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2013年12月22日日曜日

備忘:デリダとフーコーの対象a

前投稿(ラカン派における「主体と大他者の欠如」、あるいは「疎外と分離」の覚書)に附記しようと思ったが、長すぎて割愛した箇所。


◆エリック・ローランの『疎外と分離』より。

…………


……一つの重大な争点はデリダとフーコーの対立です.デリダとフーコーの著作に詳しい方々も多いかと思いますが,その議論の概略を手短にお話して,ラカンがその議論をどう見ていたのか,そしてフーコーとデリダがラカンにどれだけ負うているのかを示そうと思います.

デリダは主体が疎外の過程を通して定義されるという事実を際立たせます.しかし,フーコーは人間の語る言葉のより深い意味は,享楽の実践(pratique de jouissance),つまりどのように享楽を得るのかという実践に関係しているということを強調しています.

デリダにとっては,つねに散種(dissemination)がありえます.つまり,つねに別の意味を見つけることができるわけです.新しいシニフィアンは連鎖のなかで新しい発展を作ることが可能であり,その結果,主体はつねに空虚や空の場所として考えられています.フーコーはデリダを形而上学的であり非決定論の立場を受け入れていると非難し,非決定性を取り除き,問題となる享楽を定義する方法を提唱しています.

こうして,1960年代に一般的であった知と権力(savoir et pouvoir)のあいだの議論が発展しましたが,この議論はラカンが定義した二つの操作によって準備されているのです.デリダはラカンのセミネールの前年,コギトと狂気の歴史についての講義のなかでフーコーを批判しています.デリダの講義は,少し前に出版されたフーコーの『狂気の歴史』に対する手厳しい批判です.フーコーは講義中は何も言いませんでしたし,『エクリチュールと差異』が出版された差異にも返答しませんでした.フーコーは1972年の『狂気の歴史』の第二版まで待ちました.この著作の最後に,デリダの批判に対する手厳しい応答をフーコーは記したのです.

フーコーの伝記(Michael Foucault, Life and Work)からの一節を引用します.ここでフーコーは自らの論点を明確にしています.フーコーはこのように言っています.

「デリダのディスクールの実践の原典主義化に隠されているものが,その形而上学やその封鎖であるとは言いません.それは言いすぎでしょうから.明白に現れているのは,テクストの外部には何もないと学生に教える小さな衒学者です.それは,テクストを際限なく繰り返すことを許可する無限の統治権を主人の声に与える教育です」

デリダは高等師範学校のもっとも有名な代表であり教師であり,また現象学を高等師範学校の哲学者に伝えた現象学の優良な教師でもあったわけですから,彼を小さな衒学者と呼ぶことはきわめて辛辣です.むしろ失礼でしょう.ここから10年間,デリダとフーコーは対話することをやめてしまいましたが,最終的に,デリダがチェコスロヴァキアで刑務所に入れられた際に状況は変わりました.デリダはチェコを訪れた際に,チェコの非国教徒の勅許状に署名した人々に挨拶をしたときにチェコ警察に捕らえられました.警察はデリダにハシシを仕掛け,彼を薬物の売人に仕立てあげ,名誉を落とし投獄したのです.フランスではデリダを解放するために大規模な抗議運動が起こり,フーコーもそれに参加しました.デリダはそのことに関して,昼食を食べながらフーコーに感謝したそうです.しかしそれは10年後のことでした.二人の間にはきわめて大きな断絶があったのです.

私はこの小休止を,ラカンがセミネールXI巻で提示した操作から導き出せることを示すためにお話しました.フーコーはゲイでしたから,人が自らの享楽について話すことは,その人の経験にかかっているということを強調しています.フーコーは自らの理論がある意味では自らの性的実践の理論であることに気づいており,それを倒錯やそれに類似の何かとして単純に攻撃することはできません.それはむしろ,主人のシニフィアンに抗して,そして順応に抗して自らの反抗を定義しようとする正当な試みなのです.フーコーの理論は最終的には,分析においても大学においても,人が思考するとき問題となっているのは対象aであるということに言及しています.

デリダは対象aの位置がつねに十全であるという事実を脇においておきたいようです.問題となるこの場所については,セミネールXI巻の第16講義の終わりのところで,当時20歳のジャック=アラン・ミレールがラカンに質問をなげかけています.

