今思えばカントの超越論的な次元に辿りついたとき、私は哲学とは何たるかを間違いなく初歩的なレヴェルでしか理解してなかったのだ、と思いました。つまり、私は哲学が一種の誇大妄想的な企て(megalomaniac enterprise) ――ほら、「世界の基本的な構造を理解しましょう」というたぐいのものです――ではないという重要なポイントを理解したとき、哲学はそんなものではないとわかったのです。(……)
哲学は誇大妄想的なものではないと私が知ったのは、愚直(naive)な科学者から「われわれが合理的な仮説にもとづいた厳然たる現実を扱っているのに対して、君たち哲学者は単にあらゆる事物の構造を夢見ているだけではないのかね」というありがちな反論を受けたときでした。そのとき、哲学はある意味で科学より批判的で、より用心深くさえあるのだということに気づきました。哲学はより初歩的な疑問さえ投げかけます。例えば、科学者がある問いにアプローチする際、哲学のポイントは、「万物の構造は何か」ではなく、「その問いを定式化するために科学者がすでに前提としなければならない概念とは何なのか」ということです(スラヴォイ・ジジェク『ジジェク自身によるジジェク』)
最近、「STAP細胞」事件にかかわって、「理系」「文系」という語彙が巷間に飛びかっているが、そして論文の書き方についてもその語彙を通して是非論が問われているが、それらのすべてではないにしろ、その多くは「超越論的なもの」を問う姿勢の重視/軽視ということがあるのではないか(いや、もっと低レベルの話に過ぎないというひとはいるかもしれないが)。
※「超越論的」とは、あらゆる(可能な)経験の条件に関わるということであり、まずは「超越論的」 (transcendantal)と「超越的」(transcendent)の二つの形容詞を混同してはならない。超越的とはいわゆるメタ、上からの視線などと言われるものだが、超越論的とは、経験を根底から規定しつつも経験と同じレベルに位置する。
ーーと書いたが、ほとんど「剽窃」であり、出典を明らかにしておこう→「映像について何を語るか-ジル・ドゥルーズ『シネマ』をめぐる考察-」 (箭内 匡)
理系/文系の議論に関して、たとえば、東京大学医科学研究所の武藤香織教授は、《理系論文の「背景」・「目的」部分への労力/評価のバランスを見直そう》という項目を立て、次のように書いている。
文系の研究者からみますと、生命科学(あるいは理系全般?)の研究者は、論文の「背景」・「目的」に対する思い入れが少なすぎます。この思い入れのなさの原因は、論文のインパクトが「方法」と「結果」であって、「背景」と「目的」にかける執筆労力も、論文全体からみた配点/評価も低く割り当てられているためではないでしょうか。従って、執筆者もその上長も、「背景」・「目的」におけるコピペへの垣根が極めて低く、むしろ常態化しているのではないかとも感じます。このことは、生命科学・医学の世界にやってきたときのカルチャーショックの一つでもありました。
個人研究を中心とする文系の研究者にとっては、自分のレゾン・デートル証明のためにも、論文の「背景」「目的」は、極めて重要な執筆過程になります。逆に、文系の研究者の論文は、「方法」部分の記述が全体としてpoorになりやすく、「結果」「考察」の区別をつける必要性は研究領域によっても異なるため、論文が「作品」/「エッセイ」/「論説」になりやすいリスクを秘めていることも指摘しておきます。
ところで、柄谷行人は80年代の終わりに次のように語っている。
ポスト・モダニズムについては、僕もさまざまな、かつ相互に矛盾しあうような考えをもっています。ある者たちに対して、僕は、自分はポストモダンだと宣言するでしょう。しかし、それは、ポスト・モダンがモダンのあとにくる「状態」や「段階」でなのではなく、モダンなものに対してその自明性をくつがえすという“超越論的”な「姿勢」であるかぎりにおいてです。だから、それは「状態」としてのポスト・モダンに対しても向けられなければならない。(柄谷行人『闘争のエチカ』P18)
ここにも「超越論的」という言葉が出てきている。柄谷行人はいたるところでこの「形容詞」をめぐって語っているが、ここでは『トランスクリティーク』から。
