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2013年12月30日月曜日

意地の場について(中井久夫)

日本人を最も動機付けるのは思想でも論理でもなく、やっぱり”意地”なのかな。その最悪のサンプルを目の当たりにしながら、「はやくこのひとが”損得勘定”という理性を回復してくれますように」と祈るしかない年の瀬の徒労感。(斎藤環ツイート)

「このひと」が誰なのか、わたくしは本日早朝に斎藤環批判を重ねるさるU氏、ーー彼の批判はときに傾聴に値するーーの大量のツイート(別の若い精神科医への批判だが)を読んだばかりのところでこの文を目にしたので、U氏向けかと、いささか錯覚に閉じこもってしまったが、たぶん誤解だろう、「最悪のサンプル」というのだから、国の首長とかそのたぐいか。

というわけで、「意地」という語彙を振り返るために、中井久夫の「意地の場について」を繙いてすこしばかり引用してみよう。

この1987年に書かれた小論は、いま読むと、名論文というか名エッセイ「いじめの政治学」1997の原案のひとつのような箇所もある。あるいは「意地」を江戸文化起源とする箇所がことさら示唆あふれる。

柄谷行人は90年代のはじめ、「日本的な生活様式とは実際に江戸文化のこと」としている。

これら中井久夫や柄谷行人の指摘から、二十年以上たっているにもかかわらず、いまでも江戸文化気質は思いの外残っているといってよいのではないか(参照:いつのまにかそう成る「会社主義corporatism)。海外すまいの身であるので詳しいことは分らないが、ツイッターなどの発話やら対話を眺めているとその感慨は消しようがない。

中井久夫は江戸文化の特徴として、「大家族同居の禁」、「刀狩」、「布教の禁」の三つを挙げている。

このシンポジウムで私の前に米山俊直先生が話された中で私の印象に強く残ったのは、信長が比叡山を焼いた事件の大きさである。比叡山がそれまで持っていた、たとえば「天台本覚論」という宇宙全部を論じるような哲学がそれによって燃え尽きてしまう。比叡山が仮に信長に勝っていたらチベットのような宗教政治になったかどうかはわからないが……。それ以降、秀吉と家康がした大きな改革が三点くらいある。一つは「大家族同居の禁」である。江戸時代のほうが明治以降よりも小家族であった。森鴎外の『阿倍一族』のような反乱を起こされたら困るからである。もう一つは刀狩という「武装解除」である。最後の一つは「布教の禁」で宗教は布教してはいけないということである。おそらく幕末のいろいろな宗教運動がものすごい抵抗に遭ったのは、布教の禁に真っ向から対立するからだろうと思う。布教しないということはその宗教は半分死んだようなものかもしれないが、檀家制度という、生活だけは保障する制度をする。以上の三つに付随して「宗教者医療の禁」がある。「医は仁術なり」という言葉は「お医者さんは非常に親切であれ」ということではなくて、「仁」という儒教の道徳にもとづいた非宗教人だけに医術を許すということである。ただし日蓮宗は狐憑きを治療してよいなどいくつかの例外はある。(中井久夫「山と平野のはざま」『時のしずく』所収 P. 98)

さて余分な寄り道はやめて「意地の場について」を引用しよう。

……ひそかに「自分をお人よし」「いざという時にひるんで強く自己主張ができない」「誰それさんに対して勝てないところがある」ということを内々思っている人(……)。こういう劣等感意識を持っていて、しかも何とか「自分を張りたい」という人が「意地」になりやすい……

意地には「甘え」の否認を誇示している面がある。下手に忠告や親切を提供されると、「放っておいてくれ」という返事が返ってくるのは、誰しも経験していることである。だから「時」(タイミング)が大切である。

しかし、意地を張っている者は、ただの嫌がらせをしている者ではない。そういう者――たとえば無言電話をかけ続けたり、家の前にゴミを撒いたりする者――までを意地を張っている者の中に入れるのは穏当ではあるまい。こういう強迫的あるいは嗜癖的な嫌がらせは、現在次第に古典的意地の領分を侵して広まりつつあるかに見えるが、これは都市化による無名化現象の一環であろう。

意地には、意地の相手方が単に謝罪するだけでは澄まず、「天罰」が下ったと当事者が思うような事態が望ましいという指摘があるが、「天罰」が信じられにくくなった現代においては、無言電話のような、擬似天然現象的な行為に訴えるということが起こるのであろうか。それとも、あれは怨みの現代的表現であろうか。無言電話は決して姿を現さず、存在をそれとなく示すという点で亡霊に似ており、非常に解消困難な事態である。

もっとも、こういうことは、何も日本だけの現象ではなく、有名な十九世紀フランスの神経学者でヒステリーの研究者シャルコーには、「あなたは心臓病で死ぬ、徴候はすでにかくかく」という匿名の手紙が根気よく送り続けられており、実際にシャルコーは旅行中に心臓死を遂げるのであるが、手紙の主は内容から身近な人物であることが推定されるだけで、ついに迷宮入りになったそうである。この例などは社会的地位の高い人物であろう。こういうことは、社会的あるいは知的水準とはあまり関係がないらしい。

意地との共通点は、「あなたに対して意地(あるいは怨み)を持っている人間がいる」ということを知らせ続けるという点にある。この告知がなければ、意地も怨みも「のれんに腕押し」「一人相撲」「片意地」になってしまう。意地の場合は、匿名では意味がない。相手の生活に煩わしさが持ちこまれているだけでは仕方がない。しかし、当人が相手に対してどこか気押されているところがあって、せめて「一分を立てたい」という場合が多いから、意地の告知は、直接の本人に対して会いに行くことはめったになく、せいぜい内容証明郵便を送りつけるくらいであり、第三者を介せざるを得ないことが多い。これは、自分の意地を貫くという意地者にとっては矛盾であるが、相手があっての意地である(「甘え」の病理的表現と見られるのもそのためである)から、この矛盾が、意地の場の解消のとっかかり点となる場合もある。

意地を張られた相手方がとってもよい方法、少なくとも無害なあり方は、相手あるいはその意地に対する一種の尊敬の念であろう。あれだけ意地を張れるのは並々のことではあるまいというような気持ちは自然に態度に表れて、意地を張る者を少なくとも硬化させはしない。逆に、愚かしいと見るならば、それは非常に有害である。「相手の立場に立っての忠告」は相手を見下しての「おためごかし」としか受け取られない。意地者の相手方は、柔らかい態度をとりながら、何かの偶然を待つのが普通よいであろう。偶然を待つとは、何ともたよりない話だと思われるだろうが、合理的対抗策は、その意図性自体がすでに相手の硬化を誘発する因子なのである。そして、偶然は、宇宙線のようにたえず身近に降り注いでいるものである。「時の氏神」が思いがけないところから現れないでもない。

(……)

意地について考えていると、江戸時代が身近に感じられてくる。使う言葉も、引用したい例も江戸時代に属するものが多い。これはどういうことであろう。

一つは、江戸時代という時代の特性がある。皆が、絶対の強者でなかった時代である。将軍も、そうではなかった。大名もそうではなかった。失態があれば、時にはなくとも、お国替えやお取り潰しになるという恐怖は、大名にも、その家臣団にものしかかっていた。農民はいうまでもない。商人層は、最下層に位置づけられた代わりに比較的に自由を享受していたとはいえ、目立つ行為はきびしく罰せられた。そして、こういう、絶対の強者を作らない点では、江戸の社会構造は一般民衆の支持を受けていたようである。伝説を信じる限りでの吉良上野介程度の傲慢ささえ、民衆の憎悪を買ったのである。こういう社会構造では、颯爽たる自己主張は不可能である。そういう社会での屈折した自己主張の一つの形として意地があり、そのあるべき起承転結があり、その際の美学さえあって、演劇においてもっとも共感される対象となるつづけたのであろう。

そして現在の日本でも、「民主的」とは何よりもまず「絶対の強者」がいないことが条件である。「ワンマン」がすでに絶対の強者ではない。「ワンマン」には(元祖吉田茂氏のような)ユーモラスな「だだっ子」らしさがある。「ワンマン」は一種の「子ども」として免責されているところがある。

二つには、一九八〇年代後半になっても、いまだ江戸時代に築かれた対人関係の暗黙のルールが生きているのではないかということである。われわれの職場にいくらコンピューターがはいっても、職場の対人関係は、江戸時代の侍同士の対人関係や徒弟あるい丁稚の対人関係、または大奥の対人関係と変わらない面がずいぶんあるということである。政治にも、官僚機構にも、変わっていない面があるのではないか。非公式的な集まりである運動部や、社会体制に批判的な政党や運動体においても、そういう面があるのではないか。

いじめなどという現象も、非常に江戸的ではないだろうか。実際、いじめに対抗するには、意地を張り通すよりしかたがなく、周囲からこれを援助する有効な手段があまりない。たとえ親でも出来ることが限られている。意地を張り通せない弱い子は、まさに「意気地なし」と言われてさらに徹底的にいじめられる。いじめの世界においても、絶対の強者は一時的なあるくらいが関の山であるらしい。また、何にせよ目立つことがよくなくて、大勢が「なさざるの共犯者」となり、そのことを後ろめたく思いながら、自分が目立つ「槍玉」に挙がらなかったことに安堵の胸をひそかになでおろすのが、偽らない現実である。そして、いじめは、子供の社会だけでなく、成人の社会にも厳然としてある。

日本という国は住みやすい面がいくつもあるが、住みにくい面の最たるものには、意地で対抗するよりしかたがない、小権力のいじめがあり、国民はその辛いトレーニングを子供時代から受けているというのは実情ではないだろうか。(中井久夫「意地の場について」より1987初出 『記憶の肖像』所収)

…………

なおU氏の大量批判ツイートは、本人曰く80ツイートほどあり、その後、批判対象者S氏とのやりとりがあったので、100ツイートは軽く越えるはずだ。

それは前段をのぞいけば、次のように始まる。
S氏のご発言で驚いたのは、たとえば次の箇所でした。

QT:《あるディシプリンの中で新見解を出すことは多かれ少なかれその中で孤立することであって、その困難を負ってでも他者を説得できないような議論にはそもそも価値がない》《自分の意見が正当であると信じ込み、査読者の学術的な公平性を認めようとしない態度は、はっきり言って学問をなめている》

いま売り出し中の俊英S氏の言葉は、大学人のディスクール(ジジェク=ラカン)の気味合いがないではないことは、わたくしも以前から気づいていた。



2013年12月29日日曜日

遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえ

ひさしぶりにホースで庭の水撒きをする。乾季がはじまって二ヶ月近くたち、喉を枯らした土壌が恵みの水をたちどころに吸い込んで安堵の吐息のように迸らせるエロスの香りに一瞬くらくらする。窒素や尿素などの臭気の渾然としたかすかに糞尿に近いにおいに包み込まれ懐かしい大地に吸い込まれるような感覚。

と、土の匂のエロスとしたが、じつは雨が降りはじめたときの埃の匂、あるいはアスファルトが濡れる匂だって似たような悦びを覚えることがある。

《小雨が降り出して埃の香いがする》(西脇順三郎『第三の神話』)

《ずっとわたしは待っていた。/わずかに濡れた/アスファルトの、この/夏の匂いを、/たくさんをねがったわけではない。/ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。/奇跡はやってきた。/ひびわれた土くれの、/石の呻きのかなたから。》(ダヴィデ 須賀敦子訳)

「一瞬よりはいくらか長く続く間」(大江健三郎)の至福の感覚というわけだ。

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」手塚富雄訳)

エロスやタナトスなら思想家の言葉より詩人や小説家の言葉を信用したくなるほうだ(上の文はもちろん詩人としてのニーチェだ)。たとえば、つるはしをふるい大地と性交する秋幸のほうがいっそう肝腎なことを教えてくれる気がする。

自分が考えることもない一本の草の状態にひたっていたかった。過去も未来もない。風を受けとめ、光にあぶられて働く。土がつるはしを引くと共に捲れ、黒く水気をたくわえた中を見せる。それは土の肉だった。土の中に埋まって掘り出された石はさながら大きな固い甲羅を持つ動物が身を丸めて眠っている姿だった。いや死体に見えた。土の中の石は死そのものだ。肉も死も日に晒され、においを放ち、乾いた。掘り出され十分もすればそれらは風景の中に同化した。(中上健次『枯木灘』)

故郷の小さな家の庭で夏の日に麦藁帽子をかぶった少年が水撒きの途中で振り向いた写真が遺っている。あの時も同じようなにおいが立ち昇っていたはずだ。半ズボンからふっくらした太腿を晒した十歳前後のいっけん温室育ちともみえる少年。日焼けでやや赤らみ、なぜかはにかんだ顔は、だが少年の無邪気さはなく、少年が六歳のとき精神分裂病とも診断された母親の過敏な神経の起伏に右往左往する鬱屈が垣間みえる。おそらく母が写真機を手にしたのだろう、そんな鬱屈のなかの束の間の安堵の表情。蝉しぐれが聞こえてきそうでもあり、うしろには稀なほどの大きさの向日葵が写っている。その向日葵の種は小学生向けの月刊の雑誌の附録なのを今でも強く覚えている。あまりにも見事な姿なので庭に咲いた花からの種を乾かし保存したものを翌年も植えて楽しみにして待っていたのだが、今度は平凡な大きさの花が開き落胆した。

土のかおりを嗅ぐことにより、渥美半島が南西にのびる根元にある海に近い故郷の町、その旧市街の城跡近くのいまではほとんど老人たちしか見ることができない地域にある無人となった実家での記憶が重なり(余談だが、「中央公論」12月号『壊死する地方都市』における《2040年、地方消滅》とは2010年代の今このとき移民政策を抜本的に変えねば決して杞憂ではないだろう)、黒田夏子の小説の冒頭近くにある魅されてやまない表現、《またある朝はみゃくらくもなく,前夜むかれた多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいたが,それはそのおだやかな目ざめへとまさぐりとどいた者が遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえの,淡い夕ばえのえんさきからの帰着だった.》が浮かび上がることにもなる。

匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。 (ホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』)

今の庭はかなり広くホースで水撒きするのはたいへんなので、庭土を掘ってポリエチレン製のパイプを通してところどころ撒水用のパイプを垂直を立たせその頭にクルクルまわるノズルがつけてある。水は深く掘った井戸水を電力のモーターで吸いだす仕組みだ。ところがこのところそのモーターが劣化したのか、あるいはまた二キロほど北の工業団地にこの国一二を誇るらしい麦酒工場ができて地下水が枯渇しつつあるのかどうかーーこの工場では日本の著名な麦酒会社が当国向けの麦酒を委託生産をもしていると聞いたことがあるーー、いやそれ以外の別の理由なのかは窺いしれないが、庭隅までは水が到底とどかない。

今年のはじめ塀際に二百本あまりの灌木を植え替えた。以前は玉砂利で敷いた楕円形の散歩道に沿って膝下の高さの灌木が植え込まれていたのだが、庭の中央にある巨木の根がその植え込みの下まで這い伸びてところどころ持ち上がってしまい、不揃いで見苦しかったのを結局全部引っこ抜いて移したのだが、その香り高い花が咲く庭隅の月橘〔げっきつ〕の樹までは十分に届いていないことに気づいて、そのための散水ホースによる水撒きである。

学校から帰ってきた次男が珍しがって自分でもやりたいと乞う。妻も愉快そうに息子がホースの水を斜め上方にしてはしゃぐ様子を眺めている。この二ヶ月のあいだに貰った子犬三匹がそのまわりを駆け回る。古くからいる大型のフーコック犬(当国の南にある富国島特産のもともと狂暴で名高い犬種)だけが、どこふく風の佇まいで、それでもしばらくは連中の騒擾を物憂そうに眺めまわしていたが、結局ピロティー状になった空間にまだ老いるには早すぎるはずの身を無関心そうに横たえている。

