スカルラッティといえばホロヴィッツと相場が決まっている
いいさ ホロヴィッツで
ホロヴィッツは重さというものが無く、まるで鳥のようである。誰も彼のように、軽やかに飛び回るような技巧でスカルラッティを弾けない。ごらん、私は決してスカルラッティを弾かない(スヴャトスラフ・リヒテル)
でもときにからかわれている気分になるのはなんなのか
昔のひとばっかりだって?
じゃあAlexandre Tharaudを聴いてみる
なんだか軟弱だ
仏人かい?
だがこれだったらMaria Joao Piresの演奏がいい
どう違うかって?
趣味の問題だね
鳥肌の立ちようが違うって説明じゃあだめかい?
ダメだろうな
リパッティだってこうやってホロヴィッツと並べられたら負ける
で、なんの話かって?
セルゲイ・カスパロフSergey Kasprov
第一次予選冒頭のK319だね
すごいなあこの演奏 何回聴いても
奇跡だな
彼は二次予選で跳ねられた
翌年のラ・ロック=ダンテロン音楽祭2009でも
同じK.319が演奏されるが
そこではこの時ほどの息詰まる緊迫はない
傷つきやすさが齎す痛み
それが世界の裂け目を不意に照らし出し
事物を輝かさんとする稀有なあの刻限
なにか奪われたものを取り返そうとするかのようにしたあの緊迫
ーーと書くのはほとんど剽窃だ
あの苦痛をともなう喜び
あのわれわれを分割する瞬間的な光
リルケが語ったあの「恐るべきもののはじまり」
ホロビッツと比べれば
セルゲイ・カスパロフの2008年は断然勝ちだが
2009年はそのときの気分の問題だね
鳥肌はカスパロフのほうが立つな
ーーと書くのはほとんど剽窃だ
あの苦痛をともなう喜び
あのわれわれを分割する瞬間的な光
リルケが語ったあの「恐るべきもののはじまり」
ホロビッツと比べれば
セルゲイ・カスパロフの2008年は断然勝ちだが
2009年はそのときの気分の問題だね
鳥肌はカスパロフのほうが立つな
でほんとうはなにがいいたいだって?
ロシア人たちよ きみたちは偉大なんだから
戦争なんかすんなよ
クリミアというのは南方への、イタリアへの、スカルラッティへの
憧憬の土地なんだろうな
ユーリー・エゴロフYouri Egorovの沈潜したスカルラッティ
彼はエイズによる合併症のため33歳で死んでいる