いわせてもらえば、消費税増やら社会保障費削減の課題を「抑圧」して、安倍死ね!やらネオナチくたばれ!とか、やれ弱者救済だとか教育制度の充実だのを叫んでいるのみの輩は、超少子高齢化社会にその多くが起因するだろう財政危機逼迫という釈迦の掌で猿回しをやっている宮廷道化師でしかない。
ツイッターでよくみかける我かんせずの涼しい顔をした「知識人」、――学者や研究者であったり芸術家であったりする人種だがーー、まあ彼らはほうっておけばよろしい。もともと精神の中流階級に属する人種で彼らにはなんらかの期待をするのはシツレイである。
学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の“偉大な”問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』)
文学や自然科学の学生にとってお極まりの捌け口、教職、研究、または何かはっきりしない職業など(……)これらの学科を選ぶ学生は、まだ子供っぽい世界に別れを告げていない。彼らはむしろ、そこに留まりたいと願っているのだ。教職は、大人になっても学校にいるための唯一の手段ではないか。文学や自然科学の学生は、彼らが集団の要求に対して向ける一種の拒絶によって特徴づけられる。ほとんど修道僧のような素振りで、彼らはしばらくのあいだ、あるいはもっと持続的に、学問という、移り過ぎて行く時からは独立した財産の保存と伝達に没頭するのである。( ……)彼らに向かって、君たちもまた社会に参加しているのだと言ってきかせるくらい偽りなことはない。( ……)彼らの参加とは、結局は、自分が責任を免除されたままで居続けるための特別の在り方の一つに過ぎない。この意味で、教育や研究は、何かの職業のための見習修業と混同されてはならない。隠遁であるか使命であるということは、教育や研究の栄光であり悲惨である。(レヴィ= ストロース『悲しき熱帯』 Ⅰ 川田順造訳)
いま猿回しといっているのは、「左翼」やら「リベラル」やらと呼ばれる種族で、一見「正義」面した「誠実で真摯」のつもりでいる連中だ。ここでつけ加えておけば、彼らの言葉に湿った瞳をおくり頷き合っているにわかインテリとして振舞いたいらしい猿どももほうっておけばよろしい。
「左翼」やら「リベラル」やらの手合いは、なぜ消費税増や社会保障費削減について噤むのだろう。彼らの表面的・庶民的な「正義感」には似合わないせいか。だがこれは黒か白かの選択しかない。
消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。(岩井克人ーー「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人))
どっちをとるかだけの問題であり、現実は米国型をとりつつある。
国民の中では、「中福祉・中負担」でまかなえないかという意見があるが、私どもの分析では、中福祉を維持するためには高負担になり、中負担で収めるには、低福祉になってしまう。40%に及ぶ高齢化率では、中福祉・中負担は幻想であると考えている。
仮に、40%の超高齢化社会で、借金をせずに現在の水準を保とうとすると、国民負担率は70%にならざるを得ない。これは、福祉国家といわれるスウェーデンを上回る数字であり、資本主義国家ではありえない数字である。そのため、社会保障のサービスを削減・合理化することが不可避である。(武藤敏郎「日本の社会保障制度を考える」)
というわけで中負担なら、少福祉であり、正義の味方くんたちは、無意識的にそれを選択しつつある。
消費税20%以上にして社会保障費を3割カットするのがイヤなら(参照:「諸君、それは共産主義、“可能なる”共産主義以外の何であろう」(マルクス))、ベーシックインカム制度などを導入するしかない。ベーシックインカムが夢物語であるなら、負の所得税ぐらいしかない。