庭仕事の手伝いのおばさんが、この数日病を得て休んでおり、落葉が散乱しているのを妻が掃き集めはじめる。そうすれば今度は焚火だ。煙が上方まで勢いよくほぼまっすぐに立ち昇ったあと、北西からの風に乗って家屋のほうにたなびき漂う、白い棚を空中にかさねて流れるかのようだ。

故郷の家は母が病んでから母方の祖父母の家の裏手に建てて移り住んだものだが、祖父母の家の裏庭で、つまりふたつの家の合い間でしばしば焚火をした。揃って体格のいい美丈夫の叔父たちの一人がその火のなかにさつまいもを潜りこませ焼き芋をつくる。焦げてぱりぱりになった表皮をまだ熱いうちに指先で捲り、香ばしい匂いを振り撒く黄金色の肉にかぶりつく。宵闇がせまって祖父母や他の叔父たちや母も焚火のまわりを囲みだす。焚火のにおいもよいものだ、火と煙がゆらめくのを眺めるのと同じくらい。勤め先が遠くなった父はいつも姿がみえず少年は完全な叔父っ子だった。通いのお手伝いさんも、皺としみですっかり覆われているーーそのこと自体に徹底したものの美しさもあるーー渋紙色の横顔を覗かせる。この自転車で牛川といういうと村名がついた農村から通う「かあ(川)ばあちゃん」は、精力増強のためといって、梅干壺のようなもののなかに蚕のような白い幼虫を飼い、ときおり抓みだして口にいれる習慣があった。

火は人を呼ぶ。盛大な焚き火は人々を集める。盛大な焚き火は人々を集める。人々は火を囲んで焔が一時輝き、思い切り背伸びするのをみつめる。かと思うと、焔は身をかがめて暗くなり、いっとき薪にまつわって、はらはらさせる。火を囲む人々は遠い過去の思い出に誘われがちだ。

私は思い出す、戦後の大阪駅前を。敗戦後何年か、夏でさえ、南側にはいつ行っても焚き火があって人々が群がり、待ち合わせ場所にも使われていた。私も長い時間をその焚き火の側で過ごした記憶がある。時代の過酷さを忘れて人々はいっとき過去を思い出す表情になっていた。

岐阜の長良川の鵜飼の火。夏の湿った夜気。暗闇ににじむ焔の船が近づいてくる。小さく、あくまで小さく。時に燃え上がる。火の粉が散る。焔の反映は左右に流れて、水面にこぼした光のインクの一滴だ。

しかし、他の何よりも思い出を誘うのは火、ことに蝋燭の火だ。間違いない。「ロウソクは一本でいい。その淡い淡い光こそ/ふさわしいだろう、やさしい迎えだろう/亡霊たちの来る時にはーー愛の亡霊が。/……今宵の部屋は/あまり明るくてはいけない。深い夢の心地/すべてを受け入れる気持、淡い光――/この深い夢うつつの中で私はまぼろしを作る/亡霊たちを招くためにーー愛の亡霊を」(カヴァフィス)。終生独身のこの詩人の書斎の照明は最後まで蝋燭一本だったという。特にお気に入りの友が来た時は二本、稀には三本を灯したとか。(中井久夫「焔とこころ、炎と人類」『日時計の影』所収)

火を囲む人々は遠い過去の思い出に誘われがちだ、とある。匂いはいっそうそうだ。もちろんひとによってそれぞれ異なるだろうが。

プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって思い出が導き出される。しかし、その木目〔きめ〕という点で実は音響的であるよりもむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、思い出や欲望や死や不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や舗石やバルベックのナプキンの話にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それは匂いである。(『彼自身によるロラン・バルト』)

中井久夫には別に「匂いの記号論」序説ともいうべき素晴らしい文章がある(後引用)。この感覚を表現する文章家は、小説家のなかでも珍しい。その感覚を濃厚に喚起してくれるのは、わたくしの限られた読書範囲では、古井由吉や金井美恵子のいくつかぐらいだ、もちろん嗅覚と触覚の綯い交ぜになったエロス、その眩暈を与えてくれる谷崎潤一郎はいるし(参照:隠れた詩人たち)、冒頭近くにあげた中上健次もいる。だが多くの小説家たちでさえ視覚偏重、頭脳のひとであり、始原のエロス感覚から遠く離れているように感じられてしまう。詩人たち? たとえば西脇順三郎はけっして視覚の人ではないだろう、聴覚の、嗅覚の、芸術家だ。《タイフーンの吹いている朝/近所の店へ行って/あの黄色い外国製の鉛筆を買った/扇のように軽い鉛筆だ/あのやわらかい木/けずった木屑を燃やすと/バラモンのにおいがする/門をとじて思うのだ/明朝はもう秋だ(「秋Ⅱ」『近代の寓話』)

古井由吉の文章には鋭敏な聴覚とともに男女のにおいが立ちのぼる。

・石をおろしてひときわ深い息をついたとき、覚えのある甘い匂いが、怒った時も潤んだ時も同じ興奮した佐枝の匂いが、戸の内でもほのかにふくらんだ。

・佐枝が寄ってきて、背中の荷物を上手におろさせるとすばやく炉のほうへ押しやり、火照った頬を肩に埋めた。声が潤んで昨夜と同じ匂いをふくらませた。(古井由吉『聖』)
その黙んまりの時期に、家に居ればどこか半端な、貧乏ゆすりでもしそうな恰好で坐りこんでいたのが、夜中にもう眠っている妻の寝床にくる。声をかけずに呻くような息をもらして押し入ってくるので、外で人にひややかにされるそのかわりに家で求めるのだろう、とされるにまかせていると、よけいにせかせかと抱くからだから、妙なにおいが滴るようになる。自分も女のことだから、よそのなごりかと疑ったことはある。しかし同棲に入る前からの、覚えがだんだんに返って、怯えのにおいだったと気がついた。なにかむずかしいことに追いつめられるたびに、そうなった。世間への怯えを女の内へそそごうとしている。(古井由吉「枯木の林」)

あるいは金井美恵子であるならば、エロスではなくタナトスのにおいを醸しだす表現が豊富だ。

腐敗した水のにおいだけではなく、路地の家々の壁には小便のにおいがしみついていて、粘り気のある有機質のにおいに混じったきな臭いアンモニアのにおいが充満してもいるのだ。腐敗した牛乳の匂いに似た、皮膚の表面から分泌する、汗や脂や腋臭の粘り気のあるにおいと、食物が腐敗して行く死の繁茂のにおいが建物の中庭に咲いているジャスミンと薔薇のにおいと混じりあり、甘ったるい吐き気のする睡気になって私の身体を包囲する。(金井美恵子『沈む街』)
(この中年男の)機械的に熱中ぶりを操作しているといったふうな長広舌が続いている間、わたしは濡れた身体を濡れた衣服に包んで、それが徐々に体温でかわくのをじっと待っていたが、部屋の空気は湿っていたし、それに、すり切れた絨毯や、 同じようにすり切れてやせた織糸の破れ目から詰め物とスプリングがはみ出ているソファが、古い車輌に乗ったりすると、時々同じようなにおいのすることのある、人々の体臭や汗のしみ込んで、それが蒸されて醗酵したような不快な汚物のようなにおいを発散させていたので、その鼻を刺激する醗酵性のにおいに息がつ まりそうになり、わたし自身の身体からも、同じにおいを発散させる粘り気をおびた汗がにじみだして来ては、体温の熱でにおいをあたりに蒸散させているよう な気がした。(金井美恵子『くずれる水』)

いまエロスやらタナトスやらと書いたが、においにおいては、エロスとタナトスは限りなく近づくと書く中井久夫がいる。

……実際、背の下にふかぶかと腐葉土の積み重なるのを感じながら、かすかに漂う菌臭をかぎつつ往生するのをよしとし、大病院の無菌室で死を迎えるのを一種の拷問のように感じるのは、人類の歴史で野ざらしが死の原型であるからかもしれない。野ざらしの死を迎える時、まさに腐葉土はふかぶかと背の下にあっただろうし、菌臭のただよってきたこともまず間違いない。

もっとも、それは過去の歴史の記憶だけだろうか。菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。恋人たちに森が似合うのも、これがあってのことかもしれない。公園に森があって彼らのために備えているのも、そのためかもしれない。(中井久夫「きのこの匂いについて」より『家族の深淵』所収ーー「トラウマを飼い馴らす音楽」より)

エロスとタナトスについては、いろいろな見解がある。だがいっけんそう思われるようには対立した概念ではない、というのが、ドゥルーズやジジェクらの見解だが、ここでは凡庸にメビウスの輪のようなものだ、とだけしておこう。

フロイトは、《家族が構成されたことと、人間の性欲が、もはや一種の客のようなものーーつまり、突然あらわれるが、いったん姿を消すとふたたび長いあいだまったく音信がないといったものーーとして登場するのではなく、いわば継続的な間借人として定着したことのあいだには関連がある》(「文化への不満」)としている。そしてこの文に注が付され、次のように書かれる。

生理機能としての性交の周期性はそのまま残ったけれども、心理的な意味での性欲がそれから受ける影響は、かえって逆になってしまった。この変化の最大の原因は、月経現象が男性の心理にあたえる影響の原動力だった嗅覚刺激の衰退である。すなわち、嗅覚刺激が果たしていた役割は視覚による興奮にとってかわられたのであって、視覚による興奮は間歇的性質の嗅覚刺激とは違い、一種の恒久的作用を維持することができたのだ。月経がタブーとされるようになったのは、すでに克服されてしまった発展段階の再登場防止の意味を持つこの「器官性抑圧」が原因であって、これ以外の動機はすべて二次的なものにすぎないように思われる。(……)古臭くなった文化時期の神々が魔神〔デーモン〕になるのも、これと同じ現象の別の次元での繰返しである。けれども嗅覚刺激の衰退という現象自体、人間が直立歩行する決心をつけて大地と訣別し、かくて、これまで隠蔽されていた生殖器が丸見えで保護を必要とするものになり、したがって羞恥心が生まれたことの結果である。こうしてみると、人類の呪いとなった文化というもののそもそもの発端は、人類の直立歩行という現象だったといえるだろう。その後事態は、嗅覚刺激がもつ意味の低下および月経現象の無視、視覚刺激の優位、性器の露出、性的興奮の持続、家族の成立から人類文化の開幕というふうにつぎつぎと進んでいったのだ。これはもちろん理論上の仮説にすぎないが、人間に近い動物の生活状況を手がかりになお詳細に検討してみる値打ちは充分にある。(フロイト『文化への不満』)

冒頭近くにあげたホルクハイマー&アドルノが書くように匂いをまさぐることの下等なものへの憧れ、《自分を失い他人と同化しようとする衝動》とは、エロス、享楽(ジュイサンス)の感覚である。究極のエロスとは、原初の共生への回帰、<母>との融合により自己がなくなってしまう実現しがたい衝動に他ならない。

さて、<あなた>が《嗅覚はよくわからない、と首をかしげられる方は視覚のほうなら納得されるだろう》でしかない、すなわち文明化され過ぎた人なのかのかどうかは、次の文をどう感じるかで、いくらか判定できるだろう。

最初の記憶のひとつは花の匂いである。私の生れた家の線路を越すと急な坂の両側にニセアカシアの並木がつづいていた。聖心女学院の通学路である。私の最初の匂いは、五月のたわわな白い花のすこしただれたかおりであった。それが三歳の折の引っ越しの後は、レンゲの花の、いくらか学童のひなたくささのまじる甘美なにおいになった。

家が建て込むにつれてレンゲは次第に私の家のあたりから影をひそめたが、家々がきそって花壇をつくるので、ことに三月下旬の初めごろの散歩は、次々にちがう花のかおりに祝われた祝祭となった。色彩も夕暮にはアネモネの赤が沈み、レンギョウの黄がはげしい自己主張をした。

青年時代の京都の生活は、腐葉土のかもしだす共通感覚、すなわち、いくばくかのキノコのかおりと焦げた落葉のにおいと色々の人や動物の体臭のごときものとを交え、さらに水の流れなくなってまだ乾かないうちの石づくりの流水溝の臭気を混ぜたうえで、冷気としめり気とをあたえてひんやりさせ、地を低くはわせたときの共通感覚と切り離すことができない。もっとも同じ京都とはいえ、嵐山のあたりは少しちがって、ある歯切れのよさがある。定家の晩年の歌にはそれを反映したものがあると私は思う。また西山の竹林の竹落葉には少しちがったさわやかさがあって私の好みではあるが、触発される思考の種類さえ京都の東部とは変わってしまう。

これに対して中年期の東京の私の記憶は、何よりもまず西郊の果樹の花のかおり、それも特に桃と梨の花の香と確実にむすびついている。蜜蜂の唸りが耳に聞こえるようだ。むろん、風の匂いは鉄道沿線によって少しずつ異なる。おそらく、その差異の基礎は、土のかおりのちがいであろう。国分寺崖線を境に土の匂いがはっきり異なって、私は、その南側のかおりの記憶のほうに親しみを感じる。国立、小平の家の庭の土と、調布上石原のあたりの土のかおりの差を感じないひとはあるまい。

立川段丘は地元で「ハケ」と呼ばれ、狛江から始まって、特に谷保のあたりでは立派な森になっている。樹種が多いのはむかしの洪水によって流れついたものの子孫だからであろう。ハケ下の小さな、今ではほとんど下水になっている流れが二千年前の多摩川である。川越からその北にかけてのさまざまな微高地の上に生えていた(今でもあるであろうか)樹々のつくる森とは、同じ腐葉土でも、かおりが決定的にちがう。秋にはハケの上の茂みにアケビが生った。珍しい樹種に気づいて驚くこともあった。私の住んだ団地の植栽はずいぶん各地から運んだらしく、ついてきて、頼まれないのに生えている植物を、日曜日ごとに同定してまわったら、六〇種を越えた。ハケの森の樹種はもっと多種だろう。

嗅覚はよくわからない、と首をかしげられる方は視覚のほうなら納得されるだろう。

まず中央線沿線の最初の印象は、長い水平の線が多いということだった。縦の線は短く、挿入されるだけである。これはたしかに譜面の与える印象に近い。京王線では、何よりもまず、葉を落とし尽した欅の樹がみごとな扇形を初冬の空に描いている。もっとも、分倍河原駅を出て多摩川を南西に越えると、匂いも視覚も一変する。小田急線は、多摩川を越えて読売ランドの南側の「多摩の横山」を背にした狭隘地を抜けると次第に匂いが変化して、京王線の西部のかおりに近づく。

もっとも、小田急線は長く、さまざまの文化を通過し、車窓の風の香もつぎつぎに変化する。本線が小田原に向かって大山を背に南下するところ、酒匂川が豊かな水量の布を盛大に流している、二宮尊徳の生家の東がわの、見えない海のかおりが、もうかすかに混じるのを感じさせるところに来るとほっとする。

塩味のまったくない空気は、どうも私を安心させないらしい。鎌倉の最初の印象は、“海辺にある比叡山”であった。ふとい杉の幹のあいだの砂が白かっただけではない。比叡の杉を主体とした腐葉土の匂いが、明らかに海辺の、それもほとんど瀬戸内海の夏の匂いでしかありえないものとまじるのが驚きのもとであった。もっとも、比叡山のかおりにも、杉とその落葉のかおりにまじって、琵琶湖の水の匂いが、なくてはならない要素である。この水の匂いゆえに、京都時代の私は、しばしば、滋賀県に出て屈託をいやした。比良山は、六甲山に似て、草いきれがうすく、それでいてわびともさびともちがう、淡いながらに何かがたしかにきまっているという共通感覚をさずけられるのが好きであった。好ましく思うひとたちとでなければ登りたくない山であった。

