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2014年1月4日土曜日

軽さと重さ

下界におりて呟きの連発をしてしまった。どうもあの場でつぶやくと精神の均衡が崩れる。きりがない。あれを無数回くりかえしたいとは毛頭おもわない。

ニーチェの「永劫回帰」をめぐって以前書いて投稿せずにいるものを(ちょっと自分で書いて納得できない箇所があるのだがーー要するに人生はやっぱり一回かぎりだよな、ニーチェさん、と言いたいところをもう少し深めて書きたいのだがーー)、まあ口直しに取りあえずのものとして投稿しよう。


最大の重し

もしある日、またはある夜、デーモンが君のお前のあとを追い、お前のもっとも孤独な孤独のうちに忍び込み、次のように語ったらどうだろう。

 「お前は、お前が現に生き、既に生きてきたこの生をもう一度、また無数回におよんで、生きなければならないだろう。そこには何も新しいものはなく、あらゆる苦痛、あらゆる愉悦、あらゆる想念と嘆息、お前の生の名状しがたく小なるものと大なるもののすべてが回帰するにちがいない。しかもすべてが同じ順序で―この蜘蛛、樹々のあいだのこの月光も同様であり、この瞬間と私自身も同様である。存在の永遠の砂時計はくりかえしくりかえし回転させられる。―そしてこの砂時計とともに、砂塵のなかの小さな砂塵にすぎないお前も!」

 ―お前は倒れ伏し、歯ぎしりして、そう語ったデーモンを呪わないだろうか? それともお前は、このデーモンにたいして、「お前は神だ、私はこれより神的なことを聞いたことは、けっしてない!」と答えるようなとほうもない瞬間を以前経験したことがあるのか。

 もしあの思想がお前を支配するようになれば、現在のお前は変化し、おそらくは粉砕されるであろう。万事につけて「お前はこのことをもう一度、または無数回におよんで、意欲するか?」と問う問いは、最大の重しとなって、お前の行為のうえにかかってくるだろう! あるいは、この最後の永遠の確認と封印以上のなにものも要求しないためには、お前はお前自身と生とにどれほど好意をよせなければならないことだろう?(ニーチェ『悦ばしき知識』三四一番 信太正三訳

次の文はニーチェが永劫回帰について書き残したおそらく最後の文章のひとつだろう。

私が説く教義は、こうである。「きみがいま経験している生を、再び生きたいと当然願うことになるような仕方で、生きよーーそれこそが義務なのだ。なぜなら、いずれにせよ、きみはその生を再び生きることになるのだから! 努力することが最高の歓びである者は、充分に努力すればよい! なによりも休息を好む者は、ゆっくり休めばよい! なによりもまして服従するのが好きな者、従順で、後につき従うのが好きな者は、思う存分服従するがよい! ただしそういう者は誰であれ、自分の選択が優先的にどこへ向かうのかは知っておかねばならない。またいかなる手段を前にしたときでも、けっしてたじろいだり、後込みしたりしたはらなない! そこで問題となっているのは、それが永遠に反復されるということなのだから」。

この教義は、それを信仰しない人々に対してまったく厳格ではない。地獄墜ちになるとか、その他さまざまの脅迫など少しも持たない。ただそれを信仰しない者は、自らのうちにすぐに消え去る、束の間の生命しか感じ取ることはないであろう。(1881年の「遺された断想」より『〈力〉への意志』第四部――ドゥルーズ『ニーチェ』からの孫引き 湯浅博雄訳)

なによりもまして公衆に服従することは欲するものは、そうすればよい。

「えらくなりたい」「名誉を欲したい」「女をおっかけまわしたい」等々――それらをニーチェは否定しているわけではない。ただ己れの選択がどこへ向かうのかは知っておかねばならない、ということだ。

たとえば。
公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』)

《あきらかなことだが、われわれを連れ去ろうとする人たちは、はなばなしくもそうぞうしい外観の花火により、賞賛により、侮辱により、皮肉により、恥辱により、威嚇によって、われわれの注意をおびえさせ、疲れさせ、がっかりさせることからまずはじめる。》(アラン『プロポ』)


ロダンは名声を得る前、孤独だった。だがやがておとずれた名声は、彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名のまわりに集まるすべての誤解の総体にすぎないのだから。(リルケ『ロダン』)


