ニーチェは最終的には『力への意志』という標題の書物を断念したという見解が有力で ある。 しかし、 「あらゆる価値の価値転換」 というモチーフは維持されていたと考えられて いる(大石紀一郎ほか編『ニーチェ事典』 (弘文堂、1995 年)の大石紀一郎氏による「ニ ーチェ年譜」および三島憲一氏による「さまざまなニーチェ全集について」参照) 。 『力へ の意志』 の標題が計画されていたことは、 本文中に引用した通り、 『道徳の系譜学』 の中で も記されているのであるから、 『道徳の系譜学』 以後に計画の何らかの変更があったと考え られる。(ニーチェ『道徳の系譜学』における「無への意志」の階層性と両義性について 松田愛)
ーーという文章を読んだが、『道徳の系譜』における『力への意志』への言及は次の通り。
――もう沢山だ! もう沢山だ! われわれは最も近代的な精神のこの珍奇と複雑から眼を転じよう。それは滑稽であるとともに嫌悪すべきものである。(……)そうした事柄については、私は他の機会においてもっと根本的に、またもっと厳密に論及するつもりである(『ヨーロッパのニヒリズムの歴史について』という標題のもとに。これに関して私は、私の目下準備しつつある著作、すなわち『力への意志、あらゆる価値の価値転換の試み』を紹介しておく)。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p204)
松田愛さんの論に《『道徳の系譜学』 以後に計画の何らかの変更があったと考え られる》とあるが、ではどんな変更があったとするのか。「力への意志」概念には飽きてしまったのなら、なんのせいか、――こういった問いはどうでもよいかもしれないが、乗りかかった船ではあり、すこし探ってみることにしよう。
大いなる年、1888年が来る。『偶像の黄昏』、『ワーグナーの場合』、『アンチクリスト』、『この人を見よ』。あたかもニーチェの創作能力が激しくかき立てられ、崩壊に先立ってその最後の飛躍を遂げたかのように、一切は進行したのである。偉大な技量を示すこれらの作品においては、トーンさえも変化する。ある新しい暴力性があり、〈超人〉的なものが持つコミック性のように、新たなユーモアが見られる。(ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳 p24)
この大いなる年の作品、――ハイデガーも別の意味でだろうが、ニーチェのプラトニズムの転倒からの真の転回脱出が《ニーチェの創造の最後の年(1888年)にはじめて明確になしとげられた》(ハイデガー『ニーチェ』)と言っているーー、この、1889年初頭に狂気に陥る前年、かの大いなる年に書かれた著作に、『力への意志』を放り出すような痕跡がなにかあるのか。
芸術家はいまや俳優となり、その芸術はますます虚言の才能として発達してゆく。私は(『芸術の生理学によせて』という標題の私の主著の一章において)以下のことを詳細に示す機会をもつであろう、すなわち、芸術の俳優的もののうちへのこの総体的変化は、まさにまぎれもなく生理学的退化の一つの現われ(もっと精確には、ヒステリー症状の一形式)であって、この点はヴァーグナーによって開始された芸術のそれぞれの頽廃や脆弱さも同様であり、その実例は、瞬間ごとに立場を変えるのに必要なこの芸術の観点の動揺においてみられることを。(ニーチェ『ヴァーグナーの場合』1888年のトリノ書簡 原佑訳p308)
というわけで、他にもあるのかもしれないが、『芸術の生理学によせて』という痕跡を見つけ出しただけでわたくしは満足しておく。大いなる年における文体の音調の変化については、ヘルダーリンとそれを解釈するアガンベンの言葉でも抜き出しておくことにしよう。
「すべてはリズムであり、あらゆる芸術作品が唯一のリズムであるように、人間の運命全体は、天上の一なるリズムである。そして一切は、神の吟唱する唇によって振動する……」(ヘルダーリン)
ーー《アガンベンはヘルダーリンを解釈して、「芸術作品」とは真理を開くための根源的な「空間」であると把捉する。この空間は、「人間という世界内存在の構造、および人間が真理や歴史と結ぶ関係の構造そのものが賭けられているような次元」を意味している》とのことだそうだ(マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』×ジョルジョ・アガンベン『中身のない人間』)。
