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2014年3月12日水曜日

ちょっとゾッとしますね

注目された<わたし>が落ちていく姿、それを誰もが見たいんだから……。自分は事故のとき痛切に感じたですね……。マスコミから一般の人たちの憶測に秘められた嬉しさ……、ちょっとゾッとしますね……北野武のバイク事故後の発話より

わたくしは日本の生の情報はツイッターという場でしか出逢わないのだが
《注目された人物が落ちていく姿、それを誰もが見たい》のだよな 
《憶測に秘められた嬉しさ》だって?
もちろんこのわたくしにもあるなあ

で、理研がらみでなんかもめてるねえ
一度目の結婚披露宴の主賓って
理研のエライさんだったんだよ
所長じゃなかったか あの人
ちょっと覚えがないけれど、副所長だったかも
ナツカシイねえ

ツイッターってのは集団化するのだよな

集団の道義を正しく判断するためには、集団の中に個人が寄りあつまると、個人的な抑制がすべて脱落して、太古の遺産として個人の中にまどろんでいたあらゆる残酷で血なまぐさい破壊的な本能が目ざめされて、自由な衝動の満足に駆りたてる、ということを念頭におく必要がある。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)
集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむるということである。彼の情緒は異常にたかまり、彼の知的活動はいちじるしく制限される。そして情緒と知的活動と二つながら、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な衝動の抑制が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。(同上)

やっぱり注目された人にたいしては
なんらかの嫉妬や羨望の感情を多くのひとはもっているので
ひとびとは彼らの落度を虎視眈々と窺っており
それがあれば嬉しくなって
さらに集団内部の同一化によって
つまり《他人にたいする感情結合》によっていっそう渦をまくんだろうな

次の文の「憎んでいる」に、「羨望している」を代入して読んでみよう

私の身辺にある人間がいる。私はその人を憎んでいる。だからその人が何かの不幸にもで遭えば、私の中には烈しい喜びの気持が動く。ところが私の徳義心は、私自身のそういう気持を肯定しようとしない。私はあえて呪いの願望を外に出すことをしかねている。さて偶然その人の身の上に何か悪いことが起こったとき、私はそれに対する私の充足感を抑えつけ、相手の気の毒に思うことを口にも出すし、自分の気持にも強制するであろう。誰にもこんな経験はあるにちがいない。ところがその当の人間が不正を犯してそれ相当の罰をこうむるというようなことでも起ると、そのときこそ私は、彼が正当にも罰をこうむったことに対する私の充足感を自由に外に出すことができる。そして、彼に対して愛憎を持っていない多くの人々と自分もこの点では同意見だとはっきり口外する。しかし私の充足感はほかの人たちのそれよりも一段と強いものであることを、私は自分自身のうえに観察しうる。私の充足感は、情念動出を内心の検閲によってそれまでは妨げられていたが、今や事情が一変してもはやそれを妨げられることのなくなった私の憎悪心という源泉からエネルギーの補助を受けているのである。こういう事情は、反感をいだかれている人物であるとか、世間から好かれていない少数党に属する人間であるとかがなんらかの罪を己が身の上に招くようなときには普通世間でよく見られるところのものである。こういう場合、彼らの受ける罰は彼らの罪に釣り合わないのが普通で、むしろ彼らに対して向けられていたが外に出ることのなかった悪意プラス罪というものに釣り合うのである。処罰者たちはこの場合明らかに一個の不正を犯す。彼らはしかし自分たちが不正を犯しているということを認め知ることができない。なぜならかれらは、永いこと一所懸命に守ってきた抑制が今こそ排除されて、彼らの心の中には充足感が生まれてきて、そのために眼が眩んでしまっているからである。こういう場合、情動はその性質からすれば正当なものであるが、その度合からすれば正当なものではない。そして第一の点では安心してしまっている自己批評が、第二の点の検討を無視してしまうのはじつに易々たることなのである。扉がいったん開かれてしまえば、もともと入場を許可しようと思っていた以上の人間がどやどやと入りこんでくるのである。

神経症患者における、情動を湧起せしめうる動因(きっかけ)が質的には正常だが量的には異常な結果を生むという神経症的性格の著しい特色は、それがそもそも心理学的に説明されうるかぎりではこのようにして説明されるのである。しかしその量的過剰は、それまでは抑制されて無意識のままにとどまっていた情動源泉に発している。そしてこれらの源泉は現実的動因(きっかけ)と連想的結合関係を結びうるものであり、また、その情動表出には、何の要求をも持たないところの、天下御免の情動源泉が望みどおりの途を拓いてくれるのである。抑制を加える心的検問所と抑制を受ける心的な力とのあいだにはいつも必ずしも相互的妨害の関係が存するばかりではないということにわれわれは気づかされるわけである。抑制する検問所と抑制される検問所とが協同作業をして、相互に強化しあい、その結果ある病的な現象を生じせしめるというようないくつかの場合も同様注目に値する。……(フロイト『夢判断』下 新潮文庫P219-221――「無邪気に偽装された侮蔑」より)

――でどうしたらいいかって?
まあ盗用は咎められるべきには相違ないよ
でもツイッターの集団化システムって
なんとかならないかな
まずはあのリツイートってやつさ
《情動を湧起せしめうるきっかけが質的には正常だが
量的には異常な結果を生む》のだよな

もっとも事故情報などにはすこぶる役に立っているわけだから
文句をいったらマズイんだろうな


《だれも、ひとりひとりみると/かなり賢く、ものわかりがよい/だが、一緒になると/すぐ、馬鹿になってしまう》(シラー 「優しい人たちによる魔女狩り」)