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2014年5月14日水曜日

五月十四日 木蓮と子犬の病

《変わったことはなにもない。》(サルトル『嘔吐』)

いや微恙がある。左膝の右側にうっすらと肉瘤が赤く盛り上がっている。膝のあの部分をなんというのだったか。皿だ、左膝の皿の右脇。なぜ皿というのだったかを調べてみると膝蓋骨なるものが皿の形をしているらしい。その次いでに、皿の外側を外膝眼ということを知る。膝の眼がものもらいとなったのだ。

「微恙」という語は荷風の日記で行き当たり、このところ何度か使ってみている。これは調べてみる気はしない。恙無いというのだから、微恙ありというのは微妙に恙虫がいるということだろう。これは外膝眼の腫れを表わすのにふさわしい。膝の肉の内側に虫が這っているようでむずむずするのだ。痛風の徴候であるが、今のところたいした症状ではない。とはいえ昼食は麦酒をやめて白ワインにする。暑い国の暑い盛りに麦酒が飲めないというのは殆ど忍び難い。本日は隔日の早朝テニスの日だったがそれも控える。

いちばんよいことは、その日その日の出来事を書き止めておくことだろう。(……)取るに足りぬことのようでも、微妙な違いを、小さな事実を、見逃さないこと。そして特に分類してみること。どういう風に私が、この机を、通りを、人びとを、刻み煙草入れを見ているかを言うべきだ。(サルトル『嘔吐』)

こう読めばロカンタンの日記のように書こうと束の間思う。他人の言説をいまさら批判しても致し方ない。日本の政治を批判しても詮無きこと。勝手にするがよい。さて今の思いは続くかどうか。他人に向けて書くのはもうやめにしよう、――と書くのは、他人に向けているのではないか。

取るに足らぬこととは、何があったか。庭に三株ある木蓮の一株の葉がすべて落ちてしまった。枯れてしまったかのようだった。この樹は次男の誕生記念に植えたもので枯死は縁起が悪い。昨日枝先から小さな若葉が萌え出ているのを妻が見出して、大声でわたくしを呼ぶ。「あなた、そんな縁起信じるの?」などとまったく気にしないふりをしていた妻が。





ひと月半ほど前、半年前に貰ってきた子犬が出産する。また小さい犬なので、二匹の赤子だけだった。ところでその母犬がひどい発熱をした(三週間ほど前だったか)。医者は胎内に残存物が残っていてその炎症が発熱の原因だという。横たわっているだけで、食事も取れない。水を与え、ミルクを与え、点滴をして、なんとか上体だけは起すことができるようになったが、後足がまったく利かず立ち上がれない。それが一週間ほど続き、なんとか動けるようになったのが数日前。だが脳梗塞をやった患者のように、顔を震わせ、跛を引きながら歩く。いまだ駈けることはできない。


日記をつけつときには、つぎのことが危険だと思う。すなわち万事誇張して考えること、見張っていること、たえず真実を歪めることである。(『嘔吐』)