このブログを検索

2013年10月3日木曜日

歴史学と精神医学の”区切り”

昨日書いた文が、今朝読み返すと、いささかラカン批判の色合いを帯びてしまっていて、文章を削るのに苦労した。わたくしはラカンを批判(=吟味)できるほど、ラカンおよびラカン派の文を読んでいるわけではない。

…………


歴史学においては“区切り”の争いがある

元号で時代を区切ることは錯覚を与えると私はいった。しかし、どんな区切りも錯覚を与える可能性があることに注意しなければならない。たとえば、ひとは戦前と戦後という区切りを平然と使っている。たしかに、第二次世界大戦は一つの区切りであり、その後の米ソ二元的体制の終焉を現在化した一九八九年の出来事も区切りである。しかし、こうした区切りだけがすべてではないし、第一義的なものでもない。敗戦によって日本は変ったが、ほとんど変っていない領域もあるし、また目立った変化といっても、事実上戦前・戦中にすでに起こっていたものが多い。それなら、こうした区切りを否定すべきだろうか。

しかし、区切りとは歴史にとって不可欠である。区切ること、つまり、始まりと終りを見いだすことは、ある事柄の意味を理解することである。歴史学は、ほとんど“区切り”をめぐって争っているといってよい。というのは、区切りがそれ自体事柄の意味を変えるからだ。たとえば、「中世」という概念がある。それをいいだしたのは、一八世紀ドイツの凡庸な歴史家だが、以後歴史家は、“どこまでが中世か”という区切りの問題をめぐって争ってきた。あるものは、一八世紀、たとえばニュートンさえも“中世人”であるといい、他の者は、ヨーロッパ十二世紀に“近代”が始まっているといっている。だが、彼らは「中世」という区切り自体までは放棄しないのである。

今日では、エピステーメー(フーコー)とかパラダイム(クーン)という区切りが語られている。他方、柳田國男が、『明治大正史』でやったように、明瞭な区切りのない領域で歴史を見ようとする学派(アナール学派)もある。しかし、事情は別に変っていない。「パラダイム」によっていわれているのは、体系的・教科書的な知として語られる科学に、非連続的な区切りをもたらすことであり、「エピステーメー」によっていわれているのは、超越的主体や理念による区切りに対して、出来事としての言説が織りなす非連続的な移行としての区切りを立て直すことである。アナール学派の場合は、目立って見える政治的な歴史的区分に対して、微分的領域における変容や交錯を見るのだが、これも結局はもうひとつの区切りを提示するのであり、それによって従来の区分=意味づけを変更するのである。(柄谷行人「一九七〇年=昭和四十五年」)



歴史学とおなじように医学においても同じことがある
あまり詳しくはないのだが、たとえば精神医学では
かつての木村敏や中井久夫の(躁)鬱親和気質者/分裂親和気質者
あるいはラカンの神経症、倒錯、精神病の区分であったり
黒船襲来とも言われたDSMの区切り=疾病分類などが
わたくしの知るかぎりある
《1980年に米国でDSM‐Ⅲが公刊されると、
この黒船によって、日本の精神医学はがらりと変わった。
本質的にクレペリン精神医学によって立ち、
クルト・シュナイダーK.schneiderの操作主義と
エルンスト・クレッチマーE.Kretschmerの多次元診断
によって補強されたDSM体系は、
日本の精神医学の風土を変えた。》(中井久夫『関与と観察』)


現代では精神医学のマニュアル化が進み、精神疾患は原因ではなく症状で分類され、DSMではヒステリーという病名はもはや扱われず、解離性障害、身体表現性障害、パニック障害、摂食障害などの個別の 症状の次元で扱われるようになっている。このことは一方ではヒステリーが再び医学化したとも言えるし、またヒステリーという疾患単位が無くなるのであるか ら、医学から完全に離れてしまったとも言えるだろう。(向井雅明「ラカン理論によるヒステリー」


