私はおよそ世界観の製造などを心がけていない。そういうことは哲学者にまかせるがよい。疑いもなく哲学者というものは、あらゆる事情が書きしるしてある旅行案内をもたないと、人生の旅行ができないのである。彼らはその高次の必要性の立場から、軽蔑をもってわれわれを見下すにしても、われわれはあまんじてそれをうけよう。われわれに自己愛的な傲慢があるのは否定できないにしても、自らを慰めて、こう言いたい。これら「人生の指導者」どもは、いくばくもなく、すべて古ぼけてしまうのであって、その旅行案内の再版を余儀なくさせるのは、まさにわれわれの近視眼的にせばめられたささやかな仕事であり、かれらの最新版の旅行案内さえも、もとは、昔の便利で完全な教義問答に代わろうとしているにすぎないのだ。科学が今日まで、世界の謎に光明をあたえることが、どんなに少なかったかは、われわれとてもよく承知している。だが、哲学者のあらゆる騒音は事態を変えはしないこと、確実性を唯一の信条として追求していく忍耐づよい研究の続行だけが、徐々に変革をもたらすこと、これもわれわれはよく知っている。暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとするが、だからといって、すこしでも明るく見えてくるわけではない。(フロイト『制止、症状、不安』(1926)旧訳フロイト著作集6からだが、一箇所訳語を変更 「高級な貧困」→「高次の必要性」)
《暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとするが、だからといって、すこしでも明るく見えてくるわけではない。》
まったく異なった文脈で書かれているのだが、『ミラ・プラトー』には、《暗闇をさまよう者は、歌をうたって》カオスのなかに秩序をつくれ、とある、まるでフロイトの美しい表現を使い反フロイトの言葉を紡ぎだすかのようだ。
暗闇に幼い児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。(……)
歌はカオスからとびだしてカオスのなかに秩序をつくりはじめる。ひとりの子どもが、学校の宿題をこなすために、力を集中しようとして小声で歌う。ひとりの主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力を持たせているのだ。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「リトルネロについて」厚表紙版p359)
われわれは、リトルネロ(リフレイン)こそ、まさに音楽の内容であり、音楽にひときわ適した内容のブロックであると考える。一人の子どもが暗闇で心を落ち着けようとしたり、両手を打ち鳴らしたりする。あるいは歩き方を考え出し、それを歩道の特徴に適合させたり、「いないいない、ばあ」(Fort-Da)の呪文を唱えたりする(精神分析家は《Fort-Da》を適切に語ることができない。《Fort-Da》は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読みとろうとするからだ)。タララ、タララ。一人の女が歌を口ずさむ。「小声で、やさしく一つ節を口ずさむのが聞こえた。」小鳥が、独自のリトルネロを歌いはじめる。ジャヌカンからメシアンにいたるまで、音楽は実にさまざまな形で、小鳥の歌に貫かれている。ルルル、ルルル。音楽は幼児期のブロックによって、また女性性のブロックによって貫かれている。音楽はありとあらゆるマイノリティに貫かれているが、それでもなお絶対な力能を構成する。子供たちのリトルネロ、女たちの、さまざまな民族の、さまざまな領土の、そして愛と破壊のリトルネロ。そこにリズムが生まれる。シューマンの全作品はリトルネロや幼児期のブロックから成り立ち、そこに独自の処理がほどこされている。こうしてシューマン独自の子供への生成変化と、クララという名をもつ女性への生成変化が生まれる。子供の遊戯や子供時代の光景、そして小鳥の歌をすべて拾いあげ、音楽史上のリトルネロが示す斜線上の、あるいは横断的な用例を一覧表にまとめあげることはできるだろう。しかし一覧表など何の役にも立たない。実際には音楽にとって本質的で必然的な内容が問題となっているのに、一覧表を作ってしまうと、主題や題材のモチーフの豊富な実例に目を奪われることになるからだ。リトルネロのモチーフは不安、恐怖、悦び、愛、労働、行進、領土など、さまざまでありうる。しかしリトルネロ自体はあくまでも音楽の内容なのである。
