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2014年10月14日火曜日

「dyssyntagmatismus者」たち、あるいはニーチェと樫村晴香

《わたくしという現象は……風景やみんなといっしょにせはしなくせはしなく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です》(宮澤賢治)

彼は幸福に書き付けました。とにかく印象の生滅するままに自分の命が経験したことのその何の部分だつてこぼしてはならないとばかり。それには概念を出来るだけ遠ざけて、なるべく生の印象、新鮮な現識を、それが頭に浮ぶままを、--つまり書いている時その時の命の流れをも、むげに退けてはならないのでした。(……)彼にとつて印象といふものは、或ひは現識といふものは、勘考さるべきものでも翫味さるべきものでもない、そんなことをしてはゐられない程、現識は現識のままで、惚れ惚れとさせるものであつたのです。それで彼は、その現識を、出来るだけ直接に表白さへすればよかつたのです。(中原中也「宮沢賢治の死」昭10.6)

…………

なおわれわれは、概念の形成について特別に考えてみることにしよう。すべて語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、直ちにそうなるのである。つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験に対して、何か記憶というようなものとして役立つとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合も同時に当てはまるものでなければならないとされることによってなのである。

すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得る何かが存在するかのような観念を呼びおこすのである。つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形というものが存在するかのような観念を与えるのである。(ニーチェ「哲学者の本」「哲学者に関する著作のための準備草案」1872∼1873)

18721873 とあるように、ニーチェ初期の論である。処女作『悲劇の誕生』(1872)と『反時代的考察』第一篇(1873)の間のものとしてよいだろう。

以下は、樫村晴香の『ドゥルーズのどこが間違っているか?  強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点』からだが、彼の論文は、わたくしには密度が濃すぎるので、勝手に行を分けて引用することにする。

…………

永劫回帰の総体は、彼に悪魔の囁きという、
思念的‐聴覚的な、ひとつの現実的「体験」と して訪れた。

ある晩、悪魔が彼の孤独に忍び寄り、
これまで生きたこの人生を、さらにまた無限回、
何一つ新しいものなくくり返さねばならないことを語りかける。
この瞬間の眼前の蜘蛛も、梢を洩れる月光も、悪魔の声も、
あらゆるものが細大漏らさず回帰するだろう。
こ の同じことを、何千回となくくり返し欲し続けるためにのみ、
人は自らの存在と人生を、
さらに愛さねばならないというのだろうか?……

もし人がニーチェの言葉に直接耳を傾けるなら
(つまりハイデッガーのそれも含めて、
解説書を通じて何かを「理解」しようとしないなら)、
この体験が「真実」であり、
そこには表現の一語一句が代置不能な価値をもつ、
緊密 な「物理的実在」が存在し、その実在的力によって、
啓示伝播の最大限の魅惑暴力が駆動することが、
了解されるだろう。

体験が「悪魔」の「声」を通じて到来したこと、
すべてが 「無数」に到来し、それが「苦痛」をもたらすこと、
そして眼前に「蜘蛛」と「月の光」が「見える」こと。

これらすべてが固有の理論的実体的(症候的)価値をもち、
しかもそれらは狭い意味での発症過程の症候的要素というのではなく、
そこに至る彼の、
ディオニュソス、偽装、 真理の転倒、善悪の彼岸、力意志、といった
「明晰な思考としての症候総体」の一過程と しての、
(表現表象ではなく)内実そのものとして立ち現れる。


……とはいえ現実にニーチェを直接読解しない者がおり、社会のほとんどの者が神経症者であるとすれば、哲学教師風の解説書はやはり必要なのだろうか? しかし事態はそのように単純でなく、Dz のある種の啓蒙的スタイル(確かにそのせいで彼の本はクロソフスキーの数倍読まれたが)は、彼が幻想(永劫回帰)に対してもつ、ニーチェとは異なる固有の位置関係に由来する(そしてこの問題の責は、結局ベルグソンに帰せられるべきように思われる)。

彼は Dz(ガタリDz)のように
諸差異の肯定欲望を称揚するのでなく、
「再び欲望する」ことがいかに「困難」かを述べている。なぜなら
(クロソフスキ ーもまた別の仕方病でそれを体験したように)
永劫回帰において、実際に人は
「無数のもの」を完全には忘れていないからであり、それは
(彼が最後の明晰さの中で「歴史上すべ ての名は、
私であった」と語ったように)
人格的同一性の解体に帰結するが、
しかし愛すること、欲することは、
自己、他者、および両者の関係の想像的恒存性=幻想に由来し、
その 幻想的誤認は、無数の諸差異の忘却を基礎づけ、
かつ忘却に依存するからである。
無数のものとは、実際は全く同じ体験の再帰ではなく、
今日の月、昨日の月、一昨日の月とい う無数のもの、
さらには一瞬ではないこの今に、
刻々と参入するこれら無数の月である。
人 が知覚の場におとなしくいる限り、
事実けっして同じではない無数の月(の入力)は、
一つ の月として出力される。
実際犬でさえ、無数の肉片を同じ肉として認識記憶し、
それができなければ淘汰される。
ニーチェがくり返しいうように、
同一性認識目的は、
「微細な美的感覚をもつ貴族でなく鈍感な下層階級を繁殖させる」
ダーウィン的‐遺伝子的原理によ って、最終審級で支えられる。


