…もろもろのオピニオン誌の凋落は、「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いているんだから、あんなもん読む気がしない」といういささか性急ではあるがその現実性を否定しがたい社会的な力学と無縁でない。そんな状況下で、人がなお他人のブログをあれこれ読んだりするのは、それが「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いている」という安心感を無責任に享受しうる数少ない媒体だからにほかならず、「羞恥心」のお馬鹿さんトリオのときならぬ隆盛とオピニオン誌の凋落とはまったく矛盾しない現象なのだ。……。(蓮實重彦)
《言葉が尽きずに、改行もなしにとめどなく流れつづけてゆくことの恐怖というのが、いまの時代の姿なのかも知れません。しかしそれを崩れと観るという感受性それ自体が、こんなに萎えてしまっているのではねえ。》(松浦寿輝)
本日は、昨年の11月4日に世を去ったジル・ドゥルーズを追悼し、その哲学をあらためて見直してみようというので、座談会を企画しました。(すでに各雑誌で)追悼特集が組まれているわけですが、パラパラと覗いてみると、自分は追悼を拒否するとか、今さら解説めいたことは書きたくないとか、そんなことを言うなら蓮實さんやぼくのように書くのを断ればいいのに、なぜか書くだけは書いちゃうんですね。ここでは、そういう下らない自意識ぬきに、偉大な哲学者を素直に追悼し、その哲学をできるだけ明確に把握するための作業を少しでも進められたらと思います。(浅田彰『ドゥルーズと哲学』座談会(浅田彰 柄谷行人 蓮實重彦 財津理 前田英樹)「批評空間」1996Ⅱ-9)
直木三十五氏が逝くなって、新聞雑誌に、氏の生前の思い出や逸話の類が充満した。氏の人間的魅力のしからしむる処だろう。氏が大変魅力ある人物であったという世の定評を僕も信じているが、ああいう類の文章をいくつも読んでいると、お葬式の延長みた様な気がして来て、なんとなく愉快でない。なんだい、これでは直木という男、まるで人間的魅力を広告する為に刻苦精励して来た様にみえるじゃないか、そういう臍の曲がった感さえ覚える。逝くなって作品の他なんにも残っていない今こそ、直木氏の真価が問われはじめる時であり、作家は仕事の他、結局救われる道はないものだ、という動かし難い事実に想いをいたすべき時だ。ときっぱり言いたいが、こういう微妙な問題にはいろいろと疑いが湧き上がって来ていけない。(小林秀雄「林房雄の「青年」」『作家の顔』所収)
名の知れた人物の逝去の報に接したひとびとの反応のありさまを耳にするたびに不快の念を禁じえないのは羞恥心のお馬鹿さんトリオの現場を覗いて無責任に安心感を享受する悪癖から逃れられていないためであり、その悪趣味が咎められるべきであるには相違ないが、そこでは相も変らず他人の死を餌にして己れの知ったかぶりをひけらかす夜郎自大の手合いが枚挙の暇なく出現するのをいやがおうもなくまのあたりにすることになる。そもそもひとは愛する近親者や友人の死に直面してその感慨をウェブ上にすぐさま書き込むなどということはありえない。いや、わずかに叫びのような思いを発することはありえよう、たとえば2013年10月14日の飯島耕一の訃報に接しての直後、故人の近しい友であったのだろう入沢康夫氏はツイッター上に、噫、飯島耕一さん! と一声発してその後は黙然とすることになる。長く親愛の情を抱いていればいるほどそれはひとのごく自然な振舞いであることを否定するひとはいまい。ところが羞恥心の欠如が著しい人物が生前の死人への自らの「愛着」らしきものをべらべらまくしたてるのを垣間見てしまえば、死者とはたいしてかかわりのない葬儀の参列者が慇懃無礼な厚化粧と正装の隙間から偽の涙を流し肩を震わせる演技に陶酔しているのに直面してひどく居心地の悪さをおぼえ苦虫を踏み潰さざるをえないのと同様の不快感を齎し、そういった連中は最低限の礼儀をもわきまえていないとせざるをえない。しかしながらそれを崩れとして観る感受性さえもが萎えてしまっているらしく、はしたないメロドラマの演技者のとりまき、故人の生前の文章をほんの一行さえまともに受けとめたことのなさそうな連中までが、ただ名前を知っているということのみでかけがえのない喪失などと声高にさけびつつ大合唱をくり拡げはじめる。この現象はわたくしがウェブ上に書き込むことを始めたばかりの2009年10月30日のレヴィ=ストロースの死に際しての驚きであり、その後も数多くの同様なありさまに遭遇し、たとえば2012年5月22日の吉田秀和の死に際してはとことさら氏に愛惜の情をもつわたくしはあれら得体の知れない合唱隊が死者への侮蔑の歌をユニゾンするかの如き厚顔無恥にひどく憤りを覚え、そのためソーシャル・ネットワーキング・サービスと称するものからいささか距離を置く姿勢をもつに至ったわけであり、いまさらインターネット上の俗物・下司たちの破廉恥な仕草にあらぬ期待を寄せているほどウブではないつもりだが、それにしても毎度のことながら嘆きの溜息が口から洩れでるのをいまだ防ぎようがない。噫、死者たちよ! 合掌――。