ラカン派の疾患分類は、神経症、精神病、倒錯が三大カテゴリー
それぞれ抑圧、排除、否認の語彙によって規定される
神経症の下位分類にヒステリーと強迫があり
精神病の下位分類にパラノイアとスキゾフレニーとメランコリーがある

最近の「ふつうの精神病」(ミレール派)やら
「ふつうの倒錯」(メルマン派)などという概念は
境界例やら自閉症などの症例に直面しての
ラカンの区切りをなんとか保持しようとする
ラカンドグマの「歴史家」たちの熾烈な努力のようにみえないでもない
(「ふつうの」という形容詞はおそらく過渡的な命名なのだろう
わたくしのような門外漢にはいかにも違和がある)


ドゥルーズならスキゾフレニア=「分裂病」的な脱領土化をいう
若い浅田彰がスキゾ、パラノの用語で広めた分類だが
ここでの「スキゾ的」ということばは
《フランスの哲学者がすでに少し違った意味に使っていて》
と中井久夫は語っており(「統合失調症」についての個人的コメント
ラカンや中井久夫の「分裂的」とはいささか異なるからややこしい

プロセスとしての分裂症、プロセスとしての脱領土化は、もろもろの鬱積と切り離せない。こうした鬱積は分裂症と脱領土化を中断し、あるいは悪化させ、あるいは空転させて、神経症や倒錯や精神病の中に再領土化するのだ。したがってプロセスそれ自体が、解放され、持続され、完成されうるのは、このプロセスが創造しうるかぎりにおいてのみである。――いったい何を創造するのか。新しい大地である。それぞれの場合において、古い大地に立ちもどり、その本性や密度を研究し、この古い大地をのり越えさせる機械的指標が、それぞれの大地の上で、どのようにして集められるのかを探求しなければならない。神経症のオイディプス的な家族的大地、倒錯の人工的な大地、精神病の隔離された大地、これらの大地の上で、いかにして、そのたびごとにプロセスを取り戻し、たえず<旅>を再開することができるのか。分裂分析の偉大なる試みとしての『失われた時を求めて』。すべての平面は、分子的な逃走線つまり、分裂症的な突破線に通じている。こうして愛撫においても、アルベルチーヌの顔は、ひとつの存立平面から別のそれに飛躍し、ついには、分子の星雲の中に解体する。読者自身は、ある局面に立ち止まり、<そうだ、プルーストはここで自分のことを説明している>と語る危険にたえずさらされている。ところが、蜘蛛としての話者は、自分の巣と平面をたえず解体しては旅を再開し、機械として働き、話者をより遠くに行かせる記号や指標をさぐるのである。この運動そのものは、ユーモアであり、ブラック・ユーモアである。……(ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』)

ところで中井久夫は30年ほどまえ次のように書いている。

現在の診断論議は(……)もう少し考えてみる余地があるように思う。(……)

そもそも、先験的に共通項による分類が可能だとは決っていない。

分類には、共通項による分類のほかに、1930年代に論理哲学者ヴィトゲンシュタインが抽出した「家族類似性」という、共通項のない分類がある。「家族類似性」という名は、父と兄は鼻と目が、父と娘は目と口が、母と兄は口もとと耳たぶが、兄と弟は口もとが似ているが、必ずしも家族全員に共通の類似点がないことが多いという事実からの発想である。(……)精神医学において可能な分類はこういうものであろうと私はかつて書いたことがあったし、よく見るとDSM-Ⅲはその構造を部分的に(おそらくさほど意識せずに)備えている。(……)

分類についての、個々人の基本的な構えも、各自異なる。究極には「世界を一つの宇宙方程式に還元する」ことをよしとする人と「世界は多様であること」をよしとする人があるのであろう。(……)前者を「公理指向性」、後者を「範例〔パラダイム〕指向性」と呼んだことがある。「単一精神病」論者と多数の「下位群」を抽出する人との間には心理的因子の相違がある。おそらく気質的因子もあるだろう。(中井久夫『治療文化論』P105 ~ 岩波同時代ライブラリー)