・この空間の中で初めて人間は、地上における自己の居住の根源的な尺度を測り、直線的な時間の途切れることのない流れの中に現存する自己の真理を見出すことができるのである
・芸術作品を経験する時、人間は<真理>のうちに、言い換えればポイエーシス的行為においてようやくヴェールを剥がされる始原のうちに直立しているのである」(アガンベン『『中身のない人間』)
おわかりであろうか、わたくしの伝えたいことが。ーーなんだと? まだわからないだと? ではしかたがない、くどくなるのを怖れないでもないが、こう引用しておこう。
・・・おお、このギリシア人たち! ギリシア人たちは、生きるすべをよくわきまえていた。生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ! このギリシア人たちは表面的であった。深みからして! そして、わたしたちはまさにその地点へと立ち返るのではないか、--わたしたち精神の命知らず者、わたしたち現在の思想の最高かつ最危険の絶頂に攀じのぼってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は? まさにこの点でわたしたちはーーギリシア人ではないのか? ものの形の、音調の、言葉の崇め人ではないのか? まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか。(ニーチェ KSA 3,S.352ーー聖者と道化、あるいはニーチェとラカン)
ところで上に引用した『ヴァーグナーの場合』には、《芸術家はいまや俳優となり、その芸術はますます虚言の才能として発達してゆく》とあり、「俳優」と語が出てくるが、この言葉をただひたすら嘲弄語彙と勘違いしてはならない。ニーチェの俳優の捉え方には両義性がある。
徳の俳優と罪の俳優。――徳のために有名になった古代の人々の間には、自分自身に対して俳優を演じた人々が数えきれないほど多数いたように思われる。ことにギリシア人は、根っからの俳優であるから、このことをまさしく全く無意識的に行ない、よいことだと思ったであろう。その上各人は自分の徳で、ある他人の徳または他のあらゆる人々の徳と競争していた。自分の徳を見せびらかすために、何よりもまず自分自身に見せるために、練習のためにさえも、あらゆる手段に訴えてどうしていけないのだろう? 示すこともできず、示し方を心得てもいな徳が何の役にたとうか! ――これらの徳の俳優たちを阻止したのは、キリスト教である。その代わりにキリスト教は、罪の不快な顕示と誇示を案出し、捏造された罪深さを世界にもちこんだ(今日にいたるまで、立派なキリスト教徒の間では、これが「上品な作法」と見なされている)。(ニーチェ『曙光』29番 茅野良男訳)
・かれらのうちには自分で知らずに俳優である者と、自分の意に反して俳優である者とがいる。――まがいものでない者は、いつもまれだ。ことにまがいものでない俳優は。
・やめよ、おまえ、俳優よ、贋金造りよ、根柢からの嘘つきよ。おまえの正体はわかっている。
・おまえ、孔雀のなかの孔雀よ、虚栄心の海よ。何をおまえはわたしに演じてみせたのだ。よこしまな魔術師よ、(……)
・よこしまな贋金造りよ、おまえにはほかにしようがないのだ。おまえは医者に裸を見せるときでも、おまえの病気に化粧をするだろう。。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)
ギリシアの神々(……)。高貴で自主的な人間の反映たるあの神々にあっては、人間のうちにある動物は自分を神のように感じたので、従って自分自身を喰い裂くこともなかったし、自分自身に対して狂暴を仕かけることもなかったのだ! あのギリシア人たちは極めて長い間、彼らの神々を実に「良心の疚しさ」を寄せつけざらんがために用い、彼らの精神の自由を愉しみ続けえんがために用いた。つまり、彼らは神々をキリスト教のおける用い方とは正反対の意味において用いたのだ。彼らはーーその素晴らしいし、獅子のような心をもった子供たちは、この道をずっと遠く進んで行った。(……)
