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2013年5月10日金曜日

機銃掃射で ひとり残らずぶっ殺してやりたい(谷川俊太郎)



 「おれの曲に拍手する奴らを機銃掃射で
ひとり残らずぶっ殺してやりたい」と酔っぱらって作曲家は言うのだ

彼の甘美な旋律の余韻のうちに息絶える幸せな聴衆は
決して彼を理解しないだろう

だがぼくには分かる
自分の生み出したものの無意味に耐えるために
暴力の幻に頼ろうとする彼の気持ちが

ぼくらが創造と破壊の区別のつかない時代に生きているということが
                           

             (谷川俊太郎「北軽井沢日録」八月十四日 『世間知ラズ』所収)






飲んでるんだろうね今夜もどこかで
氷がグラスにあたる音が聞える
きみはよく喋り時にふっと黙りこむんだろ
ぼくらの苦しみのわけはひとつなのに
それをまぎらわす方法は別々だな
きみは女房をなぐるかい?

(谷川俊太郎「武満徹に」『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』から)




映画関係の人間が集まる、(……)そういうバーに行くことがあると、これは確実に映画音楽を作曲している人として、篁さんに会うことがあった。あの人はバーの入口からまっすぐおれのところに進んで来てさ。黒い鳥がさっと舞い下りるように脇に座って、きみのことを質ねるんだ。

それは古義人がちゃんと仕事をやっているかとか、アカリ君がどうか、というたぐいの話じゃないよ。じつに露骨にね、きみが自殺をしないだろうか、ということなのさ。会うたびにただそのことだけ聞かれるんだから、誤解のしようもない。……(大江健三郎『取り替え子』P91)

――すべてフィクションのなかの話だ。それに谷川俊太郎には作曲家の友人が何人かいる。大江の「黒い鳥がさっと舞い下りるに脇に座」る篁さんだって虚構のなかのこと。


ところで<きみ>や<わたくし>は、作曲家でもなく芸術家でもないが、「おれの曲に拍手する奴らを機銃掃射で/ひとり残らずぶっ殺してやりたい」という心持になったことはあるかい?

拍手されたことがないからわからない?
いやそれだったらいい
拍手されることもあるだろう<きみ>はどうだい?
金儲けのためにやってるんだから
いつも芸人・道化師として振舞って
恥じない<きみ>がいることは知っている
訊いているのはそれ以外の<きみ>にさ


そうだな、大袈裟に拍手する連中は
次のような鑑賞者がほとんどなのを知らないわけではあるまい

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。

(……)「ところできみ」とあなたの腕をとりながら、愛好者はつけくわえる、「ぼくはね、あれをきくのは八回目なんだけど、はっきりいって、まだそれが最後というわけじゃありませんよ。」まったくその通りで、彼らは芸術のなかにある真の養分を吸収しないから、つねに飢えを癒しえないあの病的飢餓症になやんで、たえず芸術的なよろこびを欲求するのだ。そこで彼らは、いつまでもつづけておなじ作品を喝采しに行き、おまけに、そこへ出かけることが、一つの義務、一つの行為を遂行しているものと思いこむ、あたかも他の人たちが重役会か、埋葬に出かけるように。(プルースト『見出された時』)

過日、きみたちのなかの一人の<きみ>に、きみはまるでプルーストの「愛好者」丸出しだね、と仄めかしたら、「意地悪ね」とかえされたがね


機嫌がわるかっただけさ
気にすんな
血圧と尿酸のせいだがね
断酒二ヶ月ってのは
タマンナイゼ

わかってるよ
「まぁ、世界というのはその程度のものさ」

いや羨ましいのさ
きみたちの常なる「凡庸性」が
べつにトーマス・マンを気取るつもりじゃないが

……幸福な凡庸性のうちに生き愛しほめることができたなら。…もう一度やり直す。しかし無駄だろう。やはり今と同 じことになってしまうだろう。-すべてはまたこれまでと同じことになってしまうだろう。なぜならある種の人々はどうしたって迷路に踏み込んでしまうからだ。(『トニオ・クレーゲル』)

