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2014年4月17日木曜日

イマージュと美、あるいは感性の形式と悟性のカテゴリー

まず、『映像について何を語るか-ジル・ドゥルーズ『シネマ』をめぐる考察-』(箭内 匡)より。www.tenri-u.ac.jp/icrs/dv457k0000006wgb-att/1-6.pdf

『シネマ』におけるドゥルーズの思索の出発点をどこに見出すことができるだろうか。それは、非常にゆるやかな意味では、現代の多くの重要な哲学書――ドゥルーズ自身の旧著『差異と反復』を含め――と同様に、『純粋理性批判』のカントの思索であるということができるだろう。これに関して興味深いのは、ドゥルーズが『シネマ』の執筆に取りかかる少し前の1978年に、パリ第八大学で行なった、カントについての講義である。なぜなら、後の『シネマ』でのドゥルーズの議論の基礎になっている「イメージ」と「時間」の二つの概念が、『純粋理性批判』の中でカントが創始し、現代の我々もまたその影響下にあるような、ある根本的な思考の変革の中心部分として、この講義で事実上提示されているからである。

註):《「事実上」と書いたのは、そこでは「イメージ」(image)というベルクソン的表現でなくて、カント自身の「現れるもの」(ce qui apparaît あるいは apparition)という表現が使われているからである。(……)「現れるもの」に相当するカントの原語はErscheinung であり、これは通常は phénomèneと仏訳される言葉だが、ドゥルーズはドイツ語のニュアンスを生かす形で ce qui apparaît あるいはapparitionという言葉を使っていると思われる。「現れるものの条件」については、「現れるものの意味(sens)」と言ってもよい、とも述べている。》

では、ドゥルーズにとっての、カントによる根本的な思考の変革とは、具体的には何だろうか。それは、『シネマ』の全体に関わる点からいえば、次の三点になるだろう。第一にカントが、プラトン以来の「本質」(essence)と「仮象」(apparence)の対立と訣別し(つまりこの世界の背後に、この世界を根拠付けるような「真の世界」を前提することを廃止して)、ただ「現れるもの」(ce qui apparaît)のみを、その「現れるものの条件」(conditions de ce qui apparaît)ととともに思考したこと。第二に、この「現れるものの条件」の根底にあるものとして、新しい、真に近代的な「時間」の概念――いかなる宇宙的リズムをも前提としない、つまり、いかなる「動き(運動)」の蝶番からも解放された、純粋な「時間」――を導入したこと。第三に、この純粋な「時間」の概念を、同時にいかなる心理的リズムにも依拠しないものとして考えることを通じ、「私の存在」が「私は他者である」(“Je est un autre”)というパラドックスを内包する形でのみ綜合されうること、そして、この綜合作用の根底に「自己の自己による変様」としての「時間」があること、を見出したことである。

――という文を冒頭に掲げたのは、現代思潮社の「鈴木創士の部屋」の次の文を読んだ(読み返した)からだ(わたくしは鈴木創士氏のスタイルのすこぶるファンであって、このウェブ上のエッセイを一年毎くらいにまとめてPDFにして読み返す)。

カント的問題には、生々しいものであれ、古代ギリシアの唯物論風であれ、形而上学的であれ、はたまた神学的であれ、「イマージュ」についての考察がすっぽり抜け落ちているように思われる。そんなものは問題にすらならない。カントは物を見ていたのだろうか。「物自体」はイマージュとの光の照応を断っていたのだろうか。ともあれわれわれは何かを見ている最中なのだから、いくら「美」の哲学というものが複雑な代物であっても、美学が「感覚の論理」であるならば、ある曲線を、ある直線を、ある水の流れを、ある風景を、ある瞳を、ある動物を、稀にはある人の心の様を、ある横顔を、ある瞬間を、ある花や樹を、ある音楽を、ある静寂を、ある肢体を、ある朝と夜を、美しいと思うのは、まずはとても単純で揺るぎないことのように思えるのだけれど …。この点では私はいつも実在論と唯名論の中間を漂い続けざるを得ないということになる …。(鈴木創士「悪魔……」

さてどのように上のふたつの文の齟齬を処理したらよいのだろうか。カントやドゥルーズをまともに読んでいるわけではないわたくしは、それでも「物自体」と「イマージュ」について、たとえば次のような文を引用することぐらいはできる。

物自体に何ら神秘的な意味合いはない。カントは次のように警告している。

《一般に観念論の主張することろではこうである―――思考する存在者のほかには、いかなるものも存在しない、我々が直観において知覚すると信じている他の一切の物は、この思考する存在者のうちにある表象にすぎない、そしてこれらの表象には、思考する存在者の外にあるいかなる対象も実際に対応するものではない、というのである。

