このブログを検索

2013年10月30日水曜日

10月30日

十月三十日。半陰半晴。大気重く溽暑甚し。いまだ乾季訪れず。早朝庭球にて右肘捻り途中退場。然し乍ら幸いにも軽症にて既に支障なし。

午前医者を訪う。血圧係、血液係の看護婦と顔見知りなりし故猶更乙女らの可憐な微み哀憐禁ずべからず。見るからに安ツぼき薄汚れた白衣のきれ地の下より胸と腰との曲線をみせ愛嬌を振り撒く姿いとおしむべし。しばし款語にうつつを抜かす。

尿酸値七度迄下がる。以前この値に下がった折食事療法を緩めしが為九度に復すことありき。今回は女房食事療法継続を強要す。五度近くまで下がるのはいつのことやら。麦酒飲みたしが米焼酎で堪えざるを得ず。痛風再発懼れぬでもなし。

くだらぬ内容を書き綴るには「文語」に限りしが稚拙覆うべからず。修業の至らぬこと甚し。

日本語の場合、いかなる事態をも記述できる普遍的文章語は、戦後、すなわち二〇世紀後半にようやく成立した。それは、週刊誌の文体に近いだろうか。また「口語」「文語」といわず、「古文」「現代文」というようになった。そして「古文」は「文語」の持っていた生産性を失った。文語は公的な文章に限らなかった。その凛々しさ、簡潔性、中立性から「日記」を文語で書く人が多かった。きりっとした現代文を心がけるのは、とてもむつかしい。もっとも、文語にはくだらぬ内容でも一見凛然とさせてしまう「副作用」があるだろう。(中井久夫「日本語の対話性」『時のしずく』所収)

荷風の日記を筆写すべし。

昭和十五年歳次庚辰  荷風散人年六十二

二月二十日。午後微雨。忽ち歇む。薄暮土州病院へ往く。尿中蛋白質顕著。かつまた血圧やや高しとて、院長頻に菜食の要あるを説く。余窃に思ふところあり、余齢既に六十を越えたり。希望ある世の中ならば摂生節慾して残生を偸むもまたあしきにあらざるべし。されど今日の如き兵乱の世にありては長寿を保つほど悲惨なるはなし。平生好むところのものを食して天命を終るも何の悔るところかあらん。浅草に至り松喜食堂に雛肉を食し玉の井を歩みてかへる。新聞紙この夕芬蘭土軍戦況不利の報を掲ぐ。悲しむべきなり。