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2014年4月21日月曜日

意図的な誤読の「楽しみ」

レヴィ=ストロースの『野生の思考』の冒頭近くに次の文がある。

北アメリカ北西部のチヌーク語は、人や物の特質や属性を示すために抽象語を多用する。(……)「悪い男が哀れな子供を殺した」がチヌーク語では「男の悪さが子供の哀れさを殺した」となる。また、女の使っている籠が小さすぎることを述べるのに「女は、はまぐり籠の小ささの中にエゾツルキンバイの根を入れる」という。

ところで小林秀雄には、《美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない》という文がある。これについて柄谷行人は次のように語っている。

柄谷行人) 小林秀雄の有名な言葉で、「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」というのがある。しかし「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう。ぼくは「花」なんて見たことがない(笑)。「この花」と言っても、結局は概念から逃れられない。ものを書くなら、そこで勝負するほかない。とにかく概念がいやなら、いっさい物を言わないことだね。「美はひとを沈黙させる」なんてことも、書くべきではない。(共同討議「芸術の理念と<日本>」 浅田彰、磯崎新、岡崎乾二郎、柄谷行人 『批評空間』 No.10 1993年 )

この発話は、この小林秀雄の文だけ取り出せば、いかにも「正しい」批判であるように見える。だがその前後を読んでみると、いささか小林秀雄の言わんとすることは異なっているように思える。

中将姫のあでやかな姿が、舞台を縦横に動き出す。それは、歴史の泥中から咲き出でた花の様に見えた。人間 の生死に関する思想が、これほど単純な純粋な形を取り得るとは。僕は、かういふ形が、社会の進歩を黙殺し得 た所以を突然合点した様に思つた。要するに、皆あの美しい人形の周りをうろつく事が出来ただけなのだ。あの 慎重に工夫された仮面の内側に這入り込むことは出来なかつたのだ。世阿弥の「花」は秘められてゐる、確かに。  現代人は、どういふ了簡でゐるから、近頃能楽の鑑賞といふ様なものが流行るのか、それはどうやら解かうと しても労して益のない難問題らしく思はれた。たゞ、罰が当つてゐるのは確からしい、お互に相手の顔をジロジ ロ観察し合つた罰が。誰も気が付きたがらぬだけだ。室町時代といふ、現世の無常と信仰の永遠とを聊かも疑はなかつたあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心してゐる。

それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆どそれを信じてゐるから。そして又、僕は、無要な諸観念の跳梁しないさういふ時代に、世阿弥が美といふものをどういふ風に考へたかを思ひ、其処に何んの疑はしいものがない事を確かめた。「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところをば知るべし」。美しい「花」があ る、「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方 が、化かされてゐるに過ぎない。肉体の動きに則つて観念の動きを修正するがいゝ、前者の動きは後者の動きより遥かに微妙で深淵だから、彼はさう言つてゐるのだ。不安定な観念の動きを直ぐ模倣する顔の表情の様なやく ざなものは、お面で隠して了ふがよい、彼が、もし今日生きてゐたなら、さう言ひたいかも知れぬ。

僕は、星を見たり雪を見たりして夜道を歩いた。あゝ、去年(こぞ)の雪何処に在りや、いや、いや、そんな ところに落ちこんではいけない。僕は、再び星を眺め、雪を眺めた。(小林秀雄「当麻」)

小林秀雄が、《美しい「花」》というとき、それは世阿弥のお面としての「花」なのであり、《「花」の美しさ》というとき、そのお面の後ろに秘められた「花」の美しさというふうに読める。そして仮面としての「表層」に現れた美の向こうを探ろうとばかりして、「表層」の動きに瞳を向けること少ない「現代の美学者」のあり方を批判している。すなわち、お面の後ろなどに「花」の美しさなどというものはない、「表層」としての「形象」の動きを見よ、と言い放っているのだ。それは上に抜き出した文のすぐ前にある次の文によっていっそう証される。

仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚きながら、何処へ行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい。ルッソオはあの「懺悔録」で、懺悔など何一つしたわけではなかった。あの本にばら撒かれていた当人も読者も気が付かなかった女々しい毒念が、次第に方図もなく拡がったのではあるまいか。僕は間狂言の間、茫然と悪夢を追う様であった。

