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2014年3月30日日曜日

まるで光が歌っているかのような女

インスルヘンテス大通りのなにやら古風なざわめきが、こちらは今日風な車のクラクションともども階下のガレージから聞こえてくる殺風景なアパートで、僕はあきることがなかった。窓から見おろす妙に奥行きの深い建物の屋上には、いちめんに張りわたしたロープに毎日大量の洗濯物が干されていた。ひとりよく働く洗濯婦は、日中の労働が終ると、建物脇の階段の奥から運び出す、売り物のタコスを焼きはじめる、そうした眺めをあかず見おろしながら……(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)


溽暑甚し。乾季の最後の三月から四月は毎年体調を崩す。
昨年血圧がひどく上がりかつ尿酸値高まり、
痛風をはじめてやったのが三月から四月
この一年でひどく体力が弱まった感がある。
この時期は樹々の葉も半年間一滴の雨がなく埃にまみれている。
といっても旧正月前後に葉を落としつくし
暑い盛りに清冽な白い花を咲かせるプルメリアと
これもおびただしい紅紫色の花を咲かせるブーゲンビリアは今が盛り。
もっともブーケンビリアの花を眺めると暑さがいっそう募る。
成長が早く枝を切るにも棘があって手間がかかるので、
いまは庭隅に数本のみにして、あとは盆栽にしている

以下は我が家の樹の写真ではないがまあこんな具合におびただしい






他方プルメリアは生長が遅くこの国では珍しく枝ぶりがよい樹だ。
和辻哲郎は東京の樹でさえ次のように書く。


東京の新緑が美しいといってもとうてい京都の新緑の比ではないが、しかし美しいことは美しい。やがて新緑の色が深まるにつれ、だんだん黒ずんだ陰欝な色調に変わって行くが、これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方がない。樹ぶりが悪いのは成長が早すぎるせいであろう。一体東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。ゲテモノにはゲテモノのおもしろみがある。などと、自分で自分を慰めるようになった。(和辻 哲郎「京の四季 」)

というわけでゲテモノの多い南国では、珍しく生長の遅いプルメリアだが、
当地に訪れ最初に魅せられたのがこの樹で庭木に古木が八本ある。
けれども日照が悪いと花はわずかしかつけない。
また葉が丸いのと先が尖った二種類のタイプがあり、より見事なのは丸いほうだが
このタイプは大量の雨に弱く雨季の最後には葉が黒ずんで醜くなる。
そしていちばん涼しい季節には葉が落ちて庭掃除がたいへんだ。
今、充分な陽光があたり、ほれぼれして花を慈しむことができるのは二本だけ。






越僑女がタコス料理を作ってくれる
皮からサルサソースまですべて手作り
裏庭の卓子に七輪を載せて
朝から眼を瞠る活躍ぶり
米国メキシコ国境近くの町の住まいで
タコスはお手のものらしい
柔らかい皮とパリパリの皮二種類
具の牛肉も市販の香辛料を混ぜているだけの筈なのだが
妻がふだん作るものとは一味も二味も異なり本場の味なり
子供たちもおおいに食す
わたくしは尿酸値を怖れつつも
氷にしたテキーラを溶かしつつ一口二口……
蛸のオリーヴ油と酢漬けの酒肴にて
あとはビールと白ワイン

アテネの女神のような髪を結つた女は明後日に帰国する
まるで光が歌っているかのような女だ

《植物の熱気、おお、光、おお、恵み!…/それからあの蠅たち あの種の蠅ときたら、庭のいちばん奥の段へと、まるで光が歌っているかのように!》(「サン=ジョン・ペルス詩集」多田智満子訳)

大江健三郎の引用で始めたのだ。
全く関係ないが大江の引用で終わろう。

――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人にういてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。(『人生の親戚』)







2014年3月28日金曜日

不平等きわまる肉体的素質と精神的才能(フロイト、アラン)

私自身、若いころ、貧乏の辛さを嫌というほど味わい、有産階級の冷淡さ・傲慢さを肌身に感じたことのある人間なのだから、財産の不平等およびそこから生まれるさまざまな結果を除去しようという運動にたいしてお前は理解も好意も持っていないのだなどという邪推は、よもや読者の心に萌すまい。もちろん、こうした運動の目標が、「万人の平等こそ正義なり」などという抽象的なものであるなら、さっそく次のような反論が起こるだろう。すなわち、「自然は、すべての人間に不平等きわまる肉体的素質と精神的才能をあたえることによって種々の不正を行っており、これにたいしてはなんとも救済の方法が無いではないか」と。(フロイト『文化への不満』人文書院 旧訳)

これはコミュニズム運動をめぐる叙述の註に附された文だが、《不平等きわまる肉体的素質と精神的才能》が人間には元来備わっているとある。

フロイトの同じ論文の、すこし異なった文脈で書かれている箇所なのだが、それを上の文脈で読んでみよう。

今日の教育は、若い人々がいずれは他人の攻撃欲動の対象にされるにちがいないのに、そのための心の準備をしてやらないという点で罪を犯している。若い人々をこれほど間違った心理学的オリエンテーションのまま人生に送りこむ今日の教育の態度は、極地探検に行こうという人間に装備として、夏服と上部イタリアの湖水地方の地図を与えるに等しい。そのさい、倫理の要求のある種の濫用が明白になる。すなわち、どんなきびしい倫理的要求を突きつけたにしても、教師のほうで、「自分自身が幸福になり、また他人を幸福にするためには、人間はこうでなければならない。けれども、人間はそうではないという覚悟はしておかねばならない」と言ってくれるなら、大した害にはならないだろう。ところが事実はそうではなくて、若い人々は、「他の人たちはみなこういう倫理的規則を守っているのだ。善人ばかりなのだ」と思いこまされている。そして、「だからお前もそういう人間にならなければならないのだ」ということになるのだ。(『文化への不満』)

では、われわれは、子供のころから、「人間は差別的に生まれている」と教えるべきだろうか。

人間の秩序のうちでは、信頼が事実の一部分を占めているから、そこではとくに、私が私自身の信頼をまるで考えにいれていないなら、私は大へんな見込みちがいにおちいる。倒れそうだ、とおもったとたんに、私は実際に倒れる。なにをする力もない、とおもったとたんに、私はなにをする力もなくなる。自分の期待にあざむかれそうだ、とおもったとき、私の期待が私をほんとうにあざむくことになる。そこによく注意しよう。私がよい天気をつくる、暴風雨をつくるのだ。まず自己のうちに。そして自分のまわりにも、人間たちの世界のうちにも。けだし、絶望は、そして希望もだが、雲ゆきがかわるよりも早く人から人にと伝わってゆく。私が信頼を寄せれば、彼は正直な人間でいる。私が心のうちで彼をとがめていると、彼は私のものを盗む。どんな人間でも、私のあり方次第で私にたいする態度をきめるのである。そして、つぎのこともまた十分に考えたまえ。期待というものは意欲によってのみ保持され、平和、正義と同様に、やりたいと思えばこそ実現をみるだろうもののうえに築き上げられる、ということを。しかるに、絶望のほうはどうかといえば、絶望というものは、今あることの力によって尻をすえ、ひとりでに強まるのである。さてこれで、宗教はすでにそれをうしなってしまったが、もともと宗教のうちにあって、救い出すに足りるところのものを救い出すには、いかなる考察の道すじによるべきかがはっきりした。私はあのうつくしき望みのことを指しているのだが。(アラン「オプチミスム」 『人生語録集』(プロポ集 )彌生選書 1978 井沢義雄・杉本秀太訳) 

 《私が信頼を寄せれば、彼は正直な人間でいる。私が心のうちで彼をとがめていると、彼は私のものを盗む。どんな人間でも、私のあり方次第で私にたいする態度をきめるのである》とある。

人間は元来差別的に生まれているという前提に立てば、人間は差別者として平然と振舞うようになる。かりに元来から差別的であろうとも、隔てのない「平等」な態度で他人に接すれば非差別的になる。

たとえばここで、ニーチェの言葉を変奏して、人間に本来的に備わる差別は、悪く陰険に考察されると、悪い陰険なものになる、とすることができる。

悪く考えることは、悪くすることを意味する。 ――情熱は、悪く陰険に考察されると、悪い陰険なものになる。 (ニーチェ『曙光』76番)

あるいは、差別は、まわりじゅうに差別を見出す眼差しそのものの中にある、ともすることができるだろう。

「悪は、まわりじゅうに悪を見出す眼差しそのものの中にある」というヘーゲルの言明を言い換えるならば、<他者>に対する不寛容は、不寛容で侵入的な<他者>をまわりじゅうに見出す眼差しの中にある。(ジジェク『ラカンはこう読め』)


信頼を寄せれば自他ともに非差別的になる、とは標準的なモラル(生きていく上で欠かすことができない道徳)としては今も十分に生きている。そしてわれわれの生活は、その通俗道徳で九十九%は生きていける。だがその道徳ではカヴァーできないことがあるのを忘れてはならないだろう。

アランは第二次大戦直前まで、「絶対的平和主義者」として振舞った。

ヒトラーはまたしても大演説を行った後、オーストリアに進駐した。(……)サルトルはもう騙されなかった。平和を守れる見込みはますます心細くなった。(……)

私はなおも自分を騙そうとしていた。私は状況を正視しなかった。しかし未来が自分の足もとで崩れ去るような気がして、苦悶に近い不安を感じていた。(ボーヴォワール『女ざかり』上 p300 朝吹登水子・二宮フサ訳)
ドームでメルロー=ポンティに会ったのを覚えている。彼とはジャンソン=ド=サイイー高等中学校での教育実習以来ほとんど顔を合わせたことがなかったが、その日は長いあいだしゃべった。私は彼に、チェコスロヴァキアがイギリスとフランスの裏切りにたいして憤慨するのは当然だが、どんなことでも、もっとも残酷な不正でさえも、戦争よりはましだといった。私の考え方はメルロー=ポンティにも、サルトルにも、近視眼的だといわれた。

《きりもなくヒトラーに譲歩することはできない》
とサルトルは私にいった。しかし彼もたとえ頭では戦争を承知するつもりになっていたにせよ、やはり、ほんとうに戦争が始まることを思うと厭でたまらなかったのだ。p313
ジオノやアランはあい変わらず絶対的平和主義を主張していた。多くの知識人は彼らに同調して、《民主主義諸国は全世界に平和を宣言した》とくりかえしていた。さらに《平和は民主主義諸国に貢献する》というスローガンも広まっていた。共産党はミュンヘン協定反対を決議した。しかし彼らもただ憤慨をきりもなくくりかえしているわけにはいかなかった。p314

…………

ーーと、ここまでは標準的な見解だろう。


ところで性的魅力や聡明さ等々の不平等を、「自分にふさわしくない」ものとして見なせるのが資本主義社会のメリットであると説いている(と読める)ジジェクの文章がある。

2005年十二月、新しく選ばれた英国保守党の党首デイヴィッド・キャメロンは、保守党を恵まれない人びとの擁護者に変えるつもりだと述べ、こう宣言した。「あらゆる政治にとっての試金石は、もてない者、すなわち社会の底辺にいる人びとに対して何ができるかということであるべきだ」。不平等が人間外の盲目的な力から生じたと考えれば、不平等を受け入れるのがずっと楽になる、と指摘したフリードリヒ・ハイエクですら、この点では正しかった。したがって、自由主義資本主義における成功あるいは失敗の「不合理性」の良い点は(市場は計り知れない運命の近代版だという古くからのモチーフを思い出そう)、そのおかげで私は自分の失敗(あるいは成功)を、「自分にふさわしくない」、偶然的なものだと見なせるということである。まさに資本主義の不正そのものが、資本主義のもっとも重要な特徴であり、これのおかげで、資本主義は大多数の人びとにとって許容できるものなのだ。(ジジェク『ラカンはこう読め!』

仮に自分の低いポジションが「自分にふさわしい」ものだとしたらどうだろう。格差社会では起こらない「怨恨」が、格差のない社会では暴発するというのが、ジジェクやデュピュイ(日本では『ツナミの小形而上学』で著者として名が知れた)の考え方であり、「ヒエラルキー」の仕組みは、社会的下位者が、社会的上位者、特権者に屈辱感を抱かせないシステムとされる。

たとえば、知能豊かで性的な魅力溢れる女性がいるとしよう。彼女が、裕福な家庭で両親に慈しまれて育った女性である場合と、他の女性とまったく格差のない環境で育った女性である場合の、どちらの女性により強く羨望・嫉妬するだろうか。多くの場合、前者のほうが、「育った環境」が異なるのであの女性が「女王」のようであるのはやむ得ないとして、嫉妬心が弱まるのではないだろうか。


ジャン=ピエール・デュピュイは、『La marque du sacré(2009)で、ヒエラルキーを四つの様相を挙げている(ZIZEKLess Than Nothingより孫引き)。

<hierarchy itselfヒエラルキーそれ自身>An externally imposed order of social roles in clear contradistinction to the immanent higher or lower value of individuals—I thereby experience my lower social status as totally independent of my inherent value.

<Demystification脱神秘化>The critico‐ideological procedure which demonstrates that relations of superiority or inferiority are not founded in meritocracy, but are the result of objective ideological and social struggles: my social status depends on objective social processes, not on my merits—as Dupuy puts it acerbically, social demystification “plays in our egalitarian, competitive and meritocratic societies the same role as hierarchy in traditional societies” (La marque du sacré, p. 208)—it enables us to avoid the painful conclusion that the other's superiority is the result of his merits and achievements.

<Contingency偶然性>The same mechanism, only without its social‐critical edge: our position on the social scale depends on a natural and social lottery—lucky are those who are born with better dispositions and into rich families.

<Complexity複合性>Superiority or inferiority depend on a complex social process which is independent of individuals' intentions or merits—for example, the invisible hand of the market can cause my failure and my neighbor's success, even if I worked much harder and was much more intelligent.

2014年3月27日木曜日

「毒サソリ」と「毒ヘビ」の戦い

私が思うに、最も傲慢な態度とは「ぼくの言ってることは無条件じゃないよ、ただの仮説さ」などという一見多面的な穏健さの姿勢だ。まったくもっともひどい傲慢さだね。誠実かつ己れを批判に晒す唯一の方法は明確に語り君がどの立場にあるのかを「独断的に」主張することだよ。

――というのは私の意訳だが、『ジジェク自身によるジジェク』は邦訳があるにはかかわらず手元にない。

I think that the most arrogant position is this apparent, multidisciplinary modesty of 'what I am saying now is not unconditional, it is just a hypothesis', and so on. It really is a most arrogant position. I think that the only way to be honest and to expose yourself to criticism is to state clearly and dogmatically where you are. You must take the risk and have a position.

