財政制度等審議会会長の吉川洋東大大学院教授曰く、
吉川洋氏は2009年に次のように語っている。
--消費税増税を延期すべきだとの声が高まっている
「予定通り来年10月に10%に引き上げるべきだ。そもそも、消費税増税の目的は社会保障制度を持続可能な制度にするためだ。高齢化で年金、医療、介護の給付金など支出が膨らみ、現役世代が払う保険料だけでは賄えない分を税金で支えてきた結果、日本は国内総生産(GDP)の2倍超の財政赤字を抱えることになった。大きな戦争が起こっていない平和な国で、この巨額の赤字は異常だ。放置すべきではない」(吉川洋・東大大学院教授に聞く 社会保障維持へ10%判断を)
吉川洋氏は2009年に次のように語っている。
一人っ子家庭が増加するにつれ、若者たちは 「結局は年老いてからひどい扱いを受け、蔑まれることになるのに、若い時分に自分の望みを押さえ生活を窮乏にしなければならない理由がどこにあろうか」と考えはじめる。また「なに よりも女房と子供のために働きかつ貯蓄せん」 という動機は失われ、個人主義的功利主義が支配するようになり、人々は「ただ将来のために働くことを命ずる資本主義的倫理をも喪失する に至る」とする。吉川は、 「シュンペーターによれば、優良な 投資機会が少なくなるということで資本主義は滅びはしない。それは家族の変容を伴いながら 企業家精神が喪失されることにより自壊するのである」と結論づけている。(『企業家精神―シュンペーター『経済発展の理論』財務総合政策研究所研究部長 田中 修)
…………
ところで知る人ぞ知る『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』なるものがある。研究会発足にあたる2012年時点での問題意識は、《われわれは日本の財政破綻は『想定外の事態』ではないと考える。参加メンバーには、破綻は遠い将来のことではないと考える者も少なくない》とされている。
2012年6月22日の第1回会合では、三輪芳朗氏の《もはや『このままでは日本の財政は破綻する』などと言っている悠長な状況ではない?》という論点メモが提出されている。疑問符をつけているのがやや遠慮深いとはいえるが、経済理論的にはいつ財政破綻してもおかしくない状況でまた回避できようもないのだから、そんな「悠長な」ことはやめて「その後」を考えようというものだ。これは冒頭に掲げた吉川洋氏のいまだあきらめきれない「誠実な」立場とは異なり、一見「ひねくれた」、あるは「やけくそ気味」の人たちの集まりとも感じれれる。
メンバーは次の通り。
直近の会合の概要欄(第21回2014.8.27)には次のようにある。
日本の深刻な財政危機状態や2%の物価上昇率を目標に掲げる日銀の歴史的な積極的金融緩和策が続行されるなか、8月末時点の長期債の最終利回りは0.5%を下回っている。ある意味、不可解な現象である。われわれは過去2年間「現状の日本でなぜ国債価格の大幅下落、急激なインフレを伴う「財政破綻」は現実化しない、その予兆も見えないのはなぜか・・・?」という問題意識を抱き、研究会を続けてきた。そして過去数回の研究会では、日本の国債価格の形成メカニズム、とりわけ投資家の期待形成メカニズムや資産選択行動を解明する糸口を求めて関連するファイナンス研究について見てきた。
来年10月予定の消費税再増税について「増税で景気が落ち込みば財政・金融政策で対応可能だが、延期で国債価格が下落(金利は上昇)すれば対応が難しい」との持論を繰り返した。「今のところ政府の財政再建の方針は守られている」と増税決行に期待を示した。(追加緩和手段に限界ない、現時点で議論不要=黒田日銀総裁 2014.9.11)
──異次元緩和後の金利動向をどうみているか。
「金利に対しては2つの違う働きの効果が働いている。国債を大量に買い入れたため、名目金利やリスクプレミアムは下がる。一方、予想インフレ率が上がることで名目金利が上昇する要素もある。金融政策の結果、予想インフレ率が上昇し、実質金利が下がっているかどうかが一番大事だ。そうでなければ株や為替、実体経済に対する影響が出てこない。(現在の実質金利は)BEIでみるとマイナスだ」(岩田日銀副総裁インタビューの一問一答 2103.6.24)