オリュンポスの目撃者かつ審判者が(……)、人間を怨んだり悪く思ったりは決してしないのを聞き、また見るであろう。「奴らは何と愚かなのだろう!」と彼は死すべき者たちの非行を見て思うーーそして、「愚かさ」・「無分別」・少しばかりの「頭の狂い」、これだけは最も強く、最も勇敢な時代のギリシア人といえども、多くの凶事や災厄の原因として許したーー愚かさであって、罪ではないのだ! 諸君にはそれがわかるか……しかしこの頭の狂いすらも一つの問題であったーー「そうだ、そんなことが一体どうして可能なのか。それは一体どこから来たのか。われわれ高貴な素性の人間、幸福な人間、育ちのよい人間、最もよい社会の人間、貴族的な人間、有徳な人間のもっているような頭に?」ーー数世紀にわたってあの高貴なギリシア人は、自分の仲間の一人が犯した合点の行かぬような悪虐無道に面する度ごとにそう自問した。「きっと神が瞞したのに違いない」とついに彼は頭を振りながら自分に言った…… この遁辞はギリシア人にとって典型的なものだ…… このように当時の神々は、人間を凶事においてさえもある程度まで弁護するに役立った。すなわち、神々は悪の原因として役立ったーー当時の神々は罰を身に引き受けないで、むしろより高貴なものを、すなわち罪を身に引き受けたのだ……(『道徳の系譜』p111-113)
わが友らよ、私たちが理想に本気であるなら、私たちは誹謗しよう、私たちは旋律を誹謗しよう! 美しい旋律にもまして危険なものは何ひとつとしてない! それにもまして確実に趣味を台なしにするものは何ひとつとしてない! わが友よ! 人がふたたび美しい旋律を愛するときには、私たちは見捨てられていうのである! ・ ・ ・
原則、旋律は非道徳的である。証明、パレストリーナ。応用、『パルジファル』。旋律の欠如はそれ自身神聖にする・ ・ ・(『ヴァーグナーの場合』p305-306)
おわかりだろうか、ベルニーニにぞっこんの諸君たちよ!
頽廃は一般化している。病気は深部にある。ベルニーニが彫刻の荒廃の代名詞であるように、ヴァーグナーが音楽の荒廃の代名詞であるとしても、それだからとて彼はその原因であるのではない。彼はその荒廃のテンポを速めたにすぎない(『ヴァーグナーの場合』「第二のあとがき」p337)
ワーグナーを聴くなら、へなへなした美貌歌手ではなく、ギリシアの神々の生れ変りのようなジェシー・ノーマンで聴くべきだ、彼女ならニーチェもきっと許してくれることあろう。
わたくしはどちらかというと神々への幅がひろいほうなので、ジェシー・ノーマンほどではなくても、ノアルスイユ夫人タイプの歌手であれば許すことにしているが。
「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪の告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」(『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド澁澤龍彥訳)
おわかりであろうか、わたくしの趣味が。それとも諸君と同じように美しき魂の持ち主を愛するべきなのだろうか、《完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫かぶりども》を。
女という女はわたしを愛するーーいまさらのことではない。もっとも、かたわになった女たち、子供を産む器官を失った例の「解放された女性群」は別だ。 ――幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……すべての、いわゆる「美しき魂」の所有者には、生理的欠陥がその根底にあるーーこれ以上は言うまい。話が、医学的(半ば露骨)になってしまうから。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)
我が日本にも味方がいるではないか! もっとも荷風や谷崎の女は、歌をうたうのはひどく下手そうではあるが。
毒婦の第一の資格は美人でなければならぬ。其れも軽妙で、清洒で、すね気味な強みを持つてゐる美人でなければならぬ。其れ故、毒婦が遺憾なく其の本領を発揮する場合には観客は道義的批判を離れて、全く芸術的快感に酔ひ、毒婦の迫害に遭遇する良民の暗愚遅鈍を嘲笑する(永井荷風『虫干』ーー倒錯と女の素足(谷崎潤一郎))
幾十人の男の魂を弄んだ年増のように物凄く整って(……)国中の罪と財との流れ込む都の中で、何十年の昔から生き代り死に代った麗しい多くの男女の、夢の数々から生れ出いづべき器量(谷崎潤一郎『刺青』)
