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2014年3月14日金曜日

ききくらべと「感動飽和=無感動」

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。 (クンデラ『不滅』P295)

このところYouTubeで、シューベルトの歌曲を「ききくらべ」しているのだが、「ききくらべ」というのは以前はそんな習慣はなかった。たとえばバッハの合唱曲を好むのだが、長いあいだカール・リヒターの指揮による演奏録音で満足していた。いまでも多くの曲はそれでいいのだが、たとえばカンタータBWV12、BWV78はBWV4とともに最も好む合唱曲のいくつかだが、ある偶然の機会でほかの指揮者の演奏録音を聴いてみると、その清冽さに魅了され、すくなくともBWV12、BWV78は、リヒターのダイナミズムや厚い合唱の声がいささか鬱陶しく感じられるようになった。あるいは他にも、どうもわたくしのカール・リヒターにたいする態度は、ホモ・センチメンタリス的な側面があったのではなかったかとも疑ってみようとしている。わたくしがかつて馴染んだ曲を、この数年「ききくらべ」するようになったのは、これらのことに由来する。

シューベルトの歌曲については、すこしまえ、エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)&エトヴィン・フィッシャー(P)のD774に驚いた。少年時、エリー・アーメリングのレコード(ここではwith Jörg Demusのd118をリンクする)が実家にあり長いあいだそれでいいと思っていたのだが、どうもそうでもない。

シューベルト「水の上で歌うD774」を聴く》と題されて、D774の七人の演奏家の「ききくらべ」をされている方がいる。こういった試みは助かる。有名な曲だと、ききくらべするのに、とてつもない数の演奏録音がYouTubeにはあり、自分で探すと、場合によっては30~40種類聴くことになる。どの演奏もどこか気に入らないところがある場合はそんな具合になる。

というわけで、この数日30種類以上「ききくらべ」たのは、シューベルト十七歳のときの作曲といわれるGretchen am Spinnrade D 118、ゲーテの『ファウスト』の詩によることで有名な『糸を紡ぐグレートヒェン』だ。

 シュヴァルツコプフの歌はわたくしの耳には音程のゆれが気になるところがあるのだ。フィッシャーのピアノもD774ほどには魅惑されない。糸をつむぐカラカラした音のリズムが活かされることが少ないように感じられる。Irwin GagePhillip Mollのピアノの音と比べてみる、あるいはLucia POPPの歌唱の伴奏者はだれだか分からないが、これとも。ーーいやこうやってあらためて聴き比べるとフィッシャーの慎みふかいリズムの蠢きが新鮮に聴こえてくるなどということがあるから、厄介だ……。

この演奏のなかで、《くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた》(プルースト「囚われの女」)と呟いてみることになる。






いまはどの演奏家のものがお気に入りなのかをあげるのはやめよう。わたくしは黒人系女性歌手の、しかしJessye Normanのようなとてつもない声、奈落の底に吸い込まれてしまうような声ではなく、もっと線の細い声が好みのことろがあって、まったく名を知らなかったある歌い(Bibiana Nwobilo)に瞬時蠱惑されたのだが、それも束の間の印象かもしれない。それにベルリンで活躍するBibianaが黒人系なのかどうかも調べていない。ただ顔貌からの印象だ。

Bibiana Nwobiloも、わたくしにとっては声が響きすぎる。わたくしがことさら愛するのは、Barbara Hendricksだ。すくなくともBibianaの声は、シューベルトやシューマンと同様に愛するフォーレの歌曲には過剰すぎる(Après un rêve"のBarbara HendricksBibiana Nwobilo)。

もっともJessye Normanになんらかの怨みがあるわけではない。若い頃にひどくやられてしまって耽溺したのを初老の齢になっていささか恥じる気味があるだけだ。






ああ、ブラヴォー、ブラヴォー!

