もうすぐ雨が降ってきそうな曇り日は
土の匂いがこみ上げてきて
とても懐かしい人が
すぐそばまで
来てくれているような気がします
(黒田ナオ「曇り日の気配」)
土がにおうのではなく、自分の肉体が土になっている》
とする谷内修三氏の評言もいいなあ
土でなくてもよい
アスファルトの匂いでも
ずっとわたしは待っていた。
わずかに濡れた
アスファルトの、この
夏の匂いを。
たくさんねがったわけではない。
ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。
奇跡はやってきた。
ひびわれた土くれの、
石の呻きのかなたから。
ダヴィデ(須賀敦子訳)
-----1945年、4月25日、ファシスト政権と、それにつづくドイツ軍による圧政からの解放をかちとった、反ファシスト・パルチザンにとっては忘れられないその日のこみあげる歓喜を、都会の夕立に託したダヴィデの作品である。(須賀敦子「銀の夜」『コルシア書店の仲間たち』)
六月
茨木 のり子
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
昨日、《ギー兄さんは思いがけない敏捷さ・身軽さで山桜の樹幹のなかほどの分れめまで登り、腰に差していた鉈で大きい枝を伐ろうとした。妻は心底怯えて高い声をあげ、思いとどまってもらった。》(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)
あるいは、
《ああ私がステッキや傘でりんごの木の幹や垣根の茨をたたいていた時、どれほどそこから女性を出現させたいと願ったことだろう。》(プルースト「カイエ7」)
と引用したときに、《鍬を立てかけ 籠をおき/男も女も大きなジョッキをかたむける》をも想い出し、あわせて引用しようとしたが、思い止まった。
鋤は立てかけ、籠はおかなければならない
どこかに美しい村や街があるのではない
身近なところにある
それに気づかないだけだ
わたくしはやむ得ない事情があって、1995年1月に起こった地震の現場にむかった(ようするに別れた直後の妻と娘があのあたりに住んでいた)。
そこで次の光景に行き当たった。
外国人差別も市民レベルではなかったといってよい。ただ一つベトナム難民と日本人とが同じ公園に避難した時、日本人側が自警団を作って境界に見張りを立てたことがあった。これに対して、さすがは数々の苦難を乗り越えてきたベトナム難民である。歌と踊りの会を始めた。日本人がその輪に加わり、緊張はたちまちとけて、良性のメルトダウンに終ったそうである。……(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)
だがこの国に、つねに
歌と踊りがあるわけでもなく
食べられる実をつけた街路樹がどこまでも続くわけでもなく
美しい人と人の力があるわけでもない
日本よりはすこしは多くあったか
だが経済至上主義だって日本よりも多くあった
橋をわたって ベトナム民謡
あのひとに上着をあげた
家に帰って父母に
橋をわたるとき風にとられた、と嘘ついた
あのひとに指輪をあげた
家に帰って父母に
橋をわたるとき落とした、と嘘ついた
あのひとに菅笠をあげた
家に帰って父母に
橋をわたるとき風にとられた、と嘘ついた
◆While I was Crossing the Bridge by Yuji Takahashi/ 高橋悠治作曲「橋をわたって」