最大の重し もしある日、またはある夜、デーモンが君のお前のあとを追い、お前のもっとも孤独な孤独のうちに忍び込み、次のように語ったらどうだろう。 「お前は、お前が現に生き、既に生きてきたこの生をもう一度、また無数回におよんで、生きなければならないだろう。そこには何も新しいものはなく、あらゆる苦痛、あらゆる愉悦、あらゆる想念と嘆息、お前の生の名状しがたく小なるものと大なるもののすべてが回帰するにちがいない。しかもすべてが同じ順序で―この蜘蛛、樹々のあいだのこの月光も同様であり、この瞬間と私自身も同様である。存在の永遠の砂時計はくりかえしくりかえし回転させられる。―そしてこの砂時計とともに、砂塵のなかの小さな砂塵にすぎないお前も!」 ―お前は倒れ伏し、歯ぎしりして、そう語ったデーモンを呪わないだろうか? それともお前は、このデーモンにたいして、「お前は神だ、私はこれより神的なことを聞いたことは、けっしてない!」と答えるようなとほうもない瞬間を以前経験したことがあるのか。 
もしあの思想がお前を支配するようになれば、現在のお前は変化し、おそらくは粉砕されるであろう。万事につけて「お前はこのことをもう一度、または無数回におよんで、意欲するか?」と問う問いは、最大の重しとなって、お前の行為のうえにかかってくるだろう! あるいは、この最後の永遠の確認と封印以上のなにものも要求しないためには、お前はお前自身と生とにどれほど好意をよせなければならないことだろう?(ニーチェ『悦ばしき知識』信太正三訳)

ニーチェの「批判哲学」が対象への憐憫と郷愁そして無関心、
他方での尋常でない狂暴さという不均衡を露にするのに対し、
Dz の言説が全く穏便であり、しかしその展開において、
常に想定さ れた批判対象への備給を続ける
執拗さをもっていることは、歴然たる違いである。

これは結局、ニーチェが自己の体験実体に魅惑、
というより蹂躙されていたのに対し、
Dz がニ ーチェの体験言説に魅惑されていることの違いに回付される。
人が「言説」に魅惑される 限りで、
思考の主体としての能動性(つまり批判的思惟)は放棄されず、
魅惑の対象に対する受動性は、受動=能動という一体として可能となる。
つまり魅惑されること(=幻想)とい う受動性が、
思考批判という(魅惑するものの否定的対立物に向かう)能動性と、
同じ領野に属し、相互に結合可能となる。

例えば分裂病者が「正月とは全身の毛を剃ることです」 というとき、
それは比喩隠喩ではなく、
本当に正月の意味内容とは「全身の毛を剃る」
身体作用なのだと理解せねばならない。

…………

◆次の箇所は、リルケの詩でさえ、ニーチェの言葉とは異質なものだとしている。


ここでニーチェとハイデッガーの位相の相違を端的に確認すると、
まずニーチェの言説は、 厳密な意味で隠喩とよぶべきものと無縁である。
一見した水準でも、既述のごとく、
彼の作 品は一つの体験という要約不能な実体であり、
そこでは眼前の蜘蛛や水道栓のたてる音、 プラトンが与える憂鬱さ等は、
すでに獲得された観念を比喩する表象ではなく、
そういった 観念、表象のオーダーそのものから
「その彼方へと遠ざかっていく物理的な感覚」
直接的提示として機能する。

ここで隠喩という機能の内実を確認しておこう。
まず隠喩とは、基 本的にすでに獲得された意味内容‐抑圧物を
表象し回帰させる作用である。
しかも厳密 な意味での隠喩とは、
いったん獲得抑圧された意味内容抑圧物外傷を示唆すること で、
不快な抑圧物を再帰させて
主体を原初的な反復攻撃の体勢に退行させ、
その上で さらにそれを隠蔽回収してやることで、
主体を原初的想像的な「よき他者」の前に再帰さ せ、
幻想を補強するような言葉である。

例えばリルケが「薔薇の花、純粋な矛盾、
おびただ しい瞼の下で誰の眠りでもないその悦楽」と語るとき、
薔薇という隠喩項は、死という抑圧物、
すなわちそこでは眠りが帰属する主体が不在であるという
冷酷な現実を再帰させ、し かし次の瞬間、
その眠りを再び多くの者の瞳へと回収させ、
そこに「悦楽」幻想を残して いく。

この開示/隠蔽という対立(「純粋な矛盾」)が
「悦楽」を生産していく過程は、
いうまでもなくハイデッガーのアレーテイアの開示/隠蔽が、
同様に帰属するオーダーであり、
そこで矛盾運動振動とは、
抑圧物の再帰とともに駆動する不安と、
それを押し止める他者力との間の、
基本的に幻想的想像的な対立として駆動する。

これに対し、ニーチェを 襲う強度反復としての運動拍動は、
幻想の保護の向こう側で、
主体が全くの異物としての現実‐悪しきものに直面し、
それを反復=模倣=攻撃しつつ、
主体としては解体していくよ うなオーダーに帰属する。
それゆえ、ニーチェ的永劫回帰では、
感覚と気分の結合再帰 意味は最終的に不能であり、
それゆえ矛盾=対立もまた、
異なるものの結合同平面化を 前提とするゆえに存在しない。

それに対しアレーテイアのオーダーでは、
抑圧物(死)の回帰は、
常にすでに幻想他者の力(隠喩の力)によって
過ぎ去ったものとして幻想の内部で生じるので、
そこでは疎通不能性無数性ではなく、
幻想的な力に帰属するものとして の、
一つの対立こそが問題となる。

つまり対立振動あるいは平衡する緊張は、
多様な場に発見されつつも、
常に同じ一つの不安と、不安への同じ一つの闘いである。
あらゆる存在者の下には、それを可能にしている力の均衡、
「聖なる神殿が岩石から引き出す、
無に 押し込められて支えるということの暗さ、
さらには自らをよぎる嵐の暴力」が発見されるが、
それは結局、隠喩幻想(聖なる神殿)によって開示遂行終了される、
抑圧物(重力、嵐) をめぐる同じ一つの拮抗である。