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。

(……)そういう彼らも、笑止ではあるが、全面的に軽蔑すべきものではない。彼らは、芸術家を創造しようと欲する自然が着手した最初の試作(エッセー)なのであって、現に生存する種に先立って生きたがこんにちまで存続するようにつくられていなかった原生動物とおなじように、形をなさず、生育もしないのだ。優柔不断で、不毛のこれらの愛好者たちが、われわれの心にふれるものをもっているとしたら、それは最初期の飛行機に似ているからで、本体は離陸することができず、内部の装置は、発見を婚儀に残す秘法を欠き、ただ飛ぶ欲望だけをとどめていたというわけである。「ところできみ」とあなたの腕をとりながら、愛好者はつけくわえる、「ぼくはね、あれをきくのは八回目なんだけど、はっきりいって、まだそれが最後というわけじゃありませんよ。」まったくその通りで、彼らは芸術のなかにある真の養分を吸収しないから、つねに飢えを癒しえないあの病的飢餓症になやんで、たえず芸術的なよろこびを欲求するのだ。そこで彼らは、いつまでもつづけておなじ作品を喝采しに行き、おまけに、そこへ出かけることが、一つの義務、一つの行為を遂行しているものと思いこむ、あたかも他の人たちが重役会か、埋葬に出かけるように。(プルースト「見出されたとき」) 


さて、『糸を紡ぐグレートヒェン』は、アバド指揮によるオーケストラによる二つのヴァージョン(StotijnRenee Flemingやら、ピアノ用に編曲されたものまで聴いた(Yuja WangLazar Berman、……)。Enigmaというグループはいままでバカにしていたのだが、これも捨てたもんじゃない。アバドの糸車のまわし方がふたつのヴァージョン(Berlin Philharmonie 2010、Lucerne Festival Orchestra 2005)ではまったく異なるのが印象深い。何度か繰り返して聴いたが、後者のRenee Fleming版のほうが、わたくしには遥かに魅力的だ(歌声はどちらとも、熟れすぎている。D118には成熟した声は似合わないところがあるのではないか)。

わたくしは実は隠れYuja Wangファンであって(Lazar Bermanと比べちゃいけない)、ときに技倆だけに頼った聴くにたえない演奏もするが、なんといっても若く美しいので許してしまう。しかも以前長男が六歳前後、モーツアルトのK545を練習していた頃に参考にしたことがあり、あの少女があんなに可憐になるとはという驚きもある。




ほんとうに同じ女なのか?




彼女の場合、容色が衰えてからが勝負だ?
王羽佳(Yuja Wang)だって? なまえがいいぜ、オレとおなじ「佳」の字をもっている!--のはまったく関係がない。

後年、名声を罵倒しまくったリルケだって、初期には悪達者の詩を書いたのだから。少女時代の静謐さは、いまでもいくつかのスローテンポの曲に窺えないでもない。だがいまはあまりにも「芸能人」でありすぎる。

創作の過程は最初は甘美ないざないである。創作者への道もまた、多くは甘美ないざないである。それは、分裂病のごく初期にあるような、多くは対象の明解でない苦悩から脱出するためのいざないであることもあり、それゆえに、このいざないは、多く思春期にその最初の囁きを聞くのである。

多くの作家、詩人の思春期の作品が、後から見れば模倣あるいは幼稚でさえあるのに、周囲が認め気難しい大家さえも激賞するのはこの甘美ないざないをその初期の作品に感得するからではないかと私は疑っている。思いつく例はボール・ヴァレリーの最初期詩編あるいはジッドの「アンドレ・ワルテルの手記」である。このいざないがまだ訪れなかった例はリルケが初期に新聞に書きまくっていた悪達者の詩である。リルケはその後に一連の体験によってこのいざないを感じて再出発しえた希有な詩人である。そうでない多くの作家は一種の芸能人であって、病跡学の対象になりえないほど幸福であるということもできる。芸能人に苦悩がないとはいわないが、おそらくそれは別種の苦悩である。多少の類似性はあるかもしれないが。

さらに多くの人は、この一時期にかいまみた幸福な地平を終生記憶にとどめていて、己も詩人でありえたのだという幻想を頭の隅に残して生涯を終える。(中井久夫「創造と癒し序説」)


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というわけで個人的趣味の話、すなわちバーンスタインのいう寄生虫の話を書いてしまったなーー、《音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない》(バーンスタイン)


◆Yuja Wang with Abado

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ラフマニノフのピアノ協奏曲のような、若い頃あまりにも聴きすぎてしまったような曲は、彼女のような演奏家でないと、めったに聴きかえすことはない。耳を新しくして聴くことがひどく難しいのだ(『糸を紡ぐグレートヒェン』もその気味があって、長いあいだまともに聴いていなかった)。