これらの「懸念」のよってきたるところの大きな理由のひとつを池尾和人氏は次のように説明している。
「日銀が大量の国債を買い取ることで、これまで民間部門が保有していた国債が減るために、国債の需給が引き締まり、長期国債の利回りは低下する要因となるはず。一方で他の資産市場にシフトして国債市場から離脱する市場参加者の方が多ければ、かえって需給が緩み、結局利回りは下がらない。何らかのストレスが市場に発生することで、財政に伝播してしまうリスクや、金利上昇の際のリスクが大きくなったともいえる」と不安を示す。
ただし「何が起こるかは、民間金融機関の行動次第だ。買えるだけの国債は買った上で買えない部分だけ外債投資に移すのか、あるいは、国債市場から離脱して他の投資先を本格的に求めていくのかによって、生じる結果も変わる。確定的なことはわからない」として、今後の市場の動きを見極める必要性を指摘する。
さらに大きなリスクとみているのは、デフレから脱却して景気が回復すれば、金利が上昇し、利払い負担が膨らむこと。「これまでは、デフレのもとで財政が奇妙な安定を保ってきたが、デフレから脱却して金利が上昇すると、財政の安定が崩れるというリスクがある。その際、成長率上昇による税収増と利払い費の比較になる。税収に比べて利払いが大きくなっているので、成長率が1%上がった場合、金利も1%上がると、税収増より利払い増が大きくなり、資金繰りが苦しくなる」というものだ。
そのうえで、デフレ脱却を目指す以上、財政リスクへの備えが欠かせないと指摘。「これだけの公的債務を抱えている国の首相が、金利上昇方向の政策を推進し、大胆な緩和策をとる以上は、それに見合った財政のコンティンジェンシープランが必要だ」と強調する。(インタビュー:利払い負担で資金繰り苦しく、財政不安定化も=池尾教授)
※参照:
……数日後、来年の日本経済に関する予測特集を組む予定だという経済誌の記者から、「先生が主催されている『財政破綻後の日本経済』の姿に関する研究会について一度お話を伺えませんか?」というメールを受け取った。「毎回議事録を掲載しています。あれ以上に具体的に何を聞きたいというのですか?」と返信した。「日本財政はどういう帰結をたどる可能性が高いか」「その結果、何が起きるのか(国債デフォルトあるいはハイパーインフレ?)」「財政破綻を防ぐにはどうすれば良いのか?」など6項目だという。「議事録を読んで聞きたいことを明確にしていただけませんか?マナーというものがあるでしょう」という返信に対する、数時間後の「大変失礼しました。申し訳ありませんでした」という回答で終了した。多くの「関係者」にとって、「想定外の」内容の議論・研究会であることを象徴するように見える。 年金受給年齢に達した生活者としてはあまり現実化して欲しい内容のものではない。そういう「利害」を棚上げして、内容を真摯に受け止め、積極的に議論に参加したメンバー各位に深謝します。
実際、彼らは「誠実な」ひとびとの集まりであり、第一次世界大戦後のドイツの財政破綻によるハイパーインフレーションなども「真摯に」研究されており、そこにはこうある。
ドイツのインフレ、あの有名なhyperinflationが現実化したのは1923年秋の8月から11月の短期間であり、ドイツ皇帝が退位した1918年11月やVersailles条約調印の1919年6月から4年以上経過後のことである点に何よりも驚いた。敗戦後の混乱した状況下ですぐに現実化したのではない。敗戦後もかなりの率のインフレが進行し、1922年の高率のインフレの後に半年間以上の安定期を経て、1923年8月から11月までの短期間に物価水準が107倍(つまり10,000,000、1千万倍)になるというhyperinflationが現実化した。これに比べれば、先行する時期のインフレ(あるいは第2次世界大戦後の日本のインフレ)もかすんでしまうだろう。
この発表をされた福井義高氏のメモにはこうある。
・意外に悪影響の少ない劇薬?