誤解のないようにつけ加えておけば、樫村晴香は、ドゥルーズを全面的に批判しているわけではない。

えばニーチェの永劫回帰は、 Dz の「理論構造」から判断する限り、永劫回帰の隠喩として受容‐処理されているが、現 実には、Dz はすべての言説を、隠喩ではなくそれこそ「音楽を聴くように」、または小説の エクリチュールを読むように、「半覚醒的に」受信していたのだろう。そしてその感覚があれ ばこそ、意味作用を完全に確定することなく宙吊りにし、理論的分節を半ば未確定に開い たまま次々進み、個々の論点相互の差異へは鷹揚なまま、すべてを取り入れ絶え間なく 移動していく、増殖するエクリチュール‐小説のごとき彼の記述スタイルが可能になる。こ の半覚醒性において、意味作用は言葉が記憶=意味内容に十全に回付=変換される過程 にではなく、言葉に次の言葉が重なり、ずれ合い、その相互の差異が直接に生み出す共 鳴に、帰属する。子供が泣き、豚が叫び(キャロル)、Kの分身の学生が走り、廷丁が走る (カフカ)。意味はそれぞれの言葉がもつ記憶にではなく、言葉(セリー)相互の間の表層 にあり、それは反復される音楽のテーマ間の差異‐変奏、揺れる木の枝の一瞬ごとの差異 ‐移動と同じである。それは差異というより「微分」であり、その概念にこそ Dz の内発的感覚がある。

…………

樫村晴香は保坂和志との対談で次のように語っているそうだ(ウェブ上で拾ったので、正確にいつ、どの対談からは判然としない)。


自閉症だと、幻想の皮膜が自己の身体表面までしかない。それと反対に あなた(=保坂)の作品は、世界全体が自己の幻想の外延と重なって、他者の悪意 を登記する装置がなくなるように感じる。一方、私は本当に自閉症的で、幻想 は身体表面までしかなく、その外側は完全に言語野で抑えようとする。

最近は自閉症/分裂病を選別する議論もかしましいが、わたくしには(いまのところ)、関心の範囲から遠い。もっとも樫村の議論は自閉症者の読むニーチェ分裂病論だとすれば、やや気になるところだが。

とはいえ中井久夫の言い方では、ニーチェも樫村晴香も、統合失調症、あるいはdyssyntagmatismusとなるのかもしれない。

オイゲン・ブロイラーが生きていたら、「統合失調症」に賛成するだろう。彼の弟子がまとめたブロイラーの基本障害である四つのAすなわちAmbivalenz(両価性)は対立する概念の、一段階高いレベルにおける統合の失調であり、Assoziationslockerung(連合弛緩)は概念から概念への(主として論理的な)「わたり」を行うのに必要な統合の失調を、Affektstorung(感情障害)は要するに感情の統合の失調を、そして自閉(Autismus)は精神心理的地平を縮小することによって統合をとりもどそうと試みて少なくとも当面は不成功に終わっていることをそれぞれ含意しているからである。ブロイラーがこのように命名しなかったのは、よいギリシャ語を思いつかなかったという単純な理由もあるのかもしれない。「統合失調症」を試みにギリシャ語にもとずく術語に直せば、syntagmataxisiaかasyntagmatismusとなるであろう。dyssyntagmatismusのほうがよいかもしれない。「統合失調症」は「スキゾフレニア」の新訳であるということになっているが無理がある。back translation(逆翻訳)を行えばこうだと言い添えるほうが(一時は変なギリシャ語だとジョークの種になるかもしれないが)結局は日本術語の先進性を示すことになると思うが、どうであろうか。(中井久夫『関与と観察』


ここでラカン派による神経症と精神病の鑑別のあり方を附記しておこう。

ラカン派の疾患分類は、神経症、精神病、倒錯が三大カテゴリーがまず大前提とされ、それぞれ抑圧、排除、否認の機制によって規定される。神経症の下位分類にヒステリーと強迫があり、精神病の下位分類にパラノイアとスキゾフレニーとメランコリーがある。

◆松本卓也「Lacan派の鑑別診断学へのプロレゴメナ」(栃木精神医学第 33巻 2013)より

フアルス的意味作用,すなわち「隠された意味」の有無によって神経症と精神病の鑑別診断を行う手法は, Freudが 1915年に既に行なっていたことである。まず, Freudがそこで記述している症例をみておこう。 Freudは.「靴下を履くことができない」という症状を訴える2人の患者について論じている。この2人は,「靴下を履くことができない」という訴えは同じだが,その意味作用の違いによって一方は強迫神経症,もう一方は統合失調症と診断することができる,と Freudは言っている。

強迫神経症の患者は.靴下を履いたり脱いだりする行為を手淫に相当するものと考えていた。つまり,足は陰茎の隠喩となっており.彼にとって足はもはや足でありながら足ではなく,それ以上の意味を含んだものになっている。その意味の過剰のために,彼は靴下を履くことができなかったのである。

一方.統合失調症の患者は.靴下をはくことができない理由は「靴下の網目の一つ一つが女性器の穴に思えてしまうからJであると語った。これは.先ほどの足と陰茎を同一視するメカニズムとは明らかに異なる。ここで働いているのは,靴下の網目も女性器も両方ともが穴である.つまり「穴は穴である(から同じもの)」というシニカルな命題なのであって,そこには隠された意味が何もないのである。