われわれは、リトルネロが音楽の起源であるとか、音楽はリトルネロをもって始まると主張しているのではない。いつ音楽が始まるのか、実のところよくわからないのだ。それにリトルネロは、むしろ音楽を妨げ、祓いのけ、あるいは音楽なしですませるための手段ではないか。しかし音楽が存在するのは、リトルネロもまた存在するからだ。音楽は内容としてのリトルネロととりあげ、これをつかもとって表現の形式に組み入れるからだ。音楽がリトルネロとブロックをなし、それを別のところにもたらすからだ。それ自体は音楽でない子供のリトルネロが、音楽の<子供への生成変化>とブロックをなす。((同「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p344)
《精神分析家は《Fort-Da》を適切に語ることができない。《Fort-Da》は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読みとろうとする》だけでないように、ラカンは最晩年ララング概念を紡ぎだしたとしてよい。
lalangue(ララング)とはまず、喃語lalationと関連づけられ、当然、乳幼児に認められるものだが、母親がこれに加わる。母親も自分の赤ん坊には、「大人のことば」以外にも、赤ん坊が喋る喃語を真似てやはり喃語を喋る。母親は赤ん坊の欲望(ここでは、まずは、敢えて、要求とか欲求ということばを用いないで説明したい)を叶えようとする一方で、その母国語を教える。lalationからla langueへ入ってゆく、そこにlalangueができあがるとしてもよいであろう。(ラカン『ラ・トゥルワジィエーム』 La Troisième )
……一つの<線―ブロック>が音の中間を通りぬけ、位置決定が不可能な独自の環境(中間)で芽を吹くのだ。音のブロックはインテルメッツォ〔間奏曲〕である。つまり音学的組織をすりぬけ、なおさら強度の音を放つ器官なき身体、あるいは反-記憶なのである。
「シューマン的身体は一箇所にとどまることがない。(……)インテルメッツォは全作品と一体化している。(……)極言するあんら、インテルメッツォしかないのだ。(……)シューマン的身体には分岐しかない。この身体はみずからを構築していくのではなく、ただ間奏曲(休止)を積み重ね、不断の分岐を続けるのだ。(……)シューマン的鼓動は、狂乱しながらもなお、コードをそなえている。そして鼓動を刻む音の狂乱が一般には見過されがちなのは、一見したところ、この狂乱が穏当な言語の限度内に収まっているからである。(……)調性には、矛盾し、しかも共存しうる二つの面があると想定してみよう。一方にはスクリーンが、つまり既知の組織にしたがって身体を分節する言語がありながら、しかしもう一方では、矛盾したことに調性が、別の水準では馴致すべきはずの鼓動に対して、その巧みなしもべとなるのだ。」(ロラン・バルト『第三の意味――映像と演劇と音楽と』)(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p342)
◆ロラン・バルトがその晩年もっとも愛した曲のひとつ、op133の冒頭の『暁の歌』
別の観点から、次のような言い方もある。古井由吉は、カオスのなかに秩序をつくるということではなく、リアル(現実界)に直面したときに、それに耳を塞ぐために、音楽を聴くのではないか、という意味に受けとれる文章を書いている。もっともドゥルーズ&ガタリは《 リトルネロは、むしろ音楽を妨げ、祓いのけ、あるいは音楽なしですませるための手段ではないか》と書いていることを忘れているわけではない。
騒音に押し入られるままになっている人間にとって、ときたまはさまる静まりこそ、おそろしい。静まりとは言いながら内に狂躁の、おもむろな切迫のようなものをはらむ。内にふくらみかかる狂躁を出し抜くためにも、外へ向かって自分から躁がなくてはならない。取りあえず喋りまくる。人がいなければ何でもよいから音を立てる。誰もいない部屋にもどるとまずテレビをつける。まさに、沈黙を忌む、である。耳を澄ますのも、沈黙を招くおそれがあるので、よほど用心しなくてはならない。人との話によけいな間を置くのも、お互いに沈黙の中へ惹きこまれそうになるので、あぶない。