ふつうは「匂いの記号論」とよばれるであろうか、実はそれを問題にしたところの個人史の一部をここに終る。本稿もこれで終りである。近畿のひとには、神社の森ごとにちがうかおりを語ればいちばんわかってくださるであろう。(中井久夫「世界における索引と徴候」)





2013年12月28日土曜日

襖一枚の隔てを筒抜けの隣の声(古井由吉)

……もとより、騒音の中で生きて来た者である。子供の頃には一時期、都電通りから路地を入ったすぐ奥のところに住んでいた。表を電車の通りかかるそのたびに、家は地から揺すられる。大震災よりも前の普請になる古家は内廊下のつきあたりの、手水場の窓の上で梁がはっきりと傾いていた。しかも二階を載せいてた。同じ屋根の下に何人も身を寄せいていて隣の声は襖一枚の隔てを筒抜けだった。(古井由吉『蜩の声』)

『群像』の201010月号に載った連載短篇からだが、そのあと、同じ表題にて短篇集が出ている。路地の奥の梁が傾いた古い家。隣の声が筒抜けの住い。

1977年、古井由吉の40歳のときの長篇『女たちの家』の冒頭は次のようだった。
都電通りに面して、左は色白揃いの女世帯の履物屋、右手は県人や行商人などの常客を相手の質素な旅館、どちらも奥行ばかり深い二階屋の、錆の出かけた波型トタンの壁にはさまれて、細い路地の行きづまりに、春子の家の玄関は日がな埃っぽく翳っていた。

古井由吉の小説の多くを読んでいるわけではないが、短篇作家古井由吉の数すくない初期長篇小説のひとつであり、春子は古井由吉であるといえるだろう、ボヴァリー夫人がフローベールであったのと同じ意味で。
足音が路地の途中でいったん聞こえなくなり、それから一歩一歩踏みしめるように近づいてくる客たちがあった。そんな時には春子は椅子から腰を浮かして、客のむつかしい顔をぎりぎりまで眺め、客が戸の前に立つのと同時ぐらいに奥へ逃げこむ。お客さんよ、と母親にひと言伝え、日当りの悪い庭にしゃがんで、客の帰るまでオモトの鉢などを見ている。(『女たちの家』)

耳をすまして何かひそやかなものを聴き取ろうとする古井由吉独特の官能的文体の原点のひとつは、都電通りから路地を入った傾いた家で育まれたに相違ない。1984年に上梓された評論集『東京物語考』にて、東京住まいの孤独な私小説家たちの苦難のさまを書いておかなければいけなかったのと同じように、夜なかに厠のうえの梁が傾く音に眉を顰めしまいには狂気におちいるその家の女あるじと、その老婆に寄り添う終始健気に振舞いながらの不気味な不安に慄く「春子」の話は、古井由吉の心的外傷性記憶のひとつであり、掛け替えのない、そして作家としては欠かすことのできない景色のはずである。


頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平成は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。

小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷〔ふかで〕というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。これをどう生きながらえる。たいていはしばらく、五年十年あるいは二十年三十年と、自身の業苦からわずかに剥離したかたちで生きるのだろう。一身の苦にあまり耽りこむものではない、という戒めがすくなくとも昔の人生智にはあったに違いない。一身の苦を離れてそれぞれの年齢での、家での、社会での役割のほうに付いて。芯がむなしいような心地でながらく過すうちに、傷を克服したとは言わないが、さほど歪まずとも受け止めていられるだけの、社会的人格の《体力》がついてくる。人の親となる頃からそろそろ、と俗には思われているようだ。

しかし一身の傷はあくまでも一身の内面にゆだねられる、個人において精神的に克服されなくてはならない、克服されなくては前へ進めない、偽善は許されない、という一般的な感じ方の世の中であるとすれば、どういうことになるだろう。また社会的な役割の、観念も実態もよほど薄い、個人がいつまでもただの個人として留まることを許される、あるいは放置される世の中であるとすれば。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』)

たとえば『女たちの家』とほぼ同時期に書かれた短篇「雫石」で書かれる次のような感慨は、古井由吉の幼少の砌の髑髏にかかわるだろう、それは「蜩の声」でも同様だ。

私にも二十代には、驟雨が屋根を叩いて走るのを耳にするだけで、情欲が八方へ静かにひろがり出し、命あるものであろうとなかろうと、ありとあらゆる物音にひそむ忍び笑いと忍び泣きと、それから恐怖に、はてしもなく、苦しめられる、そんな時期があった、と何とはなしに思い出した。古井由吉「雫石」『哀原』所収)



生活欲はともあれ、若い性欲が世間の活気と、もどかしく立てる唸りと、没交渉であるわけもない。だいぶ年の行ってからのこと、私と同年配の男がごく若い頃のことだがと断わった上で、今ではまともに拭きつけられれば顔をそむける車の排気のにおいも、昔はにわかに人恋しさをつのらせて、その一日の残りをやり過ごしかねたばかりに、幾度、つまらぬ間違いをおかすはめになったことか、ともらした。しばらくばつの悪そうな間を置いてから話をつないで、それよりはまたすこし前のことになるが、車が走りながら油を零していく、その油が路上に虹よりも多彩な輪をひろげて、それが玉虫色に揺れ動く、あれを見るともう、と言って笑うばかりになった。聞いて私は、においと言えば昔、二人きりになって初めて寄り添った男女は、どちらもそれぞれの家の、水まわりのにおいを、いくら清潔にしていても、髪から襟から肌にまでうっすらとまつわりつけていたもので、それが深くなった息とともにふくらむのを、お互いに感じたそのとたんに、いっそ重ね合わせてしまいたいと、羞恥の交換を求める情が一気に溢れたように、そんなふうに振り返っていたものだが、車の排気と言われてみればある時期から、街全体をひとしなみに覆うそのにおいが、家々のにおいに取って代わっていたのかもしれない、と思った。(「蜩の声」)


もっともすべての小説は本来、己れの記憶に棘のように突き刺さった傷をめぐって書かれるものであり、ましてや古井由吉のように自らの生=性(エロス)をまさぐるようにして書く作家なら、その文章から匂い立つ幼少の砌の髑髏の濃厚さは到る処にあるはずだ。不幸にも、氏の他の作品のいくつかからは、たとえば上の三作品ほどの眩暈を感じることが少ないのは、わたくしの鈍感さのなせる技か、あるいはついうっかり読み落としているだけなのだろう。


『女たちの家』、その家の二階はふた間で、学生たちがいる。部屋には友人たちがひんぱんに出入りする。
学生たちは春子の家の下宿人ではなかった。春子の一家五人の住まう六畳と八畳の間の奥に、階下では日当たりのよい六畳と四畳半の間があって、お常さんという六十過ぎの老人が古めかしい家具に囲まれて一人で暮していた。この人がこの家の主人で、春子の父親も学生の頃はこの家の下宿人だった。(『女たちの家』)

下宿人の一人に痴話騒動があって、駆落ちのようにして、病人のような蒼い顔の女を連れてきた。お常さんは呆れて怒鳴るが、川崎の仲裁で、結局、生活のメドがつくまで二人を二階のひと部屋に置くことを承知した。

ある朝二階の下宿人川崎が春子の横でねむっている。

「……どうしたの、そんなところで」
突拍子もない母親の声に春子が寝床の中で目をあけると、枕のすぐそばに大きくふやけたような男の顔がこちらを向いて眠っていた。(……)川崎は…蒲団の中から片手を哀れっぽく差し出して、口もきけぬという顔つきで、天井を何度も何度も指さした。しばらくした母親がクスクスと笑い出したかと思うと、「いやだわ」と若い娘みたいな声を立てて隣の部屋へ逃げこんだ。笑いに息たえだえの話し声が襖の陰でして、それから父親が空惚けた顔をこちらへ出した。川崎は目をあけず、まだ天井のほうをせつなそうに指先で訴えていた。
「川崎君、えらいご災難だそうだね」
「熱烈で熱烈で、はたのほうが、もう身がもたなくて」

ここにも、「蜩の声」にて、《同じ屋根の下に何人も身を寄せいていて隣の声は襖一枚の隔てを筒抜けだった》とするのと同じように、襖の向こうから母親の声、二階でも襖の向こうから駆落ちの若い男女の声に耳をすます主人公たちがいる。


2013年12月27日金曜日

12月27日

きみ、きみ、そこのきみ
きみはニブすぎるんじゃないか
ツァラトゥストラのグランドフィナーレ
酔歌を引用したばかりだろ?

「わたしを放っておいてくれ! 
放っておいてくれ! 
わたしは、おまえと手を結ぶには清らかすぎる。
わたしに触れるな」と

それでも感じないなら
論理学者三浦俊彦の小説でも引用するかね

すなわち、現実のモノを放出するのではなく言語・観念によって、まずは意味もないスカスカ的単語を脈絡なく喋り散らすという活動、さらには非スカ系出版物に載ったスカ記事をピックアップしてそれを満員電車内で朗読する、それへの乗客の反応を隠し撮りするという二人一組活動「ネオクソゲリラ」に金妙塾主流は這い進んだのである。これに対する乗客風景は旧脱糞ハプニングバージョンに比べて実にさまざまで、先ほど一部引用した雁屋F寝小便論が一塾生(三十五歳のコンビニ店長)によって読まれたときは「そうだよ、そのとおり!」などという相槌があちこちからとんだというが、主題がオシッコではなくウンコとなるとあからさまな心神耗弱ないし喪失扱いといおうか、アメリカのように精神障害者の強制隔離が論議される風土とは異なる日本ならではの寛大な、よく見られる酔っ払いや神経衰弱系独り言おじさんへの大らかな無視に等しいものであったのだが(立錐の余地乏しき満員度においては人垣に隠れた遠くから「うるせえ!」と怒鳴る重客もいたらしいが通路往来自在のときは誰も何も文句はつけなかったという)、『金妙塾入塾パンフレット』は、その「無視」の様態を七十九モードに分類している。

 (分類名のみ紹介すると「黙視」「陰視」「黙惑」「黙瞥」「黙殺」「黙笑」「黙怯」「黙訝」「黙認」「黙嘲」「黙憫」「黙索」「黙諾」「黙嘆」「黙惜」「黙難」「密囁」「密索」「黙戒」「悟惚」「黙悦」「隠嗤」「憤黙」「黙呆」「黙嫉」「沈躁」「黙脱」「黙錯」「黙忖」「黙敬」「微解」「黙謀」「爆黙」「擬黙」「黙索」「偽忌」「耽黙」「謬殺」「黙悩」「封舌」「駄黙」「躍黙」「黙狽」「黙滅」「浄黙」「専黙」「斜黙」「黙謝」「慈黙」「甘黙」「案黙」「黙揺」「静観」「歪黙」「黙愁」「黙訥」「熱黙」「黙染」「黙絶」「是黙」「濃黙」「黙祷」「黙賞」「純黙」「黙発」「畏黙」「黙慄」「黙測」「冷黙」「淫黙」「断推」「黙抜」「黙憬」「盲黙」「凝黙」「否視」「黙略」「黙質」「瀰黙」。演習問題:それぞれの具体的表情と視線の振幅を推測的描写せよ)。

ネットで拾ったのだがね、小説『偏態パズル』

……17のクラブの24人の女王様と契約、翌日までにたっぷり溜めてもらうことにした。翌日六本木アルファインに二部屋とって、プレイ開始。基本料金と別に、出た順に一人ずつ24万、23万……1万円、ということにしたので、女王様たちは早く黄金を出そうと室内で体操したりツボを押したり牛乳1㍑パック飲み干したりみんな一生懸命頑張ってくれた。



 最初に出してくれたのは銚子市生れのもと看護婦、ソフィア女王様だった。生牡蠣の匂いのする細めの山吹黄金が、長々30㌢ほど途切れなく絞り出て、僕の喉の奥に魔法のように粘り潜っていった。次は江東区生れのフユミ女王様。顔と上半身は細いが腰と腿が超逞しい19歳、息張る声も匂やかに、吹出物だらけのお尻から濃いオナラを七発半、デコボコ罅だらけの便秘塊を三つ押し出した。スジが堅くてニガさ強烈。三番目の堺市生れカズコ女王様は鼻筋の通った美人。細いお尻から白縞つきの中太バナナ便を放り出してくれた。六番目の鎌倉市生れ、身長152 体重80㌔のアイ女王様のは最高だった。前日フルーツとクロレラだけを食べてきてくれたそうでツーンと甘い、軟らか極上黄金だった。九番目になんと目にも彩なる和服で御来室、長い髪がさらっとストレートの府中市生れレイコ女王様の黄金はネバネバ真っ黒くて気持ち悪かったけど一番効きそうで、目を見開いてゴックン。次の山形市生れユイカ女王様のシャーッと真ッ黄色い水下痢を一気に飲み込んだあたりで、焦げ臭いげっぷが続けざまに洩れて胸がむかつきはじめた。いよいよか。色黒でアイシャドウの濃い港区生れルミ女王様と色白で内斜視の青梅市生れマユミ女王様は左右背中合せにしゃがんで息を合せ同時脱糞してくれた。世田谷区生れサヨコ女王様は「あたし黄金は経験ないの」とずいぶん恥かしそう。笑うと左右対称歯が欠けたみたいな八重歯が可愛くて「クサいって言わないでね」コーンやゴマや野菜片がやたら表面に突き出た黄金がみりみりぷちぷち線香花火みたいな摩擦音付きでくねり出てくれた。女王様が恥かしがってくれてると思うと僕の勃起ペニスは更に三割膨脹した。横浜市生れシノブ女王様はどうしても出そうになくて申し訳ないから、と自分の喉に指を突っ込んで嘔吐して下さった。臭くて酸っぱい胃液の風味もさることながら吐く瞬間、久本雅美似の歯茎露出度高値顔歪めてオ、グヲエッ目を剥き涙流した表情は、黄金が覗く瞬間の噴火口の痙攣に劣らぬ味だった。うれしい!このシノブ女王様の苦悶を見て僕は排泄プレイという文化の神髄を悟り、福岡市生れカオリ女王様の息張りと肛門ヒクツキの連動を凝視するうち認識は明瞭となった。直径3㌢の黄金が半身7㌢ゆっくり伸びてしばし停止、湯気。肛門はその間じっと金棒をくわえ開いたまま汗ばみ、ついでカオリ女王様の全身が細かく力み震えたかと思うと黄金の後半がプピっスーっ熱い隙間風まとって現われ――外気に触れていた7㌢分と後半が焦茶/黄土に見事くっきり分れ――カオリ女王様はホッと濃厚な出産の吐息を。授乳する性である女の、食物を無事提供した本能の安堵だろうか。そうだ! レバー味の上質黄金を頬張りながら僕は感動に震えた。女王様たち自身の熱い内臓醗酵料理を貪り喰らい僕は昇天するのだ!僕は女王様の汚いものを食わねばならないのだから確かにMだけど、女王様も自分のクサい秘密の内臓を無防備に晒すのだから羞恥Mだろう。そう、Mがウンコ座りの脚線を表わす形であることを忘れるな。と同時に女王様は僕を便器扱いして尻に敷いちゃう以上当然Sだが、僕は女王様の腸の中身を食べながら彼女の肉そのものを喰う行為をイメージ経験しているから、極限的Sの瞬間を生きていると言えるのだ――合法的カニバリズム! ああ! そして体位も、女の下の穴に男が前の肉棒を挿入する、この機械的な性の定めの反転図なのだ。男の上の穴に女が後ろの肉棒を入れるのだ!





