このブログを検索

2013年8月31日土曜日

痛みやすい果実

(私はきのう書いたことをきょう読み直す)、印象は悪い。それは持ちが悪い。腐りやすい食物のように、一日経つごとに、変質し、傷み、まずくなる。わざとらしい《誠実さ》、芸術的に凡庸な《率直さ》に気づき、意気阻喪する。さらに悪いことに、私は、自分では全然望んでいなかった《ポーズ》を認めて、嫌気がさし、いらいらする。


 私は一度も日記をつけたことがない。――というよりも、むしろ、日記をつけるのがいいのかどうか、わからなかったのだ。時折、始めてみる。そして、すぐやめるーーしかし、少し経つと、またつけ始める。それは間歇的にちょっと書いてみたくなるだけで、重大な意味もなければ、主義主張といった定見があるわけでもない。私はこの日記《病》に診断を下すことができるように思う。つまり、それは日記を書く事柄の価値についての解きがたい疑念なのだ。

この疑念は油断がならない。ゆっくり進行する疑念だからである。第一期には、(毎日の)メモを取る時、私はある種の快楽を覚える。これは簡単でやさしい。何を書くべきかを考えて苦しむまでもない。材料はすぐみつかる。露天掘り鉱山のようなものだ。身をかがめさえすればいい。手を加える必要もない。そのままで、価値がある、等々。第二期には、それは第一期のすぐ後なのだが(私はきのう書いたことをきょう読み直す)、印象は悪い。それは持ちが悪い。腐りやすい食物のように、一日経つごとに、変質し、傷み、まずくなる。わざとらしい《誠実さ》、芸術的に凡庸な《率直さ》に気づき、意気阻喪する。さらに悪いことに、私は、自分では全然望んでいなかった《ポーズ》を認めて、嫌気がさし、いらいらする。日記という状況のもとにあって、しかも、まさに、《仕事》をしていない(仕事のために姿を変えていない)からこそ、私というのはポーズ屋なのである。それは効果の問題であって、意図の問題ではない。文学のむずかしさはまさにそれに尽きる。読み進めていくと、すぐに、動詞のない文に(《不眠の夜。すでに連続三夜、等々》)、あるいは、無造作に動詞を短縮した文に(《St.S広場で二人の少女に遭遇》)うんざりしてくるーー慎ましく完全な形(《私は出逢った。私は不眠の夜を過ごした》)に戻しても無駄であろう。日記の母型、すなわち、動詞の縮減は私の耳に残り、決まり文句のように私をいら立たせる。第三期は、書いてから数カ月後から数年後に日記の数ページを読み直すと、疑念は晴れないものの、私は、その数ページのおかげで、それが物語る出来事を思い出し、さらには、それが蘇らせてくれる(光や雰囲気や気分の)ニュアンスを思い出し、ある種の快楽を覚える。要するに、こんな具合に、文学的興味はまったくなく(言語化、つまり、文の問題に対する興味を除けば)、私の体験(それの想起はやはり曖昧である。なぜなら、思い出すとは、二度と戻らぬ出来事を確認し、再度失うことでもあるからである)に対する一種のナルシス的愛着があるのだ(ナルシス的といっても、ほんのわずかだ。誇張してはならない)。しかし、またもや問題となるのだが、拒否の局面を経た後に到着したこのような最後の心地よさが日記を(几帳面に)つける理由となるだろうか。その苦労に値するだろうか。

私はここで《日記》というジャンルの分析を始めているのではない(それについての本は何冊もある)。実践的な決断を下すための個人的な省察をしているのである。私は公開を目的として日記をつけるべきだろうか、私は日記を《作品》にすることができるだろうか、と。だから、私はふと思いつく機能だけしか問題にしない。たとえば、カフカは、《自分の不安を根絶する》ために、いいかえれば、《救いを得る》ために日記をつけた。私にはこの動機は自然とは思えない。少なくとも終始不変とは思えない。伝統的に「私的日記」に与える目的についても同様である。もはやそれが適切とは思えない。それは《誠実さ》(自分を語る、自分をさらけ出す、自分を裁く)の効用や威光と結びつけられてきた。しかし、精神分析、サルトルの底意批判、マルクス主義のイデオロギー批判が告白を空しいものとしてしまった。誠実さは第二度の想像物〔イマジネール〕でしかない。そうだ。(作品としての)「私的日記」を正当化する理由は、純粋な意味で、懐古的でさえある意味で、文学的でしかあり得ないだろう。私は、今、四つの動機を考えている。

