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2014年5月8日木曜日

五月八日 「あんた日本人でしょ、あたしの人生返して!」

ーー「もう一度、17歳のときの青春に戻して」(金学順)
――I lost my lifeTeng-Kao Pao-Chu

……社会構築主義者は、また、元従軍慰安婦の運動を支持する多くの知識人も、民族と国民は想像的に構築された所産にすぎないからということで、また、ナショナリズムの再興に加担することになるからということで、日本人としての責任に疑義を呈した。

 これに対して、徐京植(Suh Kyung Sik)は、『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人』(影書房、2002)で、社会構築主義者の上野千鶴子に対して、こう反論した。「上野氏は「国民」というのは「わたし」を作り上げているさまざまな関係性のひとつにすぎないとして、「単一のカテゴリーの特権化や本質化」を拒絶すると述べている。上野氏と同じように、「日本人」というのは自分を構成する多面的なアイデンティティーの一側面にすぎない、と多くの日本人がことさらに言う。そんなことは当然ではないか。私にとっても、「韓国人」というのは「私」の一側面にすぎない。だが、ある集団の他の集団に対する加害責任が問題となっているこの場では、「あなた」という存在の、逃れようのない一側面が名指しを受けているのである」(p.80)。

また、李順愛(イ・スネ)は、『戦後世代の戦争責任論』(岩波書店、1998)で、こう追及した。「朝鮮人が朝鮮人であることを、また、在日朝鮮人が朝鮮人であることを、いやがおうでも意識させ骨身にしみさせたのは日本人だった。他の民族意識を刺激しておいて、問題は未解決のまま、その当の日本のインテリは「日本人であること」「日本国民であること」を知的・観念的に否定してみせるのである」。(小泉義之「他者のために生きる」

この種の、すなわち上野千鶴子が応答したのと似たようなことを、われわれは言い勝ちなのであって、それはなにも「社会構築主義者」であるからだけではない。だが、《国家が国家であるのは、外部に国家があるからですね。》(柄谷行人『闘争のエチカ』)であるとするなら、日本人が日本人であるのは、外国人があるからだ。韓国人からあなたたち日本人はわたしたちになんということをしたのだ、と言われたとき、この日本人という「名指し」からどうして逃れられよう。(多血質な、そして堅固な意志と非妥協的な誠実さの民から、曖昧模糊とした気質、世間の動向を気にして「空気」を読みながら行動する「根回し」の民への糾弾という面をも忘れないでおこう)。

そもそも社会構築主義とはなんだって?  

歴史の「真実truth」や「事実fact」が実在するのではなく、ただ特定の視角からの問題化による再構成された「現実reality」があるだけである。すべての歴史 叙述が現在から構築されたものであることを認めたうえで、文書中心主義的実証主義から離脱しなくてはならない。(上野千鶴子編 『構築主義とは何か』 勁草書房

この程度のことを言うのに(いやこれだけでもないのだろうが)、堅苦しい言葉を使うものだ。どうも社会学の概念は、仲間同士の隠語のように聞こえてしまう。と書けば冥府から懐かしい声がしてくる。

池内紀)去年だったかな。『朝日新聞』の書評委員会で、書名をずっと読み上げるでしょう。それで『社会学は何ができるか』という書名が読み上げられたとき、須賀さんがはっきり通る声で、すぐ合いの手を入れた。「何もできない」って(笑)。ぼくもずっとそう思っていたんだけれども勇気がなかったからいえなかった。前に社会学の先生が二人おられたし……(笑)(『追悼特集 須賀敦子』河出書房新社1998)

で、なんの話だったか。ーー「社会構築主義」などという言葉に引っかかってしまったが、どうやらそれはトーマス・クーンの「パラダイム」概念が出自のひとつのようだ。

クーンらに代表される近年の科学史家は、観察そのものが「理論」に依拠していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」は存在しないことを主張する。すなわち、経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される。(柄谷行人『隠喩としての建築』ーー「人間的主観性のパラドックス」覚書