樫村晴香のニーチェを分裂症状とする考え方は、ほぼこの内容を言っているとしてよいだろう。

松本卓也氏が書く《Freudが 1915年に既に行なっていたこと》の箇所は次の通り。

……われわれは精神分裂病の代理形成と、ヒステリーや強迫神経症の代理形成とのあいだの、微妙であるが、奇怪にひびくある区別をのべたいと思う。私が、現在観察している一人の患者は、顔の皮膚のまずい状態のために、人生のすべての興味から遠ざかっているが、彼は顔ににきびがあって、その深い穴をだれでも見つめるといいはる。分析は、彼の去勢コンプレクスが皮膚のうえに、演出されていることをしめす。彼は、最初のうちは後悔しないで、彼のにきびをいじっていて、にきびを押しだすのはなかなかの満足をあたえた。彼がいうように、そのさいになにかがとびでたからである。それから彼は、にきびを取ったところにはどこでもふかい穴ができることを信じはじめた。そして「手で始終いじくりまわし」て皮膚をいつもよごしたことについて、はげしい非難を自分に加えた。彼にとって、にきびの中身を押しだすのが手淫のかわりであることは明らかである。そのあとに、彼の罪によって生ずる穴は女陰である。つまり手淫によって誘発された去勢の脅威(それに関連して、去勢脅威をあらわす空想)の実現なのである。この代理形成は、ヒポコンドリー的な性格なのにもかかわらず、ヒステリーの転換Konversionと似た点をたくさんもっている。けれどもここには何か異なった事情があるにちがいなく、その相違がなににもとづいているかをいうことができないうちは、ヒステリーとおなじような代理形成に信を置くわけにはいかない感じがするだろう。毛穴のような穴を、ヒステリー患者は、膣の象徴とすることはほどんどないだろう。普通は、中空になっているあらゆる物と膣とを比較するのではあるが。また穴がたくさんあることが、それを女陰のかわりにするのをやめさせるであろうとも考える。おなじようなことが、タウスクが数年前ヴィーンの精神分析学会に報告したところの、若い患者にもあてはまる。彼はその他の点では、まったく強迫神経症患者のようにふるまい、化粧室で数時間をついやしたりしたが彼がその抑制の意義を抵抗なしに話すことができたのは、きわだったことであった。たとえば靴下をはくときに、その編目つまり多くの穴をひろげなければならないという観念がうかんで彼をさまたげた。どの穴も、彼には女の生殖器口の象徴であった。このことはまた、強迫神経症患者にはできないことである。ライトラーの観察した強迫神経症患者は、靴下をはくときに、おなじようなためらいになやんだが、彼が抵抗を克服した後にはじめて、次のような説明をうけいれた。すなわち、足は男根の象徴であり、靴下をはくのは手淫の行為であり、靴下をたえずはいたりぬいだりしなければならなかったのは、一部は手淫の仕事を完全にするためであり、一部はそれがおこらぬようにするためである、と。

精神分裂病の代理形成と症状とに奇怪な性格をあたえているものが何かを考えるならば、われわれは、それが事物関係よりも言語関係のほうが、優位にあることであると思う。にきびを押しだすことと、男根の射精とのあいだには、わずかながら事物に類似がある。無数の浅い皮膚の穴と膣とのあいだの類似は、それよりも少ない。だが第一の場合は、双方ともある物を射出する。そして第二の場合には、文字どおりシニカルに穴は穴であるという命題があてはまる。表現される事物の類似ではなくて、言葉の表現の相似が代理をさだめたのである。その二つのものーー言葉と物と合致しない場合に、精神分裂病の代理形成は、転移性神経症の代理形成とちがってくるのである。(フロイト『無意識について』フロイト著作集6 p110-111)

…………

ここからは、附記。かなり長い引用なので、本来別稿にすべきだが、こういった文を単独で投稿するのは趣味ではないし、樫村論文、あるいは上のフロイトの「精神分裂病」という言葉に反応しつつ、ここに続ける。この中井久夫の文は、いままで断片的には、引用してきたが、かなり以前にーーたぶん一年以上前にーー「写経」したままで、このほぼ全文を引用するのは初めて。


◆中井久夫「詩の基底にあるもの」より(『家族の深淵』所収)

―――その生理心理的基底



精神科医として、私は精神分裂病における言語危機、特に最初期の言語意識の危機に多少立ち会ってきた。それが詩を生み出す生理・心理的状態と同一であるというつもりはないが、多くの共通点がある。人間の脳がとりうる様態は多様ではあるが、ある幅の中に収まり、その幅は予想よりも狭いものであって、それが人間同士の相互理解を可能にしていると思われるが、中でも言語に関与し、言語を用いる意識は、比較的新しく登場しただけあって、自由度はそれほど大きいものではないと私は思う。

言語危機としての両者の共通点は、言語が単なる意味の担い手でなくなっているということである。語の意味ひとつを取り上げてみても、その辺縁的な意味、個人的記憶と結びついた意味、状況を離れては理解しにくい意味、語が喚起する表象の群れとさらにそれらが喚起する意味、ふだんは通用の意味の背後に収まり返っている、そういったものが雲のように語を取り囲む。

この変化が、語を単なる意味の運搬体でなくする要因であろう。語の物質的側面が尖鋭に意識される。音調が無視できない要素となる。発語における口腔あるいは喉頭の感覚あるいはその記憶あるいはその表象が喚起される。舌が口蓋に触れる感覚、呼気が歯の間から洩れる感覚など主に触覚的な感覚もあれば、舌や喉頭の発声筋の運動感覚もある。