これでは耳の上げ底どころか、心の上げ底になる。道理で物を深くは感じ止められないばかりに、深く思うこともできなかったはずだ。そのことは自嘲して済ますとしても、そうなるとしかし、今の世の男女の交わりは、お互いに沈黙をふせぐための、躁がしさの交換になるはしないか。死者たちのもとまで通じるような沈黙の中へぽつりぽつりと滴る、睦言や兼言や怨言は、絶えて久しい。(古井由吉『蜩の声』)
あるいは。
音楽こそ人生の苦悶の精華ではないか。どこかで血が流れていると、響きがいよいよ冴える。
ところがたった一人の恍惚者は果てた後の沈黙を心の静かさと取り違えて、祭司みたいな手つきでレコードを替えて塵を払い、また始める。これにはよほどの神経の鈍磨が必要だ。そうそう自らを固く戒めてきたはずなのに、近頃私はまた、夜中にステレオの前に坐りこんでレコードを取っ替え引っ替え回す悪癖に馴染んでしまった。 ただ、音の流れが跡切れると、間がもてない。音が消えたとたんに、自分を囲む空間のまとまりがつかないような、物がひとつひとつ荒涼とした素顔を見せて、私を中心にまとまるのを拒むような、そんな所在なさを覚える。
しかしさいわい、音楽と私とは、相変らず折合いが良くない。一節がこちらの身体の奥へすこしく深く響き入って来ると、私の神経はたちまちざわめき立ち、音楽のほうもなにか耳ざわりすれすれのところまで張りつめ、両者は互いを憎むことにならぬようあっさり別れる。(古井由吉『哀原』赤牛ーートラウマを飼い馴らす音楽)
ある種の音楽を聴きつづけるには、《よほどの神経の鈍磨が必要》であるには相違ない。
"Why do we listen to music?": in order to avoid the horror of the encounter of the voice qua object. What Rilke said for beauty goes also for music: it is a lure, a screen, the last curtain, which protects us from directly confronting the horror of the (vocal) object.(……)
The true object voice is mute, "stuck in the throat," and what effectively reverberates is the void: resonance always takes place in a vacuum—the tone as such is originally a lament for the lost object.— ---Zizek"I Hear You with My Eyes"――「「声」と「沈黙」」
音楽が《沈黙と測りあえるほど》(武満徹)のものであるなら、つまり現実界の沈黙の声に耳をすますことを促すものであるならば、どうやって絶え間なしに聴きつづけることができよう。
たとえば、音が運動によって定義されるとすれば、
音でないものも運動によって定義されるゆえに、
音が内部であり、音でないもの、それを沈黙と呼ぼうか、
それが外部にあるとは言えない。
境界はあっても境界線はなく、
沈黙は音と限りなく接していて、
音が次第に微かになり、消えていくとき、
音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。
逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、
ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。
運動に内部もなく、外部もなく、
それと同じように運動によって定義されるものは、
内部にもなく、外部にもなく、だが運動とともにある。 だから、
「音楽をつくることは、
音階やリズムのあらかじめ定められた時空間のなかで、
作曲家による設計図を演奏家が音という実体として実現することではない。
流動する心身運動の連続が、音とともに時空間をつくりだす。だが音は、
運動の残像、動きが停止すれば跡形もない幻、夢、陽炎のようなものにすぎない。
微かでかぎりなく遠く、この瞬間だけでふたたび逢うこともできないゆえに、
それはうつくしい」
ーー高橋悠治『音楽の反方法論的序説』 「音の輪が回る」ーー音と沈黙の「地」と「図」