ジジェクの「相対主義」批判と言ってよいだろうが、これを安易にそのまま受け取るとひどい目にあう。たとえば、すくなくとも次の文とともに読むべきだろう。

人は何かを変えるために行動するだけでなく、何かが起きるのを阻止するために、つまり何ひとつ変わらないようにするために、行動することもある。これが強迫神経症者の典型的な戦略である。現実界的なことが起きるのを阻止するために、彼は狂ったように能動的になる。たとえばある集団の内部でなんらかの緊張が爆発しそうなとき、強迫神経症者はひっきりなしにしゃべり続ける。そうしないと、気まずい沈黙が支配し、みんながあからさまに緊張に立ち向かってしまうと思うからだ。(……)

今日の進歩的な政治の多くにおいてすら、危険なのは受動性ではなく似非能動性、すなわち能動的に参加しなければならないという強迫感である。人びとは何にでも口を出し、「何かをする」ことに努め、学者たちは無意味な討論に参加する。本当に難しいのは一歩下がって身を引くことである。権力者たちはしばしば沈黙よりも危険な参加をより好む。われわれを対話に引き込み、われわれの不吉な受動性を壊すために。何も変化しないようにするために、われわれは四六時中能動的でいる。このような相互受動的な状態に対する、真の批判への第一歩は、受動性の中に引き篭もり、参加を拒否することだ。この最初の一歩が、真の能動性への、すなわち状況の座標を実際に変化させる行為への道を切り開く。(ジジェク『ラカンはこう読め!』54頁)

たとえば、ひとはツイッターで自分の立場を鮮明にして「誠実さ」を誇示するために、ある事件にたいして脊髄反応的にある立場を表明するとする、たいした「知識」もなく「情報」も収拾せず。だがジジェクの言っているのは、そんな短絡的な態度ではない。《真の批判への第一歩は、受動性の中に引き篭もり、参加を拒否することだ》。

たとえば《支配的イデオロギーと支配しているかに見えるイデオロギーとを混同しないように注意する》ことが、われわれに出来ているだろうか。

こうした状況のもとでとくに大切なことは、支配的イデオロギーと支配しているかに見えるイデオロギーとを混同しないように注意することだ。われわれは、これまで以上に、ヴァルター・ベンヤミンが遺してくれた注意事項を心に留めなければならない。その注意事項とは、ある理論(あるいは芸術)が社会闘争に関わる自分の立ち位置をどのように決定するかを訊ねるだけでは不十分であり、それが闘争においてどのようなアクチュアルな機能を発揮しているかもまた問われねばならない、というものである。 例えば、セックスで真のヘゲモニーを掌握している考え方は家父長制的な抑圧などではなく自由な乱交であり、また芸術で言えば、悪名高い「センセーショナル」展覧会と銘打ったスタイルでなされる挑発が規範に他ならなず、それは体制に完全に併合されてしまっている芸術の典型事例である。アイン・ラントは、彼女の最近のノン・フィクション作品のタイトル「資本主義──この知られざる理念」や「経営トップ──アメリカ最後の絶滅種族」に見られるように、公式イデオロギーそれ自体の強調が自己への最大の侵犯へ反転するといったある種ヘーゲル的な捻りを加味することで、こうした論理をその結論にまで押し上げている。 (ジジェク『迫り来る革命 レーニンを繰り返す』)

…………

ところで鈴木健(『なめらかな社会とその敵』の著者)の震災直後のツイートがいまでも印象に残っている。

要は専門家のもっている専門てほんとに狭くって、世界に数人〜数十人しか分かる人がいない。それでも業界外に位置づけを説明するために自分が数千人から数十万人のコミュニティに属しているように説明する。素人から期待される質問に答えようとするととたんに擬似専門家になる。

こういうことを気にしだしたら何も語れなくなってしまうということがある。真の専門家以外は無言というわけにもいかないので、まあだから逆にひとは語ってしまうということはあるのだろうが、見解を表明させる前に発酵させろ、ということなんだろうな、まずは。

ところが今はファストフード的消費者や発言者ばかりなのだ。ツイッターという場は、それをさらに育成する場であると思わざるをえないことが多いな(もちろん、いまオレが書いているブログも似たようなものだというのは自覚しているがね)。

あなたは、あなたが批評しているところの著作がどのようなものであるかを全く無視している。あなたは論争の道筋を再構成する試みを全く放棄している。その代わりに、曖昧模糊とした教科書的な通則やら、著者の立場の粗雑な歪曲、漠然とした類推、その他諸々を一緒くたにして放り投げ、そして自身の個人的な従事を論証するために、そのような深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えているのだ(「見ろ!あの著者は新たなホロコーストを主張しているみたいだぞ!」といったように)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。(スラヴォイ・ジジェク:彼の批判に応答して)

…………

「チェコスロバキアの社会主義政権とプロテスタント神学の関係について」のテーマで修士論文を書き、1988年から1995年まで在ソ連・在ロシア日本国大使館に勤務した元外交官佐藤優氏――かつて「外務省のラスプーチン」と呼ばれ五一二日間独房に拘置されたことでも知られる(柄谷行人『矛盾が共存、驚嘆すべき知性の活動』)――、その佐藤氏がウクライナ問題をめぐって語っている。

日本政府の態度を、《これは日本の情報収集、分析のレベルの高さと判断の冷静さを示すもので、今回、日本の外交は非常によくやっています。いちばんよくできているのが日本で、次がドイツです。》としている。もちろんこれさえ、かつての同僚や部下への過分の評価というバイアスがかかっているのかもしれないとは疑ってみることができる。だが、ツイッター上での並み居る「似非専門家」と、なんと発言内容の質が異なることか。



邦丸: クリミア半島に今、ロシア軍が入ってきたということについて、佐藤さんは雑誌などさまざまなメディアで発信していらっしゃいますが、ことはそう簡単ではないということですね。

佐藤: そうですね。簡単なアナロジーでいうと、「毒サソリ」と「毒ヘビ」が戦いをしているわけです。それに対してオバマ大統領は、毒サソリの味方をしているわけですね。日本は、毒サソリも毒ヘビもロクなもんじゃないから距離を置かせていただこうという立場をとっているわけで、そういう安倍政権の判断は現時点において100%正しいんです。(略)これは日本の情報収集、分析のレベルの高さと判断の冷静さを示すもので、今回、日本の外交は非常によくやっています。いちばんよくできているのが日本で、次がドイツです。

(略)今回のポイントになるのは、西ウクライナのガリツィア地方というところなんです。(略)この地方は、1945年にソ連軍が入ってくるまで、ソ連領になったことは一度もないんです。北方領土と同じですね。もともと、オーストリア・ハンガリー帝国の半島なんです。

そもそもウクライナというのは、ガリツィアのオーストリア領のウクライナとロシア領のウクライナを併せて、「ウクライナ」と呼んでいたんです。このウクライナの全域でウクライナ語が使われていたんですが、19世紀に、ロシアではウクライナ語をしゃべってはいけない、ウクライナ語の雑誌や新聞を出してはいけないという政策を打ち出して、これが100年以上も続いたんです。ですから、ロシアに住んでいるウクライナ人は、ウクライナ語を忘れてしまった。

ところが、ガリツィア地方では、オーストリア・ハンガリー帝国のハプスブルク家が多言語政策を採っていましたから、ウクライナ語の本、雑誌もあるし、リボフ大学でウクライナ語の教育をやったんですね。ナショナリズムの核は、あそこ(ガリツィア地方)なんです。そこに、1945年にソ連が入ってきた。面倒臭いことに、ガリツィア地方は宗教が違う。カトリックなんです。

邦丸: カトリックとロシア正教は違うんですね。

佐藤: 1054年に分裂しているんです。われわれの目にも違いがわかりやすいところで言うと、聖職者が袈裟を被っているのはどちらも同じなんです。しかし、ロシア正教では、下級のノンキャリアのお坊さんは結婚しているんです。一方、カトリックでは、お坊さんは全員、独身なんです。こういう大きな違いがあります。

(略)ところが、ガリツィア地方の西ウクライナのお坊さんは、カトリックなのに結婚しているんです。これは特別な例外として、儀式はロシア正教のやり方に則ってもいいけれど、ローマ法王をいちばん偉いと認めなさいということで、結婚も許されている。この人たちをカトリックのなかでも独自のユニエイト教会といいます。

邦丸: ユニエイト教会?

佐藤: 正確には「東方典礼カトリック教会」といいます。ところが、スターリンがこの人たちを無理やり、ロシア正教に合同させてしまったんです。

邦丸: ははあ。

佐藤: もうひとつ面倒臭い問題があって、第二次世界大戦ではウクライナ人は、ソ連とドイツのどちらについたと思いますか?

邦丸: ナチス側についた人たちがいるんですよね。

佐藤: はい。30万人がナチス側、120万人がソ連側だったんです。このナチス側の連中というのは、ユダヤ人虐殺をめちゃくちゃやっているんです。ポーランド人、チェコ人を殺した。西ウクライナではこの勢力が強いんですよ。この人たちは、ソ連に占領された(1946年)後も1955年ぐらいまで、武装反ソ闘争をやっていたんです。

そしてソ連に支配されることを潔しとせずに亡命した人たちが、カナダに大勢いるんです。今、カナダにはウクライナ人が120万人もいます。ですから今回、カナダがソ連に対してものすごく強硬な姿勢を示しているのは、ウクライナ・ロビーが強いからなんです。

カナダでいちばん話されている言語は英語、二番目に多いのがフランス語、三番目がウクライナ語です。

(略)1980年代にゴルバチョフがペレストロイカ(意味は「再編」。ゴルバチョフ政権による改革を指す)をやっているときに、カナダのウクライナ人たちが西ウクライナのガリツィア地方の人たちにおカネを送って、それを原資に民族運動が起こった。ただ、このなかには反ユダヤ主義者、ウクライナ民族至上主義者──ウクライナ民族以外は劣等人種だと主張している──といった恐ろしい連中がいるんです。

ロシアの新聞にはこういった事情が書かれているんだけれど、アメリカや西側諸国では、これをロシアのプロパガンダだと、ロシアがウソをついているに決まっていると思っている。でも、これはウソではないんです。本当に恐ろしい連中がいるんです。


《これからきみにぼくの人生で最も悲しかった発見を話そう。それは、迫害された者が迫害する者よりましだとはかぎらない、ということだ。ぼくには彼らの役割が反対になることだって、充分考えられる。》(クンデラ『別れのワルツ』)





主よ深きふちの底より

主よ深きふちの底より」--マルティン・ルターが1523年に作詞作曲し、ルターの協力者ヨハン・ワルターが1524年に編曲したコラール。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの教会カンタータBWV38「深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる」に取り入れられている。オルガンBWV686、BWV687。

ーーということは知らなかった。


クルターグ・ジェルジュ(Kurtág György)編曲(ジェルジュ夫妻演奏)





◆Aus tiefer Not schrei ich zu dir BWV 687 (G. Leonhard)




◆BWV 38 "Aus tiefer Not schrei ich zu Dir" (Nikolaus Harnoncourt)



ーー最初の合唱は、カール・リヒターの指揮のものは(今のわたくしには)ちょっといけない(CDはこれしかなく、長い間これしか聴いていなかったのだが。もっともいまだ第五曲の魅惑はリヒターにある)。

ヘレヴェッヘ指揮の合唱も捨てがたい。というか何度も聴けば、アーノンクールの清澄な合唱よりもこの沈潜した歌声に魅されるようになるのは、実は今から分かっている。アーノンクールのボーイソプラノ好みは、初回の印象の快さあるにしろ、飽きが早く来てしまうのだ。



◆Mendelssohn & Brahms Sacred Motets - Aus Tiefer Noth Schrei'ich Zu Dir Op. 23 #1




…………


クルターグ・ジェルジュの編曲が、いまのわたくしには限りなく美しく聴こえる、そして夫妻の演奏が。「深きふちの底より」より湧き上がる老夫妻の輝く歌声。





ーー途中でクルターグが笑みを浮かべつつも奥さんになにか囁こうとする、なにを言ったのだろう…急がないで、もう少しゆっくり! などとは彼はけっしていわないだろう…「メモ:クルターグ・ジェルジュ(Kurtág György)」に貼り付けた別のリサイタル(0.21.55と1.22.30と二回演奏される)ではもうすこしテンポが遅いように感じないでもない(とくにフレーズの入り方)。だが、こういったオシドリ夫婦にいったん愛着をもってしまえば、どんな演奏をされても好感を抱いてしまうところが、わたくしにはある。


もっとも、このBWV106は、ついこの間まで、エミール・ナウモフEmile Naoumoffの編曲演奏ばかり聴いていたせいで、彼の演奏のテンポ感に引き摺られているのかもしれない。






…………


少年期のロマンティシズムによる「深いふちの底より」のヴァリエーション。

ぼくは見ることを学んでいる。どういうものか、見るものすべてがいっそう深くぼくの内部へはいり込んで来て、いつもおしまいになるところへ来てもいっこうに止まろうとしない。ぼくの内部には、自分でもわからない深い淵があるらしい。今はすべてがそこへ向けて落ちて行く。そこで何が起こっているのか、ぼくは知らない。(リルケ『マルテの手記』)





低く降りてゆけ、ひたすら降りて
永遠なる孤独な世界
世界ではない世界、まさしく世界でないものに向かってゆけ
内部の闇、……(T.S.エリオット『四つの四重奏』千葉文夫訳)

それは認知しがたいほどかすかな裂目である。空間と時間との裂目である。このかすかに見える割れ目をこえて一方から他方に行くのに一人の人間の全生涯を必要とするのである。あるいはそれ以上のものが必要なのだとさえ言いたい。あるいは一人の人間の生涯とはそういうものなのだと定義できるのかも知れない。この裂目を歩み出すと、それが限りなく幅の広い、深い淵なのだということに気がつくだろう。(森有正『定義集』