これらは、全体として医学が共通感覚と呼ぶ、星雲のような感覚に統合され、またそこから発散する。音やその組み合わせに結びついた色彩感覚もその中から出てくる。

さらにこのような状態は、意味による連想ばかりでなく、音による連想はもとより、口腔感覚による連想、色彩感覚による連想すら喚起する。その結果、通用の散文的意味だけではまったく理解できない語の連なりが生じうる。精神分裂病患者の発語は、このような観点を併せれば理解の度合いが大きく進むものであって、外国の教科書に「支離滅裂」の例として掲載されているものさえ、相当程度に翻訳が可能であった。しばしば、注釈を多量に必要とするけれども。

このような言語の例外状態は、語の「徴候」的あるいは「余韻」的な面を意識の前面に出し、ついに語は自らの徴候性あるいは余韻性によってほとんど覆われるに至る。実際には、意味の連想的喚起も、表象の連想的喚起も、感覚の連想的喚起も、空間的・同時的ではなく、現在に遅れあるいは先立つものとして現れる。それらの連想が語より遅れて出現することはもとより少なくないが、それだけとするのは余りに言語を図式化したものである。連想はしばしば言語に先行する。

当然、発語というものは、同時には一つの語しかできない。文字言語でも同じである。それは、感覚から意味が一体となった、さだかならぬ雲のようなものから競争に勝ち抜いて、明確な言語意識の座を当面獲得したものである。



詩作者と、精神分裂病患者の、特に最初期との言語意識は、以上の点で共通すると私は考える。

私がかつて「詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である」と述べた(『現代ギリシャ詩選』みすず書房、一九八五年、序文)のは、この意味においてである。この場合、「徴候」の中に非図式的、非道具的なもの、たとえば「余韻」を含めていた。その後、私はこの辺りの事情を多少洗練させようとしたが、私の哲学的思考の射程がどうしても伸びないために徹底させられずに終わっている(「世界における索引と徴候」『ヘルメス』 26号、岩波書店、1990年、「世界における索引と徴候 ――再考」同27 号、1990年)。「索引」とは「余韻」を含んでいるが、それだけではない。

その基底には、意識の過剰覚醒が共通点としてある。同時に、それは古型の言語意識への回帰がある。どうして同時にそうなのであろうか。過剰覚醒は、通用言語の持つ覆いを取り除いて、その基盤を露出すると私は考える。

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。言語の「発見論的」 heuristicな使用が改めて起こる。これは通常十五歳から十八歳ぐらいに発現する。「妄想を生み出す能力」の発生と同時である。



実際、妄想は未曾有の事態に対する言語意識の発見論的使用がなければ成立しない。幼少年型の分裂病では、これを分裂病と呼べるとしてであるが、言語は水や砂のようにさらさらと流れて固まらない。しかし、妄想は単に言語の発見論的使用ではない。妄想が妄想として認識されるのは決してその内容ではなく、問題の陳腐な解決、特にその解決に権力欲がまつわりついた場合であり、さらに発語内容のみならず形式のほとんど一字一句に至るまでの反復によって「妄想」と認識される(初期分裂病の「妄想的」発語は妄想ではない)。妄想を、通常人が「奇想天外」と余裕を以て驚いてみせるのは、実はその意外性、未曾有性でなく、その陳腐さを高みから眺められるからである。もし陳腐でなければ(いやいささか陳腐であっても)、啓示として跪拝するのは日常見られることではないか(ここで分裂病が一次的には妄想病ではないかと私が考えていることを言っておく必要があるだろう)。

むろん一方は病いであり、一方は病いではないといちおうは言うことができる。しかし、分裂病の場合でも、その最初期、病いといえるか否かの「未病」の時期に言語の徴候的側面への過敏が顕著であり、また一般には、この過敏はその時期の徴候一般に対する過敏の一部として出現する。逆に、詩人の場合も、何の危機もなくて徴候性への敏感さが現れるかどうか。

散文を書く時は、たとえ難渋するにしても、それは主題との格闘であって、言語そのものに対しては「大地の感覚」を維持している。散文においても言語は「発見」の道具でありうるが、言語を「発見論」的にしようしてはいない。「発見論」的使用とは、発見のために闇を探ることであり、それは決して何かを証明することはなく、常に「悪魔と深い海との間に落ちる」危うさがある。詩とは言語の「発見論的」使用であり、それゆえの徴候あるいは余韻、索引への敏感性があるということができると私は考える。詩を書き始める年齢は「妄想能力」の成立の年齢とほぼ一致する。

かりに、貴重な薄氷感を失えば、言語の発見論的使用は「妄想」に堕する危険がある。実際、妄想は全面的危機に際して一つの解釈を示して救い手として現れるものであり、患者が妄想にその内容にふさわしい恐怖を示さないかに見えることは、何よりもまず、それに先行する事態がはるかにおそるべきものであって、それに比すれば何ほどのことはないからである。実際、妄想の反復性と一義性とは、内容の恐怖性を補って余りある安定を与える。ここに妄想の抜けにくさがある。それは不要になった時に自然に消滅する他はないものである。しかし、安んじて共存できるものでもない。また問題は、新しい体験が入ってこなくなることであり、それゆえに妄想を持つ人の「心が痩せる」。詩と妄想とは最終的には相互排除的であるが、出発点においては、まったく別個のものではないと私は考える。むろん、発見論的使用と無縁な韻文はありうる。それは韻文であるが「詩」との相違は、数学の論文とパズルとの差に近くはないか。もっとも、詩作のある段階においてはパズル的側面、言語ゲーム的側面が前に出ることもある。それが詩を完成させる救いになることもある。



