このブログを検索

2014年11月5日水曜日

われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれない

いちじくの実が木から落ちる。それはふくよかな、甘い果実だ。落ちながら、その赤い皮は裂ける。わたしは熟したいちじくの実を落とす北風だ。

このようにいちじくの実に似て、これらの教えは君たちに落ちかかる。さあ、その果汁と甘い果肉をすするがいい。時は秋だ、澄んだ空、そして午後――(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

さあ、おわかりであろうか、こニーチェの引用から始めたのがなぜか?
なによりも「いちじくの実」が肝要であるのだ。そして澄んだ空が。
甘いいちじくの実を落とすには、あなたは北風でなくてはならぬ。
曖昧模糊とした春の駘風ではいちじくの実は腐ってから落ちるだけだ。

――というわけで、このところ「経済」とか「財政」とかをめぐる論文を眺めすぎたので、気分転換である。


ところで日銀黒田バズーカ砲第2弾が炸裂したがあれは北風だろうか。
澄んだ丘の上から日本の湿り澱んだ空気を吹き払う清い風だっただろうか。
「失われた20年」をさらに引き延ばしたいらしい慎重臆病派の経済学者たち
あの「下士官道徳」の連中を震えあがらせる冷気を送りこむことができただろうか。

もしあなたが北風種族であるならば、
反リフレ派と称されるらしい慎重臆病派の彌縫的睦言よりも
弱気な連中を蹴散らかす軍の司令官黒田東彦のギャンブルを
よりいっそう好むべきではないか、
――などと書けば懐疑派の経済学者たちやらその取り巻き連中が
このなにも分かっていないドシロウトが戯言を書きよって! 
とノタマウに相違ない。

連中は「失われた20年」を「失われた40年」にしたい種族である。
連中も彼らの睦言を守っているだけでは
2030年代には遅くとも財政崩壊があることを知っている
ただ黒田の博打ではそれが5年先に早まる可能性がある
(いや2年先かもしれないし、もっとはやいかもしれない)
それを怖れているのではないか

黒田日銀はその可能性を怖れつつも、
2、3割はありうるだろう好転に賭けている
――そうではないだろうか、と問いを発するのも
ディレッタントでしかないいまこうやって書きつつあるこの阿呆である

この阿呆のよりどころになるひとつの文を示そう。
敬愛すべき慎重派のすぐれた経済学者池尾和人氏の
アベノミクス導入前の冗談めかした「ホンネ」が滲み出ている文である
いやこの阿呆にはそういう錯覚に閉じこもらせてくれるに過ぎないが。

この記事は5年前に書かれたものとしてすばらしい
現在起こりつつあることを説明してくれるもするし
かつまた慎重派の経済学者が何を「誠実」に怖れているのかも明かしてくれる。


ある財政破綻のシナリオ--池尾和人(2009.10.4)

先の池田さんの記事へのコメントですが、字数の関係で記事にします。

現在は、資本移動も自由だし、金利規制もない(10%以上のインフレになると、利息制限法が制約になるが...)ので、3%とかいった緩やかなインフレで、政府債務の軽減を図れるとはあまり期待できません。これは池田さんもよく分かってらっしゃることですが、むしろインフレ期待の発生が財政破綻のトリガーを引くことになりかねないと考えられます。

すなわち、インフレ期待が生じると、既存の国債保有分については、インフレによる損失を回避するために、その前に売却しようという動きが生じることになります。これは、国債価格の暴落=長期金利の急騰につながります。投資家が、何もせずに、インフレによる債務の実質カットを甘受し続けることはありえません。

このことを避けようとして、日本銀行が買いオペをして代わりに現金を供給しても、インフレで価値が低下することが分かっている円をキャッシュのままで持ち続けようという者はいないはずですから、外貨建て資産や実物資産への転換が図られることになります。前者であれば、円安を招くことになって、輸入物価の上昇につながります。

こうしたことから、インフレ・スパイラルに陥る可能性が高く、安定的に穏やかなインフレ状態を続けることは難しいと思います。
かりに穏やかなインフレ状態が続くということになっても、その場合にも、固定利付きの長期国債の発行は難しくなります。物価連動債にするか、債務の短期化を強いられます。引き続き固定利付きの長期国債が発行できたとしても、フィッシャー効果で名目金利はインフレ期待分上昇しますから、借り換えと新規発行分の政府の負担は軽くなりません。インフレになると、税収が増える効果もありますが、歳出の名目額も拡大せざるを得ないので、財政赤字は続きますから、政府は国債の借り換えと新規発行を続けなくてはなりません。