オレのきよらかさ加減は
いささか不足しており
上のたぐいの嗜好ははないが
次のケぐらいはあるぜ





「デートのときおれは彼女にいつも、自転車で来てくれって要求しました。おれは歩きです。高校時代に一緒に帰ってたときこのパターンだったんで。家近い彼女が自転車でオレが駅まで歩きで。彼女は高校時代のノスタルジーでオレがそんな要求するのかと思ってたようで、セーラー服着てくれって言われるよりマシってことで毎回自転車に乗って来てくれました。でも自転車押して並んで歩くってのは街中なんかじゃたるいでしょ。で彼女には自転車に乗ってもらうことにね。オレが歩いてる傍らを彼女が自転車で並走ってのはきついんで、どんどん走ってもらいます。で、ブロックをぐるりと回ってオレに追いついて、追い越して、また後ろから追いついて追い越して、また……ってパターン。追い越すときに会話するわけだけど、オレは『自然な追い越され方がいい』ってことで、無言でシカトしあいながら追い越される、ってことにしてもらったんです。彼女はひたすらオレを追い越しつづける。何度も何度も。どうしてオレが「自然」にこだわったかっていうと、追い越すとき振り向いたりしてほしくなかったわけ。ていうのは自然に通りすがりみたいにして追い越してってほしかったわけ。それでどこに目が向くか。サドルに接した彼女のヒップが天然震動っていうかね、あ、そうそう、彼女にはスカートじゃなくていつもズボンはいてきてもらってたんです。しかもジーパンとかじゃなくてなるべく薄地の。でくっきり輪郭のプルんと丸いお尻サドルにかぶさるというか谷間にサドルがぴっちり挟まって、ペダルを漕ぐにつれて右左、交互にサドルがお尻に揉まれるというか逆にお尻がサドルに食い込まれるというか、じんわり体温というか摩擦というかいかにも密着熱が、ああ、それ見てオレは天にも昇る幸福感を味わっていたんでした。で、それをじっくり味わうためにはゆっくりと追い越してもらう必要があるわけなんですけど、いやぁ、オレ自身は彼女のお尻に顔でも体でも乗っかられたことはなかったんで、自転車尻を見て疑似体験して喜んでるってのも倒錯っちゃ倒錯もいいとこですが、従順な彼女は理由も質さずに自転車に乗りつづけ追い越しつづけてくれましたっけ。ま、うすうすオレの尻フェチぶりには気づいてたんでしょうけどね。だけどこういうデート重ねているうち曲がり角とか入り組んでる路地で彼女が一周してきたときオレの進路とずれちゃってはぐれちゃったことが三四回あって、まあそれも原因だったんですが、なんやかんや追い抜かれっこしてるうちにたまたま理想的な坂道を見つけましてね。西武線の東久留米とひばりヶ丘の中間ぐらいんとこの小さな商店街に、ただの坂道ならぬ曲がり坂道、ぐーっとこう九十度近く曲がってるのがありましてね、自転車にとっちゃ適度の難所で、そこを自転車漕いで登る人はまあ、立ち漕ぎをせざるをえないんですね。で、坂がゆるくなるところまで立ち漕ぎして、おもむろにサドルに座る。これが、これがたまらない! 空中を泳いでいた女性のズボン尻がゆっくりサドルに降りて密着する瞬間、その直後に立ち会えたときの勃起度といったら! 立位後向きにすぼまっていた緊張尻がゆっくり下向きに割れ広がって一挙くつろいでサドルを挟み潰す瞬間ってばもうサイコーッすよ。てわけで彼女にはもう何度その曲がり坂道を自転車で立ち漕ぎそして腰降ろしを繰り返してもらったことか。ちょうど坂がゆるくなる境目でオレを追い越さなきゃならないんでタイミングが微妙で、もうあの坂道挟んだサーキットを何周も何周も、もうぐるぐるぐるぐるやってたことがありました。さすがに彼女も疲れたらしくですね、いや歩いてるオレの方が足痛くなってましたがね、もーうこんなデートたくさん! って彼女、こんなにまでしてオレと付き合いつづける必要はないんだって突如気づいたみたいで唐突に振られちゃいました。あ~あ、貴重な彼女失いましたよ。しかしなんで合わせてくれなかったですかね、いかがわしいタイの痩せ薬とかに手を出したりしてた彼女ですから、デートしながら坂道ダイエット出来りゃ本望だったと思うんだが。ともかくそれ以後はこんなかったるいデートしてくれる女にはめぐり合わなかったですし。





 ま、それでも今、街を歩いててそこそこ満足ですよ。目覚めるって素晴らしいことですよね。理想の坂道にはそうは行き当たらないけど、自転車の女に追い抜かれることってけっこうあるんで、むこうから自転車女がやってきてすれ違いそうなときはそりゃもう、何か思い出したふりして手前で方向転換して歩き出して、追い抜かれる按配にもってくわけです。ときにはわざわざ道の反対側に渡って間近に尻景色をね。彼女失ったおかげで街の色とりどりのお尻に意識が目覚めるようになりましたってば。ズボンや坂道にもこだわらなくなりました。もちろんスカートってのはインターフェイスがあいまいなぶんサドルとの相性悪いんで興奮いまいちというか基本的には残念なわけで、ときどき女子高生なんかスカートの裾を全周サドルの外へ垂らしてやがったりしてね、あれ困りますよね、密着面が隠れちまって輪郭まるっきしなんでほんっと頭きてましたけど、むしろそのパターンって、パンツ尻が直接サドルにぴったり接してるってことでしょ、ぐいぐい熱くくわえ込んで揺れてるってことでしょ、そのこすり色が香りほのかにずくずくしみ拡がってゆくさまをじっと頭ン中で透視してですね、勃起できるほどになりました。好みは変わるもんで全周垂れ下がりスカートに大恍惚のこの頃ってわけです。あぁ彼女今頃どうしてるかなぁ、まだあの自転車使ってるかなぁ……」(ただしこの直後、アロマ企画のヤラセ・盗撮混合マニアックビデオ『自転車のお姉さんのお尻』がDVD版(ARMD21)として一般普及し、同類の自転車フェチが全国ひしめいていることを知った吉岡明之は即座にサドル尻マニアを辞めてしまった。マニアの自負であるが、まさざま名マイナー倒錯者がカミングアウトし直ちに市場を形成していく現在、種類的に孤高のマニアであることは難しくなっていることは確かだ……)。






穏やか系も挙げとこうか、
EVERNOTEの引き出しにはいくらでもあるからな


一台の自転車
その長い時間の経過のうちに
乗る人は死に絶え
二つの車輪のゆるやかな自転の軸の中心から
みどりの植物が繁茂する
美しい肉体を
一周し
走りつづける
旧式な一台の自転車
その拷問具のような乗物の上で
大股をひらく猫がいる
としたら
それはあらゆる少年が眠る前にもつ想像力の世界だ
禁欲的に
薄明の街を歩いてゆく
うしろむきの少女
むこうから掃除人が来る


ーー吉岡実「自転車の上の猫」






すこし前方に、べつの一人の小娘が自転車のそばにひざをついてその自転車をなおしていた。修理をおえるとその若い走者は自転車に乗ったが、男がするようなまたがりかたはしなかった。一瞬自転車がゆれた、するとその若いからだから帆か大きなつばさかがひろがったように思われるのだった、そしてやがて私たちはその女の子がコースを追って全速力で遠ざかるのを見た、なかばは人、なかばは鳥、天使か妖精かとばかりに。(プルースト「囚われの女」)
生きつづける欲望を自己の内部に維持したいとねがう人、日常的なものよりももっと快い何物かへの信頼を内心に保ちつづけたいと思う人は、たえず街をさまようべきだ、なぜなら、大小の通は女神たちに満ちているからである。しかし女神たちはなかなか人を近よせない。あちこち、木々のあいだ、カフェの入り口に、一人のウェートレスが見張をしていて、まるで聖なる森のはずれに立つニンフのようだった、一方、その奥には、三人の若い娘たちが、自分たちの自転車を大きなアーチのように立てかけたそのかたわらにすわっていて、それによりかかっているさまは、まるで三人の不死の女神が、雲か天馬かにまたがって、神話の旅の長途をのりきろうとしているかのようであった。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)




すこし前方に、べつの一人の小娘が自転車のそばにひざをついてその自転車をなおしていた。修理をおえるとその若い走者は自転車に乗ったが、男がするようなまたがりかたはしなかった。一瞬自転車がゆれた、するとその若いのからだから帆か大きなつばさかがひろがったように思われるのだった、そしてやがて私たちはその女の子がコースを追って全速力で遠ざかるのを見た、なかばは人、なかばは鳥、天使か妖精かとばかりに。(プルースト「囚われの女」)
腰を浮かして力いっぱいペダルを踏み、それからスピードが落ちるのをそのままにして、けだるそうな姿勢でサドルに腰をおろす彼女。それからまた、家の郵便箱の前で自転車をとめ、サドルにまたがったまま、送られてきた雑誌にさっと目を通して、もとへ戻し、舌で上唇の端をなめ、足で地面を蹴って、ふたたび淡い影と光のなかへ飛びだす彼女。(ナボコフ「ロリータ」)



私たちはまた坂をくだっていった、すると、一人また一人とすれちがうのは、歩いたり、自転車に乗ったり、田舎の小さな車または馬車に乗って坂をのぼってくる娘たちーー晴天の花、ただし野の花とはちがっている、なぜなら、どの娘も、他の花にはない何物かを秘めていて、彼女がわれわれの心に生まれさせた欲望を、彼女と同種類の他の花でもって満足させるというわけには行かないからーーであって、牝牛を追ったり、荷車の上になかば寝そべったりしている農場の娘、または散歩している商店の娘、または両親と向かいあってランドー馬車の腰掛にすわっている上品な令嬢などであった。(「花さく乙女たちのかげに」)






悦楽(享楽)と永劫回帰(ニーチェ)

2001年9月11日後の数日間、われわれの視線が世界貿易センタービルに激突する飛行機のイメージに釘づけになっていたとき、誰もが「反復強迫」がなんであり、快楽原則を越えた享楽がなんであるかをむりやり経験させられた。そのイメージを何度も何度も見たくなり、同じショットがむかつくほど反復され、そこから得るグロテスクな満足感は純粋の域に達した享楽だった。(ジジェク『 〈現実界〉の砂漠へようこそ』) 
「いつかぼくはある話を聞いたことがあって、それを信じているのだよ。それによると、アグライオンの子レオンティオスがペイライエウスから、北の城壁の外側に沿ってやって来る途中、処刑吏のそばに屍体が横たわっているのに気づき、見たいという欲望にとらえられると同時に、他方では嫌悪の気持がはたらいて、身をひるがそうとした。そしてしばらくは、そうやって心の中で闘いながら顔をおおっていたが、ついに欲望に打ち負かされて、目をかっと見開き、屍体のところへ駆け寄ってこう叫んだというのだ。「さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!』」(プラトン『国家』藤沢令夫訳)

この翻訳では「見たいという欲望」となっているが、この「欲望」は、二〇世紀以降(フロイト以降)の文脈でなら、フロイトのリピドー、あるいは冒頭に掲げられたジジェクの文の「享楽」か、もしくは「欲動」としてよいだろう。

いずれにせよ、フロイトの快原則の彼岸とは、まずは上のようなことを言う。それは不快なものをもとめる衝動であり、快感原則の埒外にあるものだ。かつての公開処刑や鞭打ちの刑に公衆が押しかけた(祭りの催しの一環として行われていたことも多い)などという例もあるし、現在でもひとがホラー映画に惹かれてしまうのも同じドライブ(欲動)なのだ。

快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

この悦楽jouissanceは、「享楽」とも訳される(バルトはたぶんラカンから借用しているはずだ)。

『テクストの快楽』につけ加えて。享楽jouissance、それは欲望《に応える》もの(それを満足させるもの)ではなく、欲望の不意を襲い、それを圧倒し、迷わせ、漂流させるもののことである。このように主体を踏み迷わせうるものを適切に言いあらわすことばは、神秘主義者たちにたずねるほかない。たとえばライスブルックのことば、「私が精神の陶酔と呼ぶものは、享楽が、欲望によって垣間見られていた可能性を越えてしまう、あの状態である。(『彼自身によるロラン・バルト』)

ジジェクの著書の題名「現実界の砂漠にようこそ」とあるように、ラカン派的にいえば、「享楽」は現実界realの審級に属するものであって、このrealは象徴界に属するrealityとは異なる。ロラン・バルトが「快楽」を《文化から生まれそれと縁を切らず》としているのは、すなわち象徴界から縁を切らずということだ。


ところでニーチェの『ツァラトゥストラ』には、「快」と訳されたり「悦楽」と訳されたりするLUSTという語がしばしば出てくる。

ニーチェを引用するまえに、まずLUSTについてフロイトの説明を聞こう。
人間や動物にみられる性的欲求の事実は、生物学では「性欲動」という仮定によって表わされる。この場合、栄養摂取の欲動、すなわち飢えの例にならっているわけである。しかし、「飢え」という言葉に対応する名称が日常語のなかにはない。学問的には、この意味でリピドーという言葉を用いている。(フロイト『性欲論三篇』 フロイト著作集5 人文書院)

この性欲論の冒頭にこうあったあと、すぐさま註がふされる。
ドイツ語の「快感」Lustという語がただ一つ適切なものではあるが、残念なことには多義的であって、欲求の感覚と同時に満足の感覚をよぶにもこれが用いられる。

ニーチェの“Lustにも満足の感覚の快として使用されている箇所もあり、しかしながら欲動や享楽(悦楽)、場合によっては死の欲動としてもよい使用の仕方がある。もっともラカンにとっては、すべての欲動は死の欲動であるし、ジジェクの説明によれば、死の欲動とは死なない欲動、永遠の反復運動である。

フロイトの「死の欲動」(……)。ここで忘れてはならないのは「死の欲動」は、逆説的に、その正反対のものを指すフロイト的な呼称だということである。精神分析における死の欲動とは、不滅性、生の不気味な過剰、生と死、生成と腐敗という(生物的な)循環を超えて生き続ける「死なない」衝動である。フロイトにとって、死の欲動とはいわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動であり、この衝動は、その衝動を抱いている生体の自然な限界を超えて、その生体が死んだ後まで生き続けるようにみえる。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ジジェクの他の説明であるならば、死の欲動とは、アンデルセンの童話「赤い靴」でもある。少女が赤い靴を履くと、靴は勝手に動き出し、彼女はいつまでも踊り続けなければならない。靴は少女の無制限の欲動ということになる。あるいは独楽が永遠に反復回転をすれば、それは静止したように(死んだように)みえる。

ニーチェについていえば、彼の予見と洞察とは、精神分析が骨を折って得た成果と驚くほどよく合致する人であるが、いわばそれだからこそ、それまで,長い間避けていたのだった。(フロイト『自己を語る』1925 )

だが、これらの言葉から、フロイトの死の欲動と、ニーチェの永劫回帰をすぐさま結びつける愚は避けておこう。


次の永劫回帰が語られるツァラトゥストラの結末のひとつ前の章「酔歌」では、享楽の匂いがぷんぷんする。訳者の手塚富雄氏もあやまたず「悦楽」という訳語を当てている。文脈上、より分り易く読むために、「悦楽」という語が頻出するすこし前から引用しよう。

