて、いまこんなことを書いているのは、次の文にめぐり合ったからだ。
◆トニー・マイヤーズの『スラヴォイ・ジジェク』による「幻想」のまとめより(人種差別の幻想を中心に抜き出す)。
* 幻想は、'Che vuoi?'という問い、首尾一貫していない〈他者〉が、ほんとうはわたしになにを欲しているのかという問いのなかに現れてくる〈他者〉の欲望に対する、防衛として生み出される。
* 幻想は、われわれが現実を見るときの枠組みを提供する。幻想は、一つの視点を前提としていて、世界の客観的な説明を拒否しているという点で、歪像的である。
* 幻想は、われわれひとりに属する独自のものである。幻想は、現実の主観的見解を可能にし、われわれを個人にする。そのようなものであるから、幻想は、他者の侵入にとりわけ敏感である。
* 幻想は、われわれが享楽を組織し飼いならす手段である。(『スラヴォイ・ジジェク』 p.188)
人種差別が発動されるのは、この幻想と幻想の対立が原因であるとされる。
人種差別の標準的な分析では、人種差別主義者たちは誤った教育を受けたか、無学で、犠牲者たちについて無知であることになっている。人種差別主義者が犠牲者となる人種を客観的に見て、彼らをよく知りさえすれば、偏見もなくなるだろう、とこの理論は続ける。たとえば、もしドイツの人種差別主義者が、トルコ移民がいかにドイツに貢献しているかを理解したら。フランスの人種差別主義者が、アルジェリアの共同体がフランスの名のもとにいかに文化的に重要な貢献を果たしてきたかを知りさえしたら。あるいは、イギリスの人種差別主義者が、第二、第三世代のインド人たちが英国の健全な発展にいかに貢献してきたかを理解することができさえしたら。しかしジジェクによれば、たとえ人種差別主義者たちがそういうことを理解したとしても、それでもなお彼らは人種差別主義者のままだろう。なぜだろうか?
答えは、人種差別を受ける主体は、個々の人間からなる客観的な集団ではなく、幻想上の人物像だからである。たとえば1930年代に、アーリア人種をひそかに陥れようとする国際的な陰謀があってその中心はユダヤ人である、などという考えはばかげている、という合理的な議論をしても、ナチスが説得されることはなかっただろう。ジジェクによると、ユダヤ人はそんなことはしていないと証明する経験的な証拠を、ナチスに示すことはできない。彼らは……現実に対する客観的な見かたを云々していたわけではないからだ。むしろ彼らは、ユダヤ人を幻想の枠組みで見ていた。そのため、彼らはそうした幻想の枠組みと、現実はどのようなものかという視点を対比することができなかった。幻想の枠組みの肝心な点は、なによりもまずそれがあなたの現実を構成していることだからだ。だからジジェクの推測では、もしあなたがナチで、真に友好的で「善良な」ユダヤ人が隣に住んでいても、あなたは自分の反ユダヤ主義とこの隣人とのあいだに、いかなる矛盾も経験しないだろう。むしろ、隣人が表面上はきちんと見えることこそ、ユダヤ人の危険を示す最高の証拠である、と結論を下すだろう。あなたは幻想の窓を通じてものを見ているので、反ユダヤ主義と一見矛盾するように見える事実こそが、まさに反ユダヤ主義を支える議論となりうるのである。(『スラヴォイ・ジジェク』p.179-180)
・民族的「他者」は、享楽を入手する未知の、特権的な方法を知っている。
・民族的「他者」は、われわれの享楽を盗もうとしている。
人種差別と闘うには、
* 1 われわれはできるかぎり他の個人の幻想空間に侵入しないようにしなくてはならない。
* 2 国家を、市民社会の幻想に対する緩衝装置として利用しつづけるべきである。
* 3 幻想の裏側にはなにもないことを示すために、幻想を横断し、通り抜けなければならない。
(1)は、複数の幻想は究極的には平和に共存できない──和解の方法はない──ので「倫理」として他者の幻想空間にみだりに侵入すべきではないと。
(2)は、国家は幻想同士のぶつかりあいがもたらす「最悪の影響」を軽減することができるということ──仮に市民社会が、国家から制約をうけずに支配することが許されたら、世界のほとんどは人種差別主義者の暴力に屈することになるだろう。人種差別の暴力を抑制するのは、国家の強制力しかないのだ。
(3)は、人種差別主義者の根底にある主張「もし彼らがここにいなかったら、生活は申し分ないものになり、社会はまた調和をとりもどすだろう」に対し、「彼らがここにいようといまいと、社会はつねに-すでに分裂している」と応答しようと。幻想とは、イデオロギーがそれ自身の失敗をあらかじめ計算に入れるための手段である──「ユダヤ人」はファシズムにとっては、おのれ自身の不可能性を計算に入れ、表象するための手段である。幻想の背後・裏面には何もなく、だからこそ幻想がこの「空無」を隠蔽しているのだから──それ自体で完全であるような全体社会の不可能性を覆い隠しているのだから。
