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2013年7月30日火曜日

アベノミクスの博打

いままで言ってきたように、アベノミクスってのがそもそも危険きわまりないギャンブルなんだけど、それがうまくいってるように見える今のうちに、参議院選挙に勝って両院のねじれを解消し、憲法改正をはじめ、いわゆる「戦後レジームからの脱却」を強引に進めようってのが、安倍政権の狙いだね。でも、国際的には「戦後レジーム」ってのは第二次世界大戦の戦勝国である米英仏ロ中が国連の安全保障理事会の常任理事国を構成する体制なんで、それを否定するのかってことになると、中国はむろん、アメリカその他だって黙っちゃいない。本来、北朝鮮に圧力をかけるため米中その他の諸国と協力すべき時だし、中国の覇権主義に対して日米同盟で対抗するってのが安倍政権の外交の基軸なんだから、他方でそれを揺るがし、アメリカにさえ警戒感をもたせるような言動をとるってのは、愚かとしか言いようがない。(田中康夫と浅田彰の憂国呆談2 TALK 63

ここではアベノミクスのギャンブル、その異次元緩和のみをめぐれば、そのギャンブル性への危惧は、インフレが加速しないための制御が果たして可能なのか、という不安なのだろう。

──異次元緩和後の金利動向をどうみているか。

「金利に対しては2つの違う働きの効果が働いている。国債を大量に買い入れたため、名目金利やリスクプレミアムは下がる。一方、予想インフレ率が上がることで名目金利が上昇する要素もある。金融政策の結果、予想インフレ率が上昇し、実質金利が下がっているかどうかが一番大事だ。そうでなければ株や為替、実体経済に対する影響が出てこない。(現在の実質金利は)BEIでみるとマイナスだ」(岩田日銀副総裁インタビューの一問一答

そして日本を代表するケインジアンのひとり、岩井克人は次のように語ることになる(「アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン」より)。

……デフレはすべて悪であるが、インフレはすべて善ではない。それは、さらなるインフレを予想させてインフレをさらに強めるという悪循環に転化する可能性を常に秘めている。その行き着く先であるハイパーインフレこそ、貨幣の存立構造それ自体を崩壊させる最悪の事態である。 
 好況は多数の人が永続することを願っている。その多数の声に逆らって、善きインフレが最悪のハイパーインフレに転化するのを未然に防ぐ政策を実行すること、それが中央銀行の独立性の真の理由である。しかし、その心配をするのはまだ早い。いまはインフレ基調の確立により総需要が刺激され、日本経済が長期にわたる停滞から解放されることを切に望むだけである。「日本経済新聞201331428ページ 経済教室 岩井克人」


デフレが悪なのは、ほとんどの経済学者は意見の一致をみているのだろう。それが分っていても、いい出せない、あるいは施策が打てなかったのは、ひょっとして優れて(かつ老いた)経済学者たちは、自分の世代は、なんとか逃げ切りたいとひそかに思っているせいだった、――などと勘ぐるのはよして、池尾和人氏のリフレ談義にぎやかなころ冗談めかした口から漏らした本音らしき言葉を引用しておこう。

むしろデフレ期待が支配的だからこそ、GDPの2倍もの政府債務を抱えていてもいまは「平穏無事」なのです。冗談でも、リフレ派のような主張はしない方が安全です。われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれないのだから...(これは、本気か冗談か!?)(ある財政破綻のシナリオ--池尾和人2009.10

まあいずれにせよ、インフレというのは、年金受給者にとっては、まずは年金の貨幣価値の減価(あるいは銀行預金の目減り)なのだから、その年齢に間近いひとたちが、そんなことを本心では願うはずもない(よっぽどの資産家か、あるいは海外資産の準備をしていなければ)。

…………

ケインズがいくつか貢献したことのうちのひとつは、通貨の問題の中に欲望を再び導入したことであった。こうしたことこそ、マルクス主義的分析の必要条件にあげられるべきことなのである。だから、不幸なことは、マルクス主義の経済学者たちが大抵の場合多くは、生産様式の考察や『資本論』の最初の部分にみられる一般的等価物としての通貨の理論の考察にとどまって、銀行業務や金融操作や信用通貨の特殊な循環に十分に重要性を認めていないということである。(こういった点にこそ、マルクスに回帰する(つまり、マルクスの通貨理論に回帰する)意味があるのである)。(ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』)