私がここでポール・ヴァレリーに触れるのは、ただ私が無謀にも彼の詩の若干を訳したことがあるというだけではない(『ヘルメス』 40号、同47 号)。むろん、翻訳は、出来ばえはどうであっても通常よりも徹底的な読みであり、その過程で気づいた襞もある。しかし、それよりも、詩作の生理学を自ら述べているのがなかんづく彼だからである。ここでは紙幅の関係もあり、主に「太公と若きパルク」によって述べよう。

彼は一八九二年に詩作を廃し、一九一二年に四十一歳にして友人の促しによって詩に回帰する。彼は、「自分ではわからない青春への回帰によって二十年を隔てて詩に感興を覚えるようになった」と述べている。外的原因も無視できないが、彼は「長周期の記憶あるいは共鳴があって、それがにわかに己の性癖、力、遠い過去の希望も返してくれるのではないか」と述べている。これについては人生の入口および出口近くに詩作のピークを持つ詩人が少なくないことを付言しておこう。さしあたりT・S・エリオットあるいはリルケが念頭にある。

最初には、ことばの響き、その「音楽」への敏感性を自覚し、さらにそれを味到しようと努力するようになる。「語を耳にすると私の中で自分でもわからない和音的相互依存関係や皮一枚下まできている律動の、まだ声にならない存在〔もの〕が揺らいだ」。この「うたう状態」の始まりは「演奏前のオーケストラの楽器の低い呟きのような甘美」であった。彼は自分の中に詩人を認め、それに馴染み、成り行きに任せる。ここで彼が「当時は難問に取り組むことにとうの昔からうんざりしていた」と述べているのは事実であろう。彼が書き続けてきた「カイエ」による探求は「地獄のような悪循環」になっていた。彼の中に再生した詩への傾斜は、救いとして、さらに青春の再生として感受されている。

これは、彼を「若きパルク」制作に誘い込む陥穽であった。しかし、彼は詩に回帰してもこの地獄から逃避できなかった。「新しい季節の初花の下には抽象的問題と謎とが群集していることをすぐに認めた。見たいと思うところには必ずあった。詩にも」。「粗書きの幸福の後、かいま見た将来の美、内面の声のこの神のような囁きの後、まだ指紋のついていない断片がすでに生れているというのに、そこから苦役にむかって、このざわめきを文節し、断片を繋ぎ合わせ、全知性に問いかけ ……そして待たねばならないのであった」。「最初の一句はミューズから与えられる。後は努力である」と彼は別のところで言っている。ある日、「すでにある部分の構築と推敲とに疲れて」絶望的嫌悪感に陥り、ある部分の断念を自分に言い聞かせて、雑踏の中を彷徨する。一九一三年十二月のことである。

神秘家は、召命の後、ある時期には aridity(不毛)に耐えなければならないと聞く。このことは詩人にもある。

彼はあるカフェに入り、散らばっている新聞に、あるドイツの大公が、愛人であった女優の演技と台詞を具体的に細部にわたって記してあるのに遭遇する。それは「まさにしかるべき瞬間に到来して、もっとも予想外の経路によって必要であった救いをもたらした」。これはサン・ピエトロ広場のオベリスクが建立中途で進退谷〔きわ〕まった時、厳禁されている沈黙を破った「綱を湿せ」の一声が綱の強度を増して破局を救ったのに例えられている。劇はシラーの「メアリ・スチュアート」の処刑寸前の一節を音の高さから沈黙まで記述したものであるが、どうして彼を救ったかは自分ではわからないという。

この時までに彼が現在刊行されている「若きパルク」の草稿のどの段階に達していたかは、それらの多く、特に初期のものに日付がない以上、確定できないが、この特権的な救いによって、「パレット」と「断片」にすっと筋が一本通ったのであろう。棋士が勝負を進める時、あらゆる可能性を読むうちはまだ駄目で、他の可能性がおのずと排除されてすっと一筋の道が見えるようになる必要があるというが、それに似た転換である。

パレットに絵の具を並べるようにさまざまの語や観念とその相関とが乱舞するのは、分裂病の言語危機においても見られるところである。分裂病が創造性にもっとも近づく一時期である。もし、そのまま推移して、パレットが自動的に増殖し、ついには認知が追いつけないほど加速され、また、語の「自由基」ともいうべき未成の観念の犇めきが意識されるようになれば、病いのほうに近づく。精神は集中に過ぎれば不毛になり(それゆえカイエの「地獄」、散乱にすぎれば解体の危機に近づく(「パレット」の時期)からである。あらゆる可能性をきわめようとしつつ、精神の統一を強化しようとする矛盾した自己激励は、時に創造的であるが、しばしば袋小路に自らを追い込む。



この瞬間によって「若きパルク」に坦々とした道が開けたわけではない。一九一四年夏には第一次大戦が始まる。早く「方法的制覇」「鴨緑江」によってこの危機を予言していた彼は、後の有名な論文「精神の危機」(一九一九年)に見るごとく、自己を西欧(彼の場合はほとんど英国とフランス)と同一化していた。「パルク」をおのれの個人的な最後の詩とするつもりの彼は、文明の破局によってこれが最後のフランス詩となる可能性に思い至っている。かれは徴兵を覚悟し、妻子を疎開させ、パリに残留して詩作を継続した。「若きパルク」は「軍神マルスの相のもとに書かれた」と彼はいう。「パルク」がどういう詩であるかはさんざん論じられてきた。「内容でなく形式が私の自叙伝である」と詩人自身は韜晦している。形式とは何であろうか。それが構成であれば、純粋予感というべきもので始まり、比較的唐突な肯定が喚起されては次第に否定的なものに転調変化しつつ、この反復によって次第に深く沈下してゆくという構成を持っている。周知のように最終的な形は、昇る太陽に向かって感謝しつつ乙女が立ち上がって終わるのであるが、一九一六年初めの第四稿では、この詩句の後、再び下降が始まり、入水に終わろうとして中断する。彼は一八九六年秋ロンドンで自殺未遂をしている。引き返そうとしてはさらに深みに下降する形は知的な自殺者の行動にしばしば見られる。