最晩年といっていいアバドの姿を垣間見たところで、もう二ヶ月ほどたったのだから、アバド追悼をしておこう。わたくしが唯一いまでも比較的熱心に聴く交響曲、シューベルトの大ハ長調、--アバドさん、古いベームのまろやかなウィーンの味はいまだ捨てがたいが、もし次に聴くとしたら、あなたの指揮のものだ。


◆Abbado first rehearsal with BPO(Mahler Titan 3rd mov.)1990年

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…………


さて元の話に戻れば、いずれにしろやたらに「ききくらべ」などするものではない。細部にばかり注目するようになってしまう。あるいはさらに悪いことに「感動飽和=無感動」に陥る。

読めば読むほどよいかというと、これにも限度がある。文章というものにはすべて、一定時間内にある程度以上の回数を反復して読書すると「意味飽和」という心理現象が起こる。つまり、いかにすばらしい詩も散文もしらじらしい無意味・無感動の音の列になってしまう。これはむしろ生理学的現象である。音楽で早く知られた現象である。詩というものは一定時間内には有限の回数しか読めない。つまり詩との出会いはいくらかは一期一会である。それだけではない。無意味化するよりも先に、その詩人の毒のようなものが読む者の中に溜まってきて、耐えられなくなる。ヴァレリー詩の翻訳の際に、彼のフランス語の「イディオシンクラシー」(医学でいえばまさに体質的特異性!)が私の中で煮詰まってきて、生理的な不快感となった時期があった。(中井久夫「訳詩の生理学」 『アリアドネからの糸』所収)

愛する音楽を、クンデラが書くマーラーのアダージョの悲しき運命にしてはならぬ。

父の死のとき、アニェスは葬儀のプログラムをつくれねばならなかった。儀式は弔辞なし、音楽としてマーラーの『第九交響曲』の「アダージョ」(第四楽章)を流したいと彼女は望んだが、それを父はとりわけ好んでいたのだった。だが、この音楽はひどく悲しいものなので、アニェスは式のあいだ涙を抑えられないのではないかと心配していた。衆人環視のなかで泣くのは許されないことだと思ったので、彼女は『アダージョ』をレコードプレイヤーで録音して、聴いてみた。一度、それから二度、それから三度。音楽は父の思い出を呼びおこし、彼女は泣いた。しかし八度目だったか九度目だったか、「アダージョ」が部屋のなかにひびいたとき、音楽の力は衰えていたし、十三度目になると、アニェスはパラグアイの国家がすぐ眼の前で演奏されるくらいにしか心を動かされなかった。この訓練のおかげで、彼女は葬儀で涙を流さなかった。

感情といいうものは、そもそも、われわれのなかに知らず知らずに、そしてしばしば意に逆らって湧きあがってくる。われわれがそれを感じようと欲すると(ドン・キホーテがドゥルネシアを愛そうと決めたように、われわれがそれを感じようと決めると)、感情はもはや感情でなくなり、感情を模倣する紛いもの、感情の誇示になってしまう。ふつう一般にヒステリーと呼ばれるものになってしまう。だからしてホモ・センチメンタリスは(いいかえれば、感情を価値に仕立てた人間は)、じっさいホモ・ヒステリクスと同一なのである。

そう言ったからといって、感情を模倣する人間は、その感情を感じないということを意味するのではない。老いたリア王を演じる俳優は、舞台の上で、観客を前にして、見捨てられて裏切られた人間の正真正銘の悲しみをはっきり感じているが、しかしその悲しみは上演が終る瞬間に消えてしまう。だからしてホモ・センチメンタリスは、その強烈な感情によってわれわれを眩惑したすぐあとで、今度は説明しがたい無感動でわれわれを面食らわせるのである。(クンデラ『不滅』P296-297)

《マーラーは、まだ率直に、そして直接にホモ・センチメンタリスに訴えかける最後の大作曲家である。マーラー以後、音楽において感情はうさんくさいものになる。ドビュッシーはわれわれを魅惑しようとはするが、心を揺りうごかそうとはしないし、ストラヴィンスキーは感情を恥じている。》(同 クンデラ『不滅』)