奇態な両義性ということについていえば、メキシコの広大な空のもと微光が瀰漫しているところへ、しだいに赤っぽい粉のような気配がただよいはじめて、そしてついに日が昏れるまでの、長い長い時間、僕は決して当の時間の進行のゆったりさ加減に苛立つことはなかった。時間の汐溜りのなかに、プランクトンさながら漂っている気分だったわけだ。ヒカリが障害を持って生まれて以来、自分とかれの情動のどこかが癒着しているようにしてずっと生きて来たのに、ヒカリのこともその弟妹のことも、かれらの母親のこともまた、まったく考えず一日を終えたことに気がついたりしていた。むしろ僕は、四国の森のなかの谷間ですごした子供の時分に、長い時のゆっくりした進行をいささかも苦にせず、底の深い淵にでもひたっているような気持だった時期の、その再現を経験している思いでもあったのである。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)






鳩歩む この静かな屋根は
松と墓の間(ま)に脈打って
真昼の海は正に焔。
海、常にあらたまる海!
一筋の思ひの後のこの報ひ、
神々の静けさへの長い眺め

細かな燦めきの清らかな働きが
見えぬ飛沫(しぶき)のダイヤを費ひ(つかい)尽くし、
何たる平和のはらまるるかに見ゆることよ!
一つの陽の影が深い淵の上に休らふ時
「永遠の動因」の純粋な所産――
「時」は輝き、「夢」はただちに「知」! (ヴァレリー「海辺の墓地」中井久夫訳)







ーーもちろんDinu Lipattiの名演や、あるいはNikolayevaの深い淵の底で吃るような演奏があるのを知らないわけではない。だがたまに異なった演奏で聴いてみようではないか。Vladimir HorowitzEdwin Fischerのものだってある。

Peter Profant? 初耳だな、この名前。えっ? 高音が甘美になりすぎるだって? でも少年のころだったら惚れただろう…Jacqueline du PréのBWV564を想い出すな…







2014年3月25日火曜日

資料:韓国の自殺率と出生率

韓国は自殺大国として名を馳せているが、すこし調べてみたら次のような状況らしい。




この図表では、韓国がロシアを抜き自殺率トップとなっている。だが、より広範に調査されたデータでは、リトアニアが第一位で、韓国が第二位となっている→自殺率国際比較(2012).。だが自殺率の急上昇が目立つのは韓国であることには変わりがない。

ただし自殺統計の方法が各国同一であるかどうかはその保証は全くないらしい。

Incidence of suicide tends to be under-reported due to both religious and social pressures, and possibly completely unreported in some areas.》(Wikipedia [List of countries by suicide rate])

WHOの統計によると、変死として扱われる人のうち、その50%程度は自殺者だという。実際に欧州では変死者数の半数を年間の自殺者数に含めている国が多い。が、日本は含めていない。(統計の嘘の見抜き方

ーーなどという記事があるが、信憑性の多寡については不明。

比較的信頼のおけそうなグローバルノート - 国際統計・国別統計専門サイトには次のように記されているのみ。

WHOの自殺の定義は、致命的な結果になることを十分理解し且つ予期している者が、意図的に遂行する行為であるが、各国での死因の特定・証明方法が異なるので各国間の単純比較には注意が必要である
What is the suicide rate in Bolivia? Indonesia? Kenya or Taiwan? No one knows because government officials in these countries either do not collect or do not report official suicide statistics. Indeed, there are more than 100 nations that do not report suicide statistics to international organizations such as the World Health Organization.(Estimating Suicide Rates in Nations that Do Not Report Suicide Statistics)

ここでは、かつて次のような発言があったことだけを示しておこう。

いま、中高年の自殺が二万人とかいわれているけれども、あれは自殺決行後二四時間以内に死んだひとの数らしい。三日後に死んだひとは、統計上は自殺未遂になるという。それを入れると倍ぐらいになって、死ななかったひとまで含めると、一〇万とか、二〇万人っていってた。(村上龍発言 柄谷行人との対談2000.10.25 『NAM生成』所収 P111)


韓国の自殺の話に戻れば、とくに高齢者自殺率が目立つという記事がある。


【社説】韓国の高齢者自殺率、日米の4~5倍とは(中央日報 2012.9.11)

高齢者自殺率は10万人当たり81.9人で全体平均の2.4倍だ。日本の17.9人、米国の14.5人の4~5倍水準だ。2010年の全自殺者の4人に1人以上に当たる28.1%、4378人が高齢者だ。

…………


◆韓国の年金制度(SAPIO2014年3月号

韓国で一般国民を対象にした国民年金制度が導入されたのは1988年。当初は「従業員10名以上の事業所で働く労働者」が対象で、国民皆年金が実現したのはわずか15年前の1999年だ。

 国民年金は「事業所加入者」(企業就労者)と「地域加入者」(自営業者など)に大別され、前者は保険料を労使で折半。後者は全額個人が支払う。専業主婦などの任意加入も可能だが、韓国国民年金研究院による昨年の調査では国民の約4割がいずれの年金にも未加入だった(15歳以上の世帯で所得のある者を対象とした調査)。

 制度導入当時、基準所得額(日本の標準報酬月額に相当)の3%だった保険料率は段階的に引き上げられ、現在は一律9%となっている。また現行の受給開始年齢は60歳だが、2033年までに65歳まで引き上げられることが決定済みだ。韓国の就労者の実質的な定年は50歳代。受給開始までの数年間、場合によっては10年以上も無収入になる恐れがある。

 それだけではない。税金を投入しないため、年金支給額も減らされ続けている。40年間加入した場合の給付額の所得代替率(現役時代の収入に対する割合)は当初の70%から60%(1998年)、50%(2007年)と引き下げられ、今後も毎年0.5%ずつ引き下げて2028年に40%にすることが決まっている。

 昨年、国民年金を管理・運用する国民年金公団(NPS)が1955~63年生まれ(ベビーブーム世代)の年金加入状況を元に、彼らが将来的に受け取る年金を試算。1人当たりの平均受給月額は約46万ウォン(約4万4000円)となり、生活保護の現金給付月額約49万ウォン(約4万7000円)を下回った。

 一方で、この世代の実に50.8%が年金未加入という調査報告もある。被保険者の配偶者を対象とする「第3号被保険者」のような制度がなく、女性の任意加入者は少ない。なお、最低加入期間の20年を満たさない場合は受給額を大幅減額されるため、手にする金額は日本円で数千円ということもある。

 それでも、年金を受け取れる世代はまだ恵まれている。韓国では制度開始からわずか25年余りで早くも年金制度崩壊の危機が叫ばれているからだ。亜細亜大学アジア研究所・奥田聡教授が語る。

「韓国の少子高齢化は深刻で2026年には老齢人口比率が20%の超高齢社会になります。現在、現役世代6人で高齢者1人を支える世代間扶養比率が30年後には1.6人で1人を支えることになる。今後、保険料率と受給年齢を段階的に引き上げたところで将来的な制度の維持は極めて難しい。政府は年金財源の枯渇を2060年ごろとしていますが、かなり甘い見通しと言わざるを得ません。政府は税金を投入する余裕もない」

ーーこの記事もどれだけ信頼の置けるものかどうかは検証せずに、おそらくほぼ正しいのだろう、という前提で以下の文を書き継ぐ。

《韓国の少子高齢化は深刻で2026年には老齢人口比率が20%の超高齢社会になります》とあるが、各国の高齢化比率推移・予測は次の通り。




日本が世界一の少子超高齢化社会であるのは、しばらくは「安泰」であるが、社人研推計ではなく、国連推計であれば、2060年頃に韓国が日本を上回り始めるデータとなっているのが分かる(ただし50年後の人口予測というのは、あまり当てにはならない、としておこう。少子化という言葉が日本で流通しだしたのは、1990年前後で、それまでまったく予測されていなかったと言ってよいらしい)。


※参考:大和総研の「超高齢日本の 30 年展望 持続可能な社会保障システムを目指し挑戦する日本―未来への責任」(理事長 武藤敏郎 監修 調査本部)より

人口予測は経済予測よりも確実だという言い方がよく聞かれるが、それは今から 50 年前に現在の 人口構造をほとんど予測できなかったことを忘れた議論である。 「少子化」という言葉が登場したの は 1990 年代になってからのことであり、 1980 年代まで私たちは現在ほどの少子高齢化を想定できな かったのである。恐らく、私たちは今から 50 年後の人口構造を正しく予測することはできないだろ う。 これまで各時点で人口の将来推計は行われてきたが、 将来推計人口とは、 あくまでも最近の傾向を 延長して将来に投影したプロジェクションにすぎない。そこには例えば賃金や価格の変化によって 人々の行動(出生行動や居住地の移動)が変化するという要素は組み入れられていない。50 年先の 人口構造は、 現在の傾向の延長線上にあるのではなく、 人々の考え方の変化や経済動向などによって 大きく変化すると考えた方がよいだろう。だからこそ経済成長は重要なのである。 とはいえ、今後の 20~30 年先までについて言えば、人口推計結果に近い現実が訪れる確率はかな り高い。
高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人、2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)。
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。

…………

韓国の年金の平均受給月額は約46万ウォン(約4万4000円)というのは、物価水準を考慮しても(参照:世界の物価比較)、その額の低さに驚くが、韓国の国民負担率(租税負担率と社会保障負担率の合計)は、財務省の資料:OECD諸国の国民負担率(対国民所得比)を参照。資料が細かくて見にくいのでここでは添付しない(この資料の時点では、韓国は日本より6%ほど負担率が低いのが分かる)。かわりに主要国家の国民負担率の図表(韓国は含まれない)を貼り付ける。


国民負担率の国際比較





西欧諸国に比せば、国民負担率を上げる余地が、日本にはあることがわかる(その具体的な方法は、消費税増ということになるのだろう)。

消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。(岩井克人


※参考
日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」

参考2:「貨幣」から読み解く2014年の世界潮流(岩井克人)

これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。

 消費増税は、もちろん短期的には消費に対してマイナスだろうが、法人税減税などと組み合わせれば、インパクトを最小限に抑えることができる。重要な点は、消費増税によって財政規律に対する信頼を回復させ、長期金利を抑制することだ。実際、消費増税の実施が決定的となった昨年9月には、長期金利は低下した。

現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。

このような議論をすると、「1997年に消費税を3%から5%へ引き上げたあと、日本経済は不況に陥ったのではないか」との反論が上がる。しかし当時の景気減退は、バブル崩壊後の不良債権処理が住専問題騒動で遅れ、日本が金融危機になったことが主因である。山一證券や北海道拓殖銀行の破綻は、小さな規模のリーマン・ショックだったのである。

また、「消費税は弱者に厳しい税だ」という声も多い。だが、消費額に応じて負担するという意味での公平性があり、富裕層も多い引退世代からも徴収するという意味で世代間の公平性もある。たしかに所得税は累進性をもつが、一方で、「トーゴーサン(10・5・3)」という言葉があるように、自営業者や農林水産業者などの所得の捕捉率が低いという問題も忘れてはいけない。



さて最後に、各国の出生率の図表をみてみるが、ここでも韓国の推移は驚くべきものとなっている。


各国の合計特殊出生率推移




…………

※附記

自殺率の話ではないが他国の死亡統計をめぐって。わたくしは東南アジアのある国に住んでいるのだが、たとえば交通事故で病院に収容されるとする。家族は負傷者がもう助からないと観念したら、病院から家に連れて帰ろうとする習慣がある。すると、おそらくこの死者は、統計上は、おそらく交通事故死と扱われていないことになるはずだ。

今はそれほどでもないが、十年ほどまえは、バイク事故で血まみれになった負傷者が道にころころ転がっていた時期がある。どうもこの国の交通事故者数の統計は過小評価されている、としばしば疑ったものだ。

もちろんそんな国では、交通事故負傷者の統計はさらに信憑性が低い。それは次の表の負傷者数と死亡者数の割合を眺めたら一目瞭然。日本では、交通事故負傷者数の0.8%が死者であるのに対し、たとえばインドネシアでは63パーセントを越えた数が死者。


◆「ASEAN諸国諸国における交通事故データの整備状況と今後の取り組み」より
http://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00039/200506_no31/pdf/193.pdf









2014年3月23日日曜日

剥き出しの市場原理と猖獗するネオナチ

おそらくたいして政治に関心がないひとでも、二一世紀初頭前後から、なぜファシズム、あるいは極右の活動が目に余るようになったのか、という疑問を抱かざるをえない状況に、ますます直面しているといってよいだろう。日本でも、とくにこの数年のヘイトスピーチやネオ・ナチ的振舞いの露顕は、ただ顔を顰めてやり過ごしたらよい範囲を超えている。すなわち「排外主義を唱える連中はみな愚かで幼稚に見えた。何もできまい、放っておけ」としておくだけでは済まない様相を呈している。






以下は、その「たいして政治に関心」がなかった人物によるメモであり、少ない文献からの抜き書きにすぎず、偏った観点でしかないのは言うまでもないが、やはり最初にそのことを強調しておこう。

私が思うに、極右が力を得ている原因の一つは、左翼 が今や直接に労働者階級 に自らの参照点を置くことに消極的になっていることにある。左翼 は自らを労働者階級 として語ることにほとんど恥を抱いており、極右が民衆の側にあると主張することを許している!左翼 がそれをするときは、民族 的な参照点を用いることで自らを正当化する必要性を感じているようだ。「貧困に悩むメキシコ 人」とか「移民 」云々で。極右 は特別のそして結束力のある役割を演じている。「民主主義 者たち」の大部分の反応は見るとよい。彼らは、ル・ペンについて、受け入れがたい思想 を流布する者だと言いながら、「しかし...」とことばを継ぐ。こうやって、ル・ペンが「ほんとうの問題」を提起していると言外に述べようとする。そうしてそのことによってル・ペンの提起した問題を自分たちがとりあげることを可能にする。中道リベラル は、根本 的には、人間の顔をしたル・ペン主義だ。こうした右翼 は、ル・ペンを必要としている。みっともない行き過ぎに対し距離をとることで自らを穏健派と見せるために。私が、2002年 [大統領選挙 ]の第2回投票 の際の対ルペン連帯について不愉快に思ったのは、それが理由だ。そしていまや少しでも左に位置しようとすると、すぐさま極右 を利用しようとしていると非難される。それが示しているのは、ポスト ・ポリティックの中道リベラルが極右の幽霊 を利用し、その想像上の危険を公的な敵に仕立て上げようとしていることだ。偽りの政治 対立の格好の例がここにあると私は思う。(ジジェク『資本主義の論理は自由の制限を導く』2006――「涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!」)