これに反して、私はこう主張する。―――物は、我々の外にある対象であると同時に、また我々の感官の対象として我々に与えられている。しかし物自体が何であるかということについては、我々は何も知らない、われわれはただ物自体の現れであるところの現象がいかなるものであるかを知るにすぎない、換言すれば、物が我々の感官を触発して我々のうちに生ぜしめる表象が何であるかを知るだけである。それだから、私とて、我々の外に物体のあることを承認する》(『プロレゴメナ』篠田英雄訳、岩波文庫)。

つまり、カントは世界も他我もわれわれが作ったものでなく、われわれに関係なく存在し生成していることを認めている。言い換えれば、われわれが「世界内存在」であることを。彼が物自体をいうのは、主観の受動性を強調するためである。(柄谷行人 『トランスクリティーク――カントとマルクス――』(岩波書店)第一部注P467)

あるいは、ドゥルーズのイマージュをめぐれば、前田秀樹【「悟性と感性の「性質の差異」について』(「批評空間」1996)より。

【伝統的な哲学】
哲学にとって、光は精神の側にあるもので、意識と呼ばれるものは、さまざまな事物をそれらが本来住んでいる暗闇から引き出してくる光の束である。意識という内面の光が。外側の暗闇に潜んでいる事物を照らし出す。

ドゥルーズによれば、現象学でさえこうした考えに哲学的伝統には忠実だったのであり、ただ現象学はかつて内面性の光とされていたものを、まるで電灯の光線のようにすべて外側に向けて開いていったに過ぎない。

【ベルクソンの哲学】

これに対して、ベルクソンは、事物というのはどんな光によって照らされているわけでもない、すでにそれ自体が光なのである、と。では意識とは何かというと、この光を屈折させ、停止させ、遮断するもの、言わば光にとっての障害物にほかならない。事物のイマージュは、意識の光によって照らし出されて浮かび上がるのではなく、意識をとおした光の屈折や遮断によって、つまり光の部分的な否定によって視えるものとなる。


さて素朴な疑問に戻って鈴木創士氏のいう、ある横顔を、ある肢体を、美しいと思うのは、単純で揺るぎないことなのだろうか。わたくしの誤読でなければ、ここでは何かが忘れられている。《われわれがかつて女だと見るのを拒んだあのルノワールの女たち》、すなわち醜いと思った女が、美しく見えるようになった経験を、われわれはして来ている。たとえば黒人女が美しくなったのは、二十世紀中葉の写真家や映像作家のせいではなかったか。

こんにちならよい趣味の人たりはわれわれに向ってこういう、――ルノワールは十八世紀の大画家である、と。しかし、そういうことを口にするとき、彼らは忘れているのだ、時を。すなわちルノワールが大芸術家としての待遇を受けるには十九世紀のただなかにあってさえ多くの時を必要としたことを。そのようにして世に認められることに成功するには、独創的な画家にしても、独創的な芸術家にしても、いずれも眼科医のような方法をとる。そんな画家とか芸術家とかが、絵や散文の形でおこなう処置は、かならずしも快いものではない。処置がおわり、眼帯をとった医師はわれわれにいう、ーーさあ、見てごらん。するとたちまち世界は(世界は一度にかぎり創造されたわけではない、独創的な芸術家が出現した回数とおなじだけ創造されたのだ)、われわれの目に、古い世界とはまるでちがって見える、しかも完全にはっきり見える。女たちが街のなかを通る、以前の女たちとはちがう、つまりそれはルノワールの女たちというわけだ。われわれがかつて女だと見るのを拒んだあのルノワールの女たちというわけなのだ。馬車もまたルノワールである、そして水も、そして空も。はじめて見た日どうしても森とは思えず、たとえば無数の色あいをもっているがまさしく森に固有の色あいに欠けているタペストリーのようだった、そんな森に似た森のなかを、われわれは散歩したくなってくる。そのようなものが、創造されたばかりの、新しい、そしてやがて滅びるべき宇宙なのである。その宇宙は、さらに独創的な新しい画家や作家がひきおこすであろうつぎの地質的大変動のときまでつづくだろう。(プルースト「ゲルマントのほう Ⅱ」井上究一郎訳) 

《美学が「感覚の論理」であるならば、ある曲線を、ある直線を、ある水の流れを、ある風景を、ある瞳を、ある動物を、稀にはある人の心の様を、ある横顔を、ある瞬間を、ある花や樹を、ある音楽を、ある静寂を、ある肢体を、ある朝と夜を、美しいと思うのは、まずはとても単純で揺るぎないことのように思えるのだけれど …。》――だが、それらが美しいのは、とても単純で揺るぎないことではない。

