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2013年10月1日火曜日

「おっかさんと蛍」(小林秀雄)

資料をまとめるといっておいて、投稿していないのだけれど、とりあえずいくつかの抜粋のみ。

未定稿としておこう(小林秀雄批判をもっとも厳しくしたのは高橋悠治なのだが、悠治を読んでいて関心が別のところにいってしまった)。

…………

以下、「戀戀風塵と童年往事(侯孝賢)」に関連していくつかの資料を並べる(あるいは、「小林秀雄の勾玉の話」、ロラン・バルトの「ベルト付きの靴と首飾り」にかかわる)。


とくに次の文、これは古谷利裕氏がかなり前に書いたものなのだけれど(岡崎乾二郎などに依拠しつつ)、ひとが芸術についてあれやこれや語っているのを垣間見るとき、いつもこの文のことを思う。

ようするに、何かを感じてしまったとき、どうしてひとに語りたくなるのだろう、という問い。


◆《ある作品を観てそこから決定的な「何か」を感じてしまったとする。その時に感じられた「何か」を、その作品の物理的な組成や仕掛けられた仕組み(構造)に還元し切る事は出来ないだろう。だからその時感じた「何か」が恣意的な気まぐれではないということ、つまり外的な状態と関係なく「私」の頭が勝手につくりだした幻影ではなく、幻影ではあっても、その作品に由来するものであることを証明することは難しい。

ではなぜ、作品から感じられた「何か」が、恣意的な気まぐれではなく作品に由来するということが証明されなければならないのか。それは何も、作品というものを擁護するためではない。もしそれが示さないならば、「私」の感覚が、「私」の外側にある客観的な世界とどのように繋がっているのか分からなくなってしまうからだ。》

◆《ある作品から「何か」を感じたとしても、その「何か」を直接他者に示すことは出来ない。それどころか、その「何か」という感覚を自分自身でもう一度再現出来るかどうかも分からない。》

◆《「他人が見ている青と自分が見ている青が同じかどうか確かめられない」どころか、「自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめられない」という条件を我々の感覚はもっている》(岡崎乾二郎『ルネサンス・経験の条件』「あとがき」)


まあいずれにせよ、空腹のときの「赤」と満腹のときの「赤」は違う。気分のいいときの「赤」と悪いときの「赤」は違う。

自分の青や赤さえこうなのだから、他人の青と自分の青はちがう。たとえば他人と同じ「作品」を愛していた、とする。同好者として、ひとはウレシクなることがあるかもしれない。しかし、互いに微笑み交わし頷きあったりなどしていると、自分だけの固有の印象、経験の質が絶たれてしまうことになりかねない。

人が芸術的なよろこびを求めるのは、芸術的なよろこびがあたえる印象のためであるのに、われわれは芸術的なよろこびのなかに身を置くときでも、まさしくその印象自体を、言葉に言いあらわしえないものとして、早急に放置しようとする。また、その印象自体の快感をそんなに深く知らなくてもただなんとなく快感を感じさせてくれものとか、会ってともに語ることが可能な他の愛好者たちにぜひこの快感をつたえたいと思わせてくれるものとかに、むすびつこうとする。それというのも、われわれはどうしても他の愛好者たちと自分との双方にとっておなじ一つの事柄を話題にしようとするからで、そのために自分だけに固有の印象の個人的な根源が断たれてしまうのである。(プルースト『見出されたとき』)

ちょっと例としてはふさわしくないかもしれないけれど、日本に住んでいたときには、それなりに聴いていたドイツロマン派の音楽を、この亜熱帯の国に住むようになって、めっきり聴かなくなった(ブラームス、ワーグナーなど)ということはある。なぜかシューマンやシューベルトはいける。

あるいは、もともとリルケやトーマス・マンなどを好んでいたのに、いまではフランス以南の文学を好むなどということがある。これも同じ北方でもイギリス文学だったらいける。



