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2014年4月22日火曜日

「人はどこかよそに行きたくなる」、あるいは蜩の声

「愚劣さ」は誤りとは関係ありません。つねに勝者(打ち負かすことが不可能)ですが、その勝利は謎の力に属します。それは、まさに、むき出しの、輝くばかりの現に存在することそれ自体です。そこから恐怖と魅惑、死体の魅惑が生じます(何の死体でしょうか。おそらく真実の死体です。死んだものとしての真実です)。「愚劣さ」は悩みません(プーヴァールとペキッシュです。もっと賢かったら、もっと悩むでしょう)。だから、「愚劣さ」は「死」のごとく鈍重に、現に存在するのです。呪文も形式的な操作でしかありません。それは「愚劣さ」を一括して外側から捉えます。《愚劣さは私の苦手だ》(テスト氏)。この言葉は最初のサイクルではこれで十分です。しかし、話は間隔を置いて無限にくり返されます。それはまた愚劣になるのです。(ロラン・バルト「イメージ」『テクストの出口』所収 沢崎浩平訳)

この「愚劣さ」は原語はなになのか、やや気になるところだが、いまは原文に当たることをしていない。ところで、《愚劣さとは真実の死体》とされているので、次の文を並べておこう。

ステレオタイプとは、魔力も熱狂もなく繰りかえされる単語である。あたかも自然であるかのように、あたかも、奇妙なことに、繰りかえされる単語は、その度に、それぞれ異なった理由で、そこにふさわしいかのように、あたかも模倣することが、もはや模倣と感じられなくなることが在り得るかのように。図々しい単語だ。擬着性を求めていて、自分の固着性をしらない。

ニーチェは、《真理》とは古い隠喩の凝固したものに他ならない、といった。ところで、この理屈でいくと、ステレオタイプは《真理》に到る現実の道筋であり、案出された装飾を、記号内容の、規範的な、強制的な形式へと移行させる具体的な過程なのである。(ロラン・バルト『テクストの快楽』 沢崎浩平訳)

冒頭の「イメージ」は1977年の講演であり、最晩年のロラン・バルトの語りのひとつとしてよい。またドゥルーズ&ガタリの『アンチ・オイディプス』の出版のあとの発言なのだが、マルクス主義、精神分析を完全に拒否する人は、愚劣さ、悲しむべき不透明性を持っているとしている。とはいえ、肝要なのは《人はどこかよそに行きたくなります》である。

言語活動に関してこの《サイクル》(エンジンのサイクルというような意味での)の機構は重要です。強力な体系(「マルクス主義」、「精神分析」)を見てみましょう。最初のサイクルでは、それらは反「愚劣さ」の(効果的な)働きをします。それらを経ることは愚劣さを脱することです。どちらかを完全に拒否する人(マルクス主義、精神分析に対して、気まぐれに、盲目的に、かたくなに、否(ノン)という人)は、自分自身のうちにあるこの拒否の片すみに、一種の愚劣さ、悲しむべき不透明性を持っています。しかし、第二サイクルでは、これらの体系が愚劣になります。凝固するや否や、愚劣が生ずるのです。そこが裏側に回ることができない所です。人はどこかよそに行きたくなります。チャオ(さよなら)、もう結構、というわけです。

ここにも「凝固」という語彙が出てきていることから分かるように、ニーチェの、《真理》とは古い隠喩の凝固したものに他ならない、という言葉の反映がある。

また《人はどこかよそに行きたくなります。チャオ(さよなら)、もう結構、というわけです》という文にかんしては、これもおなじく『彼自身によるロラン・バルト』から、二つばかり挙げておこう。