たとえば、アルプスが障害物でなく、「美しい」自然となったのは、ルソーの「文学」によるとする比較的若い時期の柄谷行人がいる。

『告白録』のなかで、ルソーは、1728年アルプスにおける自然との合一の体験を書いている。それまでアルプスはたんに邪魔な障害物でしかなかったのに、人々はルソーがみたものをみるためにスイスに殺到しはじめた。(柄谷行人「風景の発見」『日本近代文学の起源』)

次に「準備と注解/岡崎乾二郎」より、アルブレヒト・デューラーの《一人の人間から美しい像を写し取ることは不可能である。美しい人間というものは地上に生きていないから。人はつねにもっと美しくありうるから。また、人間の最美の形態がいかなるものかを語ったり示したりすることのできる人も地上には生きていない。神以外には美を判断することは誰にもできない。それについて人は異なる意見をもちうる。》という文の引用で始まる凝縮されたエッセイから、カントを孫引こう。

経験的条件のもとでは、形態の美に関して黒人と白人とはそれぞれ異なる標準的理念をもつに違いないし、またシナ人はヨーロッパ人と異なる標準的理念をもつに違いない。そして美しい馬や美しい犬(それぞれ異なる種属の)の模範についても、事情はまったくこれと同様であろう。美のかかる標準的理念は、経験から得られて一定の規則と見なされるような比例に基づくものではない、むしろこの理念に従って初めて判定の規則が可能になるのである。この標準的理念が則ち個体に関する直観─換言すれば、さまざまに異なる一切の個別的直観の遥曳するところの形象であり、これに対応するものは『類』の全体である。自然はかかる形像を、同一の『類に属する自然的所産の原型とした、しかし個々のものについては、この原型の完全な実現は見られないようである。要するに標準的理念は、人間という『類』における美の完全な原型そのものではなくて、およそ美の成立に欠くことのできない条件を成すところの形式であり、従ってまたこの『類』の表現における適正を示すにすぎない。この理念はポリュクレイトスの有名な『ドリュフォロス』が規則(カノン)と呼ばれたのと同じ意味において規則なのである。またそれだからこそ標準的理念は、個別的─性格的なものをいっさい含んではならないのである。もしそうだとしたらこの理念は『類』に対する標準的理念ではなくなるだろう。標準的理念は、美によって我々に快いのではなくて、人間という『類』に属するものが美であり得るための唯一の条件に矛盾していないからこそ、快いのである。要するにかかる表現は正格というだけのことである。(カント『判断力批判』篠田英雄訳)

つまるところ、時代の、文化の「美しさ」という標準的理念から与えられる規則(カノン)があって、対象は「美しい」のであり、「美」は対象の性質ではないと主張している。

カントの『純粋理性批判』にはこうある。

感性的直観能力は本来、受容性にほかならない、 ――換言すれば、表象によって或る仕方で触発せられる能力である。そしてこれらの表象の間の相互関係が即ち空間および時間という純粋直観(我々の感性の純粋形式)なのである。

またこれらの表象は、それがかかる関係(空間および時間の)において経験統一の法則に従って結合せられ規定せられる限りでは、 “対象” と名づけられる。かかる表象を生ぜしめる非感性的原因は、我々にはまったく知られていない、従って我々はこの非感性的原因を対象として直観することはできない。

このような対象(自体)は、(感性的表象の単なる条件としての)空間においてもまた時間においても表象せれれ得ないだろう、しかし我々はかかる感性的条件なしには、直観というものをまったく考えることができないのである。

それにも拘わらず我々は、現象一般の仮想的原因を先験的対象と名づけて差し支えない。しかしそれは我々がかかる対象によって、受容性としての感性に対応する何か或るものをもつためにすぎない。

我々は、我々の可能的知覚の範囲と連関とをすべてこの先験的対象に帰し、かかる先験的対象は一切の経験に先きだってその自体与えられている、と言って差し支えない。

ところがこの先験的対象に対応するところの現象は、それ自体与えられるのではなくて、経験においてのみ与えられるのである。  (『純粋理性批判』中、篠田英雄訳 岩波文庫)

