〈Some of these days
You'll miss me honey〉
いつか近いうちに 可愛いひとよ きみは
ぼくがいないので さびしがることだろう
(……)
……私は多くの海洋を横切った。多くの町をあとにし、河を遡り、あるいは森に踏み入った。そしてつねに別の町へ向った。多くの女と関係し、そのひもと殴り合った。しかし決してあと戻りすることがなかったのは、レコードが逆に回転しないのと同じである。そしてこれらのことすべては私を<どこへ>連れて行ったのか。この現在の瞬間へ、この腰掛けへ、音楽が高鳴るこの光の泡の中へだ。
〈And when you leave me〉
そうして きみがぼくを捨てて行ってしまえば
そうだ。私は、かつてローマでは、テベレ河の岸辺に腰を下ろすことをこの上もなく喜び、バルセロナでは日が暮れてからラムブラス街を幾回りも上ったり下りたりすることが好きだった。アンコールの近くにいたときはプラ-カンのバレイの小島で、一本のベンガル菩提樹が、ナーガの小礼拝堂を囲むように根を張っているのを見た。その私がいま、ここにいる。トランプのゲームをしている人たちと同じ瞬間を生きており、黒人の女が歌うのを聞いている。一方このとき戸外には暮れ方の夜が徘徊している。
レコードは止まった。(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)
さて、この“Some of these days”を歌う黒人女はだれだろう。
ところで今遺忘に備えてサルトルを引用したのは、《一本のベンガル菩提樹が、ナーガの小礼拝堂を囲むように根を張っている》の方が主である。アンコール・ワットの近くでこのような形状を取るのは、ガジュマルの樹しかない。
この樹は我庭にも数株あり、その中の一本は樹齢百年を越える樹で今では根が四方八方に這い伸び、いささか庭の整備に手間暇がかかる(月橘の樹)。沖縄名ガジュマル(別名、バンヤンジュ)をベンガル菩提樹Ficus benghalensis Linnと呼ぶとは知らなかった。ご本家のインド菩提樹とはまた種類が違うが同じ桑科ではあるらしい(インドボダイジュは、ベンガルボダイジュと同じくクワ科イチジク属の高木で、別名 テンジクボダイジュ)。
この樹は枝を払って壁に立て掛けておけば、根が伸び自然に育つ。数年に一度、植木屋を呼んで枝を払ってもらうのだが、最近は無料でその仕事をしてくれる。腕の太さ程の枝なら、すこし世話をしただけで日本円にして一本千円から二千円で売れるらしい。二〇本ほど切れば、かなりの実入りになる。我庭には西の塀際にココナツ椰子を五株日除けのために植えてあるのだが、三ヶ月から四ヶ月に一度、約百個ほどの実がなる。その実一個の値が約二十円ほど、百個でも二千円にしかならない物価の国である。
下の写真で左手前の樹はもちろんベンガル菩提樹だが、正面にある盆栽状のものも同じ樹であり、あの形にすれば、二、三万円の値がついたのは、もう十年ほど前だ。いまはいくらぐらいか知らない。
「ベンガル」と云えば、ジボナノンド・ダーシュの『美わしのベンガル』(臼田雅之訳)が忘れ難い。
君たちはどこへでも好きな所に行くがいい、私はこのベンガルの岸に
残るつもりだ そして見るだろう カンタルの葉が夜明けの風に落ちるのを
焦茶色のシャリクの羽が夕暮に冷えてゆくのを
白い羽毛の下、その鬱金(うこん)の肢が暗がりの草のなかを
踊りゆくのを-一度-二度-そこから急にその鳥のことを
森のヒジュルの樹が呼びかける 心のかたわらで
私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に
法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち
煎り米の家鴨(いりごめのあひる)を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-
「生命(いのち)の言葉」の匂いが触れてでもいるよう その女(ひと)は この池の住み処(か)に
声もなく一度みずに足を洗う-それから遠くあてもなく
立ち去っていく 霧のなかに、-でも知っている 地上の雑踏のなかで
私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このベンガルの岸に
ジボナノド・ダーシュ『詩集・美わしのベンガル』臼田雅之訳
ありえないほど美しい訳。ベンガル語がわかるわけではむろんないが、リズムと母音子音の響き合いの中から、ベンガルの稲田の上にただよう靄の湿りが、密林に鳴く鳥の声が、木末を滴る雨の音が、乙女の黒髪の匂いがせまってきて、背を快い戦慄が走ります。詩人の故国ベンガルへの強い抑制のかかった烈しい愛も。……