このブログを検索

2014年3月30日日曜日

まるで光が歌っているかのような女

インスルヘンテス大通りのなにやら古風なざわめきが、こちらは今日風な車のクラクションともども階下のガレージから聞こえてくる殺風景なアパートで、僕はあきることがなかった。窓から見おろす妙に奥行きの深い建物の屋上には、いちめんに張りわたしたロープに毎日大量の洗濯物が干されていた。ひとりよく働く洗濯婦は、日中の労働が終ると、建物脇の階段の奥から運び出す、売り物のタコスを焼きはじめる、そうした眺めをあかず見おろしながら……(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)


溽暑甚し。乾季の最後の三月から四月は毎年体調を崩す。
昨年血圧がひどく上がりかつ尿酸値高まり、
痛風をはじめてやったのが三月から四月
この一年でひどく体力が弱まった感がある。
この時期は樹々の葉も半年間一滴の雨がなく埃にまみれている。
といっても旧正月前後に葉を落としつくし
暑い盛りに清冽な白い花を咲かせるプルメリアと
これもおびただしい紅紫色の花を咲かせるブーゲンビリアは今が盛り。
もっともブーケンビリアの花を眺めると暑さがいっそう募る。
成長が早く枝を切るにも棘があって手間がかかるので、
いまは庭隅に数本のみにして、あとは盆栽にしている

以下は我が家の樹の写真ではないがまあこんな具合におびただしい






他方プルメリアは生長が遅くこの国では珍しく枝ぶりがよい樹だ。
和辻哲郎は東京の樹でさえ次のように書く。


東京の新緑が美しいといってもとうてい京都の新緑の比ではないが、しかし美しいことは美しい。やがて新緑の色が深まるにつれ、だんだん黒ずんだ陰欝な色調に変わって行くが、これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方がない。樹ぶりが悪いのは成長が早すぎるせいであろう。一体東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。ゲテモノにはゲテモノのおもしろみがある。などと、自分で自分を慰めるようになった。(和辻 哲郎「京の四季 」)

というわけでゲテモノの多い南国では、珍しく生長の遅いプルメリアだが、
当地に訪れ最初に魅せられたのがこの樹で庭木に古木が八本ある。
けれども日照が悪いと花はわずかしかつけない。
また葉が丸いのと先が尖った二種類のタイプがあり、より見事なのは丸いほうだが
このタイプは大量の雨に弱く雨季の最後には葉が黒ずんで醜くなる。
そしていちばん涼しい季節には葉が落ちて庭掃除がたいへんだ。
今、充分な陽光があたり、ほれぼれして花を慈しむことができるのは二本だけ。






越僑女がタコス料理を作ってくれる
皮からサルサソースまですべて手作り
裏庭の卓子に七輪を載せて
朝から眼を瞠る活躍ぶり
米国メキシコ国境近くの町の住まいで
タコスはお手のものらしい
柔らかい皮とパリパリの皮二種類
具の牛肉も市販の香辛料を混ぜているだけの筈なのだが
妻がふだん作るものとは一味も二味も異なり本場の味なり
子供たちもおおいに食す
わたくしは尿酸値を怖れつつも
氷にしたテキーラを溶かしつつ一口二口……
蛸のオリーヴ油と酢漬けの酒肴にて
あとはビールと白ワイン

アテネの女神のような髪を結つた女は明後日に帰国する
まるで光が歌っているかのような女だ

《植物の熱気、おお、光、おお、恵み!…/それからあの蠅たち あの種の蠅ときたら、庭のいちばん奥の段へと、まるで光が歌っているかのように!》(「サン=ジョン・ペルス詩集」多田智満子訳)

大江健三郎の引用で始めたのだ。
全く関係ないが大江の引用で終わろう。

――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人にういてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。(『人生の親戚』)