柄谷行人の『トランスクリティーク」は、このカントの「感性の形式」(あるいは「悟性のカテゴリー」)をめぐっての議論に、そのかなりの箇所がさかれているといってよい。

カントは、経験論者が出発する感覚データはすでに感性の形式によって構成されたものであると述べた。(柄谷行人『トランスクリティーク』P312)
彼(カント)が感性の形式や悟性のカテゴリーによって現象が構成されるといったのは、言語によって構成されるというのと同じことである。実際、それらは新カント派のカッシラーによって「象徴形式」といいかえられている。P101
マルクスの唯物論は、観念論的と経験論の「視差」においてしかない、そして、この「視差」を失えば、唯物論はもう一つの「光学的欺瞞」(カント)に陥らざるを得ない。

日常生活では、どんな店屋の主人でもごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるかということとを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思いえがいた言葉どおりに信じこんでいるのである。(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)

マルクスの批判は、考えていること(悟性)と現にあること(感性)のギャップの意識においてのみあらわれる。P215-216

「感性の形式」や「悟性のカテゴリー」、あるいは先例と慣例」によるまなざしの汚染をめぐっては、蓮實重彦のいささか衒学的な表現、《解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線》も、上のカントの変奏であるといってよい。もっとも蓮實重彦はパラダイムやエピステーメをめぐる文脈で書いているのだが、そもそもパラダイムとはその時代・文化の感性の形式や悟性のカテゴリーによるものだろう。ここでT.S.クーンのパラダイム概念を想起するなら、観察そのものが「理論」に依存していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」が存在しないことを主張する。つまり、経験的なデータが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわり認識論的パラダイムで見 出される、としている。

……だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批判宣言』所収)

これらだけではない。われわれは昨日美しかったものが、今日は美しくないという経験をしているはずだ。

諸君は自分が何を望んでいるか実際に知っているか? ――自分たちは真であるものを認識するには全く役に立たないかもしれない。この不安が諸君を苦しめたことはないか? 自分たちの感覚はあまりにも鈍く、自分たちは敏感に見ることさえやはりあまりにも粗っぽすぎるという不安が? 自分たちが見ることの背後に昨日は他人よりも一層多くを見ようとしたり、今日は他人とは違ったように見ようとしたり、あるいは諸君がはじめから、人々が以前に見つけたと誤認したものとの一致あるいは反対を見出そうと渇望していることに、気づくとすれば! おお、恥辱に値する欲望! 諸君はまさに疲れているためにーーしばしば効果の強いものを、しばしば鎮静させるものを探すことに、気づくとすれば! 真理とは、諸君が、ほかならぬ諸君がそれを受け入れるような性質のものでなければならないという、完全で秘密な宿命がいつもある! あるいは諸君は、諸君が冬の明るい朝のように凍って乾き、心に掛かる何ものも持っていない今日は、一層よい目を持っていると考えるのか? 熱と熱狂とが、思考の産物に正しさを調えてやるのに必要ではないか? ――そしてこれこそ見るということである! あたかも諸君は、人間との交際とは異なった交際を、一般に思考の産物とすることができるかのようである! この交際の中には、等しい道徳や、等しい尊敬や、等しい底意や、等しい弛緩や、等しい恐怖感やーー諸君の愛すべき自我と憎むべき自我との全体がある! 諸君の肉体的な疲労は、諸事物にくすんだ色を与える。諸君の病熱は、それらを怪物にする! 諸君の朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないか? 諸君はあらゆる認識の洞窟の中で、諸君自身の幽霊を、諸君に対して真理が変装した蜘蛛の巣として再発見することをおそれてはいないか? 諸君がそのように無思慮に共演したいと思うのは、恐ろしい喜劇ではないのか? ――(ニーチェ 『曙光』539番)

ーーと引用してきたが、感性の形式、悟性のカテゴリー、あるいは物自体について、たいしたことが分かっているわけではないので誤解があるのかもしれない。カントのそれらをめぐっては、覗きたい人は「純粋理性批判の研究 第四章 カテゴリー」などたぐいのまとめがウェブ上にもいくらでもある。

いちばん厄介なのは「物自体」概念であり、当然のことだが、上に引用された文を額面通りに受け取る必要はないのであって、たとえば柄谷行人は次のように書く、《フロイトの超越論的心理学の意味を回復しようとしたラカンが想定した構造は、よりカント的である。仮象(想像的なもの)、形式(象徴的なもの)、物自体(リアルなもの)》(『トランスクリティーク』)。あるいは、