この文はむしろ、柄谷行人が『日本近代文学の起源』で書いた近代文明におけるパラダイムの変換――「風景の発見」――をめぐる文章との近縁性を示唆する。

伊藤整には、市川団十郎がその当時大根役者と言われたことを伝える文があるが、ーーおそらく九代目の市川団十郎であろうーー、その伊藤整の「日本文壇史」の文、《大根役者と言われたのは、その演技が当たらしかつたからである。彼は古風な誇張的な科白をやめて、日常会話の形を生かした。また身体を徒らに大きく動かす派手な演技よりも、精神的な印象を客に伝へる表現を作り出すのに苦心した》ーーを引用しつつ、柄谷行人は次のように書いている。

団十郎の演技は「写実的」であり、すなわち「言文一致」的であった。もともと歌舞伎は人形浄瑠璃にもとづいており、人形のかわりに人間を使ったものである。「古風な誇張的な科白」や「身体を徒らに大きく動かす派手な演技」は、舞台で人間が非人間化し「人形」化するために不可欠であったのである。歌舞伎役者の、厚化粧で隈取られた顔は「仮面」にほかならない。市川団十郎がもたらし、のちに新劇によっていっそう明瞭に見出されたのは、いわば「素顔」だといえる。

しかし、それまでの人々は、化粧によって隈取られた顔にこそリアリティを感じていたといえる。いいかえれば、「概念」としての顔にセンシュアルなものを感じていたのである。それは、「概念」としての風景に充足していたのと同じである。したがって、「風景の発見」は素顔としての風景の発見であり、風景についてのべたことはそのまま演劇についてあてはまる。

レヴィ=ストロースは、素顔と化粧・刺青の関係についてこういっている。《原住民の思考のなかでは、すでにみたように、装飾は顔なのであり、むしろ装飾が顔を創ったのである。顔にその社会的存在、人間的尊厳、精神的意義を与えるのは、装飾なのである》(「構造人類学」)。顔は、もともと形象として、いわば「漢字」のようなものとしてあった。顔としての顔は「風景としての風景」(ファン・デン・ベルク)と同様に、ある転倒のなかではじめて見えるようになるのだ。

風景が以前からあるように、素顔ももとからある。しかし、それがたんにそのようなものとして見えるようになるのは視覚の問題ではない。そのためには、概念(意味されるもの)としての風景や顔が優位にある「場」が転倒されなければならない。そのときはじめて、素顔や素顔としての風景が「意味するもの」となる。それまで無意味と思われたものが意味深くみえはじめる。
(……)

伊藤整は、市川団十郎が「精神的な印象を客に伝へる表現を作り出すのに苦心した」というのだが、実際は、ありふれた(写実的な)素顔が何かを意味するものとしてあらわれたのであり、「内面」こそその何かなのだ。「内面」ははじめからあったのではない。それは記号論的な布置の転倒のなかでようやくあらわれたものにすぎない。だが、いったん「内面」が存立するやいなや、素顔はそれを「表現」するものとなるだろう。演技の意味はここで逆転する。市川団十郎がはじめ大根役者とよばれたことは象徴的である。それは、二葉亭四迷が、「文章が書けないから」言文一致をはじめたというのと似ている。

それまでの観客は、役者の「人形」的な身ぶりのなかに、「仮面」的な顔に、いいかえれば形象としての顔に、活きた意味を感じとっていた。ところが、いまやありふれた身ぶりや顔の“背後”に意味されるものと探らなければならなくなる。(柄谷行人「内面の発見」『日本近代文学の起源』所収)

この柄谷行人の文を読めば、小林秀雄の《仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚きながら、何処へ行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい》という文を受けて書かれる、《美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない》とは、仮面のみがある、素顔の向こうの内面などというものはない、というふうに読むことができるのではないか。それは近代文明の内面という病いを指摘しているのだ。おそらく柄谷行人は、敢えて忘れたふりをして、《「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう。ぼくは「花」なんて見たことがない()。「この花」と言っても、結局は概念から逃れられない。ものを書くなら、そこで勝負するほかない》と発言している(そして、この発話自体の「面白さ」を否定するつもりはない)。それは当時の小林秀雄批判の「風潮」にいっそう加担するようにして、とまで言うつもりはないが。

ここではむしろ柄谷行人のかつての小林秀雄賛を並べておくに如くはない。


彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収)

もちろん小林秀雄の言説は、高橋悠治や蓮實重彦、あるいは岡崎乾二郎などが批判したように、当時のモダンのパラダイムの「意味としての病い」に汚染されている言葉が散見される。だが小林秀雄の世阿弥をめぐる文章は、いわゆる「ポストモダン」の思考、「表面」やら「表層」やらへの回帰への扉を開こうとしている、として読み得る。