【諸君の朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないか?】

諸君は自分が何を望んでいるか実際に知っているか? ――自分たちは真であるものを認識するには全く役に立たないかもしれない。この不安が諸君を苦しめたことはないか? 自分たちの感覚はあまりにも鈍く、自分たちは敏感に見ることさえやはりあまりにも粗っぽすぎるという不安が? 自分たちが見ることの背後に昨日は他人よりも一層多くを見ようとしたり、今日は他人とは違ったように見ようとしたり、あるいは諸君がはじめから、人々が以前に見つけたと誤認したものとの一致あるいは反対を見出そうと渇望していることに、気づくとすれば! おお、恥辱に値する欲望! 諸君はまさに疲れているためにーーしばしば効果の強いものを、しばしば鎮静させるものを探すことに、気づくとすれば! 真理とは、諸君が、ほかならぬ諸君がそれを受け入れるような性質のものでなければならないという、完全で秘密な宿命がいつもある! あるいは諸君は、諸君が冬の明るい朝のように凍って乾き、心に掛かる何ものも持っていない今日は、一層よい目を持っていると考えるのか? 熱と熱狂とが、思考の産物に正しさを調えてやるのに必要ではないか? ――そしてこれこそ見るということである! あたかも諸君は、人間との交際とは異なった交際を、一般に思考の産物とすることができるかのようである! この交際の中には、等しい道徳や、等しい尊敬や、等しい底意や、等しい弛緩や、等しい恐怖感やーー諸君の愛すべき自我と憎むべき自我との全体がある! 諸君の肉体的な疲労は、諸事物にくすんだ色を与える。諸君の病熱は、それらを怪物にする! 諸君の朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないか? 諸君はあらゆる認識の洞窟の中で、諸君自身の幽霊を、諸君に対して真理が変装した蜘蛛の巣として再発見することをおそれてはいないか? 諸君がそのように無思慮に共演したいと思うのは、恐ろしい喜劇ではないのか? ――(ニーチェ『曙光』539番)



…………

さて、以下資料。


【おっかさんと蛍】


終戦の翌年、母が死んだ。母の死は、非常に私の心にこたえた。それに比べると、戦争という大事件は、言わば、私の肉体を右往左往させただけで、私の精神を少しも動かさなかった様に思う。日支事変の頃、従軍記者として私の心はかなり動揺していたが、戦争が進むにつれて、私の心は頑固に戦争から眼を転じて了った。私は「西行」や「実朝」を書いていた。戦後、初めて発表した「モオツァルト」も、戦争中、南京で書き出したものである。それを本にした時、「母上の霊に捧ぐ」と書いたのも、極く自然な真面目な気持からであった。私は、自分の悲しみだけを大事にしていたから、戦後のジャーナリズムの中心問題には、何の関心も持たなかった。

母が死んだ数日後の或る日、妙な体験をした。仏に上げる蝋燭を切らしたのに気付き、買いに出かけた。私の家は、扇ヶ谷の奥にあって、家の前の道に添うて小川が流れていた。もう夕暮であった。門を出ると、行手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。この辺りには、毎年蛍をよく見掛けるのだが、その年は初めて見る蛍だった。今まで見た事もないような大ぶりのもので、見事に光っていた。おっかさんは、今は蛍になっている、と私はふと思った。蛍の飛ぶ後を歩きながら、私は、もうその考えから逃れる事が出来なかった。

ところで、無論、読者は、私の感傷を一笑に付する事が出来るのだが、そんな事なら、私自身にも出来る事なのである。だが、困った事がある。実を言えば、私は事実を少しも正確には書いていないのである。私は、その時、これは今年初めて見る蛍だとか、普通とは異って実によく光るとか、そんな事を少しも考えはしなかった。私は、後になって、幾度か反省してみたが、その時の私には、反省的な心の動きは少しもなかった。おっかさんが蛍になったとさえ考えはしなかった。何も彼も当り前であった。従って、当り前だった事を当り前に正直に書けば、門を出ると、おっかさんという蛍が飛んでいた、と書く事になる。つまり、童話を書く事になる。