・長期的視点でみれば、単なる一時的落ち込み
・ 政治的影響も小さい
・(ハイパー)インフレのメリット – 最終局面を除き、低失業率の実現
・国民の広い範囲にインフレ利得者が存在
・日本への教訓 – ハイパーインフレ恐るるに足らず?
・むしろ究極の財政再建策として検討すべき?
ーーなかなか過激な見解である。物価も、たとえば500円のざるそばが5万円(百倍)になれば驚くが、50億円になれば(1千万倍)笑ってすますことができるかもしれない。北野武の「日本はいったん亡びたほうがいいんじゃないか」、という発言のヴァリエーションのようにさえ思える。これを読むと岩井克人の見解などひどく「常識的」にみえてしまう。彼らは、いったん日本の財政は崩壊して新たに出直すべきだという議論までしているのだから。
……デフレはすべて悪であるが、インフレはすべて善ではない。それは、さらなるインフレを予想させてインフレをさらに強めるという悪循環に転化する可能性を常に秘めている。その行き着く先であるハイパーインフレこそ、貨幣の存立構造それ自体を崩壊させる最悪の事態である。
好況は多数の人が永続することを願っている。その多数の声に逆らって、善きインフレが最悪のハイパーインフレに転化するのを未然に防ぐ政策を実行すること、それが中央銀行の独立性の真の理由である。しかし、その心配をするのはまだ早い。いまはインフレ基調の確立により総需要が刺激され、日本経済が長期にわたる停滞から解放されることを切に望むだけである。(「日本経済新聞2013年3月14日 経済教室 岩井克人」)
実は消費税増反対をくり返している「左翼」のひとたちも、蕩尽を、内心ーー仮に無意識的にであれーー、望んでいるのなら、なかなかの器である。先日、「左翼」の論客を貶してしまったが、彼らの器量はひょっとしてわたくしに窺い知れない偉大なものがあるのかもしれない。いたずらな嘲笑は、わたくしの凡庸さのなせる技であった。『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』の学者センセの議論を読んで反省することしきりである。ーーシツレイしました!
外苑前で2万円のビジネスランチを食べ、麻布十番の顧客を訪問する。50歳でリタイアし、マレーシアで海外移住生活を送っていたのだが、円安と地価の下落を見て、外貨資産を円に戻して日本に帰ってきた「海外Uターン族」だ。
彼ら新富裕層のおかげで、私は会社でトップ5に入る営業成績を維持できている。目標に到達できなければ問答無用で解雇されるが、成績次第で青天井の報酬が支払われる。私が以前勤めていた電機メーカーはインドの会社に買収され、「同一労働同一賃金」の原則のもと、いまでは日本人社員もインド人と同じ給料で働いている。
今日は早めに仕事を切り上げて、6時の特急電車で南アルプスの家に帰る。
金融危機とそれにつづくハイパーインフレで、私の実家も妻の実家も、祖父母が年金だけは生活できなくなった。そのうえ父と義理の父がリストラされ、路頭に迷ってしまった。それで田舎に3軒の家と農地を格安で購入し、一族が肩を寄せ合って暮らすようにしたのだ。同じようなケースはほかにも多く、日本は大家族制に戻りつつあった。
東京駅前には、赤ん坊を抱いた物乞いの女たちが集まっていた。その枯れ枝のような細い腕を掻き分けて改札を通り抜けると、5000円のビールとつまみを買ってあずさのグリーン席に乗り込む。平日は都心のワンルームマンションで単身赴任し、週末に家族の待つ田舎に戻る生活を始めて1年になる。
プルトップを引いて、冷たいビールを喉に流し込む。この週末は、失業した妻の弟が、いっしょに暮らせないかと相談に来ることになっている。娘の進学問題も頭が痛い。将来に不安がないわけではないが、泣き言はいえない。いまや一族の全員がわたしを頼っているのだ。
中国語やハングルやアラビア文字のネオンサインが、新宿の夜空をあやしく染めていた。青白い月を眺めながら、いつしか浅い眠りに落ちていた。
…………
