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2014年10月2日木曜日

彼らの家に土足で上がりこんだ日本人

……エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。(……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P117-118)

<対象a>それ自体はごくありふれた日常的なものだ、だが些細な出来事で突然、一種のスクリーンとして、つまり主体が自分の欲望を支えている幻想を投射できるような空間として機能しはじめる。ーー《幻想とは不可能な視線のことである。幻想の「対象」は、幻想の光景そのもの、つまりその内容ではなく、それを目撃している不可能な視線である。》(ラカン)

異国に長年住んでいると、この感覚はよくわかる。いくら言語に習熟しても(いや習熟すればするほど)、彼らはわたくしの些細な発音やアクセントを〈対象a〉化する。わたくしの挨拶の仕方、笑い方、箸の持ち方などを眺めることにより、わたくしを魔法のようにエイリアンに変身させる。いわゆる「在日」の方々も、このような「人種差別」に遭ってきたのは疑いようがない。


最も基本的な幻想とは何か。幻想の存在論的逆説(スキャンダルといってもいい)は、それが「主観的」と「客観的」という標準的な対立を転倒するという事実である。もちろん幻想はその定義からして客観的(何かが主体の近くからは独立して存在する)ではありえない。しかし、主観的(主体の意識的・経験論的直観に属している何か、彼あるいは彼女の想像の産物)でもない。むしろ幻想が属しているのは「客観的主観性という奇妙なカテゴリー」である。「自分には事物がそのように見えているとは思われないのに、客観的にはそのように見えてしまう」(ダニエル・デネット)のである。たとえば、われわれがこう言ったとするーーあの人は、意識的にはユダヤ人に対して好意を抱いているが、自分では気づかずに心の奥底には反ユダヤ的な偏見を抱いている、と。このときわれわれは、(彼の偏見は、ユダヤ人が実際にどうであるかではなく、ユダヤ人が彼にどう見えるかを反映しているのだから)、彼がユダヤ人が実際に彼にどう見えているかに気づいていないと主張しているのではないか。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P93-94)

日本のマジョリティが、意識的には「在日」に対して好意を抱いているが、自分では気づかずに心の奥底には反「在日」的な偏見を抱いているのかどうかは知るところではない。だが、「在日」が、マジョリティによって、〈対象a〉化されている場合があるだろうことは間違いない。

そして次のようにも言い得るのだ、--差別は、まわりじゅうに差別(=些細な差異)を見出す眼差しそのものの中にある、と。

「悪は、まわりじゅうに悪を見出す眼差しそのものの中にある」というヘーゲルの言明を言い換えるならば、<他者>に対する不寛容は、不寛容で侵入的な<他者>をまわりじゅうに見出す眼差しの中にある。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

…………

すこし前、町山智浩氏のツイートをめぐっていささか失礼なことを書いてしまったが、彼らはことのほか「差別」に敏感なのだ。すなわち「差別」はトラウマ化されている。

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion
まあそういわず、潰しましょうよ。RT @TomoMachi 差別や独裁、ファシズムへの反対デモで「潰せ」という表現を使うのがおかしいのは、「潰す」は力や数で少数派や弱者を圧殺するファシズムや差別の考え方だからです。「潰す」という行為を肯定した途端に自らがファシズムに陥ります…

町山智浩‏@TomoMachi
韓国系である出自を明らかにして差別に対して発言して攻撃や脅迫の矢面に立ってきた自分ですが、日本人のサポーターのやり方が韓国系に対する反感を拡げないように慎重にして欲しいだけです。@soulflowerunion

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion @TomoMachi 了解しました。町山さん、是非一度、若者達のデモやカウンターの現場、取材して下さい。また新たな感慨も抱かれると思います。ちなみに、俺はずっと町山さんの本、読ませていただいてます。町山ファン 笑

町山智浩‏@TomoMachi
@soulflowerunion 僕は高校まで韓国名でしたので差別は身をもって体験していますし、文章や放送を通して訴えるのが自分の役割だと思っているのですが作品をクリエイトしている中川さんがそうおっしゃるなら一度お邪魔したいと思います。