ワインを一本空ければ
稀には
幸福な凡庸性に浸れるのだが



もちろん<きみ>たちのなかの<きみ>はもっと上品なスノッブだ
「ブラヴォー!」とか「最高!」とか叫びたてる猿の集団
声高に騒ぐホモ・ヒステリクス(感情を価値に仕立てた人間)と一緒にされたくない
感激しても声をひそめて、むしろひとには触れ回りたくないふりをする
ひとり静かに陶酔と嘆賞の吐息を洩らそうとする
だがそのかすかな吐息の仕草をだれかにこっそり見てもらいたいと願う
スノッブはいたるところにスノッブたちを求める
こうやって公衆を嘲笑うスノッブの仲間ができあがる
閉ざされたスノッブ村の「土人」たち
自分はみんなと違っているという確信を深めれば深めるほど
そこにある種の甘美な特権意識が生まれる
そう、その<きみたち>が「芸術」をささえている
その独創性の錯覚者たち

……特権的な才能の持ち主たちが文学を支えているのではなく、凡庸な資質しか所有していないものが、その凡庸さにもかかわらず、なお自分が他の凡庸さから識別されうるものと信じてしまう薄められた独創性の錯覚こそが、今日における文学の基盤というべきものだからである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

自分は他人と同じように感受せず、かつまた同じように表現しないという確信、この二重の確信が希薄に共有された「スノッブ村」の連中が存在しなければ、「芸術」は自分を支えることなどできはしない。

例外的な存在としての自分を確信するというこの「典型的な」非凡さへの意志、非凡さの確信者たちがいたるところでそれぞれの「閉ざされた村」の一員となる、すこしばかり傲慢に笑いながら。

《おまえは今いったいどこにいるつもりなんだい/人と人のつくる網目にすっぽりとはまりこんで/いい仕立てのスーツで輪郭もくっきり/……/今おまえは応えてばかりいる/取り囲む人々への善意に満ちて/少しばかり傲慢に笑いながら》(谷川俊太郎)


いささかも例外的ではないにもかかわらず
自分を例外的だと錯覚しうる魂は
いつでも無意識のうちに多数者と連帯しうる強味がある


これはなにも「芸術鑑賞」にかぎっての話ではない
ツイッターですこし気のきいた発話をして
大量のリツイートやファボをされるとする
(オレはツイッターに書き込むのはとっくの昔にやめたがね)

何か《洒落た》考察によって聴衆をほほえませるや否や、何か進歩主義的な常套句で聴衆を安心させるや否や、私はこうした挑発の迎合性を感ずる。私はヒステリー的欲動を遺憾に思う。遅まきながら、人に媚びる言述よりいかめしい言述の方が好ましく思われ、ヒステリー的欲動を元に戻したいと思う(しかし、逆の場合には、ヒステリー的に思えるのは、言述の《厳しさ》の方である)。実際、私の考察にある微笑が応じ、私の威嚇にある賛意が応じると、私は、ただちに、このような共犯の意思表示は、馬鹿者か、追従者によるものと思い込む(私は、今、想像上の過程を描写しているのだ)。反応を求め、つい反応を挑発してしまう私だが、私が警戒心を抱くには、私に反応するだけで十分である。 (ロラン・バルト「作家・知識人・教師」『テクストの出口』所収)

<きみ>にはこの程度の繊細さはあるだろ?
追従者・共犯者の反応に嫌気がさすってこと

「機銃掃射で/ひとり残らずぶっ殺してやりたい」ってこと


あるいは自分の媚態や挑発の迎合性に恥じるってことさ
それに恥じたら今度は逆にワザといかめしく振舞ってみて
(いや平静さを装ってでもいい)
それをも恥じるってこと
銃口を自分の口で咥えてみたくなるってこと


なんだって? そんなことないだと?
それにアタシ媚びたことないもん!、だって?

《自分は決して媚びないと知らせることは、すでに一種の媚びである》(ラ・ロシュフーコー)

フロイトの「無意識」なんていわなくたって
十七世紀人ラ・ロシュフーコーさえ既にそんなこと嘘っぱちだって言ってるさ

わかんないかい?
ヘンなひと! 反応たくさん貰ったらウレシイワヨ!、だって?
そうだったら徹底的な幸福者ということさ
じつに羨ましいね
気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいの輪が拡がっての幸福感に浸る

ああ、それならきっとこのたぐいだね

まがりなりにも芸術的とみなされる記号は、読まれ、聴かれ、見られる対象としてあるのではない、ともにその名を目にしてうなずきあえる記号であれば充分なのである。だから、それを解読の対象なのだと思ってはならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

まあそれもやむえないのは知っているよ
人類は進歩して、かつて居酒屋や井戸端でかわされた会話が
いまではインターネット上に書き込まれるようになったのだから
その徹底した幸福な凡庸性の会話がね
凡庸さもまた進歩する