 「主体は,己にとって外部にある領野の中で生まれ,その領野によって構成され,その領野において命を授けられている.主体の疎外はこのような定義を受けましたが,それでもやはりこの疎外は自己意識の疎外とは根本的に区別されるものだということを,あなたはお示しにならないのでしょうか.手っ取り早く言うと,ラカンをヘーゲルに「対抗するものとして」理解しなくてもよいのですか」(邦p.288

これにラカンは「とてもよいことを言ってくれましたね.ちょうど昨日グリーンが言ったこととは反対ですね」と答えています.グリーンは10年前にIPAの副会長をやっていたフランスの精神分析家ですが,1960年代に12年ラカンのセミネールに出席し,『生きたディスクール(Le discours vivant)』という著作を書いています.この著作は,ラカンは生物学を精神分析の外部においたために物事の生命的な側面を考慮していないということを強調しています.ラカンが逸話を披露したものですから,グリーンはこの質問に非常に反応しています.

「(グリーンが)近づいてきて,私の手をぎゅっと握りました.少なくとも気持ちのうえでは.そしてこう言いました.「構造主義は死んだ.あなたはヘーゲルの息子だ」.しかし私は同意できません.ヘーゲルに「対抗する」ラカンと言ったあなたの方が,はるかに真実に近いと思います.もちろんここで哲学的論議を始めるつもりはありませんが」(邦p.288)

何が問題なのでしょうか.ラカンが,主体を除去しようとしたレヴィ=ストロースの構造主義に対抗していたことは事実です.ラカンは構造主義に主体を再導入し,ある種の時間性を認めることのできる論理をも導入したのです.この意味において,グリーンは構造主義の死であると言っているのです.つまり,あなたはヘーゲルの息子である,なぜなら時間と主体――すなわち純粋意識――を導入したからということです.

ジャック=アラン・ミレールの質問は,主体の場所を空虚に保っておくことからは程遠く,ラカンが主体をフロイトのいう十全の享楽を伴う幻想や快感対象を以って定義していることを指摘しています.フロイトが19世紀の物理学の文脈にしたがって機械論的に公式化したエネルギー論的側面は,ラカンによって形式論理学の文脈で再公式化されています.このことは19692月のフーコーの「作者とは何か」という有名な講義におけるラカンのコメントにも見て取ることができます.フーコーはこの講義のなかで,ラカンを名指すことなしにフロイトへの回帰に何度も立ち返っています.フランスの学会は当時まだマルクス主義であり,フーコーを攻撃していました.フーコーがヴァンセンヌにおいて果たした役割は有名であり,彼の学生運動との関係もまた有名でした.しかし,ディスクールと構造を重視する構造主義というブランドが,主体を置き去りにしてしまう印象を与えたのです(もちろん,古い意味での「主体」つまり人間のことです).フーコーは講義において現代の作者はベケットのテクストによって最もよく定義されると言っています.ベケットのテクストでは,語る人間に可能な同一性は結局のところ消滅しまうからです.

ラカンは以下のようにコメントしています.

構造主義であろうとなかろうと,このラベルによって大まかに括られている領域において,主体の否定が問題となっているわけではまったくない,そう思えます.問題となっているのは主体の従属関係であり,これはおよそ異なった問題です.そしてとりわけ「フロイトへの回帰」に関して言えば,真の意味で基本的な何ものかに対する主体の従属の問題です.その何ものかを私たちは「シニフィアン」という名の下に見極めようとしました.三番目に――これで私の発言を終わらせますが――,「構造は巷に繰り出しはしない」と書いたことが公正であるとは私はすこしも考えません.なぜならば,五月革命の出来事が何かを証明しているとすれば,それはまさに「構造が巷へ繰り出していった」ということに他ならないからです.そのことを,巷へと繰り出していったまさにその場所に書くということは,行為が自らを誤認するものであることを証明しているにすぎません.それが多くの場合,いやもっぱら,行為と呼ばれるものの性質なのです。

ラカンの四つのディスクールの記載,あるいはフーコーのディスクールの実践において問題となっているのは,構造が「巷に繰り出す」ということです.なぜなら,構造は享楽の持分を内包しており,人々は享楽のために死ぬのですから.ラカンは大学のディスクールを,知を主人の場所に位置づけて書きます.
 
 学生運動と大学に必然的な連関があるように,このディスクールは巷に繰り出す主体を生産します,学会は15世紀から存在していますが,そこにはつねに学生運動がありました.この二つには必然的なつながりがあるのです.さまざまな社会体制と条件の下で,当時から現代まで一定なものは学生が運動するということです.ラカンは,学生が運動を起こすのは彼らが生産に巻き込まれていないからだというマルクス主義の説明を受け入れません.ラカンは,学生は大学のディスクールによってそのようにされているがゆえに運動を起こすのだと言っています.