以上が私の童話だが、この童話は、ありのままの事実に基いていて、曲筆はないのである。妙な気持になったのは後の事だ。妙な気持は、事実の徒らな反省によって生じたのであって、事実の直接か経験から発したのではない。では、今、この出来事をどう解釈しているかと聞かれれば、てんで解釈なぞしていないと答えるより仕方がない。という事は、一応の応答を、私は用意しているという事になるかも知れない。寝ぼけないでよく観察してみ給え。童話が日常の実生活に直結しているのは、人生の常態ではないか。何も彼もが、よくよく考えれば不思議なのに、何かを特別に不思議がる理由はないであろう。(小林秀雄「感想」)

【主人とハツカネズミ】

 われわれが、ある一定の条件のもとにある主体に呼びかけるとき、同一化という事実、一種の誤認現象は様々な報告、証言によると限りなくあるということは常に知られてきたことであるし、われわれも確認できることである。

問題なのはどうしてこれらのことが人間存在に起こるのかということである。私の犬とは違って人間存在は、ある動物が出てくるとき、自分の失った人、家族とか、首長あるいは部族のほかの重要人物とかの姿をそこに認めるのである。あの野牛、それは彼だ、というわけである。

もうひとつの例をあげてみよう。ケルトのある農家の使用人の話しからきた民話がある。そこの主人、領主が死んだとき、一匹のハツカネズミが現れ、彼はそれについていった。小さなハツカネズミは領地を一回りして戻って来、農具のある納屋に入り、鋤、鍬、シャベルなどの農具の上を動き回り、それから消えてしまった。ハツカネズミが何を意味するかもうわかっていた使用人はこの後、主人の亡霊が現れるのを見て確信を得るのであった。この亡霊は次のように告げる。「私はあの小さなハツカネズミだった。別れを告げるために領地を一周したのだ。農具を見なければならなかったのは、それが他の何にもまして愛着を感じていた大切なものだからだ。一回りしてやっと開放されることができた。等々」

(……)

同一化の現象を自然なものと考えるために民話に参照することによって、たとえ民話という限界を取り去ってしまうにせよ、私が多少とも満足できると考えることは、私の期待にはそぐわないものである。なぜなら、このことを経験の根底にあるものとして認めたとしても、われわれはそれ以上のことはまったく分からないのである。というのも皆さんにとって、例外を除けば、このようなことは起こり得ないからである。もちろん今でも人里離れた田舎でこういうことが起こることはありえる。しかし、皆さんにはこのようなことは起こり得ないことは明らかである。それゆえこの問題はこれ以上追及できないのである。それが皆さんには起こり得ないという以上、何も理解できないわけであるが、何も理解できないからといって、この出来事に関して冒頭に、レヴィ・ブリュールに倣って「神秘的参入」とか「前論理的思考」とかいう題目をつけるだけで十分だとは考えてはならない。われわれにとって重要なのはこの同一化と呼ばれる可能性の関係を、言語においてそして言語によってのみ存在するもの、つまり真理がそこから出てくるという意味において把握することである。先ほどの農場の召使いにとってはわかっていない同一化がその真理の中にあるのだ。「AはAである」の上に真理を置くわれわれにとってそれは同じことである。(ラカン『同一化セミネール』向井雅明訳)要約:セミネール9巻「同一化」第I講〜第X講

【蛍と勾玉】

●ある作品を観てそこから決定的な「何か」を感じてしまったとする。その時に感じられた「何か」を、その作品の物理的な組成や仕掛けられた仕組み(構造)に還元し切る事は出来ないだろう。だからその時感じた「何か」が恣意的な気まぐれではないということ、つまり外的な状態と関係なく「私」の頭が勝手につくりだした幻影ではなく、幻影ではあっても、その作品に由来するものであることを証明することは難しい。

ではなぜ、作品から感じられた「何か」が、恣意的な気まぐれではなく作品に由来するということが証明されなければならないのか。それは何も、作品というものを擁護するためではない。もしそれが示さないならば、「私」の感覚が、「私」の外側にある客観的な世界とどのように繋がっているのか分からなくなってしまうからだ。

