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2013年12月28日土曜日

襖一枚の隔てを筒抜けの隣の声(古井由吉)

……もとより、騒音の中で生きて来た者である。子供の頃には一時期、都電通りから路地を入ったすぐ奥のところに住んでいた。表を電車の通りかかるそのたびに、家は地から揺すられる。大震災よりも前の普請になる古家は内廊下のつきあたりの、手水場の窓の上で梁がはっきりと傾いていた。しかも二階を載せいてた。同じ屋根の下に何人も身を寄せいていて隣の声は襖一枚の隔てを筒抜けだった。(古井由吉『蜩の声』)

『群像』の201010月号に載った連載短篇からだが、そのあと、同じ表題にて短篇集が出ている。路地の奥の梁が傾いた古い家。隣の声が筒抜けの住い。

1977年、古井由吉の40歳のときの長篇『女たちの家』の冒頭は次のようだった。
都電通りに面して、左は色白揃いの女世帯の履物屋、右手は県人や行商人などの常客を相手の質素な旅館、どちらも奥行ばかり深い二階屋の、錆の出かけた波型トタンの壁にはさまれて、細い路地の行きづまりに、春子の家の玄関は日がな埃っぽく翳っていた。

古井由吉の小説の多くを読んでいるわけではないが、短篇作家古井由吉の数すくない初期長篇小説のひとつであり、春子は古井由吉であるといえるだろう、ボヴァリー夫人がフローベールであったのと同じ意味で。
足音が路地の途中でいったん聞こえなくなり、それから一歩一歩踏みしめるように近づいてくる客たちがあった。そんな時には春子は椅子から腰を浮かして、客のむつかしい顔をぎりぎりまで眺め、客が戸の前に立つのと同時ぐらいに奥へ逃げこむ。お客さんよ、と母親にひと言伝え、日当りの悪い庭にしゃがんで、客の帰るまでオモトの鉢などを見ている。(『女たちの家』)

耳をすまして何かひそやかなものを聴き取ろうとする古井由吉独特の官能的文体の原点のひとつは、都電通りから路地を入った傾いた家で育まれたに相違ない。1984年に上梓された評論集『東京物語考』にて、東京住まいの孤独な私小説家たちの苦難のさまを書いておかなければいけなかったのと同じように、夜なかに厠のうえの梁が傾く音に眉を顰めしまいには狂気におちいるその家の女あるじと、その老婆に寄り添う終始健気に振舞いながらの不気味な不安に慄く「春子」の話は、古井由吉の心的外傷性記憶のひとつであり、掛け替えのない、そして作家としては欠かすことのできない景色のはずである。


頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平成は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。

小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷〔ふかで〕というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。これをどう生きながらえる。たいていはしばらく、五年十年あるいは二十年三十年と、自身の業苦からわずかに剥離したかたちで生きるのだろう。一身の苦にあまり耽りこむものではない、という戒めがすくなくとも昔の人生智にはあったに違いない。一身の苦を離れてそれぞれの年齢での、家での、社会での役割のほうに付いて。芯がむなしいような心地でながらく過すうちに、傷を克服したとは言わないが、さほど歪まずとも受け止めていられるだけの、社会的人格の《体力》がついてくる。人の親となる頃からそろそろ、と俗には思われているようだ。

しかし一身の傷はあくまでも一身の内面にゆだねられる、個人において精神的に克服されなくてはならない、克服されなくては前へ進めない、偽善は許されない、という一般的な感じ方の世の中であるとすれば、どういうことになるだろう。また社会的な役割の、観念も実態もよほど薄い、個人がいつまでもただの個人として留まることを許される、あるいは放置される世の中であるとすれば。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』)

たとえば『女たちの家』とほぼ同時期に書かれた短篇「雫石」で書かれる次のような感慨は、古井由吉の幼少の砌の髑髏にかかわるだろう、それは「蜩の声」でも同様だ。

私にも二十代には、驟雨が屋根を叩いて走るのを耳にするだけで、情欲が八方へ静かにひろがり出し、命あるものであろうとなかろうと、ありとあらゆる物音にひそむ忍び笑いと忍び泣きと、それから恐怖に、はてしもなく、苦しめられる、そんな時期があった、と何とはなしに思い出した。古井由吉「雫石」『哀原』所収)