ところで、国債価格が下落しない《不可解な現象》が起こっているのはなぜなのか? ここではわたくしが依拠するところの多い「常識的な」岩井克人センセにもういちどお出まし願おう。
【ケインズの「美人投票」の理論】(岩井克人『グローバル経済危機と二つの資本主義論』より)
ケインズの美人投票とは、しゃなりしゃなりと壇上を歩く女性の中から審査員が「ミス何とか」を一定の基準で選んでいくという古典的な美人投票ではない。もっとも多くの投票を集めた「美人」に投票をした人に多額の賞金を与えるという、観衆参加型の投票である。この投票に参加して賞金を稼ごうと思ったら、客観的な美の基準に従って投票しても、自分が美人だと思う人に投票しても無駄である。平均的な投票者が誰を美人だと判断するかを予想しなければならない。いや、他の投票者も、自分と同じように賞金を稼ごうと思い、自分と同じように一生懸命に投票の戦略を練っているのなら、さらに踏み込んで、平均的な投票者が平均的な投票者をどのように予想するかを予想しなければならない。「そして、第四段階、第五段階、さらにはヨリ高次の段階の予想の予想をおこなっている人までいるにちがいない。」すなわち、この「美人投票」で選ばれる「美人」とは、美の客観的基準からも、主体的な判断からも切り離され、皆が美人として選ぶと皆が予想するから皆が美人として選んでしまうという「自己循環論法」の産物にすぎなくなるのである。
ケインズは、プロの投機家同士がしのぎを削っている市場とは、まさにこのような美人投票の原理によって支配されていると主張した。それは、客観的な需給条件や主体的な需給予測とは独立に、ささいなニュースやあやふやな噂などをきっかけに、突然価格を乱高下させてしまう本質的な不安定性を持っている。事実、価格が上がると皆が予想すると、大量の買いが入って、実際に価格が高騰しはじめる。それが、バブルである。価格が下がると皆が予想すると、売り浴びせが起こり、実際に価格が急落してしまう。それが、パニックである。
ここで強調すべきなのは、バブルもパニックもマクロ的にはまったく非合理的な動きであるが、価格の上昇が予想されるときに買い、下落が予想されるときに売る投機家の行動は、フリードマンの主張とは逆に、ミクロ的には合理的であるということである。ミクロの非合理性がマクロの非合理性を生み出すのではない。ミクロの合理性の追求がマクロの非合理性をうみだしてしまうという、社会現象に固有の「合理性のパラドックス」がここに主張されている。
というわけで、日銀首脳もある種の経済学者も、《ささいなニュースやあやふやな噂などをきっかけに、突然価格を乱高下させてしまう本質的な不安定性》を怖れているわけだ。そしてその動因のひとつが、消費税増延期によって、日本は財政破綻の回避に真剣に取り組む気がないんじゃないか、という「あやふやな噂」が市場関係者のあいだで流通してしまうことになるのだろう。
これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。(「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人))
ケインズの「美人投票論」というのは、市場関係者の「欲望」にかかわるのはよく知られている。ドゥルーズ&ガタリは、「通貨の問題」と書いているが、「国債価格の問題」を代入して読んでおこう。
ケインズがいくつか貢献したことのうちのひとつは、通貨の問題の中に欲望を再び導入したことであった。こうしたことこそ、マルクス主義的分析の必要条件にあげられるべきことなのである。だから、不幸なことは、マルクス主義の経済学者たちが大抵の場合多くは、生産様式の考察や『資本論』の最初の部分にみられる一般的等価物としての通貨の理論の考察にとどまって、銀行業務や金融操作や信用通貨の特殊な循環に十分に重要性を認めていないということである。(こういった点にこそ、マルクスに回帰する(つまり、マルクスの通貨理論に回帰する)意味があるのである)。(ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』)