だがニーチェの人生ではどうだったというのか。すくなくとも若き頃充分な評価を得られなかったこと、あるいは名声を得られないことーー二十四歳でバーゼル大学の教授になったにもかかわらず、最初の著作『悲劇の誕生』が批判され学会から追放同然の身になったことーーへの怨恨がなかったとはいえまい。あるいは<あの女>との出逢いが永遠に繰り返したいものだったとして、それはほとんど相手にされなかったせいなどということはないか。さらにはソレルスが書くように、カトリック信仰が実のところ永遠に繰り返したいものだったとしたら、ニーチェの書、たとえば代表作のひとつ『アンチ・キリスト』なども異なって読み方ができるだろうし、既にそのたぐいの論もあるのだろう。そもそもフロイトやラカン的にいえば、激しい憎悪のあるところには強い愛がある。

『ツァラトゥストラ』について、《この本は、ニーチェが自戒するため、理想像を描いたように見える。現実の彼は超人とは最も対極的。ルサンチマン(嫉妬、恨み)を克服せよと言いつつ、自身は最もルサンチマンにまみれていたのです》(中島義道)などという見解もある(東京新聞でのインタヴュー記事2013.4.20からだが、元記事はすでに消えてなくなっている)。





異教について… そして円環について …そして自然の本性について …そして、つまり「永劫回帰」については …とにかく、あのプロテスタントの息子ニーチェの、ルー・アンドレアス –サロメへの興味深い打明け話がある …でまかせなんかじゃない、特に彼女、この女性に対しては。「わたしたちは彼の変身のことについて話てしたのですが、その会話の途中でニーチェが半ばふざけてある日この明言したことがありました。『そうなんだ、こうしてレースが始まる、で、それはどこを走るのか? 道の全行程が踏破されたとき、人はどこを走るのか? すべての組み合わせが使い尽されるとき、彼はどうなる? きっと信仰に戻るのではないか? たぶんカトリック信仰に?』そしてニーチェは低い声でこうつけ加えると、彼にこの考えを吹き込んでいた底意を明かしました。『いずれにしろ、円環の完了は、不動状態への回帰よりもはるかにずっとありそうなことだよ。』」

運動の完了、運動の無限 …「存在の永遠の砂時計は、つねに再びひっくりかえされるだろう、 ――そして、それをもつおまえは塵のまた塵なのだ」 …文体に関するあの忠告に近づけるなら、「生の豊かさは身振りの豊かさによって表現される。すべてをひとつの身振りとして考えるすべを学ばなくてはならない。文の長さと区切り、句読法、呼吸。要するに語の選択、論証の継起」 … (ソレルス『女たち』より)






下記に引用する文は、「悦楽(享楽)と永劫回帰(ニーチェ)」にて引用した、次の文に引き続く。

永劫回帰の中で数限りなく繰り返されたとしたら、何かが変わるであろうか?

変わる。それは目に立ち、永遠に続く塊となり、その愚かしさはどうしようもないものとなるであろう。(……)

永劫回帰という思想がある種の展望を意味するとしよう。その展望から見ると、さまざまな物事はわれわれが知っている姿と違ったようにあらわれる。それらの物事は過ぎ去ってしまうという状況を軽くさせることなしにあらわれてくる。(……)
もし永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、われわれの人生というものはその状況の下では素晴らしい軽さとしてあらわれうるのである。

だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?
(……)

われわれは何を選ぶべきであろうか? 重さか、あるいは、軽さか?
(……)

パルメニデースは答えた。軽さが肯定的で、重さが否定的だと。

本当かどうか? それが問題だ。確かなことはただ一つ、重さーー軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だということである。

 さて『存在の耐えられない軽さ』から引用する。テレザのトランクが重さの比喩になっていることに注意しよう。そしてテレザのしっかり握った手も重さだ。

私はトマーシュのことをもう何年も考えているが、でも重さと軽さという考え方に光を当てて初めて、彼のことをはっきりと知ることができた。トマーシュが自分の住居の窓のところに立ち、中庭ごしに向こう側のアパートの壁を眺めて、何をしたらいいのか分らないでいるのを私は見ていた。

トマーシュがテレザと会ったのはその三週間ほど前のことで、ある小さなチェコの町であった。二人は一時間も一緒にいたであろうか。彼女はトマーシュを駅まで送り、彼が汽車に乗り込むまで、待っていた。十日後彼女は彼を追いかけてプラハへとやってきた。二人はその日にもう愛し合った。夜になって彼女に高い熱がでて、それからまる一週間風邪をひいたまま彼の住居にとどまった。

