国家の最高官吏たちのほうが、国家のもろもろの機構や要求の本性に関していっそう深くて包括的な洞察を必然的に具えているとともに、この職務についてのいっそうすぐれた技能と習慣を必然的に具えており、議会があっても絶えず最善のことをなすに違いないけれども、議会なしでも最善のことをなすことができる。(ヘーゲル『法権利の哲学』)
国家のホンネはひとびとが年金受給年齢になったら死んでくれることだ
健康保険金を食いつぶす病者たちははやくお陀仏してくれることだ
失業保険や生活保護だと? 税金払わないやつらは野垂れ死んでくれることだ
国の経営者だったらそう願うのは当たり前だ
ただし優秀な官僚たちは「企業」や「政治家」たちとの配偶関係(その娘や孫娘を娶る)や天下り先などで「えげつない」資本主義に絡め取られているには相違ない。
どの国でも、官僚たちは議会を公然とあるいは暗黙に敵視している。彼らにとっては、自分たちが私的利害をこえて考えたと信ずる最善の策を議会によってねじ曲げられることは耐え難いからである。官僚が望むのは、彼らの案を実行してくれる強力且つ長期的な指導者である。また、政治家のみならず官僚をも批判するオピニオン・リーダーたちは、自分たちのいうことが真理であるのに、いつも官僚や議会といった「衆愚」によって邪魔されていると考えている。だが、「真理」は得体の知れない均衡によって実現されるというのが自由主義なのだ。(柄谷行人『終焉をめぐって』)
だが高級官僚たちは少なくともきみたち衆愚のように阿呆ではない
そして「国家」とは税金の収奪装置に決まっている
持続的に強奪するためには、被強奪者を別の強奪者から保護したり、産業を育成したりする必要があるからだ。それが国家の原型である。国家は、より多く収奪しつづけるために、再分配によって、その土地と労働力の再生産を保証し、灌漑などの公共事業によって農業的生産力を上げようとする。その結果、国家は収奪の機関とは見えないで、むしろ、農民は領主の保護に対するお返し(義務)として年貢を払うかのように考え、商人も交換の保護のお返しとして税を払う。そのために、国家は超階級的で、「理性的」であるかのように表象される。したがって、収奪と再分配も「交換」の一種だということができる。人間の社会的関係に暴力の可能性があるかぎり、このような形態は不可避的である。(柄谷行人『トランスクリティーク』)
ーーワタクシが逃げたなどと!
だがすでにワタクシは十分に書いた、以下のようにして。
・「人間も、働けなくなったら死んでいただくと大蔵省は大変助かる」
・高齢化社会対策の劇薬
・「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)
どうせ読みもしないだろうから、次ぎのごとくを読んでおけばよろしい。これがごく「常識的」な経済学者の見解だ。日本はいったん「劇薬」を飲むべきだという見解とはほど遠いが、このままでは--要するにきみたちのような人情派が猖獗する日本ではーー劇薬をこの数年のあいだに飲むことになるだろう。それもまたいい。「日本はいったん亡びるべきだ」(北野武)。
小黒一正@DeficitGamble11月6日
本当の対立軸は「いまの痛みか vs 近い将来のより大きな痛みか」→(NBO)再増税を巡る対立の本質は「実施 vs 延期」ではない http://goo.gl/gi3bdY
池尾和人 @kazikeo 12月4日(2013)
私は「消費税引き上げの影響は存外に大きい可能性がある」という見方です(植田和男先生とたぶん同じ)。ただし、目先の景気と将来の負担との比較の問題で、目先の痛みは大きいとしても、それをしなかったときの将来の痛みはもっと大きいと考えています。RT @iida_yasuyuki
きみたちの消費税増反対などというものは、《文句も言えない将来世代》への残忍非道の振舞いあるのにそのことに気づいていない(参照:アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン)。それを阿呆、あるいは完全ロバという。
簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。
しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)
もっとも、日本は消費税導入時に、3%などというネズミのションベン的数字で導入した大きな政策的ミスがあったのは否定できない。すくなくとも10%で導入して、その当時、他の税をいくらか下げておいたらよかったのだ。
◆諸外国における付加価値税の標準税率の推移
◆諸外国における付加価値税の標準税率の推移
というわけで、このたぐいの話はもう御免こうむる。ワタクシはいま忙しいのである。
ーーそうそう、これぐらい読んでおけよ。
話半分にな、そのうち「クルーグマン教授“日本に謝りたい…”」と、またいうかもしれないからな。