カントの哲学は超越論的――超越的と区別されるーーと呼ばれている。超越論的態度とは、わかりやすくいえば、われわれが意識しないような、経験に先行する形式を明るみにだすことである。(柄谷行人『トランスクリティーク』P17)
すなわち、《自分が暗黙に前提している諸条件そのものを吟味にかけるということ》であり、《超越的、つまりメタレヴェルに立って見下すものではなく、自己自身に関係していくもの》(『闘争のエチカ』P53)ということになる。
あるいはもうすこし遡って80年代前半に書かれた書物からなら、次のような文を抜き出すことができる。
人間が作ったものと自然が作ったものの差異はなにかという問いは、それ自体歴史的である。実際この問いが生じるのは、またテクネーの意味が問われるのは、 きまってテクノロジーが飛躍的に発展するときである。(……)サンボリストたちの問題意識は、19世紀のテクノロジーに密接に関係するのである。今日において、構造主義は、いうまでもなく、コンピューター・サイエンスの所産である。逆に、現代のテクノロジーに無関係にみえるような哲学者の言説においても、 本質的にこの関係が存する。たとえば、ジャック・デリダがアルシエクリチェールについて語るとき、分子生物学が遺伝子をエクリチュールとしてみているとい う事実の上である。
このことは何を意味するのだろうか。第一に、われわれはもはや伝統的な用語によって語るべきではなく、すくなくとも現代のテクノロジーの達成を前提としておかねばならない。さもなければ、それはわれわれを伝統的な思考の圏内に閉じこめてしまうだろう。だが、同時に、われわれは歴史的な過去に遡行しなければならない。それは、現代のテクノロジーが与えている「問題」が、そのなかで解かれるべきものであるどころか、一つの反復的な症候にすぎないことを知っておくべきだからだ。さらに、もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』 講談社版1983)
すこし長く引用したが、最後の《もっとも重要なことは》として書かれている箇所が「超越論的」にかかわる。
実際の数学の発展は“基礎”などに関知しない“応用数学者”によってなされており、また数学の発展はつねに“非合理的”になされてきたのである。他方“純粋数学者”もまた“基礎”にかかわるかぎりペーパーを書けないという体制の下で、“基礎”にかんして無関心である。(『隠喩としての建築』)
もちろんすでに形成された「意識」、あるいは「構造」そのものを超越論的に疑う原理的な科学者も稀には存在するだろう。だが殆どの科学者が凡庸な「応用科学者」であるには違いない、それはほとんどの「思想家」を称する者がそうであるように。
ーー柄谷行人の「ゲーテル問題」の扱いは毀誉褒貶が多かったのを知らぬわけではない。ここではひとつ、野家啓一氏の評言を抜き出しておこう
柄谷は「形式化」の極限において体系がパラドックスに陥り、内部から自壊せざるをえない構造機制を不完全性定理にちなんで「ゲーデル問題」と名づけてい る。かつて『隠喩としての建築』を読んだ時、私はその着眼の卓抜さと鮮かなレトリックには感嘆したものの、「専門学者」としての見地から、彼のゲーデル理 解とその敷衍の仕方には一種の「あやうさ」を感じざるをえなかった。というより、その「あやうさ」が後にエピゴーネンたちによって増幅され、「ゲーデル問 題」が過剰な意味づけをされたまま安易なメタファーとして一人歩きし始めたことに危惧の念を覚えたのである。柄谷の問題提起の切実さに比して、一般に流布した「不完全性定理」の解釈はいかにも厳密さを欠き、寸足らずの安手の衣服をまとわされているように見えた。しかし、柄谷が抱え込まざるをえなかった困 難、あるいは彼がそのような〈問題〉に逢着した必然性は、私なりによく理解できたつもりである。(「柄谷行人の批評と哲学」(『国文学』1989年1月号)
…………
ところで、「超越論的」だけでなく、ドゥルーズには「超越論的経験論」という奇妙な言い方がある。なぜ奇妙かといえば、ごく標準的には「超越論的/経験的」は相対するものだからだが、昨年末に上梓された評判の高い書には次のような説明があるようだ。