ところが、インフレ・リスクが高まると、投資家の警戒感も高まることから、国債の入札に失敗するといった事態が起こる可能性も無視できなくなります。そして、国債の入札が不調に終わったといったニュースが流れると、ますます国債の借り換えと新規発行がしがたくなって、ついには政府の資金繰りがつかなくなり、公務員給与の遅配や(夕張市のように)病院のような基礎的サービスの供給にも支障が生じることが想定されます(これは、櫻川くんがちらっと言っていた財政破綻のシナリオ)。

要するに、むしろデフレ期待が支配的だからこそ、GDPの2倍もの政府債務を抱えていてもいまは「平穏無事」なのです。冗談でも、リフレ派のような主張はしない方が安全です。われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれないのだから...(これは、本気か冗談か!?)

…………

ここで二度も次期日銀総裁として「絶対視」されたのに、
政局のせいで(民社党にキラワレタせいで、ーーことさら小沢一郎にーー)、
日銀総裁の地位を棒にふってしまった武藤敏郎氏
ーー黒田東彦氏は当時ダークホースにすぎなかったーー
の記事をいくらか掲げよう。
彼であるなら量的緩和はより穏健であったかもしれない。

ただし、現在すこぶる過激な社会保障制度改革を提案している。
慎重派の反リフレの経済学者がアベノミクスに反対するのは
それはそれでよろしい。
だが彼らからこういった「別の道」をさぐる具体的な提案
まともな社会保障制度改革案さえ提議されないのは
なにゆえであろうか、ーーここでもまた「逃げ切る」つもりであろうか?


「日本の社会保障制度を考える」(武藤敏郎)より。

国民の中では、「中福祉・中負担」でまかなえないかという意見があるが、私どもの分析では、中福祉を維持するためには高負担になり、中負担で収めるには、低福祉になってしまう。40%に及ぶ高齢化率では、中福祉・中負担は幻想であると考えている。

仮に、40%の超高齢化社会で、借金をせずに現在の水準を保とうとすると、国民負担率は70%にならざるを得ない。これは、福祉国家といわれるスウェーデンを上回る数字であり、資本主義国家ではありえない数字である。そのため、社会保障のサービスを削減・合理化することが不可避である。


◆社会保障改革 武藤敏郎 (大和総研 2013.8.11

日本の総人口は2008年をピークに減少し続け、2050年代には9000万人を割り込むと推計される。総人口は約60年前に戻るだけだが、問題は高齢化率(総人□に占める65歳以上の割合)だ。現在の23%(2010年)から、2060年には約40%になる。国連の定義では高齢化率が21%を超えた社会は「超高齢社会」である。超高齢社会を維持するには、人数が減った現役世代の生み出す付加価値によって、人数が増加した高齢者の生活を支えていかねばならない。現行の社会保障制度をそのまま続けることは不可能だ。

現行の社会保障制度を維持しつつプライマリーバランスを均衡させるには、国民負担率(税と社会保障の負担が国民所得に占める割合)を現在の4割から7割近くまで引き上げねばならない。しかし、これでは働く意欲を衰えさせ、経済に悪影響をもたらしかねない。福祉国家と言われ、かつては国民負担率が70%を超えていたスイゥーデンでも、現在は59%程度に下がっている。

では、いったいどの程度まで国民負担率を増やし、給付を削れば社会保障制度を持続させることができるのだろうか ―。

国民負担率は現在の欧州諸国に近い60%程度を超えないように設定し、消費税率は25%まで引き上げることが可能だと想定してみた。その上で、①年金支給開始年齢を69歳に引き上げ②70歳以上の医療費自己負担割合を2割へ引き上げ ― など思いきった給付削減を想定した。

しかし、この程度の改革では社会保障制度を維持できないばかりか、プライマリーバランスの構造的な赤宇も解消できず、国の債務残高は累増し続ける可能性が高いという結論になった。要するに、社会保障の給付削減と負担増を図るだけの従来の発想の延長では、問題を解決する処方箋は容易に描けないのである。