そのとき彼はこのほとんど何も知らない娘に説明しがたい愛情を感じ、これこそ誰かがピッチを塗った籠の中へ入れて、トマーシュが自分のベッドの岸で捕えるように川に流して送った子供に思えた。

彼女は治るまで彼のところに一週間いて、それからまたプラハから二百キロ離れている自分の町へと帰っていった。そして、そのとき、それについて私が話した、彼の人生での鍵とも思えるあの瞬間、窓辺に立ち、中庭ごしに向う側のアパートの壁を眺め、考え込むあの瞬間が訪れた。

プラハでずっと暮らすようにと彼女を呼び寄せるべきであろうか? その責任を彼は恐れた。もし今呼び寄せれば、自分の全人生を提供するために、彼女は彼のもとへ来たであろう。

それとも彼女に声をかけないことにする。そうすればテレザはとある辺鄙な町のレストランでウエートレスのままで、彼はもう二度と彼女に会うことはないであろう。

彼女が彼のところに来ることをトマーシュは望んだのか、望まなかったのか?

彼は中庭ごしに向う側の壁を眺め、その答えを探していた。

(……)今彼は窓辺に立って、あの瞬間を呼びおこしていた。こんなふうにやってきて彼に認めるようにせまるものが、恋以外の何でありえようか? (……)
彼は中庭ごしに汚い壁を見ながら、これがヒステリーなのか恋なのか分らないということを意識していた。(……)

自分に腹を立てているうちに、何をしたらいいのか分らなくなるのは、まったく自然なことだと思いあたった。

人間というものは、ただ一度の人生を送るもので、それ以前のいくつもの人生と比べることもできなければ、それ以後の人生を訂正するわけにもいかないから、何を望んだらいいのかけっして知りえないのである。

テレザと共にいるのと、ひとりぽっちでいるのと、どちらがよいのであろうか?

比べるべきものがないのであるから、どちらの判断がよいのかを証明するいかなる可能性も存在しない。人間というものはあらゆることをいきなり、しかも準備なしに生きるものである。それはまるで俳優がなんらの稽古なしに出演するようなものである。しかし、もし人生への最初の稽古がすでに人生そのものであるなら、人生は何の価値があるのであろうか? そんなわけで人生は常にスケッチに似ている。しかしスケッチもまた正確なことばではない。なぜならスケッチはいつも絵の準備のための線描きであるのに、われわれの人生であるスケッチは絵のない線描き、すなわち、無のためのスケッチであるからである。

Einmal ist keinmal (一度は数のうちに入らない)と、トマーシュはドイツの諺をつぶやく。一度だけおこることは、一度もおこらなかったようなものだ。人がただ一つの人生を生きうるとすれば、それはまったく生きなかったようなものなのである。

(……)そのあと二人とも疲れて、ソファベッドで裸で並んで横たわっていた。もう夜であった。彼は車で送ろうと思って、どこに泊っているのかときいた。彼女は困惑の様子で、ホテルはこれから探すので、トランクは駅の一時預所にあると答えた。

昨日はまだ、彼女をプラハの自分のところへ呼びよせたなら、彼女が自分の全生命を捧げに来てくれるかどうか不安に思っていた。ところが今、トランクが一時預所にあると告げられたとき、そのトランクの中には彼女の生命があり、それを彼に捧げるまで、さしあたり駅に置いてあるのだということが、トマーシュの頭にひらめいたのである。

家の前に駐車してあった車に彼女と乗り込むと、駅へ行き、トランクを受け取り(トランクは大きくてひどく重かった)、トランクを彼女もろとも自分のところへと運んでもどってきた。

こんなに急に決心できたのは、どうしてであろうか? 二週間近くもためらい、挨拶のはがき一つ送れなかったのに。

それは自分自身でさえも驚きであった。自分の原則に逆らったのである。十年前に最初の妻と別れ、他の者たちが結婚を祝うような晴ればれとした気分で離婚を味わった。彼はどんな女とも一緒には暮せないように生れついており、ただ独身者としてのみ十分に自分を生かせるということを意識した。そこで、もう二度とどんな女も彼のところへトランクを持って引っ越せないように、注意深く自分の生活設計を作り上げた。これが彼の住居にたった一つしかソファベッドを置いていない理由である。それはたとえかなり幅の広いソファベッドであるにせよ、トマーシュはすべての恋人たちに同じベッドでは眠れないといい張り、夜中に彼女らを家へと送りとどけた。それだからテレザが初めて来て風邪をひいたときも、一緒に寝ることはしなかった。最初の夜は大きな肘掛け椅子で眠り、次の夜からは自分用の小さな部屋があり、夜勤のときに使う簡易ベッドの置いてある病院へと車で通った。

