なぜ引用できるのだろうか
歯の浮くような社交辞令の合い間に
よりによって何処へを
毎朝着ていくオヨウフクをこれみよがしに
はしゃぎ囀ることに恥じない人間
オレにはまったく理解しがたい媚びの権化
詩への
死への
侮蔑であることに気づかないのか
ぼくは騒げない
なにひとつまっとな人間としてものを考えようとしないやつらは
…………
なにひとつまっとうな人間としてものを考えようとしないやつらは、
生きてても目ざわりになるから首でもくくって死ね、
そうすれば皮でもはいで肉を犬にでもくれてやる、
と思ったのだった。(中上健次『鳥のように獣のように』)
なにひとつまっとうな人間としてものを考えようとしないやつらは、
生きてても目ざわりになるから首でもくくって死ね、
そうすれば皮でもはいで肉を犬にでもくれてやる、
と思ったのだった。(中上健次『鳥のように獣のように』)
…………
何処へ 飯島耕一
陽気にはしゃいでいる人たちがいる
だけどぼくは騒げない
ぼくの心はねじくれてしまったのか
グラスをまえにして
ぼくはたった一人だ
昔の女たち 昔の友だち
みんなどこへ 行ってしまったのか
どこかへ出掛けてしまったのか
わるい時代なのだろう きっと
きみたちの姿がどうしてもよく見えないんだから
理由はわからない いつだって
理由はよくわからないんだ 濃霧のような問題と情勢
そしてねじくれているんだ ぼくの心は
ぼくはだめになってしまったのだ
どこまでも自分をいじめたい気持になる
わるい時代のせいなのだろうか
人々はまわりにいっぱいあふれているのに
そのなかにぼくの友だちはいない
あの青春のはじめの暁の友だちたちの顔は
ぼくらが思っているより 今は
はるかにわるい時代なのだ
仲間たちの声もみんな蒼ざめてきて
誰もがのど元までことばにならない
しぐさや羽毛をつめこんでいる
青空の破片はいつまでも破片のまま
ぼくらはおそらくあまりに似かよっているので
出会っても感じるのはおなじ色
おなじ形の渚の砂の
こぼれおちる音ばかりだ 聞こえるだろう 聞こえるだろう
おそらくぼくらはみんなタヒチを見出だすまえの
取引所員ポオル・ゴオガンなのだ
やがて冬がやってくる 何処へ 何処へ
という鋪石にこだまする冬の声の襲来
そして砂の声 嘴の音。
…………
夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった 谷川俊太郎
ーー飯島耕一に
にわかにいくつか詩みたいなもの書いたんだ
こういう文体をつかんでね一応
きみはウツ病で寝てるっているけど
ぼくはウツ病でまだ起きている
何をしていいか分からないから起きて書いてる
書いてるんだからウツ病じゃないのかな
でも何もかもつまらないよ
モーツァルトまできらいになるんだ
せめて何かにさわりたいよ
いい細工の白木の箱か何かにね
さわれたら撫でたいし
もし撫でられたら次にはつかみたいよ
つかめてもたたきつけるかもしれないが
きみはどうなんだ
きみの手の指はどうしてる
親指はまだ親指かい?
ちゃんとウンコはふけてるかい
弱虫野郎め