私の感じる「何か」がたんに私の内部に由来するのではなく、外側にある世界に対応するものだということを示すのは実は簡単なのかもしれない。それは私が私の生命を維持することが出来ているという事実によって証明される。私は私の感覚によって生命を維持するのに必要な行動をし、危険を察知してそれを避ける。もし私の感じる「何か」が恣意的なものに過ぎなかったとしたら、私は生きていることが出来なくなってしまう。

しかし、私は決して私がそのような動物的な感覚だけで生きているわけではないことを知っている。

例えば、「絵に描いた餅」を、それが絵で食べられないことを知っていたとしても、よだれが分泌されてしまったりする。その時、それが絵であって食べられないと知っていることと、にも関わらずよだれが出てしまうこと(ある「何か」を感覚してしまうこと)とは分裂している。作品を観てそこから「何か」を感じ否応なく心が動かされてしまうとき、まさにこのような分裂が生じている。作品そのものと、そこから得られる感覚=経験は別のものであるのだが、しかしその感覚=経験は作品に由来する、というように。


●このような事態について、「文學界」2002年6月号に掲載された座談会『小林秀雄の「恥ずかしかった」』(福田和也、山城むつみ、岡崎乾二郎)は興味深い考察を示している。

ある作品から「何か」を感じたとしても、その「何か」を直接他者に示すことは出来ない。それどころか、その「何か」という感覚を自分自身でもう一度再現出来るかどうかも分からない。もう一度同じ作品の前に立てば再び「何か」を感じることは出来るだろうが、その「何か」が前の「何か」と同じなのか違うのかを比較することは出来ない。しかし、にもかかわらず、ある作品から「何か」を感じ取ってしまったという事実は動かせないものとして残る。

『感想』の冒頭で小林秀雄は、蛍を見てそれを「おっかさん」だと感じたという話を書いている。これはとても複雑な事柄だ。玄関の前に死んだはずのおっかさんが立っていて、よく見るとそれは蛍だった(あるいはいつの間にか蛍に変わっていた)というわけでもないし、おっかさんが蛍の姿であらわれたという事でもない。はじめからそれは蛍として知覚されているにも関わらず、しかし同時におっかさん(という感覚)でもあるのだ。

それは、絵に描いた餅が絵であることを知っているのに、よだれが垂れてしまうのと同様に、蛍であるのにおっかさんという感覚を生み出すのだ。蛍という知覚と、おっかさんという感覚は別のものなのだが、その時に感じられたおっかさんという感覚は目の前の蛍に由来するとしか思えない、という経験。このような経験を他者に対して示そうとするとき、どうしてもそれを物語として組み立てるしかなくなる。しかしその物語は、母親を失った男性の心情を表現するものとして読まれたり、あるいは霊魂が存在することを信じるという話に置き換えられたりしてしまうだろう。(だから小林秀雄は、そのような物語を書きながら、これはそういうことではない、こういうことでもない、ただこれだけのことだ、と否定を積み重ねるしかない。)

このような「感覚」の話はとても微妙なものだろう。ただ、その蛍が「私」にはおっかさんとしか思えなかった、というならば、その経験がいかにその「私」にとってリアルで切実なものであったとしても、それは他者を必要としない。そんな話をされても、ああ、そうですか、という以外に受けようがないだろう。(もしこれが、おっかさんを亡くして悲しいから、何でもかんでも、何を見てもおっかさんを思い出してしまう、という話だったら、本人にとっては切実でも全く詰まらない話でしかないだろう。そうではなくて、厳密に、その蛍こそがおっかさんであった、という話でなければ重要ではない。)

そのような経験の「質」は、それを経験した「私」の外側からは判断のしようがない。しかし、それを経験した「私」にしたところで、現在の私は、まさにそれを感覚=経験している時の「私」ではないのだから、判断のしようがないわけなのだ。