カントは、主観の形式によって構成されるものを「現象」と呼び、たえず主観を触発しつつありながら、主観によってはとらえられないものを「物自体」と呼んでいる。さらにつけ加えるべきなのは、「仮象」である。ここで注意すべきなのは、「現象」と「物自体」は、ドクサ(仮象)とエピステメー(真の認識)という旧来の区別とは異なるということである。たとえば、科学的認識がとらえるのは「現象」である。それは物自体ではないとしても仮象ではない。つまり、大事なのは、「現象」と「仮象」が区別されなければならないということである。カント以前の哲学者は、仮象が感覚にもとづくがゆえに生じる、ゆえに、感覚を越えた理性による認識が真であると考えてきた。カントが画期的なのは、仮象をもたらすのは感覚だけではない、ある種の仮象が理性そのものによって生み出されると考えたところにある。彼の仕事は、そのような理性を批判(吟味)することであった。しかし、それは、人がそのような仮象を容易に取り除けるということを意味するのではない。むしろ、その逆である。たとえば、自分(自己同一性)という考えは仮象である。とはいえ、もし自分というものがないとしたら、人は恐るべき心理状態に陥るだろう。カントはそのような仮象を超越論的仮象と呼んだ。

このように、物自体、現象、仮象という三つの概念は、一組の構造をなしている。つまり、そのどれかを捨てても根本的に意味が失われるのである。もちろん、われわれもこの古くさい「物自体」という言葉を廃棄してもよい。が、これらの構造だけは手放すわけにはいかない。たとえば、精神分析において、ラカンが定立した、「現実的なもの」・「象徴的なもの」・「想像的なもの」という区別は、明瞭にカント的である。このように、物自体、現象、仮象という三つの 概念が別の言葉でも言い換えられるということは、それらが超越論的に見出される一つの「構造」であること、カントの言葉でいえば、アーキテクトニック(建築術)であることを意味する。カント自身が、それを隠喩として語った。(柄谷行人「英語版への序文」、『隠喩としての建築』所収)

だが、ジジェクは物自体はラカンの現実界ではない、としている。

……ラカンのいう<現実界>は、永遠に象徴化を擦り抜ける固定した超歴史的な「核心」という見かけよりも、ずっと複雑なカテゴリーだということである。それはドイツ観念論者イマヌエル・カントが「物自体」と呼んだもの、すなわちわれわれの知覚によって歪曲される前の、われわれから独立した、そこにあるがままの現実とはいっさい無関係である。

《……この概念はまったくカント的ではない。私はこのことをあえて強調したい。もし<現実界>という概念があるとしたら、それは極端に複雑で、それゆえ理解不能である、そこから<すべて>を引き出すようなふうには理解できないのである。》(Lacan”Le Triomphe de La Religion)(ジジェク『ラカンはこう読め』P115-116)

ーーという具合だ。ジジェクはこの『ラカンはこう読め』の出版前に、柄谷行人の『トランスクリティーク』に絶賛に近い書評をしているが、上の文は「物自体≒現実界」とする柄谷行人解釈には瞭然と異議をとなえていると読んでもよいだろう。

…………

上にプルーストを引用したが、あのたぐいの文はいくらでもある。たとえば、《われわれが相手の人の顔を見、その声をきくたびに、目のまえに見え、耳にきこえているのは、その人についての概念なのである。》(プルーストーー「知った人に会う」という知的行為

いまは、食事のテーブルがかたづけられるあいだも、私はゆっくり居残って、小さな一団の少女たちが通りかかりそうな時刻ではない場合も、海ばかりながめているということはもうなかった。私は手近なさまざまなものをながめたのであり、エルスチールの水彩画のなかにそれらを見てからは、それらを現実のなかに再発見しようとつとめるのであった。

たとえばまだはすかいに置かれているナイフの類のその中断されたままの身ぶり、太陽の光線が黄色いビロードの一片をさしこんでいる使ったあとのナプキンのふっくらしたまるみ、朝顔型に口がひらいた高貴なカットをいっそう目立たせている飲みのこされたワイングラス、日ざしの凝固にも似た透明なそのクリスタルの底の、くすんだ、しかも光にきらめいているぶどう酒の残り、注がれた量の位置のずれ、光線の照明による液体の変質、すでになかば果物の山がくずれたコンポートのなかの、みどりから青へ、青から金色へと移るプラムの色彩の変化、食道楽の祭典が催される祭壇のようなテーブルの上の、敷きつめられたテーブルクロスのまわりに、日に二度ずつやってきては場所につく古ぼけた椅子たち、そしてそのテーブルの上の、牡蠣の殻の底に残っているみず、石の小さな聖水盤のなかに見られるような光った数滴の水、そうしたものを、何か詩的なもののように、私は愛するのであって、そんなところに美があろうとはいままで想像しなかった場所に、もっとも日用に使いなれた事物のなかに、「静物」の奥深い生命のなかに、私は美を見出そうと試みるのであった。(「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ 」井上究一郎訳)