超改革シナリオとは、政府による直接的な給付をナショナルミニマム(国による必要最低限の保障)に限定して国民皆年金や皆保険を維持する一方、民間部門の知恵と活力を総動員して国民が自らリスクを管理していく発想である。

超改革シナリオでは、前述した改革シナリオの内容に加え、①公的年金の所得代替率(その時点の現役世代の所得に対する年金給付額の比率)を現在の62%(2009年財政検証時)から、40%に引き下げる医療費自己負担割合を全国民一律 3割とする③介護給付の自己負担割合を現在の1割から2割に引き上げる― など給付削減と受益者負担の引き上げを行うこととした。

結論を言えば、この超改革シナリオでは、プライマリーバランスが黒字化し、財政の債務残高そのものをGDP対比で減らしていくことができ、社会保障制度を確実に持続可能なものにしていくことができる。社会保障改革の在り方を、大きな政府か小さな政府かという視点ではなく、超高齢社会において機能する政府とは何かという視点で考えることが重要である。


◆「中福祉・中負担は幻想」 武藤敏郎氏 2013年9月12日

斎藤 それでは、日本の国民負担率は長期的にみてどの程度にすべきだと考えているのですか?

負担は5割増福祉は2-3割減

武藤 ここには学問的答えはありません。先ほど言いましたように現在の日本は38%と低い。借金に頼っていますから、表面的な租税負担率は低く、低負担社会です。半面、現行の制度を続け、同時にプライマリーバランスを均衡させれば国民負担率は70%程度になる。どの程度にすべきか。世界の例をみて考えるしかない。現状、フランスは60%、ドイツは50%、英国は47%、財政規律が弱いと見られているイタリアでも62%、スェーデンはかつて70%近かったのですが今は59%。日本の高齢化率は先進各国の中で最も高く、いずれ40%になる。そうした状況をふまえ総合的に考えた上で、日本の将来の国民負担率は60%を何とか下回る水準にとどめられないかと考えた。それにあわせた社会保障というのがどのようなものになるかを思考実験してみた。(図表2参照)





斎藤 つまり「中福祉・高負担」ということですか?

武藤 国民負担率が60%超なら高負担とか55%なら中負担と言うべきかどうか……。いずれにしろ、これまでは財源を国債に依存していたのだから、負担は今よりもかなり上げる。一方福祉水準はかなり下げる。それがだいたいのイメージでしょう。国民負担率を40%近くから60%近くに上げるのですから負担は約5割上がる。一方社会保障水準はおそらく2-3割下げるということでしょう。負担を5割上げて、福祉水準が2-3割下がるのでは、辻褄が合わないように感じると思いますが、これは、これまで国債に頼っていた分を減らし、プライマリーバランスを改善させなければならないからです。現在の日本の福祉は、国際的に見てもかなりいい水準にあります。

例えば、年金の給付額も為替レートにもよるが、換算してみるとドイツやフランスと比べてもそん色ない。医療サービスにいたっては、むしろレベルは高い。医者の数は多く、病床数も多い。日本くらい簡単に医者にかかれる国はないのではないか。まあ、保育所だとか児童手当の水準なんか少子化対策はまだ十分ではないかもしれないが、中福祉よりは高福祉に近い水準にあると思う。

斎藤 福祉水準が2-3割下がるとはどういうことですか?

武藤 私たちは分析にあたっては、社会保障の受益者が得るサービスについて「所得代替率」という概念を使いました。年金受給額の水準を測る時によく使われる概念を、福祉全体にも適用して考えるということです。つまり65歳以上の高齢者一人あたりの社会保障給付額、これには年金受給額や医療サービス、介護サービス受給額などが含まれますが、この合計額を生産年齢人口(15-64歳)一人当たりの平均所得で割ってはじいた比率です。この比率を福祉水準を測る尺度として分析してみた。

現在、この社会保障の平均所得代替率は82.4%です。これが3割下がるということなら57.7%になる、2割下がるなら66%になるということです。今世の中で広く議論されている中で最も厳しい削減案だと思います。

斎藤 具体的には?