しかし今回は彼女の横で寝た。朝目を覚ますと、まだ寝ていたテレザは彼の手をつかんでいた。こんなふうに一晩中つかんでいたのだろうか? 彼にはとても信じがたかった。

寝ている彼女は深々と息をしていて、彼の手をつかまえていた(しっかりと、それをふりほどくことはできなかった)。そして、ものすごく重いトランクはソファベッドの横にあった。

(……)トマーシュは短い期間に、妻や息子や母や父とけりをつけるのに成功した。それらの人から彼のところに残ったのはただ女たちの恐ろしさである。女には憧れたが、恐れた。恐れと憧憬の間で何らかの妥協をしなければならず、それを“性愛的友情”と呼んだ。そして自分の愛人たちに、一方が他方に生活や自由に関して要求をしないようなセンチメンタルでない関係だけが、両者に幸福をもたらすと主張した。

(……)他の恋人たちとは一度も眠ったことはなかった。彼女らのところを訪ねたときは簡単で、いつでも好きなときに出ていけた。彼女たちが彼のところに来たときが大変で、不眠症に悩まされており、他人の身体がすぐそばにあると眠れないから、真夜中が過ぎたら家に送り帰すと説明しなければならなかった。それは真実から遠くはなかったが、本当の理由はもっとひどいものであったので、打ちあける勇気はなかった。愛し合ったあとでは一人になりたいという抑えがたい欲望があったし、夜中に他人の脇で目を覚ますことは彼には不愉快であった。一緒に朝起きるのもいやだし、浴室で歯を磨いているのを人にきかれるのも望まなかった。二人で朝食をとるという秘め事に惹かれることもなかった。

そんなわけで目を覚ましたときひどくびっくりしたのは、テレザがしっかりと手をにぎっていたことである。トマーシュはテレザを眺めたが、何がおこったのかよく理解できなかった。過ぎ去った何時間かを思い返してみると、そのときから何か未知の幸福の香りがひろがってくるように思えた。

テレザの重いトランクを選んだトマーシュはプラハの有能な外科医からある集団農場でのトラックの運転手に「転落」する。最終章にはこう書かれることになる。

その日テレザが牛舎から帰ってくると、通りから声がきこえた。近づいて見ると、トマーシュのトラックが見えた。トマーシュは身をかがめて、車輪をはずしていた。何人かの若者がまわりに立ち、ただそれを眺め、トマーシュが修理を終えるのを待っていた。

テレザは立ったまま、その光景から目を離すことができなかった。トマーシュは年とったように見えた。髪は白くなっており、見てとれた無器用さは、運転手になった医者の無器用さではなく、もう若くない人間の無器用さであった。(……)

テレザは車のまわりの人に見つけられないように木の幹の後ろにかくれたが、トマーシュを見ながら、彼女の心は自責の念でしめつけられた。彼女のためにチューリッヒからプラハにもどったのだ。彼女のためにプラハを離れたのだ。(……)

テレザはいつも心の中で、彼女をちゃんと愛していないとトマーシュのことを非難した。自分の愛は非の打ちどころのないものとみなしながら、彼の愛は単なる優しさとみなした。

今になって公平でなかったことが分かった。もし本当にトマーシュを大きな愛で愛していたら、彼と外国にとどまるべきであったであろう! そこでならトマーシュは満足できたし、あそこでならトマーシュの前に新しい世界が広がった! それなのに彼女は彼のもとから逃げ出した! それは彼の邪魔にならないようにという雅量の広さでそうしたと確信していたのは真実である。しかし、その雅量の広さというのは単なる言いわけではなかったろうか? 実際には彼女はトマーシュがあとを追ってもどってくることを知っていた! テレザは彼を先へ行けば行くほど低いところへ呼び寄せた。あるで妖精たちが村の者たちを沼地に、そこでおぼれるようにと誘うかのようである。田舎へ引っ越すという約束を彼から引き出すために胃けいれんのときを利用したのである! 彼女はなんとずる賢いことができたのであろう! 彼女を愛しているかどうか何度も何度も試すかのように彼を呼びよせ、とうとう今こんなところにいるようになり、彼は髪が灰色になり、疲れ切り、手はもう二度とメスをとることもできないほどこわばっていた。