1983年に書かれた『治療文化論』であるから
もちろん古い部分はある
中井久夫はその後、DSM-Ⅳなどへの批判的見解をも語っていることを
念頭に置きつつ読むべきだろう
例えば、『徴候・記憶・外傷』(2004)所収の「トラウマとその治療」(2000)には
DSM基準の機械的適用は人格障害診断において
大きな誤謬を生む可能性がすでに指摘されている。
PTSDにおいても同断である》(P93)とある

そもそもジジェクが最近書くように、晩年のラカンの非-全体の論理は
ウィトゲンシュタインの「家族的親和性」と近似するものであるならば
非-全体の論理から、ラカンの三つの分類を批判してみることさえできる


以下は、ジジェクが『Less Than Nothing(2102)において
前期ウィトゲンシュタインを、ラカンの「男性の論理」
後期ウィトゲンシュタインを「女性の論理」と関連させて語っている箇所

Lacan elaborated the inconsistencies which structure sexual difference in his “formulae of sexuation,” where the masculine side is defined by the universal function and its constitutive exception, and the feminine side by the paradox of “non‐All” (pas‐tout) (there is no exception, and for that very reason, the set is non‐All, non‐totalized). Recall the shifting status of the Ineffable in Wittgenstein: the passage from early to late Wittgenstein is the passage from All (the order of the universal All grounded in its constitutive exception) to non‐All (the order without exception and for that reason non‐universal, non‐All).

That is to say, in the early Wittgenstein of the Tractatus, the world is comprehended as a self‐enclosed, limited, bounded Whole of “facts” which precisely as such presupposes an Exception: the mystical Ineffable which functions as its Limit.


In late Wittgenstein, on the contrary, the problematic of the Ineffable disappears, yet for that very reason the universe is no longer comprehended as a Whole regulated by the universal conditions of language: all that remains are lateral connections between partial domains. The notion of language as a system defined by a set of universal features is replaced by the notion of language as a multitude of dispersed practices loosely interconnected by “family resemblances.”

そもそもまた中井久夫を引っ張り出し歴史の比喩を使えば
ラカン構造論的区別(抑圧、排除、否認)の出所は、
ひとの「先史時代」の考察からだ
それは「考古学」の対象なのだから、
「歴史」の区切りもひときわ曖昧だ

二歳半から三歳半のあいだにさまざまな点で大きな飛躍があるとされている。フロイトのいうエディプス・コンプレックスの時期である。これは、対象関係論者によって「三者関係」を理解できる能力が顕在化する時期であると一般化された。それ以前は二者関係しか理解できないというのである。これは、ラカンのいう「父の名」のお出ましになる時期ということにもなるだろう。それ以前は「想像界」、それ以後は「象徴界」ということになるらしいが、ラカンの理論については自信のあることはいえない。(……)いわば三歳以後は「歴史時代」であり、それ以前は「先史時代」であって「考古学」の対象である。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収)


レヴィ=ストロースは、若き彼の真の二人の師(マルクス、フロイト)を称揚しつつ次のように語っている。
分類から導かれた仮説が、決して真ではありえず、ただより高い説明価値があるかどうかだけが重要。(『悲しき熱帯』)

