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2013年10月27日日曜日

「吉増剛造とか中井久夫ってのはそういうやつらだと思っていた」

《吉増剛造とか中井久夫ってのはそういうやつらだと思っていた。》

《吉増剛造は近年いやにポストコロニアリズム色を出して、鵜飼哲などとも協働していたと記憶するが、文化功労者とポスコロは両立するのかね。これもまた、「ボヘミアンから文化的権威へ」という、ありふれたストーリーの退屈な反復でしかない。》

ツイッター上からだが、誰が語っているかはあえて表示しない。文芸にかかわる書き手とだけしておく。

文芸批評家というのは、過去の文学者たちの振舞いを知っているわけで、やはり文化功労者なるものに斜めから見る態度をとるのもやむえない。

つい先日、荷風の文化勲章受章(あるいは文化功労金授受をめぐる文を書いたばかりなので、いささか二人の言葉に注目してしまった。

…………

昭和二十七年十一月に文化勲章授与、ただちに文化勲章年金証書をも与えられる。年額金五十万円。

昭和廿七年 十二月卅一日。晴。文化功労者年金五十万円下渡しはその後何らの通知もなし。如何なりしや笑ふべきなり。夜銀座マンハッタン女給三人と共に浅草観音堂に賽す。家に帰るに暁三時半。月よし。

 当時の都市勤労者世帯の月平均収入は二万円ほどというデータがある。

荷風は父譲りの莫大な資産以外にも、年金五十万円以外に全集や映画化などの著作権料や著書の印税が多額に入っていたはず。反骨精神の象徴のようだった荷風の文化勲章受賞をいぶかる文学関係者も多かったそうだが(たとえば伊藤整は、勲章をぶら下げる荷風の写真をみて「哄笑」したらしい)、戦後のインフレで所有している株券も預金も紙くず同然になった上に、戦災で偏奇館を焼失して親戚や知人の家を転々としていた永井荷風にとって、年金は今後の経済生活を保障してくれるしてくれる貴重な「財源」だった、あるいはひどい吝嗇家だったとする人もいる。

いずれにせよ、最晩年、市川菅野、あるいは京成八幡に移転したあとも、荷風いわくは独り「陋屋」に住む。住み込みの家政婦は置かない(通いの家政婦はあったようだが、部屋は埃だらけだったそうだから、毎日通う者だったのかも疑わしい)。

…………

いまは年額350万円らしい。ちなみに芸術院会員は年金250万円。荷風の時代ほどの価値はないだろうが、たとえば多くの収入があるわけではないだろう詩人たちにとっては貴重な額ではないだろうか。

大岡信、中村稔、そして吉増剛造が今回選ばれているのを知るならば、誰が選ばれていないかのほうが(あるいはこっそり辞退したのか、行政側が最初から敬遠したのか)気になるところではある。わたしくの比較的よく読む作家たちのなかで思い浮かぶのは、まずは谷川俊太郎であり、詩人ではないが、加藤周一(友人の吉田秀和の文化勲章を祝う会には出席して熱烈なスピーチをしているそうだ)、あるいは蓮實重彦は仏から芸術文化勲章 コマンドゥール(1999を授かっており、いまだ文化功労者ではないのは奇妙ではある。


芸術院会員辞退者は、島崎藤村、正宗白鳥、永井荷風、高村光太郎、内田百閒、大岡昇平、武田泰淳、木下順二など。錚々たる顔ぶれの辞退者たち。最近では最初に打診するのだろうか、辞退者の記載はみられない。

文化功労者(あるいは文化勲章)辞退者は河井寛次郎、熊谷守一、大江健三郎、杉村春子。

大江健三郎は、ノーベル文学賞を受賞時、慣例として文化勲章の授与と文化功労者選出に対して、「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」と受章を拒否したことは比較的よく知られている(通例、文化勲章は文化功労者のなかから選ばれるらしいが詳しいことは分らない)。


いずれにせよ、反骨精神反骨精神の象徴のようだった荷風が勲章をぶら下げる写真をみて「哄笑」した伊藤整の精神の系譜は、いまでも細々ではありながら生き続けているようで、冒頭の遺憾の口調をいぶかっても始るまい。


冒頭の二番目のツイートの書き手は、蓮實重彦のよき読み手であり、蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』の主人公マクシム・デュ・カンのアカデミー・フランセーズ会員をめぐる叙述の遠いこだまとして読むことができる。《「ボヘミアンから文化的権威へ」という、ありふれたストーリーの退屈な反復でしかない》

実際、あなたはアカデミーへとずいぶん遠い地点から戻って来られたではないか。(……)あなたは家を捨て、長い長い旅の生涯を体験され、人と出合い、人の心を識り、いま家に戻って来られた。この家に漂う秩序の香りのかぐわしさ。そして成熟の喜びがもたらす快い疲労感。おのれの無力を悟ることによって人類の幸福を思考しうる自分を発見することの幸福な驚き。(……)

蕩児という名の芸術家の肖像。それは、成熟することの困難を知りえたもののすがすがしさから快く微笑みかける横顔だ。そして蕩児という名の物語。そこには、旅情と郷愁とがほどよく調和しあった叙事詩が、感動的な帰還の挿話によって教訓的に閉ざされるだろう。
かつて口汚く嘲笑した当のアカデミーに彼自身が立候補し、(……)いわばその変節ぶりを多くの人に印象づけることになってもいる。つまり、自分自身のかつての言葉を否定することで今日の地位を獲得したのがマクシムである以上、そんな人間が特権的証人となって語る言葉が、胡散臭く思われて当然なのである。(……)そんな変節漢の語る物語が素直に容認されえないのは当然だろう。

罵倒の対象であったはずのアカデミーに悔恨の情を告白して頭をたれた変節漢として軽蔑され、ギュスターヴの才能を羨む嫉妬深い裏切者として後指をささあれ、ヴィクトル・ユゴーに弔辞を捧げる資格のない反動的な非国民の烙印を押されるのは、マクシム自身ではなく、もっぱらその虚構化した人格にすぎない。