…………
ーーと引用すれば、誰もが在特会などの現象とその対応のあり方に思いを馳せざるをえないだろう。
上に引用された、《「ユダヤ人」はファシズムにとっては、おのれ自身の不可能性を計算に入れ、表象するための手段である。》についてだけ、ジジェクの『ポストモダンの共産主義』から捕捉をしておこう。
・主体が『この世の不幸のもとはユダヤ人だ』と言うとき、ほんとうは『この世の不幸のもとは巨大資本だ』と言いたい」のだ。
・明示される「悪い」内容(反ユダヤ主義)が、内在する「よい」内容(階級闘争、搾取への反感)をおおい隠してしている。
…………
※追記
さてプルーストの小説の主人公マルセルは、祖母の電話の声にて「幻想の横断」をしてしまったのだが、そのリアルに耐え切れず、あわてて旅行先から家に戻る。
だがそこでめぐり会うものは、《鈍重で俗っぽくて、病んで、夢にふけって、頭がすこしぼけたような目を本の上にさまよわせている、私の知らないうちひしがれた一人の老婆の姿》である。
いったん幻想の横断をしてしまったら、彼のまなざしそのものも変貌してしまい、写真師としての「目撃者」、自分自身の不在としての視線を祖母に投げかけることになる。もっとも、冒頭に《私はそこにいた、というよりもまだそこにいなかった、というべきであった。なぜなら祖母は私がそこにいることを知らずに、物思いにふけっていたから》とあるように「偶然の残酷なたくらみ」も手伝ってのことだが。
ああ、私の帰ったことを知らされずに本を読んでいる祖母を私がサロンにはいって見出したとき、私の目に映ったのは、そのような幻影であった。私はそこにいた、というよりもまだそこにいなかった、というべきであった。なぜなら祖母は私がそこにいることを知らずに、物思いにふけっていたからであって、そんな姿を私のまえで見せたことはいままでになく、まるで彼女は、人がはいってくればかくしてしまうような編物か何かをしているところをふいに見つけられた女のようであった。私はといえばーー長くはつづかない特権、旅から帰った短い瞬間に自分自身の不在を突然まのあたりに見る能力をさずかるあの特権によってーー帽子をかぶり、旅行用のコートを着た、証人で目撃者、この家の者ではない外来の客、二度と見られない場所をフィルムにとりにきた写真師、といった要素しか残していない人間のようであった。私が祖母の姿を認めたこのときに、私の目のなかに機械的に写されたのは、なるほど一枚の写真であった。われわれがいとしい人々を見るのは、生きて動いている組織のなか、われわれのやむことのない愛情の永久の運動のなかにおいてでしかないのであって、愛情は、いとしい人々の顔がわれわれにさしむける映像をわれわれにとどかせるまえに、それをおのれの渦巻のなかにとらえ、そうした映像をいとしい人々についてわれわれがつねに抱きつづけている観念の上に投じ、その観念に密着させ、その観念に一致させるのだ。
(……)しかし、われわれの目がながめたのではなくて、単なる物質的な対物レンズとか写真の乾板とかがながめたのであったら、たとえば学士院の構内に見られるものにしても、それは辻馬車を呼ぼうとしている一人のアカデミー会員の退出の姿ではなくて、あたかもその人が酔っているか地面が凍ったぬかるみに被われているかのように、その人のよろめく足どり、うしろ向きに倒れないための用心、転倒の放物線であるだろう。おなじことは次の場合にも言いうる、すなわち、われわれの視線から、それがながめるべきではないものをかくすために、われわれの理知と敬虔とから出た愛情がうまく駆けつけようとするときに、偶然の残酷なたくらみがそれをさまたげてしまう、つまり愛情が視線に先手を打たれてしまう場合であって、視線が真先に即座にやってきて、機械的に感光板の作用をはたしてしまうのである、そんな場合、ずいぶんまえからもういなくなった愛するひと、しかし愛情がその死をけっしてわれわれにあらわに感じさせることを欲しなかったひと、そのようなひとの代わりに、視線がわれわれに見せつけるのは、新しいひと、日に百度も愛情がいつわりの親しげな類似の相貌をとらせる新しいひとなのである。
(……)私は、祖母すなわち私自身という関係をまだ断ちきっていなかった私は、祖母を私の魂のなかにしか、つねに過去のおなじ場所にしか、そして隣りあいかさなりあう透明な思出を通してしか、けっして見たことのなかったこの私は、突然、私の家のサロンのなかに、新しい一つの世界、時間の世界、「ひどく年をとったなあ」と人からささやかれる見知らぬ人たちが住んでいる世界、そんな世界の一部分となった私の家のサロンのなかに、はじめて、ほんの一瞬のあいだ(というのはそういう祖母はすぐにぱっと消えてしまったからだが)、ランプの下の、長椅子の上に、赤い顔をして、鈍重で俗っぽくて、病んで、夢にふけって、頭がすこしぼけたような目を本の上にさまよわせている、私の知らないうちひしがれた一人の老婆の姿を認めたのであった。(プルースト「ゲルマントのほう Ⅰ」p181-183)