ミルトン・フリードマンは1962年に、貧困者対策として「負の所得税」構想を提起した。それは、第一に、すべての人および課税基盤の全体に対して唯一つの税率を適用すること、第二に、基礎的な人的控除と厳密な意味での必要経費以外に一切の控除を認めず、所得の総額に課税することを前提した上で、 「所得が課税最低限度を下回る場合に、その差額分に税率を掛け合わせたものを補助金として支給する制度である。 」 (フリードマン、1984)。彼はこれについて、 「現在の徴税機構をそのまま利用し、ある所得水準に達しないすべての人々に財政援助を与えよう」という考え方であると説明している。夫婦と子ども 2 人の 4 人家族で、所得税控除額が3000ドルというケースで考えてみよう。その家族の所得が3000ドルであったとすれば、所得と控除が相殺されて課税所得はゼロとなり、税金を払う必要はない。4000ドルの所得があると、控除を差し引いた1000ドルに均一の税率が適用される。2000ドルの所得の場合には、課税所得はマイナス1000ドルとなり、負の所得税率が50%であるとすれば、負の所得税として500ドルが給付される。所得がゼロの場合には、課税所得はマイナス3000ドルとなり、給付される金額は1500ドルになる。この例では、税金を払わず、給付も受けないという所得の水準が3000ドルで、最低保障所得は1500ドルになるが、フリードマンはこの二つの金額に差があることが、低所得家庭に自ら収入を得ようとする意欲を失わせないために、重要であると言う。また、このような包括的な制度の実現によって、児童手当や生活保護などの直接救済制度を完全に廃止することが可能になると主張する。 (フリードマン、1984)(「日本の社会保障制度の現代的課題」加茂直樹)
もっともこれも消費税20%以上にしてからの話である。これは思い掛けない経済成長をしても、他の歳出削減をしても免れない。そもそも日本においてはBI制度も、実は高齢者の社会保障費を削減して現役層に資源を振分ける施策であることに変わりはない。
日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013)より)
他にも正義の味方くんたちの主張していることは、次の通りである。
公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである(国家債務危機 ジャック・アタリ)
簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。
しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)
すなわち将来世代に借金を背負わせて、「後は野となれ山となれ」派の主張である。「善意」にみちあふれた諸君よ、オメデトウ! 未来の他者の殺人者よ! ユダヤ人迫害ならぬ未来の子供の迫害者よ! 隠れナチスよ!
現代日本の精神構造は、中世の魔女裁判のときやヒットラーのユダヤ人迫害のときの精神構造とそれほど隔たったものではない。ほとんどの人は安心してみんなと同じ言葉をみんなと同じように語る。同じ人に対して同じように怒りをぶつける。同じ人に対して同じように賞賛する。(『醜い日本の私』中島義道)
…………
まあツイッターにも次ぎのようにぼそぼそとまともなことを言っている経済学者もいるのだし、せめて隠れナチスくんたちはこういったのに反論してみろよ、はあ?
まあツイッターにも次ぎのようにぼそぼそとまともなことを言っている経済学者もいるのだし、せめて隠れナチスくんたちはこういったのに反論してみろよ、はあ?
斎藤誠@makotosaito0724: 本当に8%への消費税増税の影響を軽微に思ったのか。普通に考えて耐久消費財や半耐久消費財、住宅は10%増税までを織り込んで前倒と反動が大きいが、10%への増税は逆に非耐久消費税の影響にとどまったであろう。ただ、1年半置けばリセットされる。折角苦しいのを超えたのに本当にもったいない…
@makotosaito0724: 原油安と10%増税まで織込み済のところを活かす機転があれば、派手な立ち回りなどする必要もなく、将来に向けて資源を節約できただろうに… 残念…
小黒一正@DeficitGamble: 同感です。@makotosaito0724 原油安と10%増税まで織込み済のところを活かす機転があれば、派手な立ち回りなどする必要もなく、将来に向けて資源を節約できただろうに… 残念…
@makotosaito0724: @DeficitGamble 残念ですね。淡々と課題を解決していくしかない状況ですしね。
@DeficitGamble: @makotosaito0724 今回の判断は、かなり痛いと思います。破綻回避のための戦略の立て直しが必要です。
ーーというわけでオレに文句いってくるなら、「いまの痛みか vs 近い将来のより大きな痛みか」にリンクしてある記事を読んでからにしてくれ。