しかし、芸術作品とは、まさにそのような、判断しようのない「経験の質」にこそ関わるものであるだろう。芸術作品の質を判断するということは、それを経験した「私」にも判断しようのない経験の質を、それでも判断するということであるし、芸術作品を分析し批評するということは、本来他者を必要としないものかもしれない「経験の質」を、それでも外に向けて露わにして、他者に供するものとすることだと言えるかもしれない。

なぜそんなことが必要かと言えば、私の感じた感覚=経験が、決して私の内部のみに由来するものではなく、この世界の有り様に対応して生じたものであるということが信じられるために、つまりこの世界の実在が信じられるために必要なのだと、とりあえずは言えるだろうか。(註・ぼくは新しく出た小林秀雄全集で『感想』を全部読んではいません。古本屋で買った筑摩書房の「小林秀雄・集」で連載の第1回めを読んでいるだけです。)
(つづく)

●昨日挙げた「文學界」の座談会で岡崎乾二郎が、小林秀雄の蛍体験をベルグソンの『道徳と宗教の二源泉』のなかのエピソードと重ね合わせている。それは、ある女性が、エレベーターのドアが開いているのでそれに乗ろうと急いで接近してゆくと、点検係の男に後ろから引っ張られて立ち止まった。しかし実は点検係などそこには存在しなかった。よく見るとドアは間違って開いているだけでエレベーターなど来てはおらず、点検係に引っ張られなければそこから落下していたかもしれない、という話だ。だが、この話が小林氏の蛍の話と決定的に違うのは、たしかにこの女性の感覚=経験の質をその外側から計るとこは出来ないにしても、その点検係の幻影によって女性は生命の危機を回避することが出来たのだから、その感覚=経験の現実性(つまり女性の恣意的なきまぐれではなかったということ)が、事後的に確認出来るということだろう。確かに点検係の男は幻影かもしれないし、その幻影がどのようなメカニズムによってあらわれるのかはわからないが、その幻影には現実的な根拠があることが確認できる。(黒沢清風に言えば、幽霊の「実在性」が確認出来る。)

だからこの話は、どちらかというとフロイトが(確か)『機知』で書いていた話、嫌な奴のことを思いだして会いたくないと思っていたら、そいつが向こうからやってきたという話、つまり見えているのに会いたくないからその事実を否定して「見えていない」ことにし、一度否定したものに再び出会った、という話に近いように思う。

対して、小林氏の蛍= おっかさんという経験の質や現実性は、その当人である小林秀雄自身にしか、いや、正確には小林氏本人でさえも判断することは困難であるし、それを外的な事象によって確認することは出来ない。

ある作品を観ることで生じる感覚、あるいはイメージというのは(そして、作品を作ろうとするとき、あるいは作ってしまうときに生じている感覚、イメージは)、小林氏の言う「おっかさん」のようなものの方に近い。なぜか確信をもってそれを「おっかさん」だと感じてしまい、しかしその確信の根拠はどこにも見つけられない。その感覚=イメージの正当性を確認する術はない。感覚=イメージを扱うこと、それをつくり出そうとすること、感覚=イメージについて思考しようとすることの困難にはこのような理由がある。

例えば、近代絵画的な「趣味」ということが言われる時、ある特定の趣味(=感覚=イメージ)がある程度共有されていることが前提とされるが、しかし、その「趣味」のあり方そのものを直接明示することは出来ない。それは個々の具体的な作家や作品に対する評価や分析の仕方によって暗示したり推測したりできるだけだ。

このとき、実は趣味などという具体的な感覚があるわけではなく、趣味とよばれる(特定の言説空間にだけ有効な)特定の言語の「用法」があるだけだ、と言語ゲーム的に言うことも出来るし、当面はそう考えてやってゆくのが正しいようにも思える。ただ、それだけではやはりどうしても「足りない」のだ。そこには「幽霊」がいるのだ。

●同じ座談会で福田和也は、ベルグソンのエレベーターの話と小林秀雄の蛍の話との違いを、小林氏における「骨董」から「勾玉」への関心の移行とパラレルであると述べている。《『感想』以前の小林秀雄のある種の精神衛生によかったのは、骨董を買っていたことでしょう。買うというのはある意味で賭けることで、全部複製かもしれないけど、(略)所有することのなかにある一種の致命的な選択をしているわけです。》《自分が大枚を出して買って所有することで、物の相対性を売買という社会化された選択のなかで決着をつけてゆくということでしょう。》