ここでの《中道リベラルが極右の幽霊 を利用し、その想像上の危険を公的な敵に仕立て上げようとしている》とは、極右が政権をとらないまでも、中道派が極右の主張に擦り寄って、政権維持に努める現象を指摘しているということになるはずだ。

そのことは次のジジェクのヴィデオでの発言の要約が示す。


たとえば、2010年夏、フランスのサルコジ政権は少数民族ロマの国外「追放」政策を打ち出し、欧州連合(EU)諸国から激しい批判を浴びました。10月になると、1960年代以来、外国人労働者を受け入れてきたドイツのメルケル首相が、同国は多文化主義の社会構築に「完全に失敗した」とし、移民にドイツ社会への統合を迫りました。さらに2011年2月には英国のキャメロン首相が同国で育ったイスラム教徒の若者がテロの土壌となっているイスラム過激思想に走っているとし、英国の移民政策の基本となってきた多文化主義の政策、すなわち「異なる文化が互いに別々に、社会の主流から離れて存在することを勧めてきた」英国の政策は失敗だった、今後は「寛容さ」ではなく、西洋の価値観を守り国家アイデンティティーを強化する「より積極的で強力な自由主義」が必要だとする見解を表明しました。


ジジェクは、《極右が力を得ている原因の一つは、左翼 が今や直接に労働者階級に自らの参照点を置くことに消極的になっていることにある》とする。さて日本ではどうなのかを問うほどには、わたくしは詳しくない。ただ「低賃金」者や「非正規労働者」などの割合が激増しているらしきことぐらいは知っている。そして企業などの労働組合が「正規労働者」の保護に汲々としており、むしろ反「非正規労働者」の姿勢を持っているらしきことを。あるいはまた比較的高等な教育を受けた学生たちが、その能力に応じた職を見つけがたい状況にあるという意味で、彼らが労働者階級化しているということを。

もっとも最後に掲げたエリートの労働者階級化は、すでにかなり前に次のような指摘がある。

せっかく入試にとおったエリートの学生がなぜ真先に異議申立てをするのか。フランス革命においてもロシア革命においても貴族たちが身分社会への反乱の理論を用意したのと似ている。これは単純な「ノブレス・オブリージェ」ではない。「体制」の中で不当に低く待遇されるであろうという予感を抱いていた若者である。今あまり人気のない歴史家トインビーであるが、彼が指摘するとおり、文化の「リエゾン・オフィサー」(連絡将校)としてのインテリゲンチアへの社会的評価と報酬とは近代化の進行とともに次第に低下し、その欲求不満がついにはその文化への所属感を持たない「内なるプロレタリアート」にならしめると私は思う。 (中井久夫「学園紛争は何であったのか」書き下ろし『家族の深淵』1995


あるいはまた、2012年に上梓されたジジェクの『LESS THAN NOTHIGの最終章には、次のような叙述がある。
a whole generation of students have almost no chance of finding a job corresponding to their qualifications, which leads to massive protests; and the worst way to resolve this gap is to directly subordinate education to the demands of the market—if for no other reason than that the market dynamic itself renders the education provided by universities “obsolete.”

大学教育でさえ、市場の要求に屈服しつつある現象は、日本でも歴然としている。

ジジェクはフレデリック・ジェイムソンの論を引用しつつ、次のようにも書いている。

we must shift the accent of our reading of Marx's Capital to “the fundamental structural centrality of unemployment in the text of Capital itself”: “unemployment is structurally inseparable from the dynamic of accumulation and expansion which constitutes the very nature of capitalism as such.” In what is arguably the extreme point of the “unity of opposites” in the sphere of the economy, it is the very success of capitalism (higher productivity, etc.) which produces unemployment (renders more and more workers useless)—what should be a blessing (less hard labor needed) becomes a curse.

「日本では労働生産性が低い、それは高くしなければならない」、あるいは「経済成長の本質は労働生産性である」と識者たちは言うが、労働生産性を上昇させることは、失業を生む。これも資本の論理の必然であるに相違ない(--といえば言いすぎかもしれない。ここでは「技術的失業Technological Unemployment」という概念があることだけを附記しておこう)。


ところで、おそらく九十年代なかばあたりからだろう、「剥き出しの市場原理」、あるいは「資本の欲動」という言葉がしばしば流通するようになったはずだ。

「資本の欲動」とは次のようなことである。

資本主義の「正常な」状態は、資本主義そのものの存在条件のたえざる革新である。資本主義は最初から「腐敗」しており、その力をそぐような矛盾・不和、すなわち内在的な均衡欠如から逃れられないのである。だからこそ資本主義はたえず変化し、発展しつづけるのだ。たえざる発展こそが、それ自身の根本的・本質的な不均衡、すなわち「矛盾」を何度も繰り返し解決し、それと折り合いをつける唯一の方法なのである。したがって資本主義の限界は、資本主義を締めつけるどころか、その発展の原動力なのである。まさにここに資本主義特有の逆説、その究極の支えがある。資本主義はその限界、その無能力さを、その力の源に変えることができるのだ。

「腐敗」すればするほど、その内在的矛盾が深刻になればなるほど、資本主義はおのれを革新し、生き延びなければならないのである。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)
マルクスが資本の考察を守銭奴から始めたことに注意すべきである。守銭奴がもつのは、物(使用価値)への欲望ではなくて、等価形態に在る物への欲動――私はそれを欲望と区別するためにフロイトにならってそう呼ぶことにしたいーーなのだ。別の言い方をすれば、守銭奴の欲動は、物への欲望ではなくて、それを犠牲にしても、等価形態という「場」(ポジション)に立とうとする欲動である、この欲動はマルクスがいったように、神学的・形而上的なものをはらんでいる。守銭奴はいわば「天国に宝を積む」のだから。(柄谷行人『トランスクリティーク』)


「むき出しの市場原理」とは、これはごく最近の浅田彰の語りだが、まずはそれを引用しよう。

・歴代の経団連会長は、一応、資本の利害を国益っていうオブラートに包んで表現してきた。ところが米倉は資本の利害を剥き出しで突きつけてくる……

・野田と米倉を並べて見ただけで、民主主義という仮面がいかに薄っぺらいもので、資本主義という素顔がいかにえげつないものかが透けて見えてくる。(浅田彰 『憂国呆談』2012.8より)

その「剥き出しの市場原理」にどうのように対応するイデオロギーが主流かといえば、次の如し。

(世界で支配的なイデオロギーの主流は)資本主義的な現実が矛盾をきたしたときに、それを根底から批判しないまま、ある種の人間主資義的モラリズムで彌縫する機能しか果たしていない。上からの計画というのは、つまり構成的理念というのは、もうありえないので、私的所有と自由競争にもとづいた市場に任すほかない。しかし、弱肉強食であまりむちゃくちゃになっても困るから、例えば社会民主主義で「セイフティ・ネット」を整えておかないといかないーーこのように資本主義的なシニシズムと新カント派的なモラリズムがペアになって、現在の支配的なイデオロギーを構成しているのではないかと思う(浅田彰 シンポジウム「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」2000.11.27

なぜ、90年代から剥き出しの市場原理が目立つようになったのか、といえば、《今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない》とする中井久夫の説明が簡にして要を得ていると思う。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。

(……)

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)

ところで、「剥き出しの市場原理」とは「資本の欲動」のことであるが、ここで「欲動」という言葉に抵抗があるなら、資本の論理としてもよい。

『終りなき世界』(柄谷行人・岩井克人対談集1990)から名著『貨幣論』を書くすこし前の岩井克人が資本主義とは何かを語る箇所を抜き出しておこう。


【ふたつの資本主義】

じつは、資本主義という言葉には、二つの意味があるんです。ひとつは、イデオロギーあるいは主義としての資本主義、「資本の主義」ですね。それからもうひとつは、現実としての資本主義と言ったらいいかもしれない、もっと別の言葉で言えば、「資本の論理」ですね。

実際、「資本主義」なんて言葉をマルクスはまったく使っていない。彼は「資本制的生産様式」としか呼んでいません。資本主義という言葉は、ゾンバルトが広めたわけで、彼の場合、プロテスタンティズムの倫理を強調するマックス・ウェーバーに対抗して、ユダヤ教の世俗的な合理性に「資本主義の精神」を見いだしたわけで、まさに「主義」という言葉を使うことに意味があった。でも、この言葉使いが、その後の資本主義に関するひとびとの思考をやたら混乱させてしまったんですね。資本主義を、たとえば社会主義と同じような、一種の主義の問題として捉えてしまうような傾向を生み出してしまったわけですから。でも、主義としての資本主義と現実の資本主義とはおよそ正反対のものですよ。p141

ほぼ同時期に書かれた柄谷行人の「歴史の終焉にて」には、岩井克人の言葉を捕捉するような文章がある(これは岩井克人との対談でも似たようなことが書かれているが、こちらのほうがより明快に整理されている)。

……資本主義圏と社会主義圏があるというのはうそである。資本主義は世界資本主義としてあり、「社会主義圏」はその内部にしか存在したことがない。だが、こうした二項対立がなぜ戦後を支配したのだろうか。

もともと戦後体制は、一九二九年恐慌以後の世界資本主義の危機からの脱出の方法としてとられた、ファシズム、共産主義、ケインズ主義のなかで、ファシズムが没落した結果である。それらの根底に「世界種本主義」の危機があったことを忘れてはならない。それは「自由主義」への信頼、いいかえれば、市場の自動的メカニズムへの信頼をうしなわしめた。国家が全面的に介入することなくしてやって行けないというのが、これらの形態に共通する事態なのだ。それらが各々支持されたのは、失業問題と農業問題をそれぞれ何とか解決したからである。だが、それは軍事経済によってであり、そのために戦争が不可避的となった。この場合、アメリカの経済についていえば、これもニュー・ディールによってではなく実際は軍事生産によって回復したことを忘れてはならない。

第二次大戦は、植民地や領土をもたないがゆえに侵略的であったファシズム国家群と、もつがゆえに非侵略的であった国家群のあいだで起こった帝国主義戦争である。いうまでもなく、この戦争は、どちらからも美しい「理念」で語られたのである。もともと孤立主義的であったアメリカとソ連は、この戦争の勝者として戦後において逆に「帝国主義的」な政策と軍事経済をとりつづけた。戦後体制は戦前の二項対立の変形としてあったのだ。それは、自由主義と共産主義という理念の争いなのではなく、戦前の帝国主義戦争の延長として存続してきたものである。それは「原理」の問題ではなく、世界資本主義の問題なのだ。(柄谷行人「歴史の終焉について」p159-160『終焉をめぐって』1990所収)

 世界資本主義、すなわち「資本の論理」の席巻に対抗するために、かつては、《ファシズム、共産主義、ケインズ主義》があったとされている。

 この認識はジジェクもほぼ同様。

 We should not forget that the first half of the twentieth century was marked by two big projects which fit this notion of alternate modernity perfectly: Fascism and Communism.Was not the basic idea of Fascism that of a modernity which provides an alternative to the standard Anglo-Saxon liberal-capitalist one of saving the core of capitalist modernity by casting away its contingentJewish-individualist-profiteering distortion? And was not the rapid industrialization of the USSR in the late 1920s and 1930s also an attempt at a modernization different from the Western-capitalist one?(Zizek"The Parallax View")

”the standard Anglo-Saxon liberal-capitalist ”が、「世界資本主義」者のこととしてよいだろう。

さて、現在の政治やイデオロギーが、《資本主義的な現実が矛盾をきたしたときに、それを根底から批判しないまま、ある種の人間主資義的モラリズムで彌縫する機能しか果たしていない》のであるならば、そして、かつての選択肢がファシズム、共産主義、ケインズ主義》であって、仮に現在もかつての選択肢以外によい案がなく、いまそのなかからどれかを選ばなければならないとしたら、どれを選ぶだろうか。われわれは1970 年代のスタグフレーションに対するケインジアンの無力を知ってしまっている。

冒頭の問い、《ファシズム、あるいは極右の活動が猖獗しはじめるようになったのか》は、このような論理的な帰結として、ファシズムを選ぼうとする種族が力を得ているとすることもできるのではないか。

彼(ヒットラー)がユダヤ人を標的にしたことは、結局、本当の敵——資本主義的な社会関係そのものの核——を避けるための置き換え行為であった。ヒトラーは、資本主義体制が存続できるように革命のスペクタクルを上演したのである。(ジジェク『暴力』)

日本の若者たちは、己の「資質」に見合った職が得られなかったり、妥協して得た職もかなりの割合で「非正規雇用」でしなかい。あるいはまた、《人口構造も逆ピラミッド状態で、制度をいくらいじったって、年金制度が維持できる訳もない》(田中康夫)のを誰もが知っているにもかかわらず、高齢者への比較的厚い保証の負担だけは要求される。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」

なんらの新しい視野を与えてくれる政策や政党があるわけでもない。ときたま線香花火のようにベーシックインカム制度なる記号が口にされることもあるが、それとて導入の検討がたいしてなされている気配はなく、またその制度的機能も未知数だ。

……popularised in Europe and latin America, of basic income. I like it as an idea but I think it's too much of an ideological utopia. For structural reasons, it can't work. It's the last desperate attempt to make capitalism work for socialist ends. The guy who developed it, Robert Van Parijs, openly says that this is the only way to legitimise capitalism. Apart from these two, I don't see anything else.(Interview with Slavoj Zizek

こういった資本の論理の席巻に鬱憤をいだく若者たち=内なるプロレタリアだけが、排外主義に向かうというのはおそらく事実に反するだろうが、その若者たちを中心に極右の勢力が力をよりいっそう増すのではないか、というのは「杞憂」といっているだけでは済まされない。左翼や中道リベラルの「彌縫策」にはうんざりしている若者は思いのほかの数になるはずだから。

冒頭近くに掲げたようにーージジェクの西欧諸国の文脈上での指摘だがーー、《極右が民衆の側にあると主張することを許している!》としている状況に到るまで、日本も半歩ほどの距離しかないのではないか、と、<この今>疑ってみる必要がある。




            ----- 東西線の西葛西駅周辺(2014.3.23)---


…………


◆附記:「貨幣」から読み解く2014年の世界潮流(岩井克人)

これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。

 消費増税は、もちろん短期的には消費に対してマイナスだろうが、法人税減税などと組み合わせれば、インパクトを最小限に抑えることができる。重要な点は、消費増税によって財政規律に対する信頼を回復させ、長期金利を抑制することだ。実際、消費増税の実施が決定的となった昨年9月には、長期金利は低下した。

