ずっとわたしは待っていた。
わずかに濡れた
アスファルトの、この
夏の匂いを。
たくさんねがったわけではない。
ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。
奇跡はやってきた。
ひびわれた土くれの、
石の呻きのかなたから。
ーーダヴィデ(須賀敦子訳)
雨後、スクーターで田園地帯をひとまわりしてみたが、地面の濡れて土のかおりがにおいたつという具合までにはいかない。乙女が米をとぐ濡れた手があるわけでもない。だが、やわらかな草の香りや家鴨の羽の微かな匂いを吸い込んできはした。
地上のどんな道でも、やわらかな稲の香り-藻草の匂い
家鴨の羽、葦、池の水、淡水魚たちの
微かな匂い、若い女の米をとぐ濡れた手-冷たいその手
若者の足に踏まれた草むら-たくさんの赤い菩提樹の実の
痛みにふるえる匂いの疲れた沈黙-これらのなかにこそベンガルの生命(いのち)を
(……)私はゆたかに感じる。(『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之 訳)