今ここで立ち騒ぐ経験の断片それぞれが、複数的な外部性である。これは、経験を別のしかたにする条件を経験の断片たちから得る、すなわち、経験の断片たちを複数的に超越論的なものにする立場であり、これがドゥルーズの「超越論的経験論」なのである。(千葉雅也『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 』)
わたくしはこの著が手元になく、インターネット上で拾っただけなので、これだけだと分かりにくい。
浅田彰による次のような説明であったらどうだろう。
ドゥルーズは「超越論的経験論」という一見逆説的なことを言っている。ただちに経験論につく前に、いちど徹底的に超越論的であれねばならない、というわけです。
その立場から見たときに、カントはたしかに超越論的領野を発見したけれども、それを経験的領野の引き写しにしてしまうことで、超越論的な探求を中途半端に終えてしまった、ということになる。
つまり、「私とは一個の他者である」というランボーの言葉を先取りするような形で、超越論的な自己と経験的な自己の分裂、見方を変えれば自己の諸能力の分裂を発見しながらも、経験的領野において前提されていたデカルトの「良識(ボン・サンス)」につながるような「共通感官(コモン・サンス)」における諸能力の調和を密輸入することで、そのような分裂をあまりに性急に縫い合わせてしまった、ということになるわけです。
ただし、カント自身、晩年の『判断力批判』において、「美」の共通感官を論じたあと、「崇高」を論じたところで、それを超える方向を示している。その方向を徹底的に突き進めなければならない。
諸能力を、超越論的というより、超越的に使用すること、つまり、それぞれの能力がそれぞれの原理に従って行くところまで行くようにに仕向けてやることで、「ボン・サンス」や「コモン・サンス」の閉域を突き破り、やはりランボーが「あらゆる感覚の錯乱」と呼んだような非人称的な高次の経験へと突き抜けていかなければならない。そのような経験に定位するのが、高次の経験論、つまり超越論的経験論だということになるわけです。(『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰・柄谷行人)より)
おそらく優れた科学者は(あるいはある種の人文系思想家も)、このドゥルーズの超越論的経験論者としての実践をしているのではないか。《それぞれの能力がそれぞれの原理に従って行くところまで行くようにに仕向けてやることで、「ボン・サンス」や「コモン・サンス」の閉域を突き破》ること。人文系であっても、ひとはつねに超越論的ばかりに振舞っていては、身動きがとれなくなってしまうことがありがちなのだから。
すこし文脈から外れるが、浅田彰はポール・ヴィリリオの「事故の博物館」をめぐる話題のなかで書かれる次のような文を附記しておこう。
繰り返すが、ヴィリリオを引くまでもなく科学技術の問題はきわめて重要だし、「あくまで現実的に何が可能かを見極めようとする工学的な思考」はとことん徹底されなければならない。しかし、それがすべてだ、それ以外のいわゆる哲学的(あるいはもっと広く人文学的)な思惟などと いうのはノンセンスな夢想に過ぎない、という実証主義的批判は、それ自体、大昔から繰り返されてきた紋切型に過ぎず、受け入れることができない。必要なのは、すべてを工学的思考に還元することではなく、人文学的なものを工学的に思考すると同時に工学的なものを人文学的に思考することなのだ。私は「事故の博物館」の頃から(いや、もっと以前から)現在にいたるまで、そのような立場を一貫して維持してきたつもりである。そして、それが最初に示唆するのは、地球 環境問題が、もとより主観的な良心の問題(「やるだけやったし、まいっか」)ではないと同時に、客観的な工学の問題に尽きるものでもなく(現在をはるかに 凌ぐ計算力をもったシミュレータが出現しても、最終的にすべてを明確な因果関係によって把握することはできないだろうが、問題は、むしろ、そうした不完全 情報の下でいかに判断するかということなのだ)、文明のあり方そのものにかかわる思想的・政治的・社会的な問題だということなのである。。(『続・憂国対談』)