さて元に戻れば、たとえば「慰安婦」問題ではなく、もっと大きく戦争責任を問われたとする。

「あんた私の祖国に土足で上がりこんでさんざん荒らした日本人なのね」

ーー私はそのとき生まれてなかったんだから、日本人って言われたって関係ないよ、と応じたくなるところだ。

生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。(加藤周一「今日も残る戦争責任」『加藤周一 戦後を語る』所収)  

加藤周一は《戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある》としている。この「存続している」ものは何だろう。

加藤周一は,こう問うた。

2003年3月20日に開始されたイラク戦争に対する,日本とドイツの政府の態度がおおきく異なったのは,なぜか。

ドイツは参戦を拒否し,日本は平和だろうと戦争だろうとアメリカのあとにしたがう。ドイツは「ヒトラーに臣従した過去」を徹底的に批判し,いまや「アメリカの権力にも権威にも臣従しようとしない」国である。それにくらべ日本は,かつては「臣民にすぎなかった過去」から真に訣別しなかったゆえ,「国民が主権を保持する国」となったいまでも、「昔を懐かしみ和を貴しとする」以外に批判精神を研ぎすますことがすくない)。bbgmgt-institute.org/Ronsou12.pdf

ある時期までのマスコミは《戦時中の自分たちの振る舞いについていままで何度も反省し、それをこれ見よがしに公表し、総括を行ってきたはずだった》し、学者たちもそれを教壇で教えてきたはずだった。いまはそれも滅多にみられない。であるならよりいっそう冒頭の糾弾から逃れるわけにはいかない。(先ほど引用した文に引き続き、小泉義之氏はすこし異なった形で、――日本人の「無限責任」としてーー語っているのだが、この「無限責任」の議論のいくらかは、「「慰安婦」、あるいは支配的イデオロギー」を見よ)。

…………

以下、別に投稿しようと思ったがここに附記。

ガヤトリ・スピヴァックは「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」という言い方をしています。強姦自体はどんなことがあっても正当化されない。しかし、子どもができてしまった場合は、その子どもを排除してはならないという意味です。この言葉自体を、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉だと思います。スピヴァックは直接にはインドの言語状況における英語のプレゼンスについて語っているのですが、これが現実の植民地状況で、今なお起きている事態であり、単なるメタファーとして言っているのではないでしょう。(鵜飼哲 共同討議「ポストコロニアルの思想とは何か」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

《ポストコロニアリズムの 「ポスト」は、コロニアリズムが終わったという意味ではない。(……)一般の意識においては過去とみなされていながら現代のわれわれの社会性や意識を深く規定している構造、それをどう考えるのか、それとどう向き合っていくべきかという問題提起が、この接頭辞には含まれている。》(鵜飼哲『〈複数文化〉のために』 )


◆ポストコロニアリズム 犬飼太介より www.diced.jp/~genbun/event/pdf/1999kouen_inukai.pdf

アメリカ大陸という女性 コロンブスは自身の航海誌において土着の民は<女も、母親が産んだ時と同じ状態の裸で歩いております>という一文を記録している。この<部分的記述>が帝国主義イデオロギーによって<全体の物語に仕立て上げ>られてしまった。<イデオロギーは部分を、当然の「常識」や「自然」として、ときには「現実それ自体」として表現することによって、これを成し遂げる>。 ここにおいて新大陸アメリカは往々にして男性侵略を待ち受ける裸の女として表象され、「処女地」という単一像がヨーロッパのために産出される。 そして裸のアメリカは着衣し武装したヨーロッパにレイプされる。

鵜飼哲は、「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」について《誰が、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉》としているが、たとえば、強姦した主体が言う場合と、強姦された主体が言う場合があるだろう。前者は場合によっては、「吐き捨てるように」言うことがあるかもしれない。強姦した主体が「真に」反省して発話すれば、それはたちまち無限責任の領域の話になってくる。

