このブログを検索

2013年7月3日水曜日

無能な主人

第一次安倍政権発足のおり、中井久夫は次のように書いている。

「小泉時代が終わって安倍が首相になったね。何がどう変るのかな」
「首相が若くて貴公子然としていて未知数で名門の出で、父親が有名な政治家でありながら志を得ないで早世している点では近衛文麿を思わせるかな。しかし、近衛のように、性格は弱いのにタカ派を気取り、大言壮語して日本を深みに引きずり込むようなことはないと信じたい。総じて新任の首相に対する批判をしばらく控えるのは礼儀である」
「しかし、首相はともかく、今の日本はいやに傲慢になったね。対外的にも対内的にもだ」
「たとえば格差是認か。大企業の前会長や首相までが、それを言っているのは可愛くない。“ごくろうさま”ぐらい言え。派遣社員もだけど、正社員も過密労働と低収入で大変だ。……」(中井久夫「安部政権発足に思う」『日時計の影』所収)

さて二度目の安部政権がしばらく経った今、「性格は弱いのにタカ派を気取り、大言壮語して日本を深みに引きずり込むようなことはない」と信じてよいのだろうか。


日本は国の指導者を直接選挙で選ぶわけではないから、たとえば米国と同じようなことはいえないが、ジジェクの朋友コプチェクは、《アメリカ人ヒステリー的な態度によって主人を選出すると言う。必然的に妨げられる欲望は、妨害そのものへの欲望に転化する。満たされない欲望は、決して満たされる ことのない状態への欲望に転倒される。つまりそこでは、誤りを犯すことがわかっているような無能な人物があえて主人に選ばれることになる》と。(暗号的民主主義──ジェファソンの遺産 | 田中純

そこにおいてアメリカ市民の忠誠はもはや主人が送り返す答のなかに向けられてはおらず、この大文字の〈他者〉そのものの存在に託されている。とすれば、この〈他者〉はアメリカ民主主義の主体にとってひとつのフェティッシュと化しているのではないだろうか。ここで露わになっているものもまた、フェティシズム特有の〈知〉と〈信念〉の矛盾ではないか。選出された主人が無能であることを、アメリカ人誰もが知っている。しかし、にもかかわらず、無意識においてはこの主人の万能が信じられているのである。「〈他者〉が無能であることは知っている、それでもやはり……(〈他者〉は万能だと信じている)」。(同上)

このようなメカニズムが起こっているなどということはないだろうね、日本でも?


ここでジジェクの「象徴的同一化」をめぐる文を並べてみよう。

想像的同一化とは、われわれが自分たちにとって好ましいように見えるイメージへの、つまり「われわれがこうなりたいと思う」ようなイメージへの、同一化である。

象徴的同一化とは、そこからわれわれが見られているまさにその場所への同一化、そこから自分を見るとわれわれが自分にとって好ましく、愛するに値するように見えるような場所への、同一化である。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)

ジジェクの説明では、「想像的同一化」が「理想自我」に、「象徴的同一化」が「自我理想」にかかわるということになる。

フロイトの『集団心理学と自我の分析』からひいてみる(「同一視」は「同一化」として読もう)。
同一視の場合は、対象は失われているか、放棄されてしまっている。そのとき対象は自我の中で再建され、自我は失われた対象の手本にしたがって、部分的に変化する。ほれこみの場合には、対象は保たれており、そのまま自我によって、自我を犠牲にして過大評価(過剰備給)される。しかしこれについても疑念がある。同一視が対象備給の放棄を前提とするのは、いったい確実なことなのだろうか、保持された対象にたいする同一視はありえないのだろうか、この微妙な問題の論議に入る前に、われわれには、すでに次のような洞察がほのぼのと開けてくる。つまり、他の二者択一、すなわち、対象は自我のかわりになるのか、それとも自我理想のかわりになるのか、という問題がこの事態の本質をふくんでいるという洞察である。(「フロイト著作集 6」P229


このあと、指導者の選択をめぐって、次の図が示され、《一次的な集団とは、同一の対象を自我理想とし、その結果おたがいの自我で同一視し合う個人の集りである。》とされる。




この集団とは、象徴的同一化で「指導者」を選択し、その結果、想像的同一化しあう個人の集まり、ということになる。


指導者への象徴的同一化、すなわち、《そこからわれわれが見られているまさにその場所への同一化、そこから自分を見るとわれわれが自分にとって好ましく、愛するに値するように見えるような場所への、同一化》。

われわれが何らかの疚しい感情をもっているとする、だが、ある種の「指導者」に象徴的同一化することによって、そこから自分を見ると自らが好ましく愛するに値する存在にみえる首長があり、彼はわれわれの疚しい心を慰安してくれる(都道府県の長であるなら、直接選挙であるのだから、端的にこのようなことが起こっているのではないか、ーー思いがけない人物が指導者として君臨する機微のひとつだろう)。



さてさて……。