以下、約一頁ほど続くが、引用ここまで。

上には、《幼少年型の分裂病では、これを分裂病と呼べるとしてであるが、言語は水や砂のようにさらさらと流れて固まらない》という文がある。

中原中也が「さらさら」と書いたのは、最晩年であり、彼が分裂親和型であったかどうかはどうでもいいが、ただひたすら「さらさら」に反応して引用しよう、われわれの多くが、たぶん中学校の国語の教科書で読んだだろう、《彼の最も美しい遺品》(小林秀雄)を。

一つのメルヘン  中原中也


秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで珪石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……


…………

すぎゆく ひとすじの風ならで 誰が泣くのか?
いやはての金剛石〔ほしぼし〕とともにひとりある このひとときに ……
誰が泣くのか? だが その泣くときに かくもわが身に近く。

ーーヴァレリー「若きパルク」冒頭 中井久夫訳

「パルクは深夜にめざめる。おそらく夜の半ばだろう。宇宙の地平に明滅するいちばん遠い星がいちばん近く感じられ、その他はすべて闇だというなかにめざめる。私が泣くという自己所属性の意識はない。すぎゆくひとすじのような風にまがう、かそかな泣き声。それは、誰の泣き声なのか。パルクはおのれを知らない。身体のほとんどはめざめていないのだから。しかし、あまりにわが身に近い。ほとんどわが身からのようではないか ……そんな意味であろう。運命の糸をつむぐのがギリシャ神話のパルクだが、このパルクは後の詩行でわかるとおり、おのれの運命を紡ぐ点てユニークなパルクだ。何の予兆とも知らされていないが、しかし、ほとんど現前するもののない世界だ。これは純粋予感だ。あるいは発生機状態in stato nascendi にある予感だ。」〔中井久夫『世界における索引と徴候』)

何と?
御身は こなたに忍び寄らんとするか?
かくも深き夜更けに?……
御身は 何をか望む?
告げよ!
御身は われを圧し、苦しむ、
ああ! はや あまりにもわが身辺に迫りて!
御身は わが息づかいをきく、
わが心音をきく、

ーーニーチェ「アリアドネの嘆き」第四ステージ 中島義生訳

人生の真昼時に、ひとは異様な安静の欲求におそわれることがある。まわりがひっそりと静まりかえり、物の声が遠くなり、だんだん遠くなっていく。彼の心臓は停止している。彼の目だけが生きている、--それは目だけが醒めている一種の死だ。それはほとんど不気味で病的に近い状態だ。しかし不愉快ではない。(ニーチェ「漂泊者とその影」308番 秋山英夫訳)

…………

ここで何人かの詩人や思想家の名前を出したが、彼らが「分裂親和型」、あるいは「dyssyntagmatismus者」であるかどうかは、繰り返せば実はどうでもいい。そもそも最近は、分裂病的だとか統合失調症的だとかいって感受性の鋭さを誇示するのは今はあまり流行らない(80年代に流行りすぎだともいえる)。

ただし、ある種の人たちは特殊な感覚をもつ、あるいはもつ瞬間がある、ということは間違いない。おそらく、その感覚は、《もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する》(中井久夫)であったり《奇妙な静けさとざわめきとひしめき》(同前)であったりするだろうし、これ以外にも、冒頭の中原中也の宮澤賢治追悼文の表現や、あるいは、ニーチェの《物の声が遠くなり、だんだん遠くなっていく》とか、ジュネのような表現の仕方があるだろう。そして、彼らもそれぞれ微妙に異なる感覚を言っているはずだ。

わたしには、もろもろの物象が輝くばかりの明澄さで知覚されると思われるようになった。あらゆる物が、最もありふれたものまでも、その日常的な意義を失っていたので、わたしは終いには、いったい、コップは水を飲むものである、とか、靴は穿くものであるというのはほんとうだろうかと考えるまでになった。(ジャン・ジュネ『泥棒日記』 朝吹三吉訳)

もっと平凡に、なにかが遠ざかってゆく感覚、かつまたなにかが遠くから不意にやってくる感覚としてもよい。「遠くからのように」、「遠くからやってくるように」は、ミシェル・シュネデールのグールド論にリフレインのように現われる。

驚くほどに音が遠くにある感じが好きだ。夕暮れの苦い樹皮、最期の苦痛(……)、とぎすまされていて呆然とさせる境界線の接近。そのただずまいに感じられる果てしない悲しみ。記憶が音楽に変わるのか、それとも音楽が記憶に変わるのか判然としないままだ。

この文はグールドのバッハではなくブラームスの録音について言っているのだが、グールドの間奏曲集は聴き過ぎだ。ここではリヒテルのインテルメッツォを貼り付けておこう。





さて、こう表現すれば、ーーなにかが遠ざかってゆく感覚・なにかが遠くから不意にやってくる感覚ーーこのような感覚は、決して詩人や芸術家だけではなく、短い間であれば、誰にでもあるのではないだろうか。

分裂親和型とは程遠い抑鬱系の作家であると思える大江健三郎の《一瞬よりはいくらか長く続く間》とは、誰でもあるだろう、世界が徴候感覚に充ち、あるいは時間が垂直に立ち上がる稀有な刻限を言い表わそうとしているように感じられる。

――……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。カジね、そしてそれはただそう思う、というだけのことじゃないと私は信じる。

この感覚が数年に一度でもいい、まったっく訪れないひとには、谷川俊太郎とともに「ごめんね」とでも言い放っておくよりいたし方ない。

詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ
小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る
のも分からないではないけれど

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、
子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに
ごめんね (神々しいトカゲ

あるいは樫村晴香とともに、《とはいえ現実にニーチェを直接読解しない者がおり、社会のほとんどの者が神経症者であるとすれば、哲学教師風の解説書はやはり必要なのだろうか? 》とでもするより他はない。ゴメンネ!