逆に強姦された主体は、「従軍慰安婦」としての〈私〉の現在のあり様を、植民地主義という強姦によって生れた子どもという言い方をすることがあるのかもしれない。とすれば世界中に、たとえば上にあるようにアメリカ先住民の現在の土地返還の訴えも、この「強姦によって生れた子ども」の文脈で語ることができる。だがアクセントによって、誰がいうかによって、ひとをひどく傷つける言葉であることを念頭に置かなければならない。そのことの微妙さをも鵜飼氏は語っているのだろう。

「従軍慰安婦」問題は日本国家の問題ではあるが、それが日本国家だけの問題ではない、という認識は、世界的に共有されつつある。それはまさしく近代国民国家の「性の政治」の最もおぞましい極限態であり、女性を分断しつつ暴力的に支配、搾取してきた近代国民国家の男根主義の象徴なのである。

それはまた、近代国民国家の植民地主義、人種間闘争、自民族中心主義、民族浄化政策の無惨な帰結である。これらは欧米中心的世界システムの中で、巧妙に隠蔽されてきたし、支配体制側の歴史からは抹殺されていた。こうした近代国家の恥部を白日の下に晒したのが、ナチスドイツであり、日本国家である。(大越愛子「「従軍慰安婦」問題のポリティクス」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

…………

冒頭のような告発、すなわち欲しても取り返しようのない不可能な願いをしてもよいのか、という疑義はあるかもしれない。また過去の同じような不幸があっても、そのように語らない人もいるだろう。心的外傷という側面を除いて言っても、あのように発話した当時、当人は「不幸」だったのではないかとも憶測される。

(一般に)過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』所収)

遡及的な外傷という言い方もある。《自分の象徴的世界の行き詰まりを打開するために、遡及的に外傷化され、外傷的な<現実界>にまで引き上げられた。》(ジジェク

だがこのようなことは、面と向かっては言い難い。また当事者の実践的態度のあるべき姿というのは、理想的にはニーチェの『運命愛」なのかもしれないが、これも、そうあれ! とは要請し難い。

「然り」〔Ja〕への私の新しい道。--私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(中略)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」--これが私には本来の価値尺度となった。(中略)この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまでーー(中略)このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。(『権力への意志』原佑訳)
ニーチェは『道徳の系譜学』や『善悪の彼岸』において、道徳を弱者のルサンチマンとして批判した。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはならない。実際には、学者として失敗し梅毒で苦しんだ二ーチェこそ、端的に「弱者」そのものなのだから。

彼が言う運命愛とは、そのような人生を、他人や所与のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり、超人である。が、それは別に特別な人間を意味しない。運命愛とは、カントでいえば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由な(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるということにほかならない。それは実践的な態度である。

ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。ニーチェの「力への意志」は、因果的決定を括弧に入れることにおいてある。

しかし、彼が忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである。彼は弱者のルサンチマンを攻撃したが、それを必然的に生みだす現実的な諸関係が存することを見ようとはしなかった。すなわち、「個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである」という観点を無視したのである。(『トランスクリティーク』第一部第3章 P187 岩波書店)

もし「強姦された者」がこのような実践的な自由な主体であったにしろ、柄谷行人がこの文の最後にいうように、少なくとも「強姦した者」にとっては、括弧に入られた因果的決定の括弧を外してみなければならない。やはりその当時の社会的諸関係を見なければならないし、その社会的諸関係が現在も続くならなおさらである。

人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛である。何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、未来に対しても、過去に対しても、永遠全体にわたってけっして。必然的なことを耐え忍ぶだけではない、それを隠蔽もしないのだ、--あらゆる理想主義は、必然的なことを隠し立てしている虚偽だーー、それではなく必然的なことを愛すること……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

柄谷行人の言葉を繰り返せば、運命愛は運命論的態度とは異なる、ニーチェのこの概念を受け止めるとき、それが最も肝要な点だろう、--《ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。》