フロイトにも似たような言明はいくらでもあるが、ここではすこし趣きを変えて次の文を引用しておこう。
私はおよそ世界観の製造などを心がけていない。そういうことは哲学者にまかせるがよい。疑いもなく哲学者というものは、あらゆる事情が書きしるしてある旅行案内をもたないと、人生の旅行ができないのである。彼らはその高次の必要性の立場から、軽蔑をもってわれわれを見下すにしても、われわれはあまんじてそれをうけよう。われわれに自己愛的な傲慢があるのは否定できないにしても、自らを慰めて、こう言いたい。これら「人生の指導者」どもは、いくばくもなく、すべて古ぼけてしまうのであって、その旅行案内の再版を余儀なくさせるのは、まさにわれわれの近視眼的にせばめられたささやかな仕事であり、かれらの最新版の旅行案内さえも、もとは、昔の便利で完全な教義問答に代わろうとしているにすぎないのだ。科学が今日まで、世界の謎に光明をあたえることが、どんなに少なかったかは、われわれとてもよく承知している。だが、哲学者のあらゆる騒音は事態を変えはしないこと、確実性を唯一の信条として追求していく忍耐づよい研究の続行だけが、徐々に変革をもたらすこと、これもわれわれはよく知っている。暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとするが、だからといって、すこしでも明るく見えてくるわけではない。(フロイト『制止、症状、不安』(1926)旧訳フロイト著作集6からだが、一箇所訳語を変更 「高級な貧困」→「高次の必要性」)

…………

以下附記。


ところで、サントームの臨床(「ふつうの精神病」にかかわる)をめぐって、ミレールは2008年のセミネールで次のように語っているそうだ(松本卓也氏のツイートより)

・「新たな精神分析臨床はラカンの最後期の教育から切り出されたものですが、これは古い臨床より圧倒的に優れているものです。それは、構造論的臨床と対立するボロメオの臨床であると言われます。構造論的臨床は神経症と精神病の断絶を前面に出してきます、より完璧を期すなら神経症、精神病、倒錯です」

・「この第二の臨床は正常性やメンタルヘルスに範をとる基礎を葬り、次の公式をその原則とします「ひとは皆狂人でありTout le monde est fou言い換えれば妄想的délirantである」。これは一度ラカンが副次的なテクストのなかで書いたものですが、私は昨年これを広めました」

・「第2の精神分析臨床は、症状symptômeの概念を、この〔「終わりのない分析」で示される症状の〕残余のモデルに基づいて再構成するものです。こうしてラカンはそれを古い綴り方でサントームsinthomeと呼びました。サントームとは、治癒不可能なものの名前なのです。」

・「社会へ同化させること以外に、メンタルヘルスの真面目な定義は存在しない」(第3回講義)


このあたりのことは、Lacan.comに、Thomas Svolosの小論もある(Ordinary Psychosis in the era of the sinthome and semblant  Thomas Svolos)。

かつての臨床が反故になったわけではない。新しいやり方とかつてのものは、アインシュタインの理論とニュートンの理論の関係にあると書いている。

this relationship of the clinic of foreclosure to the clinic of the sinthome is not unlike the relationship between Newton and Einstein. Newton’s physics are valid within certain parameters of mass and velocity that are not too great nor too small. Newton’s physics is not useful in extreme values of those parameters, in the way that Einstein’s physics proved useful. However, while Einstein’s physics does thus supplant Newton’s, Newton’s physics is still valid in the limited parameters. In the same way, while the sinthomatic clinic covers a broader array of psychic structure with greater utility, the clinic of foreclosure is useful in certain parameters.

…………


 かつてサド=マゾとする精神医学の先入観に異議をとなえるドゥルーズがいた


医学には、徴候群と徴候との区分がある。すなわち徴候とは、一つの疾患の特徴的な符牒であるが、徴候群とは、遭遇または交叉からなる幾つかの単位であり、大そう異質な因果系統や可変的なコンテキストとの関係を明らかにするものなのだ。サド=マゾヒスム的なる実体は、それじたいで一つの徴候群で、他には還元しがたい二系統に解離すべきものとは確信をもって主張しがたい。われわれはサディストとマゾヒストが同一者であるという言葉を聞かされすぎてきた。ついにはそれを信ずるまでに至ってしまったのである。すべてを始めからやりなおさねばならない。サドとマゾッホを読むことからやりなおさねばならないのだ。臨床的な判断は先入観にみちみちているので、臨床の外部にすえられた一点、二つの倒錯症状が命名される契機となった文学的な点からすべてをやりなおしてみなければならない。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』蓮實重彦訳)