ここで、《表面的、いいかえれば表面であるというこの単純な事実がなぜ、同時に貶められた意味を、少なくとも暗黙のうちに、つねにになわされてこなければならなかったのか》という、宮川淳の『紙片と眼差とのあいだに』を引用することもできる、《背後のない表面。のみならず、われわれを決して背後にまで送りとどけることのない表面。われわれは表面をどこまでも滑ってゆく、横へ横へ、さもなければ上へ、あるいは下へ、それとも斜めに? だが決して奥へ、あるいは底へではない、アリスの冒険について、ジル・ドゥルーズがいみじくも指摘しているように、表面の背後はその裏がわ、つまりまたしても表面なのだ》。

あるいは蓮實重彦の『表層批評宣言』から次のような文を。

あらゆる「制度」に蔓延している怠惰な事実誤認、それは、「未知」なるものはいまこの瞬間ここにはなく、したがって見えてはいないと信ずることであり、そんな「貧しい」確信が、「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのを捏造してもっと奥、もっと遠くへと困難な距離を踏破して進まんとするあまたの擬似冒険者を生み落すのであり、そうした楽天的な魂たちは、自分に最もふさわしい仕草を、「未知」なるものを「既知」なるものへと移行させんとする「発見」の旅だと信じて疑わない。だが、存在が真に有効な視線を欠いているのは、まさしく、いまこの瞬間に、ここにあるものをめぐってなのであり、そのとき瞳を無効にされた存在は、「彼方」を見やって視力の回復をはかるのではなく、むしろ自分自身の瞳を積極的に放棄して、「既知」と思われた領域の一劃に不意に不可解な陥没点を現出せしめ、そこで、いま、この瞬間に、ここにあるものと接しあいながら、もはや自分自身には属さない非人称的な瞳を獲得して、世界を新たな相貌のもとに把えることになるだろう。(「言葉の夢と「批評」」ーー黒字強調箇所は原文では傍点)

あるいはさらにラカン派の「仮装」やsemblant(見せかけ)概念をめぐる言説さえ想起させる。

A man stupidly believes that, beyond his symbolic title, there is deep in himself some substantial content, some hidden treasure which makes him worthy of love, whereas a woman knows that there is nothing beneath the mask( ZIZEK” Woman is One of the Names-of-the-Father, or How Not to Misread Lacan's Formulas of Sexuation “

「素顔」さえ「無」を覆う。覆うことによって、なにかが隠されているような幻想の効果を生む。

The key formula of semblance was proposed by J‐A. Miller: semblance is a mask (veil) of nothing. Here, of course, the link with the fetish offers itself: a fetish is also an object that conceals the void. Semblance is like a veil, a veil which veils nothing—its function is to create the illusion that there is something hidden beneath the veil.(ZIZEK『LESS THAN NOTHING』)

これは柄谷行人が、《それまでの観客は、役者の「人形」的な身ぶりのなかに、「仮面」的な顔に、いいかえれば形象としての顔に、活きた意味を感じとっていた。ところが、いまやありふれた身ぶりや顔の“背後”に意味されるものと探らなければならなくなる》と言っていることに、限りなく近似する。

われわれは、《お互に相手の表情なぞ読み合っては得々としている。滑稽な果敢無い話である。幾時ごろから、僕等は、そんな面倒な情無い状態に堕落したのだろう》(小林秀雄ーー「仔猫の屍骸」より)



…………

最後に附記しておくが、《「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう》といささか不用意に、あるいは挑発的に発話された柄谷行人のここでの「概念」と、《風景が以前からあるように、素顔ももとからある。しかし、それがたんにそのようなものとして見えるようになるのは視覚の問題ではない。そのためには、概念(意味されるもの)としての風景や顔が優位にある「場」が転倒されなければならない。そのときはじめて、素顔や素顔としての風景が「意味するもの」となる。それまで無意味と思われたものが意味深くみえはじめる》(『日本近代文学の起源』)における意味されるものとしての「概念」、いわゆるシニフィエ、あるいは思考のイマージュとしての「概念」とは、別のことを「意味している」ようにも見えるが、ここではそれは追求はしていない。

「概念」をめぐっては、たとえば、柄谷行人が『探求 Ⅱ』で書く、《スピノザにおいて大切なのは、表象と観念の区別、あるいは概念と観念の区別である》とされるときの、表象=概念、あるいは『トランスクリティーク』での、《カントは一般性と普遍性を鋭く区別していた。それはスピノザが概念と観念を区別していたのと同様である》ときの、概念=一般性をめぐっての柄谷行人の文章があるが、ここでの議論はそれにももちろん触れえていない。