…………


ツァラトゥストラ第四部 酔歌



甘美な竪琴よ、甘美な竪琴よ。わたしはおまえの調べを愛する、おまえの酔いしれた、ひきがえるの声に似た調べを愛する。――どんなにはるかな昔から、どんなに遠いところから、おまえの調べはわたしにやってくることか、はるかな道を、愛の池から。

おまえ、古い鐘よ、甘美な竪琴よ。あらゆる苦痛がおまえの心臓に打ち込まれた、父の苦痛、父祖の苦痛、太祖の苦痛が。おまえのことばは熟した。――

――金色の秋と午後のように、わたしの隠栖の心のように、それは熟した。――そしていま、おまえは語る。

「世界そのものが熟した、葡萄が色づくように、――
――いまやそれは死のうと願っている、幸福のあまりに死のうと願っている」と。おまえたち高人よ、おまえたちはその匂いを嗅がないか。ひそかに湧きのぼってくる匂いを。

――永遠の香り、永遠の匂いを。古い幸福の匂いを。ばらのように至福な、褐色をおびた黄金の葡萄酒の匂いに似た幸福のその匂いを。

――酔いしれた、真夜中の臨終の幸福の匂いが、湧きのぼってくるではないか。その幸福が歌うのだ。「世界は深い、昼が考えたより深い」と。



わたしを放っておいてくれ! 放っておいてくれ! わたしは、おまえと手を結ぶには清らかすぎる。わたしに触れるな。わたしの世界は、ちょうどいま完全になったではないか。

わたしの皮膚は、おまえの手などに触れられるには清らかすぎる。わたしを放っておいてくれ。おまえ、愚かな、鈍重な、うっとうしい昼よ。真夜中のほうが、おまえより明るいのだ。

最も清らかな者が、地の主となるべきなのだ。最も知られていない者、最も強い者、どんな昼よりも明るい、深い真夜中の魂をもつ者が、地の主となるべきなのだ。

おお、昼よ、おまえはわたしをつかもうと手探りしているのか。わたしの幸福がほしいのか。おまえの目には、わたしはひとりぼっちで、富裕で、宝の鉱脈で、黄金の庫〔くら〕であるように見えるのか。

おお、世界よ、おまえはわたしがほしいのか。おまえから見て、わたしは世俗的なのか、宗教的なのか、神的なのか。しかし、昼と世界よ。おまえたちはあまりに不器用だ、――

――おまえたちは、もっと怜悧な手をもつがよい。もっと深い幸福に、もっと深い不幸に、手を伸ばせ。どこかの神につかみかかれ。だが、わたしにはつかみかかるな。

――おまえ、奇妙な昼よ、わたしの不幸、わたしの幸福は深い。だが、わたしは神ではない、神の地獄でもない。その苦痛は深いのだ。



神の苦痛のほうが、より深いのだ。おまえ、奇妙な世界よ。神の苦痛につかみかかるがよい。わたしをつかもうとするな。では、わたしは何か、一つの酔いしれた甘美な竪琴だ、――

――真夜中の竪琴だ、ひきがえるの音を出す鐘だ。その音は、だれも理解しない。しかし、それは語らざるをえないのだ。聾者たちに向かって。高人たちよ。つまりおまえたちは、わたしを去ってしまった、去ってしまった。おお、青春よ、おお、正午よ、おお、午後よ。そしていま夕べと夜と真夜中が来た、――犬がほえる、風がほえる。

――風は犬ではないか。風は啼き、わめき、ほえる。ああ! ああ! なんとそれはため息をすることか、笑うことか。なんと喉を鳴らし、あえぐことか、この真夜中は。

この酔いしれた女詩人の「真夜中」は、いまなんとまじめな酔わぬ声で語ることか。彼女はおそらくその酩酊をも飲み越えてしまったのだろうか。彼女は眠らずに目がさえてしまったのだろうか。彼女は反芻しているのだろうか。

この老いた、深い真夜中は、彼女の苦痛を、夢のなかで、反芻しているのだ。さらにそれ以上に彼女の悦楽を反芻しているのだ。つまり、苦痛は深いとはいうものの、悦楽は心の悩みよりいっそう深いのだ。

ihr Weh käut sie zurück, im Traume, die alte tiefe Mitternacht, und mehr noch ihre Lust. Lust nämlich, wenn schon Weh tief ist: Lust ist tiefer noch als Herzeleid.



おまえ、葡萄の木よ。なぜおまえはわたしを讃えるのか。わたしはおまえを切ったのに。わたしは残酷だ、おまえは血を噴いているーー。おまえがわたしの酔いしれた残酷さを褒めるのは、どういうつもりだ。

「完全になったもの、熟したものは、みなーー死ぬことをねがう」そうおもえは語る。だから葡萄を摘む鋏はしあわせだ。それに反して、成熟に達しないものはみな、生きようとする。いたましいことだ。

苦痛は語る、「過ぎ行け、去れ、おまえ、苦痛よ」と。しかし、苦悩するいっさいのものは生きようとする。成熟して、悦楽を知り、あこがれるために。

――すなわち、より遠いもの、より高いもの、より明るいものをあこがれるために。「わたしは相続者を欲する」苦悩するすべてのものは、そう語る。「わたしは子どもたちを欲する、わたしが欲するのはわたし自身ではない」と。――

しかし、悦楽は相続者を欲しない、子どもたちを欲しない、――悦楽が欲するのは自分自身だ、永遠だ、回帰だ、万物の永遠にわたる自己同一だ。
Lust aber will nicht Erben, nicht Kinder, - Lust will sich selber, will Ewigkeit, will Wiederkunft, will Alles-sich-ewig-gleich.

苦痛は言う。「心臓よ、裂けよ、血を噴け。足よ、さすらえ。翼よ、飛べ。痛みよ、高みへ、上へ」と。おお、わたしの古いなじみの心臓よ、それもいい、そうするがいい。痛みはいうのだ、「去れよ」と。


10

おまえたち高人たちよ、おまえたちはどう思うか。わたしは予言者か。夢みる者か。酔いしれた者か。夢を解く者か。真夜中の鐘か。

一滴の露か。永遠からの香りの一種か。おまえたちの耳は聞かぬか、おまえたちの鼻は嗅がぬか。いままさにわたしの世界は完全になったのだ、真夜中はまた正午なのだ。

苦痛はまた一つの悦楽なのだ。呪いはまた一つの祝福なのだ。夜はまた一つの太陽なのだ、――おまえたち、学ぶ気があるなら、このことを学び知れ、賢者も一人の阿呆であることを。

おまえたちは、かつて悦楽にたいして「然り」と言ったことがあるか。おお、わたしの友人たちよ、そう言ったことがあるなら、おまえたちはいっさいの苦痛にたいしても「然り」を言ったことになる。すべてのことは、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされているのだ。――

――おまえたちがかつて「一度」を二度欲したことがあるなら、かつて「おまえはわたしの気に入った。幸福よ、刹那よ、瞬間よ」と言ったことがあるなら、それならおまえたちはいっさいのことの回帰を欲したのだ。

――いっさいのことが、新たにあらんことを、永遠にあらんことを、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされてあらんことを、おまえたちは欲したのだ。おお、おまえたちは世界をそういうものとして愛したのだ、――

――おまえたち、永遠な者たちよ、世界を愛せよ、永遠に、また不断に。痛みに向っても「去れ、しかし帰って来い」と言え。すべての悦楽はーー永遠を欲するからだ。Denn alle Lust will - Ewigkeit!


11

悦楽は常にすべてのことの永遠ならんことを欲する、蜜を欲する、おりかすを欲する、酔いしれた真夜中を欲する、息を欲する、墓を欲する、墓の涙の慰藉を欲する、金色にちりばめた夕映えを欲するーー

Alle Lust will aller Dinge Ewigkeit, will Honig, will Hefe, will trunkene Mitternacht, will Gräber, will Gräber-Thränen-Trost, will vergüldetes Abendroth –

悦楽が欲しないものがあろうか。悦楽は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。悦楽はみずからを欲し、みずからに咬み入る。環の意志が悦楽のなかに環をなしてめぐっている。――

- _was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -

――悦楽は愛しようとする、憎もうとする。悦楽は富にあふれ、贈り与え、投げ捨て、だれかがそれを取ることを乞い求め、取った者に感謝する。悦楽は好んで憎まれようとする。――

- sie will Liebe, sie will Hass, sie ist überreich, schenkt, wirft weg, bettelt, dass Einer sie nimmt, dankt dem Nehmenden, sie möchte gern gehasst sein, -

――悦楽はあまりにも富んでいるゆえに、苦痛を渇望する。地獄を、憎悪を、屈辱を、不具を、一口にいえば世界を渇望する、――この世界がどういうものであるかは、おまえたちの知っているとおりだ。

- so reich ist Lust, dass sie nach Wehe durstet, nach Hölle, nach Hass, nach Schmach, nach dem Krüppel, nach _Welt_, - denn diese Welt, oh ihr kennt sie ja!

おまえたち高人たちよ。悦楽はおまえたちをあこがれ求めている、この奔放な、至福な悦楽は、――できそこないの者たちよ、おまえたちの苦痛をあこがれ求めているのだ。すべての永遠な悦楽はできそこないのものをあこがれ求めている。

Ihr höheren Menschen, nach euch sehnt sie sich, die Lust, die unbändige, selige, - nach eurem Weh, ihr Missrathenen! Nach Missrathenem sehnt sich alle ewige Lust.

つまり、悦楽はつねにおのれ自身を欲しているのだ。それゆえに心の悩みをも欲するのだ。おお、幸福よ、おお、苦痛よ。おお、心臓よ、裂けよ。おまえたち高人たちよ、このことをしっかり学び知れ、悦楽が永遠を欲することを。

Denn alle Lust will sich selber, drum will sie auch Herzeleid! Oh Glück, oh Schmerz! Oh brich, Herz! Ihr höheren Menschen, lernt es doch, Lust will Ewigkeit,

――悦楽はすべてのことが永遠ならんことを欲するのだ、深い深い永遠を欲するのだ。

- Lust will _aller_ Dinge Ewigkeit, will tiefe, tiefe Ewigkeit!


…………

ここで、もう一度、ジジェクの《死の欲動といわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動》だという言葉を想いだしておこう。


永劫回帰にはいろいろな議論があるが、ここではひとつだけ、クンデラ『存在の耐えられない軽さ』の冒頭を附記しておく。

永劫回帰という考えはミステリアスで、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。われわれがすでに一度経験したことが何かもう一度繰り返され、そしてその繰り返しがさらに際限なく繰り返されるであろうと考えるなんて! いったいこの何ともわけの分からない神話は何をいおうとしているのであろうか?

永劫回帰という神話を裏返せば、一度で永久に消えて、もどってくることのない人生というものは、影に似た、重さのない、前もって死んでいるものであり、それが恐ろしく、美しく、崇高であっても、その恐ろしさ、崇高さ、美しさは、無意味なものである。だから、十四世紀にアフリカの二つの国家の間で戦われた戦争で、ことばにあらわしがたい苦しみの中に三十万人もの黒人が死んだにもかかわらず、世界の顔を何ひとつ変えなかったように、その恐ろしさ、崇高さ、美しさはまともにとりあげる必要はないのである。

十四世紀のアフリカの二つの国家の戦いが、永劫回帰の中で数限りなく繰り返されたとしたら、何かが変わるであろうか?

変わる。それは目に立ち、永遠に続く塊となり、その愚かしさはどうしようもないものとなるであろう。

もしもフランス革命が永遠に繰り返されるものであったならば、フランスの歴史の記述は、ロベスピエールに対してこれほどまでに誇り高くはないであろう。ところがその歴史は、繰り返されることのないものについて記述されているから、血に塗れた歳月は単なることば、理論、討論と化して、鳥の羽よりも軽くなり、恐怖をひきおこすことはなくなるのである。すなわち、歴史上一度だけ登場するロベスピエールと、フランス人の首をはねるために永遠にもどってくるであろうロベスピエールとの間には、はかり知れないほどの違いがある。

そこで永劫回帰という思想がある種の展望を意味するとしよう。その展望から見ると、さまざまな物事はわれわれが知っている姿と違ったようにあらわれる。それらの物事は過ぎ去ってしまうという状況を軽くさせることなしにあらわれてくる。このような状況があるからこそ、われわれは否定的判断を下さなくてもすむのである。どうして消え去ろうとしているものを糾弾できようか。消え去ろうとしている夕焼けはあらゆるものをノスタルジアの光で照らすのである。ギロチンでさえも。

つい最近のことだが私は信じがたい感情にとらわれた。ヒットラーについての本をパラパラやっていたとき、何枚かの写真を見て、感動させられた。私に自分の少年時代を思いおこさせたのである。私が少年時代を過ごしたのは戦時中であった。親戚の何人かはヒットラーの強制収容所で死んだ。でも、ヒットラーの写真が私の失われた時代、すなわち、二度ともどることのない時代を思い出させてくれたのと比べて、あの人たちの死は何だったのであろうか?

ヒットラーとのこの和解は、回帰というものが存在しないということに本質的な基礎が置かれている世界の、深い道徳的な倒錯を明らかにしている。なぜならばこの世界ではすべてのことがあらかじめ容認され、あらゆることがシニカルに許されているからである。

われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれば、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘づけにされていることになる。このような想像は恐ろしい。永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。これがニーチェが永劫回帰の思想をもっとも重い荷物(das schwerste Gewicht)と呼んだ理由である。

もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、われわれの人生というものはその状況の下では素晴らしい軽さとしてあらわれうるのである。

だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?

その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷になり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。

それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。

そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか? 重さか、あるいは、軽さか?

この問題を提出したのは西暦前六世紀のパルメニデースである。彼は全世界が二つの極に二分されていると見た。光――闇、細かさーー粗さ、暖かさーー寒さ、存在――不存在。この対立の一方の極はパルメニデースにとって肯定的なものであり(光、細かさ、暖かさ、存在)、一方は否定的なものである。このように否定と肯定の極へ分けることはわれわれには子供っぽいぐらい単純にみえる。ただ一つの例外を除いて。軽さと重さでは、どちらが肯定的なのであろうか?

パルメニデースは答えた。軽さが肯定的で、重さが否定的だと。

本当かどうか? それが問題だ。確かなことはただ一つ、重さーー軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だということである。

2013年12月26日木曜日

王殺しの記憶喪失/ラカンの資本家のディスクール

資本家のディスクールは、四つのディスクールに引き続く、「五番目」のディスクールではなく、あらたなディスクールの領野を開くーー資本主義が席巻する世界の新しい四つのディスクールを開くーーというLevi R. Bryantの議論をみた(ラカンの資本家のディスクールと資本主義の世界のディスクール)。

わたくしは英訳で読んでみただけだが、ラカン自身、資本家のディスクールは主人のディスクールを代替するものだという意味に受けとれる言葉を、訳文から推測する範囲では、ラカン独特の《おじいさんがわりと内輪の社会でしゃべっておるフランス語》中井久夫)のインティメイトな調子、沈黙とスカンシオンの綯い交ぜになった口調で語っているようだ。

It would have perhaps involved . . . but besides, it will not involve it . . . because it is now too late . . . . . . the crisis, not of the master discourse, but of capitalist discourse, which is its substitute, is overt (ouverte).(On Psychoanalytic Discourse Discourse of Jacques Lacan at the University of Milan on May 12, 1972, published in the bilingual work: Lacan in Italia, 1953-1978. En Italie Lacan, Milan, La Salmandra, 1978, pp. 32-55. Translated by Jack W. Stone.)