在日の方々の多くは、ヘイトスピーチなどの排外運動の猖獗で、過去のいじめられ体験(差別体験)がふつふつと蘇っているに相違ない。彼らの一部にときにあると窺われないでもない「過剰反応」も斟酌しなければならないのではないだろうか。

いじめる側の子どもにかんする研究は少ない。彼らが研究に登場するのは、家族の中で暴力を振るわれている場合である。あるいは発言したくても発言権がなくて、無力感にさいなまれている場合である。たとえば、どれだけ多くの子どもが家庭にあって、父母あるいは嫁姑の確執に対して一言いいたくて、しかしいえなくて身悶えする思いでいることか。

そういう子どもが皆いじめ側になるわけではない。いじめられる側にまわることが多く、その結果、神経症になるほうが多いだろう。最近、入院患者の病歴をとっていると、うんざりするほどいじめられ体験が多い。また、何らかの形でいじめを克服して、それが職業選択を左右しているかもしれない。もう二十年前になるが、私が精神科医仲間にそれとなく聞いてまわったところでは(私も含めてーー私は堂々たるいじめられっ子である)圧倒的にいじめられっ子出身が多かったが、一人の精神科医はいじめ側であったといい、何人も登校拒否児を作ったから罪のつぐないに子どもを診ているのだと語った。

しかし、いじめ方を教える塾があるわけではない。いじめ側の手口を観察していると、家庭でのいじめ、たとえば配偶者同士、嫁姑、親と年長のきょうだいのいじめ、いじめあいから学んだものが実に多い。方法だけでなく、脅かす表情や殺し文句もである。そして言うを憚ることだが、一部教師の態度からも学んでいる。一部の家庭と学校とは懇切丁寧にいじめを教える学校である。(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』PP.4-5)
たまたま、私は阪神・淡路大震災後、心的外傷後ストレス障害を勉強する過程で、私の小学生時代のいじめられ体験がふつふつと蘇るのを覚えた。それは六十二歳の私の中でほとんど風化していなかった。(同 P20)


以下は別の方の発言だが、ツイート者の名を掲げないで引用する。

そりゃ、そうだろうよ。そもそも日本人で、「チョン」だの「キムチ臭い」だのと、さんざん蔑まれて育った経験のないヤツが、いくら「差別反対」を叫んだところで、空虚な空文句でしかない。気持ちが全然入っていないから、誰の心も感動させられない。

――と、「在日」の方がツイートされて、「カウンター」のひとたちに批判され、ツイートを削除している(と思う)。おそらく言い過ぎや失言に近い言葉と本人は感じたのかもしれないし、反差別運動をしている日本人の「カウンター」のひとびとのなかには、ひどく不快を感じるひとがいるだろうことは十分に憶測できる。

だが今はこの発話をうんぬんするつもりはない。「チョン」だの「キムチ臭い」だのと似たようなことを、わたくしもやってきたな、とあらためて回顧するだけだ。

小学生の入学前後、母の病気で母方の祖父の家の裏庭に引っ越した。三十米ほどさきに奇妙な路地があった。そこだけ舗装されておらず、道の一方は背の高いコンクリート塀が続く。他方の側に十軒前後だろう、小さな薄暗い家があった。その路地は、これも三十米ほどの長さだっただろう、拳大よりも大きく尖った石が、埃っぽいでこぼこ道からいくつも顔を出していたり、軒には唐辛子が吊るしてあったり、玄関脇に大きな壺が置かれてあったりした。小学一、二年と五、六年に、その路地にある家の子と同じクラスになった。一、二年のころは彼が「在日」であるかどうかにまったく頓着していなかったはずだが、彼の家に遊びに一度行った後、母から「あそこは、ちょっと違ったひとが住んでいるところだから……」云々のような言葉で、遊びに行くのを止められた。家に友達を招く機会にも、彼とは学校ではそれなりに親しくしていて、また一番近い住まいの友だったのに、彼が遊びに来た記憶はない。

小学生のときの記憶はこれだけだが、中学二年生になってまた同じクラスになった。そのとき「チョン」に近い言葉を使ったり、彼を敬遠するような振舞いがあったに相違ない(ようやく今になってそう思う)。