ためしに自転車でひとごみを突っ走ってみたらどうかしら?

オランダの臨床精神医学者リュムケは、正常者でもすべていわゆる分裂病症状を体験する、ただしそれは数秒から数十秒であると述べている。この持続時間の差がなにを意味するのか、と彼は自問する。

私は回復期において一週に一、二回、数十分から二、三時間、“軽症再燃”する患者を一人ならず診ている(慢性入院患者がごく短時間「急性再燃」を示すという報告も別にある)。なかでも、自転車で人ごみのなかを突っ走ると起こりやすい場合があるのは興味がある。当然、追いぬく人の会話の一句二句をひろって走ることになる。この切れ切れに耳に入ってきた人のことばは、それ自体はほとんどなにも意味しないのだが、いやそれゆえにと言うべきか、聴きのがせぬ何かの(たとえば自分への批評の)兆候となる。そこからさまざまな“異常体験”への裂け目がはじまる。しかし、じっとして“ふりまわされぬ”ようにしていれば、この兆候的なもののひしめく裂け目は閉じ、すべてが過ぎ去ることが判ってきて、そのようにしているとーーー決して愉快な時間ではないがーーーいつのまにか消えてゆく。この場合、ガラスにひびの走るように拡がって急速なパニックには陥らないわけで、どうやら多くの“分裂病性異常体験”は、その基底にある不安あるいは(対人的)安全保障喪失感の“量”というか根の深さいかんで、恐慌状態になる場合からほとんど看過ごされる場合まで実に大きな幅があるようだ。幻聴でも、すこし聴こえただけで参ってしまう人もあるが、「大学教授なら停年までつとめられる例がある」とも聞いた。もっとも、持続時間を決定している因子はまた別かも知れない。(中井久夫『分裂病と人類』)

 だれかに徹底的に惚れて「不安」になってみたらどうかしら?

一般に、世界が徴候化するのは、不安に際してである。私がその世界に安んじておれないということである。(……)

徴候化は、対象世界にも、私の側にも起こる。対象の側に起こる簡単な場合には、山で道に迷った場合があろう。「道に迷った!」と直観した刹那に、人はもはや眼前の美しい森やこごしい断崖に眼を注がない。ささやかな踏みわけ跡らしきものを、けものみちであるか、先人のとおった跡であるかを見分けるために、ごく些細な徴候を捜して、明確な対象は二の次三の次になるだろう。これが、世界が徴候化する場合のごくわかりやすい一例である。それが私の中に起これば精神の危機である。私の中に起こるつかもどころのない変動のいちいちは、私の精神がバランスを失うかも知れない徴候である。この場合にも、私にとっては、日常の食事、睡眠、入浴が二の次になる。

(……)

もっとも、不安なしに対象世界が徴候化することはある。それは、狩人の場合であって、カルロ・ギンズブルグは、些細な足音や草の倒れた形から獣が通った跡を推理する狩人の「徴候的知」を、歴史家、医師、推理作家などの方法の先駆として、この「知」による科学に「演繹」や「帰納」による科学と同等の「知」としての位置を与えることを主張している。(中井久夫「「世界における索引と徴候」について」)

だれかにひどく嫉妬するとかさ

真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』p199)

神経症者とか最近の現代版パラノイア型ナルシシストたち同士で、おしゃべりにうつつを抜かしていると、《一瞬よりはいくらか長く続く間》なんて一度も出会えなくなっちゃうぜ。

「病的ナルシスト」の出現は、それ以前の二形態の根底に共通してあった自我理想の枠と絶縁する。象徴的法を自分の中に取り入れるのではなく、複数の規則、すなわち「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則がいろいろ与えられる。ナルシスト的な主体は、他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている。社会的関係は、彼にとってはゲームのためのグラウンドである。彼はそこで、本来の象徴的任務ではなく、さまざまな「役割」を演じる。本来の象徴的同一化を含んでいる、自分を縛るような関わりはいっさい持とうとしない。彼は根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する。(現代の「病的ナルシスト」たち、あるいは「母なる超自我」と「内的な自由」

ーーこれって、四十歳前後以下のそれなりに名のしれた「思想家」や「批評家」でさえ、奴らのタイプの多くは、この「病的ナルシシスト」に近いと睨んでいるのだがね。《自我理想の枠と絶縁する》というのは、エディプスの斜陽のせい。いわゆる象徴的権威の衰退のせい、ということになるから、彼ら自身の問題ではないのだが。


おっと、こういうことを書いたらいけない、と蓮實重彦センセの嘲罵がとつぜん遠くから閃光のようにやってきたので、「よい子」はけっしてしないように、――《たしかなことは、 誰もが凡庸と呼ばれる思考の風土からもっとも離れた地点に自分を位置づけようとしており、 そうした姿勢のはば広い共有ぶりが、ことによると凡庸さの実態だといえるのかもしれぬ》のであり、《あたりに氾濫する無自覚な凡庸さを何とか超えようとする姿勢そのもの》が「凡庸さ」を形作るのだから。