現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。

このような議論をすると、「1997年に消費税を3%から5%へ引き上げたあと、日本経済は不況に陥ったのではないか」との反論が上がる。しかし当時の景気減退は、バブル崩壊後の不良債権処理が住専問題騒動で遅れ、日本が金融危機になったことが主因である。山一證券や北海道拓殖銀行の破綻は、小さな規模のリーマン・ショックだったのである。

また、「消費税は弱者に厳しい税だ」という声も多い。だが、消費額に応じて負担するという意味での公平性があり、富裕層も多い引退世代からも徴収するという意味で世代間の公平性もある。たしかに所得税は累進性をもつが、一方で、「トーゴーサン(10・5・3)」という言葉があるように、自営業者や農林水産業者などの所得の捕捉率が低いという問題も忘れてはいけない。

ちなみに武藤敏郎氏(元大蔵・財務事務次官、日本銀行副総裁)が取り仕切る大和総研(DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」)の比較的「楽観的な」シミュレーションでは次のようになるらしい(標準的なシナリオでは消費税30%以上が必要)。

日本が設けることになるであろう最終的な消費税率は、どれだけ高いとしても 25%が限界だと思われる。それ以上となれば、日本の国民負担の大きさは明確に北欧国家グループに含まれることになるが、市場経済に対する考え方や官民の役割分担などの観点から、それを目指すことに合意が得られるとは考えにくい。他方、世界で最も高齢化していく先進国である日本において、米国型の社会保障や福祉の体系を目指すという国家像も受け入れられないだろう。日本が目指すべきは、おのずと欧州大陸主要国並みの負担と受益ということになる。改革シナリオのシミュレーション上は 2036 年度以降の消費税率を 25%と想定する。


2014年3月22日土曜日

お悔やみツイート

あくまでも私の場合だけどさ、お悔やみツイートは、こんな人にも関心ある私ってカッケーさしょ?ってアピりたいだけ、って気がするんで、ルー・リードの死はそっと悼もう……って言っちゃ同じことか(香山リカ  ツイート)

ってのが揉めたよな
揉めたといっても炎上というほどではなかったかも
いま検索して日付みると
20131028日か
もう皆さん忘れているかもしれないけど

《われわれはみな心のうちに好みや嫌悪や無関心の一覧表をもっている》(ロラン・バルト『明るい部屋』P28)

失礼ながら香山リカさんは
どちらかというとわたくしの一覧表では
嫌悪と無関心のあいだを揺れ動いている方なのだが       
追悼批判のツイートは「好み」の引き出しに仕舞ってある

追悼ツイートがカッケーでしょ?
ってアピリたいだけかどうかは保留するにせよ
こんなに哀しんでいるアタシやボクチャンを見て!
って印象を抱きたくなるのは同意見だな
なかには真摯にボソっと
哀しみの発露をする囀りはあるさ
だけどそんなのは稀な例外だね

追悼とは本来「死者」に向けてなされるもの
眼差しと声は「死者」に向けられるもの
仮に生き残った者へのメッセージがあるとしても
それは背中で語るもの

仲間同士の湿った瞳の交わし合いのために
お悔やみツイートされちゃね

ドゥルーズがある種の「知識人」を批判したらしいけれど
「強制収容所と歴史の犠牲者を利用して」いる
「屍体を食い物にしている」と
そんな印象を受けるのだよな
追悼の大合唱の輪が
毎度のこと拡散するのを見ると

…………

誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできます。いいかえれば、彼のメタ-言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)

人間の発話にどうしようもなく本来的にそなわってしまう、言表内容enonceと言表行為enonciationとの間の還元不能な落差といわれるものだ。

たとえばジジェクならこう言う、《すべての発話はなんらかの内容を伝達するだけでなく、同時に、主体がその内容にどう関わっているかをも伝達する》(ジジェク『ラカンはこう読め』)

もちろんこれは発話行為だけではなく、たとえば何を所有しているかを示すときにも、その「所有」内容ではなく、「所有」行為の意味するところに注意することができる。

大都市に住み、(どうみても彼には役に立たない)四輪駆動車を所有している男は、たんにきまじめで現実主義的な生活を送っているだけではない。むしろ彼は、自分がきまじめで現実的な姿勢という旗印の下で生活していることを示すために、そのような車を所有しているのだ。ストーン・ウォッシュのジーンズをはくことは、人生に対するある特定の姿勢を示すことである。(『ラカンはこう読め!』)

たとえばある人が、この三年経た現在、福島に訪れたと囀るとしよう。これは言表内容だが、それをわざわざツイッターでつぶやくという行為は、《私はあなたたちのように福島のことを忘れているわけではなく、今もって痛みをもってあの災害を反芻しているのだ》と己れの優越性を誇示したいのではないかと推察(あるいは邪推)することができる(もちろん例外はあるぜ)。

真に「喪の作業」とやらで強い哀惜の念を覚えたなら
やっぱり帰ってきてすぐさまツイートなどしないよな
発酵させて語るべきものだよ


事実、具体的に何ものかと遭遇するとき、人は、説話論的な磁場を思わず見失うほかないだろう。つまり、なにも語れなくなってしまうという状態に置かれたとき、はじめて人は何ごとかを知ることになるのだ。実際、知るとは、説話論的な分節能力を放棄せざるをえない残酷な体験なのであり、寛大な納得の仕草によってまわりの者たちと同調することではない。何ものかを知るとき、人はその物語を喪失する。これは、誰もが体験的に知っている失語体験である。言葉が欠けてしまうのではなく、あたりにいっせいにたち騒ぐ言葉が物語的な秩序におさまりがつかなくなる過剰な失語体験。知るとは、知識という説話論的な磁場にうがたれる欠落を埋めることで、ほどよい均衡におさまる物語によって保証される体験ではない。知るとは、あくまで過剰なものとの唐突な出合いであり、自分自身のうちに生起する統御しがたいもの同士の戯れに、進んで身をゆだねることである。陥没点を充填して得られる平均値の共有ではなく、ときならぬ隆起を前に、存在そのものが途方に暮れることなのだ。この過剰なるものの理不尽な隆起現象だけが生を豊かなものにし、これを変容せしめる力を持つ。そしてその変容は、物語が消滅した地点にのみ生きられるもののはずである。(蓮實重彦『物語批判序説』)


このブログの例をだそう。わたくしが「差別」や「排外主義」をめぐってなにやら書く。その内容以外も、そこで伝えているのは、《私はきみたちのように「差別」に無関心な人間ではないのだ、わたくしはつねに「差別」に関心を持ち続けている《誠実な人間》なのだ》ということを伝えたいのではないかと勘ぐることができる。

ツイッターなど眺めていると、こうやって勘ぐる楽しみのサンプルには枚挙の暇がないのであって、こういう人物を「ひねくれ者」という、――と書けば自らを相対化して、笑うことのできる人間であることを示したいという言表行為とすることができる。そしてこの但し書きでさえ、自らの言表行為の内実を暴露する「謙虚さ」を示したいのかもしれない。

香山リカさんの《ルー・リードの死はそっと悼もう……って言っちゃ同じことか》ってのは、これと似たような相対化のメカニズムが働いており、まあやっぱり「精神科医」らしいツイートだな(二流の、だろうな、一流の精神科医だったら、密かにひとりでほくそ笑む程度にしておくはずじゃないか。ーーシツレイ!)。

次のような素朴な「インテリ」の反撥ツイートよりは余程まともだね(これは「糸井重里とその仲間たち」の一員のツイートだけどね)。

以前ルー・リードへのお悔やみツイッターに「(よく知らないのに)私っておしゃれピープルなのよ!とアピールしてるだけ」といった意見を見かけたが、これもさっきの映画と同様。マニア的になんでも全部記憶する人だけがファンじゃない。作った人は自分の作品を喜んでもらっただけで価値があるでしょ。


ロラン・バルトは日記を書く動機をいくつか挙げ、最後に言表行為/言表内容を対比させ、自らの言表行為に注意深くあれ、と書いている。

……第四の動機は「日記」を文の作業場にすることである。《美しい》文のではない。正確な文のである。つまり、絶えず言表行為〔エノンシアシオン〕の(言表〔エノンセ〕のではない)正確さを磨くことである。夢中になって、一生懸命、デッサンのように忠実に。もうまるで情熱としっていいほどに。《もしあなたのくちびるが正しい事を言うならば、わたしの心も喜ぶ》(『箴言』、第二十三章十六節)。これを愛の動機と名づけよう(多分、熱愛的とさえいってもいいだろう。私は「文」を熱愛する)。……(ロラン・バルト「省察」1979『テクストの出口』所収

だがひとびとの発話は、その殆どが「偽善」だといってバカにするなかれ!とも言っておこう。

「福島」や「差別」を言い募ることは偽善かもしれない。だが偽善者の言表内容は、場合によっては、人々の目に触れることによって、それを忘れるな、眼を塞ぐな、という機能をもつ。

その偽善ばかりに注目して顔を顰めてみせていたら、「肝腎なことを見落としてしまう」。これがラカンの「[騙されない]人は間違える(Les non-dupes errent)」の意味するところである。

マルクス兄弟の映画の一本で、嘘を見破られたグルーチョが怒って言う。「お前はどっちを信じるんだ? 自分の眼か、おれの言葉か?」 この一見ばかばかしい論理は、象徴的秩序の機能を完璧に表現している。社会的仮面のほうが、それをかぶっている個人の直接的真実よりも重要なのである。この機能は、フロイトのいう「物神崇拝的否認」の構造を含んでいる。「物事は私の目に映った通りだということはよく知っている。私の目の前にいるのは堕落した弱虫だ。それにもかかわらず私は敬意をこめて彼に接する。なぜなら彼は裁判官のバッジをつけいてるので、彼が話すとき、法が彼を通して語っているのだ」。ということは、ある意味で、私は自分の眼ではなく彼の言葉を信じているのだ。確固たる現実しか信じようとしない冷笑者(シニック)がつまずくのはここだ。裁判官が語るとき、その裁判官の人格という直接的現実よりも、彼の言葉(法制度の言葉)のほうに、より多くの真実がある。自分の眼だけを信じていると、肝腎なことを見落としてしまう。この逆説は、ラカンが「知っている[騙されない]人は間違える(Les non-dupes errent)」という言葉で言い表そうとしたことだ。象徴的機能に目を眩ませることなく、自分の眼だけを信じ続ける人は、いちばん間違いを犯しやすいのである。自分の眼だけを信じている冷笑者が見落としているのは、象徴的虚構の効果、つまりこの虚構がわれわれの現実を構造化しているということである。美徳について説教する腐敗した司祭は偽善者かもしれないが、人びとが彼の言葉に教会の権威を付与すれば彼の言葉は人びとを良き行いへと導くかもしれない。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ひとびとの偽善を暴いて悦に入るのはやめようぜ
「屍体を喰い物にする」お悔やみツイートだって
ほんとうに哀しみたい人への
情報提供になることだってあるさ      

でもヤメラレナイんだよな
プルーストさん あなたのせいだよ

……なぜなら、私の興味をひくのは、人々のいおうとしている内容ではなくて、人々がそれをいっているときの言いぶりだからで、その言いぶりも、すくなくともそこに彼らの性格とか彼らのこっけいさがにじみでているのでなくてはいけなかった、というよりも、むしろそれは、特有の快楽を私にあたえるのでこれまでつねに別格の形で私の探求の目的になっていたもの、すなわち甲の存在にも乙の存在にも共通であるような点、といったほうがよかった。そんなもの、そんな点を認めるとき、はじめて私の精神は、突然よろこびにあふれて獲物を追いかけはじめるのだが、しかしそのときに追いかけているものは(……)、なかば深まったところ、物の表面それ自体からかなたの、すこし奥へ後退したところにあるのであった。そして、それまでの私の精神といえば、たとえ私自身、表面活発に話していても――その生気がかえって精神の全面的な鈍磨を他の人々に被いかくしていて――そのかげで精神は眠っていたのであった。したがって、精神が深い点に到達するとき、存在の、表面的な、模写的な魅力は、私の興味からそれてしまうというわけだ、というのも、女の腹の艶やかな皮膚の下に、それを蝕む内臓の疾患を見ぬく外科医のように、もはや私はそのような表面の魅力にとどまる能力をもたなくなるからだった。(プルースト「見出されたとき」井上究一郎訳)





「涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!」(ジジェク)

今日では、形而上学にあらゆる軽蔑をあらかさまに示すことが、時代の好尚となってしまった。(……しかし)実際、人間の自然的本性にとって無関心でいられないような対象に関する研究に、どれほど無関心を装ったろころで無益である。自分は形而上学に対して無関心であると称する人達が、いくら学問的な用語を通俗的な調子に改めて、自分の正体をくらまそうとしたところで、とにかく何ごとかを考えるかぎり、彼等がいたく軽蔑しているところの形而上学的見解に、どうしても立ち戻らざるをえないのである。(カント『純粋理性批判』)

こう引用したからといって、たいして知っているわけでもない「形而上学的見解」に立ち戻るふりをするつもりはない。だがツイッターなどのインターネット上の書き込みを眺めていると、いまさら素朴に驚くなどとカマトトぶるつもりはないにしろ、いろんな種類のひとの呟き・見解に遭遇して感慨を新たにするということがあるわけで、フロイトやジジェクをいくらか齧り、ラカンを掠った程度のわたくしでも、なんらかの感想を書きたくなることがある。だがそれを「精神分析的見解」などとは安易にいうまい。とはいえ以下に書かれるものは、いささか「心理学的見解」の気味があるには相違ない。

…………

たとえば「貧困」や「差別」に対する姿勢である。「まったく無関心」、「嘆かわしい事態として憂慮する」、あるいは「本気で同情して声を荒立てる」という三種類のタイプがまずは目につくだろう。

……たとえば、ユダヤ人虐待のための暴動を例にとろう。そうした暴動にたいして、われわれはありとあらゆる戦略をとりうる。たとえば完全な無視。あるいは嘆かわしく恐ろしい事態として憂う(ただし本気で憂慮するわけではない。これは野蛮な儀式であって、われわれはいつでも身を引くことができるのだから)。あるいは犠牲者に「本気で同情する」。こうした戦略によって、われわれは、ユダヤ人迫害がわれわれの文明のある抑圧された真実に属しているという事実から目を背けることができる。われわれが真正な態度に達するのは、けっして比喩的ではなく「われわれはみんなユダヤ人である」という経験に到達したときである。このことは、統合に抵抗する「不可能な」核が社会的領域に闖入してくるという、あらゆる外傷的な瞬間にあてはまる。「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」等々。(ジジェク『斜めから見る』p260)