「真実は固形性の中にある」とポーが言った(『ユリーカ』)。それゆえ、固形性に耐えられない人は、真実にもとずく倫理に対して自分を閉じてしまう。彼は、語や命題や観念が《固まり》はじめ、固形状態へ、《ステレオタイプ》の状態へ移行するやいなや、それらを手離してしまう(《ステレオス》とは《堅い》という意味である)。
反作用〔反応〕による形成。あるひとつの《ドクサ》(世間の通念)を提示してみて、さて、それが耐えがたいものだとする。私はそれからそのれるために、ひとつのパラドクサ〔逆説〕を要請する。次には、その逆説にべたべたした汚れがついて、それ自体が新しい凝結物、新しい《ドクサ》となる。そこで私はもっと遠くまで新しい逆説を探しに行かざるをえなくなる。

――というわけだが、70年代以降のロラン・バルトの言葉は、『彼自身によるロラン・バルト』の註釈のように読めることが多い。いま例をあげたのは僅かだが、気づいた範囲でそのうちまたメモする習慣をもつことにしよう。

原来此種の記載は無用に属するかも知れぬが、或は他書を併せ考ふるに及んで、有用のものとなるかも知れない。わたくしは此の如き楽天観に住して、甘んじて点簿の労に服する。(森鷗外『伊沢蘭軒』)

わたくしは鴎外の晩年の歴史物の中では、『渋江抽斎』はしばしば読み返すのだが、『伊沢蘭軒』はどうもいけなかった。漢詩や漢文が多すぎる。いくら当時でもあれが新聞に連載されれば不評を買ったことは已む得ない。ほとんど引用ばかりの回が続くなどということもある。とくに蘭軒の長崎への旅日記を引用する第二十九から第五十までは、一二割程度しか鴎外の言葉は差し挟まれず、殆ど引用である。

伊沢蘭軒は、安永6年11月11日生れ(1777年12月10日) - 文政12年3月17日没(1829年4月20日))であり、いまから二百年ほど前の人物で、古井由吉が《あきるようであきず、いまにも投げ出しそうで投げ出さず》とする古い時代の書物、《人が死んでただちに生まれかわっても五十代近くも隔たる大昔の声》どころか、せいぜい五代昔の人物に過ぎないのだが、その《古い時代の物の考え方と言い方が基本のところでよくもわかっていないよう》なのだ。蘭軒とその仲間たちは、漢字フェティシズムなんじゃないか、と呟きつつ読むことになるのだが、我慢して読み進めるうちに、いささか《不思議に読めているような境に入った》。

あるいはこんな文を眺めていると、むしろ「現代的」な感覚を与えてくれるという錯覚に陥るなどということにもなる。

伊沢徳さんは現に此家の平面図を蔵してゐる。其間取は大凡下の如くである。「玄関三畳。薬室六畳。座敷九畳。書斎四畳半。茶室四畳半。居間六畳。婦人控室四畳半。食堂二畳。浄楽院部屋四畳半。幼年生室二箇所各二畳。女中部屋二畳。下男部屋二畳。裁縫室二畳。塾生室二十五畳。浴室一箇所。別構正宗院部屋二箇所四畳五畳。浴室一箇所。土蔵一棟。薪炭置場一箇所。」

どこかで読んだ(眺めた)印象と似ているな、などと。

「黙視」「陰視」「黙惑」「黙瞥」「黙殺」「黙笑」「黙怯」「黙訝」「黙認」「黙嘲」「黙憫」「黙索」「黙諾」「黙嘆」「黙惜」「黙難」「密囁」「密索」「黙戒」「悟惚」「黙悦」「隠嗤」「憤黙」「黙呆」「黙嫉」「沈躁」「黙脱」「黙錯」「黙忖」「黙敬」「微解」「黙謀」「爆黙」「擬黙」「黙索」「偽忌」「耽黙」「謬殺」「黙悩」「封舌」「駄黙」「躍黙」「黙狽」「黙滅」「浄黙」「専黙」「斜黙」「黙謝」「慈黙」「甘黙」「案黙」「黙揺」「静観」「歪黙」「黙愁」「黙訥」「熱黙」「黙染」「黙絶」「是黙」「濃黙」「黙祷」「黙賞」「純黙」「黙発」「畏黙」「黙慄」「黙測」「冷黙」「淫黙」「断推」「黙抜」「黙憬」「盲黙」「凝黙」「否視」「黙略」「黙質」「瀰黙」。演習問題:それぞれの具体的表情と視線の振幅を推測的描写せよ)。(三浦俊彦『偏態パズル』

