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2013年10月29日火曜日

10月29日

ドゥルーズ研究者の評判の書を、序章、一章、二章と読みつつ、ツイッター上やらブログで感想を呟き、それを著者がリツイートしたり、感謝の念を表明する。

こんな現象がこの一週間ほど頻発している。

ダイジョウブカネ
クルッテルゼ
ハシタナイ連中ダ

そんなことでは「批評=吟味」などあったもんじゃない
まさに「批評」を封印する振舞いだぜ
やっぱり
「人びとは驚くほど馬鹿になっています」(ゴダール)だぜ

思想家とは「発酵」を教えるひとではないのか

すくなくともこんな旧世代の言葉はどこ吹く風だな

「読書は、秘密結社員みたいにこっそりするものだ 」(中井久夫「秘密結社員みたいに、こっそり」『時のしずく』所収)

「読むという秘儀がもたらす淫靡な体験が何の羞恥心もなく共有されてしまっているという不吉さ」(蓮實重彦『随筆』)

実際、「読書」とはあくまで変化にむけてのあられもない秘儀にほかならず、読みつつある文章の著者の名前や題名を思わず他人の目から隠さずにはいられない淫靡さを示唆することのない読書など、いくら読もうと人は変化したりはしない。(同上)

ーー「生成変化」を促す書物のはずではなかったか

ことさら中井久夫や蓮實重彦のことばをそのまま真にうける必要はない
しかし古い人間には、驚くべきさまにみえる

……多くのヒトにレスポンスを貰うことを指向し、いろいろな仕組み作りを試みている……(蓮實重彦は)「そんなことは貧乏臭い」と切って捨てる…レスポンスを貰うことは下らないことで、メディア戦略ばかりを考えた勝ち組は、むなしい勝利に過ぎない…「結局20年経って思うのは、何も驚くべき事はないということで、これが一つの驚きだった」(蓮實重彦

浅田彰はあの著書の帯文書いているらしいが、あの振舞いを許すのかね
ドゥルーズ哲学の正しい解説?そんなことは退屈な優等生どもに任せておけ。ドゥルーズ哲学を変奏し、自らもそれに従って変身しつつ、「その場にいるままでも速くある」ための、これは素敵にワイルドな導きの書だ」(浅田彰)。


◆中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田 彰)より。
蓮實重彦)なぜ書くのか。私はブランショのように、「死ぬために書く」などとは言えませんが、少なくとも発信しないために書いてきました。 マネやセザンヌは何かを描いたのではなく、描くことで絵画的な表象の限界をきわだたせた。フローベールやマラルメも何かを書いたのではなく、書くことで言語的表象の限界をきわだたせた。つまり、彼らは表象の不可能性を描き、書いたのですが、それは彼らが相対的に「聡明」だったからではなく、「愚鈍」だったからこそできたのです。私は彼らの後継者を自認するほど自惚れてはいませんが、この動物的な「愚鈍さ」の側に立つことで、何か書けばその意味が伝わるという、言語の表象=代行性(リプレゼンテーション)に対する軽薄な盲信には逆らいたい。

浅田彰)  …僕はレスポンスを求めないために書くという言い方をしたいと思います。 東浩紀さんや彼の世代は、そうは言ったって、批評というものが自分のエリアを狭めていくようでは仕方がないので、より広い人たちからのレスポンスを受けられるように書かなければいけないと主張する。… しかし、僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦) 下らない。それは批評の死を意味します。

浅田彰) 例えば、デリダ論の本を書いたとして、十年後に知らない誰かがそれを読むというのが、本当のレスポンスであり、大文字の他者の承認なのであって、いま流行っているアニメについてブログに書いたら、その日のうちに 100個くらいレスポンスが来たと言っても ……。… そういう小文字の他者からのレスポンスは一週間後には最早なかったに等しいでしょう。即時的なレスポンスのやりとりがコミュニケーションだという誤った神話に惑わされてはいけない。

蓮實重彦)それを嘲笑すべく、ドゥルーズは「哲学はコミュニケーションではない」と書いたわけじゃないですか。

浅田彰) そうですね。ドゥルーズは、哲学者でありながら、あるいはまさにそれゆえに、論争(はやりの英語で言えばディベート)は何も生み出さないから嫌いだと明言した。そう言いながら、彼はガタリと二人で本を書き、いろいろ長いインタビューに答えてもいる。それは、しかし、ディベートではないわけです。 …ドゥルーズは、その新哲学派を徹底批判するために自費出版のパンフレットを出す一方、メディアにおけるレスポンスを求めないために書く。そのためなら二人で書いたっていい、そういう立場であって、その姿勢は今こそ学ぶべきものだと思います。( 2009年9 月18日)

まったく「ドゥルーズ」を生きていないぜ
反ドゥルーズ的・反生成変化的振舞いの典型じゃないかい?

「一方は完全ロバと、もう一方は自分の墓掘人どもの才気ある同盟者」(クンデラ『不滅』P193)
などとはオレはいわないがね
人文学の危機の時代らしいからな
その救いの若き星だからな


真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

人が芸術的なよろこびを求めるのは、芸術的なよろこびがあたえる印象のためであるのに、われわれは芸術的なよろこびのなかに身を置くときでも、まさしくその印象自体を、言葉に言いあらわしえないものとして、早急に放置しようとする。また、その印象自体の快感をそんなに深く知らなくてもただなんとなく快感を感じさせてくれものとか、会ってともに語ることが可能な他の愛好者たちにぜひこの快感をつたえたいと思わせてくれるものとかに、むすびつこうとする。それというのも、われわれはどうしても他の愛好者たちと自分との双方にとっておなじ一つの事柄を話題にしようとするからで、そのために自分だけに固有の印象の個人的な根源が断たれてしまうのである。われわれが、自然に、社会に、恋愛に、芸術そのものに、まったく欲得を離れた傍観者である場合も、あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている。後者を知ることができるであろうのは自分だけなのだが、われわれは早まってこの部分を閑却してしまう。要は、この部分の印象にこそわれわれの精神を集中すべきであろう、ということなのである。それなのにわれわれは前者の半分のことしか考慮に入れない。その部分は外部であるから深められることがなく、したがってわれわれにどんな疲労を招く原因にもならないだろう。それにひきかえ、さんざしとか教会とかを見たときの視覚がわれわれの内部にうがった小さなみぞを認めようとつとめるには、われわれはひどく困難をおぼえるのである。しかもわれわれはシンフォニーをふたたび演奏し、教会を見にふたたびその場所を訪れる、そしてついにはーー本来の生活を直視する勇気をもたず、そこから逃避して博識と呼ばれるもののなかに走りーー音楽や考古学に精通した愛好者とおなじ方法で、おなじ程度にまで、それらについての知識をえるだろう。したがって、いかに多くの人々が、そこまでにとどまり、自分の印象から何もひきださず、無益に、満たされずに、芸術の独身者として、老いてゆくことであろう! 彼らは未婚の女やなまけものがもつ悲しみを味わう、そうした悲しみを癒やすのは、受胎か仕事かであろう。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)


ーーと書いているプルースト自身、最初の出版「スワン家」では、いろいろ販売促進の画策をしているらしいから、いた仕方ない面はあるのだろうけど。

値段は3フラン50サンチームと非常に安価で、これは当初10フランを提案したグラッセ社に対して、作品をより広く流布させたいというプルーストの意向により付けられた値段であった。

1913年11月14日に第一篇『スワン家のほうへ』が刊行されると、プルーストの知り合いの編集者に運動をかけたこともあって新聞各紙に書評が掲載された云々。(Wikipedia)

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