◆Glenn Gould PIANO SOLO(ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳)より。
彼の演奏について語ろうとしても、いくつかの言葉しか思い浮かばない。遠さ、戦慄、なにか異様なもの。彼はわれわれを試練に遭わせるーーあまりにも透明なあの音、昇華作用を経たあのピアノが耐えられないという人々をわたしは知っている。このピアノを聴くと彼らの皮膚はひきつり、指は痙攣するのだ。試練はときに恐ろしいものを含んでいる。わたしもまた、そのせいで、彼があとに残したあの無の彫刻からできるだけ離れていたいと思うことがある。
美は耐えがたいものであり、また不寛容なものでもある。美は容赦なくわれわれの視線をさぐり、音を聞こうとする耳を誘惑し、待機中の言葉をつかみかかり、電撃と緩慢さを交錯させる。美はみずから充足し、わたしたち抜きで存在するのだが、それでいて嫌になるほど執拗に呼びかけ、こちらにはわかるはずもない答えを要求する。<パルティータ>第六番の冒頭の数小節からは、あの苦痛をともなう喜び、あのわれわれを分割する瞬間的な光、リルケが語ったあの「恐るべきもののはじまり」が感じられる。完成しながら消えてゆくなにかだ。アルペジオで奏される単純な和音は、ほとんど無に近くも、安定し厳格で簡素な構造となっている。それが開かされるのは、われわれを切り開くという理由だけのことからだ。意図も計算もなく、自身をもって切りつけてくる身振りだ。メスのような冷たさで、音楽の肉体とひとつになった肉体、わたしの肉体めがけて曲線を切りつけてくるのだ。
グールドは連続と切れ目が同時に見いだされるアーティキュレーションのもとにあの数小節を弾いた。そこには長いこと気がかりを見すえ、自分自身の裂け目を真正面から受け止めようとしてきた人間の無頓着な手つきのたしかさがある。
グールドの場合には、なによりもヘルダーリンが望んだ表現の透明さ die Klarheit der Darstellungがある。このような透明な光は熱狂的な憑依体験の対極にあるわけではない。このような光は、静謐なものでもなければ抑制されたものでもない。それは奪い取ることであり、切開を意味するのだ。それでいてこの光は冷たく遠くにある。神的なるものの訪れは火、炎、煙の上がる光景を意味しない。グールドを訪れた神はヘルダーリンを訪れた神と同一である。ディオニュソスではない。熱狂的な暗闇の神ではない。アポロンであり、正しきもの、透明なるものなのだ。
だがグールドのバッハ演奏には事物の謎めいた明証性――われわれからはなにも期待せず、われわれに欲望や記憶があるとは夢にも思わないでいる事物の明証性がある。そのとき音楽は耳に聞えてくるものではなく、われわれを聞くものとなる。
グールドによるバッハの<トッカータ>の演奏はこうしたものだ。この音楽は、耳をそばだてわれわれのことを聴きながら、しかも音楽それ自身しか聴いていない。そのとき人が受け取ることになるのは、親密さをことごとくそぎ落してしまった音のもつれであり、凍てついた微かなフレーズの光であり、手が摑むのは、ひろげた両方のてのひらに入る分量の沈黙なのだ。
だが依然として音楽であるには違いない。あらゆるものにもまして力強く、あらゆるものを横断してやってくる音楽、別の時間と別の場所から洩れて聞えてくる音楽。年老いていると同時に年齢のない音楽。信じがたいほどに音楽それ自体にぴったり調和した音楽。この音楽のなかには取り返しのつかぬなにかが存在している。そのなにかが前進する。むきだしの裸であって、恩寵はやってこないだろう。なおも夜のなかの声だ。消滅に抗して発せられる声、消滅そのものの声だ。その声はなんと忍耐強く執拗なのだろう、そしてこの音楽はなんと疲れを知らぬことか、もはや歩くことができなくなったようにして足を大地に引きずり、眼を天空にさまよわせながら前進するこの音楽は。
◆ジャン・ジュネ『ジャコメッティのアトリエ』 宮川淳・訳
美には傷以外の起源はない。単独で、各人各様の、かくされた、あるいは眼に見える傷、どんな人間もそれを自分の裡に宿し、守っている。そして、世界を 去って、一時的な、だが深い孤独に閉じこもりたいときには、ここに身を退くのである。だから、この芸術と、ひとびとが悲惨主義と名付けるものとは、はるかに隔たっている。