《フローベールの愚かさに対する見方のなかでもっともショッキングでもあれば、またもっとも言語道断なことは、愚かさは、科学、技術、進歩、近代性を前にしても消え去ることはないということであり、それどころか、進歩とともに、愚かさもまた進歩する! ということです。》(クンデラ「エルサレム講演」『小説の精神』所収)

ーーークンデラ=フローベールの「愚かさ」とは、<きみ>たちの矯正不可能な「凡庸さ」ということさ。


十九世紀は機関車を発明しました。ヘーゲルは普遍的「歴史」の精神そのものを把握したと確信していました。フローベールは愚かさを発見しました。私はあえて申しますが、これこそ、おのれの科学的理性をかくも誇りに思っていた世紀の最大の発見です。

もちろん、フローベール以前にも、愚かさの存在を疑う人などおりませんでしたが、しかしそれはやや異なって理解されていたのです。つまり、それはたんなる認識の不在、教育によって矯正可能なひとつの欠点とみなされていたのです。ところで、フローベールの小説においては、愚かさは人間の存在と切り離すことのできない一次元なのです。

(……)フローベールは、自分のまわりの人々が知ったかぶりを気取るために口にするさまざまの紋切り型の常套語を、底意地の悪い情熱を傾けて集めています。それをもとに、彼はあの有名な『紋切型辞典』を作ったのでした。この辞典の表題を使って、次のようにいっておきましょう。すなわち、現代の愚かさは無知を意味するのではなく、先入見の無思想を意味するのだと。フローベールの発見は、世界の未来にとってはマルクスやフロイトの革命的な思想よりも重要です。といいますのも、階級闘争のない未来、あるいは精神分析のない未来を想像することはできるとしても、さまざまの先入見のとどめがたい増大ぬきに未来を想像することはできないからです。これらの先入見はコンピューターに入力され、マス・メディアに流布されて、やがてひとつの力となる危険がありますし、この力によってあらゆる独創的で個人的な思想が粉砕され、かくて近代ヨーロッパの文化の本質そのものが息の根をとめられてしまうことになるでしょう。(クンデラ「エルサレム講演」『小説の精神』所収) 
インターネット、なかんずく、そのソーシャル・ネットワーキング・サービス上では、誰でも「平等に」書き込めるようになった二十一世紀、この「愚かさ」はさらにいっそう稀にみる勢いで発展中ってわけさ

<わたくし>はどうだって?
この文には、オレは猿の集団の一員でも、スノッブ村の土人でもない、という「特権意識」にみちみちているだろう
そんな奴はいたるところにいるさ

いささかも例外的ではないにもかかわらず
自分を例外的だと錯覚しうる魂のひとつ


スノッブを回避しようとしながら、避けようとする身振りの単調さによって
改めてその「愚かさ」の一貫性とそれへの加担を証拠だててしまっているだけさ
孤立を衒いつつ連帯する別のスノッブ村の土民にきまってるだろう



そうだな
武満徹をめぐる虚構ばかりじゃなんだから
ノンフィクションを附記しておくよ





作曲家の生活   高橋悠治   (『音楽の反方法論序説』より)
 

雨の朝きみは武満徹を思い出している。
かれが亡くなって一月たった。
きみはかれのピアニストだった。
作曲の助手だったこともある。そこできみは
細かく書き込まれたスケッチから
映画のためのオーケストラ・スコアを作り、
楽器について、映画と音楽の関係についてまなんだ。
ながいあいだのように思っていたが、それは
ただ 3 年ほどの、しかし密度のある時間だった。
それからかれの友人となり、つぎに批判者となった。
そのことでかれはきずついた。
だが、きみとちがって、かれは
きみのことを悪くいうことはなかった。
きみは別な道を行った。
しばらく会うこともなかった。
何年もたって、ある町でかれの楽譜が売られていた。
崇拝者の列が、かれのサインを待っていた。
きみは、昔きみのために書かれた曲の楽譜を買って
列に加わった。
冗談のつもりだったが、あれは冗談だったのか。
そしてまた友人となり、十年がすぎた。

しばらくかれの姿を見なかった。
病気といううわさだった。
ひとに会わないようにしているのだと思って
たずねることもしなかったが、
きみは何にこだわっていたのか。
そのあいだに季節はめぐり、きみは
友人を二度うしなうことになった。

記憶はもろいものだ。
かれとはじめて話したのは嵐の夜だった。
台風で電車が止まり、古い旅館に泊まった。
やかましい雨の音のなかで、何を話したのか。
かれの娘が生まれた夜も、きみはかれの家に泊まっていた。
知らせを待ちながら、何を話したのか。
ことばは浮かんでこない。
ありありと感じられるのは、かれの声の響だけだ。
かれを思い出すとき、かれの音楽は響いてこない。