生活欲はともあれ、若い性欲が世間の活気と、もどかしく立てる唸りと、没交渉であるわけもない。だいぶ年の行ってからのこと、私と同年配の男がごく若い頃のことだがと断わった上で、今ではまともに拭きつけられれば顔をそむける車の排気のにおいも、昔はにわかに人恋しさをつのらせて、その一日の残りをやり過ごしかねたばかりに、幾度、つまらぬ間違いをおかすはめになったことか、ともらした。しばらくばつの悪そうな間を置いてから話をつないで、それよりはまたすこし前のことになるが、車が走りながら油を零していく、その油が路上に虹よりも多彩な輪をひろげて、それが玉虫色に揺れ動く、あれを見るともう、と言って笑うばかりになった。聞いて私は、においと言えば昔、二人きりになって初めて寄り添った男女は、どちらもそれぞれの家の、水まわりのにおいを、いくら清潔にしていても、髪から襟から肌にまでうっすらとまつわりつけていたもので、それが深くなった息とともにふくらむのを、お互いに感じたそのとたんに、いっそ重ね合わせてしまいたいと、羞恥の交換を求める情が一気に溢れたように、そんなふうに振り返っていたものだが、車の排気と言われてみればある時期から、街全体をひとしなみに覆うそのにおいが、家々のにおいに取って代わっていたのかもしれない、と思った。(「蜩の声」)


もっともすべての小説は本来、己れの記憶に棘のように突き刺さった傷をめぐって書かれるものであり、ましてや古井由吉のように自らの生=性(エロス)をまさぐるようにして書く作家なら、その文章から匂い立つ幼少の砌の髑髏の濃厚さは到る処にあるはずだ。不幸にも、氏の他の作品のいくつかからは、たとえば上の三作品ほどの眩暈を感じることが少ないのは、わたくしの鈍感さのなせる技か、あるいはついうっかり読み落としているだけなのだろう。


『女たちの家』、その家の二階はふた間で、学生たちがいる。部屋には友人たちがひんぱんに出入りする。
学生たちは春子の家の下宿人ではなかった。春子の一家五人の住まう六畳と八畳の間の奥に、階下では日当たりのよい六畳と四畳半の間があって、お常さんという六十過ぎの老人が古めかしい家具に囲まれて一人で暮していた。この人がこの家の主人で、春子の父親も学生の頃はこの家の下宿人だった。(『女たちの家』)

下宿人の一人に痴話騒動があって、駆落ちのようにして、病人のような蒼い顔の女を連れてきた。お常さんは呆れて怒鳴るが、川崎の仲裁で、結局、生活のメドがつくまで二人を二階のひと部屋に置くことを承知した。

ある朝二階の下宿人川崎が春子の横でねむっている。

「……どうしたの、そんなところで」
突拍子もない母親の声に春子が寝床の中で目をあけると、枕のすぐそばに大きくふやけたような男の顔がこちらを向いて眠っていた。(……)川崎は…蒲団の中から片手を哀れっぽく差し出して、口もきけぬという顔つきで、天井を何度も何度も指さした。しばらくした母親がクスクスと笑い出したかと思うと、「いやだわ」と若い娘みたいな声を立てて隣の部屋へ逃げこんだ。笑いに息たえだえの話し声が襖の陰でして、それから父親が空惚けた顔をこちらへ出した。川崎は目をあけず、まだ天井のほうをせつなそうに指先で訴えていた。
「川崎君、えらいご災難だそうだね」
「熱烈で熱烈で、はたのほうが、もう身がもたなくて」

ここにも、「蜩の声」にて、《同じ屋根の下に何人も身を寄せいていて隣の声は襖一枚の隔てを筒抜けだった》とするのと同じように、襖の向こうから母親の声、二階でも襖の向こうから駆落ちの若い男女の声に耳をすます主人公たちがいる。