あるいは「主人のディスクールは消滅しつつある」 the discourse of the master has largely disappearedとは、すでにセミネール17(精神分析の裏側)にて語っている。

Bryantの議論は、「父性的な象徴権威の弱体化」の時代の新たな領野として、「主人の言説」を代表とする主人(支配)の領野から、「資本家の言説」を代表とする資本主義の領野への移行を指摘するものであった。

冒頭叙したことをくり返せば、資本家のディスクールは、五番目のディスクールではなく、あらたな世界の四つのディスクールを開くものだという主張なのだ。

ここで、旧来の主人の世界における主人のディスクールと、新しい資本主義の世界における資本家のディスクールを並べて見比べてみよう(旧体制の四つの言説と、新体制の四つの言説そのそれぞれを代表するものであり、各々の残りの三つの言説は割愛する)。








旧来の主人の言説では、最初のエージェント(話し手)の箇所に、当然のことだが、S1(主人)がある。新しい資本主義の領野の資本家の言説では、分裂した主体$がある。


主人のディスクールの最も基本的な読み替えをすれば、こうなる。

王(主人)S1は召使いS2に要求する、わたしを楽しませてくれ、と。召使いはそのための生産物を生み出すが、そこにはかならず剰余(廃棄物)aが生じる。王の真理は斜線をひかれた主体$、すなわちあらゆる主体と同様に、根源的な享楽(楽しみ)が何であるかを、言語で言い表わすことが不可能な存在であり(真理は半分しかいえないmi-dire)、$aは永遠に一致しない宿命にある。ここでラカンのローマ講演での有名なことば、言語による「物の殺害」をも想起しておこう(参照:ラカン派における「主体と大他者の欠如」、あるいは「疎外と分離」の覚書)。


他方、資本家のディスクールではこうなる。

王殺しのあったあとの主人とは、利益を追求する商売人たち$である。もちろん召使いなどいはしない。だがかつての王と同じように、どうやったら楽しむことができるか(どうやったら利益を得ることができるか)を、テクノロジーやノウハウS2に求める。そこでも同じように剰余aが生まれる。この剰余とはまさにマルクスの剰余価値(ラカンの剰余享楽(対象a)である。商売人の隠された真理のポジション(左下隅)にある主人S1は資本(貨幣)である(具体的には銀行であったり株主であったりするだろう)。生み出された剰余価値aは再投資されなければ事業は破綻する。こうして資本S1の無限の運動のサイクルが永遠に続く。ここではマルクスの「守銭奴」、あるいは価値形態論を想いだすべきだろう。


「金儲け」の論理、あるいは守銭奴(ヴァレリー、マルクス)より
マルクスが資本の考察を守銭奴から始めたことに注意すべきである。守銭奴がもつのは、物(使用価値)への欲望ではなくて、等価形態に在る物への欲動――私はそれを欲望と区別するためにフロイトにならってそう呼ぶことにしたいーーなのだ。別の言い方をすれば、守銭奴の欲動は、物への欲望ではなくて、それを犠牲にしても、等価形態という「場」(ポジション)に立とうとする欲動である、この欲動はマルクスがいったように、神学的・形而上的なものをはらんでいる。守銭奴はいわば「天国に宝を積む」のだから。(柄谷行人『トランスクリティーク』)
マルクスが価値形態論を完成させたと考えた光りまばゆい貨幣形態の姿では、商品の価値形態はけっして完成していないことを知るはずである。まさに価値形態論の構造じたいが、みずからの完成を拒み、みずからに無限のくりかえしを強いることになるのである。そして、価値形態論のこの無限のくりかえしの極限において、われわれは黄金色の輝きを失い、商品の世界のなかにあって商品よりもはるかにみすぼらしい姿になった貨幣形態をみいだすことになるだろう。だが、そのみすぼらしい姿にこそ本来の意味での「貨幣の謎」が隠されているはずである。(岩井克人『貨幣論』)



主人のディスクールと資本家のディスクールの説明の形式的基本構造は次の通り。





agentが話し手であり、otherが聞き手、そして生産物がある。agentの話し手はラカンによればサンブラン(見せかけ)であって、発話の真の動因は、左下のtruth真理である。主人のディスクールでは、言語によって分裂した主体、資本家のディスクールでは資本(貨幣)ということになる。



上に書かれたものはもっとも基本的な読み替えであって、読み方はいくらでもある。

王殺しなどかつて起りはしなかったかのごとくに振舞いながら、記憶喪失に徹すること。また一方で、忘れられた王殺しにもかかわらず、空位になった王座に誰もが自分を位置づける権利だけはあると確信すること。(蓮實重彦『物語批判序説』P195)

これは蓮實重彦がサルトルやフーコー、あるいはフローベールを引用しつつ「現代的言説」を説明する文脈での文だが、王殺しのあとは空位となって王座に位置づける権利だけはあるとするのが資本家でもあり、まがいものの真理や美を体現しようとする「知識人」、「芸術家」でもあるのだ。これは蓮實重彦の70年代から80年代末にかけての大きな主題のひとつである。

他人の言葉によって自分の言葉を二重に奪われた者たちが、その奪われたさまを隠蔽すべく提起する「問題」、それをたとえばジャン=ポール・サルトルであれば、大革命によって王殺しを演じた自分にうろたえるブルジョワジーたちが、王の代理として捏造した新たな幻想と呼ぶかもしれないし、あるいは神の死に続いて起った必然的な事態と呼べば、話はより明確であるかもしれない。また、神の死は、それと同時に個人の自己同一性を崩壊させたのだといいそえれば、さらにわかりやすいということもあるだろう。(同 P120
現代的な言説とは、原則的に、また権利の点で、誰が何を語ることも可能であり、特権的な知が中心的な主題と叙述の秩序を正当化することのない、匿名的な複数性によって定義づけられる。(同 P132

これらの言葉から、分裂した主体($)は、王殺しなどなかったかのようにして真理を抑圧し(左下のS1)、テクストの解釈学(S2)に耽って(不可能)、廃棄物としての糞(a)を生み出すが、それはテクストの真理(S1)とは永遠に合致しない(永遠のインポテンツ)と読むことができないか(実はこの言い方はやや自信がないが、いまは敢えて思いつきのようにして誤読の試みをしてみる。いっそう自虐的にいえば、解釈学の典型的な見本として糞としての対象aを生成させているとしてもよい)。


ただし蓮實重彦の「現代的言説」の意味するところが、そのままラカンの資本主義の言説を意味するとは、断言はしないでおこう。そもそもポスト・モダンによって「主人」が死んだのではなく、主人はとっくの昔に死んでいるのに、いまさら主人のディスクールとはなんだ、とっくに現代的ディスクールの時代になっているのに、という考え方がくり返されているのだから。

フーコーにとって「ポストモダン」という問題は存在しない。(……)現在のエピステーメーの領域にはいかなる断絶の兆候もない。いわゆる「大理論」の成立は何の変化ももたらさず、またそれらの死と呼ばれるものも、全く効力がない。考古学者フーコーにとって、「ポストモダン」とは、いわば誤まった問題なのである。(蓮實重彦『フーコーと《19世紀》』)
僕自身としては、真実をめぐる言説が「大いなる物語」の中に錨をおろしていた時代をモダンと呼び、その「大いなる物語」の機能失調が明らかになって以後の時代をポスト・モダンとよぶことには反対であり、かりに「大いなる物語」が近代=モダンの言説だと呼ぶなら、その成立は、真実とは無縁の「小さな物語」の発生と同時代的であり、あるいはその「小さな物語」こそが「大いなる物語」の伝播に役立っていたという視点をとっているので、ポスト・モダンをモダンに続く時代ととることにも反対です……(『闘争のエチカ』)


さていずれにせよ、Bryantの提案する資本主義の世界の言説は、主人の言説が「神経症」の時代のディスクールであるならば、それとはまったく異なった世界を開くものだろう。主人の質が変わってしまったのに、ラカンの旧来の「主人の言説」に固執する必要は毛筋ほどもない。主人は父権制時代の主人から、いつのまにか猥雑な享楽的主人に変わっているのだ(もっともラカンの「主人」には、享楽的主人も含まれているという議論もあるだろう、だがもしそうなら、ラカンのいう主人の言説は消滅しつつあり、資本家の言説がそれにとってかわるというのは、なにを意味するのだろうか)。

選挙にも、科学にも「主人」はいない。
要は専門家のもっている専門てほんとに狭くって、世界に数人〜数十人しか分かる人がいない。それでも業界外に位置づけを説明するために自分が数千人から数十万人のコミュニティに属しているように説明する。素人から期待される質問に答えようとするととたんに擬似専門家になる。(震災からたしか半年後ぐらいの鈴木健ツイート)

ヒステリーのディスクールとして当り散らす主人もいない。主人がいなければ、どうやってデモ運動ができるだろう。実は標的である主人は「資本(の欲動)」なのに。

《資本主義社会では、主観的暴力((犯罪、テロ、市民による暴動、国家観の紛争、など)以外にも、主観的な暴力の零度である「正常」状態を支える「客観的暴力」(システム的暴力)がある。(……)暴力と闘い、寛容をうながすわれわれの努力自体が、暴力によって支えられている。》(ジジェク『暴力』)
Everywhere, it seems, elections are in question, there is cynicism towards elected officials, and subjects profoundly doubt the truthfulness of news sources. This even bleeds into the sciences, where people regularly express doubts about global warming, for example, claiming that the scientists are motivated to claim certain things based on their desire to secure grant funding. As a consequence, individual agents begin to pick and choose their own news and science according to what accords with their beliefs and tastes. In short, science and the news are no longer experienced as an objective Third that is independent of the whim of individuals and that adjudicates disputes. Trust in these institutions and figures increasingly becomes overwhelmed by doubt.(……)

hysteric has also become ineffectual and has largely disappeared (see Boltanski and Chiapello 2007). Where the master-signifier disappears or goes underground, the politics of the hysteric disappears insofar as it loses its target and no longer knows where to turn.(Levi R. Bryant)

・歴代の経団連会長は、一応、資本の利害を国益っていうオブラートに包んで表現してきた。ところが米倉は資本の利害を剥き出しで突きつけてくる……

・野田と米倉を並べて見ただけで、民主主義という仮面がいかに薄っぺらいもので、資本主義という素顔がいかにえげつないものかが透けて見えてくる。(浅田彰 『憂国呆談』2012.8より)
if the decline of the discourse of the master is not simply a fall into social psychosis but the emergence of a new form of social relations, we can expect that other discourses, other social relations, will emerge to respond to the precariousness of the contemporary social structure. (『Žižek’s New Universe of Discourse: Politics and the Discourse of the Capitalist』Levi R. Bryant)


「主人のディスクールから資本家へのディスクールへ」のヴァリエーションとしては、

・神経症のディスクールから、ふつうの精神病のディスクールへ
・欲望のディスクールから、欲動(享楽)のディスクールへ
・自我理想のディスクールから、猥雑な超自我のディスクールへ

などが挙げられる。

ようするにシロウトの気楽な思いつきで挙げているだけなのは断わるまでもないが、やはり誤解を招くかもしれないので、断わっておく。しかもジジェクやその朋友たちは資本の論理への言及はふんだんにあるのだが、なぜか資本家のディスクールへの言及は不思議にないのだ。

まるでホームズの対話(『白銀号事件』)を思い出させるかのようだ。

「そのほかに何か、私の注意すべきことはないでしょうか」
「あの晩の、犬の不思議な行動に注意なさるといいでしょう」
「犬は何もしなかったはずですが」
「そこが不思議というのです」とホームズは言った。

これが、探偵が殺人犯を捉えるやり方だ。殺人犯が消せなかった行為の痕跡を見つけ出すことによってだけでなく、痕跡がないこと自体を痕跡として捉えることによって、犯人を捕まえるのである。したがって、「知っているはずの主体」としての探偵の機能を、次のように規定することができようーーー犯行現場にはさまざまな手がかりが含まれている、つまり(精神分析過程における分析主体の「自由連想」のように)明白なパターンを欠いた無意味な細部が散乱しているが、探偵は、彼がその場にいるというただそれだけで、それらすべての細部が遡及的に意味を得るであろうことを保証するのである。いいかえれば、探偵の「全知」は転移の結果である(探偵にたいして転移関係にある人物は、何よりもなず、ワトソンに類する助手である。助手は探偵に情報を提供するが、助手自身にはその情報の意味がまったくわからない)。そして、「意味を保証する者」としての探偵のこの特別な立場を出発点にすることによってはじめて、われわれは探偵小説の循環的構造を明らかにすることができるのである。(ジジェク『斜めから見る』)

ーーもちろんこれもなかば冗談であるぜ。

あだしごとはさておき。

上に、《自我理想のディスクールから、猥雑な超自我のディスクールへ》としたが、ここでの「自我理想」は象徴界、「超自我」は現実界とする解釈でのものである(フロイト的な自我理想≒超自我ではなく)。

ーー《楽しみを強制するものはない。超自我を除いて。超自我は享楽の命令である。「楽しめ!」》(「セミネールⅩⅩ」)

ラカンはここでは享楽と超自我の間に等号をおいている。もともと《超自我とは、われわれに無理な要求を次々と突きつけ、われわれがその要求にこたえられないのを大喜びで眺めている、残酷でサディスティックな倫理的審級であり、ここでの楽しむというのは、自分の自発的傾向に従うことではなく、むしろ、いわば気味の悪い、歪んだ倫理的義務としておこなうものである》(ジジェク『ラカンはこう読め』)。

フロイトは、主体を倫理的行動に駆り立てる媒体を指すのに、三つの異なる術語を用いている。理想自我、自我理想、超自我である。フロイトはこの三つを同一視しがち、……だがラカンはこの三つを厳密に区別した。

<理想自我>は主体の理想化された自我のイメージを意味する(こうなりたいと思うような自分のイメージ、他人からこう見られたいと思うイメージ)。

<自我理想>は、私が自我イメージでその眼差しに印象づけたいと願うような媒体であり、私を監視し、私に最大限の努力をさせる<大文字の他者>であり、私が憧れ、現実化したいと願う理想である。

<超自我>はそれと同じ媒体の、復讐とサディズムと懲罰をともなう側面である。

この三つの術語の構造原理の背景にあるのは、明らかに、<想像界><象徴界><現実界>というラカンの三幅対である。理想自我は想像界的であり、ラカンのいう<小文字の他者>であり、自我の理想化された鏡像である。自我理想は象徴界的であり、私の象徴的同一化の点であり、<大文字の他者>の中にある視点である(私はその視点から私自身を観察し、判定する)。超自我は現実界的で、無理な要求を次々に私に突きつけ、なんとかその要求に応えようとする私の無様な姿を嘲笑する、残虐で強欲な審級であり、私が「罪深い」奮闘努力を抑圧してその要求に従おうとすればするほど、超自我の眼から見ると、私はますます罪深く見える。見世物的な裁判で自分の無実を訴える被告人についてのシニカルで古いスターリン主義のモットー(「彼らが無実であればあるほど、ますます銃殺に値する」)は、最も純粋な形の超自我である。

これらの厳密な区別から、ラカンにとって、超自我は「その最も強制的な要求に関しては、道徳意識とはなんの関係もありません」。それどころか超自我は反倫理的な審級であり、われわれの倫理的裏切りの烙印である。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