もう一つの日本における「在日」の方との交わり、たぶん気づかずにそれまでも接してきたことはあるのだろうが、意識的な交際をしたのは、京都に住むようになってからで、同じマンションで、コンピューターソフトの会社を経営しているひどく美しい夫妻と顔見知りになった。互いの娘がこれも同じマンションのピアノ教師に学んでおり、ピアノ教師が自らのピアノの演奏を聞かせる催しのため自宅に招いた折、何度か食事を一緒にしたり、子どものピアノ発表会の帰りにカフェで一緒になったり。ただそれだけの関係であり、とても遠慮深い上品な夫妻だったが、互いを訪問しあうまでには至らなかった。

インドシナにあるいまの国に住むようになってからは、多くの韓国の方と知合いになっている。主にテニスを一緒にする。いまの住まいの土地には、大きな韓国籍の繊維工場や製靴工場がいくつかあり(主に著名なブランド製品委託生産して米国へ輸出しており、二級品をすこぶる安い価格で手に入れることができる)、多くの知友はそこの従業員たちである。それなりの数の韓国人が居住しているため、この都心から三十キロほど離れた郊外の土地には、日本食堂はないが、韓国料理屋は何軒かある。どの店も韓国出身の女主人であり、そのうちの馴染みの客になった一軒の女将さんは、ひどく「情が濃い」。それほど年齢はかわらないはずだが、なんだか彼女の息子のようにかわいがってもらっている気分になる。ただし片言の英語での意思疎通ではある。そこでテニス仲間の韓国人とともに食事をする、酒を飲む。別に小さな韓国製食料品店もあり、電話一本で食材を配達してくれる(この主人は名古屋生まれであり、さて尾張や三河の伝統的商売法を受けついでいるのかーー、とまで訊いたことはない)。

もっとも当地では最近韓国人は評判を落としている。その大きな理由のひとつは、業者による「売買婚」のせいだ(それ以外に、妻は韓国人はアツイからねえ、と口を濁すが、これは昔からのことであり、逆に日本人はヌルスギルとも言いうるものだ、実際彼らとテニスをすると、そのアツサはよくわかる)。売買婚は、かつて日本がタイやフィリピンの女性と大量に結婚したやり方と同様のふるまいなのかどうかはわたくしは詳しくはない。




なにはともあれ、この現象に、日本人として過剰に苛立つことはできがたい。それはわれわれの〈加害者的側面を一時忘れさせ》ることになってしまうだろうから。

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)


さて話をもとに戻せば、韓国人の知友から、日本の嫌韓風潮の話題が出ることはない。だがわたくしには、彼らと歓談しているおり、ときにうしろめたい気分でいっぱいになることがある。それに「かつて彼らの家に土足で上がりこんだ」日本人だという心持をもってしまうことがある。もっとも、ここで「無限責任」などということを言い出すつもりはない。

だが「在日」の問題は、「強姦によって生れた子ども」という側面は忘れるわけにはいかない。

ガヤトリ・スピヴァックは「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」という言い方をしています。強姦自体はどんなことがあっても正当化されない。しかし、子どもができてしまった場合は、その子どもを排除してはならないという意味です。この言葉自体を、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉だと思います。スピヴァックは直接にはインドの言語状況における英語のプレゼンスについて語っているのですが、これが現実の植民地状況で、今なお起きている事態であり、単なるメタファーとして言っているのではないでしょう。(鵜飼哲 共同討議「ポストコロニアルの思想とは何か」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

またもし恥じるべきことがあるならば、日本の《戦争と戦争犯罪を生み出した…社会的、文化的条件の一部は存続している》かどうかだ。

生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。(「加藤周一 戦後を語る」かもがわ出版  (Ⅴ 戦後世代の戦争責任・・・今日も残る戦争責任)

だがここでは、《なんだろねこの一種独特の「ぬるさ」は》が、《戦争と戦争犯罪を生み出した…社会的、文化的条件の一部》かどうかは問わないでおこう。それが「空気」を読みながら行動する曖昧模糊として春のような気質のことであるならば、そんな気質は容易に変え難く、これまた「無限責任」の話に近づいてしまのだから。


わが国が歴史時代に踏入った時期は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかったためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようです。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文 化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』)
日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』ーー「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ

ーーというわけで、われわれにまず第一に何が必要なのだろうか。われわれも、ある次元では「マイノリティ」であることに気づくことではないか。もっともそれが日本という「ムラ社会」ではことさら難しいのだろうが。