クンデラの『存在と耐えられない軽さ』を、ニーチェの哲学的考察の解釈の物語として読むなどという厚顔無恥は避けねばならない。そもそもクンデラは『小説の精神』にて、あの最初の永劫回帰の考察は、《トマーシュという人物の根本的状況を導入するもの(……)。永劫回帰のない世界における存在の軽さという、彼がかかえる問題を提示する》ものとしている。

ほかにもテレザの「めまい」、「肉体」の大きな主題がある。

めまいとはなんだろう。私は定義をさがし、そして「陶然たる、抑えがたい失墜の願望」とします。しかしすぐに訂正して定義を厳密なものにします。「めまいとは、自分自身の弱さに酔うことだ。人は弱さを自覚すると、それにさからおうとはせず、かえってそこにおぼれこむ。自分自身の弱さに酔い、もっと弱くなりたい、衆人環視の街のまんなかで倒れこみたい、下にいたい、下よりさらに下にいたいと願う」。めまいはテレザを理解するためのキーワードのひとつであって……(『小説の精神』)

ここで、いまはもう一箇所、ニーチェをめぐる印象的な叙述を抜き出しておこう。これはニーチェの「めまい」だ。

ニーチェがトゥリンにあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。

それは一八八九年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。

そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、ちょうど死の病にかかった犬の頭を膝にのせているテレザが私が好きなように私には両者が並んでいるのが見える。二人は人類が歩を進める「自然の所有者」の道から、退きつつある。(P332)





…………

以下は附記。


大江健三郎はニーチェについてまったくといっていいほど語っていないはずだが(クンデラについての言及は比較的多い)、大江の「一瞬よりはいくらか長く続く間」とは、一回限りしかない人生における掛け替えのない束の間の刻限を慈しむ言葉として読むことができる。

――……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。カジね、そしてそれはただそう思う、というだけのことじゃないと私は信じる。(大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』

…………

谷川俊太郎もクンデラの名を出して、次のように謳う(谷川俊太郎はほとんどつねに「一瞬よりはいくらか長く続く間」を書く詩人だとしてよいかもしれない、いやそもそも詩人とは本来そういうものだろう)。

…………

ぼくにとって詩は結局あやういバランスによって成り立つ
きわめて個人的な快楽の一瞬に過ぎないのかもしれない
それを書きとめる必要がどこにあるのか

だがホテルのコーヒー・ショップでぼくは走り書きする
クンデラの本のカバーの裏に
書くことをうとましく思いながら
心はまだ書かれていない詩のうしろめたい真実に圧倒されている


ーー谷川俊太郎「虚空へ」から『世間知ラズ』所収

…………

もしかするとそれも些細な詩
クンデラの言うしぼられたレモンの数滴
一瞬舌に残る酸っぱさと香りに過ぎないのか
夜空で月は満月に近づき
庭に実った小さなリンゴはアップルパイに焼かれて
今ぼくの腹の中
この情景を書きとめて白い紙の上の残そうとするのが
ぼくのささやかな楽しみ
なんのため?
自分のためさ

ーー谷川俊太郎「些細な詩」『夜のミッキーマウス』)

…………

ニーチェの「一瞬よりはいくらか長く続く間」の至高の歌。

つつしむがいい。熱い正午が野いちめんを覆って眠っている。歌うな。静かに。世界は完全なのだ。

歌うな。草のあいだを飛ぶ虫よ。おお、わたしの魂よ。囁きさえもらすな。見るがいいーー静かに。老いた正午が眠っている。いまかれは口を動かす。幸福の一滴を飲んだところではないか。(……)

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。

わたしに何事が起るのだろう。静かに。わたしを刺すものがあるーーあっ!--心臓を刺すのか。心臓を刺すのだ! おお、裂けよ、裂けよ、心臓よ、こうような幸福ののちには、このように刺されたのちには。飛んでゆくのだ。わたしはそのあとを追う、見もかるく。

静かにーー
(……)