こうして、最晩年のドゥルーズは次のように語ることになる。
マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解できません。マルクスは終わったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事は、世界市場とは何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためにはマルクスにもう一度立ち返らなければなりません。(……)
次の著作は『マルクスの偉大さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。(……)私はもう文章を書きたくありません。マルクスに関する本を終えたら、筆を置くつもりでいます。そうして後は、絵を書くでしょう。)ドゥルーズの最晩年のインタヴュー「思い出すこと」ーー「柄谷行人の「構造と反復」をめぐって」より)

ドゥルーズ&ガタリの云うケインズの「欲望」をめぐっては、ケインズの「美人コンテスト」についての話が有名だ。それは、新聞紙上に掲載された100人の女性の顔写真の中から読者が投票で六人の美人を選ぶというものであり、読者からの得票がもっとも多く集まった六名の美人に投票をした読者に多額の賞金をあたえるという仕組み。

それぞれの投票者は、自分が美人だとおもう顔ではなく、自分とまったく同じ立場に立ってだれに投票しようかと考えている自分以外の投票者の好みに一番合うとおもわれる顔に票をいれなければならない。それは、自分が一番美人であると判断した顔を選ぶというのではなく、平均的な意見が本当に一番美人だと考えている顔を選ぶというのですらないのである。さらに第三段階にいたると、ひとは平均的意見が平均的意見をどのように予想するかを予想するために全知全能を投入することになる。そして、第四段階、第五段階、さらにはヨリ高次の段階の予想をおこなっているひとまでいるにちがいない。(ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』第十二章)


こうやって、資本主義市場の価格は、究極的には、たんにすべての投機家がそれを市場価格として予想しているからそのが市場価格として成立してしまう、つまりは美人コンテストのような「予想の無限の連鎖」のみによって支えられているとされることになる(とくに株式市場や債券市場)。そのとき、市場価格は実体的な錨を失い、ささいなニュースやあやふやな噂などをきっかけに、突然乱高下をはじめてしまう可能性をつねにもってしまうのだ。(ミルトン・フリードマンなどによる反論はあるがここでは触れない)。

参照:


あるいは、 信任論/岩井克人(2)より

ケインズの貨幣理論では、手段と目的の逆転が起きることになります。

貨幣とは、本来金属のかけらであったり、四角い紙切れであったり、電磁的な記号であったりと、それ自体は欲望の対象とはならないものです。

本来的にはそれらがすべてのモノを手に入れる可能性を与えてくれる手段となるから、可能性というものをあたかも実体的なモノであるかのように欲望してしまうということになる。

可能性という幻想を生み出したのが「否定と抑圧」ということであり、これがフロイトとそれを発展させたラカンの理論ではないでしょうか。

つまり、可能性は時間の別名であり、欲望の別名であるということ。

貨幣とモノの関係は、言語とモノの関係より単純なので議論が迷いにくいと思われます。

貨幣は、本来モノを手に入れる手段に過ぎなかった。

貨幣を持つことは、今モノを直接食べないという意味では、欲望の否定に過ぎません。

しかしながら、それがすべてのモノを手に入れる可能性を与えてくれることから、モノを欲望するより、モノを手に入れる可能性を欲望するようになったということです。

つまり、ほんらい実体のない、単なる媒体、単なる記号である貨幣を、あたかもそれ自体がモノであるかのように欲望するようになったということです。

モノへの欲望の否定から、いわば否定そのもの、「無」そのもの(*未来性、可能性)への積極的な欲望という転換があったといえるのではないでしょうか。

これが人間の欲望の根源的な構造であると思われます。

そして、この貨幣そのものに対する欲望の存在が、資本主義経済に恐慌やハイパーインフレーションを惹き起こすことになります。

つまり、モノに対する欲望よりも貨幣そのものに対する欲望が強くなると、結果的にモノが売れなくなって恐慌になります。

逆に、人々が貨幣の存立根拠そのものに不安を抱き始め、貨幣よりもやはりモノの方を欲望し始めると、貨幣からの逃避が始まり、ハイパーインフレーションが起きることになります。


柄谷行人やジジェク文脈では、ここでの「欲望」は「欲動」と言い換えられる。
マルクスが資本の考察を守銭奴から始めたことに注意すべきである。守銭奴がもつのは、物(使用価値)への欲望ではなくて、等価形態に在る物への欲動――私はそれを欲望と区別するためにフロイトにならってそう呼ぶことにしたいーーなのだ。別の言い方をすれば、守銭奴の欲動は、物への欲望ではなくて、それを犠牲にしても、等価形態という「場」(ポジション)に立とうとする欲動である、この欲動はマルクスがいったように、神学的・形而上的なものをはらんでいる。守銭奴はいわば「天国に宝を積む」のだから。(柄谷行人『トランスクリティーク』――「「金儲け」の論理、あるいは守銭奴(ヴァレリー、マルクス)」より)