浅田彰) 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。(マジョリティの「選択的非注意」

たとえば反ファシズムを声高に言い募る「正義」の集団はーーここで文脈上、来るべきマジョリティと呼んでおこう、ーー実は「権力欲」を発露させているのでは、との疑いはときにあってもよい(参照:ネオナチ完全無視のすずしい顔の手合い)。

われわれは、権力志向という「人間性」が変わることを前提とすべきでなく、また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきではない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

「カウンター」のひとびとは、たとえば「在特会」の連中を、《より下位のもの》、《「自分より下」の者》としがちなことは明らかなのだから。

差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがない。差別された者、抑圧されている者が差別者になる機微の一つでもある。(……)

些細な特徴や癖からはじまって、いわれのない穢れや美醜や何ということはない行動や一寸した癖が問題になる。これは周囲の差別意識に訴える力がある。何の意味であっても「自分より下」の者がいることはリーダーになりたくてなれない人間の権力への飢餓感を多少軽くする。(中井久夫「いじめの政治学」)

もっともこういった側面もあるというだけであり、この側面に心を配りつつも、わたくし自身はいまの「カウンター」運動をかなり熱心にーー海外住まいの「無行動」派であり、いささか「偽善」の様相を呈していないでもないがーー応援していることは念押ししておこう。



※附記

人種差別の標準的な分析では、人種差別主義者たちは誤った教育を受けたか、無学で、犠牲者たちについて無知であることになっている。人種差別主義者が犠牲者となる人種を客観的に見て、彼らをよく知りさえすれば、偏見もなくなるだろう、とこの理論は続ける。たとえば、もしドイツの人種差別主義者が、トルコ移民がいかにドイツに貢献しているかを理解したら。フランスの人種差別主義者が、アルジェリアの共同体がフランスの名のもとにいかに文化的に重要な貢献を果たしてきたかを知りさえしたら。あるいは、イギリスの人種差別主義者が、第二、第三世代のインド人たちが英国の健全な発展にいかに貢献してきたかを理解することができさえしたら。しかしジジェクによれば、たとえ人種差別主義者たちがそういうことを理解したとしても、それでもなお彼らは人種差別主義者のままだろう。なぜだろうか?

答えは、人種差別を受ける主体は、個々の人間からなる客観的な集団ではなく、幻想上の人物像だからである。たとえば1930年代に、アーリア人種をひそかに陥れようとする国際的な陰謀があってその中心はユダヤ人である、などという考えはばかげている、という合理的な議論をしても、ナチスが説得されることはなかっただろう。ジジェクによると、ユダヤ人はそんなことはしていないと証明する経験的な証拠を、ナチスに示すことはできない。彼らは……現実に対する客観的な見かたを云々していたわけではないからだ。むしろ彼らは、ユダヤ人を幻想の枠組みで見ていた。そのため、彼らはそうした幻想の枠組みと、現実はどのようなものかという視点を対比することができなかった。幻想の枠組みの肝心な点は、なによりもまずそれがあなたの現実を構成していることだからだ。だからジジェクの推測では、もしあなたがナチで、真に友好的で「善良な」ユダヤ人が隣に住んでいても、あなたは自分の反ユダヤ主義とこの隣人とのあいだに、いかなる矛盾も経験しないだろう。むしろ、隣人が表面上はきちんと見えることこそ、ユダヤ人の危険を示す最高の証拠である、と結論を下すだろう。あなたは幻想の窓を通じてものを見ているので、反ユダヤ主義と一見矛盾するように見える事実こそが、まさに反ユダヤ主義を支える議論となりうるのである。(トニー・マイヤーズ『スラヴォイ・ジジェク』ーー幻想の横断