それは小泉義之氏の書評から抜き出せば次の如し。
「もう一人別なるドゥルーズ、精神分析とヘーゲルにより近いドゥルーズ、その帰結がより破壊的なドゥルーズ」を際立たせること、これがジジェクの賭け金である。
別なるドゥルーズとは、とりわけ『意味の論理学』のドゥルーズである。ジジェクの解釈によれば、純粋な出来事=意味の発生器である無意味、言いかえるなら、不毛な場としての潜勢的なものを静的に発生させる準原因や暗き先触れ、これはヘーゲルの否定性やラカンのファルス=身体なき器官に相当する……(書評:スラヴォイ・ジジェク『身体なき器官』)
雷は相異なる強度の落差で炸裂するが、その雷には、見えない、感じられない、暗き先触れが先行しており、これが予め、雷の走るべき経路を、だが背面において、あたかも窪みの状態で示すかのように、決定する。」(ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳)
われわれはしだいに、CsO(器官なき身体:引用者)は少しも器官の反対物ではないことに気がついている。その敵は器官ではない。有機体こそがその敵なのだ。CsOは器官に対立するのではなく、有機体と呼ばれる器官の組織化に対立するのだ。アルトーは確かに器官に抗して闘う。しかし彼が同時に怒りを向け、憎しみを向けたのは、有機体に対してである。身体は身体である。それはただそれ自身であり、器官を必要としない。身体は決して有機体ではない。有機体は身体の敵だ。CsOは、器官に対立するのではなく、編成され、場所を与えられねばならない「真の器官」と連帯して、有機体に、つまり器官の有機的な組織に対立するのだ。(『千のプラトー』P182)
つまり「器官なき身体」とは、実は「有機体なき器官」とすることもできるのではないか。
To put it in Deleuze’s own terms, his flux of desire is a BwO, a body without organs, while Lacan’s drive is an OwB, an organ without body. Desire is not a partial object, while the drive is such an object. As Deleuze emphasizes, what he is fighting against are not organs but organism, the articulation of a body into a hierarchical‐harmonious Whole of organs, each “in its place,” with its function: “the BwO is in no way the contrary of the organs. Its enemies are not organs. The enemy is the organism.”He is fighting corporatism/organicism.(ジジェク“Less Than Nothing”)
幻想の横断をして出逢うものは、部分対象partial objectであり、リアルな欲動driveである。
失われた時を求めて』のすべては、この書物の生産の中で、三種類の機械を動かしている。それは、部分的事物の機械(衝動)・反響の機械(エロス)・強制された運動の機械(タナトス)machines à objets partiels(pulsions), machines à résonance (Eros), machines à movement forcé (Thanatos) .である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチロゴスまたは文学機械」CHAPITRE IV “Les trois machines”)
「幻想の横断」とは、このリアルな欲動にめぐり合って、それと同一化することらしい。
※最後の文をより詳細には、「メモ:「幻想の横断」(症候との同一化)とサントーム」を参照のこと。
“幻想の横断”とは現実の外に出ることを意味するのではない、現実の非一貫的な非-全体を受け入れ、それを“揺らめかす”ことを意味する。
“Traversing the fantasy” does not mean going outside reality, but “vacillating” it, accepting its inconsistent non‐All. (ジジェク“Less Than Nothing”)
※最後の文をより詳細には、「メモ:「幻想の横断」(症候との同一化)とサントーム」を参照のこと。