ジジェクの『LESS THAN NOTHINGにおいてもドゥルーズガタリの「欲望機械」ラカンの「欲動」とすべきとする箇所がある(CHAPTER 9 Suture and Pure Difference )(「戦略的なマゾヒストたれ!」より)。

The starting point for a Lacanian reading of Deleuze should be a brutal and direct substitution: whenever Deleuze and Guattari talk about desiring machines (machines désirantes), we should replace this term with drive. The Lacanian drive—this anonymous/acephalous immortal insistencetorepeat of an organ without a body which precedes the Oedipal triangulation and its dialectic of the prohibitory Law and its transgressionfits perfectly what Deleuze tries to circumscribe as the preOedipal nomadic machines of desire: in the chapter dedicated to the drive in his Seminar XI, Lacan himself emphasizes the machinal character of a drive, its anti organic nature of an artificial composite or montage of heterogeneous parts.


さて、ここでもうひとつ、岩井克人のハイパー・インフレーションをめぐる叙述を『二一世紀の資本主義論』から抜き出しておこう。

ハイパー・インフレーションとは、ひとびとが貨幣を貨幣として受け入れることを拒否し、先を争って貨幣から遁走している状態である。それは、恐慌とは逆に、何らかの理由で、世の多くのひとびとが貨幣よりも商品を欲してしまうことによってひきおこされる。ひとびとがそれまで保蔵していた貨幣を使って商品を買いはじめ、経済全体の商品にたいする総需要が総供給を上回ると、物価も賃金も累積的に上昇しはじめることになる。もちろん、このようなインフレーションが一時的でしかないという予想が支配しているかぎり、実際にインフレーションは一時的でしかない。だが、もしどこかの時点で、インフレーションが将来さらに加速するという予測が強まると、事態は不可逆的になる。インフレーションとは貨幣の貨幣としての価値が持続的に減少していくことである。ひとびとは減価していくだけの貨幣をなるべく早く手放そうとして、商品にたいする需要をさらに増やすことになる。それによってインフレーションが実際に加速してしまうと、インフレーションがハイパー・インフレーションに転化するのである。もはやほかのひとびとが将来貨幣を貨幣として受け入れることを拒否してしまうのではないかという恐れが拡がり、その恐れによって、実際にひとびとは貨幣を貨幣として受け入れることを拒否してしまうのである。恐れが自己実現し、ひとびとは先を争って貨幣から遁走しはじめる。貨幣が貨幣として支えていたあの「予想の無限の連鎖」が崩壊し、それまで貨幣であったものがたんなる金属片や紙切れや電磁波にすぎなくなってしまうのである。

そして、そのとき、貨幣の媒介によって可能となっていた商品と商品との交換も不可能となってしまう。市場で交換されることによってはじめて価値をもつ商品それ自体もたんなるモノになり下がり、ひとびとは物々交換をはじめるよりほかなくなってしまうのである。ハイパー・インフレーションの行き着く先は、市場経済そのものの解体にほかならないのである。(岩井克人『二一世紀の資本主義論』ちくま学芸文庫P57-58)


アルゼンチンのハイパーインフレを想い起こしたいなら、ここにいくらかそのまとめがある、→「日本がアルゼンチンのようになる日 アベノミクスがインフレを引き起こすタイミングはいつか?


以下は、いささか際物のシュミレーションかもしれないが、ハイパーインフレーションをイメージするにはとても役に立つ経済小説家の橘玲氏のよる「20XX年ニッポンの国債暴落」

…………

ZAITEN20112月号の特集「20XX年ニッポンの国債暴落」に掲載された「シミュレーション20XX年ニッポン「財政破綻」」を、出版社の許可を得てアップします。これはもともと、編集部の要望で、同特集の巻頭のために匿名で執筆したものです。

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金利上昇、デフレ脱却が住宅ローン破産を呼ぶ

20XX110日(金)。午前6時に人形町のワンルームマンションを出て、徒歩で丸の内に向かう。出社前に近くのスターバックスに寄り、3800円のカフェモカを飲むのが私のささやかな贅沢だ。紙の新聞はずいぶん前になくなってしまったので、iPad5を開いてニュースをチェックする。