さて、ここで古井由吉の「蜩の声」をすこし長く引用する。五十代近くも隔たる大昔の声に、呼吸に、つまり「魂」に、拍子を取り合おうとする文である。

夜の執筆、夜間の労働は真夏と言わず、あとの眠りに障るので、とうの昔からやめている。かわりに本を読む。読んでどうこうしようという了見もない。しかも年を取るにつれて現在の自分から懸け離れたものを読むようになった。古い時代の物の考え方と言い方が基本のところでよくもわかっていないようで、いずれたどたどしい読み方になる。あきるようであきず、いまにも投げ出しそうで投げ出さず、それでかえって長続きする。一日の疲れから半分ほどしか働かぬ頭で文をなぞっていると、睡気を寄せては払いながらもうすこしもうすこしと先へ続ける夜なべの心に近い。しかしこんなとろとろとした読書でも夜なべはやはり夜なべ、肉体労働のうちなのか、いきなり額から首から胸にまで汗が噴き出して、喘いでいることがある。

机の前からおもむろに立ち上がり、洗面所で汗を拭い、顔を洗って眼も冷やす。テラスに出てそよりともせぬ幕に向かって腰をおろし、風も通らぬところで、甲斐もなく、息を入れる。そして机の前にまた仔細らしくもどれば、身体はよけいに火照る。まるで音にならぬ狂躁が熱気とともにあたりに凝って、耳の奥が聾され、頭の内も硬く詰ったあまりにからんと、空洞になったかに感じられる。これでは本を仕舞って酒でも呑むよりほかにないところだがあいにく、汗の噴き出るのは、文章にも坂の上りと下りがあり、そのやや急な上りにかかる時と決まっている。ここは仮にも当面の上り下りを済ましておかないことには、床に就いて寝入り際に、半端になった始末がふっと頭に浮かんで、眠りをさまたげかねない。ところがそこをようやく上って下って見るとその先に、自明の続きのように、つぎの上りが待ち受けている。

ついても行けない眼を先へ先へと上っ滑りにひきずられているうちに、ある夜、不思議に読めているような境に入った。頭の内はひきつづき痼るっているので、とても理解とは思えない。まして認識からはるかに遠いが、なにがなし得心の感じが伴ってくる。しかもその得心は、心の内のことのようでもない。心は心にしても蒸し暑さに堪えかねて内から抜け出し、おなじく痼った眼を通して頁から浮き出した文章と宙で出会って、互いに言葉は通じぬままに、うなずきあい、拍子を取りあっている。なまじ天気も頭の調子もよろしくて理解しに掛かる時には、読み取ったところから手答えがなくなる。意味は近代の「文法」になぞられて摑んだつもりでも、音に声に、そして呼吸に、つまり「魂」に逃げられるらしい。音痴なんだ、と我身のことを顧る。人が死んでただちに生まれかわっても五十代近くも隔たる大昔の声のことにしても、近代の人間はおしなべて、耳の聡かったはずの古代の人間にくらべれば、論理的になったその分、耳が悪くなっているのではないか、すぐれた音楽を産み出したのも、じつは耳の塞がれかけた苦しみからではなかったか、とそんなことを思ったものだが、この夜、昼の工事の音と夜更けの蒸し返しのために鈍磨の極みに至ったこの耳に、ひょっとしたら、往古の声がようやく聞えてきたのか、と耳を遠くへやると、窓のすぐ外からけたたましく、蜩の声が立った。(古井由吉『蜩の声』)