――おお、永遠の泉よ、晴れやかな、すさまじい、正午の深淵よ。いつおまえはわたしの魂を飲んで、おまえのなかへ取りもどすのか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第四部 「正午」手塚富雄訳)

この文は、わたくしにとっては、シェーンベルクがヴェーベルンの作品九のスコアが出版された時、それにつけた序文とセットになっている。


これらの小曲の短かさが、すでに彼らの弁疏として充分に説得的なのだが、反面、この短さがかかる弁護を必要としてもいる。 かくも簡潔に自己表現するためには、どれほどの抑制が必要かを考えてみたまえ。ひとつひとつの眼差しが一篇の詩として、ひとつひとつの溜息が一篇の小説〔ロマン〕としてくりひろげられるにたりるのである。一篇の小説をただひとつの身振りによって、ひとつの幸福をただ一回の息吹きによって表わす。かかる凝集は、それにふさわしい自己憐憫(ぐちっぽさ)をたちきったところにしか、見出されない。 これらの小曲は、音によっては、ただ音を通じてのみ言い表わしうるものんだけが表現できるのだという信念を保持しているひとだけが理解できるのである……(吉田秀和訳)

ここでは作品九ではなく、作品五のもっとも短い断章を貼付する。




歌うな。静かに。世界は完全なのだ。

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

わたしに何事が起るのだろう。静かに。わたしを刺すものがあるーーあっ!--心臓を刺すのか。心臓を刺すのだ! おお、裂けよ、裂けよ、心臓よ、


なにもヴェーベルンでなくてもよい
古典的なベートーヴェンでも
第二ヴァイオリンの肥ったおばちゃんだって
なんと軽やかなとかげの音をだすことだろう





…………


「あむばるわりあ」 あとがき(詩情)より、西脇順三郎の詩論を付記しよう。

詩の世界は一つの方法によつて創作されるのである。その方法とは一つの考へ方感じ方である。どういう風に考へるのが詩的考へ方であるか。私の考へをのべませう。この私の考へ方は私の考へたことでなく昔から一部の詩論の中にあることである。

即ち(……)一定の関係のもとに定まれる経験の世界である人生の関係の組織を切断したり、位置を転換したり、また関係を構成してゐる要素の或るものを取り去つたり、また新しい要素を加へることによりて、この経験の世界に一大変化を与へるのである。その時は人生の経験の世界が破壊されることになる。丁度原子爆弾の如く関係の組織が破壊される。

詩の方法はこの破壊力乃至爆発力を利用するのである。この爆発力をそのまま使用したときは人生の経験の世界はひどく破壊されてしまつて、人生の破滅となる。

併し詩の方法としてはその爆発力を応用して即ちかすかに部分的にかすかに爆発を起こさせて、その力で可憐なる小さな水車をまわすのである。この水車の力で経験の世界が前述したやうに切断され転換されるのである。要するに経験の世界にかすかに変化を起し、その世界にかすかな間隙が生れる。この間隙を通して我々は永遠の無量なる神秘的なる世界を一瞬なりとも感じ得るのである。

人生の通常の経験の関係の世界はあまりいろいろのものが繁茂してゐて永遠をみることが出来ない。それで幾分その樹を切りとるか、また生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない。要するに通常の人生の関係を少しでも動かし移転しなければ、そのままの関係の状態では永遠をみることが出来ない。

昔から言伝への表現で「関係を変化させる」といふことを説明すれば、遠きものを近くに置き、近きものを遠くに置く。結合してゐるものを分裂させ、分裂してゐるものを結合するのである。また科学的なたとへをすれば、数量、質、時間、空間、光度、角度、速度、色彩、方向、振動数、深さ、高さ等に変化を与へることも関係を転移することになる。

しかし我々の人生の経験の世界の諸関係は自然物の世界の関係の如く相当固定し、どうにも転移することが出来ない関係の組織を作つてゐる。これが人間の現実である。この現実からどうしても離れることが出来ないことも人間の現実の一つである。

今日の多くのスユルレアリズムの芸術は人生が破壊された廃墟にすぎない。昏倒した夢の世界にすぎない。私のつくる詩の世界は人生の関係的価値はなるべく一見変化させないやうにして、ただ出来得るだけかすかな爆発を起させるやうに仕組み、その人生に小さい水車をまはすつもりであつた。この水車の可憐にまはつている世界が私にとつては詩の世界である。……