一面トップはあいかわらず「年金全共闘」で、新宿西口に3万人を超える団塊の世代の高齢者が集まり、「生きさせろ」と叫びながら警官隊と衝突した。大阪では公務員の大規模ストでゴミが回収できないため、道頓堀を巨大なドブネズミが走り回っている。スポーツニュースでは、中国の財閥が買収したFC銀座が、バルセロナを戦力外通告されたメッシに移籍のオファーを出したことが大きく報じられていた。

3年ほど前、さしたるきっかけもなく、国債価格が下落し、金利が上がりはじめた。最初はなにが起きているのか、誰にもわからなかった。経済学者のなかには、ようやく長いデフレから脱却できると、この現象を楽観的にとらえる者もいた。

それから、物価が上がりはじめた。最初はガソリンと野菜で、国際的な石油価格の高騰と冷夏が原因だとされた。だがそれが局所的なものでないことは、すぐに明らかになった。食料品や石油製品だけでなく、ありとあらゆるものの値段が一斉に高くなったからだ。

それでもまだひとびとは、比較的落ち着いていた。物価の上昇が急激でなかったため、経済評論家たちはニュース番組で、日本経済復活に必要なマイルドなインフレが起きているのだと解説した。

実際、この異変は当初、歓迎されていた。預金金利が5%に上がって、「利子で生活が楽になった」と喜ぶ高齢者がワイドショーで紹介された。円が120円まで下落したことで、トヨタやソニーなどの輸出産業が軒並み最高益を計上するようになった。

そして、住宅ローン破産が始まった。

超低金利に慣れ親しんだひとたちは、ほとんどが変動金利の長期ローンでマイホームを購入していた。それがいまや、ローン金利は10%台まで上がり、毎月の返済額は2倍になった。ローンを払えない契約者が続出すると、銀行は抵当物件を片っ端から競売で売却した。金利の上昇で大打撃を被った不動産市場に大量の競売物件が流れ込んだために、都市部を中心に地価は急落した。

政府は当初、住宅ローン破産を防ぐための特別措置を講じようと試みた。

だが金融当局は、銀行の財務内容を見たとたんに、ローンの繰延べや競売の猶予が不可能なことを思い知った。日本の銀行は大量の国債を保有しており、国債価格の下落で莫大な含み損を抱え込んでいた。そのうえ担保にしていた不動産価格まで暴落し、いまや数行を除いてほとんどが実質債務超過の状況にあった。不良債権問題を先送りする余裕などなく、返済が滞れば即座に処理する以外に選択肢はなかったのだ。

日本政府は銀行の連鎖倒産を防ぐために、超党派で金融危機特別法を可決させ、時価会計を一時的に停止し、簿価会計に戻すことにした。だがこれは、政府が公式に経済破綻を認めたと受け取られ、海外投資家が日本株と円を投げ売りし、日経平均は6000円まで暴落、円は1ドル=200円の大台を超えた。翌日物のコールレートは一時20%という消費者金融並みの水準まで上がり、各地で取り付け騒ぎが起こった。銀行救済のために政府は大規模な資本注入を余儀なくされ、大半の銀行が実質国有化される異常事態になった。

それと同時に、食料品や生活必需品を中心に物価が急速に上がりはじめた。スーパーの値札はたちまち倍になり、現金を握りしめたひとびとが買い物に殺到し、店頭からモノがなくなった。日本社会は、パニックに陥った。


ハイパーインフレが富裕層の顔ぶれを一転させた

コーヒーを飲み終えると、東京駅前のハイアールビルにある会社に向かう。金融危機前は丸ビルの愛称で知られていたが、いまや覚えているひとはほとんどいない。それ以外にも、サムソンプラザやタタ・ヴィレッジなど、東京都心の不動産はほとんどが外国企業に買収されてしまった。

私は三十代半ばまで、大手電機メーカーの技術者だった。海外企業との価格競争に巻き込まれてボーナスは年々減らされたが、会社にしがみついていれば定年まで食いつなぐことはできるだろうと、漠然と信じていた。

だがハイパーインフレが、すべてを変えてしまった。

最初に、年金生活の高齢者が家を失って路上生活を始めた。日比谷公園ではホームレスのための炊き出しが13回行なわれていて、1万人ちかくが公園内で暮らしている。同様に上野公園や新宿中央公園、荒川の河川敷もダンボールハウスで埋め尽くされた。