ジジェクの指摘する四つ目のタイプはひとまず置くことにして、一見真摯な態度、「本気で同情して声を荒立てる」タイプに似たような態度を諌める発言として、すこしまえに次のような「正義欲」をめぐる簡潔なツイートにめぐりあった。

@smasuda: 「正義欲」というものがある。無関係の他人の振舞いをみて「こんな不正をしてけしからん」「こんな下劣なことをしてけしからん」と正義の怒りに身を任せる快楽に浸りたい欲望である。人々の正義欲を刺戟するビジネスを「下劣でけしからん」と思うのならば正義欲の発露はほどほどにしとくのが吉

このツイートが《軽薄な幻想の支配を告発する身振りに自足しうる軽薄さ》(蓮實重彦『物語批判序説』)でしかないかどうかは判断を保留しよう。だがインテリとは誰もがこのような一見「気の利いた」発話をしてみたくなるものだ。ときに似非インテリ・にわか知識人として振舞いたくなるわたくしももちろん例外ではない。

もっとも、繰り返すが、「正義欲」なるものは、ときに、己れ加害性を忘れるために、あるいは隠蔽するために、発露されることはあるという意味で、上のツイートの内容自体を批判するつもりは毛頭ない。

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)

あるいはフロイトやジジェクなら、次のように指摘する。

社会的公正の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等の要求こそ社会的良心と義務感の根元である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)
ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

…………

ここでジジェクが最近の大著『LESS THAN NOTHING』で、フロイト、あるいはラカンの「政治的」態度をもふくめて批判=吟味している文を原文のまま挿入するが、これは読み飛ばしてもらっていい。

We should reject here the common‐sense view according to which, by dispelling all mystifications and illusions, psychoanalysis makes us aware of what we truly are, what we really want, and thus leaves us at the threshold of a truly free decision no longer dependent on self‐delusion. Lacan himself seems to endorse this view when he claims that “if, perhaps, the analysis makes us ready for the moral action, it ultimately leaves us at its door”: “the ethical limits of the analysis coincide with the limits of its praxis. This praxis is only a prelude to a moral action as such.”2 However, does not Lacan outline here a kind of political suspension of the ethical? Once we become aware of the radical contingency of our acts, the moral act in its opposition to the political becomes impossible, since every act involves a decision grounded only in itself, a decision which is, as such and in the most elementary sense, political. Freud himself is here too hasty: he opposes artificial crowds (the church, the army) and “regressive” primary crowds, like a wild mob engaged in passionate collective violence (lynching, pogroms). Furthermore, from his liberal perspective, the reactionary lynch mob and the leftist revolutionary crowd are treated as libidinally identical, involving the same unleashing of the destructive or unbinding death drive.3 It appears as though, for Freud, the “regressive” primary crowd, exemplarily operative in the destructive violence of a mob, is the zero‐level of the unbinding of a social link, the social “death drive” at its purest.
註3:Freud's voting preferences (in a letter, he reported that, as a rule, he did not vote—the exception occurred only when there was a liberal candidate in his district) are thus not just a private matter, they are grounded in his theory. The limits of Freudian liberal neutrality became clear in 1934, when Dolfuss took over in Austria, imposing a corporate state, and armed conflicts exploded in Vienna suburbs (especially around Karl Marx Hof, a big workers housing project which was the pride of Social Democracy). The scene was not without its surreal aspects: in central Vienna, life in the famous cafés went on as normal (with Dolfuss presenting himself as defender of this normality), while a mile or so away, soldiers were bombarding workers' blocks. In this situation, the psychoanalytic association issued a directive prohibiting its members from taking sides in the conflict—effectively siding with Dolfuss and making its own small contribution to the Nazi takeover four years later.

よく組織された集団(教会と軍隊)と退行的な原初集団という語彙が出てくることから分かるように、その言及がないにもかかわらず、フロイトの『集団心理学と自我の分析』(ヒットラーが理論書として参考にしたとも言われる)の批判(吟味)としてある。そして註には、ドルフースの名が出てくることから分かるように、フロイトたちの集団の政治的無力が書かれている。いやナチスによる占領に加担してしまった集団として。

ここでは、以下の蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』における次の文の「芸術家」の語に「知識人」、あるいは「学者」を代入して読んでみるだけにする。

芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。p315
自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている(……)。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが、… p461
混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に無自覚であることの高度の政治的選択 p582

…………


さて挿入前に戻れば、正義欲など己れの怨恨の隠蔽さ!、などと安易に言い放ってしまうと、たとえばヘイトスピーチに対する怒りの表出を抑圧することにもなる。あるいは政治行動に参加しない言い訳にもなりうる。たとえば以前に、《主観的には「差別に反対する」意図を持った人たちが、これほど露骨に差別の温床になり、あるいは差別の増幅装置にすらなっていることが、あまりに放置されています》などというツイートを拾ったことがあるが、その見解に頷くにもかかわらず、これも抑圧系の呟きとして機能するだろう。

他方、作家・思想家の佐々木中氏にはこんなツイートがある。

@AtaruSasaki: 知人のプログラマによると、もうギークたちはFacebookにもTwitterにもいない、Github Gistで日記書くのもやめてリアルで会ってる。が、TwitterにはまだRSSリーダの代替としての、そして市民運動の連絡ツールとしての役割が残ってる。

@AtaruSasaki: おっと、もうひとつ役割がありました。それは「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」としての機能です。どっちもどっち論者、そこまでやらなくても論者、内容はいいがやってる人間が気に食わない論者。内心にあるのは既得権益を失いたくないという自己保身。東電か。

@AtaruSasaki: 繰り返しますが、人種差別などの歴とした不正が目前で行われているのに、客観中立を装ったり党派的に日和見をしたりするのは、そのような不正に積極的に加担していることになります。その理由が狭い業界での保身ともなれば、思っているより遙かにあなたはあなたの敵だと思っていたものに酷似している。

@AtaruSasaki: 自分の信念を貫くこと、しかしこの社会で生き延びること。この二つをなんとか両立するために、ネゴシエーションというものがある。ギリギリの交渉はストレスフルで疲れます。が、いつも逃げ回っていれば、信念や既得権どころか、正義も生命もすべて失うことになる。

ネット上の「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」にて、佐々木中氏をマッチョ系だと嘲弄するような発言を垣間見たことがあるが、彼の態度は、やはりいまあるべき「模範的」な態度のひとつである、とわたくしは思う。

仮に反差別運動が差別の温床になろうが、己れの加害性の隠蔽になろうが、あるいはまたときによっては速断による誤解や勇み足のはしたなさを晒そうが、場合によっては売名行為などの「偽善」であろうが、それらの批判(自己吟味)を頭の片隅にとどめながら即座に「行動」を起さねばならない対象というものがある。

@AtaruSasaki: 知人が作家ゴイティソーロから直接聞いたユーゴ内戦の話。脱出して来た旧ユーゴの作家や学者達が慟哭し悔いていたこと。「排外主義を唱える連中はみな愚かで幼稚に見えた。何もできまい、放っておけ、三流の媒体でわめかせておけと思った。それが、このざまだ。真正面から戦わなかった我々の責任だ…」

たとえば、われわれは二一世紀に入ってから、仏国のルペン父娘の率いる反EU、移民反対などを唱える極右政党国民戦線の躍進、ーーいつのまにか若者を中心に瞠目せざるをえない支持を集めてしまっているのを知っている。あるいはドイツ? いまだいくらかはナチスの記憶のトラウマが抑制効果の名残りをとどめているのだろうが、それも予断を許さない。

…………

さてここで冒頭近くのジジェクの発言に戻れば、その第四番目の差別、排外主義に対する態度、「われわれはみんなユダヤ人である」、「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」というのは、次の浅田彰の発言、「自分も別の次元ではマイノリティーだ」に想到しないでもないが、それは近似した態度と言えるのだろうか。

 浅田 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。

 そこで、「優等生」は、ネットを使って声なき声を拾い上げ対話を密にするなど、民主主義のバージョンアップを目指す。それはそれでいい。しかし、「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行くのが真のマイノリティーたる「不良」でしょう。「切断」の思想は、そうやって対話から逃げる自由を重視する「不良」のすすめだと思います。

 千葉 そうですね。「不良」というのは、社会の多様性の別名ですから。対話を工夫することは必要だとしても、そもそも必要なのは、誰だって様々な面で「不良」でありうる、マイノリティーでありうるという自覚を活性化することである、と。「優等生」の良かれと思っての接続拡大の訴えからも「切断」される自由を認めなければ、「優等生」のその「良かれ」は機能しないということになるでしょう。多様な「不良」を擁護する、それが「切断」の哲学ですね。(「つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん」)

発言内容はジジェクと類似しているに相違ない。だがその態度が似ているにしろ、--たとえば、われわれはみな被差別者である!としてみようーー、ジジェクと浅田彰のその態度を受けての政治的な言動はまったく相反するようにみえる。

二十一世紀初頭に書かれた浅田彰によるジジェク吟味の文がある。

ローティに代表されるポストモダン相対主義が政治固有の次元を部分的社会工学へと解消してしまっているという批判は正しい。また、ラカン=アルチュセール主義過激派(観念論との闘争において唯物論の立場に立つことが哲学の任務である)に抵抗して、より重層的な判断の必要性を説いていたデリダ(第一のフェーズでは観念論と唯物論の優劣を逆転する必要があるが、第二のフェーズでは観念論と唯物論の対立の基盤そのものを脱構築する必要がある)も、今となってみれば、実際面ではとりあえず社会民主主義的な漸進的改良を支持する一方、理論面ではアポリアに直面しての不可能な決断といったものを神秘化するばかりという両極分解の様相を呈し、政治固有の次元を取り逃がしていると言えるかもしれない。そのような相対主義や(事実上の)オブスキュランティズムに対し、悪役の責めを負うことを覚悟してあえてドグマティックな現実への介入を行なわなければならないというジジェクの立場は、分かりすぎるほどよく分かる。しかし、それが60年代のヨーロッパのマオイズムと同じ極端な主観主義のネガなのではないか、あるいは、現在支配的なポストモダン相対主義のネガなのではないかという疑いを、われわれはどうしても払拭することができないのである。(パウロ=レーニン的ドグマティズムの復活?

この文は、この記事の表題に掲げられた《涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!》の吟味としてもある。ジジェク批判として今も十分に生きているだろう。ではどうしたらいいのか、というのは宙吊りのままにしろ。

ところで浅田彰はかつて次のように発言している。

資本主義的な現実が矛盾をきたしたときに、それを根底から批判しないまま、ある種の人間主資義的モラリズムで彌縫する機能しか果たしていない。上からの計画というのは、つまり構成的理念というのは、もうありえないので、私的所有と自由競争にもとづいた市場に任すほかない。しかし、弱肉強食であまりむちゃくちゃになっても困るから、例えば社会民主主義で「セイフティ・ネット」を整えておかないといかない。(浅田彰 シンポジウム「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」2000.11.27)

すなわち、資本主義的な現実を根底から批判する、そのシステムの暴力を、というのが浅田彰の姿勢なのだろう。浅田氏は、たとえばベーシックインカム導入に比較的積極的な態度をとっているには違いない。これは田中康夫の発言だが、《前から言ってるけど、人口構造も逆ピラミッド状態で、制度をいくらいじったって、年金制度が維持できる訳もない今、ベーシック・インカムのようなドラスティックな方法を取る必要があると改めて痛感するね》に対して、ほぼ同調する態度であるように思える(「憂国呆談」)。だがその新しいシステムの導入に積極的に加担する様子は、わたくしの知るうるかぎり、あまり見えてこない。


※いくつかのベーシック・インカムの議論を垣間見たなかでは、なんと「財務省」内での議論、《「ベーシック・インカムと財源の選択‐Atkinson教授の考察を中心に‐」2010年11月12日(金)》 、ーーそこには財源として「シニョリッジ」(貨幣の発行者が貨幣の発行によって手に入れる利益)を利用することが検討されており、参加者の淺川副財務官からは異議は呈されているのだがーーこれは今までの経済学の「通念」を越えた提案なのだろう。いずれにせよ、わたくしのようなシロウトには判断しがたいにしろ、財務省でも打開策のひとつとしてBI制度が検討されていることが窺われる。シニョリッジを財源にするという考え方は、早稲田大学の若い経済学者井上智洋氏の「過激な」--すなわち思いがけないーー提案にもつながるが、以前ネット上にあったいささか難解な論文「貨幣レジームとベーシックインカムの持続可能性」は消えてなくなっているようだ。


ベーシックインカム制度の是非は別にして、田中康夫の認識、少子超高齢化社会が極まりつつある今、社会保障制度は維持できるはずはない、という議論は、大和総研の「超高齢日本の 30 年展望 持続可能な社会保障システムを目指し挑戦する日本―未来への責任」(理事長 武藤敏郎 監修 調査本部)に詳しい。
高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人、2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。

※ジジェクのベーシックインカムに対する態度は次の通り。
……popularised in Europe and latin America, of basic income. I like it as an idea but I think it's too much of an ideological utopia. For structural reasons, it can't work. It's the last desperate attempt to make capitalism work for socialist ends. The guy who developed it, Robert Van Parijs, openly says that this is the only way to legitimise capitalism. Apart from these two, I don't see anything else.(Interview with Slavoj Zizek




他方、千葉雅也氏との対談における《「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行く》という態度は、佐々木中氏の立場からみたら、<この今>の「行動拒否」「逃げ」の態度として腹立たしいということはありうるだろうと推測する。

大江健三郎はその親友伊丹十三を主要登場人物「吾良」のモデルにした『取り替え子』で、吾良がヤクザに襲われた事件に直面して、インテリや学生は、《これを社会と文化への脅威としてデモで抗議する元気を持っていないと思う》と書いている。

おそらく佐々木中氏のツイッター上での挑発的発話は、若い人たちのひとりでも多くが「怒り」の表出としての行動をすることを刺激しようとする試みであろうと憶測する。そしてその「マッチョ性」に顔を顰めてみせる連中、すなわち「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」の機能の場としてもSNSはある、という指摘は正しい。だが不思議なのは、反ヘイトスピーチに積極的な言動を顕示している種族のなかにも、党派性のためなのか、彼に顔を顰めてみせる手合いがいることだが、そのツイートをここで晒してみせることは当面遠慮しておこう。わたくしが僅かな情報にて、佐々木中氏の姿勢を過分に肯定的評価している可能性もあるのだから。

