微恙あり。尿酸値上がる。薬を飲むといつもの如くいささかの嘔吐感。
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岡崎乾二郎:日本にグリーンバーグがいなかったのは、グリーンバーグより優秀な小林秀雄がいたから。 #genroncafe
――などと御大はオッシャッテイルらしい。
これはどこで語ったのかよく分からないが、次のような発言もあるそうだ(小林秀雄について:メモ)。
岡崎乾二郎 先日、近畿大学で小林秀雄の『近代絵画』を扱いました。小林秀雄は その当時読める物を海外の文献を含めてだいたい読んでいる。これだけ文献を読んでいる 日本人は彼しかいないだろうというぐらい読んでいる。確かに論としてはヒントしか 書かれていないんですが、発展させればクレメント・グリンバーグからさらに現代の ロザリンド・クラウスの議論に通じる論点までがそこにはある。なぜそういう射程 の深さがあったかというと、もちろんボードレールからアルフレッド・バーに至るまで、 先程の柄谷さんの話ではないけれど読むべき基本文献を読んでいたからですね。グリンパーグ やらクラウスと共通の出発点をきちんと押さえていた。小林秀雄というとそれだけで誤解 があって、現代の美術批評はもちろん、その当時もおそらく誰もこの本の可能性を理解して いなかったでしょう。「解説」を読むと案の定理解していなくて「画家たちの魂の深み」 みたいなことが書いてある(笑)。
つまり小林秀雄が前提とした文化的コーパス(サブカルチャーまで含めたかなりの広さの)を共有していないと、小林秀雄が何を言っているか、何を批判しようとしていたかは、わからない。グリンバーグが昔、日本に来て、マティスやセザンヌをみたことがない日本人には自分のいっているモダニズムの議論は意味がないだろう。それはむしろ幸せなのかもし れないなんてことをアイロニカルにいったけれど、この言葉は少なくとも小林秀雄には通用 しなかった。逆にいえば、ゆえに小林の美術論も当時の日本はおろか、現代の日本の文化の 状況でもまったく理解されえないだろうとも感じるのですね。その小林をわれわれが批判 しようとするときには、それ相当の覚悟がいる。せめて小林と同じくらいは美術や音楽に 触れていないとどうしようもない。現在小林よりもはるかに容易にそれに触れる チャンスがあるのに小林ほどにも経験がないというのはどうしようもない。
ははあ、かつて岡崎乾二郎は小林秀雄をめぐって「所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない」としたらしいが、これはとくに『近代絵画』をめぐってではなかったか。
岡崎 どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。(グリーンバーグ講義ノート1)。
これも批判の対象は、とくに小林秀雄に照準を向けてだろうが、それにもかかわらずやはり偉大だということか。それとも今の「批評」の程度が低すぎるということか。
一時期、高橋悠治や蓮實重彦の小林秀雄批判などがあり、それはそれで小林秀雄の弱点を的確に突いていた。
◆高橋悠治《小林秀雄「モオツァルト」読書ノート》(1974年)
批評は文学であり、「批評の方法も創作の方法と本質上異なるところはあるまい」と言う。このねたましげな表現にかくれて、小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない。冬の大阪で、小林秀雄の脳は手術を受けたようにふるえたかも知れないが、モーツァルトのメロディーは無傷で通りすぎてゆく。出会いは相互のものでなければならない。
この本は、つまらないゴシップにいやらしい文章で袖を引き、わかりきった通説のもったいぶった説教のあげくに、予想通り、反近代に改造されたモーツァルト像をあらわす。
作品について書かれた例外的な個所では、そのまわりをぐるぐるまわるだけである。うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋には、かつて水をたくわえるためにこのツボをつくった職人の心はわかるまい。
ゴシップのつみかさねから飛躍して、「誰でも自分の眼を通してしか人生を見やしない」とか、「ヴァイオリンが結局ヴァイオリンしか語らぬように、歌はとどのつまり人間しか語らぬ」などの大発見にいたるそのはなれわざには、眼もくらむおもいがする。やがては、「雪が白い」とか、「太郎は人間である」というような大真理だけを語ったことを感謝しなければならない日もくるだろう。
日本の音楽批評は、小林秀雄につけてもらった道をいまだに走りつづけている。吉田秀和や遠山一行や船山隆が、まわりくどい文章をもてあそんで何も言わないための「文学」にふけり、音楽の新刊書はヨーロッパ前世紀の死者へのレクィエム以外の何ものでもなく、死臭とカビがページをおおっている。「近代は終わった」とか「現代音楽は転換期にある」などと言う声をきけば、吸血コーモリのようにむらがって、できたての死体の分け前にあずかろうとするが、自分たちが二世紀前の死体の影にすぎないことには、とんと気がつかないらしい。
ここで、《うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋》と書く高橋悠治の言葉は、岡崎乾二郎の《所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない》という文の出所(のひとつ)としてもよいだろう。
名高い小林秀雄のランボー体験、モーツァルト体験などは、いずれも遭遇の物語であり、舞台装置や背景までが詳述されている。これは風景の中での制度的な遭遇にすぎず、いわばよくできた思考のメロドラマだ。(蓮實重彦『表層批判宣言』)
――で、わたくしはこう引用したからといって、何を言おうとするわけでもない。まあそれでもプルーストぐらい引用しておこう。
私は知っていた、――あまりにも長期にわたってかがやかしい名声を博していたものを闇に投じたり、決定的に世に埋もれるように運命づけられたかと思われたものをその闇からひきだしたりする批評の遊戯なるものは、諸世紀の長い連続のなかで、単にある作品と他の作品とのあいだにのみおこなわれるものではなく、おなじ一つの作品においてさえもおこなわれるものであることを。(……)天才たちがあきられたというのも、単に有閑知識人たちがそれらの天才たちにあきてしまったからにすぎないのであって、有閑知識人というものは、神経衰弱症患者がつねにあきやすく気がかわりやすいのに似ているのである。(プルースト「ゲルトマントのほう 二」井上究一郎訳)
批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっているから、作家が大衆によって判断されること(大衆にとって未知である探求の領野に芸術家がくわだてた事柄を、大衆が理解することも不可能でないとしての話だが)をむしろ好む傾向ともなるのであろう。というのも、大衆の本能的生活と大作家の才能とのあいだには、本職の批評家と皮相な駄弁や変わりやすい基準とのあいだより以上に、多くの相通じるものがあるからで、大作家の才能は、他のいっさいのものに命じられた沈黙のただなかで敬虔にききとられた本能、よく把握され、十分に仕上げられた本能にほかならないのである。(同 プルースト「見出されたとき」井上究一郎訳)
ところで、小林秀雄の『本居宣長』というのは、鴎外の『渋江抽斎』をモデルのひとつにしてるんじゃないだろうか。このところ抽斎伝や蘭軒伝を読んでいるのだが、まだ『本居宣長』を「再読」してみる気にはなっていない。
再読? 《再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない》(プルースト)