ジャコメッティの芸術はあらゆる存在、のみならず、あらゆる事物のこの秘められた傷を見出だそうとのぞんでいる。この傷がそれらの存在や事物を照らし、輝かさんがために。私にはそう思える。
もちろん、われわれ「俗物」は、つねに彼らのようでありうるわけではないだろう。音楽や彫刻だけでなく、文学だってときには慰安の芸術が必要なのだ。
俗物(philistine)は成熟した大人であって、その関心の内容は物質的かつ常識的であり、その精神状態は彼または彼女の仲間や時代のありふれた思想と月並みな理想にかたちづくられている。(……)「ブルジョア」という言葉を、マルクスではなくフロベールの用例に従って私 は用いる。フロベールの意味での「ブルジョア」は一つの精神状態であって、財布の状態ではない。ブルジョアは気取った俗物であり、威厳ある下司である。
順応しよう、帰属しよう、参加しようという衝動にたえず駆り立てられている俗物は、二つの渇望のあいだで引き裂かれている。一つは、みんなのするようにしたい、何百万もの人びとがあの品物を褒め、この品物を使っているから、自分も同じものを褒めたり使ったりしたい、という渇望である。もう一つは排他的な場、何かの組織や、クラブ、ホテルなどの常連、あるいは豪華客船の社交場(白い制服を着た船長や、すばらしい食事)に所属し、一流会社の社長やヨーロッパ の伯爵が隣に座っているのを見て喜びたい、という渇望である。(ナボコフ『ロシア文学講義』)
「成熟した大人」であるならば、慰めばかりの音楽を選び、いつまでも聴きつづけることができるのだろう。次の文はべつに女性だけの話ではない。
女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。(三島由紀夫「反貞女大学」)
つまりはこういうことだ。
彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)
ーーもちろんここでの「凡庸」とはナボコフのいう「俗物」性のことだ。
…………
カフカは、ギムナジウム時代、ニーチェを読んでいた。《ぼくらの内の氷結した海を砕く斧》とは、たとえば、『ツァラトゥストラ』の「幻影と謎」に、《かれの心の氷が割れた》という表現がある。
[Prague]August 28 1904]
夜のこわさ。夜でないこわさ。
ひとことでいい。もとめるだけ。空気のうごきだけ。きみがまだ生きている、待っているというしるしだけ。いや、もとめなくていい。一息だけ。一息もいらない。かまえだけ。かまえもいらない。おもうだけで。おもうこともない。しずかな眠りだけでいい。……………カフカ(高橋悠治『カフカ/夜の時間』より)
ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。(カフカ 親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日)
カフカは、ギムナジウム時代、ニーチェを読んでいた。《ぼくらの内の氷結した海を砕く斧》とは、たとえば、『ツァラトゥストラ』の「幻影と謎」に、《かれの心の氷が割れた》という表現がある。
あるいは、あらあらしい断崖と断崖の間に立っていたツァラトゥストラは、喉に匐いこんだ蛇のため、《のたうち、あえぎ、痙攣し、顔をひきつらせている》若い牧人を見る、そしてツァラトゥストラの絶叫の声、《蛇の頭を噛み切れ。噛め!》――命令どおり噛み蛇の頭を吐き出したあとは次のように書かれる、《それはもはや牧人ではなかった。人間ではなかった、――一人の変容した者、光につつまれた者だった》
この箇所も同じように、《ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないか》との照合がある。
[Prague]August 28 1904]
現代ではストオリイは小説にあるだけではない。宗教もお話であり、批評もお話であると私は書いたが、政治も科学も歴史もお話になろうとしている。ラジオやテレビは一日中、料理や事件や宇宙について、甘いお話を流し続け、われわれは過去についてお話を作り上げ、お話で未来を占っている。
これらのお話を破壊しないものが、最も慰安的であるが、現実にもわれわれの内部にもお話の及ばない極地は存在する。人間はそこに止ることは出来ないにしても、常にその存在を意識していなければならない。だからこの不透明な部分を志向するお話が、よいお話である、というのが私の偏見である。(大岡昇平『常識的文学論』)