かれは作曲家だった。
それだけではない。かれは作曲家であろうとしていた。
かれはたしかに音楽を愛していた。
そのために生きていたと言えるほどだった。
若い時あこがれた音楽、
かれのグループがコンサートでとりあげたシェーンベルクや
メシアン、ラジオから流れてきたあの頃のアメリカの唄、
それらがかれの内部で響きやめたことがあっただろうか。
そのひたむきな愛は、かれをどこに連れていったのか。
心の内側で響きかわす鐘の響、はるかな歌。
それはだれの音楽だろう。
それがかれの音楽となって現われた時から、
かれはその音楽の内側にとじこもらなかっただろうか。
音楽を家とするのはしあわせか。

音楽はかれをひろい世界に連れ出した。
かれはたくさんの音楽家たちを友人にもった。
指揮者、ソリスト、オーケストラ、音楽出版社。
オーケストラをめぐる世界の音楽市場。
そこでは、音楽は交換される手形のようなもの、
かれの署名、かれの身分証明書ではなくて何だろう。

オーケストラは世俗権力とむすびついている。
東アジアでは二千五百年も前から宮廷の音楽だった。
それがヨーロッパに現われたのは、そんな昔のことではない。
いま国家があるからオーケストラがある。
国家が壊れれば、オーケストラも壊れる。
国境がなくなれば、オーケストラもいらない。
オーケストラ音楽を作曲するひとは、音楽を
じぶんのものにするだけではたりない。
国家に属さず、国家を背負わないで作品がうけいれられると
思うなら、やってみるがよい。

音は生まれ、音は消え去る。同じ音は二度と生まれない。
一つの音があり、別な音がある、それだけだ。
一つの音が次の音に導くこともない。
一つの音は生まれたその場所で消える。
次の音は次の場所で生まれ、そこで消える。
それらを連続したものと感じているのは、
創造の衝動、心の軌跡、
一つの音を創り、それを完結することなく放棄して、
次の音に向かう欲望のメカニズムではないだろうか。
だが、現実には一つの音さえ創ることはできない。
手があり、楽器があり、意図があり、うごきがある。
それらの組み合わせが瞬間ごとに明滅する。
そこにはだれの姿も見えない。
一つの運動がそれ自体をうごかしていく。

音楽の創造とは夢にすぎない。幻覚にすぎない。
音楽を創るのは、穴のあいた器で水を汲むようなものだ。
こぼれる砂にかたちをあたえ、自分のものにしようとしても、
にぎりしめる手にのこるのは、空白の時間でなくて何だろう。
つかまえることのできない音を追って、一つの作品を創り、
最後のページを書き終えても、音楽は完成されることはない。
創られた音楽はかれのものにはならない。
音楽はかれのなかにあるとも言えず、
音楽のなかにかれがいるとも言えない。
かれは音楽ではない。音楽はかれではない。
音楽がどこに存在するか言うことはできるだろうか。
そして、かれはどこにいるのか。

ほかの人びとにとっては、かれの音楽はかれのものであり、
かれの作品のなかにはかれがいる。
かれのなかには、まだ書かれていない音楽がある。
かれ自身もほとんどそれを信じている。
信じていなければ、作曲家の生活はない。
だが、創造の衝動はだまされない。
ほかの人びとがこの響にかれの名をきくのなら、
かれはそこに何をきけばよいのだろう。
内部に響く歌にかれの名をあたえようとしても、
作品によってそれに近づくことはできない。
たくみに張り巡らした網は、音楽をとらえない。
かれのものとしてのこるのは、創造という行為だけだ。
創造行為とは、音楽によって音楽から遠ざかることではない
と、どうして言えないだろうか。
みたされない思いが次の作品を創らせる。
じぶんの紡ぐ糸に包み込まれるクモのような
このとらわれを、ほかの人びとは成熟と呼ぶ。
かれ自身もほとんどそれを信じるだろう。

これが音楽への愛だ。これが作曲家の生活だ。
生活はやがて壊れていく。顔も声もうしなわれる。
思い出も消え、名も消える。
作品も永遠ではありえない。
だが、だれもいなくなり、なにもなくなっても、
創造の夢だけは、種子のように漂いながら、
それ自身を夢見つづけるだろう。
この夢がやすらぎを知ることはない。