つまり、ほとんどインチキと区別出来ない骨董の世界で、自分が「これは良い」と感じてしまったこと(感覚=幻影)の、その判断の確実性を示す根拠はどこにもないとしても、それを売買することで、社会化された言語ゲームの場へとその「質的な判断」を開き、そこに否応なく侵入してくる他者性によって、自らの判断を決着(証明)しようとした、ということだろう。(座談会では、福田氏は岡崎氏が持ち出した「言語ゲーム」という言葉に微妙な抵抗を示しているので、福田氏としては、売買によって「社会化する」というよりも、所有することで自分自身で「決着をつける」というニュアンスを言いたかったのだろう。)

自分が経験してしまった幻影としての感覚=イメージは、それに基づく判断が社会化されること、簡単に言えばその「判断」に他者の承認が得られるということによって、「感覚=イメージ」の現実性が暫定的に証明(決着)できる、とする。そこには実在しなかった点検係という幻影の「現実的な根拠」が、エレベーターが来ていなかったという事実によって事後的に承認されるように、目の前にあるたんなる事物が与えてくる「感覚=イメージ」の価値は、その事物が売買という流れのなか(他者との交換のネットワーク上)に置かれることで、かろうじて保証されるのだ。

しかし『感想』以降の小林秀雄は骨董をあまり買わなくなり、その興味を「勾玉」へと移す。《勾玉は仏教美術屋が扱うものですが、彼らは一番いいかげんで、骨董としてはどうかと思いますが、勾玉になってしまうと信仰の対象になってしまう。》

もはやここでは、ある経験の質が、他者性を招き入れるということでは判定できないというところにまで行ってしまう。あの蛍はおっかさんだと言うしかない。それがどういう性質の経験なのかは知らないが、それを経験してしまったという事実は動かせない、という話になると、その経験は、他者はおろか自分自身でさえも検証不可能なものになってしまうだろう。(小林氏は勾玉を見て、「ここよく見ろ、光が見える」とか言っていたそうだ。)

これはとても危険だ。はっきりと批判されるべきだと言えるかもしれない。しかし、感覚=イメージというものを追求してゆくと、このようなやばいところを避けて通ることは出来ないのではないかという直感は、感覚=イメージを扱い、それについて、それによって考える者なら誰でも持っているのではないだろうか。このような危険な地点でもなお、経験の質が問われ、判断されなければならないとしたら、一体どうすればよいのだろうか。

●このような危険な地点こそが、岡崎氏が『ルネサンス・経験の条件』の「あとがき」で《自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめることはできない》と書いているような地点であるだろう。(しかし実は『ルネサンス・経験の条件』では、徹底して形式的な議論を追求することで、この問題の一番危険な部分を賢明にも周到に避けていると思う。)そして、人が芸術作品などをつくってしまおうと思ったりするのは、このような地点においても「経験の質」の判断は可能であると無根拠に信じ込んでしまうからなのだ。(勿論、いつもいつも確実に信じられているわけではなく、常に揺れているのだが。)

しかし、冷静に考えて本当にそんなことが可能なのだろうか。山城むつみは、勾玉に行ってしまうような小林秀雄を自分は理解できない、他者性を巻き込んでいるような部分にしか興味を感じない、ときっぱり言い切っているのだが(そしてそれはおそらく正しいのだが)、福田氏は、山城氏からの「小林の可能性の中心は骨董と勾玉との切断にあるということですか」という問いに対して、それはわからない、そこで間違ったのかもしれない、という曖昧な保留をしている。ぼくとしてはこの曖昧な保留に同意するしかない。あきらかに「そこで間違った」のだろうけど、間違わざるを得ない何かがそこには確実にあるのだし、そこで間違いを避けてあくまで「正しく」あろうとすることが必ずしも「面白い」とは思えない。(古谷利裕「岡崎乾二郎に関するテキスト」