…………


デリダのリシャール批判は、実はフーコー批判を陰に籠めているという議論があるようだ。



なお、両者の対立をいかにジジェクが考えているかのひとつは、次の論にやや詳しい。この文は『LESS THAN NOTHING』(2012)に同様の記載がある。また別の箇所ではもうすこし詳細に亙っている。

Some Marxists even, as if Foucault/Derrida = materialism/idealism. Textual endless self-reflexive games versus materialist analysis. BUT: Foucault: remains HISTORICIST. He reproaches Derrida his inability to think the exteriority of philosophy – this is how he designates the stakes of their debate:

《could there be something prior or external to the philosophical discourse? Can the condition of this discourse be an exclusion, a refusal, an avoided risk, and, why not, a fear? A suspicion rejected passionately by Derrida. Pudenda origo, said Nietzsche with regard to religious people and their religion.》 [13]

However, Derrida is much closer to thinking this externality than Foucault, for whom exteriority involves simple historicist reduction which cannot account for itself (to what F used to reply with a cheap rhetorical trick that this is a "police" question, "who are you to say that" – AGAIN, combining it with the opposite, that genealogical history is "ontology of the present"). It is easy to do THIS to philosophy, it is much more difficult to think its INHERENT excess, its ex-timacy (and philosophers can easily dismiss such external reduction as confusing genesis and value). This, then, are the true stakes of the debate: ex-timacy or direct externality?(Cogito, Madness and Religion: Derrida, Foucault and then Lacan •.............Slavoj Zizek

同じ書にあるデリダとドゥルーズの対比箇所。

Deleuze is also opposed to Derrida who, from Deleuze’s perspective, remains caught within the vicious cycle of contradiction/identity, merely postponing resolution indefinitely
(Deleuze's Platonism: Ideas as Real •..........Slavoj Zizek)

※参照:ジジェクの「来るべき民主主義」(デリダ)に対する考え方。

マルクスを「ラディカル化」するデリダの基本的前提は、具体的な経済的・政治的方策がラディカルになればなるほど(行き着く果てはクメール・ルージュやセンデロ・ルミノソによる殺戮の戦場だ)、そうした方策は事実上ラディカルではなくなっていき、ますます倫理-政治的な形而上学の地平に囚われてしまうというものだ。言いかえれば、デリダの「ラディカル化」が意味しているのは、或る意味で(正確を期せば、実践的な意味で、と言うべきだが)、「ラディカル化」とは正反対のことである。それはすなわち、真にラディカルな政治的方策を断念することなのだ(補足的に言っておくと、ネルソン・マンデラに対する賞賛や、共和主義下のチェコスロヴァキアの反体制哲学者のためのアンガージュマンから、湾岸戦争でのイラク空爆を条件付きで支持したことにいたるまで、デリダによる個々の政治的介入のすべては、左翼穏健派のスタンスと完璧に一致している)。

デリダの政治学のラディカリズムは、来るべき民主主義というメシア的約束とその積極的な実現とのギャップを伴っている。まさしくこのラディカリズムゆえに、メシア的約束は永遠に約束であるにとどまり、一連の具体的な経済的・政治的法則へと転化されえないのだ。決定不可能な<モノ>の深淵と個々の場面での決定との隔たりは埋められない。<他者>に対する負債は返済不可能であり、<他者>の呼びかけに対する応答は十分ではありえない。こうしたポジションに立つわれわれは、ギャップを無化する双子による誘惑、つまり無節操なプラグマティズムと全体主義による誘惑に抗わねばならない。プラグマティズムは、超越的<他者性>をまったく参照せずに、政治活動を日和見的な技術操作、文脈化された状況への戦略的限定介入に矮小化してしまう。他方、全体主義は、絶対的<他者性>を特定の歴史的形象と同一視する(<党>は直接的に具現化された歴史的理性である,等々)。ここに、脱構築による一定のひねりを加えられた全体主義の問題規制が浮かび上がる。全体主義は、そのもっとも基本的な姿において、社会生活の全体的支配、社会全体の透明化を目論む政治力であるのみならず、メシア的<他者性>と具体的な政治主体〔エージェント〕との短絡でもあるのだ。したがって、来るべき(à venir)というのは、民主主義に後から付け加えられたたんなる形容ではなく、その最深部にある核であり、民主主義を民主主義たらしめているものなのである。民主主義が来るべきものではなくなり、現実となったーー完全に現実化されたーーかのような様相を呈するやいなや、全体主義が到来する。(ジジェク「メランコリーと行為」