吾良が、関西の暴力団からテロの使命をあたえられて上京したヤクザに刺された時、(……)古義人はシカゴ大学二百年祭の行事に、アジア関係の学部から招かれていた。

(映画研究会の)学生たちは、……東京で映画関係者や学生たちの抗議デモが計画されていると思うが、その日程と時間を確かめてもらえば、自分らも十四時間の時差を見込んで、シカゴで呼応する学内集会を組織する、今日のうちに計画を発表したい、といった。

古義人は、あくまでそれがいま東京から離れた場所にいる自分の憶測で、むしろ誤っていることを望むのだが、と断った上で次のように答えたのだ。

――吾良よりいくらか年長の世代から、同年代の監督たちが、いま日本の映画界の中心だが、かれらはこれを日本映画界へのテロとは見なさないだろう。かれらはこれが吾良個人の災難だとだけ考えるだろう。つまり映画人のデモはありえないし、いま、日本の学生たちは、これを社会と文化への脅威としてデモで抗議する元気を持っていないと思う。(大江健三郎『取り替え子』)

ところで、浅田彰は、NAM運動をめぐるシンポジウム(2000.11.27)で「政治化する以上だれかを傷つける」と語っている。

すべての「他者」に対して優しくありたいと願い、「他者」を傷つけることを恐れて何もできなくなるという、最近よくあるポリティカル・コレクトな態度(……)そのように脱―政治化されたモラルを、柄谷さんはもう一度政治化しようとしている。政治化する以上、どうせ悪いこともやるわけだから、だれかを傷つけるし、自分も傷つく。それでもしょうがないからやるしかないというのが、柄谷さんのいう倫理=政治だと思う。(『NAM生成』所収 シンポジウム「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」における浅田彰発言)

浅田彰はこの柄谷行人の倫理=政治を十分に引き受けなかっただろうし、実際、NAM運動は無残な結果に終わった。東浩紀氏との最近の対談では、《柄谷さんはナイーブに行き過ぎたと思う》などという発言もあるようだ。

そもそも、ひとは「政治化」すれば小ファシストであることを免れるのは、とても困難なのだ。それが佐々木中氏が「冷笑者」たちからマッチョと批判されることにもなる理由のひとつだろう。

あらゆる言葉のパフォーマンスとしての言語は、反動的でもなければ、進歩主義的でもない。それはたんにファシストなのだ。なぜなら、ファシズムとは、なにかを言うことを妨げるものではなく、なにかを言わざるを得なく強いるものだからである。(ロラン・バルト『文学の記号学』)

―――バルトはこう語る。68年前後の言葉の暴風雨に辟易して? だかもちろんそれだけではない。

政治的な主張の繰り返しには、もうたくさんだ! という嫌厭感が生じてしまうことがあるのを否定はしまい。そこには同意を強制する声があるのだ。声、--すなわち<正義>という名のもとの破廉恥な同調圧力。

…………

けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう」(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987)
私は政治を好まない。しかし戦争とともに政治の方が、いわば土足で私の世界のなかに踏みこんできた」(加藤周一「現代の政治的意味」あとがき 1979)

そう、たとえ政治が嫌いでも(おそらく多くの人がそうであるように)、政治が「土足」でむこうからやってきたら、どうしたらいいというのか。

ブレヒトからR・Bへの非難(『彼自身によるロラン・バルト』より)


R・Bはいつも政治を《限定し》たがっているように見える。彼は知らないのだろうか? ブレヒトがわざわざ彼のために書いてくれたと思われる考えかたを。

「私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどということは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。」(『政治・社会論集』)

彼の場所(彼にとっての《環境》)、それは言語活動である。その場所で、彼は選び取ったり、拒絶したりするのだ。彼の身体にとって何かが《可能で》あったり、《不可能で》あったりするのも、その場所においてである。彼の言語生活を政治的言述のいけにえに捧げるべきなのか? 彼は喜んで政治的《主体》になってもいいと思う。が、政治的《話し手》はご免だ(《話し手》とは、自分の弁説をよどみなく繰り出し、述べ立て、同時にそれが彼の言述であることを告示し、それに署名しておく人間のことだ。)そして、自分の《反復される》一般的な言述から政治の現実をはがし取ることが彼にはどうしてもできないから、けっきょく政治性から彼は排除されているのだ。しかし彼は、少なくとも、排除されているという事実を、自分が書くものの《政治的》意味につくり変えることができる。さながら彼は、ある矛盾現象を体現する歴史的な証人であるとでもいうかのように。それは、《敏感で、貪欲で、沈黙した》政治的主体(これらの修飾語群を分離させてはいけない)、という矛盾現象である。

政治的な言述ばかりが、反復され、一般化し、疲弊するわけではない。どこかに言述の突然変異がひとつ生じると、たちまちそこに、いわば公認ラテン語訳聖書が成立し、そのあとに、動きを失った文がぞろぞろお供について、うんざりさせる行列ができるものときまっている。その現象は珍しくもないが、それが政治的言述に現れたとき、とりわけ彼にとって許しがたいものと思われるのだ。なぜかというと、政治的言述における反復は、《もうたくさんだ》という感じを与えるからである。政治的な言述は、自分こそ現実に対する根本的な知識あるは科学であるという主張を押しつけるので、私たちのほうでは、幻想のあやかしによって、その政治的言述に最終的な権力を認めてしまう。それは、言語活動をつや消しに見せ、すべての討論をその実質の残滓に還元してしまうという権力である。そうだとすれば、政治的なものまでがことばづかいという地位に割りこみ、“おしゃべり”に変身するのを、どうしても歎かずに黙認しておけるだろうか?

(政治的な言述が反復におちいらずにすむ、いくつかのまれな条件がある。すなわち、第一は、政治的言述がみずから言述性のひとつの新しい方式を打ち立てる場合である。マルクスがそうであった。さもなければ、第二はもっと控えめな場合で、著述者が、ことばづかいというものについて単に《知的理解》さえもっているなら―――みずからの生む効果についての知識によって―――厳密でありながら同時に自由な政治的テクストを生み出せばいい。そういうテクストは、すでに言われていることをあらためて発明し変容させるかのように働き、自身の美的な特異性のしるしについて責任をもつことになる。それが、『政治・社会論集』におけるブレヒトの場合である。さらに第三の場合を考えてみるなら、それは政治的なものが、暗い、ほとんど信じられぬほどの深みにおいて、言語活動の材質そのものに武装をほどこし変形させてしまうときである。それが“テクスト”、たとえば“法”のテクストである。)

ロラン・バルトの姿勢も、自らブレヒトを引用して吟味するように、いま直面する世界的な「排外主義」への傾きに抵抗するには無力だろう。これは浅田彰と千葉雅也の対談を読むかぎり、この二人も類似した姿勢だと言ってよいのではないか。《誰だって様々な面で…マイノリティーでありうるという自覚を活性化すること》。理論的には、こういう立場があるのを批判するつもりはない。だが日本の場合、これは悪くすれば、大勢順応主義的な「政治的無関心」あるいは「逃げ」の姿勢を是認する言い訳になってしまうのではないか、とわたくしは思う。

資本主義社会では、主観的暴力((犯罪、テロ、市民による暴動、国家観の紛争、など)以外にも、主観的な暴力の零度である「正常」状態を支える「客観的暴力」(システム的暴力)がある。(……)暴力と闘い、寛容をうながすわれわれの努力自体が、暴力によって支えられている。(ジジェク『暴力』)

浅田彰×千葉雅也の二者の対話には、現在のシステム的暴力への目配りがあまり感じられないように見えるのは、わたくしの思い過ごしかもしれない。たかだか新著の紹介対談なのだから、そこまで期待するのは無理というものなのだろう。

だがこの記事の最後に附記するが、浅田彰には《早すぎる断念は卑怯な逃避として否定されるべきか》という己れに問う発言もあり、その文脈上読めるのは、《早すぎる断念》、あるいはニーチェの「最後の人間」的態度もやむえないとする諦念がある(すくなくともその発言の時期には)。

すこし前に「政治的無関心」としたが、その日本的特徴と韓国の特徴を対比させて書く柄谷行人の言葉を抜き出してみる。韓国では《知行合一という考え方が伝統的に強調されてきた》とある。「即刻運動」の気質の指摘もある。だがそれが韓国人にとっては墓穴を掘る、と。

私から見ると、韓国にあるような大胆な活動性が望ましいが、キム教授から見ると、むしろそのことが墓穴を掘る結果に終わることが多かった。韓国では激しい行動をしない者が非難されるが、それはなぜか、という新聞記者の問いに対して、教授は、つぎのように応えている。《知行合一という考え方が伝統的に強調されてきたからだと思う。知っているなら即刻行動に移さなければならないとされていた。行動が人生の全てを決定するわけではない。文明社会では行動とは別に、思考の伝統も必要だ》。日本と対照的に、韓国ではむしろ、もっと慎重に「空気」を読みながら行動すべきだということになるのかもしれない。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」

中井久夫にも《堅固な意志と非妥協的な誠実さ》の韓国人と《曖昧模糊とした春のような気質》の日本人とを対比させる文章がある(京城の深く青く凛として透明な空)。「空気」を読みながら行動することの甚だしい国民には、《堅固な意志と非妥協的な誠実さ》を鼓舞する態度を、「知識人」というものがかりに今でも存在するならば、彼らはもっと強く押し出すべきではないだろうか、それが「偽善」であっても少しもかまわない。それは2011年春以来、ことさら際立った大江健三郎や柄谷行人の態度でもある。

すこしややこしい言回しをしたが、柄谷行人の知識人の定義(知識人とは知識人を批判するひと)を想起したためである。

われわれは今日ある種の言葉を使えなくなっている。厳密にいえば、それらは死語ではなく、今でも使われているが、あるためらいや留保の感じなしに使えないだけである。その一つは知識人という語である。知識人と名乗る人はほとんどないし、いたところで誰も彼らを相手にしない。にもかかわらず、知識人を攻撃し嘲笑する言葉だけはあいかわらず続いている。むしろいまや知識人批判者が現在の典型的な知識人だというべきである。しかし、実は、知識人、intelligentzia intellectualtという語が使われ実際にそのような者があらわれた時点から、すでにそうであったのではないだろうか。“知識人”をどこかに想定しそれを批判することで自らを意味あらしめようとするようなタイプ、それが知識人なのである。(柄谷行人「死語をめぐって」『終焉をめぐって』1990所収)

最後にジジェクのいささか極右をめぐる発言(ルペンを中心にした)と、ジジェクの政治的態度を象徴する過激な発言を並べておこう。

私が思うに、極右 が力を得ている原因の一つは、左翼 が今や直接に労働者階級 に自らの参照点を置くことに消極的になっていることにある。左翼 は自らを労働者階級 として語ることにほとんど恥を抱いており、極右 が民衆の側にあると主張することを許している!左翼 がそれをするときは、民族 的な参照点を用いることで自らを正当化 する必要性を感じているようだ。「貧困に悩むメキシコ 人」とか「移民 」云々で。極右 は特別のそして結束力のある役割を演じている。「民主主義 者たち」の大部分の反応は見るとよい。彼らは、ル・ペンについて、受け入れがたい思想 を流布する者だと言いながら、「しかし...」とことばを継ぐ。こうやって、ル・ペンが「ほんとうの問題」を提起していると言外に述べようとする。そうしてそのことによってル・ペンの提起した問題を自分たちがとりあげることを可能にする。中道リベラル は、根本 的には、人間の顔をしたル・ペン主義だ。こうした右翼 は、ル・ペンを必要としている。みっともない行き過ぎに対し距離をとることで自らを穏健派と見せるために。私が、2002年 [大統領選挙 ]の第2回投票 の際の対ルペン連帯について不愉快に思ったのは、それが理由だ。そしていまや少しでも左に位置しようとすると、すぐさま極右 を利用しようとしていると非難される。それが示しているのは、ポスト ・ポリティックの中道リベラル が極右 の幽霊 を利用し、その想像 上の危険を公的な敵に仕立て上げようとしていることだ。偽りの政治 対立の格好の例がここにあると私は思う。ジジェク『資本主義の論理は自由の制限を導く』2006)
わたしが言いたいのはもちろん、現代の「狂気のダンス」、多様で移動するアイデンティティの爆発的氾濫もまた、新たなテロルによる解決を待っていると言うことだ。唯一「現実的」な見通しは、不可能を 選ぶことで新たな政治的普遍性を基礎づけること、まったき例外の場を引き受け、タブーもアプリオリな規範(「人権」、「民主主義」)もなく、テロルを、権 力の容赦ない行使を、犠牲の精神を「意味づけなおす」のを妨害するものを尊重すること……もしこのラディカルな選択を、涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ! (バトラー、ラクラウ、ジジェク『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』


《私たちがますますもって必要としているのは、私たち自身に対するある種の暴力なの だということです。イデオロギー的で二重に拘束された窮状から脱出するためには、ある種の暴力的爆発が必要でしょう。これは破壊的なことです。たとえそれが身体的な暴 力ではないとしても、それは過度の象徴的な暴力であり、私たちはそれを受け入れなけ ればなりません。そしてこのレヴェルにおいて、現存の社会を本当に変えるためには、 このリベラルな寛容という観点からでは達成できないのではないかと思っています。お そらくそれはより強烈な経験として爆発してしまうでしょう。そして私は、これこそ、 つまり真の変革は苦痛に充ちたものなのだという自覚こそ、今日必要とされているので はないかと考えています 》(『ジジェク自身によるジジェク』--「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」より)




…………


※附記:以前、浅田彰が珍しく自らの立場を語った文を拾ったことがある。いまは引用先の記事がなくなってしまっており、どこでいつ語ったのかもはっきりしないが、ここで参考文献として附記しておくことにする。

子どもの頃、『ツァラトゥストラはこう言った』でニーチェが侮蔑を込めて描いている「最後の人間(末人)」の像に触れて、「これはまさに自分のことだ」と思ったのを覚えている。もはや想像と破壊の ドラマは終わり、すべてが平準化された中にあって、「最後の人間」たちは退屈な幸福を生きるだろう。