武藤 たとえば年金の支給開始年齢を69歳まで引き上げる。世界をみても2030年くらいに向けて67,68歳に上げていくという流れになっている。日本は高齢化のフロントランナーです。平均寿命も健康寿命も最も高い国の一つだ。

政府は、受給開始年齢を2030年度までに順次65歳まで引き上げることを決めていますが、このペースを早めたうえで、2025年度以降、2年に1歳のペースで69歳まで引き上げるという案です。

70歳以上の高齢者医療の自己負担は現在、政治的な配慮もあって1割になっていますが、これを75歳以上も含めて2割に上げたらどうかと考えた。さらに安価なジェネリック薬品の普及を一段と押しすすめる、などです。消費税も2020年代を通じて20%程度まで引き上げる。私たちはこれを「改革シナリオ」と呼んでいるのです。

ところがこれでも国家財政の収支を計算してみると、財政のプライマリーバランス(基礎的収支)は均衡しない。年々の赤字は縮小するが、赤字は出続ける。債務残高の対GDP(国内総生産)比率は250%あたりのままほぼ横ばいになる。

斎藤 それではまだ不十分ということですか?

武藤 ええ、国の財政を破たんさせず、社会保障制度をサステイナブルなものにするにはプライマリーバランスを黒字化させ、GDPに対する債務残高の比率を引き下げていかなければならない。

斎藤 ずいぶん厄介なことですね。

武藤 そうです。改革シナリオでも不十分と言うことは、事態は非常に厳しいということです。


この消費税25%、社会保障費3割カット案における財政再建シミュレーションの国債金利設定は次の通り(大和総研「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」2013より)。

長期金利(10 年国債利回り)は、2010 年代で平均 1.5%、2020 年代で同 2.5%、2030 年代で同 2.6%と予想している。名目成長率と長期金利の関係をみると、2020 年代中頃までは成長率の方が高く、2020 年代後半以降は金利の方が高い状況を予想している。財政にとって好ましい状況が 2020 年代中頃まで長期に続くかという点には反論があるだろうが、物価上昇率 2%を目指す金融政策は超長期にわたる低金利政策を余儀なくさせ、短期金利がアンカーとなって長期金利もファンダメンタルズからいえば低い状況が続くと見込む。長期金利の推移としては、政府の債務残高 GDP 比が緩やかに上昇していく中で、 2010 年代までは 2000 年代と同程度の水準で推移した後、 デフレ脱却後の短期金利の正常化に伴って 2020 年代以降は 2~3%へ上昇すると見込んでいる

ここで財政状態の悪化に伴うプレミアムの発生で長期金利が上昇する「悪い金利の上昇」は想定していない。これは、過去の経済構造に依存するマクロモデルの特性上、そうした恣意的なシナリオを予測に反映できないためである。しかし今後も財政赤字が改善しなければ、債務残高は現在よりもはるかに高い水準に達し、いつかは財政プレミアムが金利を大きく押し上げる局面を迎えるだろう。この点、本予測は実体経済の状況のみを反映した楽観的な見通しといえるかもしれない。
……今後も財政状態の悪化が金利上昇を招かないということを何ら保証しない。現在の政府の歳出と歳入の構造を前提とすれば、多少楽観的な日本経済の姿を描いたとしても、財政収支や政府債務残高の見通しは極めて厳しいものになる。そうした状況下で財政再建や社会保障制度改革を取り組む姿勢が政府と国民に見られなければ、国債市場の参加者がリスクプレミアムを求めるようになるだろう。悪い金利上昇(国債価格の大幅な下落)が起きる可能性は決して小さくないと考えるべきである。 
こうした問題意識に対しては、 日本国債の大半は日本国内で消化され、 外国人の保有比率が 1割以下と十分に低いので懸念する必要性は小さいという見方がある。言い換えれば、現在、日本は経常黒字国であり、経常黒字国の財政赤字はさほど深刻ではないという見方である。

この苛酷なシミュレーションでも、国債利回りがここにある設定よりも上がってしまえば、プライマリーバランスは黒字化されない。たとえば野口 悠紀雄氏の「金利上昇がもたらす、悪夢のシナリオ」における4%設定などだったらーー野口氏のやっているのは単純化されたモデルであり、実際は仮に金利が高くなっても、新規発行分と借り換え分のみに適用されるため、トータルの金利上昇はゆっくり進むーー、どう社会保障費削減しても、消費税40%にしても、プライマリーバランスは黒字にならないだろう。とすれば累積財政赤字がいっそう増えていくことになる。