第一は、エクリチュールの個性、《文体》(以前なら、そういっただろう)、作品に固有の個人語法(少し前なら、そういっただろう)に彩られたテクストを提供することである。これを詩的動機と名づけよう。

第二は、毎日毎日、重大なニュースから風俗の細部まで、大小入りまじった時代の痕跡を散りばめることである。(……)これを歴史的動機と名づけよう。

第三は、作者を欲望の対象とすることである。私は私の関心を引く作家の内面を知りたいと思うことがある。彼の時代の、趣味の、気質の、気づかいの日常的な細部を知りたいと思うことがある。作品よりも彼の人となりの方を好むことさえある。彼の「日記」を貪り読んで、作品は放り出すこともある。だから、私は、他人が私に与えることのできた快楽の作り手となって、今度は自分が、作家から人間に、また、その逆へと移行させる回転ドアのように、人を誘惑しようと努力することができる。あるいは、さらに重大なことだが、(私の本の中で)《私は私が書くものよりも価値がある》ことを証明しようと努力することもできるのだ。「日記」のエクリチュールは、その時、剰余としての力(ニーチェのいうPlus von Macht「力の剰余」として作られる。人はそれが完全なエクリチュールに欠ける所を補うであろうと思っている。これをユートピア的動機と名づけよう。実際、人は決して、「想像物〔イマジネール〕」に打ち勝つことができないからである。

第四の動機は「日記」を文の作業場にすることである。《美しい》文のではない。正確な文のである。つまり、絶えず言表行為〔エノンシアシオン〕の(言表〔エノンセ〕のではない)正確さを磨くことである。夢中になって、一生懸命、デッサンのように忠実に。もうまるで情熱としっていいほどに。《もしあなたのくちびるが正しい事を言うならば、わたしの心も喜ぶ》(『箴言』、第二十三章十六節)。これを愛の動機と名づけよう(多分、熱愛的とさえいってもいいだろう。私は「文」を熱愛する)。……(ロラン・バルト「省察」1979『テクストの出口』所収)


《日記も、読まれることを予想して書かれることがしばしばある。永井荷風の『断腸亭日乗』やジッドの『日記』は明らかにそうであろう。精神医学史家エランベルジェは、日記を熱心に書きつづける人には独立した「日記人格」が生まれてくると言っている。日記をつける人も読む人も、このことは念頭に置くほうがよいだろう。》(中井久夫「伝記の読み方、愉しみ方」『日時計の影』所収)



ーーーきみたちの(「きみたち」、つまりイマジネールな「きみたち」である)の徹底的なニブサは、自らのポーズにまったく気づかないことだ。

機銃掃射で/ひとり残らずぶっ殺してやりたい」(谷川俊太郎)ってこと

あるいは自分の媚態や挑発の迎合性に恥じるってことさ
それに恥じたら今度は逆にワザといかめしく振舞ってみて
(いや平静さを装ってでもいい)
それをも恥じるってこと
銃口を自分の口で咥えてみたくなるってこと

ーーないのかね、「きみたち」には?

…………


前投稿のミシェル・ベロフだと? アルゲリッチのオーラにあてられてスランプになっただと? そんなことはどうだったいい(というふうに書くのは関心がある証拠だ)。

1950年生まれのベロフはいいおっさん(あるいは ほどよく凡庸な?)になっている。




 ごくろうさん、20歳のベロフはあっけなく消えた。詩人は長生きするもんじゃない(などというのも凡庸な言い草だ)。



 ーーミシェル・ベロフ1970年(20歳)のデビューアルバムより


 ミケランジェリやポリーニのドビュッシーがいいなどと言っている連中は耳が悪いんじゃないか、--などと(20歳のときのオレのようには)、今のわたくしは決して言わない。


ドビュッシー自身の演奏による「沈める寺院」。