…………

というわけで、この記事自体、いかがわしい臭いをぷんぷんさせているのは、わかってるさ。

……イカガワシサときみがいい、H氏やK氏の僕への言葉だともいうんだが、きみ自身として当の言葉をよく考えてのことだろうか? そのように僕は内心の思いを展開させていたのだ。鋏でよく髯を刈りこんでいるが、それゆえにかえって薄汚れた風情の、若い同胞よ。初対面の会話できみが軽く使う、その言葉を、僕は相当の心づもりに立たずには使ったことがない。いったいきみはどういう対決の理由があって、この旅先まで僕を訪ねて来ているのか? それをまず聞くことができれば、話は早手まわしとなるはずだが。きみがイカガワシサという言葉について、それを発したとたんに始まる厄介な闘いへの、心準備なしにしゃべりたてる人物なら、僕として真面目に答える必要もないわけだ……(大江健三郎「見せるだけの拷問」)

ここにある《H氏やK氏》というのは、小説のなかの記述とはいえ、もちろん蓮實重彦と柄谷行人のことだからな。もっともらしいことを書いたらイカガワシイのさ。

大江健三郎だけではなく、蓮實重彦や柄谷行人だって、自らのイカガワシサを自覚しているはずだよ

《たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。》(柄谷行人ーーマッチョイメージとしての「革命家」

途中、「火病」、「ファビョる」などという語彙群を口にするのを思い留まるのに苦労したな。

その国の友なる詩人は私に告げた。この列島の文化は曖昧模糊として春のようであり、かの半島の文化はまさにものの輪郭すべてがくっきりとさだかな、凛冽たる秋“カウル”であると。その空は、秋に冴え返って深く青く凛として透明であるという。きみは春風駘蕩たるこの列島の春のふんいきの中に、まさしくかの半島の秋の凛冽たる気を包んでいた。少年の俤を残すきみの軽やかさの中には堅固な意志と非妥協的な誠実があった。(「安克昌先生を悼む」『時のしずく』所収

すなわち、「堅固な意志と非妥協的な誠実 」と「ファビョる」との相関関係を。

……右のほか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。(福沢諭吉『学問のすすめ』)

次の元高級官僚のオッチャン、ときにとんでもないツイートするんだが、これは事実を記述している。

林雄介 @yukehaya

ファビョるはアメリカ精神科協会が公的に韓国人特有の精神疾患と認定している。精神疾患の国際的なガイドラインであるDSMに、火病という韓国人特有の精神疾患として分類されている。精神疾患の判断は国際的にDSMを使うから、国際基準でファビョるは民族的な精神疾患と断定されている。

もっともテニスのダブルスでペアを組んで、こちらが気の抜けたミスを怒髪天を突く表情で睨む彼らを「ファビョる」など言ってはいけないらしい。

おそらく「火病 Hwa-Byung」研究の第一人者のひとりであるだろうSung Kil Min氏によれば、「火病」は、朝鮮民族の主人のシニフィアンの一つ“恨(ハン)”概念にかかわるということ。

◆”Clinical Correlates of Hwa-Byung and a Proposal for a New Anger Disorder”( Sung Kil Min)

Collective haan and Korean culture Many scholars consider haan as a unique Korean sentiment beyond its literal meaning, and it is a key word to understand Koreans or Korean culture. Haan has been thought of as Koreans' traditional, cultural and collective emotional state of suppressed and accumulated anger or uk-wool. Koreans have endured repeated suffering from both domestic and international injustice and unfair violence throughout their nation's history. Ordinary people, farmers, servants or other people of the lower class were suppressed by bureaucrats or the literate upper class, called yang-ban. Women were suppressed by men. But haan has been the source of energy for the creativity of ordinary people including for example, the ceramic art that has been made by unknown masters, or for making revolution against political suppression including, for example, a farmers' military rebellion against the local government in the 19th century, which is called Donghak-ran. The typical collective Korean experiences with haan in modern history include the inherited poverty for thousands of years, Japanese colonization, the Korean War and division of the country, suppression by military dictators and the recent economic polarization. But haan has been also thought to provide energy to Koreans for economic development (haan-puri of poverty) and democratization (haan-puri of political suppression) during the so-called "condensed history" of Korea. The haan of women has been solved by women's liberation.52,56 Accordingly, Korean history is referred to as a history of haan and Korean culture as a culture of haan (In this paper, haan will not be translated and it will be used as it is.).

この記述は、朝鮮半島のトラウマの歴史による“恨(ハン)”とも読めるものだ。

もちろん日本民族にも「甘え」、「意地」やら、最近では「ヤンキー」などの奇妙な概念があることを忘れてはならない。

※参照:「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