次いで、公務員のストライキが頻発するようになった。失業率は30%に達し、街には浮浪者が溢れていた。政治家は公務員の給与を引き上げることに二の足を踏み、実質給与はいまやかつての半額以下になった。週刊誌には、事務次官の妻がコンビニでレジ打ちをしたり、財務官僚の娘がキャバクラで学費を稼ぐ様が面白おかしく取り上げられた。

その大混乱を見て、生来臆病な私も、このまま座して死を待つわけにはいかないと腹をくくった。わずかな退職金で会社を辞め、まったく縁のない不動産営業の世界に飛び込んだのだ。

生き延びるために不動産業を選んだのには、理由がある。

半年ごとに政権と首相が変わったあげく、日本がIMF管理になるとの憶測が流れて、ようやく超党派の救国内閣が成立した。新政権の喫緊の課題は財政の健全化で、消費税率は25%になり、年金の受給年齢は70歳に引き上げられた。医療・介護サービスは保険料が大幅に上がり、自己負担は5割で、歯科治療が健康保険から外された。

財政再建の道筋が見えると、東京の中心部から不動産価格が上昇しはじめた。円安と地価の暴落によって、外国人投資家にとっては、銀座の一等地がかつての5分の1の価格で買えるようになったのだ。

私の唯一の取り得は、ビジネス英語が話せることだった。辞書を引きながら徹夜で契約書を翻訳し、欧米はもちろん中国やインド、東南アジアの投資家に東京の不動産を営業して回った。

私が契約営業マンになったのは財閥系の大手不動産会社の子会社だったが、いまでは親会社もろとも中国の投資会社に買収され、社員の半分が中国人、香港人、シンガポール人、中国系アメリカ人になった。外国人投資家は彼らが直接営業するから、私は日本人顧客の担当に変わった。

日本経済が大混乱に陥ったとき、バーゲンハンターとして登場したのは海外投資家だけではなかった。ほとんど知られていなかったが、金融危機以前に巨額の外貨資産を保有していた多数の日本人投資家がいたのだ。

ビデオ会議で上海の本社に営業報告をしてから、表参道に向かう。最初の顧客は、三十代前半の若者だった。

大学を中退してFXとパチスロで生活していた彼は、1ドル=100円から300円に通貨が下落する過程で、レバレッジをかけた巨額の外貨ポジションをつくり、30億円を超える利益を得た。その資金を元手に不動産投資を始め、いまでは渋谷や青山に数棟のビルを保有している。金融危機から3年で、日本の富裕層はほぼ全面的に入れ替わってしまった。

東京の夜を彩る中国語やハングル文字のネオンサイン

外苑前で2万円のビジネスランチを食べ、麻布十番の顧客を訪問する。50歳でリタイアし、マレーシアで海外移住生活を送っていたのだが、円安と地価の下落を見て、外貨資産を円に戻して日本に帰ってきた「海外Uターン族」だ。

彼ら新富裕層のおかげで、私は会社でトップ5に入る営業成績を維持できている。目標に到達できなければ問答無用で解雇されるが、成績次第で青天井の報酬が支払われる。私が以前勤めていた電機メーカーはインドの会社に買収され、「同一労働同一賃金」の原則のもと、いまでは日本人社員もインド人と同じ給料で働いている。

今日は早めに仕事を切り上げて、6時の特急電車で南アルプスの家に帰る。

金融危機とそれにつづくハイパーインフレで、私の実家も妻の実家も、祖父母が年金だけは生活できなくなった。そのうえ父と義理の父がリストラされ、路頭に迷ってしまった。それで田舎に3軒の家と農地を格安で購入し、一族が肩を寄せ合って暮らすようにしたのだ。同じようなケースはほかにも多く、日本は大家族制に戻りつつあった。

東京駅前には、赤ん坊を抱いた物乞いの女たちが集まっていた。その枯れ枝のような細い腕を掻き分けて改札を通り抜けると、5000円のビールとつまみを買ってあずさのグリーン席に乗り込む。平日は都心のワンルームマンションで単身赴任し、週末に家族の待つ田舎に戻る生活を始めて1年になる。

プルトップを引いて、冷たいビールを喉に流し込む。この週末は、失業した妻の弟が、いっしょに暮らせないかと相談に来ることになっている。娘の進学問題も頭が痛い。将来に不安がないわけではないが、泣き言はいえない。いまや一族の全員がわたしを頼っているのだ。



中国語やハングルやアラビア文字のネオンサインが、新宿の夜空をあやしく染めていた。青白い月を眺めながら、いつしか浅い眠りに落ちていた。