よい空気が大切なのだ! よい空気が大切なのだ! そしてとにかく文化のあらゆる癲狂院や病院の傍を離れることだ! だからこそ良い仲間が大切なのだ! いずれにせよ、内向的な頽廃と内密な病人の虫害とが放つ悪臭から遠ざかることだ!…… わが友らよ、われわれがそれこそわれわれ自身のために取っておかれたかもしれないあの二つの最も悪性の疫病から少なくともなお暫くの間実を守るために、――人間に対する大なる吐き気から! 人間に対する大なる同情から!…… (ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p158)
という具合ではあるがニーチェはワーグナーにぞっこんだった自らを恥じているわけではまったくない。
――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)
哲学者が最初にして最後におのれに求めるものは何であろうか? おのれの内なるその時代を超克すること、「無時間的」となることである。それでは彼は何とそのこのうえなく苛烈な死闘をまじえるのか! まさしく彼がその点で時代の子であるそのものとである。よろしい! 私はヴァーグナーと同様この時代の子である、言ってよいなら、デカダンであるが、ただ私はこのことをわきまえていた、ただ私はこのことに対して抵抗した。私の内なる哲学者がそれに対して抵抗したのである。
私が最も深くたずさわってきたもの、事実それはデカダンスの問題であった、――私はそのために理由をいくつかもっていた。「善と悪」はあの問題に一変種にすぎない。衰退の特徴について眼識をそなえてしまえば、道徳の心得もまたそなわる、――道徳のこのうえなく神聖な名称や価値定式のしたに何が隠されているのかがわかるのである。すなわち、それは貧困化した生、終末への意志、大きな疲労にほかならない。道徳は生を否定する・・・そうした課題のために私には自己訓練が必要であったのである、すなわちーーヴァーグナーをもふくめて、ショーペンハウアーをもふくめて、全近代的「人間性」をもふくめて、身に深い疎遠、冷淡、幻滅、しかも最高の願いとしては、ツァラトゥストラの眼、人間という全事実を途方もない遠方から見渡す眼、――おのれの下に見おろす眼・・・そのような目標――どのよおうな犠牲もそれに相応しないのではなかろうか? どのような「自己超克」も! どのような「自己否認」も!
私の最大の体験は一つの快癒であった。ヴァーグナーはたんに私の病気のうちの一つにすぎない。
私がこの病気に対して忘恩であろうとすると言うのではない。私はこの著作でもって、ヴァーグナーは有害であるとの命題を堅持するとしても、それに劣らず私は、それにもかかわらず彼が誰にとって不可欠であるかということも堅持しようと思うーーそれは哲学者にとってである。さもなければ人はおそらくヴァーグナーなしでやってゆくことができるであろうが、ヴァーグナーなしですますことは、哲学者の勝手にはならないのである。哲学者はその時代の良心のやましさでなければならないがーーそのためには哲学者はその時代の最良の知識をもっていなければならない。しかし哲学者は近代的魂の迷路にとって、ヴァーグナーにもまして通暁した道案内人を、雄弁な精通者を、どこに見いだすことができようか? ヴァーグナーをつうじて近代性はその最も親密な言葉を語っている。すなわち、それはその善いところも悪いところも包み隠さず、それはおおれに対するすべての羞恥を忘れてしまっているのである。また逆に、ヴァーグナーでみられる善と悪に関して明らかとなるなら、近代的なものの価値に関して決着をつけたも同然である。――私には、「私はヴァーグナーを憎むが、私にはもはや他の音楽は耐えられない」と今日誰か音楽家が言うなら、それは完全に理解できる。しかしまた私には、「ヴァーグナーは近代性を要約している。どうにも仕方がない、まずヴァーグナー主義者とならざるをえない・・・」と言明する哲学者の心も、わかることであろう。(『ヴァーグナーの場合』「序言」p285-287)
さて、「諸君、おわかりであろうか?」ーー、私はこれにていささか肩の荷をおろすことにする。《「優れたものは軽やかであり、一切の神的なものは華奢な足で走る」、これが私の美学の第一命題である。(……)このことでそれは、音楽における多足類とは、「無限旋律」とは反対のものとなる》