あらゆる情報を記録したテープがリミックスを加えて反復されるのを瞬きして眺めながら、(後の章に出てくる「小人」のように)「およそすべては円環をなして回帰する」などと小賢しく呟いてみせもするだろう・・・。

『早稲田文学』11月号に出た鎌田哲哉の私に宛てた公開書簡は、そのような「最後の人間」であることに居直る私に対し、「安直なニヒリズムを捨て、人間としてまともに生きよ」と呼びかけるものである と言ってよい。
その書簡は石川啄木の日記にならってローマ字で綴られている。 「僕は啄木のようにまともに生きる、あなたもまともに生きるべきだ」ということだろう。

その純粋な熱意は(ありがた迷惑とはいえ)ありがたいと思うし、そこに書かれた私への批判も(いくつかの点で異論があるとはいえ)おおむね受け入れる。

だが、残念ながら、私はその呼びかけに動かされることがなかった。

ひとつだけ、私の言葉に対する誤解と思われる部分に触れておこう。鎌田哲哉が部分的に引用している通り、西部すすむに「浅田さんがほとんど 書かなくなったのは世界や人類を馬鹿にしてのことですか」と問われて、私は「いや単純に怠惰ゆえにです。しいていえば、矮小な範囲で物事が明晰に見えてしまう小利口かつ小器用な人間なので、おおいなる盲目をもてず、したがってどうしても書きたいという欲望ももてない。要するに、本当の才能がないということですね。書くことに選ばれる人間と、選ばれない人間がいるんで、僕は選ばれなかっただけですよ。と、今言ったことすべてが逃げ口上にすぎないということも、明晰に認識していますけど」と答えている (『批評空間』Ⅱ-16)。

これは、私が本格的なものを書く力がないということ(私の「弱さ」)を、私が明晰に意識しているという意味ではない。書こうとする努力もせずに自分には書けないのだと前もって居直ってしまうことが逃げ口上にすぎないということを、明晰に意識しているという意味だ。
その意味で、私の立場に論理的な問題はないと思う。
では、倫理的な問題としてはどうか。

そのような早すぎる断念は卑怯な逃避として否定されるべきか
むろん、私は、自分自身がそうできないだけにいっそう、断念を拒否してなんとか努力しようとする人(鎌田哲哉を含めて)を眩しく見上げ、可能なら助力しようとしてきたが、断念したい人に対して断念するなと言う気はさらさなないし、自分に対してそう言われたくもない。
努力したい人は努力し、断念したい人は断念する。
それでいいではないか。

ここで飛躍を厭わずフランシス・フクヤマが『人間の終り』で論じるバイオテクノロジーの問題ともからめて言えば、20世紀が限りない延命を目指した世紀だったのに対し、21世紀の課題はそれへの反省であり、具体的にいって、たとえば安楽死施設、さらには自殺(幇助)施設の合法化であると思う。

生きたい人は生き、死にたい人は死ぬ。それでいいではないか。
ニーチェは「最後の人間」について「少量の毒をときどき飲む。それで気持ちのいい夢が見られる。そして最後には多くの毒を。それによって気持ちよく死んでいく」と書いている。
かれの侮蔑にもかかわらず、私はそれも悪くない選択肢だと思わずにはいられないのだ。

もちろん、私はいますぐ死にたいというのではない。大江健三郎の『憂い顔の童子』で「母親が生きている間は自殺できない」という主人公の強迫観念が主題化されていたが、これはすでに父を喪った私にも大変よくわかる。
幸い、私はきわめて凡庸な常識人なので、倫理と言うより礼節の問題として。母より先に自殺するつもりはない。

そうやって生き延びている間は、「最後の人間」を気取って暇つぶしをしながら「i-modeかなにかでくだらないお喋りを続けること」があってもいいのではないか。
また生きて努力しようとする人々にささやかながら助力することがあってもいいのではないか。

だが、鎌田哲哉が、そのようなおせっかいは生の意思を死の病毒で汚染するだけだというのなら、私はそれを断念し、彼の後姿にむけて静かに幸運を祈るばかりである。




2014年3月21日金曜日

シニカルな快楽主義的ラカン派の政治性欠如?

以下資料。

ジジェクのジャック=アラン・ミレール批判=吟味。かつての師であり、強い語調は見られないが、ミレールのシニカルな享楽主義的考えMillers cynical-hedonist ideaへの批判。この考え方だと政治的には無力であることには間違いない。

いままで別の書でなされてきたジジェク文脈の「騙されない人は彷徨うLes non-dupes errent」のミレール視点との齟齬も書かれている。あるいはまたサントームsinthome.概念の吟味をも読むことができるかもしれない。

もっともジジェクの議論は、ここからいつものように資本主義批判→共産主義しかないという議論に向かう。

◆ 『LESS THAN NOTHING』の最終章「The Political Suspension of the Ethical」より、原文のまま抜き書きメモ(もうしばし待てば邦訳が出るはず)。

For the earlier Lacan, both the ethics of symbolic realization and the ethics of confronting the Real Thing call for the heroic stance of pushing things to the limit in order to leave behind our everyday Verfallenheit, our fallen existence (one must subjectivize ones own death by casting off the wealth of imaginary identifications, thereby attaining the limit-position of a pure subject without an ego; one must violently transgress the very limit of the symbolic order, heroically confronting the dangerous Beyond of the Real Thing). Renouncing this radicalism, the later Lacan re-conceives psychoanalytic treatment in a much more modest way: one does not need to learn all of the truth. A little bit is sufficient.4 Here the very idea of psychoanalysis as a radical limit experience is rejected: One should not push an analysis too far. When the patient thinks he is happy to live, it is enough.5 How far we are here from Antigones heroic attempt to attain the pure desire by entering the prohibited domain of ate! Psychoanalytic treatment is now no longer a radical transformation of subjectivity, but a local patching-up which does not even leave any long-term traces. (Along these lines, Lacan draws attention to the neglected fact that, when Freud met the Rat-man again, years after his treatment, the latter had totally forgotten about his analysis.) This more modest approach was fully articulated in Jacques-Alain Millers reading which focuses on late Lacan: in his last seminars, Lacan leaves behind the notion of traversing the fantasy as the concluding moment of the psychoanalytic process; in its place he introduces the opposite gesture of accepting the ultimate non-analyzable obstacle called the sinthome. If the symptom is a formation of the unconscious to be dissolved through interpretation, the sinthome is the indivisible remainder which resists interpretation and interpretive dissolution, a minimal figure or node which condenses the subjects unique mode of enjoyment. The goal of analysis is thus reformulated as identification with the symptom: instead of dissolving his unique sinthome, the subject should become aware of it and learn how to use it, how to deal with it, instead of allowing the sinthome to determine him behind his back:
The analytic experience enables us to re-appropriate our desire. In the best case, one can thus hope to arrive at wanting what one desires and desiring what one wants. If the experience is brought to its conclusion, it allows us to identify ourselves with our incurable: not only to find oneself in it, but to make use of it.6
 
Through this identification, the opposition of meaning and enjoyment is also overcome in their synthesis, that of jouis-sens (enjoy-meant, enjoying the sense): the subject is not reduced to an idiotic autistic enjoyment, s/he continues to speak, but his/her talk now functions as a play with semblances, as an empty blah-blah-blah which generates enjoyment. This would be Lacans version of eppur si muove: even after we have seen through imaginary and symbolic semblances, the game goes on in the guise of the circulation of jouis-sens, the subject is not dissolved in the abyss of the Real.
 Relying on this new notion of the final moment of the analytic process, Miller deploys a simplified version of the critique of instrumental reason, establishing a link between democratic culture and racism: our era privileges the universalizing scientific rationality which admits only mathematically quantified statements whose truth-value does not depend on an idiosyncratic subjective position; in this sense, both universalism and egalitarian-democratic passion are the results of the hegemony of the scientific discourse. But if we extend the validity of scientific reason into the social field, the results are dangerous: universalizing passion pushes us to search for a universal mode of enjoyment that will be best for all, so those who resist it are disqualified as barbarians: Due to the progress of science, racism has thus a bright future. The more refined discriminations provided by science we have, the more segregation in society we get.7 This is why psychoanalysis is under such attack today: it focuses on the uniqueness of each subjects mode of enjoyment, a uniqueness which resists scientific universalization as well as democratic egalitarianism: Democratic leveling may be very nice, but it doesnt replace the eroticism of exception.8
 
One has to concede that Miller has fearlessly spelt out the political implications of this insistence on the uniqueness of the subjects mode of enjoyment: psychoanalysis reveals social ideals in their nature of semblances, and we can add, of semblances with regard to a real which is the real of enjoyment. This is the cynical position, which resides in saying that enjoyment is the only thing that is true.9 What this means is that a psychoanalyst occupies the position of an ironist who takes care not to intervene into the political field. He acts so that semblances remain at their places while making sure that the subjects under his care do not take them as real one should somehow bring oneself to remain taken in by them (fooled by them). Lacan could say that those who are not taken in err: if one doesnt act as if semblances are real, if one doesnt leave their efficacy undisturbed, things take a turn for the worse. Those who think that all signs of power are mere semblances and rely on the arbitrariness of the discourse of the master are the bad boys: they are even more alienated.10
 
In relation to politics then, a psychoanalyst thus doesnt propose projects, he cannot propose them, he can only mock the projects of others, which limits the scope of his statements. The ironist has no great design, he waits for the other to speak first and then brings about his fall as fast as possible Let us say this is political wisdom, nothing more.11 The axiom of this wisdom is that one should protect the semblances of power for the good reason that one should be able to continue to enjoy. The point is not to attach oneself to the semblances of the existing power, but to consider them necessary. This defines a cynicism in the mode of Voltaire who let it be understood that God is our invention which is necessary to maintain people in a proper decorum. Society is kept together only by semblances, which means: there is no society without repression, without identification, and above all without routine. Routine is essential.12

The result is thus a kind of cynical liberal conservatism: in order to maintain stability, one has to respect and follow routines established by a choice which is always arbitrary and authoritarian. There is no progressivism which holds, but rather a particular kind of hedonism called liberalism of enjoyment. One has to maintain intact the routine of the cité, its laws and traditions, and accept that a kind of obscurantism is necessary in order to maintain social order. There are questions one shouldnt ask. If you turn the social turtle on its back, you will never succeed in turning it back onto its paws.13

Against Millers cynical-hedonist idea of a subject who, while admitting the necessity of symbolic semblances (ideals, Master-Signifiers, without which any society would fall apart), relates to them at a distance, aware that they are semblances and that the only Real is that of bodily jouissance, we should emphasize that such a stance of enjoy and let others enjoy would be possible only in a new communist order which has opened up the field for authentic idiosyncrasies:
a Utopia of misfits and oddballs, in which the constraints for uniformization and conformity have been removed, and human beings grow wild like plants in a state of nature no longer fettered by the constraints of a now oppressive sociality, [they] blossom into the neurotics, compulsives, obsessives, paranoids and schizophrenics, whom our society considers sick but who, in a world of true freedom, may make up the flora and fauna of human nature itself.14
 
As we have seen, Miller is of course critical of the standardization of enjoyment demanded by the market to sell commodities, but his objection remains at the level of standard cultural critique; moreover, he ignores the specific socio-symbolic conditions for such a thriving of idiosyncrasies. As was noted long ago, capitalism is marked by a contradiction between ideological individualism (the interpellation of individuals as subjects free to follow their unique desires) and the leveling pressures of the market, imposing standardized modes of enjoyment as a condition of the commodification of mass consumption (while we are encouraged to indulge in our idiosyncrasies, the media bombard us with ideals and paradigms of how to do this). Communism is in this sense not a further leveled down socialization which curtails individual idiosyncrasies, but a social reconstruction which creates the space for their free deployment. Traces of this are found even in literary and Hollywood utopias of a social space subtracted from commodification, from the houses in which a group of eccentrics dwell in some of Dickenss novels, to the crazy large family house in Frank Capras You Cant Take It with You whose inhabitants include Essie Carmichael (who makes candy as a hobby and dreams of being a ballerina), Paul Sycamore (a tinkerer who manufactures fireworks in the basement), Mr. DePina (who visited to speak to Paul eight years previously and has never left), Ed Carmichael (an amateur printer who prints anything that sounds good to him, including dinner menus for his family and little quotes that he places in the boxes of Essies candy), and Boris Kolenkhov (a Russian very concerned with world politics; he is opinionated and often loudly declares that something stinks).
 
At a more theoretical level, we should problematize Millers (and, maybe, if one accepts his reading, the late Lacans) rather crude nominalist opposition between the singularity of the Real of jouissance and the envelope of symbolic semblances. What gets lost here is the great insight of Lacans Seminar XX (Encore): that the status of jouissance itself is in a way that of a redoubled semblance, a semblance within semblance. Jouissance does not exist in itself, it simply insists as a remainder or product of the symbolic process, of its immanent inconsistencies and antagonisms; in other words, symbolic semblances are not semblances with regard to some firm substantial Real-in-itself, this Real is (as Lacan himself formulated it) discernible only through impasses of symbolization.
 From this perspective, an entirely different reading of Lacans les non-dupes errent imposes itself. If we follow Millers reading based on the opposition between symbolic semblances and the Real of enjoyment, les non-dupes errent amounts the cynical old saw that, although our values, ideals, rules, etc., are just semblances, we should not undermine them but act as if they were real in order to prevent the social fabric from disintegrating. But from a properly Lacanian standpoint, les non-dupes errent means almost the exact opposite: the true illusion consists not in taking symbolic semblances as real, but in substantializing the Real itself, in taking the Real as a substantial In-itself and reducing the symbolic to a mere texture of semblances. In other words, those who err are precisely those cynics who dismiss the symbolic texture as a mere semblance and are blind to its efficacy, to the way the symbolic affects the Real, to the way we can intervene into the Real through the symbolic. Ideology does not reside primarily in taking seriously the network of symbolic semblances which encircle the hard core of jouissance; at a more fundamental level, ideology is the cynical dismissal of these semblances as mere semblances with regard to the Real of jouissance.


他にも、たとえば、by Jacques-Alain Miller IV Congress of the WAP - 2004 でのミレールの発言は文明論、三つの無意識の指摘などとても面白いが、不案内なわたくしには、いささかやけくそ気味のようにも読めてしまう。

There you have what my fantasy leads up to. I cannot do otherwise but follow it, which makes me think that the hypermodern discourse has the structure of the analyst’s discourse! It is an extremely surprising result.