上に、《自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめることはできない》と書かれているのは、もうすこし詳しく言うなら、「他人が見ている青と自分が見ている青が同じかどうか確かめられない」どころか、「自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめられない」という条件を我々の感覚はもっている、という岡崎乾二郎の文を受けて書かれている。


もっとも岡崎乾二郎の立場は次のようであることを忘れてはならない。


岡崎氏は言う。《だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。》


これは決して「得体の知れないもの」を軽視しているのではなく、逆に得体の知れないものの「得体の知れなさ」を熟知しているからこその態度なのだ。「得体の知れないもの」の「得体の知れなさ」を固定化してそれにに溺れてしまうことは、その「得体の知れないもの」に触れている時の「経験」の本質を取り逃がしてしまうことでしかないのだ。《だからイメージに取り憑かれて、つまりそう見えてから分析をはじめていてはすでに手後れであると僕は思います。いわば、そう見えなかったものが、そう見えるようになったこの転換こそを、記憶術たらしめるいわば想起の問題として捉まえなければならないと思うのです。》



【小林秀雄の勾玉】

最初の人間が、何か自然の中から、好きな姿を自分で造ろうといった場合の、何て言いますかね、表現、表現、エキスプレッションなんてこと言いますけど、僕らこういうふうにつくったり話したり何かするのはみんなエキスプレッションだけども、今日のようなこの時代は、エキスプレッションは実に複雑に分岐して大変なことになっておりますが、そういうふうなエキスプレッションの元をずっーと尋ねていくと、人間が何もないところから自然の中から、何かをつくり出す。何かの姿をつくり出すという、そういうふうなね、ものがね、感じられるんですよ。それで僕はね大変楽しんですよ。それは非常につよい力で感じられるんです。そういうふうなものを忘れていては、いろんな事が出来ないんです。これが肝心要のものだ。僕は宣長を読んでいて結局書きたいのがそれなんです。宣長がそれを感じていたに違いないということなんですね」(小林秀雄『勾玉について』講演から文字起こし)


※小林秀雄の「勾玉」に関連して、骨董愛玩をやめて古い石を愛するようになった藤枝静男の小説の登場人物(「私小説」であり、ほぼ本人だろう)の話を附記しておこう。


だいたい章の心のなかには、古い大きな木の方が、 なまなかの人間よりよっぽどチャンとした思想を持っている、という考えがある。

厳密な定義は知らぬが、いま横行している思想などはただの受け売りの現象解釈で、 そのときどきに通用するように案出された理屈にすぎない。 現象解釈ならもともと不安定なものに決まってるから、ひとりひとりの頭のなかで変わるのが当然で、 それを変節だの転向だのと云って責めるのは馬鹿気たことだと思っている。

皇国思想でも共産主義革命思想でもいいが、それを信じ、それに全身を奪われたところで、 現象そのものが変われば心は醒めざるを得ない。敗戦体験と云い安保体験と云う。 それに挫折したからといって、見栄か外聞のように何時までもご大層に担ぎまわっているのは見苦しい。 そんなものは、個人的に飲み込まれた営養あるいは毒であって、 肉体を肥らせたり痩せさせたりするくらいのもので、精神自体をどうできるものでもない。

章は、ある人の思想というのは、その人が変節や転向をどういう格好でやったか、やらなかったか、 または病苦や肉親の死をどういう身振りで通過したか、その肉体精神運動の総和だと思っている。 そして古い木にはそれが見事に表現されてマギレがないと考えているのである。

章は、もともと心の融通性に乏しいうえに、歳をとるに従っていっそう固陋になり、 ものごとを考えることが面倒くさくなっている。一時は焼き物に凝って、 何でも古いほど美しいと思いこんだことがあったが、今では、 古いということになれば石ほど古いものはない理屈だから、 その辺に転がっている砂利でも拾ってきて愛玩したほうが余っ程マシで自然だとさとり、 半分はヤケになってそれを実行しているのである(藤枝静男「木と虫と山」)