そして資本の欲動とはこのようなものである。

資本主義の「正常な」状態は、資本主義そのものの存在条件のたえざる革新である。資本主義は最初から「腐敗」しており、その力をそぐような矛盾・不和、すなわち内在的な均衡欠如から逃れられないのである。だからこそ資本主義はたえず変化し、発展しつづけるのだ。たえざる発展こそが、それ自身の根本的・本質的な不均衡、すなわち「矛盾」を何度も繰り返し解決し、それと折り合いをつける唯一の方法なのである。したがって資本主義の限界は、資本主義を締めつけるどころか、その発展の原動力なのである。まさにここに資本主義特有の逆説、その究極の支えがある。資本主義はその限界、その無能力さを、その力の源に変えることができるのだ。「腐敗」すればするほど、その内在的矛盾が深刻になればなるほど、資本主義はおのれを革新し、生き延びなければならないのである。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)

たとえば、3.11以後の除染ビジネスは己れの内在的矛盾を取り込む資本の「死の欲動」の典型的な現象であろう。

ラカンは「エクリ」のなかで、《すべての欲動は、実質的に、死の欲動であるevery drive is virtually a death drive (Ec, 848)》、と書いている。

フロイトの「死の欲動」(……)。ここで忘れてはならないのは「死の欲動」は、逆説的に、その正反対のものを指すフロイト的な呼称だということである。精神分析における死の欲動とは、不滅性、生の不気味な過剰、生と死、生成と腐敗という(生物的な)循環を超えて生き続ける「死なない」衝動である。フロイトにとって、死の欲動といわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動であり、この衝動は、その衝動を抱いている生体の自然な限界を超えて、その生体が死んだ後まで生き続けるようにみえる。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

「死の欲動」とは、ジジェクが別の書(『斜めから見る』)で語っている例をあげれば、アンデルセンの童話「赤い靴」でもある。少女が赤い靴を履くと、靴は勝手に動き出し、彼女はいつまでも踊り続けなければならない。靴は少女の無制限の欲動ということになる。

……ラカンが言わんとしたのは、欲動の真の目的はその終点(充分な満足)ではなく、その目標である。欲動の究極的目標は、たんに欲動それ自身が欲動として再生産されること、つまりその循環的な道に戻り、いつまでも終点に近づいたり遠ざかったりしつづけることである。享楽の真の源泉はこの閉回路の反復運動である。(カオス理論における「ストレンジ・アトラクター」とラカンの<対象a>  ジジェク



さてすこしまえに戻って、再度くり返せば、主人の死などはとっくの昔に起っているとするフーコーや蓮實重彦の言葉がある。もちろんマルクスの『資本論』がなにを語っているのかは、わたくしの場合寡聞にしろ、岩井克人や柄谷行人、ジジェクの言葉から窺われるし、Bryantの論文Žižek’s New Universe of Discourse: Politics and the Discourse of the Capitalist』にもマルクスの引用が比較的豊富である。

蓮實重彦の挑発を口真似すれば、いまごろとやかくいうのは、《王殺しなどかつて起りはしなかったかのごとくに振舞いながら、記憶喪失に徹》していたためだ、と。あるいは、どうしてマルクス、ニーチェ、フロイトの三幅対のあと一世紀も経て、「主人」などと呑気なことを語っているのか、としてもよい。


※参考:ドゥルーズのマゾッホ論に附された蓮實重彦の小論「問題・遭遇・倒錯」より(1973)。


人は、新たな思想家の登場に立ちあるごとに、その思想家の思想を一つの疑問符として想定し、その疑問を正しいコンテキストの中に据えてこれを把握しようとする仕草に馴れ親しんでいる。だが、巨大なる疑問符が消滅した以後の白々とした地平には、もはや疑問符が疑問符たりうる条件は残されていないのだから、それが不毛な試みであることは自明の理でありながら、あえて不可能と戯れようとする意図からではなく、ただ驚くほかはない楽天的な姿勢で、新たな思想家の思想を解明しようと躍起になる。それが、「神の死」を徹底した虚構だといいはる人びとによって遂行されるのであればまだ救われもしようが、「神の死」はおろか、「不条理」を、フーコーの「人間の死滅」を当然のこととしてうけ入れている人びとの口からもれてくるもっともらしい言葉であったりすると、それこそ絶句するほかはない。なぜならそれは、「神の死」を無造作に口にしながら、しかも「神の死」をひたすら隠蔽せんとする無意識の仕草にほかならないからである。そんな仕草があたりにまき起こすものはといえば、疑問符の消滅を前にする存在が捉えられる失語症をめぐって、その徹底した絶句だけをこれまた徹底した饒舌によって註釈している無自覚な言葉の崩壊である。ミシェル・フーコーの『知の考古学』が途方もなく読みにくいのは、まさに絶句そのものをなぞろうとする言葉たちが、言葉の輪郭を極端に曖昧にし、その内実を可能なかぎり希薄にしようとしているからにほかならず、それ故にこそあの書物は、たとえようもなく美しいのだ。だからフーコーは、難解な思想を語る難解な思想家なのではない。巨大なる疑問符の消滅とともに、思想も思想家も消滅したという事実を、シュペーグラー流のあのうぬぼれきった饒舌によってではなく、最も絶句に近くあろうとする言葉たちの沈黙との戯れによって、身をもって示しているからにほかならない。






2013年12月25日水曜日

大学人のディスクール(ジジェク=ラカン)の備忘

ラカンの四つのディスクールのうちのひとつ、「大学人のディスクール」の精確な意味を、おまえさんたち阿呆は、まったくわかってないぜ、とジジェクはいう。阿呆のうちの一人としてもう少しわかってみようとしよう。

ラカンは「大学」ということによって教育機関の「大学」のことを言っているのではない、あるいはその機関内で解釈学に汲々としている連中のことを言っているのではない、と。まあここまでは基本的な確認だ。

ところで、ラカンは大学人のディスコースの純粋な典型は、ソビエト連邦のそれだ、といっているらしい。つまり意にそわない者を追放、除名するシステムだ。日本でなら、「大学人のディスコース」は、大学機関のそれだけではなく、そこらじゅうにある「インテリ村社会のディスコース」とも呼べよう。

ここでキルケゴールやニーチェ、ベンヤミンの名がでてくるが、ニーチェ以外は寡聞の身なので、日本における「大学人のディスコース」の追放ぶりを示しておこう。

たとえば岩井克人の名著『貨幣論』は、「あんなものは学問とはいえない」などと、学会人から無視されてしまったり、柄谷行人はかつて自ら次のようにつぶやいている。

(文学の話のあとに:引用者)哲学とか、社会科学の領域でも同じですね。読む人はいても、たとえば、僕の名前は出さないわけね、アカデミックじゃないということで。どうもそういうことがあるらしい。僕は人から聞いたけれども、どんなに影響を受けても僕の名前を出してはいけないそうです。僕の名前を出せる人は相当偉い人らしい(笑)。『闘争のエチカ』(1988)

冒頭に書かれたジジェクの言葉は実際は次の通り。

Although Lacan's notion of "university discourse" circulates widely today, it is seldom used in its precise meaning (designating a specific "discourse," social link). As a rule, it functions as a vague notion of some speech being part of the academic interpretive machinery. In contrast to this use, one should always bear in mind that, for Lacan, university discourse is not directly linked to the university as a social institution-for example, he states that the Soviet Union was the pure reign of university discourse. Consequently, not only does the fact of being turned into an object of the university interpretive machinery prove nothing about one's discursive status-names like Kierkegaard, Nietzsche, or Benjamin, all three great antiuniversitarians whose presence in the academy is today all-pervasive-demonstrate that the "excluded" or "damned" authors are the IDEAL feeding stuff for the academic machine. Can the upper level of Lacan's formula of the university discourse - S2 directed toward a - not also be read as standing for the university knowledge endeavoring to integrate, domesticate, and appropriate the excess that resists and rejects it? (Jacques Lacan's Four Discourses Slavoj Zizek

「飼い馴らし」domesticateについては、ジジェクが以前、『斜めから見る』で書いた説明があるので「主人のディスクール」の説明とあわせてここに付記しよう(ほかのふたつ、ヒステリーと分析家のディスクールはここでは割愛。やや詳しくは「資料:ラカンの幻想の式と四つの言説」の後半)。





【主人の言説】
第一の型、すなわち主人の言説では、あるシニフィアン(S1)が、別のシニフィアン、あるいはもっと正確にいえば他のすべてのシニフィアン(S2)のために主体(S/:斜線のS)を表象する。もちろん問題は、この表象作用の作業が行われるときにはかならず、小文字のaであらわされる、ある厄介な剰余残余、あるいは「排泄物」を生み出してしまうということである。他の言説は結局、この残余(有名な<対象a>と「折り合いをつけ」、うまく対処するための、三つの異なる企てである。


【大学(人)の言説】
大学の言説は即座にこの残滓をその対象、すなわち「他者」とみなし、それに「知」のネットワーク(S2)を適用することによって、それを「主体」に変えようとする。これが教育のプロセスの基本論理である。「飼い慣らされていない」対象(「社会化されていない」子ども)に知を植えつけることによって、主体を作り出すのである。この言説の「抑圧」された真実は、われわれが他者に分与しようとする中立的な「知」という見かけの背後に、われわれはつねに主人の身振りを見出すことができるということである。

結局、ラカンの四つのディスクールにおいて最も見逃してならない大切なことのひとつは、話し手の審級の下にある隠されている真理(左下、「大学人の言説」であるならば、S1(主人)の権力・支配欲ということになる)であり、それがディスクールの真の動因なのだ。




もちろんジジェク自身、「政治」「経済」あるいは「精神分析」などの領野で、その多寡は別にして、岩井克人や柄谷行人(すくなくともかつての)と同じような憂き身にあっているということがいえるだろう。



2013年12月24日火曜日

ラカンの資本家のディスクールと資本主義の世界のディスクール

以前、ラカンの四つのディスクール(あわせて資本家のディスクール)をめぐってメモしたときに、次の文に行き当たって印象に残っている。


資本家(主義者)のディスクールについて、ラカンがイタリアで講演したときにちょっと触れているのですが、資本家のディスクールについて聞いたことある人、いますか?これを誤って「資本主義のディスクール」と翻訳している人もいるようです。資本主義そのものは喋りません(笑)。ラカンのいう Discours capitaliste もしくは Discours du capitaliste は「資本主義のディスクール」ではない。発話の主体は人でなければなりません。四つのディスクールを見れば分かることですが、主人、大学人、ヒステリー(症者)、分析家はいずれも人です。ですから資本家のディスクールもしくは資本主義者のディスクールといわなければなりません。Discours du capitaliste、capitaliste というのは、資本家です。理論面に重きを置けば資本主義者といい換えても構いませんが「資本主義のディスクール」ではありません。

ところで若きラカン派の俊英である松本卓也氏が資本主義のディスクールについて何らかの論文を書いたそうで、その直後に次のようにツイートしている。

ちなみに「資本主義のディスクール」の訳語に関しては、ラカン自身の記述がdiscours capitaliste/discours du capitaliste/discours du capitalismeの3つで揺れていることと、エージェントとしての「資本家」よりもシステムとしての「資本主義」(つまり、誰か黒幕がいるわけではない)のことを述べているようにしか見えないことからして、「資本主義のディスクール」という訳語を採用しています。


彼は三十歳になったばかりだが、ラカン派ということにだけ限らず、若手の書き手のなかではもっとも期待される人物のひとりだろう。わたくしは以前彼のブログやそこに紹介されている『ファルスの意味作用』(ラカン)の解説やらラカンの娘婿のジャック=アラン・ミレールの翻訳(おそらく多くは彼自身の訳による)をかなり熱心に読んだ。もっとも難解なところは端折る気楽な読者としてではあるが。

その論文を読んでいないものが無闇に賞讃書評を引用するのもどうかと思うが、『現代思想』6月号(特集フェリックス・ガタリ)掲載の松本卓也氏の「人はみな妄想する-ガタリと後期ラカンについてのエチュード」についてこんな評価がある。

《このように論じる論者は少なくとも日本の「ドゥルーズ・ガタリ派(研究者)」にはほとんどいなかった。今さらいっても仕方がないけれども、ラカンとの「精神療法」の捉えかたの親近性(及び差異)を検討することなくガタリを語っても、ガタリの「実践者」、「運動家」としての実像には迫れない。また、この論文でドゥルーズ・ガタリの『アンチ・オイディプス』のあまりに「品の悪い」精神分析批判(それに基く資本制批判)に基いた、これまでの歪んだ理解はだいぶ矯正されるでしょう》と書かれたあと次のようにある。

松本論文は、ラカンの発言の含意-とりわけ70年代ラカン-を的確におさえることで、ガタリの問題意識の優れたところを見事に引き出してくれています。次の指摘などはその白眉でしょう。「60年代のラカン理論では、対象aは自由の機能を担う「分離」と関わっていたが、そこで得られる自由は、「自由か死か」のどちらかを選ばされた際に、自分が自由であることを示すために死を選ぶような強制的な選択(疎外)という不自由性を前提とした括弧つきの自由であった。いわば、対象aは因果性の安全装置の役割を担っていたのである。一方、ガタリの機械-対象aは、因果性のなかの爆弾であり、そのような自由とはまったく異なる自由をもたらす。機械の本質は「因果性の切断としての一つのシニフィアンが離脱すること」であると述べている。つまりガタリは、因果性を切断する機能を機械-対象aの中に読み込んでいるのだ」(P116、著者の傍点省略)、並びに「ガタリは、意味作用を生産するようなプラス方向の解釈とは反対に、数学において用いられるような無意味性を特徴とする記号を重視する(記:まさに『分裂分析的地図作成法』はその典型である)。つまり、患者の語りの意味作用を支えていたシニフィアンを削り取り、「記号を墓から「掘り起こす」ことを目指すのである。すなわち、スキゾ分析は精神分析の解釈とは反対に、意味作用をマイナスの方向に向かわせる。後に、ガタリはこの方向性を非シニフィアン的記号論と名づけ、現実界を取り扱うことが可能な理論として位置づけている」(P120、著者の傍点省略)という論述は全てを言い当てている。対象a をめぐる両者の、理解の同質性(差異)の指摘により、ガタリが特異性の臨床-集団的アジャンスマンを強調する意味合いがそこからよく見えてくる。また、松本論文で、オイディプス的な主体の問題を過度に強調する旧来のラカン認識には抵抗感を覚えていた僕にはその点でもスッキリしたところがあり、両者のつながるところがよくわかった感じです。

さて資本家のディスクールと資本主義のディスクールの話に戻れば、冒頭の藤田博史氏の文にめぐりあって、以前すこし調べてみようとしたことがある。調べるといっても、インターネット上にて日本語による言及が少なければ、仕方なしに英語文献のみを探る程度だが。

ところで、ジジェクには、あれだけ数多く資本の論理、その死の欲動面について語っていながら、不思議に、資本主義、あるいは資本家のディスクールについての言及は見当たらない。ジジェクの朋友ジュパンチッチには四つのディスクールをめぐるすぐれた論文(『Zupancic-When-Surplus-Enjoyment-Meets-Surplus-Value.pdf』)があり、そこで「主人の言説」の凋落以降の時代、「大学人の言説」を資本の論理に結びつけているが、資本主義のディスクールへの直接の言及はない。

そんななか、Levi R. BryantInternational Journal of Žižek Studies, Vol 2, No 4 (2008)にて書く、ジジェクのディスクールの審級(agentへの問いから始る論Žižek’s New Universe of Discourse: Politicsand the Discourse of the Capitalistにめぐり合った。

Bryantはなんと六つのユニヴァース(二十四のディスクールのパターン)に分けている。

Throughout this paper I distinguish between discourses and universes of discourse. A discourse is an individual structure such as the discourse of the master, the analyst, the hysteric, or the university. As Lacan attempts to demonstrate, the discourse of the hysteric, analyst, and university are permutations of the discourse master found by rotating the terms of this discourse clockwise one position forward. A universe of discourse, by contrast, is a set of structural permutations composed of four discourses taken together. Based on the four terms Lacan uses to represent the variables of any discourse, there are 24 possible discourses. However, these discourses form sets of permutations, such that there are only six possible universes of discourse. For a brief account of Lacan's discourse theory and the six universes of discourses consult the appendix to this paper on page 53.