フーコーがすでにとっくの昔にいっているように、数々の美しいイマージュをーーわたくしはこれを「数々の美しい旋律を」と翻訳するのだがーー、創り出すのではなく、イマージュを(美しい旋律を)ときほどし、炸裂させた処に顕現するギリシアの神々の軽やかな透明さを愛でるべきであるーーとすれば、あのギリシアの神々の生まれ変わりジェシー・ノーマンは軽やかで華奢な足をもっているといえるのだろうか?--
…………
フーコーがすでにとっくの昔にいっているように、数々の美しいイマージュをーーわたくしはこれを「数々の美しい旋律を」と翻訳するのだがーー、創り出すのではなく、イマージュを(美しい旋律を)ときほどし、炸裂させた処に顕現するギリシアの神々の軽やかな透明さを愛でるべきであるーーとすれば、あのギリシアの神々の生まれ変わりジェシー・ノーマンは軽やかで華奢な足をもっているといえるのだろうか?--
フィクションはもはや数々のイマージュを倦むことなく生産し輝かせる能力であるべきではなく、逆にそれらイマージュの結びつきをほどき、すべての過重からくる負担を軽くしてやり、内的な透明さ、それらイマージュを少しずつ照らしだしてついにはそれらを炸裂させ、想像し得ぬものの軽やかさのうちにそれらを散らばせる透明さをもってそれらの住処とするような力であるべきなのだ。(フーコー『外部の思考』――モーリス・ブランショ論)
…………
ここに附録のようにしてつけ加えるとするなら、ニーチェの1888年における転回、これについては小林秀雄やクロソウスキーなどによる1887年のドストエフスキーとの出会いの影響の指摘もある。
ニイチェは、「ツァラトゥストラ」を音楽だと言っている。比喩ととるのは間違いだ。音楽は、まさしく、かくのごときものとして、彼には聞えていたのだと私は思う。もう一つ奇怪な例をあげよう。彼の一生で彼を本当に驚かした書物が三つある。二十一歳の時読んだショウペンハウエルの主著、三十五歳で出会ったスタンダアルの「赤と黒」、四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。第二部は、「汝自身を知れ」というパロディイに関する天才的な心理学だが、第一部は全く非ドイツ的な(ドイツという言葉は、ニイチェの用いた最大の反語の一つであることに注意したい)世にも不思議な音楽だと言うのである。「地下室の手記」を読んだ人に、これが音楽として聞えて来る耳を私は要求したいのだ。これが音楽家ニイチェの鍵だ。……(小林秀雄「ニーチェ雑感」ーー山師ニーチェ)
The sick are rehabilitated for having a greater compassion and, at the same time, for having 'invented' malice; ageing, decadent races are rehabilitated for possessing more spirit; thefool and the saint are rehabilitated - and opposed to the 'genius' and the 'criminal adventurer', who are here united in a single affective genus. Such revisionism, in Nietzsche, was due in large part to his discovery of Dostoevsky. For even if they derived opposite conclusions from their analogous visions of the human soul, Nietzsche could not help but experience, through his contact with Dostoevsky's 'demons' and the 'underground man', an infinite and incessant solicitation, recognizing himself in many of the remarks the Russian novelist put in his characters' mouths.(『 Nietzsche and the Vicious Circle』PIERRE KL,OSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)