ここですべてを示すことはしないし、Bryantは主人のユニヴァースと資本主義のユニヴァースの説明をしているだけだ。そしてわたくしにはいまだ瞭然としない箇所もある。

だが、すくなくともこの議論は藤田博史氏と松本卓也氏の二者の主張に折り合いをつけるのではないか。

ディスクールとは本来、個人のものだから、資本主義のディスクールとしたら奇妙だ。だが主人のユニヴァースと資本主義のユニヴァースということはできる。

Bryantの議論は、「父性的な象徴権威の弱体化」の時代の新たなユニヴァースとして、「主人」から「資本主義」の世界への移行があると読み取ることができる。

今日の世界が「<エディプス>の斜陽」(父性的な象徴権威の弱体化)の時代であると叫ばれるとき、その批判の内実が何を指しているのかを問えば、答えはまさに、「全体主義」国家の政治的<指導者>像から、自分の娘へのセクシャル・ハラスメントに手を汚す父親像まで、「原初の父」の論理に従って機能する人物像への回帰現象となるのである――それは、なぜか?「穏やかな顔」を覗かせる象徴の権威が機能不全に陥ってしまったとき、先細りする欲望が中途で頓挫する事態を回避する、つまり、本性的な欲望の不可能性を隠蔽する唯一の方法として残されているのは、欲望が達成できない根本原因を、原初の享楽者を意味する専制的な人物像に特定することなのだ。われわれが愉しむことができないのは、あの男が享楽の一切合切を独り占めしてしまうからに他ならないから、と……。(ジジェク『厄介なる主体』)

ここでジジェクがいう「父性的な象徴権威の弱体化」の時代の主人とは、「原初の父」、あるいは「享楽の父」の主人なのであり、現在ラカン派内では、二〇世紀の神経症の時代から二一世紀のふつうの精神病(あるいはふつうの倒錯)の世界へなどと語られるが、その推移も「主人の言説」の時代から、「資本家の言説」の時代へ、というふうにも捉えられる。あるいは「欲望」の言説から「欲動(享楽)」の言説としてもよいし、「自我理想」の言説から「超自我」の言説としてもよい(ここでの超自我は、フロイト的な自我理想≒超自我のそれではなく、後期ラカン的な《楽しみを強制するものはない。超自我を除いて。超自我は享楽の命令である。「楽しめ!」》(「セミネールⅩⅩ」)の文脈上の「超自我」:参照「父なき世代(中井久夫)」)。それの具体的な現われは次のようなことだ。

・歴代の経団連会長は、一応、資本の利害を国益っていうオブラートに包んで表現してきた。ところが米倉は資本の利害を剥き出しで突きつけてくる……

・野田と米倉を並べて見ただけで、民主主義という仮面がいかに薄っぺらいもので、資本主義という素顔がいかにえげつないものかが透けて見えてくる。(浅田彰 『憂国呆談』2012.8より)

まがりなりにも理念というオブラートに包んで表現する時代が主人のディスクールの時代であり、資本主義という素顔が露骨にみえる時代が資本家のディスクールの時代としてよいのではないか。

いま主人の言説、資本家の言説として、あえて主人のユニヴァース、資本主義のユニヴァースとしなかったのは、次のジジェクの示唆による。

ジジェクの90年代初頭の四つの言説をめぐる論では次のような説明がなされている。

第一の型、すなわち主人の言説では、あるシニフィアン(S1)が、別のシニフィアン、あるいはもっと正確にいえば他のすべてのシニフィアン(S2)のために主体(S/:斜線のS)を表象する。もちろん問題は、この表象作用の作業が行われるときにはかならず、小文字のaであらわされる、ある厄介な剰余残余、あるいは「排泄物」を生み出してしまうということである。他の言説は結局、この残余(有名な<対象a>と「折り合いをつけ」、うまく対処するための、三つの異なる企てである。(『斜めから見る』)

すなわち主人の言説が語られるとき、それは主人のユニヴァース(象徴的権威没落以前の)の四つの言説の代表とする。そして資本家の言説が語られるとき、それは資本主義のユニヴァースの四つの言説の代表とする。Bryantの議論からはそういう捉え方ができる。もっともこの議論は、上に掲げたジュパンチッチの論文『When Surplus Enjoyment Meets Surplus Value』では、享楽の父の言説の役割をするのは「大学人の言説」という主張とは相反するが、わたくしにはBryantの議論のほうが目から鱗が落ちた気分にさせられる。

Bryantによる主人のユニヴァースと資本主義のユニヴァースのそれぞれの四つのディスクールは次の如し。









資本主義のユニヴァースには、「資本家」、「生権力〔者)」(フーコーの概念から)、「批評理論(家)」、「非物質的な生産(者)」(すなわちサービス産業など)の四つのディスクールがあるという考え方である。

このあたりはいまだよくわからない(納得できない)ところもあるのでこれ以上は書かない。

そもそもわたくしのこれらの関心は、人はなんのディスクールで語っているのだろうかという問いが、どうしてもラカンの四つのディスクールをめぐって考えていると、浮ばざるをえないということからだ。

<彼>は大学人(インテリ)のディスクールで語っているのだろうか、それならば隠されているものは、主人であり支配・権力であるだろうとか(上の図のそれぞれの左下の部分が話し手の「真理」であり、それは抑圧されてもいるが発話の真の動因でもある)、《the paranoid subject is looking for followers and believers.》《the paranoiac who is most in need of an audience such as a group, in order to "keep his sanity,》(参照:「私はあなたを愛しています」)と語られるとき、どうもこの主張はいままでの主人のユニヴァースの四つの言説にはあたはまらないな、とかの問いだ。


たとえば、この後半のポール・ヴェルハーゲの指摘は、ナルシスティックなパラノイドパーソナリティ(自らの主張に絶対的な信認をおく主人S1)は、ヒステリー症者$を求めるということであり、上の生権力S1→$にあてはまるということになるのか、云々。

ところで、<あなた>のブログやツイッター上のディスクールは、どのタイプだろうか、ーー人はそれくらいの問いがたまには各人あってもよい。ただ情報を流しているだけ? では、《情報ということ、それは命令》(ハイデガー)やら、《堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落だ》(ジル・ドゥ ルーズ)をどう捉えるべきか。

誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできま す。いいかえれば、彼のメタ-言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)

たとえばジジェクによれば、ラカンはセミネールではヒステリー症者として語っており、エクリでは分析家として語っているという。

ラカンのセミネールとエクリの関係は、治療における被分析者と分析家の関係に似ている。

セミネールでは、ラカンは被分析者としてふるまう。すなわち「自由連想し」、即興で語り、飛躍したり跳躍したりしながら、聴衆に語りかける。そのため聴衆のほうはいわば集合的な分析家の役割を負わされる。

これと比べ、彼の書いたものはひじょうに濃縮されていて、公式的である。時には託宣のような不可解で曖昧な命題を投げつけ、それに取り組んで明快な命題に翻訳し、適切な例を挙げ、その意味を論理的に証明しろ、と読者を挑発する。通常の学問的な手続きにおいては、著者が命題を公式化し、さまざまな議論によってそれを裏付けるわけだが、それとは対照的にラカンはしばしばこの仕事を読者に委ねる。いやそれだけでなく、読者は、ラカンが次々に繰り出す互いに矛盾した命題の中から、どれがラカンの本当の命題なのかを決めなくてはならず、託宣のような公式の真意を忖度しなければならない。そうして厳密な意味において、ラカンのエクリは分析家による介入のようなもので、その目的は、被分析者に既製の意見や陳述を提供することではなく、被分析者を働かせることである。(『ラカンはこう読め!』巻末「読書ガイド」より)

向井雅明氏もラカンはセミネールにおいて、ヒステリーの主体として語っているとしている(精神分析のためのグループについて)。

ラカンは、「教育の場において私は分析主体analysantとして在る」と述べている。教育の場、すなわち自ら設立したグループのなかでも分析主体として作業すると言っているのだ。

 分析主体analysantとして在るというのは、まず分析家analysteとしてではないということである。つまり相手に作業をさせるのではなく、自分自身が作業するのだ。それはまた支配者という、他人に何かを命令する立場でもない。四つのディスクールにしたがって大学のディスクールを取りあげると、知を携えてそれを誰かに教え込む者としてでもないのだ。(……)

ラカンは、知を発見していく分析主体はヒステリー的存在である、と述べている。精神分析の主体、「ヒステリー的主体」は科学から排除された主体であり、科学のディスクールはヒステリーのディスクールと共通しているということを踏まえれば、知を追求するという立場としてヒステリーがやって来るというのは何らふしぎではない。この点からするとラカンが知を発見していくために分析主体=ヒステリーとして在るというのはうなずける。

このあたりの問いが資本主義のディスクールの四つの言説を加えることで、新たな思いを馳せることができる。ちなみにBryantは、ジジェクのディスクールは資本主義のユニヴァースにおける「批評理論(家)」のディスクールとしている。


…………

補遺:上に引用されたジジェクの『斜めから見る』より。

忘れてはならないのは、この四つの言説の母体は、コミュニケーションにおける四つの可能な位置の母体だということである。われわれはここでは、意味としてのコミュニケーションの領域の内側にいる。これらの用語のラカン的概念化に含まれたあらゆるパラドックスにもかかわらず、いやそれゆえにこそ、そうなのである。

もちろんコミュニケーションは逆説的な円のように構造化されている。その円の中では、送り手は受け手から自分自身のメッセージを反転された真の形で受け取る。つまり、われわれが言ったことの意味を決定するのは、外部にいる<他者>である(その意味で、S1に遡及的に意味を授ける真の主人のシニフィアンはS2である)。

象徴的コミュニケーションにおいて主体間を循環するものは、もちろん究極的には欠如・不在そのものであり、その不在が、「ポジティブな」意味が生成される空間を切り開くのである。だがこれらはすべて、意味としてのコミュニケーションの領域に内在するパラドックスである。無意味のシニフィアンそのもの、「シニフィエなきシニフィアン」こそが、他のすべてのシニフィアンの意味が可能になるための前提条件である。忘れてはならないことは、われわれがここで問題にしている「無意味」は意味の領域にとって厳密に内的なものであり、それは内部からその領域を「切断する」ということである。(注)
注)……「意味としてのコミュニケーション」である。なぜなら、両者は究極的には重なり合う。循環する「対象」は意味である(無意味・意味の欠如とというネガティブな形での)、というだけではない。問題はむしろ、意味そのものはつねに間主観的であり、コミュニケーションの円環を通して構成されるということである(他者、すなわち受け手が、私が言ったことの意味を遡及的に決定するのである)。

この記事に書かれた文脈では、次の<一者>は考慮されていない。松本論文のガタリへの言及はこれにかかわるのか、とも思われるが、その論を読んでいないわたくしには、不明。
しかしラカンの晩年のすべての努力の目的は、この意味としてのコミュニケーションの領域を突破することである。ラカンは、明確で論理的に純化されたコミュニケーションおよび社会的束縛の構造を確立した後、四つの言説を経て、ある「自由浮遊の」空間の輪郭を描く作業にとりかかった。その空間内では、シニフィアンは言説による束縛、すなわち分節に先行する。それは、社会的束縛という「物語」に先行する「先史」の空間、つまり、言説のネットワークを擦り抜けるある精神病的な核の空間である。このことは、ラカンの『セミネールⅩⅩ(encore)』に見出される網ひとつの予期せぬ特徴を説明するのに役立つ。その予期せぬ特徴とは、シニフィアンからシーニュ(記号)への移行と同様の、<他者>から<一者>への移行である。

※四つのディスクールは、もともとフロイトの最晩年の著作におけるみっつの「不可能な職業」+愛(欲望)から導きだされていることをここで想いだしておこう。

分析治療を行うという仕事は、その成果が不充分なものであることが最初から分り切っているような、いわゆる「不可能な職業」といわれるものの、第三番目のものに当たるといえるように思われる。その他の二つは、教育することと支配することである。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』)

…………

※附記

ジジェクの比較的新しい(2012)四つの言説への言及。

S1、S2を男性の論理、$、a を女性の論理と関連付けて語っている。

“THERE IS A NON‐RELATIONSHIP” 

So, to conclude, one can propose a “unified theory” of the formulae of sexuation and the formulae of four discourses: the masculine axis consists of the master's discourse and the university discourse (university as universality and the master as its constitutive exception), and the feminine axis of the hysterical discourse and the analyst's discourse (no exception and non‐All). We then have the following series of equations:

S1 = Master = exception   S2 = University = universality

$ = Hysteria = no‐exception     a = Analyst = non‐All

We can see here how, in order to correlate the two squares, we have to turn one 90 degrees in relation to the other: with regard to the four discourses, the line that separates masculine from feminine runs horizontally; that is, it is the upper couple which is masculine and the lower one which is feminine. The hysterical subjective position allows for no exception, no x which is not‐Fx (a hysteric provokes its master, endlessly questioning him: show me your exception), while the analyst asserts the non‐All—not as the exception‐to‐All of a Master‐Signifier, but in the guise of a which stands for the gap/inconsistency. In other words, the masculine universal is positive/affirmative (all x are Fx), while the feminine universal is negative (no x which is not‐Fx)—no one should be left out; this is why the masculine universal relies on a positive exception, while the feminine universal undermines the All from within, in the guise of its inconsistency. This theory nonetheless leaves some questions unanswered. First, do the two versions of the universal (universality with exception; non‐All with no exception) cover the entire span of possibilities? Is it not that the very logic of “singular universality,” of the symptomatic “part of no‐part” which stands directly for universality, fits neither of the two versions? Second, and linked to the first, Lacan struggled for years with the passage from “there is no (sexual) relationship” to “there is a non‐relationship”: he was repeatedly trying “to give body to the difference, to isolate the non‐relationship as an indispensable ingredient of the constitution of the subject.”……(資料:ラカンの幻想の式と四つの言説

このジジェクの見解は、向井雅明氏のかなりまえの論文(1995)だが、ヒステリーを男性の論理とする見解と相反する。

ヒステリーは例外的な位置を占め、自らいかなるシニフィアンによっても決定されない不確定性に固執し、 それを強い自我となすのである。

ラカンの『主体の転覆』 のテクストにはこうある―― 「神経症者では (-Φ) はファンタスムの下に潜り込み、 自我に特有なイマジネーションを助長する。 なぜなら、神経症者はイマジネールな去勢を最初から被っており、それが彼の強い自我を支持しているのだ。この自我はあまりにも強いので、自分の固有名さえじゃまとなり、結局、神経症者とは名無しなのである」 。

ラカンのこのマテームは、そもそも男女の性別化を示す二つのマテームの内の男性を表わすものである。したがって、ヒステリーは女性であっても男性であっても、男性の論理のもとに行動するわけである。これはフロイトのエディプスの論理に相当するものであるから、結局、フロイトは男性の論理しか展開しなかったということになる。(向井雅明「ヒステリーの、ヒステリーのための、ヒステリーによる精神分析」――東京精神分析サークル